「失敗から学ぶってよく聞くけど、失敗から学ぶってどーゆーことなんだろ~???失敗から学ぶ組織ってどんな組織なんだろ~??? ( ̄ー ̄?)」
「失敗から学ぶには何をどーしたらいいんだろ~???失敗から学ぶ組織の作り方ってどーしたらいいんだろ~???いい方法ってなーんかないものなのかな~??? (;゜∇゜) 」
「うちの会社って、どーして失敗から学べないんだろ~???そーゆー組織風土になっちゃっているのかな~???だとしたら、まずは組織文化とかから変えて行かないとダメってことなのかな~??? (;・∀・)」
「どーすれば、失敗から学べる組織に変われるんだろ~???やっぱもっと人材育成をやらなきゃダメなのかな~???でも中小零細企業だから、教育にコストをそんなにかけられないし、どーしたらいいんだろ~??? ヽ(;▽;)ノ 」
などなど・・・
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
このような声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
ほんのちょっぴり視点を変えてみただけでも・・・
失敗から学ぶ機会って、意外とたくさん見つかる
んじゃーないかな~???
o(*⌒O⌒)b
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、失敗って何なんだろーか?
間違いって、何なんだろーか?
本当の失敗や間違いって、いったい何だろーか?
何が本当の失敗や間違いで、何が本当の失敗や間違いじゃないんだろーか?
失敗や間違いを一切しない人って、存在するんだろーか?
失敗や間違いを一切しない組織って、存在するんだろーか?
失敗から学ぶって、どーゆーことなんだろーか?
失敗から学ぶメリットやデメリットって、何なんだろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
どんな組織だったら、失敗から学べるんだろーか?
どんな組織だったら、失敗から学べなくなっちゃうんだろーか?
失敗から学べる組織と、同じ失敗や間違いを繰り返す組織の違いって何だろーか?
どーして、失敗や間違いは起きるんだろーか?
誰が何をどうすれば、失敗や間違いは起きないんだろーか?
失敗や間違いが起きる根本的な原因って、いったい何なんだろーか?
何のために、失敗から学ぶんだろーか?
誰のために、失敗から学ぶんだろーか?
などなども含めて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
失敗から学ぶ組織とは?その失敗って本当にいち従業員の問題?
(パート1)
んーと・・・、もしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーするかもしれないので・・・
まずは、なんちゃっておちゃらけでカキカキした例えばこんなケースから考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
失敗から学ぶ組織とは?その失敗って本当にいち従業員の問題?
(なんちゃっておちゃらけケース)
大クレームが発生したので、調べさせたら・・・
○ 随分前に発生したことなのに、誰からも報告がないわ
↓
○ 配送したヤツが失踪して連絡が取れないわ
↓
○ 顧客先でケンカしてるわ
↓
○ 顧客先で商品を落っことしてるわ
↓
○ 配送中に道に迷って遅くなってるわ
↓
○ 車の中でぐちゃぐちゃになってるわ
↓
○ 車に積む時に放り投げてボコボコになってるわ
↓
○ 出庫時にぶつけてヘコませてるわ
↓
○ 違う商品を出庫してるわ
↓
○ 伝票を見間違えてるわ
↓
○ 伝票カキカキミスをやらかしてるわ
↓
○ 伝言のメモ書きの時が汚すぎて読めないわ
↓
○ こんな注文があったと言い間違えて伝えてるわ
↓
○ 注文内容を聞き間違えてるわ
↓
○ 商品名を間違えて注文されてるわ・・・
・
・
・
こんなとんでもない状況でした・・・
何って言ったらいいか、常識ってもんがないとゆーか、責任感がなさ過ぎるってゆーか、根性ってもんがなさ過ぎるってゆーか、協調性がないとゆーか、思い込みが激しいとゆーか・・・
自分で考えて行動しないとゆーか、主体性がないとゆーか・・・
ホントに困ったものです・・・
「なーんでこんなくだらんことで失敗なんかするかね!?」
「絶対に失敗するな!って、あれほど何度も何度も言ったのにさ!!」
「何で気づかないんだ!?」
「こんなことから教育しなきゃいかんのか!?」
って、泣きたくなりました・・・
なので、再発防止策として・・・
○ 各担当者に責任を取らせて退職願いを書かせて辞めさせて、損害賠償請求もして
↓
○ 各担当者の上司を減給処分にして反省文も書かせて、「部下をちゃんと教育しろ!」と言って
↓
○ 今後ミスが発生したら同様の措置を取ると、パートやアルバイトも含めて全従業員に散々怒りまくって
↓
○ 「絶対にミスするな!気をつけろ!ちゃんと確認しろ!報告しろ!やる気を出せ!危機感を持て!当事者意識を持て!責任感を持て!自分で考えて行動しろ!」と、事あるごとに何度も何度も繰り返し言っています
失敗から学ぶ組織とは?その失敗って本当にいち従業員の問題?
