「アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって何だろ~? p(´⌒`q) 」
「どんな組織だったらアイデアが出やすくて、どんな組織だったらアイデアが出て来ないものなんだろ~?何がどう違うんだろ~?何をどう改善したらアイデアが出やすい組織になるんだろ~?何が必要なんだろ~? (;´゚д゚`) 」
「新製品や新サービスの開発につながるいいアイデアを社内で募集しているんだけど、いいアイデアが従業員から出て来ないんだよね・・・ (・・、) 」
「面白いアイデアをいっぱい出して欲しいんだけど、アイデアを出せと何度言っても会議を何回やっても何をしても、発言もあまりしてくれないし下を向いてうつむくばっかで、いいアイデアを全然出してくれないし・・・ ( TДT) 」
「いったい何をどーしたら、従業員がいいアイデアを出してくれるようになるんだろ~?どーしてアイデアを出してくれないんだろ~? (´;ω;`) 」
「新製品や新サービス、新規事業なんかにつながるようないいアイデアが、従業員からポンポン出て来るような組織にするには、何をどーしたらいいんだろ~??? (;´Д`)ノ 」
「アイデアが従業員から出て来ない原因は、創造力があまりにも欠如しているからなんだろーか?それとも主体性がないってことなんだろーか?協力しようって気がないからなんだろーか?協調性がないからなんだろーか?考える気がない、やる気がないってことなんだろーか?教育をもっとやらなきゃダメなんだろーか? (|||▽ ) 」
「でも、経営資源に乏しい中小零細企業としてはそんなにコストはかけられないし、新製品や新サービスの開発にもコストがめっちゃかかっちゃうだろーし、かと言って何もしないワケにもいかないし、どーしたらいいものやら・・・ ヽ(;▽;)ノ 」
などなど、このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)
んでもって・・・
「売上や利益の向上」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
コレって、もしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーするのかも~???
なーんて感じることもあるので・・・
そもそもの話、アイデアって、いったい何なんだろーか?
どんな時には、アイデアが浮かびやすいんだろーか?
どんな時には、アイデアが出て来なくなっちゃうんだろーか?
いいアイデアって、どんなアイデアなんだろーか?
面白いアイデアって、どんなアイデアなんだろーか?
それは誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
どんな組織だったら、アイデアが出て来やすいんだろーか?
どんな組織だったら、アイデアを出しにくいんだろーか?
新製品や新サービスの開発につながるアイデアを出すメリットやデメリットって、いったい何なんだろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
新製品や新サービスの開発につながるアイデアって、何のために必要なんだろーか?
新製品や新サービスの開発につながるアイデアって、誰のために必要なんだろーか?
などなども含めて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
(パート1)
んーと・・・、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかもしれないけど・・・
アイデアが出て来ない原因には実はいろいろとあって、温度差もある
んじゃーないかな~???
(´・ω・`;)
原因が違えば、対処方法も違う
んじゃーないかな~???
( ̄  ̄;)
それに、もしかしたら・・・
何らかの兆候の場合もある
かもしれないし、だけど見方を変えれば・・・
ピンチをチャンスに変えるいい機会
イェ━━━━━ヽ( ゜Д゜)人(゜Д゜ )ノ━━━━━━イ
ともとらえられるかもしれないので、「爆発・炎上・崩壊組織」などで従業員の方からお聞きすることもある、例えばこんな声からまずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Aさんの声
え゛!?新製品や新サービスのアイデアを募集していたんですか???
そんなの全然知りませんでしたよ・・・
アイデアの募集って、新製品や新サービスを開発している部署内だけで募集していたってことなんでしょーか?
それって、やっぱ他部署には関係ないってことなんでしょーか?
私みたいに他部署の人間であっても、新製品や新サービスの開発に興味のある人っていると思うんですけど・・・???
新製品や新サービスの開発につながるかどーかはわからなくても、いろんなアイデアを持っていて、募集しているのなら応募したいと思っている人だっていると思うんですけど・・・???
例えば、パートのオバちゃんとか。
なんてったって、一番と言ってもいいほどの消費者目線だし主婦目線なんですから。
井戸端会議もよくやっているし。
こんな製品があったらいいのになーとか、あんなサービスがあったらいいのになーとかって話している時もあるし。
ってコトは、アイデア募集の件はパートのオバちゃんとかも知らないってことですよね?
正社員である私でも知らなかったんですし。
もしそうだとしたら、それってなーんかもったいなくないですかね?
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Bさんの声
アイデアをもっと出して欲しいって言われるんですけどね・・・
アイデアを募集しているし、アイデアがあるのなら応募してみたいのは山々なんですけどね・・・
だけど、アイデアが本当に思い浮かばないんです・・・
何をどーやって思い浮かばないんです・・・
あまりにも思いつかないので、自分でも情けくてヘコんでしまうぐらいです・・・
アイデアをポンポン思いつく人のことが、心底羨ましくてたまりませんよ・・・
どーしてそんなに、アイデアを思いつくんでしょーか???
アイデアを出す方法とかコツとかって何なんでしょーか???
やっぱ一種の才能なんですかね???
私みたいな凡人にはムリってことなんでしょーかね???
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Cさんの声
アイデアを社内で募集しているのは知っているんですけどね・・・
実は、応募してみよーかと思ったこともあるんですけどね・・・
ちょっと面白そうだったし、自分でも何かの役に立てて社会に貢献できるのならと思って・・・
だけど、散々悩んでやめたんですよ・・・
どう考えても、自分にはムリだろーなーって思って・・・
だって、アイデアマンと言われている人たちのアイデアって、めちゃくちゃスゴイじゃないですか・・・
よくこんなアイデアを思いつくなー・・・
どーしてこんなアイデアを思いつくことができるんだろ~?
どーやったらこんなアイデアが思い浮かぶんだろ~?
