「協調性って何だろ~?( ̄ー ̄?)」
「協調性と主体性との関係って何だろ~? (ーー;) 」
「協調性のある人を採用したいんだけど、協調性がある優秀な人材を見つけるいい方法って何かないかな~? (o´д`o)=3 」
「協調性があると思って採用したんだけど、協調性はあるにはあるんだけど主体性がなくて困っているんだよね・・・、協調性がないとやっぱ困るけど主体性がなくても困るんだよなー、どーしたらいんだろ~??? (|||▽ ) 」
「協調性がある人って、主体性がないものなのかな??? (・_・;) 」
「協調性がある人を優先して雇った方がいいんだろーか?それとも主体性がある人を優先して雇った方がいいんだろーか?どっちがいいんだろ~??? (;´゚д゚`) 」
「従業員に協調性を持たせるいい方法って、なーんかないもんかな~??? (;゜д゜) 」
「従業員の協調性を育てるには、どんな教育をやったらいいんだろ~??? ( ̄∧ ̄ ) 」
などなど、このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)
んでもって・・・
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「自律型人材育成」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
んでもって、いろんな意味で考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
コレって、もしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、協調性って、いったい何なんだろーか?
協調性があるとか協調性がないとかって、いったいどーゆーことなんだろーか?
「協調性 = みんなに合わせる」ってことなんだろーか?
「協調性 = みんなと一緒」ってことなんだろーか?
何がどーだったら、協調性があるってことなんだろーか?
何がどーだったら、協調性がないってことなんだろーか?
それは、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
協調性とやらと、組織力などとの関係って何なんだろーか?
どんな組織だったら、協調しようって気になれるんだろーか?
どんな組織だったら、協調しようって気にはなれないんだろーか?
協調性とやらって、どんな時には必要なんだろーか?
協調性とやらって、どんな時には必要じゃないんだろーか?
協調性とやらのメリットって、いったい何なんだろーか?
協調性とやらのデメリットって、いったい何なんだろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
協調性とやらって、何のために必要なんだろーか?
協調性とやらって、誰のために必要なんだろーか?
などなども含めて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って何だろう?(パート1)
えーと・・・
盲点になっていたり、灯台下暗しになっていたりすることも意外とある
かもしれないので・・・
( ̄▽ ̄;)ゞぽりぽり
などの視点から、協調性についてまずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って何だろう?(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協調性の辞書的な意味だけを調べて丸暗記してもあまり意味がないってコトなのかも・・・!?協調性しようって気持ちになれる協調性と、協調しようって気持ちにはなれない協調性があるってことなのかも・・・!? ( ̄・ ̄*) 」
「こーゆー協調性だったら納得感もあるし、協調しようって気になれるのかも・・・!?ってか、会社が言う全体最適じゃなくて、こーゆー全体最適の観点で協調しないとマジでヤバイってコトなのかも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こーゆー協調性だったら理解できるんだけどさー、だけどウチの会社で言っている協調性に関しては違和感があるんだよなー・・・ (;´д`) 」
「ウチの会社が言う協調性って、どーも腑に落ちないってゆーか納得感がないってゆーか、何でだろ~?何でそーゆー風に感じちゃうんだろ~??? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社で言う協調性って、どーゆー意味の協調性なんだろーか??? (|||▽ ) 」
「ウチの会社って、どの範囲を全体と見て協調性って言っているんだろ~???なーんか個別最適に陥っているような気がしなくもないんだけど??? o( ̄_ ̄|||)o」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社で言っている協調性って個別最適の協調性になっちゃっているし、ブラック企業って感じがしなくもないんだけど・・・!? (;゚;Д;゚;;) 」
「ウチの業界で考えると、下請法違反に該当する下請けいじめってのも、もしかしたら協調性の一種ってことになっちゃうのかも・・・!? (ーー;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでもって、次に・・・
などの視点からも、協調性について考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・。)ノ
協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って何だろう?(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「げっ・・・!?コレってマジで・・・!?人材、人財、人在、人罪、人済ってそんなコワイ話だったの・・・!? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「こんなのに協調したら絶対にダメでしょ!!思考停止して鵜呑みにして協調してしまったら、同じ失敗を繰り返すことになっちゃうでしょ!! ((((;゜Д゜))) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自分自身が人在、人罪、人済の扱いをされたくないから、疑問を感じつつも仕方なく協調するフリをしているって面もあるのかも・・・!? (@ ̄□ ̄@;) 」
「出る杭は打たれる状態になりたくないし、村八分にされたくないから、仕方なく協調しているだけなのかも・・・!? (;・∀・)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「人材育成の問題と思いきや、実は組織面の問題の場合もあるのかも・・・!? (; ̄ェ ̄) 」
「マニュアル人間や指示待ち人間だから教育が必要と決め付けてしまうのが危険なのと同じように、協調性がないから教育が必要と決め付けてしまうのも危険なのかも・・・!? ヽ(;▽;)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー
卵が先なんだろーか?鶏が先なんだろーか?
