「知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いって何だろ~? ( ゜Д゜) 」
「ってか、知恵と知識って何がどう違うんだろ~? ( ̄▽ ̄;) 」
「人材育成なんかをやっていると、知識不足とゆーよりもしかして知恵が不足しているじゃないのかな~?って感じることもあるんだよね・・・ (・_・;) 」
「かと言って、知識が全然必要ないとか知識が完璧に足りているってワケでもないと思うんだけど・・・ ( ̄∧ ̄ ) 」
「必要になるのって知識が先なんだろーか?知識があるから知恵を出せるようになるってことなんだろーか? (;´д`) 」
「それとも、知識よりも知恵が先なんだろーか?知識がなくても知恵って出てくるものなのかな~?知識がないと知恵って出てこないような気がしなくもないんだけど? ( ̄ー ̄?)」
「一般的な知識だったら、インターネットや市販本を活用するとかすれば、ある程度身につけることができだろーから、自社でわざわざ人材育成をやらなくてもいいような気がするんだけど、じゃあ知恵に関してはどんな研修をやったらいいのか、何をどう教えたらいいのかって考えると頭が痛くなっちゃうんだよねー 。゚(゚^o^゚)゚。 」
「だって、いくら知識をつけたところで知恵につながるとは必ずしも言えないように感じちゃうし、それってどーしてなんだろ~?何が原因なんだろ~? (´ε`;) 」
「それぞれが担当している仕事や業務でも、組織全体としても会社全体としても、知恵を上手く活用するにはどーしたらいいんだろ~? (ーー;) 」
「従業員ならではの知恵を組織的に上手く活用して、自社の強みと言えるぐらいに向上させたり、他社との差別化を図ったりするには、どんな人材育成をすればいいんだろ~? p(´⌒`q) 」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「三方よしの経営相談」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などなどのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いって何だろう?
(パート1)
んーと・・・
会社で言うところの知恵と知識の違いとか、知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いとかとは一見、全然関係ないように思えるかもしれないけど・・・
視点が変われば何か気づくこともあるかもしれないので、例えばこんななんちゃっておちゃらけたとえ話からまずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いって何だろう?
なんちゃっておちゃらけたとえ話バージョン
ある日のこと、仕事の関係でどこかに行こうとしていたところ、事故に巻き込まれてしまい、気が付いた時には無人島らしき島に流れ着いたとするっす~。
辺りを見回してみると、幸いなことに持っていたかばんも奇跡的に一緒に流れ着いていますた。
この無人島で生き抜くために何か役立ちそうなものはないかと、かばんの中を見てみると、仕事で使う予定だったあーんなものとかこーんなものとかがあったとするっす。
まずは助けを呼ぼうと思って、かばんからスマホを取り出したところ、残念ながら水没してしまっていて使えません。
パソコンも水没してしまっていて使えません。
よって、電話やメールを使って助けを呼ぶこともできなければ、ここはどこなのか知りたくてもGPSも使うこともできなければ、何かを調べたくてもインターネット検索も使えない状況っす。
こりゃー、助けを呼ぶのはムズそーだなーと感じたので、イカダをつくって自力で脱出することにしたとするっす。
それまでの間、この無人島にあるものと自分のかばんの中やポケットの中にあるもの、着ている服などをフルに活用して、生き抜く羽目に陥ったとするっす。
自社が(自分が)、もしもこーゆー状況に陥った場合・・・
どんな知識が役に立つんだろーか?
どんな知識は役に立たないんだろーか?
どんな知恵が役に立つんだろーか?
どんな知恵が必要になるんだろーか?
などについて考えてみると、気づくことって何かあるんじゃーないかな~?
知恵と知識の違いとか、知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いとかについても、気づくことって何かあるんじゃーないかな~?
なーんて感じちゃったりなんかしません?
o(*⌒O⌒)b
知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いって何だろう?
もうちょいマジメなバージョン
これだけで終わらせちゃうと・・・
「あ゛!?そーんな状況に陥ることなんて滅多にないし!! (*`θ´*) 」
「インターネット検索が使えないような状況を経験したことなんかないから、想像すらできんしぃ~ q( ̄3 ̄)p 」
「そんな使えねぇーなんちゃっておちゃらけたとえ話をしてないで、知恵と知識の違いについてとっとと教えろっちゅーに!! \(  ̄曲 ̄)/ 」
「そんななんちゃっておちゃらけたとえ話なんかよりも、知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いの違いについて、さっさと教えろっちゅーに!! ヽ(`⌒´メ)ノ 」
などと怒られちゃうかもしれないので・・・(汗)
上記を踏まえた上で、例えばこーんな視点からも知恵と知識の違いとか、知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いとかについて考えてみるのはどーでしょう?
(〃⌒∇⌒)ゞ
こーゆー視点から考えてみた場合・・・
どんな知識が役に立つんだろーか?
どんな知識は役に立たないんだろーか?
どんな知恵が役に立つんだろーか?
どんな知恵が必要になるんだろーか?
などについて考えてみると、気づくことって何かあるんじゃーないかな~?
知恵と知識の違いとか、知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いとかについても、気づくことって何かあるんじゃーないかな~?
なーんて感じちゃったりなんかしません?
d(⌒ー⌒)
知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いって何だろう?
