「権限委譲って何だろ~?権限移譲とはどう違うんだろ~? (;´д`) 」
「権限付与ってのもあるけど、権限委譲や権限移譲とは何が違うんだろ~? ( ̄ー ̄?)」
「権限委譲、権限移譲、権限付与とかって、どんな時に必要なんだろ~?経営計画や経営方針、経営戦略などとはどう関係するんだろ~? ( ̄・・ ̄) 」
「権限委譲、権限移譲、権限付与って、組織力とはどう関係するんだろ~? ( ̄∧ ̄ ) 」
「権限委譲、権限移譲、権限付与って、役職とか肩書きなんかとはどう関係するんだろ~? ( ̄◇ ̄;)」
「権限委譲、権限移譲、権限付与って、管理職の役割や仕事とはどう関係するんだろ~? (´ε`;) 」
「権限と責任はセットってよく言うけど、それってどーしてなんだろ~? (ーー;) 」
「権限と責任のバランスが大事って聞いたことがあるけど、それってどーゆーことなんだろ~?バランスが崩れるとどーなっちゃうんだろ~? (;・_・) 」
「権限って、どんな人が持った方がいいんだろ~? ( ̄(工) ̄) 」
「権限を持つ人って、どんな基準でどう判断して選ばれるものなんだろ~? (; ̄ェ ̄)」
「ってゆーか、そもそも権限って何なんだろ~?何のための権限なんだろ~?誰のための権限なんだろ~? ( ゜д゜) 」
「権限って権力や権威とは何がどう違うんだろ~?組織力との関係って何だろ~? (;゜д゜) 」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なのかも~???
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
なーんて感じるコトもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
権限委譲、権限移譲、権限付与とは?権限と組織力の関係って?
(パート1)
んーと・・・
盲点になっていたり灯台下暗しになっていたりすることも意外とある
かもしれないし、それにもしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんなのから、まずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
形だけの権限委譲を行っても、かえって混乱を招くだけ
■ 「現場力を鍛える」
立ち上げたばかりの小さな組織では、創業者であろうが従業員であろうが、その肩書きや、階層、機能に関係なく全員が同じ目的に向かって複数の仕事をこなすのが当たり前である。
社内のコミュニケーションがきわめて密であり、情報の滞留もなく、意思決定も早い。
会社が今、どんな状態にあるのかが肌感覚で分かり、問題があれば一致団結し、協力することを惜しまない。
ところが、企業が成長し、関わる従業員が増えてくると、当然のことながら、組織は専門化、分化していく。
「ひとつの会社」でありながら、一体感は希薄になり、「見えない境界線」が会社の運営を困難にする。
しかし、これはどの組織も避けては通れない「成長の宿命」なのである。
放っておけば、壁はできるし、タコツボ化するのが自然なのである。
権限を現場に与えたからといって、現場の主体性が自動的に生まれるわけではない。
「私、計画をつくる人」
「あなた、計画を実行する人」
という区分けに慣らされてしまった会社では、形だけの権限委譲を行っても、かえって混乱を招くだけである。
どのような責任を果たすために、その権限が必要なのかを現場が腹に落として理解しなければ、「宝の持ち腐れ」で終わってしまう。
責任を担うことによって緊張感や当事者意識が生まれる。
それが権限の適切な行使につながるのである。
権限と責任が分離している日本の組織
■ 「(日本人)」
