「情報って何だろ~?データって何だろ~? p(´⌒`q) 」
「情報とデータの違いって?同じ意味?違う?違うのなら何がどう違うんだろ~? (・_・;) 」
「情報を活用するとも言うしデータを活用するとも言うし、情報共有とも言うしデータ共有とも言うような気がするんだけど、何が違うんだろ~? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
「情報とデータの違いとか、情報活用とかデータ活用とかって、IT(ICT)の活用なんかとは何がどう関係するんだろ~??? (;゜0゜)」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですけど・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「中小企業の経営に役立つ情報活用」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー素朴な疑問って意外と大事
なのかも~???
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので・・・
(`・ω・´)
そもそもの話、情報って何なんだろーか?
データって、いったい何なんだろーか?
情報とデータって、何がどう違うんだろーか?
情報活用やデータデータって、IT(ICT)の活用とはどう関係するんだろーか?
そもそも、経営に役立つ情報やデータって何なんだろーか?
どんな時には、どんな情報やデータが必要なんだろーか?
どんな時には、どんな情報やデータが必要じゃないんだろーか?
それは、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
どんな組織だったら、情報やらデータやらを収集したり、共有したり、活用したりしやすいんだろーか?
どんな組織なら、情報やらデータやらを収集したり、共有したり、活用したりしにくいんだろーか?
何のために、情報やらデータやらを収集したり、共有したり、活用したりするんだろーか?
誰のために、情報やらデータやらを収集したり、共有したり、活用したりするんだろーか?
情報やデータを活用したり、IT(ICT)を活用したりすることって目的なんだろーか?
それとも手段なんだろーか?
手段だとしたら、目的は何なんだろーか?
などなども含めて、一緒に考えてみません? (^^)/
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)
情報とデータの違いとは?IT(ICT)の活用等との関係って?
(パート1)
えーと・・・
情報とかデータとかって言うと、IT(ICT)をどう活用すればいいのかとか、どんなソフトがいいのかとか、インターネット検索の仕方がどーのとかググり方がどーのとか、データベースの使い方とかばかり、ついつい思い浮かべてしまいがちなのかもしれないけど・・・
特に経営って観点から考えてみると・・・
盲点になっていたり、灯台下暗しになっていたりすることも意外とある
かもしれないし、視点が変われば何か気づくこともあるかもしれないし・・・
( ・ _ ・ )
それにもしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんなのから、まずは考えてみるのはどーでしょう?
(⌒▽⌒)ノ
経営にとっての「情報」とは?
■ 「やっぱり変だよ日本の営業」
「情報」と言うとき、具体的に何をイメージしますか。
様々な情報が巷に氾濫しているように、企業の情報も氾濫しています。
しかし、
「あなたが欲している情報は何ですか?」
「この問題を解決するために、何の情報が欲しいのですか?」
「その情報をどのように問題解消に活かしますか?」
と聞かれたとき、満足に答えられる方はほとんどいないでしょう。
経営にとっての「情報」とは、何かの目的を達成するために事前につかんでおけば有利に事を進めることができる「兆候」です。
「目的」があって「有利」に進めようとするからこそ、必要な情報が見えてくるのです。
目的がないのであれば情報など無用ですし、何かを達成しようとしてもいないのに美味しい情報が果物のように落ちてきて、自然に幸せになれるわけでもありません。
「情報がないからできない」という「ないない病」
■ 「地頭力のココロ」
本当に何も知らない分野であれば、まずはやみくもに情報を集めまくるというのが有効な場面があるだろう。
でもそれは、本当になんにもわからない場合だ。
大抵の場合、何もわからないって思っているのは錯覚にすぎなくて、実は知っている情報を十分に生かしていない場合が多いんだ。
その原因は気の持ちようっていうか、要は思考回路の問題だ。
「結論から考える」ためには、「ないない病」から脱却しなきゃいけない。
「情報がないからできない」
「時間がないからできない」
のように、「○○がないから決められない」って言っている人は、今10の情報が100に増えたところで決められないんだ。
要するにこのタイプの人は「どんぴしゃりの正解」が欲しいと言っているだけだからさ。
そういう「正解がある」ものであれば、あるまで探せばいいさ。
でも将来の予測だとか、いろいろな企画だとか、「もともと正解がない」ものに取り組んだときには、永久に「情報がない」と言い続けることになる。
思考回路が「今ある情報で最善の答えを出してみる」というふうに変わらないかぎりはね。
誰にだって、多かれ少なかれそういう思考回路は持っていると思うよ。
だからいつも「自分がないない病にかかっていないか」っていうことを意識しておくことが重要だね。
適切なデータをもとに経営判断をしたのに売れない原因とは?