(パート2)
んでもって・・・
灯台下暗しや盲点になっていることも意外とある
かもしれないので、上記を踏まえた上で例えばこーんな視点からも知恵と知識の違いとか、知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いとかについて考えてみるのはどーでしょう?
d(⌒ー⌒)
大きな困難を乗り越えていく知恵と力を結集するには
■ 「職場は感情で変わる」
そもそも人は何のために組織をつくるのでしょうか。
答えは単純です。
一人ではできないことがあるからです。
大きな石を運ぶのに自分だけの力ではどうにもならない。
だから、人の力を借りて運ぶ。
みんなで一緒に石を運ぶ。
そして家をつくり、農地をつくり、食糧を確保し、分け与え、家族を守る。
これが、人間が生き残るためにとってきた方法です。
だから、他の動物よりも大きな集団をつくり、大きな困難を乗り越えていく知恵と力を結集することができる。
会議は、みんなで一緒にやらなければならないことを相談したり、すり合わせたり、あるいは個々人では解決できないことをみんなに相談して、知恵をもらったりする・・・
本来は、そうしたみんなの力を借りるために実施するものです。
でなければ、マネージャーとメンバーが一対一で確認し合えばよい。
多くの人が一堂に集まる必要があるのは、みんなで大きな仕事をしているからか、お互いの知恵や経験を借りないと各人の仕事がうまくいかないからです。
顧客のニーズの変化やスピードに対応するために他の人の経験や知恵が欲しい。
状況によっては、複数で対応した方がもっといい提案ができるかもしれない。
こんなときに、人が集まって一緒に話し合うことが必要なのです。
一人で抱え込んで、一人で悩んで、一人で潰れていく・・・
そんな状況はつくってはいけない。
だから、会議の場でお互いに困ったことがあれば持ち寄る。
そこで上司だけでなく先輩や同僚、あるいは後輩からも知恵を借りる。
お客さんに良いものを提供しようとしたら、もっといい方法はないかを考えるのは当たり前。
ただ、それを経験が少ない若手メンバーが一人で頭を抱え込んでも出てこない。
ならば、みんなの経験を持ち寄ってみよう。
ここで気をつけないといけないのは、そんなこともわからないのかと説教を始めたり、自分で考えろと突き放したり、相談するのはできない奴らだという意識を持ったりしてはいけないということです。
そんなことをしてしまったら、誰も相談できなくなる。
誰も困っていることを素直に言えなくなる。
だから、ちょっとしたことでも、困っていることがあったら言ってみよう。
みんなの知恵や経験を借りたいことは、相談してみよう。
大事なのは「意識」と「知識」の両輪
■ 「借金なんかで死ぬな!」
借金苦や経済苦で自殺してしまう人の多くは、「誰にも相談できずに」「一人で悩みながら」自ら命を絶ってしまっています。
逆にいえば、「相談しさえすれば、あるいはちょっとした知識さえ身につけることができれば、自殺などせずに済んだろうに・・・」というケースがあまりにも多いと感じます。
それだけの救済制度が、現在のわが国には整っているのです。
あとはそれを知っているかどうかと、活用するかどうかだけです。
しかし残念ながら、その「知識」は、あなた自身が積極的に動かなければそう簡単には手に入りません。
テレビや新聞など主要メディアでは、あまり詳しく解説してくれないのが現状です。
情報は向こうからやってきません。
自発的に情報収集したり、相談したりする必要があります。
ここで非常に重要になってくるのが、「意識」の問題です。
積極的に動いて情報収集しようという「意識」がなければ、あなたを救ってくれる「知識」に辿り着けないのです。
自営業者にとっては「事業に失敗すること」は「ほぼ全ての資産を失うこと」とイコールです。
にもかかわらず、失敗したときに備えての「意識」があまりにも希薄です。
「知識」もあまり行き渡っていません。
悲劇の原因はここにあります。
過酷な自営業といえども、倒産の回避方法は数多くあります。
どんな末期症状でも、解決の道筋は最低でも2、3通りはあるものです。
大事なのは、「意識」と「知識」の両輪です。
「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません
■ 「できない人ほど、データに頼る」
小さな子供に、「なんで?」と何度も質問され、困った経験は誰にでもあるでしょう。
なんども「なんで?」と繰り返し質問されると、「そういうものなの!」と思わず叫びたくなりますが、子供は納得してくれません。
私たちは年齢を重ねると、次第に「どうして?」と尋ねなくなります。
大人になると、物事をそのまま受け入れて疑問を持つことができなくなり、「なぜ?」と質問することが減っていきます。
「なぜ?」と自問すると変化が生まれ、観察すると「なぜ?」という疑問が湧いてきます。
自分が大切にしていることだから、「なぜ、そうなんだろう?」「なぜ、変えられないんだろう?」と問いかけられるのです。
「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません。
しかし、いまだに多くの企業が「なぜ?」と自問していないのが実情です。
変幻自在で無尽蔵のきわめて有機的な資源といえるのが「組織の知恵」
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
競争環境にあって、これからどこに優位性を求めて勝負していくのかといえば、もはや力をもつのは、ひと握りの才能による突然変異のような「発明・発見」ではない。
経営のめざす方向性や方針やプランを、市場や顧客との間に立って実行可能なものに具体化し、実行を通じて新しいものを生み出していくことのできる「チームによるイノベーションの力」だ。
それには現場のたくさんの知恵を要する。
これは、秀でた知恵や能力をもつ「個人」をどう育てるか、という個人レベルの知恵の話ではない。
どんなに優秀な頭脳の持ち主であっても、現状打開のための知恵というのは一人で考えて出て来るものではない。
もっと大きな環境として、経営はどうやって組織的に人の知恵が発現しやすい状態をつくるか、という「組織レベルの知恵」の問題だ。
それは見方を変えれば、企業にとって、人の可能性を組織の可能性に変える方法を新たに身につけるということなのだ。