なーんて疑問を感じることもあるので・・・
( ・ _ ・ )
の中に登場する「組織の成立条件(組織の成立要件)」の視点からも考えてみるのはどーでしょう?
( ´ ▽ ` )ノ
協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って何だろう?(パート4)
で・・・、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、上記を踏まえた上で、こんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
ヾ(*・ω・)ノ
協調性とは?
○ はてなキーワード
協調性とは、他人を理解しうまく物事を進める性質。
能力。
チームプレイで目標を達成する組織においては、個人の能力だけでなくチームへの協調も求められる。
「和をもって尊しとなす」というように、日本では伝統的に「和」が尊ばれ、協調性が重視される国民性がある。
高度経済成長の原動力のひとつとも言われている。
「主体性を捨て相手に迎合する態度」等とネガティブな解釈もあるが、主体性や自主性が、必ずしも協調性と対立するとは言えない。
○ ウィキペディア
協調性とは、
- 異なった環境や、立場に存する複数の者が
- 互いに助け合ったり、譲り合ったりしながら
- 同じ目標に向かって
- 任務を遂行する素質
同調とは?
○ はてなキーワード
判断・態度などを含む広義の「行動」に関して、他者、あるいは集団が提示する標準や期待にそって、それらの標準と同一あるいは類似の行動をとること。
集団成員による同調は結果として集団内に斉一性をもたらす。
○ ウィキペディア
社会に通用している規範や行動様式にそのまま従い、大多数の人々のとる態度や意見に順応していくことをいう。
社会と成員との双方の安定のための基本的な機能であり安全弁であるという側面と、社会の柔軟性と成員個人の主体性とを失わせる危険性を含む側面とを有する。
日本の社会には個人に同調を求める大変強い社会的圧力(同調圧力)がある事は、多くの欧米人に指摘されている。
同調圧力とは?
○ はてなキーワード
自らの所属する集団から被る、その所属集団の多数が支持する意見や行動に対し、同調を迫る明示的、もしくは非明示的な圧力。
○ ウィキペディア
同調圧力とは、職場などにおいて意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。
多数決ではなく、全会一致を求められる場面で発生する。
少数意見を有する者に対して強制的に態度変容を強制する手段はさまざまな方法がある。
少数意見を有する者に対して物理的に危害を加える旨を通告するような明確な強制から、多数意見に逆らうことに恥の意識を持たせる、少数意見を有する者に対するネガティブ・キャンペーンを行い風評被害を与える、「一部の足並みの乱れが全体に迷惑をかける」と主張する、意見の根拠を問い質す、同調圧力をかけた集団から社会的排除を行うなど暗黙の同意を要求する場合がある。
忖度とは?