(パート2)
んでー・・・
次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
成長する上で、必ず失敗しなければならない失敗がある
■ 「失敗学のすすめ」
じつは、失敗にも「失敗のハインリッヒの法則」とでも呼ぶべきものが存在しています。
企業のケースでたとえるなら、新聞で取り上げられる大きな失敗があれば、その裏には必ず軽度のクレーム(顧客からの不具合の指摘)程度の失敗が29は存在し、さらには、クレーム発生にはいたらないまでも、社員が「まずい」と認識した程度の潜在的失敗がその裏には必ず300件あるわけです。
新聞沙汰になるような事故やトラブルが、「ある日突然降って湧いたように現れた」などということは、そもそもありえません。
過去をふりかえってもそのようなケースはなく、最近多発する企業不祥事の原因を探ると、むしろ「いままでよく事件・事故が起こらなかった」という率直な思いにぶつかるはずです。
そうだとすれば、仮に、「まずい」という体験があったときになんらかの防止策を打つことができれば、失敗の成長は止められるはずです。
それをせずに放置しておくと、数は少ないにしても、より影響力の大きなクレーム程度の失敗が必ず芽を出します。
そこで防止策が打てなければ、失敗はさらに大きな形で現れ、まわりに多大な被害を与える致命的失敗へ成長するというのが、まさに「失敗のハインリッヒの法則」の考え方です。
事故やトラブルなど世間を震撼させる大失敗には、背景に少なからずこれと同じ構図があります。
失敗の成長は、水をたたえるダムにたとえることができます。
小さな失敗という水が貯められていく過程で放水という防止策を打てば、決壊などの問題が生じる心配はまったくありません。
これを行わずに徐々に水を貯め込んでいくと、最も弱い部分にやがて小決壊が始まります。
それでもなお放水を行わずに放置してやくと、ある閾値に到達したときにはついてに大決壊が始まり、破滅に向かって一気に突っ走る、取り返しのつかない大失敗に成長してしまうのです。
大きな失敗が発生するときには、必ず予兆となる現象が現れます。
このときにしっかりとアンテナを張り巡らせば、必ず失敗の予兆を認識できるし、それに対して適切な対応をとれば、大きな失敗の発生を防ぐことも十分に可能です。
理屈として考えれば、これほど簡単な失敗回避の対策はありません。
しかし現実には、こうした失敗の予兆は放置されることがほとんどです。
なぜなら失敗は「忌み嫌うもの」であり、できれば「見たくない」という意識が人々の中にあるからです。
人間は「見たくないものは見えない」性質を持っています。
その挙げ句、失敗した人には必然的に起こった失敗の原因まで、未知や不可抗力という言動でごまかそうとする傾向もありますから、これでは大きな失敗があとからあとから出てくるのも当然です。
ひとつの失敗、ひとつの事故の真の原因をきちんと解明することは、同じ原因で起こる次の失敗の未然の防止にそのまま結びつくのです。
「恥ずかしいから直視できない」
「できれば人に知られたくない」
失敗に対するこうした見方は、残念ながらいまでは日本中のありとあらゆる場面で見受けられます。
人は「聞きたくないもの」は「聞こえにくい」し、「見たくないもの」は「見えなくなる」ものです。
しかし、失敗を隠すことによっておきるのは、次の失敗、さらに大きな失敗という、より大きなマイナスの結果でしかありません。
失敗から目を背けるあまり、結果として、「まさか」という致命的な事故が繰り返し起こっているのだとすれば、失敗に対するこの見方そのものを変えていく必要があります。
忌み嫌うだけのいままでの方法には限界があることは、最近になって相次いで起こっている事故を見れば明らかです。
失敗はたしかにマイナスの結果をもたらすものですが、その反面、失敗をうまく生かせば、将来への大きなプラスへ転じさせる可能性を秘めています。
