「兆候や前兆、予兆って何だろ~? (;゜∇゜) 」
「兆候・前兆・予兆をとらえるには何をしたらいいんだろ~?兆候・前兆・予兆をとらえるって、どーゆーことなんだろ~?( ̄ー ̄?)」
「兆候・前兆・予兆をとらえることと組織力や現場力との関係って何だろ~?何か関係があるんだろーか? (ーー;) 」
「兆候や前兆、予兆をとらえるには、やっぱ何らかの組織的な仕組みが必要なんだろーか?どんな仕組みがあれば兆候や前兆、予兆を察知できるんだろ~? ( ̄∧ ̄ ) 」
「大きな問題が起きる時って、やっぱり何らかの兆候とか前兆とか予兆とかがあると思うんだけど、大きな問題が起きてしまう前に、兆候とか前兆とか予兆とかをとらえて未然に防止するにはどーしたらいいんだろ~? ヽ(;▽;)ノ 」
「兆候や前兆、予兆をとらえられていないのって、組織文化の問題なんだろーか?それとも人材育成の問題なんだろーか?やっぱ問題意識が足りないからなのかな~?危機感が足りないからなのかな~?どんな教育をやったらいいんだろ~? (|||▽ ) 」
「その時は気がつかなかったけど、今になって振り返ってみると実はアレが前兆だったのかも!?って感じることってあるよね・・・ o( ̄_ ̄|||)o— 」
「今思えば予兆ともとれるサインがいっぱいあったのに、気づく機会がたくさんあったはずなのに、それなのに兆候を見落としてしまっていたのかも!?アレが兆候だってあの時気づけていたらなーって反省することもあるよね・・・ p(´⌒`q) 」
「そう思うと、兆候や前兆、予兆などをとらえることって、失敗から学ぶってことでもあるんだろーか?だとしたら、失敗を活かさないともったいないよね~ (´ε`;) 」
「事業存続の危機や倒産、不祥事とかの大きな問題に発展してしまう前に、兆候や前兆、予兆などを事前に速やかにキャッチして、回避できる組織に改革するいい方法って何かないものなのかな~? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
などなど、兆候・前兆・予兆に関するこのような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「売上や利益の向上」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なのかも~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・


















などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて、感じることもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
兆候・前兆・予兆をとらえるには?組織力や現場力との関係って?
(パート1)
んーと・・・、兆候・前兆・予兆をとらえる上で・・・
盲点になっていたり灯台下暗しになっていたりすることも意外とある
かもしれないし・・・
気づいていないだけで、実は身近なところにヒントがある
かもしれないし、もしそうだとしたら・・・
ピンチをチャンスに変えるいい機会
イェ━━━━━ヽ( ゜Д゜)人(゜Д゜ )ノ━━━━━━イ
にもなり得るかもしれないので・・・
まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?
(〃⌒∇⌒)ゞ
経営にとっての「情報」は有利に事を進めることができる「兆候」
■ 「やっぱり変だよ日本の営業」
「情報」と言うとき、具体的に何をイメージしますか。
様々な情報が巷に氾濫しているように、企業の情報も氾濫しています。
しかし、
「あなたが欲している情報は何ですか?」
「この問題を解決するために、何の情報が欲しいのですか?」
「その情報をどのように問題解消に活かしますか?」
と聞かれたとき、満足に答えられる方はほとんどいないでしょう。
経営にとっての「情報」とは、何かの目的を達成するために事前につかんでおけば有利に事を進めることができる「兆候」です。
「目的」があって「有利」に進めようとするからこそ、必要な情報が見えてくるのです。
