「主観と客観の違いって何だろ~? ( ̄○ ̄;) 」
「主観と客観の関連性って何だろ~?客観性と主観性って何か関係しているのかな~?関係しているとしたらどう関係しているんだろ~? (; ̄ェ ̄)」
「主観と客観って逆の意味なのかな~?対義語ってことなのかな~? ( ̄ー ̄?) 」
「主観と客観って相反するものなのかな~?そうじゃないような気がしなくもないんだけど、実際のところどーなんだろ~??? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
「主張と主観って同じ意味なのかな~?客観的な意見であっても主張することってあるんじゃーないのかな~? (´・ω・`) 」
「たとえ主観的な考えであっても、例えばエビデンスとか客観的なデータとかをプラスして主張することによって説得力が増すだろーし、納得感も得られるような気がしなくもないんだけど・・・??? (´ε`;) 」
「自分で考えたり意見を言ったりするのって主観だと思うんだけど、主観的な意見を言ったり聞いたりするメリットやデメリットって何だろ~? ( ̄∧ ̄ ) 」
「客観的な意見って自社とは関係のない第三者が言うもののような気がするんだけど、客観的な意見を聞くメリットやデメリットって何だろ~? ( ̄・・ ̄)」
「どんな組織だったら、主観的な視点しか持てなくなっちゃうものなんだろ~??? ( ゜Д゜) 」
「どんな組織なら、客観的な視点が持てるものなんだろ~??? ( ̄‥ ̄;) 」
「自社のこととか自部門のこととかもそうなんだろーけど、当事者だとどーしても主観的に考えてしまいがちだと思うんだけどさー、んじゃー、どーしたら当事者でありながら客観的に考えられるんだろ~? ( ´△`;) 」
「当事者が客観的な視点を持つのってムリなのかな~?当事者が客観的に考えたり客観的な視点を持ったりするには、何をどーしたらいいんだろ~? σ( ̄∇ ̄;) 」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「三方よしの経営相談」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
主観と客観の違いや関連性って何だろう?(パート1)
んーと、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんなのから、主観と客観の違いや関連性などについてまずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
主観だけに基づいて何かを主張する場合と、客観的なデータや情報を提示しつつ主張する場合の違いを比較してみると気づくことって?
例えば・・・
「私はこう思う」
「私はこう感じる」
「私はコレが問題だと思う」
「私はこうするべきだと思う」
「私はこうしなければならないと思う」
「私はコレが正しいと思う」
「私はコレが間違っていると思う」
などなどと、話し手が何かを主張したとするっす~。
何せ「主観」なので、話し手が何をどう主張しよーが、話し手のある意味勝手っちゃー勝手っす。
だけど、その主張はあくまでも話し手の主観だけに基づく意見とか考えとかですよね~。
つまり、話し手だけが思っていることや感じていることを、何の根拠もなくただ主張しているって場合もありますよね~。
主観に基づいたその主張を納得して受け入れるか受け入れないか、何の疑問も持たずに鵜呑みにして信じ込むか信じないかってのは聞き手の判断ですよね~。
つまり、聞き手がどーするかは、それもまた聞き手の主観に基づいて判断するってことになっちゃうんじゃーないでしょーか。
んじゃー、もしも話し手が客観的なデータやら情報やらを提示しつつ主張したとしたらどーでしょう?
聞き手の受け止め方も変わって来る場合もあるんじゃーないでしょーか?
( ̄∀ ̄)b
客観的なデータや情報を集めたつもりでも、客観的とは思ってもらえなくなってしまう場合って?
「じゃあさー、資料をいっぱいかき集めて見せたら説得力もあるだろーし、納得してもらえそーじゃーんっっ♪ O(≧▽≦)O 」
「よぉーしっっ、いっぱいカキカキしてキレイにまとめちゃおーっと♪ ((((* ̄  ̄)ノ 」
などと思い、話し手ががんばって資料を集めたとするっす~。
でもねー・・・、話し手としては資料をいっぱい集めても・・・
聞き手がその資料を見ても意味不明だったり、客観的なデータや情報とは思えなかったり、どっちかってゆーと結論ありきで話し手が主観で集めたデータや情報に見えちゃったりする場合もあるんじゃーないでしょーか?
そーゆー状況で、話し手が客観的と称するデータや情報を提示しつつ主張した場合、聞き手はどんな風に受け止めるんだろ~???
聞き手が主観に基づいて判断する時に、特に何が影響を及ぼすんだろ~???
話し手が話す内容の方が、聞き手の判断に影響がよりがあるんだろーか?
それとも、話し手が提示したデータや情報の方が、聞き手の判断に影響がよりがあるんだろーか?
なーんて疑問も浮かんで来ちゃったりなんかしません?
(⌒▽⌒)ノ
データや情報を客観的な視点で見て納得できる場合って?