って、思わず尊敬しちゃうぐらいすごいんですよね。
それに比べると自分のアイデアなんて、あまりにも稚拙な発想だし、創造力のカケラもなさそうだし、とにかく恥ずかしいですよね・・・
自分のこんなアイデアじゃー、アイデアにもなってないだろーなー・・・
みんなから笑われて、恥ずかしい思いをするだけで終わっちゃうだろーなーって、どーも感じちゃって・・・
考えてみたら、創造力が必要な仕事ってすごくクリエイティブな人たちばっかでやっているじゃないですか。
それって、ものすごい才能の持ち主ばっかってことですよね。
やってみたい気持ちはあるにはあるけど、私みたいな凡人にはとてもムリだと思いますよ・・・
やってみようって思うなんて、おこがましいと思います・・・
凡人は凡人らしく、高望みをしないで普通の仕事に専念しろってことなんでしょーねー・・・、きっと・・・
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Dさんの声
新製品や新サービスにつながるアイデアを出せって言われるんですけどね・・・
出せるものなら、出したいとは思うんですけどね・・・
だけど、私にはムリだと思うんです・・・
アイデアと言えるほどのアイデアもありませんし・・・
不平・不満ならいっぱいあるんですけどね・・・
でも、不平・不満とアイデアは違いますよね・・・
しかも、新製品や新サービスにつながるアイデアじゃなきゃいけないとなると、ものすごーくハードルが高いですよね・・・
たとえアイデアがあったとしても、そのアイデアが製品化されたとしても、もしも売れなかったらと思うと責任重大でしょーし・・・
そう思うと、めちゃくちゃプレッシャーじゃないですか・・・
だから、私にはムリだと思うんです・・・
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Eさんの声
新製品や新サービスにつながるアイデアを出せって言われても困るんですよね・・・
そんなアイデアなんて、とても思いつきませんし・・・
それができるぐらいなら、とっくの昔に発明家になっているでしょーし。
不平や不満ならいっぱいあるんですけどね・・・
でも、とても言えませんよ・・・
ってゆーか、そもそもウチの会社って、不平や不満を言うことそのものを良しとしない社風なんですよ・・・
愚痴や文句も当然のことながら絶対にダメ、言い訳もダメって感じですし・・・
質問しても、文句をつけていると見なされちゃうことだってあるし・・・
相談しても、それぐらい自分で考えて解決しろ!って怒られちゃうし・・・
そんな会社なのに、アイデアと称して不平や不満を言ったらどんな目に遭うか・・・
思いっきり、「出る杭は打たれる」って感じの組織だし・・・
下手したら、リストラされちゃうかもしれませんし・・・
不平や不満があったからこそ、生み出された新製品や新サービスもあると思うんですけどね・・・
そーゆー意味で言うなら、不平や不満ってアイデアのヒントにもなるだろーし、アイデアの源ともとらえられると思うんですけど・・・
私みたいに、新製品や新サービスにつながるアイデアは思いつかなくても、アイデアを出すのはハードルが高いと感じていても、不平や不満ならいっぱいあるし言いたいって人はいると思うんですけど・・・
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Fさんの声
アイデアを出せって、いきなり言われても困るんですよね・・・
それも、新製品や新サービスの開発に使えるアイデアに限定されてしまうと・・・
職場を改善するアイデアとかだったらあるんですけどね・・・
だけど、新製品や新サービスの開発に使えるアイデアじゃないとダメですもんね・・・
普段から、新製品や新サービスの開発に使えるアイデアを出し慣れている人はいいですよ・・・
新製品や新サービスの開発をやったこともあるだろーし・・・
だけど、新製品や新サービスを開発したことすらない私たちのような従業員だと、新製品や新サービスの開発に使えるアイデアって言われても、どんなアイデアだったら新製品や新サービスの開発につながるのか、どんなアイデアが求められているのか、全然ピンと来ないんですよね・・・
あまりにも畑違い過ぎて、雲をつかむような話とでも言ったらいいでしょーかね・・・?
こんな風に感じているのって、私だけじゃーないと思うんですけど・・・
もっと身近なところから始めて、小さな成功体験を積み重ねて行って、それから新製品や新サービスの開発に使えるアイデアにも挑戦してみるって方が、考えやすいしアイデアも出しやすいし、有り難いと思っている人もたくさんいると思うんですけど・・・
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Gさんの声
新製品や新サービスの開発に使えるいいアイデアや面白いアイデアを出せって、そんな曖昧な要求をされても困るんですよね・・・
アイデアはなくはないんですけど、出してもいいんだけど、出すのが怖いから出せないんです・・・
だって、いいアイデアとか面白いアイデアの判断基準がよくわかりませんから・・・
実際、はりきってアイデアを出した従業員がいたんですけどね・・・
もちろん、いきなり出したわけじゃーなくて、何人かに相談して良さそうなアイデアを選別して出したらしいんですけど・・・
だけど、こんなのいいアイデアじゃない!!面白いアイデアじゃない!!こんなくだらないアイデアを出しやがって!!こんなアイデアなんか検討するだけ時間のムダ!!って、ボロクソに言われたみたいなんですよ・・・
それも、一人や二人じゃないんです・・・
犠牲者が何人もいるんです・・・
せっかく必死に考えてひねり出して、その中から選別までしてようやく出したアイデアなのに、ここまでボロクソに言われるなんてあんまりだと思いませんか?
自分もそんな目に遭うんじゃないかと思うと、アイデアなんて怖くて出せませんよ・・・
せめて、いいアイデアとか面白いアイデアの判断基準がわかれば、思い切って出してみようって気になれるのかもしれませんけど・・・
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Hさんの声
アイデアを要求されても困るんですよね・・・
新製品や新サービスにつながるアイデアだろーと、そーでなかろーと。
アイデアがないわけじゃーありません。
はっきり言って、アイデアならいっぱいあります。
だけど、アイデアを出したところで、上司にパクられるのが目に見えているんですよね・・・
実際、パクられて上司の手柄にされちゃったことが以前ありましたし・・・
なので、アイデアがあっても出したくないんですよ・・・
もしもアイデアを出したら、またパクられちゃうだろーし・・・
たとえるなら、脅されて仕方なくカネを出したら、またたかられちゃうみたいなイメージでしょーかね・・・
なので、協調性がないと言われようと主体性がないと言われようと、協力する気がないと言われようとやる気がないと言われようと、アイデアは金輪際出したくないんです・・・
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Iさんの声
アイデアを出せと要求されても困るんですよね・・・
それも、新製品や新サービスの開発に使えるアイデアとなると・・・
実は、こーゆーことが以前にもあったんですよ。
従業員に何の相談もなく、新製品や新サービスの開発に使えるアイデアを出せっていきなり一方的に要求されたことが。
今回もそうなんですけど、その時も何がどーなって新製品や新サービスの開発を行うことになったのかとかの説明も一切なく、いきなりの要求だったんですよ。
それで質問したら、「会社の方針だから」の一点張りだったし。
闇雲にアイデアを出せと言われても、どーゆーアイデアを求められているのかわからないから質問しても、何でもいいからとにかくアイデアを出せって言われるばかりで、まともな返答がなかったし。
会社の方針に納得できなかったけど、仕方なく、みんなアイデアを出すには出したんですけどね。
忙しい通常業務の合間を縫って、自宅でも必死に考えて。
だけどその後、新製品や新サービスの開発の話は、いつの間にか立ち消えになっちゃったんですよ。
この時も、従業員には一切の説明もなく。
必死に考えたのに!!って、みんな怒っていましたよ。
こんなの、めっちゃ行き当たりばったりの無計画ですよね。
朝令暮改もいいところですよね。
振り回される側の従業員としては、本当にたまったものじゃーありませんよね。
それも何度も何度も。
なので、今回もそうなるんじゃないかな~?って思うので、アイデアを出したくないんです・・・
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Jさんの声
アイデアを出せと要求されても困るんですよね・・・
それも、新製品や新サービスの開発に使えるアイデアとなると・・・
だって、新製品や新サービスの開発そのものに私は反対しているんですから・・・
うちの会社の状況を考えると、新製品や新サービスの開発に力を注ぐよりも、もっと他にやるべきことがあるんじゃーないかな~?って感じていますから・・・
余裕があるのなら、新製品や新サービスの開発に挑戦するのもアリだとは思います。
だけど、うちの会社の現状を見ると、そんな余裕があるとはとても思えないんですよ。
そもそも決算書から考えたとしても、新製品や新サービスの開発をやっている余裕があるとは思えないんですけどね・・・
損益計算書(P/L)を見ても、貸借対照表(B/S)を見ても・・・
闇雲に新製品や新サービスの開発を目指して体力を消耗するより、既存製品や既存サービスに専念した方がいいと思うんですけど・・・???