日本では、いったん「責任」を負わされ、スケープゴートにされたときの損害があまりにも大きいので、責任を逃れようとする。
その結果、権限と責任が分離し、外部からはどこに権力の中心があるのかわからなくなる。
近代社会では、権限と責任は一対一で対応する。
組織の末端には小さな権限と小さな責任しかなく、大きな権限を持つ組織の中枢は大きな責任を担うことになる。
だが日本の組織では権限と責任は分離し、外部からはどこに権力の中心があるのかわからない。
一歩間違えれば無限責任を追及される閉鎖的なムラ社会では当然の自己防衛策でもある。
誰もが責任をとりたくない社会では、全員の総意で、誰も責任をとらなくてもいい組織ができあがるのだ。
このような組織は、「責任」を免れることができない重大なトラブルが起こると機能を停止してしまう。
トラブルを表に出せば”無限の”責任をとらなくてはならないのだから、残る選択肢はトラブルを隠蔽し、外部には知られないように隠密裏に処理することだけだ。
権限を与えられなかったら、仕事能力や管理能力は育たない
■ 「社員が「よく辞める」会社は成長する!」
組織と個人の信頼を形成するうえで最大の障害になっているのは、両者の関係が虚構のうえに成り立っていることである。
つまり、終身雇用にしても将来の役職ポストにしても、会社がもはや保証できないにもかかわらず、期待を持たせるようなマネジメントを続けているところに問題がある。
少なくとも、その現実から目をそらそうとしてきたことの罪は重い。
けれども、社員にとって処遇面よりもっと大きな損失は仕事の内容にある。
大事な仕事を任され、権限を与えられなかったら、仕事能力はもちろん、交渉力や決断力、管理能力は育たない。
泳ぎを教わっていないのに、いきなり大海に放り出されたようなものだ。
それでは「権限委譲」ではなく単なる「丸投げ」
■ それでは「権限委譲」ではなく単なる「丸投げ」です
「うちの社員は考えない。もっと自ら考えて、行動してくれればいいのだが」
というのがある。
皆さんも聞いたことがあるだろう。
しかし状況を突っ込んで聞いてみると見つかるのは、そもそも社員に考える自由を与えていないという事実だ。
上から命令が飛んでくる。
「お前たちも考えろ」と言われるので考えて提案したら、「違う」と怒られる。
なぜ違うのか、理由の説明はない。
(聞きたくても聞ける雰囲気でもなかったり)
やがて上の方針も何となく分かってきて、命令に対して「こうした方がもっと良くなりませんか」と考えて提案すると、「言われた通りやっていればいいんだ」と返ってくる。
これでは誰もが考え、行動することをあきらめる。
「であれば権限委譲してみよう」と言いだし、「さあ任せるから考えてみなさい」と部下や現場に号令をかける。
けれども社員は一向に自ら考えも、行動もしない。
いつまでたっても「権限委譲」の浸透した組織は生まれない。
なぜか。
最悪なのは「丸投げ」のケースだ。
「任せたからね。自由に考えられて行動できていいでしょ」
「その代わり結果だけは頼むよ」
上司が自分の仕事と結果責任を放棄している。
上から結果を問われたら上司はこう答えるだろう。
「権限委譲の方針に従って部下に任せたのですが、結果を出さないのですよ」
「権限を移した以上、彼らの責任です」
と。
だったら上司であるあなたの仕事は何なのだ?
「丸投げ」された部下はたまらない。
結果責任を負わされるだけなら任されない方がいい。
貝になって、指示通りに仕事をこなすことに徹した方が、まだ幸せだ。
果たして上意下達の組織で、会社は時代の変化を乗り切れるのだろうか。
変化は現場から起こっているはずなのに。
「丸投げ」は論外としても、社員が一向に自ら考えも、行動もしないのは、それを阻んでいる何かがあるからだ。
約束と信頼があってこそ、「権限委譲」はうまくいく
■ それは「権限委譲」ですか?それとも「丸投げ」ですか?