例えば、聞き手の判断に影響がよりがあるのは、話し手が提示したデータや情報の方だとするっす~。
そーゆー時の聞き手は、話し手が提示したデータやら情報やらを客観的な視点で見て判断しているってことでもありますよね~。
んでー、話し手が提示したデータやら情報やらを、聞き手が客観的な視点で見て、それでもしも納得できたとしたら・・・
話し手が話す内容に納得できる場合って、あるんじゃーないでしょーか?
(=´∀`)人(´∀`=)
聞き手が納得しやすい客観的なデータや情報って何だろう?
聞き手が納得しやすい客観的なデータや情報って何だろーか?って考えてみると、例えばこーんな風に、視覚的に見てわかりやすいデータやら情報やらを思い浮かべるんじゃーないでしょーか?
もしも話し手が、そーゆーデータや情報を提示しつつ話したとしたらどーでしょう?
話し手が提示したデータやら情報やらを聞き手が客観的な視点で見て、もしも納得できたとしたら・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
話し手が話す内容にも納得できる場合って、あるんじゃーないでしょーか?
(  ̄▽)爻(▽ ̄ )
視覚的に見てわかりやすいデータや情報でも聞き手が納得しにくい場合って?
だけど、聞き手にとってどんなに視覚的に見てわかりやすいデータや情報であっても・・・
話し手にとっては客観的なデータや情報のつもりであっても、聞き手にとっては客観的なデータや情報とはどーしても思えなくて、違和感とか疑問とかをどーも感じちゃうって場合もあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
( ̄  ̄;)
視覚的に見てわかりやすい客観的なデータや情報であっても、聞き手の主観が勝って納得できなくなっちゃう場合って?
聞き手の主観では、例えばこーんな風に話し手の姿が見えていたとするっす。
こんな状況だとしたら、話し手はどんな反応をしちゃうんだろ~???
視覚的に見てわかりやすい客観的なデータや情報を提示しながら、話し手が理路整然とわかりやすく丁寧且つめっちゃ親切に話していたとしても、聞き手の主観としてはどう感じちゃうものなんだろ~???
さらにさらにぃ~・・・
聞き手には、こーんな風に見えていたとしたらどーなっちゃうんだろ~?
なーんて疑問も感じちゃったりなんかしません?
(((( ;゜д゜))))
主観と客観の違いや関連性って何だろう?(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド、主観と客観の違いってそーゆーコトだったのか・・・!? ( ̄▽ ̄;) 」
「主観と客観は逆の意味だろーし、主観と客観に何の関係もないと思っていたけど、主観と客観の関連性って、そーゆーコトだったのかも・・・!? w( ̄△ ̄)w 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「話し手が主観で何を主張しよーと、その人が考えていることを言うだけだから何を言おうが勝手っちゃー勝手なんだろーけど、聞き手がその人の話をどう判断するかも主観になっちゃうんだよねー・・・ (;´д`) 」
「社内でやる会議なんかもそうなんだろーけど、お互いに主観だけで話したり判断したりするより、お互いに客観的なデータや情報を元に話したり判断したりした方が効率もいいだろーし、感情的にもならずに済むってコトなのかも・・・!? (ーー;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「視覚的に見てわかりやすいデータや情報だと疑問を感じなくなっちゃうし、つい鵜呑みにしちゃうもんなー・・・、鵜呑みにしちゃう原因って何だろ~??? ( ゜Д゜) 」
「客観とか主観とか以前の話で、もしかしてリテラシーの問題なんだろーか???それとも権威に弱いってコトなんだろーか??? (´・ω・`) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社では、思いっきりあるあるなのかも・・・!? (´Д`lll)」
「社長や上司が怖いって感じていると、たとえ客観的なデータや情報を提示しながらわかりやすく説明されても、納得するどころか恐怖しか感じられないもんなー・・・ (((( ;゜д゜)))) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーだそーだ!主張するなら主観だけじゃーなくちゃんと客観的なデータや情報を見せろっちゅーに!!エビデンスぐらい示せっちゅーに!! ヽ(`⌒´メ)ノ 」
「やかましいわ!社長や上司が言うことが絶対的に正しいんだから主観も客観もクソもあるかー!!誰に食わせてもらっていると思っているんだ!?ぐだぐだ文句ばっか言っていないで、とっとと納得しろっちゅーに!! ( ̄" ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー、ちょっくら視点を変えてみて・・・
例えばこんなのからも、主観と客観の違いや関連性などについて考えてみるのはどーでしょう?
o(*⌒O⌒)b
社内の人間の主観では見えないし気づけないけど、その会社に関係のない第三者が客観的な視点で見ると気づくことって何だろう?
んーと、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないけど・・・
社内ではそれが普通だし一般的だし当たり前だし、それが常識だよねーって思いこんでいることってあるんじゃーないでしょーか?
だけど、その会社に関係のない第三者が客観的な視点で見てみると・・・
それって、本当に普通なんだろーか?
本当に、それって一般的だし当たり前なんだろーか?
本当に、それって常識なんだろーか?