こんな風に思っているのは、私だけじゃないと思うんです。
私は経理部門の人間だから決算書を見てそう感じていますけど、他部署の人は他の兆候からそんな風に感じているんです。
だからみんな、アイデアを出したがらないんだと思います・・・
このままじゃー、この会社はマジでヤバイのでは!?倒産してしまうのでは!?って危機感を持っている従業員もいるんじゃーないでしょーかね?
だから、優秀な人材からどんどん辞めて行くんじゃないですかね???
そーゆー私も、転職を考え始めたことですし。
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Kさんの声
新製品や新サービスにつながるアイデアを出せって、個々の従業員に丸投げされても困るんですよね・・・
そりゃー、アイデアがいっぱいあるような人であれば、個々人に丸投げされても大丈夫なのかもしれませんよ。
だけど、普通の人にとっては、どんなにがんばってもたった一人でアイデアなんてそう簡単に浮かぶものじゃありませんよね。
だからこそ、みんなで集まって相談し合ったり、ブレインストーミングとかでいろんな意見を出し合ったりして、アイデアを出して行くんじゃないですか。
ワイワイガヤガヤやりながら。
それも、みんなで楽しみながら。
アイデアには、遊び心も必要なんじゃーないでしょーか?
遊び心が持てる心の余裕とか時間的な余裕とか雰囲気とかも。
アイデア出しって、そーゆーイメージがあるんですけど?
眉間にシワを寄せて難しい顔して、いいアイデアや面白いアイデアが思い浮かぶとはとても思えないんですけど・・・???
だけど、うちの会社の場合、そーゆーことですら難しいと思うんです・・・
うちの会社の会議を見ればわかるように、そーゆー雰囲気じゃありませんし、みんないつも眉間にシワを寄せて難しい顔していて、冗談のひとつすら言えない雰囲気ですし。
会議だけじゃありません。
相談し合うことも協力し合うことも、うちの会社では難しい状況なんですよ。
相談し合えるような状況じゃないから、それぞれの従業員はインターネット検索で仕方なく調べているんじゃないですか。
隣の人にちょっと相談できればすぐに解決できそーなことであっても、みんなで協力し合えばすぐに解決できそーなことであっても、それができないから仕方なくそうしているんじゃないですか。
もしかしたらアイデアが出て来ないのは、うちの会社の企業文化そのものをあらわしているとも言えるのかもしれませんよね。
一人ひとりの人間ができることには限界があるはずなのに。
一人じゃできないから、組織をつくっているはずなのに。
うちの会社って、組織だからできることをやっていないよなー・・・
何のための組織なんだろ~?
それってもったいないんじゃないかな~?
同じ職場で働いてはいるけど、個々の従業員がバラバラに仕事をしていて、隣の人が何をしているのかすら知らないし・・・
聞きたくても、無駄口を叩くなって怒られちゃうし・・・
これじゃー、組織でしかできないことをやっているって言えないんじゃーないのかな~?
って、つくづく疑問に感じちゃいますよ。
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Lさんの声
アイデアを出せ!アイデアを出せ!って、アイデア出しを強制されても困るんですよね・・・
だって、アイデアって強制されたからと言って、出て来るものじゃありませんよね?
プレッシャーをかけられたからと言って、出て来るものじゃありませんよね?
しかもうちの会社の場合、ノルマも設定するなんて言っているんですよ・・・
ノルマを課せられたからと言って、アイデアが出て来るとはとても思えないんですけど・・・???
ってゆーか、むしろさらに逆効果になっちゃうんじゃーないのかな~!?って、私は感じちゃうぐらいなんですけどね・・・
よく言うじゃないですか。
机の前でウンウンうなっていても、出て来ないのがアイデアだって。
例えば、お風呂に入ってくつろいでいる時とかにいいアイデアが浮かぶって。
ひらめくって言うんでしょーかね?
他にも例えば、ぼぉーっとしている時とか。
仕事とは全然関係のないことをしている時とか、リフレッシュがてら遊びに行っている時とか。
アイデアって、そーゆー時にひらめくものなんじゃーないですかね?
ある意味、生産性の向上なんかとも似ている面もあるのかも?
生産性を上げろ!っていくら言われたところで、上げられるものでもないでしょーし。
もしこれが正しいとしたら、うちの会社がやっていることって逆効果にしかなっていないんじゃーないでしょーか?
だから、アイデアを出せ!アイデアを出せ!って、アイデア出しをいくら強制されても、みんな出さないし、出せないんじゃーないでしょーかね?
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Mさんの声
新製品や新サービスにつながるアイデアを出せって、要求されても困るんですよね・・・
みんな目の前の仕事で手一杯の状況なんですから。
毎日必死にがんばっているけど、それでも残業を余儀なくされている状況なんですから。
ワーク・ライフ・バランスがどーのとか、有休の取得がどーのって以前の状態で、休日出勤まで余儀なくされている状況なんですから。
自宅に仕事をせざるを得ないことだってあるような状況なんですから。
ただでさえ人手不足なのに、優秀な人材が採用できないし、優秀な人材がどんどん辞めて行って、さらに人手不足になって、それでまた優秀な人材がどんどん辞めて行くって悪循環が続いているんですから。
新製品や新サービスを開発しなゃきいけないって気持ちはわかるんですけど、売上を上げなきゃ事業継続の危機に陥るって焦る気持ちもわかるんですけど、こんな状況でどーやってアイデアを出せって言うんでしょう???
アイデアを出せと言うのなら、まずはこの状況をナントカしてもらえませんかね???
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Nさんの声
新製品や新サービスにつながるアイデアが出て来ないって、ボヤかれてもねぇ~・・・
ボヤきたいのは従業員の方だよね~・・・って感じです・・・
メリットがなければ、誰もアイデアを出そうとは思わないですよ。
特にうちの会社の場合だと、金銭的なメリットがなければ。
残業しなければとても暮らして行けない最低賃金レベルの給料しかもらえていない上に、みんな契約社員で更新してもらえるかどーかもわからないのに・・・
新製品や新サービスにつながるアイデアを出せば、従業員にも還元してもらえるんでしょーか?
給料を上げてもらえるんでしょーか?
ボーナスをもらえるんでしょーか?
新製品や新サービスにつながるアイデアを出せば、契約更新してもらえるんでしょーか?
正社員として雇ってもらえるんでしょーか?
それに、そのアイデアが新製品や新サービスにつながってもしも特許を申請するとしたら、特許権者は誰になるんでしょーか?
法律はよく知らないけど、うちの会社のことだから、多分、会社になっちゃいそーですよね・・・
となると、アイデアを出した側としては何のメリットもないじゃないですか・・・
そんな状況で、アイデアを喜んで出す従業員がいるんでしょーか???
アイデアを出せと要求するのなら、まずはこの状況をナントカしてもらえませんかね???