目的がないのであれば情報など無用ですし、何かを達成しようとしてもいないのに美味しい情報が果物のように落ちてきて、自然に幸せになれるわけでもありません。
人々の心に現れている「危機」の兆候
■ 「本質を見抜く「考え方」」
「危機というものは、実際の出来事より先に人間の心の中に起こる」ということです。
それが現実に結果として表れたとき、それを「危機」とは言わず、「破局」と言います。
いまの日本を見ていると、一見おだやかで平和な時代が続いているようですが、人々の心の中はどうでしょうか。
自分の進む方向がわからない、自分で自分がコントロールできない、自分がバラバラになってしまいそうという「危機」の兆候がももろに人々の心に現れているように見えます。
ということは、いま、かりに具体的な事件や出来事としての危機がまだ顕著でないとしても、それはもうすぐそこまで来ている、ということになります。
人々の心の変化が予兆として、そのことを明らかに示しているという見方なのです。
世の中が大きく変化するときは、必ずいくつかの「予兆」があるものです。
世の中の変化は、大きく2つのパターンに分かれます。
1つめの変化パターンは、それほど規模は大きくないものの、突発的にやってきて、見た目にも何らかの変化がすぐわかるようなもの。
2つめは、ソ連の崩壊のように大規模な変化で、けっして突発的に起こるものではなく、事前にいくつかの「予兆」があるパターンです。
突発的な変化は、規模が小さいため驚くことはありませんが、いくつかの「予兆」を繰り返す大きな変化は、あとで本体の大きな揺れがくるので、まさに忘れたころにやってくる大災害となってしまうわけです。
「予兆」の間隔が長ければ長いほど、人間の記憶は薄れ、大きな揺れに備える意識が希薄になってしまいます。
世の中や社会全体にかかわる大きな変化は、ごく普通の人がぽろっと口にする、何気ないひと言の中に、見え隠れすることがあります。
学者や研究者といった人たちの言葉ではなく、ごく一般の人たちの話から、そういう「予兆」を感じとることができます。
主婦や学生など、身近な人を「定点観測」することによって、意外な「人心の変化」が読み取れる場合もあります。
「人の心」の微妙な変化は、しばしば重要な「予兆」なのです。
大きな失敗が発生するときには、必ず予兆となる現象が現れる
■ 「失敗学のすすめ」
じつは、失敗にも「失敗のハインリッヒの法則」とでも呼ぶべきものが存在しています。
企業のケースでたとえるなら、新聞で取り上げられる大きな失敗があれば、その裏には必ず軽度のクレーム(顧客からの不具合の指摘)程度の失敗が29は存在し、さらには、クレーム発生にはいたらないまでも、社員が「まずい」と認識した程度の潜在的失敗がその裏には必ず300件あるわけです。
新聞沙汰になるような事故やトラブルが、「ある日突然降って湧いたように現れた」などということは、そもそもありえません。
過去をふりかえってもそのようなケースはなく、最近多発する企業不祥事の原因を探ると、むしろ「いままでよく事件・事故が起こらなかった」という率直な思いにぶつかるはずです。
そうだとすれば、仮に、「まずい」という体験があったときになんらかの防止策を打つことができれば、失敗の成長は止められるはずです。
それをせずに放置しておくと、数は少ないにしても、より影響力の大きなクレーム程度の失敗が必ず芽を出します。
そこで防止策が打てなければ、失敗はさらに大きな形で現れ、まわりに多大な被害を与える致命的失敗へ成長するというのが、まさに「失敗のハインリッヒの法則」の考え方です。
事故やトラブルなど世間を震撼させる大失敗には、背景に少なからずこれと同じ構図があります。
失敗の成長は、水をたたえるダムにたとえることができます。
小さな失敗という水が貯められていく過程で放水という防止策を打てば、決壊などの問題が生じる心配はまったくありません。
これを行わずに徐々に水を貯め込んでいくと、最も弱い部分にやがて小決壊が始まります。
それでもなお放水を行わずに放置してやくと、ある閾値に到達したときにはついてに大決壊が始まり、破滅に向かって一気に突っ走る、取り返しのつかない大失敗に成長してしまうのです。
大きな失敗が発生するときには、必ず予兆となる現象が現れます。
このときにしっかりとアンテナを張り巡らせば、必ず失敗の予兆を認識できるし、それに対して適切な対応をとれば、大きな失敗の発生を防ぐことも十分に可能です。