知恵の生まれにくい環境をよく理解していないと、「うちの社員はいわれたことしかやらない」「自分で考えて仕事ができない」と外部から人を採って戦力強化をする、「生産性が低い」と管理ツールを導入する、といった矢継ぎ早に繰り出す目先の打ち手が逆効果になってしまうことがある。
そのことが、さらに社員の気持ちを冷え込ませてしまうことにもなりかねない。
だからこそ、現状を違う視点で問い直す必要があるのだ。
自社には本当に知恵がないのか。
秀でた能力や経験の持ち主を外部から採って戦力の強化をするしか方法がないほど、今の組織には人材が枯渇しているのだろうか。
上司と部下の関係が良好な場合は、部下から上司に相談する、何か提案する、試しにやってみる、といった行動がおきやすい。
知恵の出やすい状況だといえる。
上司のマネジメントが指示型で一方通行の場合、部下は亀が甲羅に首を引っ込めたような状態になり、余計なことはいわない、しない、というふうに自発性を封じ込めてしまう。
積極的に知恵を出すことは、むしろリスクを冒すことにほかならない。
「知恵を出すだけ損をする」状況なのである。
少なくとも知恵を出そうという時には、上司は部下に対して「根拠は何か、大丈夫か」と詰め寄るのではなく、もっと発想が広がるような投げかけを心がけるべきだ。
たとえば、「どうすれば失敗しないか」ではなく「どうすれば実現に近づけるのか」という具合に。
そうすれば、アイデアの素に多少問題があったとしても、アイデア自体が潰れることはなく、それが芽を出して膨らんでいく可能性が残る。
何かを考えたりやろうとする時、必要なのは気軽に相談できる相手だ。
一人で問題を抱え込んでしまうと、解決の糸口が見つからずに悶々とする。
行動も周囲の応援や協力があれば起こしやすいが、誰か協力してくれる人がいるかどうか前もってわかっていないと、初めの一歩がなかなか踏み出せない。
周りにいる人たちが、自分の意見を聞いてくれる、受け止めてくれる、せめて自分を攻撃しないとわかっていなければ、「こうしたい」「やろう」ということすらいい出しにくい。
職場に安心してものがいえる雰囲気があって、メンバー同士が気楽に話をし、一緒に考えようという関係性になっていないと、知恵は引き出されてこないのだ。
本来、人に内在している「知恵」という資源は、人の自発性にくるまれている。
意のままに制御できる機械と違って「自発性」という内発的なエンジンで動いているから、基本的に本人以外には自由に出し入れができない。
その代わり、指示したようにしか動かない機械とは違って、人は自らの発意で理屈抜きに、見て感じて・気づいて・考えて・工夫して・動いて・学ぶことができる。
たとえば、誰かが困っているのを見れば、頭で考えるまでもなく助けようとして思わず手が出る。
目の前の顧客が本当に必要としていると感じれば、何とかしてあげたいと知恵をめぐらせ、あちこちにかけ合って役立つ方策を見つけ出す。
わざわざプログラムするまでもなく、知恵というのは人のなかに備わっている自然な働きだから、それが自然に喜んで出てくるような環境にあれば自発的に動き出すのである。
会社が本当に危機的な状況に直面した時には、今いる社員みんなの知恵と力でこの窮地を脱していかなければならない。
その時メンバーのなかに「何とかしたい」という自らの強い思いがあり、同時に「何とかできる」と現実にそれができるような組織、職場の状態にあれば、今あるものを今までとは違う見方や発想でとらえ直したり、人と相談してやり方を工夫したりして、何とか現状を打開する方策を見つけようとする。
この本心から「何とかしたい」「何とかしよう」という心の働きによって知恵は生まれてくる。
そんな変幻自在で無尽蔵のきわめて有機的な資源といえるのが「組織の知恵」なのである。
人と人との掛け合わせによる組織力のなかで生み出される変幻自在、無尽蔵の「組織の知恵」は重要な経営資源であり、それをいかに理解して獲得していくかが企業経営の成否を分けることになる。
「三人よれば文殊の知恵」が成り立つとき、成り立たないとき
■ 「組織力を高める」
「三人よれば文殊の知恵」という言葉がある。
この言葉は、具体的に物事を行う場合や、意思決定を行う場合、個人の判断よりも集団の判断のほうが優れているに違いないということを表している。
意味するところは、次の2つの側面に分けられることになる。
1つは、個人で何かをするより、集団でしたほうが、平均的に優れた結果が生まれるという側面である。
集団の中に優れた人がいれば、その人にみんなが引っ張られて、みんなの結果がよくなるということである。
もう1つの側面は、一人でやっていた時には存在しなかったものが、集団でやることで新たに生み出されるということである。
これを「創発」と呼ぶ。
この2つが「三人よれば文殊の知恵」の効果であるが、注意しなければならないことがある。
それは、これら「三人よれば文殊の知恵」の効果は、ただ単に3人が寄り集まって仕事をともにしても手に入れることはできないということである。
すなわち、チームをつくれば、自然に「三人よれば文殊の知恵」の効果が働き、チームとしての力が発揮される、という淡い期待は捨てなければならない。
また、何もしないで新しいものが生まれてくるというのも、期待できないわけである。
何もしなければチームとしての総合力を発揮することもできないし、新しいものも生まれてはこない。
では、なぜ「三人よれば文殊の知恵」が成り立たないのか。
それは、個人が集団に組み込まれることで、個々のメンバーのモチベーションが低下してしまうからである。
「チーム全体としての結果はもちろん高いほうがいいが、自分の労力は抑えたい、なるべく楽をしたい」というフリーライダー(ただ乗り)の誘惑が生まれてしまうのである。
さらに、実務的な作業であれ、知的な作業であれ、必ずどこかのプロセスにおいてボトルネックが発生してしまう。
その他のプロセスとの調整を行う際に、必ずといっていいほど無駄が生じてしまう。
また、それ以外にも「同調圧力」が働く場合もある。
その結果、チーム全体として間違った方向に進んでしまったりする。
このように、ただ単にチームで活動すればチームとしての力が発揮できるというのは幻想である。
マネジャーはチームの行動特性を理解し、メンバーを率いていく必要があるのだ。
「文殊の知恵」は、マネジャー次第ということだ。