○ goo辞書
他人の心をおしはかること。
また、おしはかって相手に配慮すること。
○ ウィキペディア
忖度は、他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮することであるが、特に、立身出世や自己保身等の心理から、上司等、立場が上の人間の心情を汲み取り、ここに本人が自己の行為に「公正さ」を欠いていることを自覚して行動すること、の意味で使用される。
「忖度」に直接対応する英単語はなく、「surmise」や「read between the lines」でもニュアンスが異なるとして、日本語でも同じニュアンスの言葉は忖度しかぴったりな表現がない。
「イエスマン」が「忖度」の対応語の一つに使われることもある。
近年では上位者の意向を推し量る意味でしばしば用いられる。
協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って何だろう?(パート5)
んでもって・・・
上記を踏まえた上で、こんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
「協調する」が「本当のことを言わない」体質をつくっていく
■ 「なぜ会社は変われないのか」
組織で仕事をしたことがある人なら一度や二度は「どうせ言ってもムダだろう」とか「言い出しっぺが損をする」と感じたことがあるのではないだろうか。
じつは、組織の中では「まあ組織とはこんなものなんだ」という「大人の悟り」「一種のあきらめ」がお互いを牽制し合う力になって働いている。
まだ組織が小さかったり、組織が生まれて間もない頃は、お互いに協力し合わなければ仕事が成功しないことをみんな暗黙のうちに知っている。
そこでは、対立し合ったりしながらも、それなりに「協力し合う」ことがお互いの了解事項となっている。
この「協力し合う」という了解事項が、しだいに「協調し合う」ことに変質しやすいのが組織、特に日本的組織の特徴でもある。
余計な波風を立てずに「なあなあ」で物事を納めていくことによって安定している組織は、良い組織のイメージそのものである。
ただ、この「協調する」という了解のほうが主流になると、しだいに
「本当のことを言わない」
「言ってもムダ」
「言わないほうが得」
というような体質をつくっていく。
組織にも人間と同じように成人病がある。
それは人間の場合よりもより確実に、年をとるにしたがって組織を侵してゆく病気なのだ。
「言ってもムダ」というような牽制作用が組織の中で大きな意味をもつような安定的状態というのは、一種の組織の老化現象である。
「前例を大切にする」
「上の顔色を窺い読んで期待に応える」
「いつも『頑張るぞ』と言い続けて前向きの発言を繰り返す」
「上の意向には直に反応し、下には厳しく取り立てる」
そういう環境下では、人は問題を見つけても
「自分だけが言っても仕方がないからあきらめるか」
「解決するために努力をしようか」
をてんびんにかけて考え、前者を選択することが多くなる。
つまり、自分の力で問題を解決しようとする力がしだいに弱まる。
全体としてみればこういう組織では、人間は言われたことしかやらなくなるから、人に指示を与えたり管理したりする機能がしだいに肥大化する。
つまり、管理機構が肥大化し、スタッフが肥大化する。
そして、そういう組織に入ってくる若い人たちはしだいに何も発言しない、上から見ると元気のない社員になってしまう。
若い人に対して「元気がない」「何も発言しない」「発言するのはどうでもよいことだけ」という問題意識をもっておられる方には、それを嘆く前に、まず「自分の組織の中に問題点があるのでは」と考えてみることをお勧めしたい。
協調的に見える行動も、その基準は実は自分の打算
■ 「職場いじめ ― あなたの上司はなぜキレる」
日本の企業社会は、一種のセレモニー化した規範を確立して協調性を大切にしてきた。
そして、こうした企業内の協調性を土台にした人間関係が集団主義を支えてきた。
しかし、この一見まさに集団主義的で協調的に見える行動も、その基準は実は自分の打算によっている。