理屈として考えれば、これほど簡単な失敗回避の対策はありません。
しかし現実には、こうした失敗の予兆は放置されることがほとんどです。
なぜなら失敗は「忌み嫌うもの」であり、できれば「見たくない」という意識が人々の中にあるからです。
人間は「見たくないものは見えない」性質を持っています。
その挙げ句、失敗した人には必然的に起こった失敗の原因まで、未知や不可抗力という言動でごまかそうとする傾向もありますから、これでは大きな失敗があとからあとから出てくるのも当然です。
ひとつの失敗、ひとつの事故の真の原因をきちんと解明することは、同じ原因で起こる次の失敗の未然の防止にそのまま結びつくのです。
大きな問題の前に、その前兆である小さな問題が顔を見せている
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
本当は問題があるのだが、誰も気づいていないために解決されない、ということはよくあることだ。
「問題の芽」は多くの場合、隠れたままで、外からは気づかれないような状況になっていることが多い。
ということは、問題を解決し、改善しようと思えば、
「問題は何か」
「問題はどこにあるのか」
がわかっていなくてはならない。
問題がまだ起きていない段階で、その芽を見つけるのも大事なことだが、いつもそれができるとはかぎらない。
つまり、問題が起きることで、ようやくその問題に気づく、というのはよくあることなのだ。
大きな問題が本当に「起きてしまう」と、多くの場合、マスコミをにぎわすような事件になるから、リスクも大きくなる。
そうしたことはできれば避けたい。
しかし、注目すべきは、こうした大きな問題が出てくる前に、ほとんどの場合その前兆である小さな問題が顔を見せている、ということだ。
問題が出てこないよう厳しく管理する姿勢は行き過ぎると、小さな問題を出しにくくする傾向をもたらす。
問題が出てきたら厳しく叱り、二度と出さないよう反省文を書かせたり、「日勤教育」のような特別な研修に送り込んだりすることでは、問題は解決しない。
そういうことをすればするほど、かえって問題が表に出にくくなるからだ。
「問題はないほうがいい」という考え方を持っていると、どうしても問題を表ざたにするのを嫌うようになる。
しかし小さな問題を無視し続けていると、それらの小さな問題は内部で発酵しながら増殖し、身体が弱ったときに発病する。
大きな問題が「起きて」しまうのだ。
問題があること自体を問題と考えてはいけない。
どんな組織にも問題はあるのだから。
問題があることが問題なのではない。
問題が見えてくること自体はきわめて望ましいことなのだ。
特に気をつけておくべき兆候や懸念を伝える方法
■ 「なぜ危機に気づけなかったのか」
問題を解決するには、まず「問題」がわかっていなければならない。
企業をはじめ、多くの組織において問題は隠れてしまい、いくら問題解決法を知っていても「解決すべき問題」が何か、わかっていないことが問題になっている。
問題が起こり、大事故・大惨事に発展してから解決策を見出すより、問題になりそうなことを早くに発見し、まだ軽微なうちに手を打つことのほうが価値がある。
しかし、手遅れになってからやっと危機に気づいたり、見当違いの問題を解決しようとしている場合さえある。
会社で働いている人の多くは、特に自分がミスを犯したかもしれないとか、ある失敗の火種を作ったかもしれないというようなことを社内で口にすることで、問題児と見られたり、不利益を被ったりするのを恐れている。
組織の構造の複雑さが、日光がなかなか地面に届かない森の中の暗い木陰のような場所を作り出す。
複数の管理階層、紛らわしい上下関係、複雑な組織などが、メッセージがしかるべきリーダーに届くのを難しくしていることがある。
その途中で中身が骨抜きになったり、誤って解釈されたり、内容が変わったりすることがある。
たとえまったくの善意で情報のフィルタリングが行なわれる場合であっても、悪いニュースがリーダーの耳に入らないことがある。
従業員が潜在的な問題を探し出す方法や仕事中に特に気をつけておくべき兆候、懸念を感じたときにそれを他の人に伝える方法を教えられていれば、問題はもっと早く表面化するだろう。