事実、人類には、失敗から新技術や新たなアイデアを生み出し、社会を大きく発展させてきた歴史があります。
これは個人の行動にも、そのままあてはまります。
どうしても起こしてしまう失敗に、どのような姿勢が臨むかによって、その人が得るものも異なり、成長の度合いも大きく変わってきます。
つまり、失敗との付き合い方いかんで、その人は大きく飛躍するチャンスをつかむことができるのです。
「こうすれば失敗しない」
「こうすれば成功する」
「これはダメ、あれはダメ」
という教育方法では、やはり知識の表面的な理解しかできません。
「小さな失敗を不用意に避けることは、将来起こりうる大きな失敗の準備をしていることだ」
ということを、もっと私たちは知るべきなのです。
人が成長する上で、必ず失敗しなければならない失敗があるのです。
これが「よい失敗」で、別の言葉を使えば「必要な失敗」といえます。
そして、「よい失敗」「必要な失敗」は、成長や発展を促すためにもどんどん経験すべきなのです。
失敗が起こったときの言い訳が
「思いもよらなかった」
「予測できなかった」
の決まり文句です。
「思いもよらなく」「予測できなく」させているのは何なのか、もう一度深く考えてみるべきです。
個人から組織を総合的に改善するアプローチへの転換
■ 「医療事故 ― なぜ起こるのか、どうすれば防げるのか」
組織事故の発生メカニズムを説明するものとして、スイスチーズ・モデルが提唱されています。
あるスタッフや機械が危険を発生させたとき、階層的な防護(人や設備)によってそれが事故になるのを防いでいるが、防護は完璧ではないので、チーズの穴(防護が不十分な箇所)がたまたま重なったところをその危険がくぐり抜けた場合に事故が生じるというものです。
医療組織で起こる事故は、患者に近づくにつれて危険が増大していくモデルで考えた方がよいでしょう。
雪玉が転がり落ちるイメージを表して、「スノーボール・モデル」と呼びます。
一連のプロセスの最初に仕事をするスタッフが、もし何らかの失敗をしたとき、2番目のスタッフがその失敗を発見できれば危険が減少しますが、発見(防護)に失敗して危険が残ることもあります。
2番目のスタッフは、引き継いだ仕事を行う過程で失敗したり、自分がスタートさせる新たな仕事の中で失敗したりすることも考えられ、最初のスタッフが発生させた危険よりもより大きな危険を、次のスタッフに向けて送り出す可能性があります。
こうして仕事が継続されるうちに、危険の雪玉はドンドン大きくなって転がり落ちていくかもしれません。
なぜなら、防護(危険の監視や発見、危険発生時の対処)の仕事だけをするスタッフがいないからです。
危険を危険と認めない「病的組織」は論外としても、これまで多くの組織は、事故が起こると失敗した者を訓練したり不具合な設備を修理するというような局所的な対応ですましてしまう「場当たり的組織」でした。
しかし、これからの組織は、事故を組織全体を改良する契機とみなすような「生産的組織」であることが必要です。
つまり、事故を起こした個人・設備に部分的に注目するアプローチから、組織・システムを総合的に改善するアプローチへの転換が必要です。
事故は個人が起こすものではなく、組織の中で起こるものですから、個人に責任を押しつけて処分し、それで片付けてしまうやり方では、事故を起こしやすい組織の体質はそのまま残ってしまいます。
それでは「事故から学ぶ」ことができなくなり、安全な組織に改善するチャンスを逃すことになるでしょう。
事故予防には一度で効く特効薬はありません。
どのような安全な組織を作っても、安全を求める努力を怠るとすぐに安全でない組織になるのです。
過ちを改めざるをもって過ちとなす
■ 「ヒューマンエラーの心理学」
人間個人の注意力には限界があります。
人間には錯覚が生じ、注意力には限界があるということは、心理学では常識であります。