■ 「「応援したくなる企業」の時代」
多くの企業は、「送り手至上主義」を見直し、より受け手を中心としたマーケティングを実践しようと努力してきた。
送り手発想の「正」の時代から、受け手発想の「反」の時代を必死に模索してきたのである。
そして「生活者視点」を可能なかぎり取り入れて、商品開発に反映させようとしてきた。
しかし、多くの企業が「生活者視点」と呼んでいるものは、あくまでも「視点」であり、対立概念である企業と生活者の関係をそのままに、反対から見ようとしただけのものにすぎない。
実際に「生活者視点」を取り入れるべく頻繁におこなわれてきたのが、情報収集を目的としたアンケートやグループインタビューだ。
既存の商品や他社製品のユーザーなどに集まってもらい、どうしてこの商品を選んだのかという質問にはじまり、どんな使い方をしているのか、気に入っているポイントや改善してほしいポイントはないか、といったことをヒアリングし、その結果をもとに生活者のニーズを導き出すのである。
そして、得られたニーズを踏まえて、新商品の開発などに取り組む。
購買の対象となる本人たちからヒアリングし、ニーズを盛り込んだのだから、新商品は売れないわけがない。
このプロセスに立ち会った多くのマーケティング担当者が、そう確信したはずだ。
ゴーサインを出した経営陣もまた、適切なデータをもとに正しい経営判断をしたと信じて疑わない。
にもかかわらず、いざ市場に出してみると、商品に期待を裏切られることがめずらしくない。
好ましい反応を得ることができず、「売れ行きがいまひとつ」「さっぱり売れない」といった事態に陥ってしまうことも少なくないのである。
原因のひとつは、企業が応えようとしたニーズそのものにある。
アンケートに答えて出てくるような要望は、生活者の意識のごく表層的な部分から出てきている。
そのレベルのものは、このご時世であれば、たいてい別の企業が先に見つけているし、ほとんどが商品化されてしまっていて、真新しいものではない可能性が高い。
あるいは、企業が真新しいものを送り出しているつもりでも、生活者には区別がつかない程度の新しさにしかなっていない可能性もある。
自動車王として知られるヘンリー・フォードは「もし消費者に『なにが欲しいのですか?』と訊ねていたら、『もっと速く走れる馬を』といわれただろう」と語ったといわれているが、本当のニーズは顕在化した意識にはない。
そう考えると、生活者本人に訊けば、それがそのまま生活者視点であるという考え方が、うまくいかないことにも納得がいくのではないか。
私たちはいつのまにか数字を絶対視し、文字通り偏重してしまっている。
なぜ企業は、これほどまでに数字を重視するようになったのだろうか。
もともと数字というものは、見えにくいものを単純化してわかりやすくする目的で用いられていた。
だが、問題はそこからそぎ落とされてしまうものもある。
数字には、測定できるものしか表現されない。
そのため、扱いやすくはなるものの、視点が一面的になってしまいがちなのである。
数字を絶対視したくなるのもわからなくはないのだが、数字がすべてを表しているわけではないのだ。
アンケート調査ひとつにしても、前提をどう設定するかによって、結果が大きくちがってしまうのだ。
客観性の代名詞のようにいわれる数字も、じつはきわめて主観的で、流動的なものなのである。
同じようなことはマーケティングの現場にも見られる。
データ入力やデータ分析や報告書の作成に追われてばかり
■ 「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
危険なのは、ツールそのものを解決策と勘違いし、ツールさえあれば関係者が連携しなくてもうまくいくと思ってしまうことだ。
実際、方法論の多くはそのような考えのもとに発展した。
もともとは人間のために開発された方法から、いつのまにか人間的な要素が取り除かれてしまったのである。
気がつけば、莫大な量のデータや資料を用いる方法論になってしまい、報告書の作成に際限もなく時間を取られることになった。
そんなことに骨を折るぐらいなら、現場の関係者の話を聞き、みんなで協力してクリエイティブな方法で問題を解決することができるはずだ。
人間こそ問題の原因であり、解決の手立てなのだ。
にもかかわらず私たちは、データ入力やフローチャート作成やソフトウェアのインストールやデータ分析や報告書の作成に追われてばかりで、みんなで実際に業務プロセスの問題に取り組む時間を取れずにいる。