風通しが悪い組織では新しい知恵が生み出されにくい
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
「情報共有」の問題は、「組織の風通し」の問題でもある。
部門間での連携の悪さや、現場の問題が上層部に伝わりにくい、などの問題だ。
一人ひとりはかなり優秀で、知識もそれなりにしっかりしたものを持っていても、風通しが悪い組織ではそれが生きてこない。
せっかくいい意見を言う人がいても、「どんなことを言っているか」という中身よりも「誰が言っているか」という形式を重視する組織では、新しい意見が認められることはほとんどない。
だから、誰も自分の意見など言わなくなる。
それに、風通しが悪いというのは、自由な雰囲気の中で意見をぶつけ合うことができないということだから、コラボレーションも起きにくい。
新しい知恵が生み出されにくいのだ。
100人いるから出力が100になるのではなく、せいぜいよくて50や60にしかならない。
お互いにけん制し合い、ひそかに足の引っ張り合いをする。
どうしてもそういうほうに力が割かれてしまうからである。
したがって、いくら合理化を進めて部分的には効率的になっても、組織の生産性は思うように上がらない。
部分としては合理的になっている場合でも、全体としてはたいして生産性が上がっていないのだ。
こういう組織で仕事をしていると、当然ながら社員の士気は上がらない。
どこかいきいきしてこないのだ。
だから、組織を変えようというとき、氷山の上の部分だけを変えようとしても、下の部分に邪魔されてうまく変化していかない。
制度やシステムを変えようとするだけでなく、風土や体質といった下の部分も同時に替えていくことが必要なのである。
経営者や管理職の多くは仕事のできる人であればあるほど、「経験も情報もいちばん豊富に持っている自分が、考えるべきことを考えて、方針を出すのは当たり前だ」と思っているから、「自分が決めた方針に何か問題があるなら言うべきでしょう」という姿勢になる。
そして、
「問題がなければ、仕事なのだから、上の方針に従って仕事をするのは当たり前でしょう」
「なんでやらないの?」
という姿勢になる。
このような上司や経営者の問題意識は、「自分のつくった方針をどうすれば実効させることができるか」に集中している。
「いくら言って聞かせても実行しようとしない部下に、どうすれば意識改革を迫れるか」が変えるべき中身だと考えている。
実は「現状を変えていきたい」という意思を十分に持っているにもかかわらず、下からは「何も変えるつもりがない」と受け止められているケースが多い。
こうした場合、上が出す方針は結果として「無味乾燥な押し付け」になっていて、部下の知恵やアイデアを生かす工夫もたいしてなされていない。
要するに、上司や経営者と、部下とでは、変えたいと思っている中身がまったく異なっているのである。
知識労働は、新しい何かを創り出す「知恵の創出業務」
■ 「目標管理の教科書」
知識労働は自分の専門知識と他者の知識とを融合させて、新しい何かを創り出す「知恵の創出業務」である。
そのプロセスで、「あっ、そうか!」という気づきや新たな発見を手に入れる。
そういう仕事が知識労働の特徴であり、かなりの部分を当事者の自主性と自律性に委ねざるを得ない仕事である。
このような特性を持つ知識労働に、従来型の定型労働のマネジメントを適用するのは難しい。
定型労働は標準化が可能で、かつ肉体労働によって生産性が直接的に左右される仕事であり、命令とアメとムチ、教え込み型の教育訓練というマネジメント手法がぴしゃりと当てはまる。
つまり、定型労働は他律統制が可能なのである。
それに対して、知識労働は他律統制が難しく、自律統制を必須とする仕事である。
命令とアメとムチで知恵を出させるのは不可能だ。
知恵の出し方を教え込もうにも限度がある。
ヒエラルキーが強い組織では新しい知恵を生み出す共創が生じない
■ 「「応援したくなる企業」の時代」
共創型組織においても、責任の所在を明確にする意味でマネージャーは存在する。
が、このマネージャーは従来的な意味での管理者ではない。
ネットワークの構築者であるとともに、自身も網の結び目のひとつでもある。
課題の解決をはかるときには、彼らはそのフラットな立場から、ネットワーク内のだれかひとつにそれを投げかける。
すると全体が動き出し、「共創」した答えが返ってくる。
ついでにいうと、マネージャーはメンバー一人ひとりに対して、個別に念入りなケアをはかる必要もほぼない。
ネットワーク性が強まれば、メンバー同士、お互いの様子がわかるようになる。
そのぶん気にかけ合い、面倒を見合うようになるのだ。
そう考えると、マネージャーの立場からすれば、これほど動かしやすいチームはないはずだ。
とはいえ、トップダウン型にせよ、ボトムアップ型にせよ、現時点でヒエラルキーを前提としている管理型の組織を一気に共創型にシフトするのは簡単なことではない。
どちらも意思決定は「上」からか「下」からかの一方通行で決めるべきものという暗黙の前提に立っている。
「上」から落としても、「下」から上げても、ヒエラルキーが強すぎる組織では共創が生じない。
ある目的を一気に浸透させるような効率のよい支持は追求できるかもしれないが、新しい知恵を生み出すような「かけ合わせ」ができないのだ。
「学習する組織」を作ることは、知識・スキルを身に付けることではない
■ 「学習する組織 -現場に変化のタネをまく-」
「学習する組織」を作るというと、組織のメンバーが勉強をするとか、知識・スキルを身に付けるといった意味に捉える人が多い。
日本では、「学習」というと「お勉強」という意味にとられ、ただ知識を暗記するようなことと思われがちである。
ラーニングという言葉の意味は、
「経験や環境の変化に対応して、自ら新たな知識・技術・行動・思考・態度・価値観・世界観を獲得したり生成したりすること」
である。
したがって、今日の厳しい環境変化に対応して組織が生き残るには、学習できることが必要条件なのである。
組織のビジョンやミッションが会社案内や経営計画に載っていても、メンバーは誰も本気にしていない。
絵に描いた餅のように思っている。
そして、戦略的なゴールや目標が一部の人だけで決められてしまい、それらの検討に参画していないメンバーにとっては、指示・命令と受け取られ、強制されたノルマになってしまう。