集団、組織、機構、機械、環境などの整備で、人間の不完全さを補っていく必要があります。
人や組織の犯す危険な行為には、「エラー」と「ルール違反」とがあります。
そして、組織の中にあり、事故を起こしたとされる失敗(エラーやルール違反)の背景にある、エラーやルール違反を引き起こす条件を見つけたり改善したりすることが事故予防の要です。
事故が起きると、「今後は注意を促し、徹底させる」といった具体性を欠く対策が発表されることが少なくありません。
しかし、事故予防には「エラー」と「違反」を区別し、それぞれを引き起こす条件を取り除く対策が必要です。
エラーをその発生メカニズムの視点で考えると、いくつかに分類できます。
ミステイク
「誤った目標の選択」です。
状況の把握が不適切なために不適切な目標を選んでしまう誤りです。
誤った目標については目標通りに実行されるので、実行者自身は発見するのは難しいエラーです。
スリップ
「目標に合わない行為」です。
不適切な行為を無意識に行なう誤りです。
目標と行為の結果とが明らかに食い違うので、起こったとたんに実行者が失敗したと気づくことの多いエラーです。
一方、ルール違反を犯してしまう人間の心理特性と切り離しては考えられません。
事故が発生したときに「なぜこのような(初歩的な)失敗をしたのか、信じられない」というようなコメントがなされることがあります。
しかし、心理学で明らかにされてきた人間の認知や行動特性、あるいは集団の特性から考えると、そういう状況であればその失敗も起こりうることだと見えてくることが少なくありません。
失敗や事故を起こしてしまった人に、「あれほど注意したのに / 教えたのに」と叱責することがよくあります。
人は忘れる動物です。
1週間前に言われたことでも、すぐに忘れてしまいます。
ある人がどんな場面でも同じミスを犯すとは限りません。
ことはそんな単純なものではありません。
個人の問題ではなく、同じ状況下では誰でも同じミスを起こしうるという前提のもとで、システムのあり方を問題とする方が、第一段階としては適切でしょう。
ヒューマンエラーとは、人間の創造性と裏腹になったもので、決してネガティブにだけ評価されるものではありません。
『論語』の中に、こんな弟子とのやりとりが書かれています。
ある時、弟子から「先生、過ちとは何ですか?」と尋ねられ、孔子はこう答えています。
「過ちを改めざるをもって過ちとなす」
つまり、人に間違いはつきものだ、でも、人はそこから学んで過ちを改めることができる。
過ちから学ぼうとしないで同じ間違いをいつまでも繰り返すのを過ちというのだ、と孔子は言っています。
失敗は起こるのが当たり前
■ 「会社を変える人の「味方のつくり方」」
「失敗はあってはならない」という前提から出発すると、もし、あってはならないはずの失敗が生じたとしたら、これは当然、厳しくとがめられます。
「誰がやったんだ」ということが必ず問題になり、結果の責任追及が待っているわけです。
もちろんそれはそれで、抑止力にはなります。
ただ、責任追及に関しては、仮に自分がそのときは追求する立場に立っているとしても、誰しもお互い様なので、できればあまり厳しいことはいいたくない。
特に自分に近いところで起こったことは、「そんな追求はやめようじゃないか」ということになりがちです。
なるべく事を穏便に、内々だけの範囲に留めて、あまり大げさにせず、揉み消す努力がなされます。
これに対し、「人間は必ず失敗するもの」という前提から出発すると、失敗した原因を追求して二度と起こらないようにする、という考え方が基本にありますから、実際に失敗が生じると、
「どうして失敗が起こったのか」
「なぜ失敗したのか」
という原因を「人」と「事」に分けて考えるために追求がはじめやすくなります。