ただでさえみんな、いつリストラされるのかとビクビクしているんですから・・・
次は自分の番じゃないかと、常にビクビクしているんですから・・・
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
従業員Oさんの声
新製品や新サービスにつながるアイデアを出せって、要求されても困るんですよね・・・
アイデアはあると言えばあるんですけどね。
だけど、はっきり言って出したくありませんよ。
出してたまるかって感じです。
だって、お客さんのための新製品や新サービスって言いながら、実際は、お客さんのことなどどーでもよくて、ただ単に金儲けしたいだけってのがミエミエですから・・・
それがいつの間にか、お客さんのことを考えているどころか、はっきり言ってお客さんのためにならない新製品や新サービスに変えられちゃったことがあったんですよ・・・
アイデアを出した段階では、お客さんのことを本当に考えて出したアイデアであったとしても。
そりゃー、会社としては採算性も大事だと思いますよ。
採算が取れないようでは、ビジネスとして成り立ちませんから。
だけど、それはあくまでもお客さんのことを考えた新製品や新サービスというのが大前提じゃないですかね?
社会の役に立つ新製品や新サービスというのが大前提じゃないですかね?
コストを削減したいのはわかるんですけど、安全性にかかわるようなところまで削減しよーとするのはどーかと思うんです。
そんなことをしたら、お客さんからの信頼も一挙に失ってしまうので、その時はみんなで必死に止めたんですけどね。
法律的な観点から考えても、倫理的な観点から考えても、うちの会社の経営理念から考えても、そーゆー製品やサービスを販売しちゃっていいとはとても思えませんし。
今はまだ一線を越えていませんけど、この先どーなるか心配になっちゃいますよ・・・
そのうちコンプライアンス違反とかをやらかさないかと、みんなヒヤヒヤしていますよ・・・
こんな風に感じているのは、私だけじゃーないと思うんです。
だからみんな、アイデアを出せっていくら要求されても出したがらないんじゃないですかね?
昔は違ったんですけどね・・・
以前はこんな会社じゃなかったのに・・・
少なくとも私が入社した頃はこんな会社じゃなかったのに、どーして変わっちゃったんでしょーね???
残念でたまりませんよ・・・
なーんかもったいない話ですよね。
お客さんや社会の役に立ちたいって気持ちがあって、新製品や新サービスのアイデアもあるのに。
なのに、お客さんのことを考えると、アイデアを出したくても出せなくなっちゃうなんて。
本当にお客さんのためになってお客さんに喜んでもらえて、社会の役にも立つ新製品や新サービスを開発するって約束してくれるのであれば、アイデアを喜んで出す従業員がいると思うんですけど・・・???
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーか・・・、不平や不満を募集するって手もあったのか・・・ ( ̄▽ ̄;) 」
「考えてみりゃー、不平や不満があったからこそ生み出された製品やサービスって結構あるもんなー・・・、コレもマーケティングの一種だもんなー、顧客ニーズを把握するってことでもあるるもんなー、今までもったいないコトしちゃったのかも・・・!? (´ε`;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「どーりで、アイデアが従業員から出て来ないわけだわ・・・ \( ̄▽ ̄;)/ 」
「先にやっておくべきことがあったってことなのかも・・・!? ( ̄▽ ̄|||) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こんな状況で教育をやったら、思いっきり逆効果になっちゃうのかも・・・!? (;・∀・)」
「ノルマなんか設定したら、ブチキレられちゃうかも・・・!? (; ̄Д ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「アイデアを出せないのは個々の従業員の問題だと思っていたら、組織全体の問題が隠れていたってことなのかも・・・!? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「アイデアが出て来ない状況って、もしかしたら一種の兆候なのかも・・・!? (|||▽ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーいやー、組織って何だろ~?何のために組織をつくるんだろ~? (ーー;) 」
「組織だからできることって何だろ~? ( ̄‥ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「何のためのアイデアなんだろ~? ( ̄∧ ̄ ) 」
「誰のためのアイデアなんだろ~?本当にお客さんのためになっているんだろーか???社会の役に立っているんだろーか??? (; ̄ェ ̄)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってゆーか、うちの会社の顧客って誰なんだろ~? ( ̄ー ̄?)」
「どんな会社や人が、うちの会社にとっての顧客なんだろ~? (; ^ ω ^ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「できるコトって意外とあったのかも~ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「あるよねー、あるよねー、そーゆーコトってあるよねー (´Д`lll) 」
「こんなのまだまだマシな方だってば!ウチの会社なんてもっとヒドくてさー・・・ブツブツブツブツ・・・ (ヾノ・∀・`) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「はあ!?何を言い訳ばっかしてるのさ!? ( ̄^ ̄) 」
「できない理由ばっか挙げるなー!!できる理由を考えろー!!やる気を出せばアイデアも出て来る!!忙しいのがどーした!?休みがないぐらいどーした!?甘ったれんなー!!仕事をナメんなー!!気合いだー!!根性だー!! (〝▼皿▼)=3 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーだそーだ!!社長や管理職が全部悪いんだ!!残業させるなー!!有休ぐらい取らせろー!!給料上げろー!!とっとと改善しろー!! ┗(炎Д炎#)┛ 」
「ちげぇーよ!!言い訳ばっかするなー!!文句ばっか言うなー!!アイデアぐらいとっとと出せー!!誰のおかげでメシが食えていると思っているんだ!?どこのどいつがホザいてやがるんだ!?逆らうヤツは全員リストラだー!! ヾ(*`Д´*)ノ” 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!全然わからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー、上記の声を踏まえた上で次に・・・
例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
くだらないアイデアなんてない
■ 「できない人ほど、データに頼る」
小さな子供に、「なんで?」と何度も質問され、困った経験は誰にでもあるでしょう。
なんども「なんで?」と繰り返し質問されると、「そういうものなの!」と思わず叫びたくなりますが、子供は納得してくれません。
私たちは年齢を重ねると、次第に「どうして?」と尋ねなくなります。
大人になると、物事をそのまま受け入れて疑問を持つことができなくなり、「なぜ?」と質問することが減っていきます。
「なぜ?」と自問する方法は、たくさんあります。
「どのように」ではなく、「なぜ?」と質問することが大切です。
問題点が具体的に浮かび上がり、その答えを解く糸口を見つけられるからです。
「なぜ?」と自問すると変化が生まれ、観察すると「なぜ?」という疑問が湧いてきます。
「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません。
しかし、いまだに多くの企業が「なぜ?」と自問していないのが実情です。
くだらないアイデアなんてない。