なーんて感じる場合もあるんじゃーないかな~???
良くも悪くも、そーゆー場合ってあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
こーゆーのも、一種の「主観」と言えるんじゃーないかな~???
社内の人間の主観だけでは、気づかないことってあったりなんかするんじゃーないかな~???
例えば、自社の強みとか経営資源とかもそうなんじゃーないかな~???
第三者が客観的な視点で見ると、その会社の強みとか経営資源とかがいっぱいあるように見えるんだけど、その会社が気づけていない強みとか経営資源とかもあるんじゃーないかな~???
その会社が弱みだと思っていることであっても、第三者が客観的な視点で見ると、弱みでも何でもない場合もあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
ヾ(*´∀`*)ノ
日本国内の人間の主観では見えないし気づけないけど、海外の人などの第三者が客観的な視点で見ると気づくことって何だろう?
んーと、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないけど・・・
日本国内ではそれが普通だし一般的だし当たり前だし、それが常識だよねーって思いこんでいることってあるんじゃーないでしょーか?
だけど、海外の人などの第三者が客観的な視点で見てみると・・・
それって、本当に普通なんだろーか?
本当に、それって一般的だし当たり前なんだろーか?
本当に、それって常識なんだろーか?
なーんて感じる場合もあるんじゃーないかな~???
良くも悪くも、そーゆー場合ってあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
こーゆーのも、一種の「主観」と言えるんじゃーないかな~???
日本国内の人間の主観だけでは、気づかないことってあったりなんかするんじゃーないかな~???
例えば、日本の良さとか日本人ならではの強みとかもそうなんじゃーないかな~???
海外の人などの第三者が客観的な視点で見ると、日本の良さとか日本人ならではの強みとかがいっぱいあるように見えるんだけど、日本国内の人間が気づけていない日本の良さとか日本人ならではの強みとかもあるんじゃーないかな~???
日本国内の人間が弱みだと思っていることであっても、海外の人などの第三者が客観的な視点で見ると、弱みでも何でもない場合もあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
(* ゜ー゜)
社内の人の主観で見える自社の状況と、その会社に関係のない第三者の客観的な視点から見える状況の違いって何だろう?
社内の人の主観では自社の状況について、例えばこーんな風に感じているとしても・・・
だけど、その会社に関係のない第三者が客観的な視点では、実はこーんな風に見えている場合もあるんじゃーないかな~???
社内の人の主観では、見えないことや気づかないことってあったりなんかするんじゃーないかな~???
第三者の客観的な視点だからこそ、見えることや気づくこともあったりなんかするんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
(* ̄  ̄)
日本国内の人の主観で見える日本の状況と、海外の人などの第三者の客観的な視点から見える状況の違いって何だろう?
日本国内の人の主観では日本の状況について、例えばこーんな風に感じているとしても・・・
だけど、海外の人などの第三者の客観的な視点からは、実はこーんな風に見えている場合もあるんじゃーないかな~???
日本国内の人の主観では、見えないことや気づかないことってあったりなんかするんじゃーないかな~???
第三者の客観的な視点だからこそ、見えることや気づくこともあったりなんかするんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
o(*⌒―⌒*)o
当事者の主観では見えないし気づけないけど、第三者の客観的な視点だからこそ見えることや気づけることって何だろう?
もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないけど・・・
そーゆー風に考えてみると、もはや絶体絶命!!万事休す!!崖っぷち!!詰んだ!!終わった!!などと感じている状況であっても・・・
だけど、第三者の客観的な視点では、実はこーんな風に見えている場合もあるんじゃーないかな~???
絶体絶命!!万事休す!!崖っぷち!!詰んだ!!終わった!!などと感じている当事者の主観では、見えないことや気づかないことってあったりなんかするんじゃーないかな~???
第三者の客観的な視点だからこそ、見えることや気づくこともあったりなんかするんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
v(* ̄▽ ̄*)
主観と客観の違いや関連性って何だろう?(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「ふぅーむ、ナルホド・・・、主観と客観の違いとか客観的な視点が必要な時とかってそーゆー時なのかも・・・!? ( ̄∀ ̄)」
「社内の人間の主観だけでは見えないこととか気づけないこととかがあっても、第三者の客観的な視点だからこそ見えることとか気づけることとかってあるのかも・・・!? ヾ(*´∀`*)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自社の強みって、その会社の人間にとっては普通だし当たり前になっちゃっているからか、なかなか気づけないもんなー・・・ σ( ̄∇ ̄;) 」
「日本の良さとか日本人ならではの強みとかと同じで、日本国内に住んでいる日本人は意識しないし気づけないことがあるけど、海外在住の日本人とか外国人とかだったら気づけることがたくさんあるもんなー・・・ ( ̄◇ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「社内の常識、世間の非常識って言うし、だからこそ客観的な視点が必要になるのかも・・・!? ヾ(´▽`;;)ゝ 」
「その会社の企業文化とかその部署の組織風土とかに染まっていない第三者だからこそ、当事者ではないからこそ客観的な視点でその会社を見られるのかも・・・!? ( ̄∧ ̄ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
で・・・、上記を踏まえた上で次に・・・
例えばこんなのからも、主観と客観の違いや関連性などについて考えてみるのはどーでしょう?