「君に任せたよ」と言っておきながら、失敗の責任を負わない。
「せっかくあいつに任せたのに、期待を裏切られたよ」
そういう人に限って「私は部下を信頼して仕事を任すようにしているんですよ」という。
これは、「権限委譲」ではなく「丸投げ」という。
また、任せておきながら、細かいことにまで1つ1つ指示をするのも、任された方としてはたまったものではない。
細かな指示命令は、自らの思考を停止させ、自主性、自発性を押さえ付けてしまう。
任す方も任される方も、それぞれに自分の責任を果たす。
そんなお互いに対する約束と信頼があってこそ、「権限委譲」はうまくいく。
権限と役職が連動しているとは限らない
■ 名ばかり部長を生む「役職と序列」のカラクリ
役職について、押さえておきたいことがある。
それは「権限と役職が連動しているとは限らない」ということだ。
「部長」「課長」という名がついているのに、部下はいないし、権限もわずか、といったことは、よくある話。
また、同じ名称の人が何人もいることがある。
「従業員のモチベーションを保つため」だという。
日本企業はいまなお年功序列の人事制度を続けている会社が多い。
しかし、ポストには限りがあるので、年齢を重ねても、部長や課長といったポストにつけない人が必ず出てくる。
また、ポストに付いていた人でも、「役職定年制度」によって、55歳前後になると強制的に管理職を解かれることもある。
権限もそれほど持っていないが、社員のこれまでの貢献度も鑑みて、“部長”という名称をつけている。
同様に、調査役や審査役などと、『◯◯役』という名称の役職を与えることもあるという。
権限のあまりない役職が存在するもう1つの理由は、「対外的な信用を得るため」だ。
客の立場から見れば、担当者が地位の高い人のほうが、権限を持って物事をスムーズに運んでくれるだろうと思い、安心できる。
そうした心理をついて、社内的には役なしだが、対外向けに役職名を与えることは多い。
それ以外に権限を与えず役職だけ与える理由には、「管理職待遇にすることで、組合員から外し、残業支給の対象外にしてしまう」ということもある。
昇給や管理職手当を出しても、残業代は発生しなくなるので、トータルで会社にとって好都合となる。
たかが役職かもしれないが、その裏には、多くの”大人の事情“が隠されているのである。
「権限」は「限定的な権力」であり、私的に行使することは許されない
■ 権限とはどういう意味ですか?
多くの方が、「権限」を「権利」と結び付けて理解されているようですが、誤りです。
「権限」はあくまでも「限られた権力」であって、「権利」とは関係ありません。
「権利」は、受動的なものであれ能動的なものであれ、「権力」を持つ者から、それを自分のために行使することを保障された力を指します。
したがって、会社の車を自由に使用することができる力は、「権利」であって「権限」ではありません。
「権限」とは、あくまでも「権力」の一部とみなされるものを具体的に行使する力を指します。
「限定的な権力」なので、「権限」と呼びます。
また、「権力」の一部である以上、それを私的に行使することは本来許されません。
例えば、税金を徴収することができる力は「権限」であって「権利」ではありません。
飲食店に営業許可を出す力も「権限」であって「権利」ではありません。
いずれも、法律で与えられた「公権力」を行使していると考えられるからです。
また、公権力ではなくても、一定の範囲内で「権力」を行使しているとみなされる場合には、「権限」と呼ばれることがあります。
会社の経営者は、その経営権の範囲内で従業員を支配する立場にあり、一定の「権力」があるとみなされます。
この場合、その「権力」の一部を部長や課長などの一部の従業員に割り当て、彼らの判断に任せることができるわけですが、その割り当てられた「権力の一部」が「権限」と呼ばれることもあります。
「権限」には、「決定する権限」と「実行する権限」の2種類があります。
飲食店に営業許可を与える権限などは、典型的な「決定する権限」です。
仮に、許可を与えるべきか否かを決定する権限を2人以上の人が持っていると、その判断が異なった場合、どの決定に従えばいいのかがわからなくなります。
このようなことを避けるために、「決定する権限」は1人の人しか持たないのが普通です。
これに対して、例えば、犯罪者を逮捕する権限などは、逆に、誰か1人に限定されている方が不都合です。
警察官等であれば誰でも逮捕できるようにしておく方がいいでしょう。
