「問題と課題って、何がどう違うんだろ~??? (;・∀・) 」
「問題って何だろーか?課題って何なんだろーか? (´ε`;) 」
「コレが課題だ!この課題を解決しろ!とかって社内で聞くこともあるんだけど、それって実は課題じゃなくて問題じゃないのかな~??? ( ̄▽ ̄;) 」
「コレが問題だ!とかって社内でよく言っているけど、それって本当に問題なんだろーか???何がどう問題なんだろーか??? ( ̄ー ̄?) 」
「うちの会社って問題だらけなんだよね・・・、問題をようやく解決したと思ったら次の問題が出てきちゃうのってどーしてなんだろ~??? (・・、) 」
「何が問題なのかはわかるんだけど、経営課題が何なのかよくわからないないし、解決策も出てこないんだよね~ ヽ(;▽;)ノ 」
などなど、このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)
んでもって・・・
「売上や利益の向上」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などなどのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
もしかしたら・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なのかも~???
(`・ω・´)
なーんて感じるコトもあるし、それに一見、全然関係ないように思えるかもしれないけど、コレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて、感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、問題っていったい何なんだろーか?
課題って、いったい何なんだろーか?
問題と課題って、何がどう違うんだろーか?
問題と課題って、何がどう関係しているんだろーか?
それが問題なのか問題ではないのかって、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
それが課題なのか課題ではないのかって、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
問題や課題があるって、悪いことばかりなんだろーか?
問題や課題が全くない組織や人って存在するものなんだろーか?
問題や課題って、何のために見つけるんだろーか?
問題や課題って、誰のために見つけるんだろーか?
などなどについて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
問題と課題の違いから気づくことって何だろう?(パート1)
んーと・・・
まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?
o(*⌒O⌒)b
与えられた問題は正しいとはかぎらない
■ 「論点思考」
いわれたとおりの仕事をしたはずなのに、なぜか満足してもらえなかったという経験は多くの方がもっていると思う。
実は多くの場合、間違った問題を解いているために満足させることができていない。
仕事で大事なことは問題を解決することであるのはいうまでもないが、それは正しい問題を解いている場合にかぎるという前提がつく。
学校の勉強であれば、試験の出題者の出した問題を解けばいいので、どちらかといえば正しい解き方、あるいは効率的な問題の解き方が教育の中心になっている。
ましてや国語の問題に数学の問題が紛れ込むことや、「この中には解くべき問題と解いてもしょうがない問題が混ざっているので自分で判断しなさい」なんてことは絶対にない。
ところが、ビジネスの世界では誰も「あなたが解くべき問題はこれである」と教えてくれない。
たしかに、はじめのうちは上司がこの課題を解決しなさいと指示してくれるが、徐々に自分で課題が何かを考えて、その解決方法も自分で考える必要が出てくる。
上司がいても、本当に正しい問題を与えてくれるかどうかもたしかではない。
企業は数え切れないほど多くの問題を抱えている。
そして、それらをすべて解決しようと思っても、時間もなければ人も足らない。
仕事には期限があり、こなすことができる工数もかぎられている。
その中で解くべき問題の候補を拾い出し、その中から正しく選択し、解いて成果をあげなければならない。
成果をあげるには問題選びが大切であることはおわかりいただけると思う。
与えられた問題は正しいとはかぎらない。
与えられた問題をそのまま解いても正解にはつながらない可能性がある。
たいして成果があがらない可能性もある。
つまり問題をあなたにもちかけた人のためにもならないのである。
論点を与えられたときには、つまりなにか命令を受けたときには、まず与えられた問題を疑うことから始めるべきだ。