(〃⌒∇⌒)ゞ
欲求や価値観と主観との関連性とは
■ 「「すみません」の国 」
欲求や価値観がものごとの見え方を左右することが、心理学実験によって実証されている。
たとえば、昼食後の満腹時の人たちと、朝食を抜いて昼食を控えた空腹時の人たちを対象に、うまそうなステーキのスライド写真を見せる実験をすると、空腹時の人たちの方がステーキが近くにあるように感じている。
また別の実験だが、さまざまな曖昧な形をスライドで見せると、空腹時の人たちの方が食べ物に見えることが多い。
あるいは、同じ人物が、5つのグループの人たちに対して、学生、実験助手、講師、助教授、教授というように別々の地位のもとに紹介され、おおよその身長を判断させるという実験がある。
各グループごとに推定された身長の平均値を算出したところ、地位が高く紹介された場合ほど、身長が高く推定されていることがわかった。
価値があると思うと大きく見えるというわけだ。
身長のような物理的なものの知覚でさえ、これほど主観的なのである。
普段の私たちのものごとの見方がいかに主観的なものであるかは、容易に想像がつくだろう。
どんなものごとも多義性をもつこと。
そして、視点によってものごとの見え方が違う、つまりものごとのもつ意味が異なること。
そうしたことをうっかり忘れると、自分だけが正しいという思い込みが頭をもたげ、自分と違った見方をする人を否定したり、攻撃したりすることになる。
主観に左右され、ただ一つしかない事実が善にも悪にもなる
■ 「心を高める、経営を伸ばす」
正しい判断を行うには、正しい認識がなされなければなりません。
しかし、この正しく認識するということが非常に難しいのです。
なぜなら、現象というのは、ただ一つの事実しかないのですが、観察者の視点によって左右されるからです。
決して絶対的な事実だけが存在するのではありません。
現象を観察する人の、心のフィルタを通して見るだけに、主観に左右され、ただ一つしかない事実が善にも悪にもなるということを、私たちは日常経験しています。
正しい判断をするには、自らの中に指標が確立されていなければなりません。
とかく陥りがちな、常識とか慣例などを例に引いた判断行動があってはなりません。
常識や経験だけでは、新しいことに道遇した場合、どうしても解決がつかず、そのたびにうろたえることになるからです。
判断をするということは、問題を自分の中ものさしと照らし合わせて決めるということです。
しかし中には、ものさしを持ち合わせていない人を見受けます。
自分の尺度がないために、世間の常識や先例、他人の助言に自らの判断を委ねてしまっているのです。
また、得手勝手なものさしを持っている人がいます。
自分にとって損か得かということが判断の基準なのです。
基準は確かに持っているのですが、利己的な判断をしてしまうのです。
蓄積したデータを客観的に分析する必要があるとき
■ 「「儲ける仕組み」は社長がつくる」
経営者の存在意義を、最終責任と意思決定とするなら、現代のようにスピードアップした社会では、迅速な経営判断をし、会社の進むべき方向をいち早く指し示すことが、何よりも経営者に求められます。
そして、日々の企業活動の中から、どこに問題があるのかをすばやく見つけ、迅速に対応する必要があるのです。
例えば「売上が落ちている」という芳しくない状況に陥っているとします。
経営者ですから、今までの経験を元に、その原因はおぼろげながら分かっているでしょうが、それをデータで裏打ちすることができれば、その判断はより的確なものになるはずです。
そのような判断を行うたに、蓄積したデータを客観的に分析する必要があるのです。
原因が分かれば、それに対処する手はいくらでも打てます。
もし、同じくらいの能力を持った経営者が2人いたとしたら、武器を持った経営者に軍配が上がるのは明白です。
経営における分析とは、決して机上の理論を確立するためのものではなく、次の一手をすばやく打つためのものであるはずです。
客観的に仮説を立てそれを確認することが論理的に考えるということ
■ 「論理思考の「壁」を破る」
「論理的に考える」ということは、目の前にある情報・ファクトの材料から、客観的に確からしい仮説を立て、それを確認していくという、一連のプロセスを何回も重ねることである。
そして、正しい論理でつながっているストーリーができあがるのだ。
初めて取り組む課題にぶつかったとき、だれしもすぐに解決方法を考えつくわけではない。
考え込むところから始まるのはすべての人に共通したことだ。
往々にして、感情で決めたり先入観や慣習に基づいて思考停止に陥ったりすると、答えがいい加減になる。
誤った思考プロセスと判断によって結論を出していることを自覚していない場合も多々ある。
「いいかげん」な答えは客観性に乏しく、Why?(なぜ?)とSo What?(だから何だ?)の繰り返しに弱い。
一方で、確かな答えはWhy?とSo What?に強い。
問題から結論に至るまでのストーリーが正しいロジックで成り立っているからだ。
仮説を確認し、より確からしく内容をブラッシュアップする糸口を引き出すのが「検証分析」である。