子供のように、なぜ、そうなっているのか自問してみよう。
固定観念に縛られず、顧客に最高の満足を提供できることは何かを考えてみよう。
何があなたと顧客に、本当の価値を生むのか。
そして、なぜそうすることができないのか、自問してみよう。
新しいアイデアに対する反射的拒否反応
■ 「こうすれば組織は変えられる!」
ツリーハウスのプロジェクトは、一人の子どもがアイデアを思いついたことから始まった。
その子がアイデアを実行することに困難を感じていたとき、別の子どもたちが現れ、資源と知識とビジョンをシェアすることによってアイデアに命を吹き込んだのだ。
一方でこれは、型にはまった組織、特に集団の力学が停滞、あるいは死にかかっているような組織においては、ほとんど見ることのできないものである。
子どもたちはなぜ、大人よりずっと簡単にお互いから学び合うことができるのだろうか。
その理由の一つは、子どもたちは自分が他者の資源になるか、あるいは資源としての他者に依存しなければ生きていけないことを知っているからだ。
一方、大人は、自分のことはすべて自分だけでできるとと思いたがるのだが、もちろんそれは無理なことである。
私たちは皆、少なくとも頭のなかでは、それをわかっている。
私たちは食べ物を摂取し、服を着、自分の属するコミュニティに適応しなければ、生きてはいけない。
社会とは、相互に作用し合う要素が複雑に絡み合い、コミュニティ全体のニーズを満たすためにさまざまなスキルや才能に依存する存在なのだ。
大人たちは、とりわけ職場という状況において、互いの才能やスキルを自発的に見出す習慣がほとんどない。
しかし、社員たちの(職務記述書に記載されたものとは別の)多様な能力こそが、組織にとって最大の資源となるのだ。
シナジーを発揮することによって、単独の人間では不可能なことを達成することができる。
さまざまなアイデアを統合することで、それまで誰も考えなかったような豊かな発想が生まれ、個々の能力をはるかに超える、きわめて独創的で大きなことを成し遂げることができるのだ。
単に皆が同じことをしているだけでは、チームは効果的に機能しない。
メンバー全員が、個人的な成長と組織の使命の両方にコミットするとき、シナジーは自然に生まれてくるのだ。
考えること、創造することは、ごく自然な行為である。
私たちの脳は、もともと考えたり、創造したりするようにつくられている。
生まれながらにほかの人よりも鋭い思考能力を持っている人たちもいるが、考えることそのものをサポートするような環境で練習を重ねれば、誰でもその能力を大きく伸ばすことができるのだ。
次の話について、少し考えてみてほしい。
子どもが親に「なぜお星さまがあるの?」と尋ねたとする。
親は質問を無視するか、「変なことを聞かないで」といった返事を返す。
やがて従順なその子どもは、たとえ聞きたいことがたくさんあっても、質問するのをやめてしまう。
「(自分以外の)誰もが知っているようなことについて質問してはいけない」ということを学習したのだ。
そしてこの「考えない」習慣は、その後の人生においても実践され続けるのである。
非探求的であることを徹底して教え込まれて大人になった彼は、工場のボイラーが今にも爆発しそうな音を立てていたとしても、それに対して注意を払おうとはしない。
そしてひとこと疑問を発していれば免れることができた事態を、みすみす招くことになるのだ。
自由に質問できるか否かが、「安心して考えることのできる環境」かどうかを決定づける最も重要な条件となる。
いっさい疑問や再検討の対象とはならないことが多い企業社会にこそ、この自由が求められるのだ。
「聞く耳を持たない」という姿勢は、条件反射的な否定という形で表れる。
私たちの多くは、新しいアイデアに対してほとんど反射的に拒否反応を示す。
アイデアが提示されるや否や、可能性を検討する間もなく、それがうまくいかない理由ばかりを次々に思いつくのである。
彼らは、職場での仕事の進め方について改善策を提案するという行動を取ったために、職を失うはめになった。
彼らが提案したというアイデアと実際に受けた対応を聞きながら、会社というのはしばしば自分にとって最も優秀な人材に背を向けるものだとつくづく思わされた。
多くの組織が依然として、時間通りに出勤し、状況の改善など試みずに、ひたすら波風を立てない、言われたことをただおとなしくこなすだけの人間を好むということだ。
新しいアイデアを生み出すうえで、遊びがきわめて重要
■ 「ワーク・シフト」
あまりに多忙な日々を送るようになると、一つのものごとに集中して取り組むことが難しくなり、じっくり観察して学習する能力がそこなわれる。
また、仕事の世界に気まぐれや遊びの要素が入り込む余地も奪われてしまう。
忙しくなりすぎれば、遊びの要素も失われる。
いつも仕事に追われてばかりになると、ジョークを交わす時間が減る。
遊び心を発揮し、ものごとを楽しむ時間が減る。
働く喜びをかみしめる時間が減る。
創造性を刺激し、新しいアイデアを生み出すうえで、遊びがきわめて重要であることは古くからよく知られている。
私たちは、仕事を遊びと考えたほうが仕事を愛せる。
空想と想像をはたらかせて遊ぶことがイノベーションの核をなしている。
そういう仕事をしているとき、私たちは新しいアイデアを模索したり、古いアイデアを新しい方法で組み合わせたりする。
それが「遊び」である。
しかし、時間に余裕がなく、自分のスケジュールを自分で決めているという実感をもてなければ、これを実践することは難しい。
私たちはすでに時間に追われて生きているが、テクノロジーの進化とグローバル化の進展により、この傾向はますますエスカレートするだろう。
アイデアマンになれる秘訣
■ 「脳はなにかと言い訳する」
アイデアが生まれるかどうかは、「ゆらげるか」、「ゆらげないか」だけの話です。
アイデアは絞って出る性質のものではなく、アイデアが自然に生まれるのを待つしかありません。
よく考えてみると、ゆらいでいるということは、集中力がないともいえます。
一つのことに集中して、あまりゆらがない人はアイデアがなかなか出ないでしょう。
つまり、集中力の高い人はアイデアマンではない。
集中力の欠如した人こそが、むしろ、創造性に富んでいるわけです。
集中力か創造性か、そのどちらに価値を置くかは、その人次第です。
集中力が大切な仕事についたら集中力が大切ですし、アイデアが大切な仕事であればゆらがなくてはいけない、ということになります。
アイデアマンになれる秘訣の一つは、どれだけゆらげるかだと私は思います。
改善の知恵やアイデアが生まれる組織とは
■ 「現場力を鍛える」
「否定しよう」という「意識」を現場の従業員一人ひとりが持たなければ、改善の知恵やアイデアは生まれてこない。
現状に満足せず、否定することで、脳が回りだし、「こう変えてみよう」というアイデアが生まれてくる。
中には、失敗も出てくるだろう。
その失敗を検証し、学習することによって新たな否定へとつないでいく。
すぐれたアイデアとは
■ 「「応援したくなる企業」の時代」
日本の企業はとかく相対的なアプローチに流れてしまいがちだ。
おそらく原因のひとつは、日本人特有の「横を見て」行動する気質にあると思われる。
だが、かならずしも悲観する必要はないと私は考えている。
日本には模倣というすぐれた特性もある。
異文化を模倣し、それをみずからの文化になんの違和感もなく融合してしまう力にはすばらしいものがある。
これほど外国文化を無理なく固有の文化に融合させている国は、世界広しといえどもそう多くはないはずだ。
アイデアとはまったく無から生まれるものではなく、既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない、といわれる。
すぐれたアイデアとは、ほかの人が気づかないような「すぐれた組み合わせの妙」だ。
「こんなことをやってみようか」といった新しいアイデア
■ 「パラダイス鎖国」
ウェブという道具のおかげで、自分の意見を発言したり、同じような興味を持つ人と知りあったりすることがきわめて容易になった。
わずかな時間で、安価に簡単に情報のやり取りができる。
しかも、発言にはすぐ反応が返ってくる。
メディアでは見向きもされないような、ニッチな事柄についても、同好の士がどこかに見つかる。
そこから、「こんなことをやってみようか」といった新しいアイデアやアクションが生まれてくる。