一般的に問題点と呼ばれるものの多くは、現象や観察事実であって、論点でないことが多い。
現象を論点ととらえて問題解決を図ろうとしても、多くの場合、成果はあがらない。
一般的には問題といわれるものであっても、その会社にとっては論点ではないことも多い。
問いの設定が正しく行なわれていれば、成功は半ば保証されたようなものである。
逆に問いの設定が間違っていれば、その後の戦略の策定・実行をいくら精緻華麗に行なったとしても、もともと方向性が間違っているのだからよい結果につながるはずがない。
まず「自分の組織の中に問題点があるのでは」と考えてみること
■ 「なぜ会社は変われないのか」
組織で仕事をしたことがある人なら一度や二度は「どうせ言ってもムダだろう」とか「言い出しっぺが損をする」と感じたことがあるのではないだろうか。
じつは、組織の中では「まあ組織とはこんなものなんだ」という「大人の悟り」「一種のあきらめ」がお互いを牽制し合う力になって働いている。
まだ組織が小さかったり、組織が生まれて間もない頃は、お互いに協力し合わなければ仕事が成功しないことをみんな暗黙のうちに知っている。
そこでは、対立し合ったりしながらも、それなりに「協力し合う」ことがお互いの了解事項となっている。
この「協力し合う」という了解事項が、しだいに「協調し合う」ことに変質しやすいのが組織、特に日本的組織の特徴でもある。
余計な波風を立てずに「なあなあ」で物事を納めていくことによって安定している組織は、良い組織のイメージそのものである。
ただ、この「協調する」という了解のほうが主流になると、しだいに
「本当のことを言わない」
「言ってもムダ」
「言わないほうが得」
というような体質をつくっていく。
組織にも人間と同じように成人病がある。
それは人間の場合よりもより確実に、年をとるにしたがって組織を侵してゆく病気なのだ。
「言ってもムダ」というような牽制作用が組織の中で大きな意味をもつような安定的状態というのは、一種の組織の老化現象である。
「前例を大切にする」
「上の顔色を窺い読んで期待に応える」
「いつも『頑張るぞ』と言い続けて前向きの発言を繰り返す」
「上の意向には直に反応し、下には厳しく取り立てる」
そういう環境下では、人は問題を見つけても
「自分だけが言っても仕方がないからあきらめるか」
「解決するために努力をしようか」
をてんびんにかけて考え、前者を選択することが多くなる。
つまり、自分の力で問題を解決しようとする力がしだいに弱まる。
全体としてみればこういう組織では、人間は言われたことしかやらなくなるから、人に指示を与えたり管理したりする機能がしだいに肥大化する。
つまり、管理機構が肥大化し、スタッフが肥大化する。
そして、そういう組織に入ってくる若い人たちはしだいに何も発言しない、上から見ると元気のない社員になってしまう。
若い人に対して「元気がない」「何も発言しない」「発言するのはどうでもよいことだけ」という問題意識をもっておられる方には、それを嘆く前に、まず「自分の組織の中に問題点があるのでは」と考えてみることをお勧めしたい。
問題を解決するには、「問題は何か」がわかっていなくてはならない
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
本当は問題があるのだが、誰も気づいていないために解決されない、ということはよくあることだ。
「問題の芽」は多くの場合、隠れたままで、外からは気づかれないような状況になっていることが多い。
ということは、問題を解決し、改善しようと思えば、
「問題は何か」
「問題はどこにあるのか」
がわかっていなくてはならない。
問題がまだ起きていない段階で、その芽を見つけるのも大事なことだが、いつもそれができるとはかぎらない。
つまり、問題が起きることで、ようやくその問題に気づく、というのはよくあることなのだ。
大きな問題が本当に「起きてしまう」と、多くの場合、マスコミをにぎわすような事件になるから、リスクも大きくなる。
そうしたことはできれば避けたい。
しかし、注目すべきは、こうした大きな問題が出てくる前に、ほとんどの場合その前兆である小さな問題が顔を見せている、ということだ。
問題が出てこないよう厳しく管理する姿勢は行き過ぎると、小さな問題を出しにくくする傾向をもたらす。
問題が出てきたら厳しく叱り、二度と出さないよう反省文を書かせたり、「日勤教育」のような特別な研修に送り込んだりすることでは、問題は解決しない。
そういうことをすればするほど、かえって問題が表に出にくくなるからだ。
「問題はないほうがいい」という考え方を持っていると、どうしても問題を表ざたにするのを嫌うようになる。
しかし小さな問題を無視し続けていると、それらの小さな問題は内部で発酵しながら増殖し、身体が弱ったときに発病する。