失敗は起こるのが当たり前で、起こったら次に起こらないように手を打つことが大切だ、というのが基本的な考え方だから、これは当たり前です。
つまり、誰がやったのかという責任追及、いい換えれば管理の視点よりも、まず、なぜ失敗したのかという原因の追求とその原因を摘み取ることが優先されやすくなるのです。
小さな失敗を厳しくとがめる、という管理主義を徹底すればするほど、その裏返しとして内々に処理して表ざたにしないように上手に隠すことが起こりがちになります。
大切なのは統制を厳しくするのではなく、失敗を顕在化させ、その原因を明確にすることによって解明し、取り去り、大きな失敗への波及を防ぐことなのです。
問題を解決するには、まず「問題」がわかっていなければならない
■ 「なぜ危機に気づけなかったのか」
会社で働いている人の多くは、特に自分がミスを犯したかもしれないとか、ある失敗の火種を作ったかもしれないというようなことを社内で口にすることで、問題児と見られたり、不利益を被ったりするのを恐れている。
従業員が潜在的な問題を探し出す方法や仕事中に特に気をつけておくべき兆候、懸念を感じたときにそれを他の人に伝える方法を教えられていれば、問題はもっと早く表面化するだろう。
孤立化の落とし穴に遭遇するのは経営上層部だけではない。
あらゆるレベルのリーダーが、ときとして組織を脅かしている問題を実際によく知っている人たちから孤立している自分に気づく。
問題を見つけたいなら、孤立化の落とし穴に気をつけ、それを避けなければならない。
そんな状態から抜け出し、心を開いて問題に耳を傾け、問題を観察し、問題を学ばなければならない。
問題を見つけようとすれば、自分が犯した過ちを認め、それを人前で話題にしなければならない。
問題を知らなければ、優れた意思決定も厄介な問題を解決することもできないことを認識しなければならない。
問題を解決するには、まず「問題」がわかっていなければならない。
真の問題を見極めることが最も難しい課題である。
企業をはじめ、多くの組織において問題は隠れてしまい、いくら問題解決法を知っていても「解決すべき問題」が何か、わかっていないことが問題になっている。
問題が起こり、大事故・大惨事に発展してから解決策を見出すより、問題になりそうなことを早くに発見し、まだ軽微なうちに手を打つことのほうが価値がある。
しかし、手遅れになってからやっと危機に気づいたり、見当違いの問題を解決しようとしている場合さえある。
失敗を恐れずにリスクを冒すことのできる文化
■ 「こうすれば組織は変えられる!」
改善すること自体は、決して難しいことではない。
各自が現状を把握し、認めることができれば、それを改善することは決して難しくないのである。
ただ問題は、我々のほとんどが現実を認めることができないということである。
今日の企業風土においては、自分自身を直視すること、とりわけ自分の担当部署の現状を認めることは、簡単ではない。
「内部は隠せ」というのが、今日の企業社会の現状である。
変化が絶対的に不可避なものとしてその身にのしかかってきても、車のヘッドライトに照らされた鹿のごとく、ひたすらその場に立ち尽くす人たちがいる。
何をしなければならないかはわかっているのに、恐怖のあまり動き出せないのだ。
人によっては、変化そのものよりも、それがもたらすアカウンタビリティに対する恐怖の方が大きい場合がある。
彼らは、間違いを指摘される可能性を恐れて、責任を与えられることをいやがるのだ。
これまでに幾度も恥ずかしい思いをさせられてきたのだろう。
とにかく二度とそんな思いはしたくないのである。
こうした恐怖心は、特に具体的な理由がないときでも、その人の心から消えることがない。
経験に根差す罪悪感と恥の意識は、人の自尊心を深く蝕む。
特に、間違いをことさら強調するような環境に育った人は、きわめて深刻な問題を抱えてしまう。