同じようなことをウェブのない時代にやろうとしたら、なんらかの団体に所属したり、自分でビラを作って撒いたり、手紙をあちこちに出したり、雑誌に頼み込んで記事を書かせてもらったり、といった大変な苦労が必要だった。
自分の持つ情報をほかの人の持つものと関連付け、人が集まってクラスター(塊)になり、さらになんらかの現実のアクションにつなげるためには、大きな負担を強いられていた。
たとえば、アメリカ人は、ウェブでなくリアル世界での「クラスター化」活動をすることにあまり抵抗感がない。
もともと欧米には、人々の自発的な「クラスター化」をよしとする文化があり、そういう教育を受けているからだ。
しかし、そういった文化のないシャイな日本人は、よほど強い思いがないと、なかなか行動までに移せなかった。
ちょっとしたアイデアを思いついたが、それを商売にするためのパートナーが見つからない。
そんな普通の人たちにとっても、「クラスター化」のための敷居が、ウェブのおかげで大幅に低くなったのである。
ウェブ上での活動が日本を変えることに直結するわけではないかもしれない。
しかし、その面白さに味をしめた日本人の数が、従来の何千倍、何万倍になったとしたら、それが持つパワーは計り知れない。
ウェブの情報革命が及ぶ範囲は、日本の国内にとどまらない。
言語の壁さえ乗り越えれば、世界に対して、双方向性と伝播性のある情報を発信したりすることができる。
テロや犯罪の心配をしながら、外国に出かける必要もない。
世界の人を対象に、安価に手軽に「クラスター化」活動をすることができる。
新しいものを考えるときに、ひとりで山にこもって、まったく自分の頭だけで考え出すよりも、多くの人に会っていろいろな意見を聞いたり、いろいろなところに言って目新しいものを見たりして刺激を受け、いくつかのものを組み合わせたり、すでにあるものをヒントにしたりすることで、考えがまとまってくる場合のほうが圧倒的に多い。
ビジネスでも、企業や産業がこれまでと異なる組み合わせをすることで、新しく生まれてくる商売は多い。
誰もが参加し、アイデアを送り込むことができる場とは
■ 「機械との競争」
コンピュータは、パターン認識や複雑なコミュニケーションなど、これまで人間が独占してきた領域を侵食しつつある。
コンピュータは急速にいま挙げた能力を獲得しつつある。
こうしたデジタル技術の進歩がビジネスの世界に与える影響は、誰もが目にしているはずだ。
たとえばカスタマーサービス係に代わってバーチャルアシスタントが導入され、売店やスーパーマーケットではセルフレジが普及してレジ係の需要が減りつつある。
いまやiPodから水着、金貨、サングラス、カミソリまで自動販売機で買える時代だ。
また商品情報は、店員に聞かなくても店に備えられたタッチスクリーンで入手できる。
自販機のコストは、実店舗と比べたら微々たるものだ。
インターネット通販の浸透に伴い、セールスマンや店員がいないところでモノを買うことにすっかり違和感がなくなっている。
パターン認識も複雑なコミュニケーションもいまや自動化が可能だとなれば、人間の能力でコンピュータに脅かされないものは、何があるのだろうか。
人間がしかるべき比較優位を維持できるものは何だろうか。
いまのところ人間がまさっているのは、じつは肉体労働の分野である。
それに、肉体労働の多くが実際には高度な知的能力をも必要とする。
また、コンピュータのパワーとスピードをもってしても、創造性ということになるとほとんど能がない。
感動的な歌を作ることも面白い長編小説を書くこともできないし、新しいビジネスアイデアを出すこともできない。
現在のコンピュータがさまざまな能力に秀でているとしても、人間らしさを備えているとは言えないのである。
イノベーションの過程では、以前のイノベーションを組み合わせ、さらにそこに別のイノベーションを継ぎ足す、といったことがひんぱんに行われる。
だから、アクセス可能なアイデアや個人が広くプールされているほど、イノベーションが生まれるチャンスは増える。
「組み合わせ爆発」は、指数関数的な増え方を上回る少ない数学関数の1つである。
組み合わせるパーツが枯渇する恐れはまずない。
かつてトーマス・エジソンは、電球の材料として最適の組み合わせを試行錯誤していたときに、こう言った。
「私は一度も失敗していない。うまくいかない方法を1万通り見つけただけだ」
これを1000万人の起業家が同時並行的にやったとしたら・・・
どうだろう、イノベーションを生み出すポテンシャルがどれほど大きいか、いくらか想像がつくのではないだろうか。
しかもインターネットは、情報をしまっておくだけでなく、高速・高効率・ローコストで全世界に流通させるネットワークである。
そのうえこのネットワークは万人に開かれている。
誰もがアクセスし、参加し、自分のアイデアを送り込むことができる。
アイデアを形成する過程は無意識の世界で行われている
■ 次世代経営者に求められる資質とは
我々の大脳の活動の中で、我々自身に意識できる領域は20%しかないといわれる。
つまり、80%の活動は無意識の世界で行われているのだ。
例えば、風呂に入っている時などに、突然いいアイデアがひらめくことがある。
思いついたアイデアは意識することができても、なぜ風呂に入っている時にそのアイデアが湧きあがってきたのかは自分にも分からない。
まだ思い浮かんでいないアイデアもあるはずだが、それが何かも分からない。
なぜなら、アイデアを形成する過程は、80%を占める無意識の世界で行われているからである。
こう考えてみると、我々が意識できることはごく一部であり、意識すらできないことが数多くあることに気づく。
我々は意識して選択を行っているように感じているが、たまたま頭に思い浮かんだ選択肢の中からひとつを選んでいるにすぎない。
頭に思い浮かばない多くの選択肢が存在することに気づいていない。
思い浮かばない選択肢は、選ぶことすらできないのだ。
同じ現象を見ていても、人によって気づくことが違う理由はここにある。
多様性は様々なアイデアやブレークスルーを生み出す
■ 部下たちはあなたのことを“部外者”と見ている
本来、チーム力を生み出す源泉は個々のメンバーの違いであり、個々人が持つ特性です。
この特性が活かされることで多様性が生まれます。
この多様性は様々なアイデアやブレークスルーを生み出します。
そのために必要なのが「安全な場」です。
「安全な場」とは、職位、経験に関係なく、非難や否定のない本音を言える場のこと。
「安全な場」ができるとメンバーが気兼ねなく意見を言い合える場ができます。
チームとしての結束や一体感を作るためには、メンバーの関係を深めるためのコミュニケーションが必要になります。
むしろネガティブなことを気軽に開示できる関係性を築き、そこにチームとしての一体感をつくっていくようにしていくことが大切です。
組織内で起こる衝突や議論のほとんどは、個人や部門の利害に起因しています。
なぜなら、その多くの理由がミッションを忘れ、目先の成果や単に仕事を当事者にとって円滑に進めることが目的となってしまっているからです。
独創的なアイデアを生み出すには
■ 「似た人ばかり」採用する会社に欠けた視点
イノベーションが重要なのに、企業はなぜそれに逆らうような仕組みになっているのか疑問だ。
マネジャーは皆、同じ考え方をするよう訓練され、特定の部署だけに独創的なアイデアを生み出すことを求める。
会社は同じ方法で同じ大学の学生を採用し、同じような仕事に就かせる。
そして彼らは似たような成果を挙げるだろう。
しかし、誰もが同じやり方で同じことをしていたら、革新も差別化も期待できない。
かつてないスピードで経済が変化する中、企業はどのような従業員を「適材」とするのか見直しを迫られている。
そして今日のような時代には、創造的な人々が必要だ。
そもそも「創造的で革新的な企業」などというものは存在しない。
あるのは、そういう企業をつくる「創造的で革新的な人々」である。
すべては「人」から始まるのだ。
多くのマネジャーは、実験的な試みをさせるより、失敗を防ぐことを重視する。
だが、創造性を追求するマネジャーは、チームのメンバーに対する指示・監督・細かい管理は行わず、彼らを助け、導き、彼らのアイディアを社内に広く伝える役割を果たす。
会社での序列は、部屋の場所や会議室の座席を見ればわかる。
役員は角部屋を与えられ、会議室では上席に座る。
しかし、創造力には肩書きも序列も関係ない。
良いアイデアを思いつく人は企画向き?