仮説思考に失敗する原因としてよく見られるのが、検証分析が杜撰であるために結論をより確からしくするきっかけを失い、思考が深まっていないことだ。
成立しない対話と主観との関連性とは
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
「人をやる気にさせるには自発性を引き出すことが大事だ」ということを、頭の中で理解している人なら間違いなく増えてきてはいる。
ただ、自発性を引き出すのは、そう簡単ではない。
自発性を引き出そうと努力をしても、やり方を間違えるとなかなかうまくいかない。
自発性を引き出すために、なんとか対話をはじめてみようと思って努力をしても、そもそも対話というものが簡単には成立しない。
なぜ対話が成立していないのかよく観察してみると、その人は対話をしたいと主観的には思っているのだが、結局、いつも自分で答えを用意して対話の席にのぞんでしまっているからである。
答えを一緒につくっていく自信がないから、答えを用意してしまうのだ。
しかし、はじめから答えが用意されていると、対話というものは、かたちのうえでは成立しているようでも、内容としては成立していない。
双方向で話し合っているかのように見えても、答えを一緒につくっていこうとしていないのだから、それは見せかけだけの話し合いである。
答えが用意されている話し合いのことは「対話」とは呼ばない。
それは「説得」なのである。
対話とは、そもそも非常にクリエイティブなものである。
だから、そこで何かがつくり上げられていくという創造的な「場」が成立していないと、対話が生まれてているとは言えない。
答えを用意してしまうと創造的にはならないのだ。
「いちばん答えがよくわかっているのは自分だ」
「会社の方針をいちばん理解していて、状況をいちばんよくわかっているのは自分だ」
「全体をいちばんよく見ているのも自分だ」
といった前提の下に事をはじめようとすると、対話は成立しないし、自発性を引き出すこともできない。
「やりがい」の定義は主観?客観?
■ 「やりがい」とは何なのか
「やりがい」を客観的に定義することは困難だ。
「やりがい」は人の数だけ存在する。
フワッとした言葉に関する議論は、多くの場合各々の主観の表明大会になって、なんだかよくわからないところに着地して終わる。
仕事と聞けばすぐに「やりがい」と条件反射的に考えるのは、仕事というものの捉え方を歪める原因にもなりかねない。
「やりがいがある」というのは結局、「仕事に満足している」という事象の言い換えなのではないだろうか。
だったらはじめから「やりがい」なんてよく分からない言葉を使わずに、そういう聞き方をしたほうがいいのではないかと思わないでもない。
「やりがい」というのは便利な言葉で、たとえば「つらい仕事」というのも「やりがいがある仕事」と言い換えれば美しく聞こえるし、「やりがい、やりがい」と連呼することで給料が安いとか法令遵守が行き届いていないとか、そういう問題を覆い隠すことにも使うことができる。
「やりがい」について語るのは、「幸せ」について語るのと同じぐらい難しい。
「幸せ、幸せ」と言っているとあやしい新興宗教に引っかかりかねないのと同じように、「やりがい、やりがい」と言っているとブラック企業に騙されかねない。
「やりがい」という評価軸を絶対視することからの脱却が、これからの働き方を考える上では、不可欠なのだと思う。
冷静に判断できるようになることを「客観性を持つ」という
■ 「この世でいちばん大事な「カネ」の話」
何かをやりはじめたとき、誰もが最初にぶち当たる壁は、自分の実力を知らなきゃいけないってことだと思う。
ほら、鏡を見るとき、自分がいちばん気に入っている角度で、自分が思ういちばんいい表情をつくるものでしょ?
ようするにその「いい角度、いい表情」の自分だけを見て、「あたしって、ビジン~」とうぬぼれていたというわけ。
人って、自分の現実に実力以上のゲタをはかせちゃってるものなのよ。
デッサンを繰り返すうちに見えてきたのは、これまで自分が思っていたのとはぜんぜん違う表情、ぜんぜんちがう「自分」だった。
「うっわ~。わたしって、こんな顔だったっけ?」
角度と向きを変えると、同じものでもまったく違うふうに見える。
それを冷静に判断できるようになることを、「客観性を持つ」という。
他人と比べて、自分の何がちがっていて、どこがどう足りていないのか。
それがちゃんと自分でもわかっていないと、その先の展開も、あいまいで成り行き任せのものになってしまうからね。
どんなことであれ、「客観性を持つ」のは、人がまず自分なりのスタート地点に立つために、とても大切なこと。
とはいえ、言うは易し。
自分の実力を客観的にわかるようになるというのは、口で言うほど簡単なことではないし、時間だってかかる。
自分のダメさがわかるって、こわいもんね。
そりゃあ、誰だって逃げ出したくもなるよ。
まして、わたしは最下位だもん。
自分が情けなくって、いちいち落ち込んで、泣きたい気持ちよ、もう。
そうやってグルグル悩んでたからって、答えなんかみつかるわけがない。
それに、わたしは、逃げるわけにはいかなかった。
おーし、上等じゃないの。
こうなったら最下位だろうと何だろうと、しぶとくふんばってやる!