その場しのぎの対応は状況をいっそう悪化させるだけ
■ 「こうすれば組織は変えられる!」
社員の努力をあからさまにけなす一方で、社員たちはひそかに不満を募らせ、ときにはそれを外部の人たちに漏らすようになる。
トップがあるとき壁の落書きを見つけて、ようやく社員の本当の気持ちを聞いてみようと決意したときには、組織内の軋轢はもはや取り返しのつかないところまで進んでいるのだ。
それでもたいていは、問題は何もないという姿勢を押し通す。
社員たちの気持ちがすっかりしらけ切っている会社で、社員を鼓舞する演説を聞いたり、モチベーションを高めるための社内ポスターや輝かしい夢を謳った企業ビジョンを目にするのは、実に滑稽であり、ときに哀れですらある。
その場しのぎの対応はかえって理想と現実の落差を強調し、状況をいっそう悪化させるだけだ。
組織の腐敗が始まると、無意味に思えることが増殖する
■ 「組織力を高める」
組織は、放っておくと徐々に腐っていく傾向がある。
組織の活力がなくなり、組織内に無意味と思えることが増殖する。
最終的には、なんらかの問題を起こし組織が消えてなくなってしまう場合も多い。
組織の腐敗が始まると、組織内で以下のような声が聞こえてくるようになる。
- 現場で提案書を一生懸命つくっても、トップやマネジャーはあれこれ文句を言うばかりで決めてくれない。かといって現場では決めさせてもらえず、努力がすべて無意味になってしまうか、物事がなかなか前に進まない
- A部とB部を通したうえで経営会議にあげないといけないが、A部の部長とB部の部長は折り合いが悪く、二人の間の議論で止まってしまう。その調整に莫大なエネルギーが必要となってしまう
- 無意味で何も決まらない会議が多い。誰が決めたかわからない複雑で無意味な規則が多い
- 内向きな仕事が多い。何も付加価値を出していない人が多すぎるように思える
本来やらなければいけないこと、耳を傾けなければいけないことから離れた「無意味なこと」が増えてきたら、組織の腐敗が始まっている可能性があるので要注意である。
組織が完全に腐敗しきってしまうと、「組織力」を取り戻すたの努力は並大抵のものではない。
組織のライフサイクルと並んで、組織の腐敗は、好むと好まざるとにかかわらず、組織に忍び寄る影であり、組織にとって「宿命的」なものである。
組織は個人一人ではできないようなことを達成する力を生み出す一方で、組織であるが故に抱える本質的な課題もあるのだということを認識しておかなければならない。
事前の予兆としっかりとした対策
■ 「うちの社長は、なぜ「ああ」なのか」
大量の社員が辞めていったり、急激な売上の落ち込みで、昨日までの活気がウソのようにいきなり倒産してしまうといったことも珍しくありません。
そうならないためにも、事前に予兆をつかみ、しっかりとした対策をとる必要があります。
残業を自慢する傾向がある
とにかく全力を出していること自体を重視するため、早く帰るという発想がなく、仮に仕事がなくても何かを見つけて、遅くまで仕事をするのをよしとする。
結局いつも数人の人間に負荷がかかっている
社内では売上目標の数字がもっとも重要だと考えられているため、結果がすべてという風潮ができあがる。
そこで、常に売上が上げられる人間に期待がかかり、期待された人は常に重責を背負うことになる。
「共有する」という言葉がはびこる
得たいの知れない危機感を感じているため、さまざまな情報を共有したがるが、結局は売上をもっと上げようという意識を共有するだけのことで終わってしまう。
経理担当が辞める
自転車操業的な収益構造で、漕ぐのをやめた瞬間に倒れてしまうことを知った経理担当者が密かに辞める、といった事態が起こる。
ナンバー2の顔色が悪い
社長が思いつきですぐに行動に移すため、ナンバー2に多大な負荷がかかり、過労気味になる。
社員が指示を受けてもなかなか動かない
社長の言うことが変わりやすいので、「今回はどれだけ本気なのだろう?」と探るクセが社員についてしまっている。
人数は増えても組織化されず、大きな中小企業となっている
役職者が育たず、いつまでたっても「社長対その他大勢の社員」という構造が変わらない。
常に社員にはチャレンジ精神が求められる
会社の指針などに、チャレンジという言葉が蔓延している。
とにかく新しいことに挑戦することがもっとも重要な価値観になっている。