残念ながら、組織内で日々行われていることのほとんどは、間違いや失敗ばかりに焦点を当てる、ネガティブ思考に基づくものである。
攻撃ばかりされていると、人はほとんどのエネルギーを次の攻撃をかわす準備に費やしてしまう。
そして、いったんそのくせがついてしまうと、なかなか抜け出すことができない。
2度、3度侮辱されれば、人は自分を侮辱した相手の姿を見たとたん、次なる侮辱に備えて身を固くし、その人が何をしようとそれを侮辱と受け取る。
そうなれば、ときおり親切な態度を見せてもほとんど効果はない。
恐怖心に支配された人は、突然間違っていもいいと言われても、当然ながら疑心暗鬼で、なかなか古い習慣を捨てようとはしない。
恐怖心によって培われた習慣は、たとえ本人がそれを望んだとしても、打ち壊すのが非常に難しい。
多くの人は、間違いを罰と結びつけて考える。
しかし間違いは、それが何かを探求する過程で起こった場合、学習する機会として歓迎されるべきなのだ。
私たちは笑顔や拍手でアプローチされたときの方が、無視や蔑みやしかめっ面で対応されたときよりも、協力的な態度で応えることができる。
失敗を見つけて叱責するかわりに、うまくやり遂げたものに目を向け褒めることを習慣にするのは、決して難しいことではない。
リスクテイキングに対する不安をなくすには、結果を心配せずに、つまり失敗を恐れずにリスクを冒すことのできる文化をつくらなければならない。
どんな組織にも問題はある、問題があることを問題と考えてはいけない
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
立場や役割を超えて仕事がしやすい環境というのは、失敗しても、それが前向きの失敗ならば許容される雰囲気や、困ったときに誰かが必ず手を差し伸べてくれる空気のある環境だ。
しかし、そうした経験を入社以来一度もしたことがない人もいて、そういう人は困ったときに周りが手を差し伸べてくれるという状況を想像すらできない。
立場や役割を超えて仕事ができないと、次々に出てくる新しい課題も処理できないままで放置されることになり、組織は見えないところで機能不全に陥ってしまう。
本当は問題があるのだが、誰も気づいていないために解決されない、ということはよくあることだ。
「問題の芽」は多くの場合、隠れたままで、外からは気づかれないような状況になっていることが多い。
ということは、問題を解決し、改善しようと思えば、
「問題は何か」
「問題はどこにあるのか」
がわかっていなくてはならない。
問題がまだ起きていない段階で、その芽を見つけるのも大事なことだが、いつもそれができるとはかぎらない。
つまり、問題が起きることで、ようやくその問題に気づく、というのはよくあることなのだ。
大きな問題が本当に「起きてしまう」と、多くの場合、マスコミをにぎわすような事件になるから、リスクも大きくなる。
そうしたことはできれば避けたい。
しかし、注目すべきは、こうした大きな問題が出てくる前に、ほとんどの場合その前兆である小さな問題が顔を見せている、ということだ。
問題が出てこないよう厳しく管理する姿勢は行き過ぎると、小さな問題を出しにくくする傾向をもたらす。
問題が出てきたら厳しく叱り、二度と出さないよう反省文を書かせたり、特別な研修に送り込んだりすることでは、問題は解決しない。
そういうことをすればするほど、かえって問題が表に出にくくなるからだ。
「問題はないほうがいい」という考え方を持っていると、どうしても問題を表ざたにするのを嫌うようになる。
しかし小さな問題を無視し続けていると、それらの小さな問題は内部で発酵しながら増殖し、身体が弱ったときに発病する。
大きな問題が「起きて」しまうのだ。
問題があること自体を問題と考えてはいけない。
どんな組織にも問題はあるのだから。
問題があることが問題なのではない。
問題が見えてくること自体はきわめて望ましいことなのだ。