結局、意味のある改善活動など行っていないのだ。
資料や報告書や計画自体は、改革プロジェクトの本当の成果物とは言えない。
「どうしたらもっとよいサービスを提供できるか」と言っていた企業が「どうしたら最も儲かる契約を取ってこられるか」と言い始めたり、「どうしたら人の命を救う薬を開発できるか」と言っていた企業が「どうしたら巨額の利益を出せる薬品を開発できるか」などと言い始めたりしたら、企業が衰退に向かっている警告のサインだ。
お金は成功の指標のひとつにすぎない。
お金は手段にしてもよいが、目的にしてはならない。
お金が目的になってしまうと、価値を付加することがおろそかになり、やがて会社が滅びることになりかねない。
数値データを集めることだけに注力しないことだ
■ 「戦略「脳」を鍛える」
気をつけていただきたいのは、アンケートやインタビューで数値データを集めることだけに注力しないことだ。
企業が新しい商品やビジネスモデルをつくるとき、いろいろな調査を行って数多くのサンプルデータを集めたりするが、こういったアプローチによってイノベーションといえるような新しい商品が出てきた例はほとんどない。
なぜなら、本来消費者は一人ひとり違うものであるのに、たとえば100人にアンケートして出てくる結果は平均化されてしまうため、本当の姿がわからなくなるためである。
情報は、消費されてもすり減ることはない
■ 「機械との競争」
情報は、消費されてもすり減ることはない。
エリックがパンを食べてしまったらアンディはもうそのパンを食べられない。
だがエリックは、読み終わった本をアンディに貸してあげることができる。
このとき、本の中身は少しも減っていない。
いやそれどころか、エリックが読み終わった本はアンディにとってもっと貴重だと考えられる。
なぜなら二人はその本に書かれていることを共有し、それをもとにして新しいアイデアを共同で生み出せるかもしれないからだ。
あらゆる情報は、デジタル化すると一段と可能性が拡がる。
デジタル化された情報は、完全に同じものを無限に複製できるし、それを世界中に瞬時に配布することもできるからだ。
しかも追加的な費用はほとんどかからない。
その一例としてはインターネットを挙げれば十分だろう。
インターネットは、人類の歴史が始まって以来最大規模の情報の貯蔵庫である。
このようなものはかつて存在したことがない。
しかもインターネットは、情報をしまっておくだけでなく、高速・高効率・ローコストで全世界に流通させるネットワークである。
そのうえこのネットワークは万人に開かれている。
誰もがアクセスし、参加し、自分のアイデアを送り込むことができる。
汎用技術は、それ自体が時とともに向上するだけでなく、それを使う製造プロセスや企業や産業にもイノベーションを促す。
一言で言えば、次から次へと、広く、それも根深い恩恵をもたらすのが汎用技術なのである。
汎用技術が、生みの親の産業にだけ利益をもたらすわけではないことに注目してほしい。
たとえばコンピュータは、ハイテク産業のみならず、デジタル技術やデータを扱う産業すべてにメリットをもたらす。
そして今日では、あらゆる産業がこれに該当する。
コンピュータは、現代における汎用技術である。
とりわけ、ネットワークと結びついたICTと呼ばれるものは強力な汎用技術だ。
コンピュータとネットワークがもたらす新しいチャンスはそれからそれへと拡がっていく。
それは創造的破壊の継続的なプロセスであり、新技術と既存技術を組み合わせることによって、仕事、職業、ひいては企業のあり方そのものにも深い変化をもたらすだろう。
こうした変化が重なり補い合って、可能性は絶えず拡がっていく。
インターネットの出現で、すべての人が世界中の知識や知恵を利用できるようになった。
これは、従来は考えられなかったことである。
また企業は、新市場開拓の手段と新たな販売チャネルを手にすることができた。
さらにソフトウェアのおかげで、企業はまったく新しい業務プロセスを設計し、広範囲の業務をつねに視野におさめてコントロールし、膨大なデータを収集・分析することも可能になった。
こうした進歩は、時が経てば色あせて消えてしまうようなものではない。
それどころか、初期の進歩と後発の進歩とが組み合わされ新たな発展につながるという具合に、一段と進歩し続けるだろう。