議でものが決まらない
物事を決めるのにいろいろな調整が行われるため、すっぱりと会議で決まることが少ない。
言っても無駄だろうと、会議で結論が出ず、常に曖昧さを残す論議になってしまう。
幹部と社長の仲が悪い
基本的に社長が幹部を信じておらず、そのため幹部も社長がわかっていない人だと思っているので、それぞれがお互いの弱点を補うことをせず、ギクシャクとしていて結束の力がない。
社員が社長とあまり話をしたことがない
社長が自分から社員に話しかけることが極めて少ないため、社員は社長と顔を合わせることはあっても話をすることが少ない。
管理者が疲れている
管理者は、責任に見合う権限は与えられていないことが多い。
管理者として自発的に動くことができないため、ストレスが多く疲労感が漂う。
キーパーソンが辞める
社内でも要となっている人物が突然辞めてしまう。
企業が倒産する予兆や兆候とは
■ 企業が倒産する前に、労働者がやるべきこと
倒産の予兆は、賃金の遅配や未払いに限らず、様々な形で見られることだ。
- 事務所の家賃や材料費などが不払いになり、催促が届く
- 不渡り手形が出たなどの話がでる
- 税金や社会保険料が未払いになる
- 大口取引先との取引停止や取引条件の極端な悪化が起きる
- 普段見ない人物が良く社内を出入りする
- 経営中枢の人物がやめる
- 親会社からこれまでいなかった役員が送り込まれてくる
こうした兆候が捉えられた場合には、倒産を疑い、同僚と協力して会社の経営状況について情報を集め、倒産のリスクが明らかになった場合にはすぐに専門家に相談したほうがよいだろう。
上記に加え、もっと決定的なシグナルは賃金の遅配が生じることである。
少しでも賃金の支払いが遅れているようであれば、すぐに労働者側は行動をおこしたほうがよい。
一度遅配を起こした企業は翌月も遅配し、そのまま倒産へと崩れていくことが多いからだ。
集団的浅慮が起きる兆候
■ 臨床心理学用語事典
集団的浅慮が起きる場合、集団内に以下の兆候か現れると言います。
- 自分たちは絶対に大丈夫と言う幻想
- 集団固有の行動規範や倫理に対する過剰な信念
- 外部からの警告を軽視する
- 外集団への偏見や軽視
- 疑問を口にすることへの自己検閲(自粛)
- 見せかけの満場一致
- 反対意見への圧力
- 集団の合意を覆す情報からの自己防衛
助けを得るべきサインでもあり、負けを認めたことを示すサイン
■ 女性と異なる男性のうつ
統計によると、男性がうつになるケースは女性よりずっと少ない。
18歳以上の男性で過去1年間にうつ病の本格的症状を1回以上経験した人は4.8%、女性は8.2%。
ただ専門家らは、こういった数字が実態を表していない可能性を指摘する。
男性は、気分が落ち込んでいると訴えたり、うつの治療を求めたりする傾向が女性よりかなり弱いからだ。
女性はうつを内的なものと考え、無価値感や自責の念など、感情的な症状に目を向けることが多い。
対照的に、男性はそれを外的なものと考え、身体的な症状に目を向けがちだ。男性は概して、泣いたり、寂しさを口にしたりしない。
その代わりに、何も感じない、眠れない、ストレスを感じる、気力がないなどと訴える。
そして、イライラして、怒りっぽくなる人も少なくない。
自分の感情をよく把握できない男性もいる。
だが、もっと大きな問題は、男性がそれについて話せないよう条件付けられていることにあることだ。
男性は自分の感情をコントロールすべきで、うつは弱さの兆候だと受け取られかねないという感覚がある。
つまり、男性は自分で自分の問題を解決することが期待されているのだという。
こうした感覚が男性のうつ病をより深刻にしかねない。
女性にとって、うつは助けを得るべきサインで、根本的に何かを是正する必要があることを示すサインだ。
男性にとっては、自分が落伍者であり、負けを認めたことを示すサインだ。
この敗北感こそが、うつの男性が引きこもり、孤立することが多い理由だ。
男性は「うつ」という言葉に対して身構える可能性があり、「男らしい」とされる人ほど、この言葉への抵抗感が強い。
男性が自殺を図って実際に死ぬ確率は、女性の約4倍高い。
女性の方が自殺を図る確率が高いにもかかわらずだ。
男性はより致死的な手段を使うからだ。
欠陥のある決定の兆候
- 代替案を充分に精査しない