だいたい、最下位なら慣れてるのよ、わたしは。
それをいまさら、最下位、最下位って嘆いてて、どうするんだって話よ。
最下位の人間を、上から見下ろして、なめてもらっちゃ困るんだよ。
最下位の人間には、最下位なりの戦い方があるんだっていうの!
マネージャーに客観的な視野が必要になるときとは
■ 「まず、ルールを破れ」
たいていの人は自分の持っている本当の才能がわかっていない。
自分が選んだ分野では専門家かもしれないが、自分ならではの才能を列挙してみるという話になると、そこで話が止まってしまう。
自分自身から離れて、自分を自分自身に作り上げているパターンを見つけ出すには、並はずれた客観的視野が必要になる。
マネージャーとしては、自分がどの才能を期待しているのか正確に認識していなければならない。
これらの才能を見極めるためには、仕事の肩書きや内容のさらにその先を見通すべきだ。
どんな具体的な仕事の成果を期待するのか、そしてどの程度念入りに仕事ぶりを監督するのかをよく考えよう。
自分がマネージャーとしてはどのような人間なのか、そしてだれが自分のスタイルと相性がよいのかをよく考えよう。
自分の組織に強力な人事部門があれば、その部門が自分のマネージャーたちにその直接の部下一人ひとりの強みと弱みについての詳しいフィードバックを提供してくれる。
この場合には、一人ひとりの個性の見極めに適した人づきあいの才能、つまり一人ひとりの独自性を見極め、それを活かす能力として定義された資質を持つマネージャーを選ぶ必要はないかもしれない。
才能に妥協してはならない。
応募者の履歴書がどんなに魅力的に写っても惑わされないことだ。
才能を発掘するのがマネージャーの第一の、そして最も重要な責務だ。
優秀な才能を成果に結びつけようとするならば、すぐれたマネージャーが必要なのだ。
人は人の評価において客観的にはなれない
■ 「プロフェッショナルの原点」
人事に関する手順は、多くはない。
しかも簡単である。
人は人の評価において客観的にはなれないことを知らなければならない。
それぞれの人が、それぞれの人に、それぞれの印象を持つ。
追従や立ち回りのうまい者が昇進するのであれば、組織そのものが業績のあがらない追従の世界となる。
人事に全力を尽くさないトップは、業績を損なうリスクを冒すだけでなく、組織そのものへの敬意を損なう。
客観性の代名詞のようにいわれる数字も実はきわめて主観的
■ 「「応援したくなる企業」の時代」
「合理的な判断」「いちばん合理的な方法」などといい表されるときには、客観性があり、理にかなっていることを意味するが、ビジネスに確実性が求められる以上、行動に裏づけは欠かせない。
しかし、本当に数字が「理にかなっている」のかというと、じつはそうともいいきれない。
日本のビジネスの現場で数字を偏重する傾向が強いのは、高度経済成長期に、市場の変動や自社の成長を共有するために、数字によってわかりやすく単純化する必然性があったからだといわれている。
そうでなければ、めざましい変化のなかでの素早い判断は容易ではない。
つまり、もともと数字というものは、見えにくいものを単純化してわかりやすくする目的で用いられていたのだ。
だが、問題はそこからそぎ落とされてしまうものもある。
数字には、測定できるものしか表現されない。
そのため、扱いやすくはなるものの、視点が一面的になってしまいがちなのである。
さらには、わかりやすくする目的で用いられる数字は、市場の状況がシンプルであるときには機能するが、市場が複雑になってくると効果がうすれてしまいやすい。
数字を絶対視したくなるのもわからなくはないのだが、数字がすべてを表しているわけではないのだ。
そのことを忘れると、見えていないものに気づかなくなり、知らず知らずのうちに生活者の「しあわせ」という大目的を見失ってしまう。
同じようなことはマーケティングの現場にも見られる。
たとえば、アンケート調査ひとつにしても、「非常に好きですか、それとも好きですか」と質問するのと、「好きですか、やや好きですか」と質問するのとでは、回答結果がまったくちがってしまう。
好きか嫌いかを5段階で評価してもらうにしても、「どちらでもない」という選択肢を入れるか入れないかで、パーセンテージの内訳は大きくことなる。
前提をどう設定するかによって、結果が大きくちがってしまうのだ。
極端なことをいえば、定量調査やグループインタビューで、結論を誘導することも不可能ではない。
インタビューのテクニックひとつで、イエスでもノーでも意図的に回答を誘導できるのである。
つまり、客観性の代名詞のようにいわれる数字も、じつはきわめて主観的で、流動的なものなのである。