そうするとメンバーは、「外発的動機付け」である賞罰という誘引によって動くようになり、主体性ややる気といったものが、発揮されにくくなってしまうのだ。
さらに、目標を達成するための施策や仕組み・制度も、一部の人が決めてしまい、その実施を上位下達で周知されても、大抵の場合は現場の実情には合わない。
そのため、メンバーは今のやり方を変えようとか、新しいやり方を現状に適応させようとはせずに、おざなりに行なうか放置してやり過ごすようになる。
その結果、せっかく新しい試みをしようとしても形骸化してしまう。
これではまずいということになり、次に実行のためのトレーニングが行なわれる。
しかし、このトレーニングの進め方は、教え込もうというプロセスになり、知識ややり方を解説し、実践できるように練習するというマニュアル的なものになる。
メンバーは上からしつこく言われるので仕方なしに現場で実践するが、主体的な意欲を持っているわけではないので、「言われたこと」「指示されたこと」しか実践しない。
それでは成果が上がらないので、実践段階では管理が強化される。
その結果、何とか目標を達成したとしても管理者は疲弊し、メンバーはやる気を失っている状態が生まれる。
これが多くの会社にありがちなプロセスである。
言い換えると変革の失敗のプロセスと言えるだろう。
努力、経験、知恵の積み重ねによって現場力は一段ずつ高まっていく
■ 「現場力を鍛える」
結果を出している企業に共通する「当たり前」のこととは、次の5つのポイントに凝縮される。
- 結果を出すのは自分たちだという強い自負・誇り・当事者意識を現場が持っている
- 現場が会社の戦略や方針を正しく理解・納得し、自分たちの役割をきちんと認識している
- 結果を出すために、組織の壁を越えて結束・協力し、知恵を出し合う
- 結果が出るまで努力を続け、決して諦めない
- 結果を出しても奢らず、新たな目標に向かってチャレンジしつづける
ここにあげたポイントは、一見小学校に掲げられている標語に似て、特別なことでも何でもない。
きわめて陳腐で常識的なことである。
しかし、この「当たり前」のことができずに、苦しんでいる企業が多いのが実態なのである。
駄目な経営者は自社が劣っている理由を現場の怠慢のせいだと短絡的に認識する。
しかし、本当の理由は、現場が「しない」のではなく、現場にその能力がない、すなわち現場が「できない」のである。
この認識の有無が決定的な差となる。
「しない」と認識すれば、現場に対する管理を強めることになるだろう。
現場は反発、疲弊し、現場力はより荒廃するはめになる。
一方、「できない」と認識すれば、できない理由を解明しながら、組織としての訓練、努力を粘り強く積み重ねていくことになる。
最初はできなかったことでも、努力、経験、知恵の積み重ねによって現場力は間違いなく一段ずつ高まっていく。
注意しなければならないのは、ここで言う現場力とは決して個々の人材の差ではないということである。
従業員一人ひとりと話すときわめて優秀なのだが、組織としてまとまった力に昇華されていない企業は実に多い。
その一方で、一人ひとりは派手ではないが、チームとしてまとまり、粘り強く目的を遂行している企業もある。
戦略の実行については、社長はきわめて無力である。
もちろん、現場がやりやすい環境を整えたり、鼓舞する仕掛けなど経営者が担うべき役割がある。
しかし、最後に結果を出すのは、あくまで現場である。
どんなに素晴らしいビジョンや戦略を掲げようが、現場に目がいかず、現場力を高める知恵も工夫もない企業が業績に苦しむのは至極当然のことである。
現場の組織能力をどう高めていくのか。
「強い企業」に変身できるかどうかの鍵はここにある。
知識は十分に持っているが、「なんのために」が欠けている日本企業
■ 「考え抜く社員を増やせ!」
中期計画というのは、なんのために作るのでしょう。
その意味や目的を問うのではなく、どう「立派な」もしくは「立派に見える」中期計画を作るのかが仕事だ、というスタンスならば、それほど難しい話ではありません。
もちろん、それなりのスキルは必要です。
ただし、実効性は問わない、というか、実際に使われるかどうかは保障の限りにあらずという暗黙の前提の下でなら、作るのは難しくはない、ということです。
残念なことに、多くの日本の企業では、その意味や目的を問わないこういう仕事のやり方が今でも普通に行われています。
中期計画作りにかかわる人はスキルだけは学んでいますから知識は十分に持っています。
しかし、「なんのために」という基本的な問いは欠けたままです。
その結果、時間とコストをかけて形のうえでは立派に作られたはずの中期計画が、ほとんどの人にとって関心外の出来事、つまり目の前の仕事とは無関係の計画、になってしまっています。
現実に仕事の指針として機能しているとはとても言いがたいというのが多くの企業での実態なのです。
どうやるか、しか考えていないと、意味や目的を問い直すという根源的な問いかけをする能力がしだいに減退していきます。
その結果、そういうことを考えること自体が苦手になります。
本質的なことを掘り下げて考えることができなくなってしまうのは、当たり前です。
知識というのは、単に「知っていること」にすぎない
■ 「まず、ルールを破れ」
知識というのは単に「知っていること」にすぎない。
知識には2種類ある。
「事実についての知識」つまり知っていることと、「経験的知識」すなわち実践のなかから理解したことのある2種類だ。
財務担当者にとって、事実についての知識とは、貸方借方の簿記の決まりを覚えることだ。
経験的知識はこれとは少し違っている。
実用的な知識より内容がいま一つはっきりしないため、教えるのがはるかに難しい。
たとえば、長い年月をかけて財務担当者は、資産を税金の過大な納付から守るさまざまな方法を身につけるようになる。
こうした理解にはもっと概念的な側面もある。
自分がだれで、どのような印象を他人に合えるのかといったことも経験的知識のうちだ。
同じように、個人の価値観すなわち人生で大切だと考えていることは経験的知識なのだ。
新入社員を何人かトレーニングしてカスタマーサービスに必要な技能と知識を教えたとしよう。
教えたあと、この人たちを現場に送り込む。
顧客の要求がトレーニングで教わった指導基準に収まっている限りは、新入社員の応対ぶりはほとんどの場合満足のいくものだ。