大きな問題が「起きて」しまうのだ。
問題があること自体を問題と考えてはいけない。
どんな組織にも問題はあるのだから。
問題があることが問題なのではない。
問題が見えてくること自体はきわめて望ましいことなのだ。
日本人がかつて持っていた会社へのロイヤリティは、急速に薄れてきている。
終身雇用で守られていた時代には、一応、まだ帰属意識だけは残っていた。
しかし、請負や人材派遣が当たり前の状況の中で閉塞感が蔓延し、会社に対するロイヤリティの低さは、すでに世界でも最低クラスになっている。
事故や不祥事が頻発し、内部告発が盛んになる温床は十分にでき上がっているのだ。
もし、このことに危機感を持たない経営者がいるとしたら、その人はすでに経営者失格と言っていいだろう。
押し付けの研修をいくらやっても、この種の問題は決して解決できない。
理念や方針をお題目のように唱えても、なにも変わらないだろう。
こうした状態でいつまでも会社がもつとは考えないほうがいい。
きちんとケアしていない多くの企業は、必ずそのツケを払うことになるのだ。
我々の意識は問題そのものに向きすぎている
■ 「すべての仕事は[逆]から考えるとうまくいく」
企画、改善案、改革案、そういったものの実に多くが、具体的な目標や理想を固めないままスタートしている。
しかし、どこへ向かうべきかわかっていないということは、問題に対する解決策も見つからず、結果への評価もできないということではなかろうか。
目標をシェアしないままプロジェクトが発足することは、本当によくあるケースだ。
次に問題なのは、仮に目標が設定されている場合でも、具体的で測定可能なターゲットや理想が定められていないことだ。
「最適化する」「前進させる」「増強する」「成長させる」などといった曖昧な表現に終始しているケースである。
具体的な目標を設定したりシェアしたりできないより根深い原因は、我々が問題のほうを重要視するよう叩き込まれていることだ。
実際、我々の意識は問題そのものに向きすぎている。
これは実に悲しむべきことである。
というのは、問題と永遠に取り組み続けることよりも、目標を達成することのほうが人はモチベーションをはるかに上げるからだ。
一連の徒労は、可能性のある解決策よりも、問題そのものを中心に考えるから起こる。
解決したい問題は、そもそもどのようにして見つけたらよいか
■ 「90分で学べるIT提案力」
問題解決のための技法は、よく話題になることがあります。
さまざまな技法が存在し、実務でよく利用されているものもあります。
しかし、問題解決の前に私たちは大切なことを考えておかなければなりません。
それは、解決したい問題は、そもそもどのようにして見つけたらよいかということです。
これが意外に難しいのです。
最も重要なことは「現状などいくら見ていても、現状だけを見ていたのでは問題点は見えてこない」ということなのです。
現状はただの事実であって、それだけでは良いも悪いもないのです。
「こうしたい」という理想なりあるべき姿を描き、それと現状を比較したときに初めて問題点が見えてくるのです。
よく、「現状を調査して問題点を整理する」という言い方をしますが、一方で「あるべき姿」を描いていなければ、問題を見つけることなどできないのです。
「減点主義」ではうまくいかない
■ 「パラダイス鎖国」
日本では、「食うに困らぬ豊かな時代になって、若者にハングリー精神がなくなった」と発言する人が多い。
しかし、それは若者にはどうすることもできない。
今から産業を崩壊させたり、戦争を起こしたりして、貧乏に戻るのがいいのかというとそんなことはないだろう。
いまの日本には、物理的な「惨めな状況」や「飢えて死ぬ」ということはめったになく、この種のネガティブな状況の克服といったインセンティブは働きにくい。
逆に、今後は「これをすればよいことがある」というポジティブな発想から生まれるインセンティブへと、社会の仕組みを変えていかなければならない。
特に、欠点も多いが優れた異才があるというプチ変人を育てようと思ったら、「減点主義」ではうまくいかない。
豊かな時代が悪いのではなく、こういう状況下でのインセンティブ設計のノウハウが日本にはあまりないことが問題なのである。
問題には、現象問題と本質問題の2つがある
■ 「経営者の手帳」
元気のない企業の経営者は、「問題は内にではなく外にある」と言う。
自社の業績悪化をもたらしたのは、企業自身やその経営の進め方といった内なる問題ではなく、悪い経営環境、つまり外にあるというのだ。
その重大な問題として挙げるのが、次の5つである。
- 景気が悪い(不況をもたらした政策が悪い)
- 自分が籍を置く業種、業態が悪い
- 規模が小さい(小さい会社が生きられない社会経済環境やその政策が悪い)
- 自社のロケーションが悪い(商圏人口が少なすぎる)