このような「実行する権限」については、複数の人がその権限を有しているのが普通です。
権力にとって極めて都合のいい論理とは
■ 「人権」が理解されない日本
日本では「人権」が誤った理解をされることが多い。
残念ながら日本では人権というものの本質がなかなか理解されず、「仲良くすること」「思いやりを持つこと」と一緒にされてしまうことが多い。
人権は弱者を強者から守るためのもので、「皆で思いやりを持ちましょう」というレベルに矮小化できるものではないのです。
社会の力関係を是正しようとするのが人権ですが、それを単なる「思いやり」にすり替えてしまうと、その本質が失われてしまいます。
特に日本では弱い立場のものまでもが「思いやり」を持つことが要求され、弱者が人権保護を求めるのは「他人に対する思いやりに欠ける行動」という、トンチンカンな考えになりがちです。
強者から弱者を守るはずの人権が、いつの間にか弱者を抑圧するための正当化として使われてしまいます。
当然のことながらこれは権力にとっては極めて都合のいい論理で、人権の本来の趣旨とは全く逆の結果を招きます。
人権の本質を改めて再認識する必要があるように思います。
そんな「責任」を負わされては堪らない
■ 30代後半でもヒラ社員だったら? 1位は「どうでもいい」
高度成長期には、「前年比で売り上げ150%!」と高い目標を掲げても、頑張ればなんとか達成可能だった。
頑張っただけ会社も儲かり、給与が増える可能性も残っていた。
しかし構造的な不況の中で、管理職として同じような目標を与えられても、勝算は限りなく低く、お客にムリな商売をして達成しても将来性はない。
給与に大きく反映されることも、ほとんど期待できない。
そんな「責任」を負わされては堪らないというのも、十分に合理的な判断と言える。
給与がそこそこで居心地のいい会社であればマイペースで働いてもいいが、働きに見合った評価をしてくれない会社には愛想を尽かすということだ。
権限と責任が不釣合いな組織では、誰もリスクをとりたがらない
■ 「「一体感」が会社を潰す」
権限のある人が、その権限を使ってビジネスを行い、成果をあげれば報酬を受け取り、失敗すれば責任を問われるというのが正論です。
ところが、この正論が通用しないのが日本の組織です。
権限は与えられず、責任だけとらされる組織にいるメリットはゼロです。
権限と責任が不釣合いな組織では、誰もリスクをとりたがりません。
誰もリスクをとりたがらないのですから、当然、リターンもない、じり貧の組織になります。
「挑戦しよう」「新しいことにチャレンジしよう」といくら掛け声をかけたとしても、思ったとおり自由にやらせてもらえず、失敗したら責任をとらされることがわかっているのですから、誰もそんな挑戦などしません。
一応は訳すことはできても、その意味合いが異なる言葉
■ 「生きる力をつける ドイツ流子育てのすすめ」
ドイツの場合「義務」と「権利」はセットになっていると言っていい。
一方日本の場合は、義務が多く権利主張は立場の上の人や目上の人から「ワガママ」と片付けられてしまうことが多い。
ドイツ的な考えでは、「上」へ行けばいくほど義務も多くなるのは当たり前だが、それに「下」の人を巻き込もうとはしない。
例えば、社長は残業しても部下は17時には帰ってしまう。
ところが日本は「下」の人に「義務」をたくさん押しつけたがる。
(社長が帰るまで部下が帰れないなど)
「義務」や「責任」というのは一応は訳すことはできても、その意味合いは両国でかなり違う。
意味合いというより使われる場面が違う、と言ったほうがいいのかもしれない。
これは教育の現場でも明らかだ。
日本人が子どもに言う「責任」とは、イコール「人に迷惑をかけないこと」である。
欧米人には何が迷惑になるのかの幅がものすごく広いように感じられる。
例えば自分一人だけ違うことをするなど、ドイツ人から見たら何でもない行動が、日本人にとっては「わがまま」や「協調性がない」となってしまうのだから、同じ単語でもその違いには驚く。
ドイツ語で言う「権利」は、「あるもの」そして「通すもの」である。
例えば、有給をとる権利が法律上あるならば、必ず有給を全部とる、ということだ。
日本の場合、「権利」とは名ばかりで、立場や複雑な人間関係が優先され、使えない(通せない)ことがよくある。
また、日本では、「権利なんていう言葉は、一人前になってから言え」というお説教もよく聞く。
「権限委譲」という言葉のニュアンス
■ 「フリーエージェント社会の到来 ― 「雇われない生き方」は何を変えるか」