- 目標を充分に精査しない
- 採用しようとしている選択肢の危険性を検討しない
- いったん否定された代替案は再検討しない
- 情報をよく探さない
- 手元にある情報の取捨選択に偏向がある
- 非常事態に対応する計画を策定できない
ファシズムの初期兆候
- 強力且つ継続的なナショナリズム
- 人権の軽視
- 団結の目的のために敵国を設定
- 軍事の優先
- 性差別の横行
- マスメディアのコントロール
- 国家の治安に対する異常な執着
- 宗教と政治の癒着
- 企業の保護
- 労働者の抑圧
- 学問と芸術の軽視
- 犯罪の厳罰化への執着
- 身びいきの横行と汚職
- 不正選挙
ここに挙げた項目は、ホロコースト博物館の展示パネルにもなっている。
ずらりと並んだ項目を見た時、今の日本に当てはまると感じる人は少なくないのではないでしょうか。
「大本営発表」と「メディア」の関係がもたらした最悪の結果
■ 新聞が報じなかった、本当の被害
米側の記録では、東京大空襲に投じられたB29は344機。
1700トンの焼夷弾を投下し、都内は文字通り焼け野原となった。
約10万人の命が奪われ、27万棟が焼け、100万人が家を失った大災害。
しかし当時の「大本営発表」はたったの、これだけだった。
130機という数字は、米側の発表とかけ離れる。
さらに被害については、「各所に火災」としかされていない。
さらに100万の罹災者、10万の死者は「その他」の被害とされた、のだ。
当時の新聞もこうした発表にならい、被害の全貌を伝えなかった。
太平洋戦争末期に全国各地で相次いだ空襲の被害。
奪われた多くの命があったにも関わらず、その実態が報じられることはなかった。
大本営発表そのままの報道だ。
戦況が悪化するにつれ、「大本営発表」は数字や言葉をどんどんとごまかすようになった。
そして、メディアはそれをチェックせずに伝え続けた。
首都・東京で大空襲があっても、それは変わらなかった。
その後の沖縄の地上戦や広島、長崎への原爆投下でも、だ。
「大本営発表」と「メディア」
両者の関係がもたらした最悪の結果を、私たちは知っている。
自浄作用がなく、もはや「末期的」と言える状況とは
■ 「テレビはなぜおかしくなったのか」
「テレビ報道」にかかわる人間ならば、誰しも最低限守るべき倫理がある。
- 差別や偏見を生み助長するような報道をしない
- ウソや誤った情報は流さない。万一、流したら速やかに訂正する
- デマや噂など確認が取れない情報を流さない
- 政治家や経済人などの伝える手段を持っている人間よりも、ふだん声を上げにくい弱い立場の人たちの境遇を考えて、そうした人たちの声を優先して報道する
これらを守らなければ、テレビ報道はたちまち信頼をなくす。
それは個々の人たちの人権を守り、民主主義の根幹をなすジャーナリズムの社会的な機能からみて当然のルールだ。
ところがこうしたルールから大きく逸脱した放送が実際に行われていた。
現代日本のごく最近の出来事だ。
しかも大量に、洪水のごとく垂れ流された。
有名なジャーナリストやアナウンサー、ニュースキャスターたちも関与する形で。
放送の後で指摘を受けても、「訂正」は行われない。
問題ではないかという話が関係者から出なかったばかりか、お目付け機関も見逃し、指摘を受けても「黙認」し続けた。
こうなったら、自浄作用はない。
もはや「末期的」といえる。
改善は困難だ。
なぜなら、内部にいる人間もお目付け役の人間たちも「聞く耳」をもたないからだ。
日本社会で見られる兆候
■ 「希望格差社会」
若者の職業の不安定化現象に関しては、たひたび報道されている。
しかし、その原因、結果、対策に関して、2つの大きな誤解があるように思える。
一つは、このような雇用の不安定化が生じたのは、日本経済の不況が原因であり、景気が回復すれば、自然と問題は解決するという誤解である。
もう一つは、若者は、企業に縛られることを嫌い、自分のやりたいことをやるために、「好きで」不安定雇用を選んでいるのであり、定職に就かせようなどと考えるのは余計なお節介であるという誤解である。
この2つの誤解は、現在職業世界に起こっている変化が「構造的」変動であることを見落としていてる。
好況と言われる国であれ、不況に陥っている国であれ、若者の職業の状況は厳しいのである。