人は、そもそも完全無欠な存在ではない。
失敗に目が行きすぎると、新しいことにチャレンジしない
■ 「現場力を鍛える」
失敗に目が行きすぎると、どうしても新しいことにチャレンジしない保守的な考え方に染まる傾向が出て来る。
中には、失敗も出てくるだろう。
その失敗を検証し、学習することによって新たな否定へとつないでいく。
現場には大小様々な問題点が存在する。
しかし、そうした現状を「所詮こんなもの」と容認してしまっては、問題点は浮かび上がらず、やがてはその中に埋没していく。
最初は問題だと感じたことでも、感受性が鈍くなり、問題であることすら認知しなくなる。
そして、現場は腐っていく。
現場力を高めるのは人である。
他社で成功した方法論やコンセプトを導入したり、最先端のITを採用しても、それで自動的に現場力が高まることなどありえない。
道具から業務を考えるのではなく、業務から道具を考えるのが鉄則である。
ツールや方法論は、ことごとく失敗する
■ 「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
ビジネスの問題ではほとんどの場合、問題の原因をわかっている人間が少なくともひとりはいる。
そうでなくても、問題の原因を断片的にはわかっている人が何人かいる。
根本的な原因を探って問題を解決するためのツールは、普段はあまり接点のない関係者が集まった場合にこそ効果を発揮する。
人間は道具を使うのが好きだ。
だからこそ文明を築くことができた。
危険なのは、ツールそのものを解決策と勘違いし、ツールさえあれば関係者が連携しなくてもうまくいくと思ってしまうことだ。
実際、方法論の多くはそのような考えのもとに発展した。
もともとは人間のために開発された方法から、いつのまにか人間的な要素が取り除かれてしまったのである。
気がつけば、莫大な量のデータや資料を用いる方法論になってしまい、報告書の作成に際限もなく時間を取られることになった。
そんなことに骨を折るぐらいなら、現場の関係者の話を聞き、みんなで協力してクリエイティブな方法で問題を解決することができるはずだ。
にもかかわらず私たちは、データ入力やフローチャート作成やソフトウェアのインストールやデータの分析や報告書の作成に追われてばかりで、みんなで実際に業務プロセスの問題に取り組む時間を取れずにいる。
結局、意味のある改善活動など行っていないのだ。
資料や報告書や計画自体は、改革プロジェクトの本当の成果物とは言えない。
関係者全員で取り組みもせずに、ビジネスの問題を解決できると約束するようなツールや方法論やプログラムや取り組みは、ことごとく失敗する。
組織の周縁にいる人びとが遠くで鳴らしている警報ベルの音
■ 「経営の未来」
どの企業も業績不振になるまでは成功しているわけだが、気に入らないのは、業績不振になったとき愕然とする経営幹部が大勢いることだ。
この驚愕は、つまりは劇的に変化した環境を、事ここに至るまで認識していなかったということであり、再生の作業が、手遅れになるほどではないとしても、大きく遅れるのを保証しているのも当然である。
現実否認はおなじみのパターンをたどる。
気がかりな展開を、最初は信じがたいとか、たいしたことではないとして無視し、それから例外的な現象だとか、もう手の打ちようがないとして合理化する。
その後、しぶしぶ防御行動をとってそのダメージを緩和し、それからようやく現実ときちんと向き合うことになる。
(必ずそうなるとは限らないが)
容易に予想できるかもしれないが、気がかりな事実を否認する性向はヒエラルキーの上にいる人ほど強い。
それは一つには、企業のリーダーは概して変化の最先端から遠いところにいるため、長く崇められてきたビジネスモデルが危うくなっていることを独力では察知できないためだ。
自分自身の実感的証拠がないのだから、組織の周縁にいる人びとが遠くで鳴らしている警報ベルの音を彼らが信用することはほとんどないのである。