にもかかわらず、私たちはいつのまにか数字を絶対視し、文字通り偏重してしまっている。
人間は頭のなかにあることのうちの5%程度しか言語化できず、残りの95%は無意識下に置かれたままになっているという。
自分の意識をすべて自覚しているわけではなく、日常的な行動のほとんどが、深層意識の中で無自覚のままおこなわれているのである。
「ニーズ」も例外ではない。
95%は無意識、つまり自覚されていない。
表面的な要望を聞き取るような調査を何度重ねても、新しい手がかりがほとんど得られないのも当然だ。
既存の定量調査などから導かれた数字データでは、本当に必要な本質的なニーズに切り込むことは難しいのである。
それなのに、会議の席などでは、こうしたかならずしも信頼性が高いとはいえない調査から導かれた数字や、言語で明示されたことを根拠にした判断が絶対的なものとして扱われる。
「なんとなく」とか、「そんな気がする」といった感覚的な意見はとてもいい出せない。
そこに95%の真実が隠されているかもしれないのに、だ。
客観的に見ると、全体最適にもとづいて仕事をするのは当たり前だが
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
組織のなかには、個人や集団の行動を縛る「思い込み」が至るところに見られる。
外部の人間からは「思い込み」にしか見えなくても、なかにいる人たちは気づかない。
疑うことすら思いつかないほど当たり前になっている場合が多い。
もしくは、気づいていたとしても、「変えられない」という思い込みによって思考にフタをしている。
「自由に発想してみよう」といっても、こうした思い込みは随所に現れて思考の壁になっていく。
たとえば「失敗は許されない」といういい方をよく聞く。
むろん大きな失敗はしないに越したことはないけれど、では、どのくらいまでの失敗なら許されるのかと、一度まともに考えてみるべきではないだろうか。
客観的に見ると、全体最適にもとづいて仕事をするのは当たり前だと思うかもしれない。
しかし、縦割り組織のなかでは、それぞれの立場や職場の役割、個人のおかれた状況によって、当たり前のことが当たり前に見えなくなってしまうことも少なくない。
組織にはびこる思い込みは、個人的な心理というより、暗黙のルールのような集団心理や圧力として働いて組織の行動を制約している場合が多い。
「会社の常識は社会の非常識」というように、その組織にとって当たり前を当たり前のまま放置ておくと、本当の問題に目が向きにくい。
もしも、ひょっとしてこれは思い込みかもしれないというものが見つかったら、ひとまず疑ってみること、場合によっては一度棚上げにして、全体を俯瞰する議論をしてみるべきだろう。
思い込みを疑い、衆知を集めて別の角度からの仮説を立てられれば、見える世界が変わってくる。
そこで組織の常識を打ち破ることができれば、せっかくの発想が殺されることはなく、それを実現するためには何をどうすればいいのか、どこで知恵を出せばいいのかというアイデアの実行段階へと進んでいける。
日本の魅力を伝えるための「外からの目」を客観的に認識する必要性
■ 「日本スゴイ番組」にドイツから見える違和感
数年前から、やたらと「日本スゴイ」という内容のテレビ番組を見かけるようになりました。
あまり「海外でも人気!」と言いすぎると、現実と差ができてしまうんじゃないか、と心配になってきます。
観光地としての日本には高いポテンシャルがあると思います。
しかし、日本の観光地としての魅力を伝えるためには、もっと「外からの目」を客観的に認識することが必要なのではないでしょうか。
改めて外からの目で日本を見ると、日本のルールを外国人に理解してもらうための工夫が少なすぎる、日本の魅力が伝えきれていない、と思いませんか?
日本にはユニークな生活習慣やシステムがあるのに、それを楽しむ方法が外国人にちゃんと伝わっていない。
それはもったいないです。
「日本スゴイ」と国内だけで盛り上がっていてもしょうがない。
「日本を見直そう」「日本のいいところを理解しよう」という考えは理解できます。
自分の国に自信を持つことは悪いことではありません。
でもせっかくなら、それが「世界に通用するものだったらいいのにな」と思うのです。
特殊な外国人ばかり取り上げて「日本大好き」と言わせて自己満足するのではなく、
「外から日本はどう見えているのか」
「どこに需要があるのか」
を冷静に考えたほうが、日本にメリットがあるのではないでしょうか。
ドイツで日本出身者のわたしは賞賛されたか?
「日本スゴイ」と言ってもらえたか?