■ アイデアマン、高学歴エリート社員は向いてない!?
「企画が得意」「企画力がある」と現場の部長が言うほとんどの人は、本部の企画向きではない。
彼らが言う「企画が得意」とは、他人が思いつかないような新しいアイデアを持っている、いわゆる「クリエイティブ」な人のことだ。
良いアイデアを思いつく人だから企画向きというのが、世間一般の認識ではないだろうか。
しかし、本部の「企画部」の社員に求められている「企画力」とは、そういうものではない。
現場の情報を収集・整理して、経営陣の意向も加味したうえで、軸を明らかにして、わかりやすい資料を作り、より正しい意思決定へと導くこと。
つまり、事務処理能力が高く、論理的思考ができ、実現可能な選択肢を作る能力なのだ。
そのプロセスには面白みや突飛なアイデアはあまり必要ない。
現場と本部で言う「企画」の意味は随分違うのである。
実際、「商品企画部」「営業企画部」「経営企画部」など本部関係の「企画」と名の付く部署の主たる業務は、補佐的、雑用的、事務的なことが圧倒的に多い。
その結果、現場の考えていることや、困っていることがだんだん理解できなくなる。
そして、よほど気をつけておかないと例外を排除し、前例踏襲的になり、現場との関係が切れてしまう。
強いプレッシャーがかかる状況で思いついたアイデアは
■ 「ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか」
仕事を先延ばしにする人が最もよく口にする言い訳は、「追い込まれたほうがいいアイデアが浮かぶんですよ」というものだ。
そう感じる理由は、非常にはっきりしている。
締め切り間近にならないと仕事に手をつけないとすれば、もっぱら締め切り直前にアイデアが生まれるのは当たり前のことだ。
しかし、土壇場で生まれるアイデアは、早い段階から取りかかる場合より質も量も劣る。
厳しいスケジュールのもと、強いプレッシャーがかかる状況では、概して人間の創造性は低下するからだ。
締め切り前夜に突貫工事で課題に取り組み、目がしょぼしょぼしてきた午前3時に思いついたアイデアは、たいてい平凡で、ぱっとしない。
期限が迫ったほうが効率よく課題を処理できると言い張る人もいる。
この主張は、部分的には正しい。
しかしこの理屈の問題点は、「早い段階で課題に取り組むと効率が悪化する」というふうに、狡猾に話をすりかえていることだ。
もし、それが正しいとすれば、明日だけ働くより、今日と明日の2日間働くほうが好ましくないということになる。
どう考えても理屈に合わない。
生活にゆとりがないと新しいアイデアが浮かばない
■ 「ワークライフシナジー」
日本人が働き方を変えるにあたって、一番の障害は何かと聞かれれば、個人の意識を変えることにあると答える。
頭ではわかっていても、みんなが働いているときに、自分だけ人と違うことをしているというのは、なかなか難しいからだ。
効率ばかりを意識していると発想する力を養うことができない。
効率よく働いて生み出された時間に新しい仕事を入れてしまってはもとも子もない。
これが、一生懸命頑張ることをモットーとすることの問題なのかもしれない。
忙しくなると、そのことで満足してしまい、スケジュール表の穴を埋めていないと落ち着かなくなる。
効率のよい働き方の延長線上に豊かな発想は生み出されない。
生活にゆとりがないと新しいアイデアが浮かばない。
ところが、日本の社会では、長い時間働く社員の方が定時に帰る社員よりも会社への貢献が大きいと考えられている。
そして、長い間働くことのインセンティブがいろいろな仕組みの中に組み込まれている。
信頼関係がない職場からは新しいアイデアが生まれてこない
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
上司は一般的に経験豊富だから、よくも悪くも冷静で現実的な見方をする。
それが悪く働いてしまうと、部下から何かアイデアが出てきても、「それは過去にやってダメだった」とか「他社がすでにやっている」などと自分の知識や情報をひけらかしてしまったり、「それをやって利益が出る見込みはあるのか」と問い質したりする。
「過去に」
「他社が」
「利益は?」
これらはいずれも自由な発想を遮断する危険なキーワードだ。
マネジメントのあり方は、直接的にも間接的にも知恵の発露に大きく影響している。
上司を信頼していない部下というのは、決して自分で考えて行動を起こそうとはしない。
「いわれたことだけやっていればいい」
「余計なことをするな」
と叩かれたりマイナスの評価をされたりして、損をするばかりだからである。
だから、上司と部下の間に信頼関係がない職場からは新しいアイデアがなかなか生まれてこない。
人が萎縮するような環境のなかでは創造性が働かないのである。
その意味で、上司と部下がお互いを信じて協力し合える関係は、人が精神衛生上、健康に仕事をしていくうえでも、人を通じて流れていく組織の仕事を円滑にするためにも重要な条件なのである。
上司と部下の関係が良好な場合は、部下から上司に相談する、何か提案する、試しにやってみる、といった行動がおきやすい。
知恵の出やすい状況だといえる。
上司と部下の関係はつねに安定しているとは限らない。
どちらかの異動によって関係が消滅することもあるし、同じ上司と部下の間でも、ささいな行き違いから関係がこじれてしまうことは珍しくない。
とくに上司のマネジメントが指示型で一方通行の場合、部下は亀が甲羅に首を引っ込めたような状態になり、余計なことはいわない、しない、というふうに自発性を封じ込めてしまう。
こういう上司に対して余計なことをいおうものなら、すぐさま隙をつかれて叩かれる。
積極的に知恵を出すことは、むしろリスクを冒すことにほかならない。
「知恵を出すだけ損をする」状況なのである。
企業のマネジャーのなかには、
「いいアイデアはないか」
「みんなで知恵を出そう」
と積極的に投げかけるタイプの人もいる。
本人は応援しているつもりかもしれないが、上司の立場で「知恵を出せ」と掛け声をかけているだけだから、部下にしてみれば指示や圧力のように感じられてしまい、やらされ感がぬぐえない。
叱るにせよ、励ますにせよ、立場で部下を動かしているうちは、メンバーの自発的な行動は期待できないだろう。
忙しくて部下にていねいに接することができないために、かえってこまめに指示を出し、できるだけ失敗しないように効率よく仕事をしようとする事情もわからないではない。
ただ、上司がよかれと思ってやっている管理や指示が、じつは部下から考える力を奪い、考えられない部下を量産してしまうことにもなる。
そのような組織では、うわべでは仕事はうまく回っているように見えても、部下は上司からの指示を待っているだけになっていたりする。
表面的には効率が上がっているように見えても、本当の意味で、生産性の高い仕事の仕方とはいえないだろう。
また、失敗させないようにするというのも一見好ましいことのようで、対応力の観点でいえば好ましいことではない。
というのも、今日のようにビジネスの環境がめまぐるしく変化するなかでは、いつでもどこでも「正しい」やり方というものがすでに存在しなくなっている。
この場合はうまくいくが、これ以外の場合はうまくいかないかもしれない。
前例が適用できない環境のなかでは、個々が状況を読み取って、その場で考えて対応することが求められる。
その過程で、一つや二つの失敗はあるかもしれないが、自分で考えてやってみる試行錯誤のなかでの失敗は、現場の経験を豊かにして対応力を高めていくための大事な学習の機会なのである。
強い自負や誇りが、現場発のアイデアにつながる
■ 「現場力復権」
