「問題意識って何だろ~? (;゜∇゜) 」
「問題意識をもっと持てって会社で言われるんだけど、どーしたらいいのかわからないし、何をどーすれば問題意識が持てるようになるんだろ~? (; ̄ェ ̄) 」
「ってゆーか、問題意識って何のために必要なんだろーか? ( ̄∧ ̄ ) 」
「問題意識って誰のために持つ必要があるんだろーか?問題意識を持ったら何かいいことでもあるんだろーか? ( ̄◇ ̄;) 」
とか・・・
「問題意識を持って仕事して欲しいって、ウチの会社の従業員に何度も何度も言っているんだけど、何度言っても問題意識を持ってくれないんだよね・・・ ( TДT) 」
「何も考えずに漫然と仕事をしているってゆーか、疑問を感じないってゆーか、問題意識を持とうとしないってゆーか、意識を変えようとしてくれないってゆーか・・・ (;´д⊂) 」
「ちょっと考えたらすぐに気づきそうなものなのに、全然気がつかないのって、やっぱり問題意識がないからなんだろーか? (´ε`;) 」
「どーして、問題意識を持ってくれないんだろ~??? 。。。(〃_ _)σ∥ 」
「問題意識を持たせるには、どんな人材育成をやればいいんだろ~??? (|||▽ ) 」
「いちいち言われなくても問題意識ぐらい持っているのが常識だと思うんだけど、なーんで問題意識すら持てないんだろ~?いったいどんな教育をしたら問題意識を持ってくれるんだろ~???何かいい方法ないかな~??? (o´д`o)=3 」
などなど、このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」、「自律型人材育成」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
それにコレってもしかしたら・・・









などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、問題意識って、いったい何なんだろーか?
「問題意識を持つ」とか「問題意識がある」とかって、いったいどーゆーことなんだろーか?
何がどーなったら、問題意識があるって言えるんだろーか?
何がどーなっていなかったら、問題意識があるとは言えないんだろーか?
どんな会社や組織だったら、問題意識が持てるんだろーか?
どんな会社や組織だったら、問題意識が持てなくなっちゃうんだろーか?
問題意識があるメリットやデメリットって、いったい何なんだろーか?
問題意識がないメリットやデメリットって、いったい何なんだろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
問題意識って、どんな時には必要なんだろーか?
問題意識って、どんな時には必要じゃないんだろーか?
それは、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
問題意識を持つこととか、持たせることとかって目的なんだろーか?
それとも手段なんだろーか?
手段だとしたら、目的は何なんだろーか?
問題意識って、何のために必要なんだろーか?
問題意識って、誰のために必要なんだろーか?
などなども含めて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
問題意識とは?問題意識が持てる会社や組織って?(パート1)
んーと、もしかしたら・・・










なんかにもある意味関係するかもしれないし、それに・・・
盲点になっていたり灯台下暗しになっていたりすることも意外とある
かもしれないので、問題意識についてこんなのからまずは考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
「重要な情報を無視している」という問題意識すら持てないとき
■ 「経営意思決定の原点」
「百聞は一見にしかず」といいます。
結局、いろいろな話を何度も聞くよりも、自分で事実を見、体験することで「腑に落ちる」ということでしょう。
その意味で、事実の大切さは洋の東西を問わず変わりません。
問題はこの「事実」という代物です。
「事実」と言いながら、自分の持つフィルターを通してだけ選択的に事実を拾うのが人間なのです。
「事実」とは、実はそうしたフィルターを通して残されたものなのです。
この判断は無意識にされてしまうので、誰かが大声を上げて注意を喚起しない限り、そもそも「重要な情報を無視している」という問題意識すらありません。
いずれにせよ、自分の見方にそぐわない、見方を否定するような情報はどうしても無視されるか過小評価され、自分の見方にあった情報ばかりが目に付くようになります。
「事実」「データ」「情報」を集め、「客観的」に分析することが、よりよい意思決定につながることは、一般的には間違いありません。