正直、そんなことは全然ありませんでした。
日本人だからチヤホヤしてくれる人も、日本を褒めちぎってくれる人もいません。
むしろ
「原発は大丈夫か」
「君の家族も朝から晩まで働いているのか」
と聞かれたりする。
ドイツ人からすれば、日本は極東にある遠い国、アジアの割に頑張っている国にすぎなかったのです。
ステレオタイプ化の落とし穴を避けるための客観的な事実把握
■ 「日本語教師のための異文化理解とコミュニケーションスキル」
先入観を持たないことは大切だとよく言われます。
相手の文化に対して前もって知識を習得とておくことが事前の思い込みにつながり、異文化理解の妨げになると感じている人もいるでしょう。
確かに事前の思い込みは現実を正しく把握することに影響を与えます。
しかし、私たちは特定の文化に対して知識がないと思っていても、すでに日常の中で習得した何らかの思い込みを持っています。
白紙の状態の人はいません。
それよりも大切なのは、相手の文化に対してできるだけ多くの知識を得た上で、同時に、自分の知識がごく限られたものであり、一般化されたものであり、現実に自分が遭遇するものとは異なる可能性があることを十分に認識することです。
この認識がないと、自分の得た限られた情報を普遍化しすぎて「ステレオタイプ」を形成してしまいます。
たとえば、「○○人は謝らない」という思い込みから、状況、条件、個人の性格などを無視した解釈をしてしまうのです。
ステレオタイプ化の落とし穴を避けるためには、まず、判断を保留して、客観的に事実を把握しようと試み、それぞれ可能な意味解釈を試み、結論を保留することです。
そして、できるだけ正確な解釈をするために、さらに情報を収集する努力を惜しまないこと。
せっかちに間違った結論を出すよりも、急がば回れで、このような配慮ある行動をとることのほうが異文化理解に役立ちます。
事実を客観的に分析すれば根拠がなくても日本人は悲観的な見方が根強い
■ 「新・日本の経営」
日本はきわめて豊かで、類をみないほど社会が健全な国である。
社会がこれほど洗練されている国は珍しい。
人々は誰にも強制されることもなく、礼儀正しくふるまっている。
国際政治の舞台でも、他国の政治に干渉しようとせず、武器を輸出せず、軍事力を行使すると脅すこともなく、経済支援と人道支援を世界各国に提供している。
だが他方で、日本はつねに自国を卑下している。
自国にほとんど誇りをもてないようにみえるし、世界のなかでの自国の地位に確信がもてず、自国について語るときは控えめな言葉を使い、海外では否定的に描かれることが多い。
世界には誇張のタネがきわめて多いが、日本社会には民族、宗教、階級の違いで社会対立の大きな源泉になるものはとくにない。
波風がたたないわけではなく、見方や考え方の違いはあり、対立が爆発する場合もある。
だが、社会が混乱することは少なく、抗議行動やデモは規模が小さいし、激しいものにならない。
ほぼどの指標でみても、経済と社会は異例なほど健全だ。
したがって、日本人が自国にそれほど誇りをもっていない点が、ますます不思議に思えてくる。
日本が直面している問題のうちもっとも深刻な点は、この自信のなさ、とくに若者の無気力だともいえる。
日本人はいつも将来を悲観的に、現状を否定的にみており、事実を客観的に分析すれば根拠がないことがはっきりしていても、こうした見方が根強いのがたしかな現実である。
その一因は、自分や身内について謙遜する日本の常識にあるのかもしれない。
日本語で夫か妻、子ども、自宅、仕事、国を自慢するのはむずかしく、自慢すれば奇異な印象をもたれる。
他国の人たちは逆に、外国人の前で自国を批判したり、他人の前で身内を批判したりするのをためらうのがふつうであり、たいていは自慢したがるものだ。
日本人はこうした自慢が不得意だ。
日本人が自国を否定的にみる理由がどこにあるにせよ、もっと肯定的な見方を示し、それによって日本の実情をもっと正確に描いて政策を決定していけば、利益になるだろう。
主観と客観の違いや関連性って何だろう?(パート4)
んでもって・・・
もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、例えばこんなのからも、主観と客観の違いや関連性などについて念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
d(⌒ー⌒)
客観とは?
○ goo辞書
- 観察・認識などの精神活動の対象となるもの
- 主観から独立して存在する外界の事物。客体
- 当事者ではなく、第三者の立場から観察し、考えること。また、その考え
客観的とは?
○ goo辞書
- 主観または主体を離れて独立に存在するさま
- 特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま
主観とは?
○ goo辞書
その人ひとりのものの見方。
主観的とは?
○ goo辞書
- 表象・判断が、個々の人間や、人間間の心理的性質に依存しているさま
- 自分ひとりのものの見方・感じ方によっているさま
主張とは?
○ goo辞書
自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること。
また、その意見や持論。
意見とは?
○ goo辞書
ある問題に対する主張・考え。
心に思うところ。
持論とは?
○ goo辞書
かねてから主張している自分の意見・説。
持説。
主観と客観の違いや関連性って何だろう?(パート5)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そーか、主観と客観の違いってそーゆーコトだったのか~ ρ(⌒-⌒。)ノ 」
「ナルホド・・・、主観と客観の関連性ってそーゆーコトだったのか~ (・`ω´・+)b 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?