ところが突然、まったく聞いたこともない顧客の要求に直面したとき、一体どんなことが起こるだろうか。
思いやりか、あるいは人を説得するといった面で人づきあいの才能があればうまく対処するだろう。
しかし、こうした才能に欠けている場合には、身につけたばかりの技能や知識がほとんど役に立たない。
こういった人たちのパフォーマンスはお粗末なものになる。
技能と知識に力があるのは、それが人から人へと伝えることができるからだ。
その力の限界は、それが状況対処的であることだ。
つまり思いもかけない場面に直面すると、技能も知識も極端にその威力がなくなってしまう。
これとは対照的に、才能に力があるのは状況への応用が効くからだ。
適切な刺激を与えれば、自然に反応する。
思いやりについて「人づきあいの才能」があれば、あらゆる感情に反応する。
自分の信念を貫くことについて「人づきあいの才能」があれば、どんな話題でも自分の意見を簡潔にまとめた、そして説得力のある明快な発言ができるだろう。
従業員は知恵や経験は不足してはいないが情報と背景知識は不足している
■ 「経営の未来」
従業員は、知恵や経験は不足してはいないが、えてして顧客や同僚、最終製品や事業主や財務の全体図から切り離されているので、情報と背景知識は間違いなく不足している。
自ら管理する力を奪われているがゆえに、上からの管理を受け入れなければならないのである。
その結果は、意欲の喪失である。
せっかくの知識も使い道がない「資格マニア」
■ 「「一体感」が会社を潰す」
大企業には、多数の資格をもった優秀な人たちがたくさんいます。
しかしこの人たちは、それらの資格を使って稼いでいるかというと、残念ながら名刺に羅列してあるだけだったりします。
最初は仕事のため、業務のための資格取得が、いつしか資格をとることが目的になってしまう。
そして、いわゆる「資格マニア」になってしまうのです。
もちろん、資格をとること自体が悪いわけではありません。
体系的に知識を学ぶには、効率的でとてもよい方法です。
しかし、せっかくの知識も使い道がないとなると・・・
社内の制度を使って資格取得をしていたら、それは会社のお金を使っていることになります。
仮に業務に関連する資格であっても、仕事に使わないのなら不要です。
本来の目的を忘れてしまうというのはよくあることです。
今やっていることが楽しくなってしまい、いつしかそれに没頭してしまう。
何のためにやっていたのかはすっかり忘れてしまうのです。
会社人生で必要な知恵はすべてマグロ船で学んだ
■ 「会社人生で必要な知恵はすべてマグロ船で学んだ」
こっちがしゃべるより、むしろ、相手の話をちゃんと聞いてやるほうが、ずっと大事じゃ。
何が悩みで、どんな解決方法が相手に合うんかは、よぉーく話を聞かんとわからん。
相手の話を聞かんうちから、アドバイスをするのは、マグロをよう捕れん船と同じじゃ。
海は広れぇ。
その広ぇどことにマグロが泳いじょる。
どこをマグロが通るかの予測は、「仲間の船の情報」やらを頼りにする。
何も情報がねぇなかで縄を流しても、マグロなんて捕れめぇ!
でもの、人間関係では、マグロがどこにいるのかも読まず、縄を流すようなことをしよる。
アドバイスなんて、誰でも思いつくんど。
じゃから、ええアドバイスなんて考える必要はねぇ。
大事なのは、どのアドバイスが一番伝わるかを見極めることじゃ。
異文化理解の態度は、異文化に関する知識が豊富なだけでは育たない
■ 「日本語教師のための異文化理解とコミュニケーションスキル」
異文化理解の態度は異文化に関する知識が豊富なだけでは育ちません。
頭も大切ですが、心と体が異文化に開かれていることがもっと大切です。
相手はあなたの気持ちや態度を敏感に察知します。
異文化理解の態度がにじみ出ていると人は近づいてきます。
人間は、理解してもらえると感じると人と自然にコミュニケーションしたくなります。
人によって考え方、感じ方、やり方がいろいろあると考えている人は、自分の考え方、感じ方、やり方を固守しません。
異文化と接するとき大切なのはこの態度です。
正しい答えは一つしかないと考えるのではなく、いろいろあっていいのだと考える。
これは相手に一方的に同調したり、同化したりすることとは明確に異なります。
いろいろな理屈があるということを受け入れられるだけの頭、心、体を土台にして、しっかりとした自分の考えを持っていることが肝心です。
この幅があると相手の気持ち、感情に共感できるようになりますし、相手の考え方ややり方も受け止められるようになります。
相手の立場に立って考え、感じることができます。
知識の量は多いのに、その知識を能動的に駆使できない原因とは
■ 「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」
悲しいことに、私たち日本人は話さなければいけない状況に遭遇すると、知っている言葉さえも簡単には口から出てこない。
会話の勉強で一番大切なのは、相手の言っていることが理解できること、そして、簡単な言葉でもよいから、それに対して即座に何か答えられることである。
すぐに答えられない場合は、まず相槌だけでもいい。
しかし、沈黙はいけない。
沈黙は、会話を殺してしまうからだ。
ところが、そういう訓練を日本の教育ではあまりしない。
ドイツの学校を見ていて感じるのは、勉強の目的は知識の量を増やすことではなく、後々まで使える底力のような能力を培うことに重点が置かれていることだ。
簡単に言うと、「論理を構築する力」と「主張する力」と「妥協点を見つける力」である。
日本の高校生の勉強が往々にして、全方面的な知識の集積と、大学受験のためのテクニックの習得のようになっているのとはだいぶ違う。
日本とドイツの高校生の学力を比べたなら、知識の量は日本の生徒のほうが断然多い。
また、初めて教わることを理解するのも、日本人のほうが素早い。
ただ、日本の生徒の知識は、ほとんどが受動の知識なので、いざ、その知識を能動的に駆使するとなと、ドイツの生徒のほうが俄然強くなるだろう。
まず彼らは、何を聞いても何を読んでもそのまま鵜呑みにすることはない。
すべてを、「本当に正しいのか」、「なぜ正しいのか」と疑ってかかる。
彼らは、教わっている最中でさえ受動的ではない。
自分の意見は何だろうといつも考えている。
そして、考えたことを躊躇せずに主張する。