一見企業へのロイヤリティを軸にした統一した行動に見えても、その原理となっているのは、その行動が己の打算にかなうかどうかである。
つまり、個人としては嫌であっても、出世や仕事にいい効果をもたらすということで参加してきた。
自分だけが仲間と違う行動を取るのはまずいという判断で、自分を殺して参加していることが多かった。
日本人の多くは、実は自分自身は集団主義的な人間だなどとは思っていないという不思議な現実がある。
むしろ、個人個人に聞けば、「日本的集団主義には辟易していて、何とかそういう呪縛から自由になりたかった」などと語ることが多い。
それどころか、「日本人全体が集団主義である」ことは認めても、「自分は、そうした生き方に仕方なく従っているが、本当は違う」と感じている人のほうが多いのが現実であろう。
今、職場に起きていることは、集団主義の揺らぎに対しては「以前から望んでいなかったことだから」と肯定しつつも、今度は「そうは言っても個人主義的に飛び出した行動をすることが本当に利益なのかどうか」を見定めている状態なのだと言ってもいい。
まさに、職場は今、集団主義から個人主義、そして年功序列から成果主義を典型とする変化を前に、自らがどのように協調性を発揮すればいいのか分からず、立ちすくんでる状態なのだ。
古い価値観の集団主義や協調性というしがらみを捨てようとしながらも、なお、その一方でしがみつくという混乱と矛盾の中にいるのだと言ってもいい。
終身雇用と年功序列というシステムが確固たるものであった時代には、「就職」ではなく「就社」するものだと言われたように、その会社に一生を捧げるという考え方が当たり前になっていた。
つまり、就職することは、その会社に忠誠をつくすことで、一生安定した生活を保障されるというバーター的な考え方で成立していたのである。
したがって、その反対に会社へのロイヤリティを失い、それが理由で会社から放逐されることにでもなれば、まさに路頭に迷わなければならない。
そうした危機に陥らないために企業と個人の間には、まさに自発的に見えながらも、暗黙に働くいくつもの強制力が働いていたと言える。
その強制力とは、具体的には、上司の言うことは絶対であり、絶えず上司の意向を忖度して行動することや、同僚との協調性を最優先して、出しゃばったり目立ちすぎることは避けるなどといったことである。
更に、集団としてのルールを破らないように気を使い、集団の利益に貢献することで、個人の意思を押し殺す、などである。
日本企業では建前はともかく、本音では企業利益のためにウソをついたり、隠し通すという悪しき集団主義は根強く残っている。
不祥事の対応などでの、こうしたロイヤリティの高さは依然として求められているからである。
まさしく、企業のために自らの良心を殺す場面はあっても、その企業を告発することなどは考えられない風土が依然としてある。
こうした仲間意識が強い集団は、凝集性の高い集団となって、メンバーが互いにその集団に深く関与しすぎることになってしまいがちである。
そのために、メンバーは集団から仲間はずれにされたり、自分への支持を失うことを極端に恐れるようになる。
この時、メンバーの関心は、自分がことを荒立てて騒ぎにするよりも、メンバー同士の関係を重視する方向に目が向けられてしまうのである。
優秀であり実力があるが、協調性の観点では実力がない?
■ 会社員にとって、“実力”とは何か
「営業部員が80人ほどで、そこで契約高が上位5番以内に常に入る部員がいる」
「その意味では優秀であり、実力がある」
「だが、積極性や協調性、チームワーク力など別の観点から評価をすると、実力があるとは言い切れない人がいる」
このような認識の会社は多いだろうか、少ないだろうか。
残念ながら「会社員にとって、実力とはどういったものか」というテーマで意識調査をしたものが見当たらない。
日本企業の多くは人事評価をする際、少なくとも2つの基準をもとに評価する。
1つは職務遂行能力やそれにともなう実績、業績など。
もう1つは行動評価と呼ばれるもの。
会社により、その名は「コンピテンシー評価」とか「プロセス評価」などと呼ぶところもある。