膨大なイノベーションが、製造、流通、販売、メディア、金融、法律、医療、研究、経営、マーケティングなど、経済のあらゆる分野、企業のあらゆる機能を変えつつある。
医療、法律、金融、小売り、製造、そして科学的発見においてさえ、競争に勝つカギはマシンを敵に回すことではなく、味方に付けることなのだ。
幸いなことに、人間はまさにコンピュータが弱いところに強い。
したがって、お互いにすばらしいパートナーになる可能性は十分にある。
このパートナーシップがうまくゆけば、コンピュータにいいところをすべて攫われるという心配はあまりなくなるだろう。
膨大なデータがあふれているが、得られるのは一般論ばかり
■ 効率と効果は違う(Drucker’s view)
経営者の周りには膨大なデータや報告書があふれているにもかかわらず、実際に得られるのは、つかみどころのない一般論ばかりである。
だからこそ「私が勤める会社において、業績と成果を本質的に決定づけている要素は何か」という問いに、その答えとして「低コスト」「高い利益率」といった決まりの文句が無造作に口にされる。
業績志向のマネジメントは、売り手市場という好況期の間でさえ、たえざる徒労感を生じさせる源となりがちである。
また、好況期が去り、市場競争が再び激化すれば、業績志向のマネジメントは多大な混乱やプレッシャー、不安感を引き起こすため、企業の将来はもとより、短期的な成果についてですら正しい決定を下すことはまず無理だろう。
情報とは組織を一体化させるものであり、成果を上げさせるもの
■ ドラッカー365の金言BOT
情報とは組織を一体化させるものであり、かつ一人ひとりの知識労働者に成果を上げさせるものである。
したがって、組織としても個人としても、いかなる情報を必要とし、いかにしてそれらを手に入れるかを知らなければならない。
情報型組織が成立する条件は、全員が情報に責任をもつことである。
成功の鍵は、自分の情報を必要としているのは誰か、それはどのような情報か、逆に自分は誰の情報を必要としているかを全員が自問することである。
あなたの仕事は何か、貢献は何か、組織にとって重要なことは何かを考え、あなたと組織が必要としている情報は何かを考えてください。
今の情報システムから経営者に必要な情報が出てこないのは当たり前
■ 経営者が「役に立たない情報システム」を作らせる
今の情報システムから、経営者に必要な情報が出てこないのは当たり前です。
なぜなら、必要な情報を得られるようにシステムを作っていないから。
システムを作った後に、こういう情報が欲しいと言っても、出てくるわけがありません。
そして、システムを作る際に、こういう情報が欲しいという要件を出せない経営者がほとんどです。
システム設計者は、経営者の意思を推測して設計する。
あるいは、経営者や現場が半ば思いつきで希望した情報だけを出せるように設計し、「言われた通りに作りました」と言う。
その結果、経営者と現場の双方に不満が残り、システム設計者にその矛先が向くが、設計者は「経営者が悪い」「指示通りにしただけ」と言い返し、3者の不満が高まって終わる。
「現地」「現物」を伴わないデータは判断を誤らせるリスクがある
■ 「現場力を鍛える」
トヨタに「三現主義」という言葉がある。
三現とは「現地」「現物」「現実」のことであり、トヨタの社員に染み込んでいるDNAのひとつである。
(「現実」の代わりに「現状分析」をあげる人もいる)
頭でああだこうだと考えるよりも、まず現地にとび、現物を確認し、現実を認識することが何より重要であり、それがすべての思考、行動の出発点となるべきだという考え方である。
まさに、「百聞は一見に如かず」の思想である。
あらゆるデータや情報が苦もなく入手できるようになると、経営者、管理職、そして現場従事者までもがそれらを見るだけで今現場で何が起きているのか分かった「気」になってしまう。
これが怖い。
過去の延長線上の経営をしているうちは、過去の経験にもとづく判断の基軸が確立されているから、データをもとにイレギュラー管理をしていれば、大きな過ちを犯すリスクは小さかった。
しかし、ビジネスのスピード感が高まり、しかも市場の見えないニーズを先取りして、需要を喚起し、生産や在庫、顧客満足をコントロールしなければならない今、過去の結果にすぎないデータだけを眺めていても、今後どうすればよいのかのヒントや指針は見えてこない。