- 大型店・大企業が悪い(市場を奪ってしまった大型店や、一方的に圧力をかけてくる大企業が悪い)
こうした経営者の時代認識や問題の所在認識は、決定的に間違っている。
誤解・錯覚・甘えもはなはだしいと言うしかない。
どんな業種であれ、どんな小さな規模であれ、またどんな不便なロケーションに立地する企業であれ、大型店や大企業、さらには好不況をものともしない元気な企業が山ほどあるからだ。
それら元気な企業の存在は、問題は外にではなく、明らかに内にあるということを教えてくれる。
問題には、その発生要因により、現象問題と本質問題の2つがある。
現象問題とは、なんらかの原因によって発生した問題ある現象・状態であり、本質問題とは、その現象を生じさせた根本的な問題である。
やっかいなことに、この2つの問題は見え方がそっくりであるため、その対処を誤りがちだ。
たとえば、私たちが高熱を発した場合で考えてみよう。
いくら額を氷で冷やしても、さっぱりよくならないことがある。
高熱の原因は、風邪かもしれないし、その他の重大な内臓疾患かもしれない。
その根本的な原因の治療に取りかからない限り、体調は回復しない。
日本が直面している問題
■ 「新・日本の経営」
日本は、そう簡単には理解できない矛盾した性格をもっている。
一方では、日本はきわめて豊かで、類をみないほど社会が健全な国である。
社会がこれほど洗練されている国は珍しい。
人々は誰にも強制されることもなく、礼儀正しくふるまっている。
国際政治の舞台でも、他国の政治に干渉しようとせず、武器を輸出せず、軍事力を行使すると脅すこともなく、経済支援と人道支援を世界各国に提供している。
だが他方で、日本はつねに自国を卑下している。
自国にほとんど誇りをもてないようにみえるし、世界のなかでの自国の地位に確信がもてず、自国について語るときは控えめな言葉を使い、海外では否定的に描かれることが多い。
世界には誇張のタネがきわめて多いが、日本社会には民族、宗教、階級の違いで社会対立の大きな源泉になるものはとくにない。
波風がたたないわけではなく、見方や考え方の違いはあり、対立が爆発する場合もある。
だが、社会が混乱することは少なく、抗議行動やデモは規模が小さいし、激しいものにならない。
ほぼどの指標でみても、経済と社会は異例なほど健全だ。
したがって、日本人が自国にそれほど誇りをもっていない点が、ますます不思議に思えてくる。
日本が直面している問題のうちもっとも深刻な点は、この自信のなさ、とくに若者の無気力だともいえる。
日本人はいつも将来を悲観的に、現状を否定的にみており、事実を客観的に分析すれば根拠がないことがはっきりしていても、こうした見方が根強いのがたしかな現実である。
その一因は、自分や身内について謙遜する日本の常識にあるのかもしれない。
日本語で夫か妻、子ども、自宅、仕事、国を自慢するのはむずかしく、自慢すれば奇異な印象をもたれる。
他国の人たちは逆に、外国人の前で自国を批判したり、他人の前で身内を批判したりするのをためらうのがふつうであり、たいていは自慢したがるものだ。
日本人はこうした自慢が不得意だ。
日本人が自国を否定的にみる理由がどこにあるにせよ、もっと肯定的な見方を示し、それによって日本の実情をもっと正確に描いて政策を決定していけば、誰にとっても利益になるだろう。
「問題」をどのようにとらえればいいのか
■ 「小さなサービスで大きく売り上げる売れる仕組み」
問題という言葉をよく使いますが、「問題」をどのようにとらえればいいのでしょうか。
まず、現状のあるべき姿と現実との差異を「問題」ととらえます。
次に現在のあるべき姿の差異を「問題」ととらえることです。
第3には、どうやって将来のあるべき姿に到達することができるかという、その過程が「問題」となってきます。
つまり、問題を3つに分けて把握し、それぞれに対応する解決策を検討するわけです。
あるべき姿をつくるということを最優先に考える必要があります。
あるべき姿そのものが、低レベルということなれば、それは問題が問題ではなくなっているのです。
「困っていること」を問題と混同しているだけ
■ 「問題」と「困りごと」を勘違いするマネジャー
「あなたの組織の問題は何ですか」と質問すると、沢山の返答があります。
皆さん、活発に議論をしてくれます。
ところが、「それではその問題が解消された、あるべき姿はどうなりますか」と質問すると、急に皆さん黙ってしまうのです。
あれほど雄弁に述べた問題とは因果関係のない、あるべき姿を言い始める始める人もいます。
問題も解決策も言えるのに、どういう姿になったら問題が解消されたと言えるのか、という問いに答えられない。
こういう人は問題を正しく捉えていません。
「困っていること」を問題と混同しているだけです。
何が問題なのかぜんぜん分からない
■ 問題の名称をわかりやすく変更しよう!