しかし、そうした「事実」の重要性を繰り返すときには、もう一度
「誰にとっての事実か」
「どういう立場から見た事実か」
「どのような事実か(エセ事実ではないか)」
を確認してみる必要があるでしょう。
「事実」は一つかもしれませんが、「人間が見た事実」は複数であっても不思議ではありません。
ある見方だけに偏っては、本当の姿は見えてこないし、また「事実」に基づいたとしても、正しい意思決定にはつながらないでしょう。
与えられた問題は正しいとはかぎらない
■ 「論点思考」
論点とは「解くべき問題」のことだが、その解くべき問題を定義するプロセスを論点思考と呼ぶ。
最初に論点設定を間違えると、間違った問題に取り組むことになるので、その後の問題解決の作業をいくら正しくやったところで意味のある結果は生まれない。
論点設定に戻ってやり直すことになる。
したがって、最初の論点設定がきわめて重要になる。
学校の勉強であれば、試験の出題者の出した問題を解けばいいので、どちらかといえば正しい解き方、あるいは効率的な問題の解き方が教育の中心になっている。
ましてや国語の問題に数学の問題が紛れ込むことや、「この中には解くべき問題と解いてもしょうがない問題が混ざっているので自分で判断しなさい」なんてことは絶対にない。
ところが、ビジネスの世界では誰も「あなたが解くべき問題はこれである」と教えてくれない。
一般に、ビジネスパーソンが問題解決に取り組む場合、なにが問題か、どの問題を解決しなければならないか、という問題設定は、すでに経営幹部や上司が行なっており、自分はその解決法を考え出すところから始めるという場合が多いのではないだろうか。
上司から課題を与えられたときはどうだろうか。
なにも感じることなく、そのまま解決策を考える場合もあれば、疑問を感じながらも上がいったことだからとそのまま取り組むこともあるのではないかと思う。
下手に疑問を呈したところで、そんなことを考える暇があったら早く問題に取りかかれと怒られてしまうかもしれない。
でもちょっと待ってほしい。
与えられた問題は正しいとはかぎらない。
与えられた問題をそのまま解いても正解にはつながらない可能性がある。
たいして成果があがらない可能性もある。
つまり問題をあなたにもちかけた人のためにもならないのである。
コンサルタントの場合は、顧客の悩みや問題意識を疑ってみるのが商売みたいなところがあるので、別の論点を探そうとする訓練ができている。
ところが一般のビジネスパーソンの場合は、どうしても上から与えられた問題を鵜呑みにしがちである。
したがって、課題レベルを疑うのはむずかしいかもしれない。
論点を与えられたときには、つまりなにか命令を受けたときには、まず与えられた問題を疑うことから始めるべきだ。
論点、それも最も重要な大論点を見つけ出す訓練をしておかないと、いざマネジメントになったときに問題解決がうまくできない。
問いの設定が正しく行なわれていれば、成功は半ば保証されたようなものである。
逆に問いの設定が間違っていれば、その後の戦略の策定・実行をいくら精緻華麗に行なったとしても、もともと方向性が間違っているのだからよい結果につながるはずがない。
経営者が
「うちの会社は利益が上がっていない」
「○○社より利益が上がっていないのは問題だ」
と悩んでいる場合、それが本当に問題かどうかは、きちんと見極める必要がある。
そもそも企業は多くの問題を抱えている。
売上や利益といった数字的な問題もあれば、社員のモチベーションが低い、社員定着率が低いなどの問題もある。
だが、それらは一般的には問題といわれるものであっても、その会社にとっては論点ではないことが多い。
「あるべき姿」を描いていなければ、問題を見つけることはできない
■ 「90分で学べるIT提案力」
問題解決のための技法は、よく話題になることがあります。
さまざまな技法が存在し、実務でよく利用されているものもあります。
しかし、問題解決の前に私たちは大切なことを考えておかなければなりません。
それは、解決したい問題は、そもそもどのようにして見つけたらよいかということです。
これが意外に難しいのです。
最も重要なことは「現状などいくら見ていても、現状だけを見ていたのでは問題点は見えてこない」ということなのです。
現状はただの事実であって、それだけでは良いも悪いもないのです。
「こうしたい」という理想なりあるべき姿を描き、それと現状を比較したときに初めて問題点が見えてくるのです。
よく、「現状を調査して問題点を整理する」という言い方をしますが、一方で「あるべき姿」を描いていなければ、問題を見つけることなどできないのです。
「問題だ」と言われても、何が問題なのかぜんぜん分からない
■ 問題の名称をわかりやすく変更しよう!
世の中で「問題だ! 問題だ!」と言われてても、何が問題なのかぜんぜん分からないコトが多いんだよね。
たとえば、
東京一極集中が問題だ!