例えば、協調性、積極性、行動力、規律、リーダーシップなどだ。
「能力は、訓練や経験によってさらに開発されるべき、ある潜在的な力であり、したがって、ただちに実用に役立つ力、つまり“実力”とは考えられていないこと」
この能力観であるからこそ、多くの日本企業では行動評価に重きが依然として置かれているのだろう。
そして「実力がある」という表現は、この能力観に合致した社員にこそ、ふさわしいものなのである。
他人と違う行動を取る人は協調性がないとみなされてしまう
■ 日本の学校は軍隊か刑務所
日本の旧態依然とした会社の特徴として、とにかく多様性を認めないというものがある。
みんなが残業をしているのであれば、自分も残業をしなければいけない。
みんなが有給をほとんど使わないで仕事をしているのであれば、自分も私用で有給を使うわけにはいかない。
本来であれば人それぞれ価値観や考え方も違うわけだが、そういう事情は一切考慮されない。
たとえ法律で認められている権利を主張したとしても、他人と違う行動を取ろうとする人は協調性がない、自分勝手な人間だとみなされてしまう。
こういう価値観が作られるようになった背景のひとつに日本の学校教育があると考えてもたぶんそれほどおかしくはないと思う。
日本の学校は、正直なところ教育機関よりも刑務所や軍隊に近い。
一度登校したら下校の時間まで敷地の外に出ることは許されないし、先生の言うことには従わなければならない。
軍隊同様、「命令は絶対」なのである。
これらが一体なんのために存在しているのか、昔から疑問で仕方がなかった。
どうやら集団のルールを学ぶとか規律を学ぶとかそういうところに理由があるらしいが、そう言われても未だに納得できないものがある。
たしかに、「集団のルール」や「規律」は重要だ。
自分勝手が許されない場面は当然ある。
しかし、学校教育ではそういったことを強調するあまり、「多様性の尊重」が蔑ろにされてはいないだろうか。
バランスの問題なので、学校教育で「集団のルールを学ぶ」側面が全否定されるべきだとは思わない。
ただ、「個人の好み」を尊重するようなことはもっとあってもいい。
同調圧力があることは、会社にとっては非常に好都合
■ どんな会社もブラック企業になる可能性がある
ブラック企業といわれる会社に共通するのは、長時間労働やパワハラ、その他の違法行為や“グレー”な行為について、従業員が「おかしい」と思っても上に物申せない、言い出しにくい雰囲気があるという点です。
“同調圧力”が強く働き、ネガティブな会社風土を強化してしまっているといえます。
同調圧力というのは、学校や地域、社会全体など、どこにでも存在しますし、必ずしも悪いものではありません。
ゴミをポイ捨てしない、電車やバスを並んで待ち、順番を守るなど、「マナー」と呼ばれるものの多くは、もちろん、「そうした方が気持ち良くいられるから」という理由で守っている人もいますが、「周りの人がそうしているから」といった同調圧力が働いて守られているところもあるでしょう。
つまり、同調圧力があることで、集団の秩序を保ちやすいという面もあるのです。
会社は、大人数で一つのコミュニティーをつくっているので、同調圧力が生まれやすい場所でもあります。
そしてそれは、2つの方向に働きやすくなります。
一つ目は、従業員に特定の考えを持ったり行動することを仕向ける圧力。
二つ目は、周りに対してそれを止めたりしにくい、「口出しをしてはいけない」という雰囲気をつくる圧力です。
こうした2方向の同調圧力は、どんな会社にも多かれ少なかれ存在します。
ですから、どんな会社でも、ブラック企業になる可能性を持っていると考えたほうがいい。
誰もがそのことを認識し、自分の会社に存在する同調圧力について意識すべきでしょう。
同調圧力があることは、会社にとっては非常に好都合です。
なぜなら同調圧力は、会社の和を乱す人を圧倒的に減らすことができるからです。
同調圧力があると社内の秩序は保たれやすくなり、会社も管理しやすくなります。
しかも同調圧力は、いわば“暗黙の了解”なので、就業規則に書かれているわけでもなく、議論の末に明文化されたわけでもありません。