世の中で「問題だ! 問題だ!」と言われてても、何が問題なのかぜんぜん分からないコトが多いんだよね。
たとえば、
東京一極集中が問題だ!
って、何が問題なの?
限界集落が問題だ!
ってのも、何が問題なのかな。
地方の自治体の多くが消滅するのが問題だ!
コレも何が問題なのかよくわかんない。
少子化が問題だ!
WHY ?
問題って、もうちょっと本質がよくわかるような名称で呼んだほうがいいと思うんだよね。
たとえばこんな感じで・・・
大事なことは、
- 問題を問題と認識し
- 問題を解決するためにはなにをすればいいのか
という方向で思考することです。
問題を「仕方のないこと」「我慢しよう」と考えてしまい、「できない理由」ばかり声高に叫ぶ人が増えてしまうと、世の中は進歩しない。
面倒なこと、理不尽なこと、大変すぎることに関しては、「これってちょっと変じゃね?」って声に出していいましょう。
そして可能なら、個人としてどんどんそれらを避けましょう。
ひとりひとりがそうすることで、問題解決への道が拓けるのです。
問題とは、「あるべき姿」と現状とのギャップ
■ 「論理思考の「壁」を破る」
問題解決に取り組む際には、問題の設定自体が適切か否か、確認しなければならない。
そもそも問題とは、本来的かつ将来的な「あるべき姿」と、現状とのギャップである。
したがって、あるべき姿と現状を正しく認識することが、問題設定の大前提になる。
たとえば、「転職したい。すべきか否か」という問題が自分の中で湧いていてたとしよう。
転職斡旋会社に連絡を取ったり、他社に履歴書を送ったりする前に問題設定が適切かどうか考えてほしい。
自分が求めているのは「会社を変える」ことなのか、「仕事を変える」ことなのか。
もし後者であれば、転職以外に、いまの会社で配置転換を希望するという解決策も出てくる。
また、いま転職することはライフプランから見て適切だろうか、という時期についての疑問が湧くかもしれない。
また価値観として、自分の幸せと家族の幸せのどちらを優先すべきか迷うはずだ。
つまり、いろいろ視点を変えて、自分が望んでいることと、本当の問題は何かということを考え直せば、違う問題設定ができるのではないだろうか。
たとえば、
「自分が何を求めているか、優先順位はどう考えているのかが自分でもわかっていない」
ことが問題であり、自分が将来どんな人間になりたいか、どんな生活を送りたいのかといったことを考えておくべきだったことに気づくかもしれない。
初めて取り組む課題にぶつかったとき、だれしもすぐに解決方法を考えつくわけではない。
考え込むところから始まるのはすべての人に共通したことだ。
しかしそこからは、いいかげんな答えを出す人、もっともらしい答えを出す人に二分されていく。
この差はどこから出てくるのだろうか。
往々にして、感情で決めたり先入観や慣習に基づいて思考停止に陥ったりすると、答えがいい加減になる。
誤った思考プロセスと判断によって結論を出していることを自覚していない場合も多々ある。
だから答えが怪しいと思った場合は、
- ひたすらWhy?(なぜ?)
- So What?(だから何だ?)