って、何が問題なの?
限界集落が問題だ!
ってのも、何が問題なのかな。
地方の自治体の多くが消滅するのが問題だ!
コレも何が問題なのかよくわかんない。
少子化が問題だ!
WHY ?
問題って、もうちょっと本質がよくわかるような名称で呼んだほうがいいと思うんだよね。
たとえばこんな感じで・・・
大事なことは、
- 問題を問題と認識し
- 問題を解決するためにはなにをすればいいのか
という方向で思考することです。
問題を「仕方のないこと」「我慢しよう」と考えてしまい、「できない理由」ばかり声高に叫ぶ人が増えてしまうと、世の中は進歩しない。
面倒なこと、理不尽なこと、大変すぎることに関しては、「これってちょっと変じゃね?」って声に出していいましょう。
そして可能なら、個人としてどんどんそれらを避けましょう。
ひとりひとりがそうすることで、問題解決への道が拓けるのです。
「風通しの良い組織」で問題意識を持つと問題を共有し行動する
■ 「風通しの悪い組織」と「風通しの良い組織」
「風通しの悪い組織」は、「問題があってはならない」という意識に支配され、「問題が出ないように厳しく管理する」ことが組織の方針であり、行動原理となっています。
そのため、不平を口にするのはルール違反であり、組織を混乱なく回すことが最優先と考えられるようになります。
そして、あらゆる行動に牽制や抑制が働き、無難な対応しかできない組織となってしまいます。
結局は、何をやっても成果はそこそこに。
また、問題があってはいけないから、問題が起きれば、なんとか表沙汰にならないようにと隠蔽化し、個人で解決しようという意識が働きます。
しかし、解決できないままに深刻な事態へと向かってしまえば、ビジネスにも個人にも大きなダメージを与えることになるでしょう。
このような事態を避けようと、部下は自然と防御的行動をとるようになります。
当然、組織のパフォーマンスが上がることはありません。
「風通しの悪い組織」にいるメンバーは、問題を意識すると、それを相談できないので、自分で何とかしようとします。
解決できればいいのですが、それができないと結局は、それを遠ざけ、放置しようという心理が働きます。
その結果、時間と共にリスクは益々大きくなってゆき、不安が拡大し、さらに問題意識を深めることになります。
「停滞・衰退を拡大するサイクル」が生みだされてしまうのです。
「停滞・衰退を拡大するサイクル」を回している「風通しの悪い組織」にいるメンバーは、組織への信頼を失っているので、行動は常に消極的となり、成長の基盤が築かれることはありません。
「不満」は人を殺すことはありませんが、「不安」は時に人を殺すこともあります。
死に至らしめるほどではなくても、心に深いダメージを与える可能性はあるでしょう。
これに対して「風通しの良い組織」とは「問題があるのは普通」という考えが行動を支配しています。
そのため、問題を早く出させるように多くの機会を作ろうします。
そのために、問題をどんどん提起することを評価し、困難があっても改善、改革することを奨励するような雰囲気作りを努力するようになります。
その結果、新しい発想、新しいきっかけ作りが誘発され、潜在力が引き出されるようになるのです。
また、問題が小さい内に顕在化されるので、深刻な事態を回避することにもなります。
「潜在力を引き出すサイクル」が回っている「風通しの良い組織」は、組織への信頼を実感しています。
このような組織は、常に積極的な行動を取るようになります。
「風通しの良い組織」のメンバーは、問題意識を持つとすぐにその問題を上司やまわりと共有し、一緒に解決しようと行動します。
解決する機会は増え、達成、成功の喜びを感じる機会も増えることになります。
それは、同時に「成長を実感」できる機会でもあるのです。
もし、「風通しの悪い組織」なら、それを素直に認め、受け入れることから始めてはどうでしょう。
思考の手法やフレームワークを学んでも問題を解決することはできない
■ 「採用基準」
一人の偉大なリーダーを待ち望む気持ちは、誰かが、この大変な状況を一気に変えてくれるはず、という他者依存の発想に基づいています。
自分たちは何もせずただ普通に暮らしていれば、いつか誰かスゴイ人が現れて、世の中をよくしてくれる、という救世主への期待です。
こういう人を待ち望む気持ちは、裏返せば思考停止と同じです。
神頼みと何も変わりません。
現状を変えられるのは、神でもスーパースターでもありません。
たとえば、マンションの管理組合の会合にお菓子の持ち寄りがあったとしましょう。