現場には人がいて設備や原材料があり、一見すると「コストのかたまり」である。
しかし、人には知恵がある。
アイデアは、人から生まれる。
そうした知恵やアイデアによって、コストダウンが図られ、品質が高まり、安全が確保され、サービスが改善される。
現場は「コストのかたまり」としての「コストセンター」ではなく、「価値創出の起点」である「バリューセンター」だと認識することから、日本企業の競争力は生まれてきた。
現場を「バリューセンター」として位置付けることで、現場には強烈な「当事者意識」が芽生える。
「結果を出すのは自分たちなのだ」
そんな強い自負や誇りが、現場発のアイデア、創意工夫につながる。
経営者と現場の切磋琢磨による知恵比べこそが、日本の現場を「バリューセンター」へと高めてきたのである。
しかし残念ながら、この「当たり前」が「当たり前」でなくなってしまった企業が増えている。
「言われたことしかやらない」「決められたことしかやらない」というきわめて陳腐な現場が増えているのだ。
現場の当事者意識の低下の要因は、さまざまである。
契約社員、パート・アルバイトといった非正社員の増加、協力会社、グループ会社などへの過度の分業、アウトソーシングによる現業部門のブラックボックス化など、現場を「コストセンター」とみなした施策によって、現場は「分断」され、一体化とは程遠い状態となってしまった。
実際、パート・派遣・契約社員といった非正規社員の比率は、右肩上がりに増加した。
そして、それと反比例するように、仕事に対する満足度は続落してきた。
内閣府の調査によると、「仕事にやりがいがある」と答えた人の割合は17%を切っている。
目先のコストは安くなったが、競争力の要であった現場の満足度は下がり、当事者意識は薄れていった。
現場力を支える現場の強烈な当事者意識をどう回復させ、強化していくのか。
安直に目先の人件費を下げたり、業務を過度に分断させていたままでは、当事者意識は高まるどころか、劣化・喪失につながってしまう。
無駄を全部排除したらイノベーションも排除されてしまう
■ 「経営の未来」
効率を追求するなかで、企業は業務から多くの無駄をそぎ落としてきた。
それ自体は、もちろん悪いことではない。
在庫レベルの低減、運転資本の縮小、一般管理費の削減という目標に異を唱えられる人間はどこにもいない。
だが、問題は、会社から無駄を全部排除したら、イノベーションも全部排除されてしまうことだ。
イノベーションには時間が必要だ。
夢を描く時間、熟考する時間、学習する時間、新しいものを生み出す時間、そして実験する時間である。
しかも、途中で邪魔されない時間、つまり机の上に足を投げ出して虚空を見つめていられる時間が必要なのだ。
研究開発部門や製品開発部門の連中はイノベーションに取り組む時間を与えられているが、大方の社員にはそうした贅沢は与えられていない。
来る日も来る日も電子メールやボイスメールがどっと押し寄せるし、次から次へと会議がある。
このような世界では、「対応する」必要性が人間の関心を細切れにしてしまうので、じっくり考える時間はまったくない。
問題はまさにそこにある。
あなたの会社は、社員が自分の中核的な職務にはあまり関係のないアイデアにどれくらいの時間を充てているか、調べているだろうか。
「無駄」が、コスト効率と同じように制度化されているだろうか。
これらの問いに対する答えは、おそらく「いいえ」だろう。
あなたの会社には、社員を忙しくさせておくインセンティブがたくさんある。
(「私が全力で働いているように見えれば、会社は私の仕事をオフショアリングしないのではないか」というような)
しかし、未来を静かに思い描く時間をとることを促すインセンティブは、いったいどこにあるだろう。
新しいアイデアは、現行の秩序から利益を得ている人びとにとってはとくに危険である。
旧ソ連で当局がコピー機の使用を制限していたのはそのためだし、多くの国で政府がウェブを検閲しているのはそのためだ。
幹部にとって、自分が議論の流れを決められないとしたら、「管理者」であることに何の意味があろう。
自分の考えが他のみんなの考えと競争しなければならないとしたら、「責任者」であることに何の意味があろう。
つまり、現場の社員と対話したり、現場の社員からの質問に答えたりしているとき、幹部たちは安心していられるのである。
だが、現場の社員が一斉にマイクをつかんで、他の社員たちに語りかけるとなったら、心穏やかではいられない。
一人から大勢へのコミュニケーションは問題ないし、大勢から一人へのコミュニケーションは容認できる。
だが、大勢から大勢へのコミュニケーションはどうか。
反乱はまさにそのようにして始まるのである。
ディスカッション掲示板やブログが大きな力を持っている理由は、もちろんここにある。
これらは個人の考えが合体して強さを増すことを可能にしてくれるのだ。
社内で発言権を与えられていないと感じる社員は、往々にして会社の外で発言するものだ。
「そもそも匿名だからすばらしい」
「報復される心配なしに投稿できるのだから」
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
(パート3)
んでもって・・・
例えばこんなのからも、一応念のために考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・。)ノ
アイデアとは?
○ コトバンク
- 思いつき。新奇な工夫。着想
- イデア。観念。理念
○ はてなキーワード
考え、着想、イデアを語源とする。
- アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
- アイデアは解消できたら良いなというような着眼点であって、解消方法そのものではない
着想とは?
○ goo辞書
ある物事を遂行するための工夫や考え。
思いつき。アイデア。
イデアとは?
○ コトバンク
語源的にはギリシア語の「見る、知る」という意味の動詞 eidōの変化形 ideinによる。
ギリシア語の日常的用法では「見えているもの、姿、形」の意。
プラトン哲学では、肉体の目によってではなく、魂の目によって見られる形を意味する。
事物の本質、価値の範型をさし、いっさいの存在と認識の根拠とされた。
もろもろの感覚的存在を超越し、ただ思惟によってのみ把握されうる自己同一的な存在としての真実在をイデアと呼んだ。
いわば客観的実在として考えられていたイデアは、中世以後次第に精神内容、意識内容として解されるようになった。
現代語のイデー、アイディアは理想、理念、観念などと訳され、プラトン的イデアとはほとんど無縁になっている。
○ ウィキペディア
もともとは「見られるもの」のこと、つまりものの「姿」や「形」を意味している。
イデアは、それぞれの存在が「何であるか」ということに比較して、「まさにそれであるところのそのもの」を意味する。
プラトンは、イデアという言葉で、われわれの肉眼に見える形ではなく、言ってみれば「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」に言及する。
イデアという語は、英語 idea、ドイツ語 Idee であるが、近世においては、プラトンとは違った近世哲学独自の解釈を与えられることになり、「アイディア」「イデー」と聞いて現代人がまず思い浮かべる用法が現れた。
アイデアが出やすい組織と出て来ない組織の違いって?
(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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