「合理的な判断や行動って何だろ~? ( ̄▽ ̄;) 」
「合理的に判断するとか行動するとかって、どーゆーことなんだろ~? ( ̄◇ ̄;) 」
「合理的な判断や行動が必要な時って、どんな時なんだろ~? (; ̄ェ ̄)」
「どんな状況の時には合理的な判断や行動が必要で、どんな状況の時には合理的な判断や行動が必要ではないんだろ~? (ーー;) 」
「合理的に判断したり行動したりするメリットやデメリットって何だろ~? ( ゜д゜) 」
「何でもメリットだけじゃーなくデメリットもあるだろーから、合理的に判断することにも行動することにもメリットだけじゃーなくデメリットもあるはずだと思うんだけど、特にどんな時に合理的に判断したらメリットが生じるんだろ~?どんな時に合理的に判断しちゃったらデメリットの方が大きくなっちゃうんだろ~? (;゜д゜) 」
「そりゃー、合理的な判断や行動がいつもできるのが理想なのかもしれないけど、人間はコンピュータじゃないし感情もあるから、どんな時でも合理的な判断や行動ができるとは限らないような気がするんだけど・・・??? (´ε`;) 」
「それに合理的に判断するってゆーと、冷静沈着とか論理的とか効率的とかってイメージもあるけど、その反面、冷徹ってゆーか人間味がないってゆーか、そーゆーイメージもあるような気がしなくもないんだけど・・・??? (´Д`lll)」
「とは言えども、感情や主観ばっかで判断したり行動したりするのもどーかとは思うんだけどね・・・ σ( ̄∇ ̄;) 」
「勘と経験と度胸(KKD)が役に立つこともあるとは思うんだけど、特に会社経営の場合は勘と経験と度胸(KKD)だけってのもどーかとは思うし、エビデンスとかデータなどの数値的な裏付けとかに基づいて合理的に判断したり行動したりする必要もあるだろーし・・・ ( ̄∧ ̄ ) 」
「合理的な判断や行動を行うには、何が必要なんだろ~? o( ̄_ ̄|||)o 」
「合理化や効率化を行って生産性を向上するするには、何をどーしたらいいんだろ~? (;´д`) 」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などなどのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
合理的な判断や行動とは?必要な時、必要ではない時って?
(パート1)
んーと、もしかしたら・・・
などなどにもある意味関係するっちゃーする面もあるかもしれないので、まずは例えばこんな視点から、合理的な判断や行動って何なのかとか、合理的な判断や行動が必要な時とか、必要ではない時とかについて考えてみるのはどーでしょう?
(〃⌒∇⌒)ゞ
合理的な判断や行動って何だろう?(損益計算書(P/L)編)
えーと・・・
に、5つのケースをカキカキしているんっすけど、これら5つのケースから考えてみた場合・・・
どーゆー経営判断を行えば、合理的な判断と言えるんだろ~???
どーゆー経営判断をしちゃったら、合理的な判断とは言えないんだろ~???
合理的な判断や行動って何だろ~???
合理的な判断や行動って、どーゆーコトなんだろ~???
などなどについて考えてみると、何か気づくことがあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
( ̄・ ̄*)
合理的な判断や行動って何だろう?(貸借対照表(B/S)編)
んでもって・・・
にも、5つのケースをカキカキしているんっすけど、これら5つのケースから考えてみた場合・・・
どーゆー経営判断を行えば、合理的な判断と言えるんだろ~???
どーゆー経営判断をしちゃったら、合理的な判断とは言えないんだろ~???
合理的な判断や行動って何だろ~???
合理的な判断や行動って、どーゆーコトなんだろ~???
などなどについて考えてみると、何か気づくことがあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
(〃 ̄▽ ̄)o
合理的な判断や行動とは?必要な時、必要ではない時って?