データや情報が効力を発揮するのは、三現主義のうちの「現実」、すなわち「現状分析」の部分にすぎない。
「現地」「現物」を伴わないデータはかえって判断を誤らせるリスクがあるのである。
情報のフィルタリング
■ 「なぜ危機に気づけなかったのか」
情報のフィルタリングが比較的、無意識のうちに行なわれることがある。
部下は効率性への配慮から、リーダーのために情報を要約したり、整理したりすることがある。
リーダーも部下も、関連性のない情報や信頼性のない情報で時間を浪費したくない。
また部下は、リーダーにその手を煩わさなくても解決できる、あるいは解決すべき問題で時間を浪費してもらいたくないと考えている。
問題を組織の上のレベルに上げれば、自分が決断力に乏しい、いや最悪の場合、まったくの無能であると見られるのではないかと恐れる人は多い。
なぜこんな問題を自分で解決できないのか、あるいはたいして重要でもない問題なのになぜリーダーに「時間の浪費」をさせるのか、などと言われるのを恐れているのだ。
スケジュールが過密であったり、会議の議題が盛りだくさんであったりすれば、フィルタリングをする必要性がさらに高いと考える。
トップマネジメントがかなり短時間で意見の一致を見たような場合にも、部下は情報のフィルタリングをすることがある。
こういう場合、大多数の意見に従わなければならないという圧力を感じるものだ。
リーダーとしては、すでに決意を固めているという印象を強めることによって、いつでも大勢順応への圧力を作り出すことができる。
リーダーが純粋な好奇心を示したり、もっと詳しい事情を知りたいという気持ちをあらわにすることを止めてしまえば、耳障りな情報のフィルタリングを促すことになる。
心理学者は、人が偏見に従って情報を処理する傾向があることを明らかにしている。
人は、自分が現在持っている意見や仮説と一致する情報を探し求める傾向があり、また特定の問題に対する自分の現在の姿勢を否定するようなデータを避けたがり、場合によっては無視することすらある。
このような傾向を、心理学者は確証バイアスと呼んでいる。
人は必ずしも偏見に基づいて情報を取り入れていることに気づいていない。
さらに、人はこの偏見をさまざまな形で見せる。
見せ方が露骨な人もいれば、そうでない人もいる。
自分自身のためにデータを収集し、分析する場合でも、明らかに偏った方法を用いることがある。
その人の考え方に対する自分自身の好みによって、会議にある人を招いたり、招かなかったりすることがある。
しかし、確証バイアスがもっと微妙な形で現れることがある。
たとえば、ある好ましい選択肢を指示する発言が繰り返されることによって、その選択肢に対するモメンタム(勢い)がはっきりと高まるように、一定の順序をつけて会議での発言の順番を決めることがある。
重要な意思決定をする人の隣には、その決定を否定するような情報を持つと見られる人が座ることがないように会議室の座席を決めることもある。
物理的に距離を置くことで、権力に関する強力な信号を送り、そうすることで会議室の中に現存する世界観にそぐわない情報を持ち出すのを思い留まらせようというのだ。
とくに気をつけたいのが「データの出所」と「言葉の定義」
■ 「疑う力」
数字を見るとき、とくに気をつけたいのが「データの出所」と「言葉の定義」です。
信憑性の低いデータを使っていたり、言葉の定義が曖昧なことも珍しくありません。
どこかのデータをそっくり引用し、かつ定義だけは抜け落ちているといったこともあります。
普及率は、「あなたは、まだ使っていないのですか?」「時代に乗り遅れていますよ」「もう購入したほうがいいですよ」といったイメージを相手に与えたいとき、よく使われる数字です。
「普及率」に騙されないためには、まず周囲を見渡して、数字と実感が合っているかを検証する必要があります。
実感と違う場合、数字は事実でも、じつは金額ベースだったとか、特殊な母集団を調べた結果だったということが少なくないのです。
数字でよく混乱する例として、農林水産省が発表している「食料自給率」も有名です。
「日本の食料自給率は40%」といった数字をよく見かけます。
そこから「日本の食料自給率は低い。もっと高めなければ、日本の食は危ない」といったキャンペーンが張られたりもしています。