会社を出て行く従業員が増えるにつれて、人材の流出を防ぐための取り組みを強化する企業が増えている。
しかし、その結果打ち出される戦略は、間違った前提に立っているために失敗に終わる場合が多い。
「権限委譲」という言葉には、組織が権力を握っていて、その一部をご親切にも個人に分けてやるというニュアンスがある。
従業員への「権限委譲」を図ろうとする企業は、恩着せがましいばかりか、いまや物笑いの種でもある。
人材を「つなぎ止める」という発想も同じだ。
彼らを「つなぎ止める」ことはできない。
90年代の企業のリストラやレイオフ、そして終身雇用制の崩壊により、職場における忠誠心は弱まったと言われている。
しかしこれは、必ずしも事実とは言えない。
忠誠心はなくなっていない。
忠誠心のあり方が変わっただけだ。
個人が組織に示すタテの忠誠心に変わって、新しいヨコの忠誠心が生まれつつある。
取引先や同僚、元の同僚、チーム、職業、プロジェクト、業界に対する強い忠誠心が生まれている。
ある意味で、忠誠心は強化されたのだ。
不信のシグナルを送ってしまったら、権限を付与しても台無しになる
■ 「人として正しいことを」
価値観を大切にする従業員と、規則を遵守する従業員の間には違いがある。
前者は「すべき」に律せられる。
彼らは価値観や信念に沿って行動し、自己統治する。
選択を迫られたときは、堅固な価値観が手引きとなる。
一方、情報に基づいて黙って従う従業員は、規則にしか関心がない。
「やってもいい」の世界に生きているのだ。
もしもお偉方が規則に従おうとしなかったら、自分の損にならないような決断をするしかない。
自分で決められなければ、それができる管理職なり上司なりに判断をあおくが、誰かが決定するまでは自分の損得勘定が前面に出ることになる。
結果として、時間や効率ばかりか、安全そのものも脅かされる。
企業と従業員の価値観が一致すれば、従業員は自分の信念に基づいて行動するようになる。
自分を裏切れば心が乱れ、頭の中でいくつもの声が騒ぎ出し、摩擦が生じ、生産性と効率が低下してしまう。
不信のシグナルを送ってしまったら、いくら個人に権限を付与しても台無しになる。
信頼は信頼を生むが、その逆もまた然りであることを忘れてはならない。
権限と情報が上部に集中する仕組みは、管理しやすい方法に過ぎない
■ 「夢をかなえる経営計画」
「組織は、戦略に従う」とはよく言われていることですが、現在でも「業務」が「組織」に従うような愚行を演じている企業も少なくありません。
「組織を変更したい」とき、頭の中には「○○課を減らして・・・」などのことしか浮かんでいません。
また、組織とは、社長が一番上で、役員、部長、課長、係長、一般社員の序列としか考えてない方もいるようです。
この組織は、権限と情報が上部に集中する仕組みであるため、内部を管理しやすい方法としてとられたにすぎないのです。
組織があって目的があるのではなく、目的遂行のために組織はあるのです。
また、社長だから偉い、ということもありません。
組織構成員は各々の役割を演じているだけなのです。
組織にはリーダーは必要ですが、独裁者は必要ではないのです。
企業経営は一人ではできません。
社員や仕入先等の関係者が一つの方向を目指し、力を糾合して初めて成果が出てくるものです。
権限委譲、権限移譲、権限付与とは?権限と組織力の関係って?
(パート2)
んでー、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、上記を踏まえた上で例えばこんなのからも、念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
d(⌒ー⌒)
権限委譲とは?
○ Weblio辞書
上司のもつ権限を部下に与え、任せること。
権限委譲の目的は、上司、あるいは経営者の権限を部下に委譲することで部下に責任を持たせ、部下のモチベーションを高めることや事業部内における活性化などを図ることにある。
また、上司、あるいは経営者の負担を軽減することも目的の1つである。
権限委譲は、部下の業務能力や上司の指揮能力に依る部分が大きい。
そのため、権利委譲の不可能なケースや、権利委譲によってプロジェクトの進行が鈍化したりする場合もある。
権限移譲とは?
○ Yahoo!知恵袋
AからBへ移譲するとは、責任も含めてBに移すということで、Aには責任は残りません。
AからBへ委譲するとは、最終責任はAに残したまま、判断と決定権限をBに「任せる」ということです。
権限付与とは?