(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「こーゆーコトこそ、合理的に判断しないとマズイよなー・・・ ( ̄▽ ̄|||)」
「だよなー、従業員にどーしてそーゆー経営判断をしたのか質問されてもちゃんと答えられないだろーし、合理的な判断をしていないって言われちゃうだけじゃーなく、単なる思い付きとか行き当たりばったりで無計画でテキトーとかって評価されちゃいかねないもんなー・・・ (|||▽ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「損益計算書(P/L)とか貸借対照表(B/S)とかの見方を、ちょっとは知っておいた方がいいのかも・・・!?合理的に判断する以前の話で、決算書の見方すらわからなければ合理的な判断をしたくてもできないだろーし・・・ o( ̄_ ̄|||)o 」
「でないと、事業存続の危機に陥っちゃうかもしれないし、一歩間違えたら倒産しちゃって、連鎖倒産の引き金を引いちゃう場合もあるのかも・・・!? (;゚;Д;゚;;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「うーん・・・、こーゆー会社の数字に関することは合理的に判断する必要があるのはわかるんだけど、他にはどんな時に合理的に判断する必要が生じるんだろ~??? ( ̄∧ ̄ ) 」
「どんな時だったら、合理的に判断しなくても支障がないんだろ~??? o゚p(∴´⌒`∴)q゚o。」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「んなコトはどーでもいいから、合理的な判断や行動が必要になる時について、さっさと答えを教えろっちゅーに! (*`θ´*) 」
「どう考えたら合理的な判断や行動ができるようになるのか、手取り足取り懇切丁寧にちゃんと教えろっちゅーに! o(`ω´*)o 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー、次に・・・
例えばこんなのからも、合理的な判断や行動ってどーゆーことなのかとか、合理的な判断や行動が必要な時とか、必要ではない時とかについて考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
いくら合理化を進めても、組織の生産性は思うように上がらない
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
いくら合理化を進めて部分的には効率的になっても、組織の生産性は思うように上がらない。
部分としては合理的になっている場合でも、全体としてはたいして生産性が上がっていないのだ。
こういう組織で仕事をしていると、当然ながら社員の士気は上がらない。
どこかいきいきしてこないのだ。
だから、組織を変えようというとき、氷山の上の部分だけを変えようとしても、下の部分に邪魔されてうまく変化していかない。
制度やシステムを変えようとするだけでなく、風土や体質といった下の部分も同時に替えていくことが必要なのである。
マニュアルやルールをつくる合理性はあるのか
■ 「「一体感」が会社を潰す」
例外がないように細かくマニュアルやルールをつくる経済的、倫理的な合理性はあるのでしょうか。
現代はあらゆることを想定できるほど安定した時代ではありません。
想定外のことが日々起こるのが普通です。
ルールは状況の変化に合わせて柔軟に変えていかなければならないのに、精緻に設計されたルールの変更をすることが大変なために、どうにか今のルールでむりやり対応しようとして失敗してしまうのです。
ここに「ルール主義」「マニュアル主義」の限界があります。
誰も存在理由と合理性の是非を問わなくなるとき
■ 「やっぱり変だよ日本の営業」
企業には多くの「ストーン・キャット」が存在します。
長い間、我々はそれが必要だと信じ込んできたところに大きな問題があります。
その時代や状況に応じてたまたまできた制度や仕組み、方法などをしばらく続けると、まるで神聖なルールのように思い込み、誰もその存在理由と合理性の是非を問わなくなります。
これが「ストーン・キャット」の話です。
欧州のある古い教会での話です。
昔、教会の神父が野良猫を飼い始めました。
彼が祭壇の前でお祈りするとき猫が彼に悪戯したりするため、お祈り中には猫を紐で祭壇の脚につなげるようにしました。