誰も責任を持たなくていいように見えてしまう。
よく、会社で不祥事があったときに、記者会見等で社長など経営陣が
「私は知らなかった」
「そんな指示はしていない」
「社員が勝手にやったこと」
と責任逃れをすることがありますが、このためです。
同調圧力がネガティブな方向に働くと、「内部告発は絶対に許さない」という空気が蔓延し、隠蔽体質に発展してしまいます。
同調圧力が「おかしい」と思った従業員を黙らせるようになるのです。
同調圧力のメリットは会社側だけでなく、従業員側にもあります。
同調圧力は、窮屈で自分の自由を奪われるような息苦しさを生む一方で、「従ってさえいれば、その集団から排除されない」という安心感を与えてくれるからです。
加担しなくても、「周りがそうだから」「従っておく方が楽だから」と、声を上げず空気に同調してしまえば、それは同調圧力を一層強めることになります。
ブラック企業は、社長などの誰か1人がつくるわけではありません。
同調圧力にのまれることで、結果的に社員も、ブラック企業を“ブラック化”することに加担してしまうのです。
同調圧力が強まれば強まるほど、人は指示や命令を求める
■ アイヒマン
最後のナチス高官として悪鬼のように語られてきたアイヒマンが法廷に登場すると同時に、テレビを観ていた全世界の人々は息を飲んだ。
その外見が、あまりに普通であったからだ。
中間管理職そのままの雰囲気で被告席に立ったアイヒマンは、ホロコーストにおける自分の責任を問われるたび、「私は指示に従っただけだ」とくりかえすばかりだった。
やがて人々は気づく。
邪悪で狂暴だから殺したのではない。
普通の人間だからこそ、人は人を大量に殺すことがあるのだと。
人は群れる生きものだ。
一人では生きてゆけない。
様々な集団に帰属する。
不安や恐怖が高まるほど、群れは動きが統率される。
同じ動きをするようになる。
要するに同調圧力が強くなる。
同調圧力が強まれば強まるほど、人は指示や命令を求める。
なければ不安になる。
だから無自覚に作りだす。
これが組織内における忖度だ。
こうしてアイヒマンが誕生する。
それは決して特異な現象ではない。
群れる本能を保持してしまった人類は、誰もがアイヒマンになる可能性を持っている。
群れが走り出したとき、なぜ走るのかと声をあげることは難しい。
全体から遅れることは群れから脱落することを意味する。
さらに、もしも声をあげればその瞬間に、群れの中の異物になってしまう。
こうして群れは暴走する。
人は周囲に併せて走り続ける。
全体が右に曲がれば自分も曲がる。
左に曲がれば自分も曲がる。
目的や意味は考えない。
考えていたら取り残される。
こうして群れは徐々に加速する。
内心では「何かがおかしい」とか「誰かが嘘をついている」などと思っていても、群れの中にいるかぎりは声をあげることが難しい。
孤立は怖い。
一人にはなりたくない。
やがて群れは暴走する。
大きな過ちを犯す。
それから人々は言う。
いったい誰が悪いんだ。
でもよくわからない。
だから責任の所在が曖昧になる。
組織はさらに暴走する。
あるいは停滞する。
目を逸らす。
不正義がまかり通る。
弱いものが責任を押しつけられる。
真相を隠したい人たちは胸を撫で下ろす。
今の群れからは孤立するかもしれない。
でも発言すれば、きっと賛同者が現れる。
決して一人にはならない。
顔を上げよう。
声を出そう。
胸を張って内なるアイヒマンを否定してほしい。
もしもこのまま口を噤むのなら、きっと一生後悔する。
ナチの教育は金太郎飴的な人間を再生産すること
■ 「ヒトラーに抵抗した人々 – 反ナチ市民の勇気とは何か」
彼ら反ナチ主義を掲げて戦った、「普通の人々」の勇気とはなんだったのか、そして、彼らはどんなふうにあの時代を生きたのか。
それは決して、あの時代特有のことではない。
彼らの活動にいまも学ぶことがあるはず。
ナチの教育を一言で言えば、金太郎飴的な人間、つまり没個性の人間を再生産すること。
国民の大多数は、ヒトラーの経済政策に大きな期待を寄せ、彼を支持した。
つまりあれは、「国民の同意による独裁」だったということを忘れてはいけません。