問題は、日本人がこの平和な島の中で、考えを同じうする人々とだけ暮らしていけた時代は、とっくに過ぎてしまったということだ。
日本から一歩外へ出ると、意見のない人間は頭が悪いと決めつけられ、主張のない人間は、これ幸いと利用されるのは常識だ。
日本の伝統的な美徳である思いやりや奥ゆかしさなど、ひとたび海を越えると、はっきり言って何の役にも立ちはしない。
だから、いつまでも黙ったままでいると、私たちは近い将来、今まで築き上げてきたものさえも、あっと言う間に失いかねない。
私たちは人々と交渉し、争い、また、共生していかなければいけないのだ。
日本の利害を主張することなしには、私たちは生き延びることはできないだろう。
私たちは学ぶことが好きな国民だ。
私たちが、将来、必要に応じて、もう少し主張することを学んだら、今度はそれさえもあっという間に自分の物にできるのではないだろうか。
知識を与えられるだけの教育では、誰も絵を描けなくなってしまう
■ なぜ日本人は世界で通用しないのか
友人がフランスに転校になり、日本で解いたことのある問題がテストで出たそうです。彼女は日本で習った通りの答えを書いたのですが、結果は0点。
彼女の母親が「うちの娘は正しいことを書いている」と抗議にいくと、先生は
「この解答には彼女の考え方がまったく入っていない」
「これでは世界に対する彼女の付加価値がゼロだ」
と説明しました。
残念ながら日本の場合は、先生が1番偉くて、生徒は知識を一方的に与えられる人になっています。
知識を与えられるだけの教育では、その瞬間に、誰も絵を描けなくなってしまう。
上の意見に逆らうことができない状態じゃいい発想も出てこないし、仕事へのモチベーションも上がらないでしょう。
背景には1人だけ違う意見を持つことを許さない日本企業の文化があると思います。
小中学校のときから「答えはいくつもある」という教育をしていって、彼らが社会に出たときに化学反応が起きれば、新しい日本というものが見えてくるはずです。
日本はベースの教育はいいのだから、うまく組み合わせれば、ふたたび世界に羽ばたけるのではないかと思います。
経営者と現場の切磋琢磨による知恵比べこそが日本の現場を高めてきた
■ 「現場力復権」
「結果を出すのは自分たちなのだ」
そんな強い自負や誇りが、現場発のアイデア、創意工夫につながる。
経営者と現場の切磋琢磨による知恵比べこそが、日本の現場を「バリューセンター」へと高めてきたのである。
しかし残念ながら、この「当たり前」が「当たり前」でなくなってしまった企業が増えている。
現場の当事者意識の低下の要因は、さまざまである。
契約社員、パート・アルバイトといった非正社員の増加、協力会社、グループ会社などへの過度の分業、アウトソーシングによる現業部門のブラックボックス化など、現場を「コストセンター」とみなした施策によって、現場は「分断」され、一体化とは程遠い状態となってしまった。
実際、総務省統計局の調査によると、パート・派遣・契約社員といった非正規社員の比率は、右肩上がりに増加した。
そして、それと反比例するように、仕事に対する満足度は続落してきた。
内閣府の調査によると、「仕事にやりがいがある」と答えた人の割合は1978年には30%を超えていたのが、2005年には17%を切っている。
目先のコストは安くなったが、競争力の要であった現場の満足度は下がり、当事者意識は薄れていった。
現場力を支える現場の強烈な当事者意識をどう回復させ、強化していくのか。
安直に目先の人件費を下げたり、業務を過度に分断させていたままでは、当事者意識は高まるどころか、劣化・喪失につながってしまう。
人間はやる気になることで知恵を出し、2倍、3倍の能力を発揮する
■ 「リストラなしの「年輪経営」」
最近の経営者は、効率アップというと、すぐ何かの機械を買ったり、ITを導入することを考える。
確かに、機械化や省エネ、IT化に取り組みことは大切だが、
現場での工夫があってこそ、それらは生きて来る。
まず、知恵を出すことが先決。
もっと根本的な対策に目を向ける必要がある。
それは、人間のやる気を向上させるということ。
機械の稼働率を上げたり、新しい機械を入れたりするより、よほど効率的である。
機械はせいぜいカタログに記載された能力くらいしか期待できない。
しかし人間は違う。
人間はやる気になって知恵を出し、体を動かせば、2倍、3倍の能力を発揮する。
やる気が起きると、自ら仕事を追いかけるようになる。
仕事に追われるのではなく、仕事を追うようになる。
人間の能力にカタログ値はない。
やる気になれば2倍、3倍、時には5倍、10倍の力を発揮することも可能である。
新しい機械やITを入れるよりは、社員のモチベーションアップの方が大きな力になる。
勘違いしている経営者が多いようである。
高価な機械のカタログを眺める前に、社員のやる気を上げる方法を考えるべきだと思う。
最近の教育には、憂うべきものがある。
親も学校も、本当の教育をしていない。
偏差値を上げるとか、いい大学に入るとかは、二義的な問題である。
テストでいくら良い点が取れるようになっても、それで国際的な競争力がついたと言えるだろうか。
一番大切なのは、
「人間はどう生きるべきなのか」
「どう生きるのが正しいのか」
ということを、教えることである。
「何が正しいのか、どう生きるべきか」
これを感じ取っている国民がどれだけいるかというのが、真の国際競争力だと思う。
会社に入って来る若い社員は素直である。
上手く導けば、正しい方向へスーッと向かっていく。
逆に「儲けることが正しい」と教育すれば、それに染まってしまう。
いくら東大を出ても、正しい心がなければダメということである。
人が幸せになる一番の方法は、大きな会社をつくることではない。
お金を儲けることでもない。
経営者に必要とされるのは、システムに関する専門的な知識ではない
■ 「「儲ける仕組み」は社長がつくる」
IT化のために、経営者に必要とされるのは、決してシステムに関する専門的な知識ではありません。
どちらかというと、ITシステムを使いこなすための「センス」のようなものが必要なのです。
経営者がシステムを作る訳ではありませんから、専門的な知識は不要です。
実務は部下と専門家に任せれば良いのです。
家を造る時に、まだ柱も立たない段階からシャンデリアを選んだり、絨毯や壁紙の色を決めたりする必要があるでしょうか?