会合が終わり、帰り際になってもテーブルの上にはお菓子や果物が残っています。
こういった場面を目にした時の言動によって、人はふたつのタイプに分かれます。
最初のタイプは、何らかの問題に気がついた時、「それを解決するのは、誰の役割(責任)か」と考えます。
もう一方の人たちは、それを解くのが誰の役割であれ、「こうやったら解決できるのでは?」と、自分の案を口にしてみます。
その場にいる人の多くは、机の上にお菓子が残ったままになっていても、「自分が声を上げるべき問題ではない」と考えます。
その場で「それは組合長が考えることだ」として声を上げない人の中には、そのお菓子を組合長が個人で持ち帰って孫にあげてしまったら、後から「ああいう行動はいかがなものか」、「公平性に欠ける」などと言い出す人もいます。
「そういうことをする役割の人」がいなければその役割を自分でやろう、という気もまったくないのが、この国の人の特徴です。
問題を解決するのは「それを責務として割り当てられた役目の人の仕事」であって、自分がそんなことをやるべきではない、やる必要はないと思うのでしょう。
世の中は”誰かが”うまくまとめてくれるのではなく、一人ひとりが力を出し合って、うまく回していくものなのです。
社会にはおかしなこと、不満に思えることがたくさんあります。
ニュースを聞いているだけでも、憤りを覚えること、なんとかしたいと感じることは溢れているし、職場や学校など、身近な場所でもそういった機会に遭遇することはよくあるはずです。
何らかの問題を認識した時、それを傍観することしかできない自分と、解決の糸口を見つけ、問題を解決できる自分を想像してみてください。
特に、大きな問題意識を感じさせられる事件がごく身近で起こった場合、自身にその事態を解決する力がないと認識することは、つらいことのはずです。
そういった問題に対処する力をつけたいと考えた人は通常、問題解決の手法を勉強しようとします。
自分が問題を解決できないのは、そういったスキルがないからだと考えるのです。
しかし思考の手法やフレームワークをいくら学んでも、自分の身の回りにある具体的な問題を解決することはなかなかできません。
もちろん問題の解決には、さまざまな能力が必要となる場合も多いでしょう。
しかし、それらすべてを一人の人間がもっている必要はありません。
問題意識に答える本が煽り立てる「錯誤」
■ 「仕事の報酬とは何か」
書店には、「キャリア・アップ」についての本が並んでいる。
いかに自分の商品価値を高め、それを収入に結びつけることができるか。
そして、有利な職業に転職することができるか。
そういった問題意識に答える本です。
また、雑誌では、頻繁に「キャリア・アップ特集」が組まれている。
そして、それらの雑誌の中には、給料の良い会社はどこか、年俸の高い職種は何か、待遇の良い企業はどこか、人気のある職業は何か、そういった情報が溢れています。
こうした本や雑誌が煽り立てる「キャリア・アップ」のブームの中で、我々は、無意識に、一つの「錯誤」に巻き込まれてしまいます。
しばしば、我々は、「うまい方法」があると、無意識に思ってしまうのです。
しかし、それは、明らかな「錯誤」です。
「問題意識を持つ下の人たち」から見えている「問題を含んだ絵」
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
人は、そもそも完全無欠な存在ではない。
誰でも弱みや弱点を持っている。
生身の人間はいかに立派な人間であっても弱点を持っているのだが、それがまた人間らしいと言われる所以でもある。
だが、固定した理想像を前提とした人間観を唱えるようになると、中心になって唱えている人たちは、いつの間にか自分があたかもその理想像の申し子であるかのようにふるまいはじめる。
このような環境のもとでは、中身より形式ばかりを重んじる精神論が横行しやすい。
その結果、権威主義があらゆるところにはびこっていく。
これを温床に、官僚主義や大企業病が組織に蔓延していくのである。
引き算の人間観で人を判断すると、どうしてもまず欠点からその人を見がちである。
そうなると、表向き欠点の少なく見える、組織の論理に過剰適合した無難な人物の評価が、相対的に高まる傾向が強まる。
毒にも薬にもならないような無難な人間、言い換えれば「善意の抵抗勢力」が評価されるから、権威主義だってはびこるのだ。
問題意識が強かったり、事実に対して誠実であったりして、おかしいと思うことはおかしいと言ってしまうような人物は、多くの場合ポテンシャルがある。
ただ、こういう人物はあまり器用でなかったり、自分に正直すぎて「賢さ」がなかったりすることが多く、欠点が目立ちやすい。