単なるイデオロギーで、国民大衆が12年間もの間、非道な独裁者に対して万歳するなんてありえないのです。
統治の手法として、そこには「ニンジン」が必要で、それは人間の本性を突いているとも言えます。
ヒトラーは、そういうものを巧みに操作し、徹底的な利をもって国民を操ったのです。
一方、処刑された教育学者は知識の詰め込みに熱心な教育者ではありませんでした。
彼が目指したものとは、狭い村社会を超えた、開かれた世界を子どもたちと共有し、自分で考えることができる人間、すなわち、主体的自己を育むことです。
あの混沌とした時代の技術社会で人間が生きていくためには、何よりも自律的で、自分をよく知る人間であることが重要なのだ、と言ったのです。
彼のこのメソッドは、いまのドイツの教育にも受け継がれています。
日本の学習方法は、あまりにも暗記中心
■ 日本とドイツ、学習方法に見る隔たり
日本の公立中学校に少しずつ慣れ始めた我が娘。
帰国子女ならではのいろいろな試練が降り掛かってきます。
例えば日本の学習方法。
あまりにも暗記中心なのです。
日本の教育現場では、たとえその事柄を理解していなくとも、“とにかく覚えること”が求められているようでした。
考えること、興味のあることを追究すること、自分の意見を述べること・・・・・・そういう訓練はドイツでたくさんしてきたのですが、記憶力を鍛えるトレーニングは初めてです。
ドイツの先生は言います。
「疑問がないと答えは出てこないんだよ」と。
なるほど、疑問を持つことは学問の始まりかもしれません。
1つの現象や物事をどう見るか、質問の立て方によっていろいろな答えが導き出せる。
世の中の考え方やものの見方は当然1つではない。
こんなドイツの授業風景が、日本に戻ってからは何度も懐かしく思い出されるのでした。
一人だけ違うことをする行動が「協調性がない」となってしまう
■ 「生きる力をつける ドイツ流子育てのすすめ」
日本では「責任」という言葉をよく耳にするが、それは、「上」の人が「下」の人に対して(先生が生徒に対してとか上司が部下に対して)のみ使っている言葉に思えてならない。
ドイツの場合、「上」へ行けばいくほど「責任」が問われるという考えが強いため、「下」の人が「上」の人に対して「責任、責任」とうるさく言うことはあっても、逆はあまりない。
日本の場合、自分や組織のやり方を「下」に押しつけるために、「下」の人に「責任をとってくれ」云々と言っているように思えてならない。
ドイツの場合「義務」と「権利」はセットになっていると言っていい。
一方日本の場合は、義務が多く権利主張は立場の上の人や目上の人から「ワガママ」と片付けられてしまうことが多い。
ドイツ的な考えでは、「上」へ行けばいくほど義務も多くなるのは当たり前だが、それに「下」の人を巻き込もうとはしない。
例えば、社長は残業しても部下は17時には帰ってしまう。
ところが日本は「下」の人に「義務」をたくさん押しつけたがる。
(社長が帰るまで部下が帰れないなど)
「義務」や「責任」というのは一応は訳すことはできても、その意味合いは両国でかなり違う。
意味合いというより使われる場面が違う、と言ったほうがいいのかもしれない。
これは教育現場でも明らかだ。
日本人が子どもに言う「責任」とは、イコール「人に迷惑をかけないこと」である。
欧米人には何が迷惑になるのかの幅がものすごく広いように感じられる。
例えば自分一人だけ違うことをするなど、ドイツ人から見たら何でもない行動が、日本人にとっては「わがまま」や「協調性がない」となってしまうのだから、同じ単語でもその違いには驚く。
ドイツ語で言う「権利」は、「あるもの」そして「通すもの」である。
例えば、有給をとる権利が法律上あるならば、必ず有給を全部とる、ということだ。
日本の場合、「権利」とは名ばかりで、立場や複雑な人間関係が優先され、使えない(通せない)ことがよくある。
また、日本では、「権利なんていう言葉は、一人前になってから言え」というお説教もよく聞く。
「忖度」はガラパゴス化が生んだ究極の内向き理念
■ 「忖度」はなぜ流行語になったのか?