○ goo辞書
権限をさずけ与えること。
権限とは?
○ goo辞書
- 国家や公共団体が、法令の規定に基づいて職権を行うことのできる範囲
- 代理人や法人の機関が、法律または契約に基づいてなしうる権能の範囲
- 個人がその立場でもつ権利・権力の範囲
権力とは?
○ goo辞書
他人を強制し服従させる力。
特に国家や政府などがもつ、国民に対する強制力。
○ ウィキペディア
権力とは一般にある主体が相手に望まない行動を強制する能力である。
権力は、社会のあらゆる場面で成立する余地がある。
一般に政治的な場面で用いられる権力といえば、一定の範囲の住民すべてに及ぶ強制力を有し、それを服従させるようにまで至った権力のことをさす。
他者や集団・組織に対し絶大な影響力を行使できる人のことを隠語として「実力者」ということがある。
他者を服従させる何らかの特別な「力」を有している点ではこれも「権力者」の範疇に含まれる。
利権とは?
○ コトバンク
業者が政府および公共機関のしかるべき地位にある公務員(政治家、特別公務員も含む)と結託して、形式的には公的手続によって獲得する権益をいう。
国家機関または官僚との人的かつ物的な結びつきをとおして、形式的には公的手続を経て与えられる権益のこと。
通常、業者が提供する金品、供応、地位などに対し、発注権などを占有する権限をもつ官僚および官僚を監督指導する政治家の反対給付として成立する。
物資やサービスの大規模な売買、膨大な資源の徴収といった政府の役割は、その遂行過程で私人に不当な利益を入手する機会を与えることがある。
輸入制限品の輸入割当て、兵器開発の随意契約の付与、徴税上の優遇などがその例である。
利権はそれ自体不公平であるばかりか、汚職を誘発することになる。
わが国では、超長期政権と癒着しがちの官僚機構の公共事業等発注、補助金交付、国・公有財産払下げなどをめぐる直接的な、および企業の優遇税制などに絡む間接的な利権行為をチェックする自浄機能は弱い。
また、与野党の政権交代のない長期保守政権、および政治活動に多額の資金を要する日本の政治風土とそのシステムのなかでは、特定の省庁の政策に詳しく、その政策により利益を得る業界や企業を代弁するいわゆる族議員を中核とした高級官僚、業界、学会などを含む利権のネットワークが社会組織に牢乎(ろうこ)として組み込まれている。
この構造的利権は、国家、公共予算の編成方針によって社会的基盤である鉄道、航空、山林、道路、港湾、ダム、河川、上下水道などのインフラ整備による利権から、金融、証券、医療・医薬品、介護、食品・飲料、環境浄化など、すべての官公庁のもつ許認可権や指導・監督権などの各種規制(約1万2000件以上あるとされる)の下に、新たなビジネスの発生による利権の誕生にもつながるのである。
こうした利権の芽を断つには国民のよりいっそうの政治、行政への関心が望まれる。
権威とは?
○ goo辞書
- 他の者を服従させる威力
- ある分野において優れたものとして信頼されていること。その分野で、知識や技術が抜きんでて優れていると一般に認められていること。また、その人
○ ウィキペディア
権威とは、自発的に同意・服従を促すような能力・関係を一般的に指し示す。
ただし、「自発的に」とはいっても「同意・服従」への圧力がかかっているわけで、完全に自由意志で結論を下せるわけではない。
威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる能力・関係である権力とは区別される。
代名詞的に、特定の分野などに精通して専門的な知識を有する人などをこのように称することもある。
権威は必ずしも個人に付帯するわけではない。
ある立場・地位のみが権威化され、そのポジションにおかれた個人そのものに権威がともなわない場合もある。
いわゆる権威的な職種に携わる人が、その地位を象徴する制服やバッジを身につける限りは権威を行使できても、そうした装置をひとたび外せば権威が失われるのはその一例である。
権限委譲、権限移譲、権限付与とは?権限と組織力の関係って?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
コメント