日本で職業が不安定化しているのは、一時的な不況のせいではなく、産業のシステムの構造変動にその理由を求めなくてはならない。
また、選ぶ自由があるからといって、望む選択肢が実現するとは限らない。
若者に関しては、不安定な職を「選ばざるを得ない」状況に追い込まれている。
若者の意識変化は、そのような状況に適応した結果生じたのであって、その逆ではないことを強調しておきたい。
近代社会においては、仕事は、人間にとって2つの意味をもっている。
一つは、経済的に生活をするために不可欠のものとしての仕事である。
働かなければ収入が得られず、まともな生活はできなくなるという意味での仕事であり、これは、人間史上共通の理解であろう。
それに加えて、近代社会になると、仕事のもう一つの意味がクローズアップされてくる。
それは、仕事が「アイデンティティ」の一つになっているということである。
したがって、現在日本社会で生じている失業やフリーターの増大は、単に経済的生活問題だけではなく、職を失った人や定職に就けない人々のアイデンティティを脅かす要因となっている。
企業や社会から「いてもいなくてもよい存在」であると宣告された人々は、どのように考えるのだろうか。
つまり、社会から見捨てられているという感覚に陥るのである。
その中から、反社会的行動に走る人が出てきてもおかしくない。
そして、現在その兆候が見られるのである。
職業の不安定化は、人々のアイデンティティの問題を介して、社会秩序の不安定化の問題までつながっていくのである。
企業不祥事が起こる兆候とは
■ 「職場いじめ ― あなたの上司はなぜキレる」
不祥事は、よく言われるように、決していきなり起こるわけではない。
もはや、周囲が不祥事を不祥事としてとらえる感覚を失ってしまい、麻痺してしまうことで、大きなトラブルに発展してしまったと考えられている。
裏を返せば、企業不祥事を引き起こす、周囲を巻き込んだモラールダウンは、もはや誰もが意識できないほどに職場の体質と化してしまっているということである。
そして、そのことが大きな事件になった時に、はじめてその職場のモラールダウンが話題になるのである。
不祥事が引き起こされる原因から、それを隠蔽しようとする企業集団の一連の行動は、まさに集団主義の病理としか言いようがないものが多い。
つまり、そこにあるのは、周囲の無責任、人任せが独善的リーダーを生み、イエスマンを生み出した結果起こされた不祥事という集団主義の弊害に他ならない。
会社から放逐されることにでもなれば、まさに路頭に迷わなければならない。
そうした危機に陥らないために企業と個人の間には、まさに自発的に見えながらも、暗黙に働くいくつもの強制力が働いていたと言える。
その強制力とは、具体的には、上司の言うことは絶対であり、絶えず上司の意向を忖度して行動することや、同僚との協調性を最優先して、出しゃばったり目立ちすぎることは避けるなどといったことである。
更に、集団としてのルールを破らないように気を使い、集団の利益に貢献することで、個人の意思を押し殺す、などである。
日本企業では建前はともかく、本音では企業利益のためにウソをついたり、隠し通すという悪しき集団主義は根強く残っている。
不祥事対応などでの、こうしたロイヤリティの高さは依然として求められているからである。
まさしく、企業のために自らの良心を殺す場面はあっても、その企業を告発することなどは考えられない風土が依然としてある。
こうした仲間意識が強い集団は、凝集性の高い集団となって、メンバーが互いにその集団に深く関与しすぎることになってしまいがちである。
そのために、メンバーは集団から仲間はずれにされたり、自分への支持を失うことを極端に恐れるようになる。
この時、メンバーの関心は、自分がことを荒立てて騒ぎにするよりも、メンバー同士の関係を重視する方向に目が向けられてしまうのである。
逆の言い方をすれば、まさに内部告発者は、こうした集団主義の同調圧力をはねのけて告発を行わなければならないことになる。
そこには、まさに出る杭として打たれるという状況が生まれるのだと言ってもいい。
それでは、なぜ、出る杭は打たれるのか。
その理由は、組織を危険にさらす危険性が高まることを恐れる意識があり、内部告発者は組織的なスタンダード(ルール)を破壊すると見なされるからである。