やがてこの神父が亡くなり、二代目の神父がその猫を世話して、同じようにお祈り中に祭壇の脚に猫をつなげるようにしていました。
三代目の神父はいつも猫を祭壇の脚につなげる先輩神父のことを思い出し、自分も猫を飼って同じようにお祈り中に猫を祭壇の脚につなげていました。
四代目の神父は面倒くさがり屋で、生きた猫ではなく石の猫を作り、祭壇の脚の横に置くようにしました。
そして、五代目の神父は、床に置かれている石の猫を邪魔だと思い、祭壇の上に置きました。
そして六代目以降の神父たちは、常に石の猫に向かってお祈りするようになり、いつのまにかこの教会では、その石の猫は祭壇上の神聖なる存在になっていたのです。
今では誰もその経緯を知りませんし、その存在意義を問おうともしません。
機械や装置に頼ろうとしている限り、本当の合理化はできない
■ 「リストラなしの「年輪経営」」
機械や装置に頼ろうとしている限り、本当の合理化はできない。
最近の経営者は、効率アップというと、すぐ何かの機械を買ったり、ITを導入することを考える。
確かに、機械化や省エネ、IT化に取り組みことは大切だが、現場での工夫があってこそ、それらは生きて来る。
もっと根本的な対策に目を向ける必要がある。
合理的で身の丈に合った戦略こそが、経営の合理性を規定する
■ 「現場力復権」
競争戦略は、ひとことで言えば「経営の背骨」である。
合理的で身の丈に合った戦略がなければ、厳しい競争環境の中で勝ち抜くことは至難である。
冷徹に吟味された競争戦略こそが、経営の合理性を規定する。
合理的な競争戦略を打ち出すのは、言うまでもなく「本社」である。
ここでいう本社とは、経営トップと経営企画部門などの戦略スタッフを指す。
組織能力の基盤となるのが現場力である。
戦略を実行する主体は、あくまでも現場である。
競争戦略を実現するための現場力を磨く地道な努力を、経営と現場が一体となっておこなってこそ、合理的な戦略は花開くのである。
合理的な戦略を選択するためには
■ 「現場力を鍛える」
合理的な戦略を選択するためには、経営者、各事業部門のトップ、戦略スタッフが多面的な視点から自社に適した最も妥当性の高い戦略シナリオを導き出さなければならない。
そのためには、潮流を読む力、戦略発想、構想力を磨かなければならない。
真に差別化され、ユニークでありながら、身の丈に合った競争戦略を組み立てるのは決して容易な作業ではない。
しかし、そこで導き出された「正しい」戦略を「正しくやりつづける」ことはより難易度が高い。
そもそも、戦略を正しくやりつづけ、結果を出す主体は経営者でもなければ、戦略スタッフでもない。
その実行主体は企業のオペレーションを担う「現場」である。
そして、企業のオペレーションには戦略を軌道修正しながら遂行する「組織能力」が内包されている。
強い企業は、打ち出されたビジョンや戦略を咀嚼し、具体的な戦術に落とし込んで実行し、その過程において浮かび上がってくる様々な問題点を当事者として解決する能力に長けた現場を持っている。
この自律的、能動的なパワーこそが、現場という組織が本来持っていなければならない力なのである。
需要が常に供給を上回る右肩上がりの時代には、リーダー企業の戦略を模倣していさえすれば、それなりの業績を上げることができた。
あえて独自性や差別化を求める必要はなかったのである。
しかし、市場が成熟し、グローバル競争が加速する現在、自社の強み・経営資源を見極めた上で、他社が真似できない優位性をどう築き、差別化していくのかの戦略シナリオがきわめて大きな意味を持つ。
賢明な延期を非合理な先延ばしと混同している人が少なくない
■ 「ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか」
賢明な延期を非合理な先延ばしと混同している人が少なくない。
強迫観念に駆られて、どんな仕事も可能な限り早く片付けないと気がすまない人は、先延ばし癖の持ち主に負けず劣らず非効率だ。
緊急事態に対処するためにほかの用事をすべて後回しにするのも、先延ばしではない。
現実の世界では、すべての課題を同時に処理する必要がある場合ばかりではない。
ある課題の処理を延期すること自体は、先延ばしではない。
どの課題を先に行い、どの課題を後に回すかをどのように決めるかによって、その行動が先延ばしに該当するかどうかが決まるのである。
人間はみんな合理的
■ 「採用基準」
まずリーダーに求められるのは、チームが目指すべき成果目標を定義することです。
そしてその目標は、メンバーを十分に鼓舞できるものである必要があります。