忖度の語源は中国の古書にさかのぼる。
本来の日本語と同様、推し量るの意味で、中立的な用語だ。
問題は忖度という言葉自身にあるのではなく、それを流行語とした社会にある。
流行語になるほどに流布した「忖度」は、日本社会に根付いた不文律をあぶり出したのだ。
おべっかを使ったり、こびへつらったり、迎合したりして、相手の気持ちを左右し、見返りの利益を追求し、不安やリスクから逃れたいとする心理はだれにでもある。
ただ、それがどう表現されるかによって、文化の特色が表れる。
「忖度」を、日本が誇るおもてなしの文化のように言う者がいる。
とんでもない話だ。
おもてなしは、自分が自ら考え、主体にメッセージを発し、相手と気持ちを共有しようとする双方向のコミュニケーションである。
おもてなしの理念を分かち合うシェアリングとすれば、「忖度」は閉鎖、孤立、独善、断絶でしかない。
ガラパゴス化が生んだ究極の内向き理念だ。
AI(人工知能)をめぐる議論の中で、人間がロボットの主人となるのか、ロボットに使われる奴隷となるのかが問われている。
人はAIに人の気持ちや欲望、願いを忖度するよう求めるに違いない。
「忖度」に飼い慣らされ、独立した精神を失った人々ほど、その反作用として他には「忖度」を強要する気持ちが強くなる。
だが権力や権威を解さない機械は、自らの学習によって、忖度からやがては支配に手を染めるに違いない。
そのとき、独立性を欠いた人間の精神は、自由を勝ち取る戦いに挑むよりも、支配のもとで安逸に流れることを選択することだろう。
協調性とは?協調性がないとは?あるとは?主体性などとの関係って何だろう?(パート6)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協調性の意味を今まで間違って理解していたかも・・・ σ(^◇^;)。。。 」
「主体性があるから協調性がないってもんでもなければ、協調性があるから主体性がないってもんでもないのかも・・・!? (;・∀・) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「飲み会やったり社内行事やったりしているし、みんな仲がいいから、ウチの会社って協調性があるとばっか思っていたんだけど・・・ (; ̄ェ ̄) 」
「ウチの会社で言っている協調性とか主体性とかって、実は協調性とか主体性とかでも何でもなかったのかも・・・??? ( ̄○ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こりゃー、ウチの従業員が協調性を持ちたくても持てないワケだ・・・ (o´д`o)=3 」
「協調性や主体性があると思って採用しても、人材育成をどんなに一生懸命やっても、協調性や主体性が発揮できないワケだ・・・ (;゜∇゜) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーいやー、協調性って何のために必要なんだろ~???誰のために必要なんだろ~???協調性が本当に必要な時ってどんな時なんだろ~??? ( ゜д゜) 」
「もしかしたら、手段の目的化ってヤツに陥っちゃっていたのかも・・・??? (´ε`;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社の場合、協調性がないとかあるとか、主体性があるとかないとか以前の話で、組織の成立条件から考えてみたら、組織とは言えない状態だったのかも!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
「だから、協調性を持ちようがなかったってコトなのかも!?だから知らぬ間に、同調圧力になっちゃっていたのかも!? (ーー;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「んじゃー、アレをあーしてコレをあーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「いち従業員の立場でもできることって、意外とあるのかも~ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーだそーだ!!協調性とか主体性とかを持て!って、従業員に一方的に求めないでくれよー!! ( ノД`) 」
「協調性とかを求める前に、協調性とかを持てる組織にまずはしてくれよー!! ヽ(;▽;)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協調性があることを美徳として暗黙の了解で強制するから、主体性ってもんがなくなっちゃうんのかも~??? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
「組織の和を乱したくなくて協調性ばっか重視するから、多様性ってもんがなくなっちゃって、画一的になっちゃうのかも~??? o( ̄_ ̄|||)o— 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協調性がないと言っているヤツの方が、よっぽど協調性がないと思うんだけどぉ~ ( `.∀´) 」
「人に協調性を要求する前に、自分が協調性を持てばぁ? Ψ(`∀´)Ψ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「それがどーした!!協調性ぐらいあるのが社会人の常識ってもんだろ!! ヽ(`⌒´メ)ノ 」
「協調性も主体性もないヤツなんかウチの会社にはいらーん! ┗(炎Д炎#)┛ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協調性があるとかないとかなんて、そんなのどーでもいいしぃ~ q( ̄3 ̄)p 」
「協調性なんてなくたって仕事できるんでね?協調性なんて求める方が間違ってるんでね?協調性って言っているだけで本当は忖度して欲しいだけなんでね? d( ̄  ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ワケのわからん協調性とか主体性とか忖度とかを求めるような会社って、やっぱブラック企業じゃん・・・、忖度しなくても大丈夫で協調性とかも求められない良い会社って、どこかにないもんかな~??? (´;ω;`) 」
「給料も休みもいっぱいもらえて、人間関係も良くて、何があっても正社員として終身雇用で雇ってくれる良い会社ってないかな~??? (;´Д`)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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