を自問自答したり、ほかの人が言っている場合は角が立たないようにWhy?So What?と聞いてみてほしい。
「いいかげん」な答えは客観性に乏しく、Why?とSo What?の繰り返しに弱い。
一方で、確かな答えはWhy?とSo What?に強い。
問題から結論に至るまでのストーリーが正しいロジックで成り立っているからだ。
「論理的に考える」ということは、目の前にある情報・ファクトの材料から、客観的に確からしい仮説を立て、それを確認していくという、一連のプロセスを何回も重ねることである。
そして、正しい論理でつながっているストーリーができあがるのだ。
課題をまだ見つけていない人のために
■ 「経営の未来」
「自分の会社は本当に前例のない課題、他社の経験を参考にはできない課題に取り組んだことがあるだろうか」
と、自問していただきたい。
課題をまだ見つけていない人のために、探索の的を絞る助けになる問いをいくつか記してみよう。
- あなたの会社がこの先直面することになる新しい課題は何か。
あなたの会社のプロセスや慣行を破壊点に至らせそうな新しい不連続は何か。
いますぐ取り組み始める必要がある「明日の問題」は何か。 - あなたの会社がうまくやれそうにない難しい両立課題は何か。
重要なトレードオフがあるか。
なんとか「両立」させたいと思っている歯がゆい「二者択一」は何か。 - あなたの会社の理論と現実のギャップのうち、最大のものは何か。
あなたの会社が実現に最も手こずっている価値は何か。
あなたの会社が掲げている理想で、深く埋め込まれた能力にしたいものは何か。 - あなたは何に憤りを感じているか。
あなたの会社や他の似通った組織を苦しめている腹立たしい無力さは何か。
「できる」に変える必要がある「できない」は何か。
問題と課題の違いから気づくことって何だろう?(パート2)
んでもって・・・、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、こんなのからも一応念のために考えてみるのはどーでしょう?
( ̄▽ ̄゛)
問題とは?
○ コトバンク
- 解答を求める問い。試験などの問い。
- 批判・論争・研究などの対象となる事柄。解決すべき事柄。課題。
- 困った事柄。厄介な事件。
- 世間が関心をよせているもの。話題。
○ Weblio辞書
- 答えさせるための問い。解答を必要とする問い。題。
- 取り上げて討論・研究してみる必要がある事柄。解決を要する事項。
- 取り扱いや処理をせまられている事柄。
- 世間の関心や注目が集まっているもの。噂のたね。
- 面倒な事件。厄介な事。ごたごた。
課題とは?
○ はてなキーワード
課題とは、課せられた問題。
○ コトバンク
- 与える、または、与えられる題目や主題。
- 解決しなければならない問題。果たすべき仕事。
○ Weblio辞書
- 仕事や勉強の問題や題目。
- 解決しなければならない問題。
問題と課題の違いから気づくことって何だろう?(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「うぉー・・・、今のやり方じゃー逆効果なのかも・・・ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
ううーむ・・・
「問題」「課題」の意味や違いから気づくこともあれば・・・
「問題」「課題」の意味だけを見ていても・・・
「問題」と「課題」の違いだけを見ていても・・・
気づけないこと、気がつかないこともある
んじゃーないかな~???
( ´・ω・`)
もしかしたら・・・
目的や目標が不明確だと・・・
何が本当の「問題」なのか、
何を基準に、本当の「問題」をどう見つけたらいいのか、
何からどうやって「課題」を考えたらいいのかわからなくなってしまう
コトだってあるんじゃーないのかな~???
( ̄  ̄;)
それにね・・・
問題と課題の違いを知ることとか、問題や課題を見つけることとかそのものは・・・
目的にはなり得ない
んじゃーないかな~???
不平や不満なんかと、もしかしたら似ている面もあるかもしれないけど・・・
(。・ ・)
問題と課題の違いを知るだけで終わってしまったり
問題や課題を見つけることだけで終わってしまったり
「問題だー!!」と言うだけで終わってしまったりするのは・・・
あまりにももったいない
なーんて ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ もったいなーい
のかも~???
d(⌒o⌒)b
なーんて感じることもあるんですけど・・・
どっ・・・、どーでしょう???
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ヽ( ゜Д゜)人(゜Д゜ )ノ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません? (〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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