人がつらい環境の中でも歩き続けられるのは、達成すれば十分に報われる目標が見えているからです。
その目標、すなわちゴール(到達点)をわかりやすい言葉で定義し、メンバー全員に理解できる形にしたうえで見せる(共有する)のが、リーダーの役割です。
マラソンでも行軍でも、人はゴールがどこにあるか、いつ頃到達できるかが理解できているからこそ、歩み続けることができます。
どこに向かっているのかも、いつ終わるのかもわからず、「俺がいいと言うまで何日でも歩き続けろ」と言われて、ひたすら歩き続けるモチベーションを保てる人はいません。
「とにかく売上を上げろ、できるだけ利益を上げろ」と連呼するのはそれと同じです。
これでは社員はエンドレスの努力を求められていると感じ、達成感も高揚感も得られないまま疲弊してしまいます。
人間はみんな合理的です。
打算的と呼んでもよいでしょう。
求められる努力と、結果として得られるものがバランスしていないと感じれば、努力をしなくなります。
労働契約法上の合理的理由とは
■ 「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」
労働契約法には「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と明記されている。
合理的理由のパターンは、3つの場合に類型化される。
1. 普通解雇(労働能力)
疾病や勤務成績、労働者の適性などを問題とする場合であるが、会社側のさまざまな努力にもかかわらず改善の可能性がないような場合にしか認められない、極めて厳しい規制がなされている。
2. 整理解雇(経営上の必要)
- 解雇の経営上高度な必要性(企業全体の赤字など)
- 解雇回避努力
- 人選の合理性
- 労働組合・当事者との協議
の4要件が求められており、これも極めて厳しい規制が課されているといってよいだろう。
3. 懲戒解雇(労働者の行為)
適用される場合が就業規則に明記されていることや、その内容の合理性と、厳格な適用が求められている。
非合理的な決断が行われ、集団浅慮に陥る組織風土とは
■ 組織の病の重篤な合併症
一言で言えば、社会や顧客ではなく、上司の顔色を伺い、組織のなかで生き延びることに汲々とし、外部に対しては居丈高にバッチを見せびらかす社員がはびこる「大企業病」です。
集団浅慮ともいわれますが、集団がなんらかの危機に見舞われたり、また圧力を受けたときに、普通では考えられない非合理的な決断が行われ、集団の誰もがそれを疑うこともなく実行していく状態に陥ることです。
内向きな大企業病に冒されているので、それを批判したり、止めさせようとする自浄作用が働かず、組織ぐるみでその愚かな決定に従ったのです。
赤信号みんなで渡れば怖くない、そのものです。
問題は、不都合な真実が表面にでてこず、そのまま隠蔽されていく過程を想像すると、社内から批判が生まれない、社会や企業の将来に対する責任をとるよりはその場の空気に流されていく風土があったということに他なりません。
病に冒され、社員が保身しか考えなくなってしまった企業に、やれコンプライアンスだ、「法令遵守」だと言ってもそれは形式に流れ、新たな保身を広げるだけです。
検証するより全力で止める方がはるかに合理的なときとは
■ 「こんな時に批判するな」「今は一致団結するとき」という主張はなぜ間違いか
崖から落ちて血みどろの阿鼻叫喚の中で「なぜ落ちたのか?」と検証するよりは、落ちないように全力でバスを止める方がはるかに合理的なのは言うまでもありません。
「こんな時に批判するな」「今は一致団結するとき」といった言説は完全に間違いで百害あって一利なしです。
こうした言説は結局のところ事態を改善させるためにはまったく役に立たず、単に「下々」は輪を乱すことなく「お上」に従っていればいいのだとする奴隷根性の発露に過ぎません。
そもそも論として、こうした言説自体が「政府を批判している国民」への批判であり、「責めるな」「批判するな」と言いながらも自分は相手を批判しています。
自分の国民への批判は問題なくて、国民の政府への批判はダメだというのであれば、それは単に国民の口をふさいで政権を擁護するプロパガンダでしかありません。
こうした人は、意図的な擁護でなければ、自分は高みから俯瞰して冷静に中立な立場からものを言っていると思いがちですが、自らの言説が何をもたらし、何に加担することになっているのか、しっかり考え直す必要があるでしょう。
思い込みとは、合理的な根拠なく断定・確信・前提としている心の働き
■ 一流企業に入れば安泰?