そんな細かいことは、実際に完成した家の雰囲気を見てから決めても遅くはありませんよね。
逆に設計図の段階で決めてしまうと、後で後悔することにもなりかねません。
ITシステムも全く同じです。
インターネットによる知識社会の変化
■ 「組織を変える「仕掛け」」
インターネットは、人と人とのつながり方、情報の流れ方を変えました。
空間的な距離や国境という壁を越えて、自由に情報が行き来するようになりました。
かつて専門的な知識を手に入れるには、図書館に調べに行ったり、書店に行ったり、専門家に会って話を聞いたり、学校に行ったりする必要がありました。
今はクリックを数回繰り返すだけで、それができます。
同様に、かつて世の中に情報を発信できたのは、知識社会のヒエラルキーのトップにいる人たちだけでした。
一般人は、せいぜい新聞の投書欄に投稿するぐらいしかできず、それすらも編集者の選考を通らないと掲載されませんでした。
今はインターネットのブログを使って、原理的には誰でも世界に情報を発信できるようになっています。
さらに、SNSなどを通じて、バーチャルな人と人との繋がりが生まれ、新たなコミュニティがつぎつぎと形成されています。
今は、知識や情報、サービスといった無形のモノを生み出すのに、人々が多大なエネルギーを注ぎ、そういうモノに経済が左右される時代になったわけです。
インターネットの出現で世界中の知識や知恵を利用できるようになった
■ 「機械との競争」
従来人間にしかできないと思われていた多くのことをコンピュータがこなせるようになっている。
コンピュータが人間の領分をこのような速度と規模で侵食しはじめたのは、比較的最近のことだが、その経済的な影響は計り知れない。
テクノロジーは先行し、人間のスキルや組織構造の多くは後れをとっている。
したがってこの現象を理解して影響を検討し、労働者が技術に対抗するのではなく、技術とともにこれからの競争を乗り切っていけるよう、戦略を練らなければならない。
これは差し迫った課題である。
インターネットの出現で、すべての人が世界中の知識や知恵を利用できるようになった。
これは、従来は考えられなかったことである。
また企業は、新市場開拓の手段と新たな販売チャネルを手にすることができた。
さらに企業向けソフトウェアのおかげで、企業はまったく新しい業務プロセスを設計し、広範囲の業務をつねに視野におさめてコントロールし、膨大なデータを収集・分析することも可能になった。
こうした進歩は、時が経てば色あせて消えてしまうようなものではない。
それどころか、初期の進歩と後発の進歩とが組み合わされ新たな発展につながるという具合に、一段と進歩し続けるだろう。
膨大なイノベーションが、製造、流通、販売、メディア、金融、法律、医療、研究、経営、マーケティングなど、経済のあらゆる分野、企業のあらゆる機能を変えつつある。
知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いって何だろう?
(パート3)
で・・・
こんなのからも、念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・。)ノ
知識とは?
○ goo辞書
知ること。
認識・理解すること。
また、ある事柄などについて、知っている内容。
知恵とは?
○ goo辞書
物事の道理を判断し処理していく心の働き。
物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。
知恵が役に立つ時と知識が役に立つ時の違いって何だろう?
(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「もしかしたら、経営資源に乏しい中小零細企業だからこそ、今ある知識を総動員することになるし、そこから生み出される知恵ってものもあるのかも・・・!? w( ̄△ ̄)w 」
「経営資源に乏しい中小零細企業だからこそ、知識よりも知恵の方がより必要になるし役立つし、自社ならでは強みにもなって他社との差別化にもつながる可能性があるってコトなのかも・・・!? (。・ ・) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「てっきり人材育成の問題かと思いきや、ウチの会社ではどっちかっつーと組織面の問題の方が大きいのかも・・・!?組織力の強化や向上の方が必要なのかも・・・!? ( ̄□ ̄;) 」
「だから、どんなに人材育成をやってもいくら知識があっても、知恵につながらなかったのかも・・・!?いいアイデアも出てこなかったのかも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「もしかして、主体性の発揮なんかとも関係している面があるのかも・・・!? (・_・;) 」
「やる気とか向上心とかとも関係している面があるのかも・・・!? ( ̄○ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社では組織面の問題もあるだろーけど、人材育成の問題も大きいような気がしなくもないかも・・・!? (´Д`lll)」
「考えてみたら、学生時代から知識を丸暗記するような教育しか経験したことがないような気がするし、社内教育でも似たような状況になっちゃっている可能性もあるかも・・・!? (;゜д゜) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「製品やサービスの提供に関しても、人間にしかできないこととか人間だからできることとかをやって付加価値をもっと向上させて行かないと、価格競争に巻き込まれるばっかになっちゃって会社が生き残れなくなっちゃう恐れもあるのかも・・・!? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「そのためにも、知恵が生まれやすい組織的な仕組みをつくっていかなきゃーマズイのかも・・・!? (ーー;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「カネかけないとできないコトばっかだと思っていたけど、カネかけなくてもできるコトって意外とあるのかも~ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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