賢く立ち回ることが苦手な人が多いのだ。
だから、引き算の人間観から見ると評価は低くなる。
退化を促進する価値観がはびこる組織から、この種の人材が次第にいなくなってしまうのには、このような理由があるのだ。
足し算の人間観を持つ人は、あるがままの人間をまずそのまま認めて、その人の「個性」を見つけ出そうと努力する。
既成概念にとらわれず、持ち味を見つけていこうとする。
足りない点を指摘することからはじめるのではなく、まず受け入れて、受け止めて、優れた特性を引き出そうとするのである。
変革に不可欠な人材は、「足し算の人間観」で高い評価を与えられる人材だ。
目指す方向や方針がいかに立派につくられていても、それだけで改革が成し遂げられていくわけではない。
経営者や管理職の多くは仕事のできる人であればあるほど、
「経験も情報もいちばん豊富に持っている自分が、考えるべきことを考えて、方針を出すのは当たり前だ」
と思っているから、
「自分が決めた方針に何か問題があるなら言うべきでしょう」
という姿勢になる。
そして、
「問題がなければ、仕事なのだから、上の方針に従って仕事をするのは当たり前でしょう」
「なんでやらないの?」
という姿勢になる。
このような上司や経営者の問題意識は、「自分のつくった方針をどうすれば実行させることができるか」に集中している。
「いくら言って聞かせても実行しようとしない部下に、どうすれば意識改革を迫れるか」が変えるべき中身だと考えている。
実は「現状を変えていきたい」という意思を十分に持っているにもかかわらず、下からは「何も変えるつもりがない」と受け止められているケースが多い。
こうした場合、上が出す方針は結果として「無味乾燥な押し付け」になっていて、部下の知恵やアイデアを生かす工夫もたいしてなされていない。
「問題意識を持つ下の人たち」から見えている「問題を含んだ絵」は、上の人たちが当たり前と思っている仕事のやり方やマネジメントのしかたである。
一方、経営者や管理職が見ている「問題の絵」は、部下の仕事への意識や姿勢である。
だから、そもそも同じ土俵で話ができていない。
要するに、上司や経営者と、部下とでは、変えたいと思っている中身がまったく異なっているのである。
問題意識がないことを嘆く前にお勧めしたいこと
■ 「なぜ会社は変われないのか」
組織で仕事をしたことがある人なら一度や二度は「どうせ言ってもムダだろう」とか「言い出しっぺが損をする」と感じたことがあるのではないだろうか。
じつは、組織の中では「まあ組織とはこんなものなんだ」という「大人の悟り」「一種のあきらめ」がお互いを牽制し合う力になって働いている。
まだ組織が小さかったり、組織が生まれて間もない頃は、お互いに協力し合わなければ仕事が成功しないことをみんな暗黙のうちに知っている。
そこでは、対立し合ったりしながらも、それなりに「協力し合う」ことがお互いの了解事項となっている。
この「協力し合う」という了解事項が、しだいに「協調し合う」ことに変質しやすいのが組織、特に日本的組織の特徴でもある。
余計な波風を立てずに「なあなあ」で物事を納めていくことによって安定している組織は、良い組織のイメージそのものである。
ただ、この「協調する」という了解のほうが主流になると、しだいに
「本当のことを言わない」
「言ってもムダ」
「言わないほうが得」
というような体質をつくっていく。
組織にも人間と同じように成人病がある。
それは人間の場合よりもより確実に、年をとるにしたがって組織を侵してゆく病気なのだ。
「言ってもムダ」というような牽制作用が組織の中で大きな意味をもつような安定的状態というのは、一種の組織の老化現象である。
「前例を大切にする」
「上の顔色を窺い読んで期待に応える」
「いつも『頑張るぞ』と言い続けて前向きの発言を繰り返す」
「上の意向には直に反応し、下には厳しく取り立てる」
そういう環境下では、人は問題を見つけても
「自分だけが言っても仕方がないからあきらめるか」
「解決するために努力をしようか」
をてんびんにかけて考え、前者を選択することが多くなる。
つまり、自分の力で問題を解決しようとする力がしだいに弱まる。
全体としてみればこういう組織では、人間は言われたことしかやらなくなるから、人に指示を与えたり管理したりする機能がしだいに肥大化する。
つまり、管理機構が肥大化し、スタッフが肥大化する。
そして、そういう組織に入ってくる若い人たちはしだいに何も発言しない、上から見ると元気のない社員になってしまう。