思い込みを定義すると
「合理的な根拠がなく、あるいはしばしば誤った根拠に基づいて、それと自覚せずに断定・確信・前提としている心の働き」
となる。
ようするに、あまりに当たり前で本人はそれを疑う余地がなく、他の選択肢を考えないようなことだ。
例えば、「一流大学に入り、一流企業に就職すれば、人生勝ち組だ」という考え方。
これも思い込みだろう。
一流大学に入り、一流企業に就職した人でも、会社での人間関係がうまくいかなくて転職を繰り返す人もいれば、会社を辞めて引きこもりになる人もいる。
その逆に、高卒で働きに出て結婚して家庭を持ち、幸せに暮らしている人もいるだろう。
幸せになれるかどうかは、大学の偏差値や会社の規模では決められないのだ。
そもそも「こうしなければならない」「こうあるべきだ」というのは、幼少期に私たちが勝手に抱いた「思い込み」である。
誰も「そうならねばならない」とは言っていない。
仮に親や教師が「こうあるべきだ」と言ったところで、それに従うかどうかだって、その人次第なのだ。
決まりかけた人生を変え、脚本に支配された人生を変えたいと願うのであれば、まずそれを成り立たせている「思い込み」を外すことが必要なのだ。
ドイツ人は合理的、目的を遂行するために無駄なことはしない
■ 経済大国ドイツの人の働きかた
ドイツ人は休日をしっかりと楽しんでしる。
ドイツでは、連邦休暇法で社員に対して最低24日間の年次有給休暇を義務づけている。
しかし、多くの会社では連邦休暇法より6日多い年間30日に設定している。ドイツでは、4週間続けてバカンスを取るのは珍しくない。
断っておくが、病欠は有給休暇とは別の休暇である。
病気のときは、病欠を取ればよい。
医師の診断書があれば、最長6週間までは病欠でき、その間は給料も支払われる。
有給休暇は、あくまでも楽しみ・休養のために使うものなのだ。
ひとつの業務を常に2~3人で担当している。
その上で、仕事内容は他の社員にわかるように共有化している。
長期休暇を取るのは当然の権利なので、取引先の担当者が休暇で不在でも、怒ったりはしない。
数週間後まで待つことになっても、休暇だから仕方ない、と考える。
ドイツ人にとっては、早く帰ってプライベートの時間を過ごすことが大切なのである。
だから、同僚と飲みに行くこともない。
アフターファイブは、プライベートだからだ。
一言で言うなら、会社は仕事の場。
仕事を定時に終わらせて、結果を出すのが評価につながる。
逆に言えば、夜遅くまで残るような働き方をしていると、評価が下がる。
また、自分の仕事も明示されているため、ドイツ人は自分の担当以外の仕事は、やらない。
目的を遂行するために、無駄なことはしない。
そう、ドイツ人は合理的なのだ。
仕事を全うするからこそ、休暇もきちんと取りたい ——
合理的なドイツが大切にするワークライフバランスなのかもしれない。
グローバル標準である職務ベースの人事制度に合わせた方が合理的
■ 人事・組織のグローバル化対応
日本以外の国は、職務をベースとした人事制度が主流となっている。
人事領域のグローバル化を進めていくにあたり、グローバル標準である職務をベースとした人事制度に合わせた方が、合理的・効率的であることは言うまでもない。
職務をベースとした人事制度がグローバル標準になってきた背景には、人種・性別・年齢による差別の撤廃という命題に、客観性・説明性が高い職務型の人事制度が合っていたこともあるが、グローバル化の中で、このような要素はますます重要となろう。
また、日本で主流の「人・能力」をベースとした制度は、曖昧で属人的要素が入りやすく、高度成長や儒教の影響といった背景があった当時の日本にはマッチしたが、それも今や当てはまらない。
職能型であれ、職務型であれ、厳格に運用されていれば、結果として、等級や報酬に、それほど大きなギャップは生まれない。
適材適所とは、能力と職務をマッチさせていくことであり、そのような運用がなされていれば、能力で評価しようが、職務で評価しようが、等級も報酬も、同じようになるはずである。