あまりにも多くの学者が指摘するので、最近では農水省も「カロリーベース」という但し書きをつけるようになりましたが、じつは世界で食料自給率をカロリーベースで出している国は日本ぐらいで、ほかにはほとんど例がありません。
多くの国が使っているのは、「生産額ベース」です。
生産額ベースで見ると70%になりますが、「70%」と聞けば、それほど低いとは感じません。
危機感を煽って食料自給率をもっと高めたいと思っている人たちにとっては、生産額ベースというのはあまり使い勝手のいい数字ではないのです。
カロリーベースによる食料自給率では、誰でもおかしいと感じられる数字も出てきます。
たとえば、卵の自給率はわずか10%しかありません。
つまり90%が輸入というわけですが、それほどの卵を外国から輸入しているという話を聞いたことがありません。
そのカラクリは、カロリーベースの場合、「餌の自給率」も含むことにありました。
あえて飼料自給率を考慮した値を発表するのは、その時々に応じて、自分たちに都合のいい数字を使おうという意図があるように思えてなりません。
「平均値」という指標は、注意しないと無意味な場合も少なくはありません。
たとえば50点を取った人はクラスに2人しかおらず、残りは0点と100点の人が半々という集団も平均は50点になりますが、これは「平均点は50点」と聞いたときの私たちのイメージとは違うでしょう。
センター試験の数字も、平均が意味を持たないものの一つだといえるでしょう。
平均点だけを見るのが無意味というのは、合否を決める側の大学や企業にもいえます。
平均点だけを見ても、その人の実力はわかりません。
平均点だけで合否を決めると、まったく予想外の人間が入ってくることにもなるのです。
「平均」が実態を表していないもう一つの例として、「日本人の平均貯蓄額」があります。
生活という面で考えるなら、貯金だけでなく負債もセットで見ることが大事です。
そうした実態を無視して、ただ「日本人の平均貯蓄額」議論をするのは非常に危険です。
現実の社会は、「平均貯蓄額がいくらだから、日本人の暮らしはこうだ」と言えるほど単純なものではありません。
短い言葉で数字を説明したときは、どこか怪しいと思ったほうが賢明です。
人は情報が少なく、自分で検証が難しい問題について、「権威」の言うことを信じたがります。
人が無条件に信じてしまう「権威」には、「警察官」「医者」「大学教授」「人気タレント」などがあります。
これら「権威」の言うことを、多くの人は無条件に信じます。
ステレオタイプな権威への妄信が、「疑う力」を停止させ、思考停止に陥らせる一つの原因です。
ほかにもステレオタイプな考え方の例として、「東大生 = 真面目」というものや「マスコミ = 権威」というものがあります。
さらに多くの人が思い込みがちなステレオタイプとして、「官僚 = 優秀」があります。
逆に言えば「権威」に対して強くなれば、「疑う力」は向上します。
たとえば国が発表したからといって、正しいとは限らないと考えるなど、つねにそういう思考の癖を身につけておくのです。
情報でもう一つ覚えておきたいのは、単に知っているだけでなく、それを血肉化させることの重要性です。
「自分の言葉」として頭に入っていなければ、その情報の価値はゼロです。
ある講演会に参加して、「いい話を聞いた」と思うだけでは、単に感動しただけにすぎません。
本を読むときも同じです。
テレビから情報を取り込む場合も同じです。
一方だけの情報で説得しようというのは政治家や官僚がよく使う手口ですが、世の中に「絶対」はありません。
原発にしろ「絶対に安全」と言いながら、事故が起きました。
どんなものにも、いい情報と悪い情報があり、どちらか一方を封じ込めようとすれば、必ずいつかしっぺ返しが来ます。
その意味では、マイナス思考をもつことも大事です。
よく「マイナス思考はダメだ」と言われますが、「疑う力」を発揮しているときは、間違いなくマイナス思考を行っています。
プラス思考は「信じる力」を発揮するときには大事ですが、「疑う力」を発揮するにはマイナス思考が欠かせません。
多くの企業が「なぜ?」と自問していない
■ 「できない人ほど、データに頼る」
小さな子供に、「なんで?」と何度も質問され、困った経験は誰にでもあるでしょう。
なんども「なんで?」と繰り返し質問されると、「そういうものなの!」と思わず叫びたくなりますが、子供は納得してくれません。
私たちは年齢を重ねると、次第に「どうして?」と尋ねなくなります。