若い人に対して「元気がない」「何も発言しない」「発言するのはどうでもよいことだけ」という問題意識をもっておられる方には、それを嘆く前に、まず「自分の組織の中に問題点があるのでは」と考えてみることをお勧めしたい。
どんな会社にも、その会社を良くしたいと思っている人はいる
■ 「どうやって社員が会社を変えたのか」
改革というのは計画的に、一直線に進むとは限らないものである。
なぜなら、改革と改善は違うからだ。
どんな会社にも、その会社を良くしたいと思っている人はいる。
ただ、そういう思いの強い人ほど、往々にして、性格的に角が立っていたり、問題意識が前面に出るためにあくが強かったりする。
そういう人たちは、会社を良くしたいという思いにおいて目指すものは同じだから、協力し合うべきだし、することができるはずなのに、実際には互いに仲が良くないことも多い。
「あいつのここが気にくわない」
「あいつはここがダメだ」
「あいつの言うとおりにだけはしたくない」
などと、互いに言い合っていたりすることが散見される。
こういうとき、過去の延長線上から物事を見る人は、どう考えても、こんなふうに仲が良くない人たちをチームにまとめ上げるなどということは無理だし、時間のムダ、という現実的な判断をする。
しかし、「まずどういう状態を目指したいか」にこだわり、「会社を良くしよう」という一転において、彼らがつながることができれば大きな力になる。
目指す姿がはっきりすると、そこに行き着くためにはどうすればいいか、と考えるのだ。
問題意識にもとづいて描いたものが事業戦略
■ 「目標管理の教科書」
どの企業も、何らかの満足を顧客に提供するから、売上という果実が手に入る。
だから、顧客満足は徹底的に追求すべき経営の最重要テーマである。
しかし、思いつきや場当たり的な顧客満足では、あまりにも効率が悪すぎる。
組織能力としての蓄積もままならない。
もっと、計画的、かつ組織的な顧客満足への取り組みが必要だ。
そういう問題意識にもとづいて、顧客満足の「中長期(3~5年)のあり方」と「実行計画のあらすじ」を描いたものが事業戦略である。
その事業戦略を中心軸に、中期経営計画は組み立てられる。
もちろん、中期経営計画には、適性利益の確保に向けたコストダウンや人材育成なども戦略として盛り込まれるが、それらは事業戦略と連動してこそ意味がある。
問題意識とは?問題意識が持てる会社や組織って?(パート2)
で、もしかしたら・・・

なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、上記を踏まえた上で例えばこんなのからも、念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
問題意識とは?
○ コトバンク
ある事態などに対し、その重要性を見抜いて、主体的にかかわり合おうとする心の持ち方。
また、その内容。
○ ウィキペディア
問題意識とは社会学用語の一つ。
これは社会において存在している問題に対して、人々がそれの性質を見抜くなどといった形で、その問題に対して主体的に関わり合おうとする意識の持ちようのことを言う。
問題意識というのは企業経営においても重要とされている事柄である。
企業においての従業員というのは問題意識を持った上で正解を出していくことが望ましいわけであるが、この場合に単に個人によって導き出された答えを社内で共有するにとどまらず、その答えに至るまでの過程である問題意識をも社内で共有することによって、社内において相手のことを仲間と思う気持ちが生まれ、一体感も高まるということである。
○ Yahoo!知恵袋
問題意識とは、何かが問題であると意識することです。
目的を達成するためには今何が問題なのか、何が障害となっているか、その問題や障害を解決するには、世の中が、会社が、仕事のあり方が、そして最後には自分の働き方がどのように変わればいいだろうか、と考えることです。
それが問題意識です。
問題であると意識してもすぐには解決策はないのが普通です。
でも頭の片隅に問題意識が残っていれば、あるとき解決策が見えてくるものです。
問題意識とは?問題意識が持てる会社や組織って?(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・










などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?




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