問題は、曖昧かつ属人的な要素が入りやすい「職能型」の人事制度で、そのまま曖昧・属人的な運用をしてしまった場合である。
多国籍企業が共通言語として英語を採用するのは合理的な判断だが
■ 「グローバリズムという病」
多国籍企業が共通言語として英語を採用するというのは、企業同士のコミュニケーションコストを削減するという意味でも、合理的な判断であるといえる。
しかし、企業経営者が、英語が使えなければ有能なビジネスマンにはなれないと考えているとすれば、その企業で働くものにとっては言語搾取以外のなにものでもないだろう。
英語は、現在のところは世界で最も広域で流通する言語であることは否定しようもないが、だからと言って自分たちの母語以上に重要なものだとは言えないだろう。
英語でぺらぺらとコミュニケーションできる人材が、企業にとって必要であり、それを要請することが企業にとって重要なことだと考えることは、企業経営者の自由である。
しかし、英語使いを優遇するあまり、有能な母語の使用者が損なわれるとすれば、それは企業にとっても損失となるだろう。
文脈が異なれば、「合理的な行動」の中身も変わってくる
■ 「ストーリーとしての競争戦略」
ゲームの戦略論は、ゲームの全体構造を俯瞰する立場から、そこに参加するさまざまな企業や供給業者、顧客などが相互作用して生じる状況を考察しようとします。
局所的な打ち手のみならず、ビジネスの全体構造の中で、各参加者(ゲームのプレイヤー)の相互作用がどのような意味を持ち、そこから何が生じるのかが捉えられるというところに、ゲーム戦略論の強みがあります。
ですから、ゲームの視点にはにはストーリーの戦略論と一脈通じるところがあります。
しかし、違和感を持つのは「ゲーム」という視点の基本的な前提です。
「他社の合理的な反応を予測する」というゲーム戦略論の基本的な視座は、クール過ぎると思います。
ゲームの戦略論のように「合理的な駆け引き」にとらわれると、「シグナリング」や「スクリーニング」といった個別の戦略的行動にばかり目が向き、結果的にプレイヤーの合理的な行動をスナップショット的に捉えることに終始しがちです。
しかも、ゲーム理論的な戦略思考は、ゲームに参加しているプレイヤーがすべて基本的には合理的で、相互の行動がもたらす成り行きを完全に理解できている、と想定しています。
しかし、何を合理的とするかは、それぞれの企業の主観的な判断に大きく影響されるはずです。
プレイヤーが置かれている文脈が異なれば、「合理的な行動」の中身も変わってくるでしょう。
合理化に励み、コスト低減をやり続けているのになぜ利益が出にくいのか
■ 「どうやって社員が会社を変えたのか」
なぜ、これだけ分社化やアウトソーシングをはじめとする合理化に励み、コスト低減をやり続け、さらには長時間働き続けているにもかかわらず、利益が出にくいのだろうか。
それは、チームワークが働かず、総合力が発揮されにくい環境がいつの間にかできてしまっているからだ。
といっても、日本人が勤勉さをなくしたというわけではない。
社員の多くは今もなお長時間労働、過労死が問題になるほど懸命に働いているからだ。
にもかかわらず、日本企業全体として見ると、低い利益率しか上げられていないという事実のもつ意味は非常に大きい。
そして、この先進国としては最も低い利益率が、社会全体として見れば、人が人として豊かに暮らしていくだけの余裕を奪ってしまっているのである。
この日本企業の抱える余裕のなさが、結果として見れば、長時間労働など社会的弱者にしわ寄せをもたらし、自殺率を高め、日本社会の将来に大きな不安要素を持ち込んでいるのだ。
これまで企業は、合理性を確保するために「管理」を重んじてきたが
■ 「ワーク・シフト」
これまで企業は、合理性を確保するために「管理」の要素を重んじてきた。
しかし未来の世界では、単なる模倣にとどまらない高度な専門技能を身につけたければ、遊びと創造性がこれまで以上に重要になる。