大人になると、物事をそのまま受け入れて疑問を持つことができなくなり、「なぜ?」と質問することが減っていきます。
人間は本来疑問を感じ、自分は何のために生まれ、何をすべきなのかを考える能力を持っています。
反論のためでなく、物事を深く理解するためです。
理解すると、さらに改善できるからです。
毎日の生活でも、
「なぜ、この仕事をしているんだろう?」
「なぜ、この家に住んでいるんだろう?」
「なぜ、この人と結婚したのかしら?」
「なぜ、この人は友達なの?」
など、本来問いかけることはたくさんあります。
しかし、ビジネスの世界では、「なぜだろう?」という疑問はあまり持ちません。
「どのように」ではなく、「なぜ?」と質問することが大切です。
問題点が具体的に浮かび上がり、その答えを解く糸口を見つけられるからです。
「なぜ?」と自問すると変化が生まれ、観察すると「なぜ?」という疑問が湧いてきます。
自分が大切にしていることだから、
「なぜ、そうなんだろう?」
「なぜ、変えられないんだろう?」
と問いかけられるのです。
「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません。
しかし、いまだに多くの企業が「なぜ?」と自問していないのが実情です。
情報とデータの違いとは?IT(ICT)の活用等との関係って?
(パート2)
で・・・
上記を踏まえた上で、例えばこんなのからも一応念のために考えてみるのはどーでしょう?
d(⌒ー⌒)
データとは?
○ ウィキペディア
データとは、情報の表現であり、伝達、解釈、処理などに適するように形式化、符号化されたもの、または再度情報として解釈できるものをいう。
○ e-Words
データとは、何かを文字や符号、数値などのまとまりとして表現したもの。
情報とは?
○ e-Words
人間にとって意味のあるものや、データを人間が解釈した結果のことを情報と呼ぶ。
○ IT用語辞典バイナリ
情報とは、発信者から、何らかの媒体を通じて受信者に伝達される一定の意味を持つ実質的な内容のことである。
一概に情報といっても、そこには多種多様な形態がある。
例えば、紙に記された記録や、人間同士の会話、コミュニケーション、機械と機械、あるいは、機械と人間の間で交換される信号などである。
Webや電子メールを代表とするインターネットのような通信路を経たメッセージ伝達や、コンピュータ機器を介在する信号の交換なども、そのような情報の一形態として見ることができる。
いずれの場合にも発信者があり、意味を担う信号を何らかの媒体に載せて受信者に向けて伝達している。
伝達される内容が情報と呼ばれている。
情報とデータの違いとは?IT(ICT)の活用等との関係って?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「言われてみたら、経営に役立つ情報と経営に役立つデータって違うような気がしなくもないのかも~??? (;・∀・) 」
「んじゃー、経営に役立つ情報って何なんだろ~???経営に役立つデータって何なんだろ~???経営に役立つIT(ICT)って何なんだろ~??? (´ε`;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってゆーか、そもそも経営って何なんだろ~???何をしたら経営と言えて、何をしていなかったら経営とは言えないんだろ~??? ( ̄▽ ̄|||) 」
「経営にIT(ICT)を活用するには、どーしたらいいんだろ~??? (; ̄ェ ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「何のために、情報やデータが必要なんだろ~??? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
「何のためのIT(ICT)なんだろ~??? ( ̄∧ ̄ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「なーんだ、できるコトって意外とまだまだあったのかも~ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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