言い方を換えれば、危ない橋でもみんなで渡れば怖くない状態に対して、内部告発者は不安を与えるのであり、組織の秩序を乱すと見なされるからである。
企業が衰退に向かっている警告のサイン
■ 「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
多くのビジネス問題の根本的な原因は、ビジネスとは「人」であることを見失い、ビジネス問題とそのソリューション(解決策)について間違った思い込みを持ってしまうことだ。
「どうしたらもっとよいサービスを提供できるか」と言っていた企業が「どうしたら最も儲かる契約を取ってこられるか」と言い始めたり、「どうしたら人の命を救う薬を開発できるか」と言っていた企業が「どうしたら巨額の利益を出せる薬品を開発できるか」などと言い始めたりしたら、企業が衰退に向かっている警告のサインだ。
お金は成功の指標のひとつにすぎない。
お金は手段にしてもよいが、目的にしてはならない。
お金が目的になってしまうと、価値を付加することがおろそかになり、やがて会社が滅びることになりかねない。
日本社会の安定性が脅かされてしまう兆候とは
■ 「夢をかなえる経営計画」
「組織は、戦略に従う」とはよく言われていることですが、現在でも「業務」が「組織」に従うような愚行を演じている企業も少なくありません。
「組織を変更したい」とき、頭の中には「○○課を減らして・・・」などのことしか浮かんでいません。
また、組織とは、社長が一番上で、役員、部長、課長、係長、一般社員の序列としか考えてない方もいるようです。
この組織は、権限と情報が上部に集中する仕組みであるため、内部を管理しやすい方法としてとられたにすぎないのです。
組織があって目的があるのではなく、目的遂行のために組織はあるのです。
また、社長だから偉い、ということもありません。
組織構成員は各々の役割を演じているだけなのです。
組織にはリーダーは必要ですが、独裁者は必要ではないのです。
企業経営は一人ではできません。
社員や仕入先等の関係者が一つの方向を目指し、力を糾合して初めて成果が出てくるものです。
人はそれぞれ存在意義を持っています。
人だけではない、この世に存在する生きとし生けるものすべて存在意義を持っています。
しかし、往々にして、人はその存在意義を見失いがちです。
企業もまた然り。
経営者も創業当時は、「こんな仕事で社会に貢献したい」と考えていたはずです。
しかし、時の流れとともに、現実の「業務」に埋没し、その「存在意義」を忘れたとき、また、そのことが、社是・社訓として定められているのに単にお題目になってしまっているとき、企業は非常に危険な状態になります。
このような状態に陥っているとき、経営者は外部からの情報を「損得」で考えるようになります。
「損得」で判断するとたいてい失敗します。
判断基準がないから、外部の情報に振り回され、意思決定や経営方針が首尾一貫せず、行動にブレーキがかかり、無駄なエネルギーを空費することになってしまうのです。
もし、これ以上、中小企業の業績が悪化して、雇用を支えられなくなったら、日本の社会の安定性さえ脅かされてしまうでしょう。
現にその兆候は間違いなく至るところで現れています。
兆候・前兆・予兆をとらえるには?組織力や現場力との関係って?
(パート2)
んでー・・・
例えばこんなのからも、一応念のために考えてみるのはどーでしょう?
d(⌒ー⌒)
兆候とは?
○ コトバンク
物事の起こる前触れ。
きざし。しるし。気配。
「兆候・徴候」は、ある出来事が起こりかけているという気配をいう。
前兆とは?
○ コトバンク
何かが起こる前に現れるしるし。
まえぶれ。きざし。
○ コトバンク
「前兆」は、ある出来事が起こる以前にその出現を知らせる、別の具体的な現象の意を表す。
予兆とは?
○ Weblio辞書
未来に起こるべき事柄を予知させる現象。
きざし。前兆。前ぶれ。
兆候・前兆・予兆をとらえるには?組織力や現場力との関係って?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・













などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?




コメント