遊びが重要なのは、遊ぶことにより、普通は接点のない要素が組み合わさるからだ。
仕事が細分化されて、労働者が精算プロセスのごとく一部にしか関わらなくなれば、生産活動と生産物、創造活動と創造物の間の結びつきが失われる。
感覚的な基準や直感をもとに判断するほうが、ずっと合理的なとき
■ 「「応援したくなる企業」の時代」
ビジネスシーンで、合理的という言葉がカギを握るのは当然のことだ。
会議の席で「合理的な判断」「いちばん合理的な方法」などといい表されるときには、客観性があり、理にかなっていることを意味するが、ビジネスに確実性が求められる以上、行動に裏づけは欠かせない。
しかし、本当に数字が「理にかなっている」のかというと、じつはそうともいいきれない。
マーケティングの世界で、もっともよく用いられる数字といえば、おそらく調査データだ。
が、もはや、生活者にニーズを問いかけても、なんの手がかりも得られないという状況が出来つつある。
最大の原因は、生活者たちが「自分が欲しているものを自覚していない」ことにあり、そのため、調査データそのものの信憑性が薄れている。
表面的な要望を聞き取るような調査を何度重ねても、新しい手がかりがほとんど得られないのも当然だ。
それなのに、会議の席などでは、こうしたかならずしも信頼性が高いとはいえない調査から導かれた数字や、言語で明示されたことを根拠にした判断が絶対的なものとして扱われる。
「なんとなく」とか、「そんな気がする」といった感覚的な意見はとてもいい出せない。
そこに95%の真実が隠されているかもしれないのに、だ。
勘とは、身体的な経験やノウハウがありなが言語化できない状態を指す。
たとえば、日常のある瞬間に「これは危ない」と直感することがあるが、そういうケースでは、脳が無意識のうちに過去の経験値などを参照して危機を読み取り、危険信号を発しているのだという。
判断に迷った場合は、無意識に訊いてみるほうが、結果して判断を誤らないことが多い。
つまり、数字や論理よりも感覚的な基準や直感をもとに判断するほうが、ずっと合理的といえるのである。
偉大な経営者たちのなかにも独特の勘をもち、理屈では説明がつかないような判断をして、大成功を収めている人たちが数多くいる。
ビジネスでも、とくに開発の現場では、言葉では説明できない判断によって、画期的な商品が生まれることはめずらしくない。
合理的な判断や行動とは?必要な時、必要ではない時って?
(パート3)
んでもって・・・もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、こんなのからも念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・。)ノ
合理とは?
○ コトバンク
道理にかなっていること。
論理的に正当であること。
合理的とは?
○ goo辞書
道理や論理にかなっているさま。
無駄なく能率的であるさま。
合理化とは?
○ コトバンク
合理化とは、基本的には、労働者の抵抗に対処しながら、企業内部において展開される、最大限の利潤を追求するための諸方策のことである。
○ Weblio辞書
- 道理にかなうようにすること。また、もっともらしく理由づけをすること。
- 能率を上げるためにむだを省くこと。特に、企業などで、省力化・組織化によって能率を上げ、生産性を高めようとすること。
- 心理学で、たとえば言い訳のように、理由づけをして行為を正当化すること。
合理化の原則とは?
○ Weblio辞書
- 標準化(Standalization)
- 単純化(Simplification)
- 特殊化(Specialization)
- システム化(System)
- 大量化(Scale)
このなかで特に重要な原則は標準化である。
標準化されないと、さまざまなムダが発生する。
標準化とは、品質・形状・寸法を標準にしたがって統一すること。
これに結って互換性は高まる。
経済合理性とは?
○ Weblio辞書
投資したお金に対して利益があると考えられる状態のこと。
事業を始める上での判断材料の1つ。
企業にとって、経済合理性は経済的な価値基準であり、最小の投資で最大の成果を上げられるような戦略を立てる。
道理とは?
○ goo辞書
- 物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。
- すじが通っていること。正論であること。また、そのさま。
合理的な判断や行動とは?必要な時、必要ではない時って?
(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「勘と経験と度胸(KKD)ってどーよ!?って思っていたけど、勘と経験と度胸(KKD)って、意外と悪いことばっかでもないってコトなのかも・・・!? (* ̄▽ ̄)」
「だよなー、マーケティングをやってデータを集めて散々悩んで合理的に判断したつもりでも、上手く行かない時は上手く行かないし、そんな時には勘と経験と度胸(KKD)の方が役に立つこともあるもんな・・・ ( ̄▽ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「とは言えども、損益計算書(P/L)とか貸借対照表(B/S)とかの決算書の見方を、ちょっとは知っておいた方がいいのかも・・・!? (;´д`) 」
「でなきゃー、合理的な判断を全くやっていないとか、いつも無計画の行き当たりばったりばっかの経営とか、意思決定の基準がブラックボックス化しているとかって評価されかねないだろーし・・・ (・_・;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「うーん・・・、ナルホドねぇー・・・、合理的とか合理性とか合理化の意味って、思っていたよりもなーんか奥深いのかも・・・ (´-ω-`) 」
「合理的に判断するとか合理的に行動するとかの意味はナントナーク理解できるんだけど、合理化の意味ってどーも経済合理性寄りのように感じちゃうかも・・・!? ( ̄ー ̄?)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「合理的に考えることを論理的に考えるに置き換えると、そりゃーその通りだよなーって感じるよなー・・・ (´・ω・`) 」
「合理的な判断や行動って聞くと冷徹なイメージがあったのは、合理化とか経済合理性とかのイメージが強かったからなんだろーか??? (;゜д゜) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「リストラの本当の意味から考えたら、こーゆー意味の合理化とか経済合理性とかならちょっぴり理解できなくはないかも・・・!? ( ̄◇ ̄;) 」
「リエンジニアリングなんかも、もしかしたら合理化とか経済合理性とかとも関係している面もあるのかも・・・!? ( ̄∧ ̄ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「げっ!?労働契約法上の合理的な理由って、そーゆーコトだったんだ・・・!! Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「コレこそ合理的に考えて判断しないとマジでヤバイのかも・・・!?一歩間違えたら優秀な人材が辞めちゃってさらなる人手不足に陥って、下手したら事業存続の危機に陥りかねないのかも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「合理的に判断するのにしても何にしても、経営判断を行うには倫理観ってものが必要なのかも・・・!? w( ̄△ ̄)w 」
「エビデンスとか数値的な裏付けとかに基づいて論理的に判断したとしても、道理って観点から考えた場合、人間として正しい判断をしていなければ、それは合理的に判断したってコトにならないのかも・・・!? (ーー;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「どんな時に合理的に考えて行動するのか、どんな時には合理的に考えて行動しないのかとかの考え方から、その会社の経営者の経営に対する考え方が透けて見える場合ももしかしたらあるのかも・・・!? ( ̄・・ ̄)」
「会社経営に必要なこととか企業経営に必要なものとかに関する考え方とか、実際の経営理念やビジョンとかが、見えて来る場合もあるのかも・・・!? (。・ ・) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーいやー、何のために合理的に判断したり行動したりする必要があるんだろ~???誰のための合理的な判断や行動なんだろ~??? (; ̄ェ ̄)」
「本当に自社の顧客のために合理的に判断できているんだろーか??? p(´⌒`q) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「ウチの会社に必要な合理的な判断とか行動とかって、こーゆーのなのかも~ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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