変革の失敗プロセス
■ 「学習する組織 -現場に変化のタネをまく-」
組織を変革するためのコンテンツ、つまり目標や制度、仕組みがいくらよくても、それが必ずしも組織に浸透するわけではない。
組織のビジョンやミッションが会社案内や経営計画に載っていても、メンバーは誰も本気にしていない。
絵に描いた餅のように思っている。
そして、ゴールや目標が一部の人だけで決められてしまい、それらの検討に参画していないメンバーにとっては、指示・命令と受け取られ、強制されたノルマになってしまう。
そうするとメンバーは、「外発的動機付け」である賞罰という誘引によって動くようになり、主体性ややる気といったものが、発揮されにくくなってしまうのだ。
さらに、目標を達成するための施策や仕組み・制度も、一部の人が決めてしまい、その実施を上位下達で周知されても、大抵の場合は現場の実情には合わない。
そのため、メンバーは今のやり方を変えようとか、新しいやり方を現状に適応させようとはせずに、おざなりに行なうか放置してやり過ごすようになる。
その結果、せっかく新しい試みをしようとしても形骸化してしまう。
これではまずいということになり、次に実行のためのトレーニングが行なわれる。
しかし、このトレーニングの進め方は、教え込もうというプロセスになり、知識ややり方を解説し、実践できるように練習するというマニュアル的なものになる。
メンバーは上からしつこく言われるので仕方なしに現場で実践するが、主体的な意欲を持っているわけではないので、「言われたこと」「指示されたこと」しか実践しない。
それでは成果が上がらないので、実践段階では管理が強化される。
その結果、何とか目標を達成したとしても管理者は疲弊し、メンバーはやる気を失っている状態が生まれる。
これが多くの会社にありがちなプロセスである。
言い換えると変革の失敗のプロセスと言えるだろう。
試行錯誤のなかでの失敗は大事な学習の機会
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
マネジメントのあり方は、直接的にも間接的にも知恵の発露に大きく影響している。
上司を信頼していない部下というのは、決して自分で考えて行動を起こそうとはしない。
「いわれたことだけやっていればいい」「余計なことをするな」と叩かれたりマイナスの評価をされたりして、損をするばかりだからである。
だから、上司と部下の間に信頼関係がない職場からは新しいアイデアがなかなか生まれてこない。
人が萎縮するような環境のなかでは創造性が働かないのである。
とくに上司のマネジメントが指示型で一方通行の場合、部下は亀が甲羅に首を引っ込めたような状態になり、余計なことはいわない、しない、というふうに自発性を封じ込めてしまう。
こういう上司に対して余計なことをいおうものなら、すぐさま隙をつかれて叩かれる。
積極的に知恵を出すことは、むしろリスクを冒すことにほかならない。
「知恵を出すだけ損をする」状況なのである。
忙しくて部下にていねいに接することができないために、かえってこまめに指示を出し、できるだけ失敗しないように効率よく仕事をしようとする事情もわからないではない。
ただ、上司がよかれと思ってやっている管理や指示が、じつは部下から考える力を奪い、考えられない部下を量産してしまうことにもなる。
そのような組織では、うわべでは仕事はうまく回っているように見えても、部下は上司からの指示を待っているだけになっていたりする。
表面的には効率が上がっているように見えても、本当の意味で、生産性の高い仕事の仕方とはいえないだろう。
また、失敗させないようにするというのも一見好ましいことのようで、対応力の観点でいえば好ましいことではない。
というのも、今日のようにビジネスの環境がめまぐるしく変化するなかでは、いつでもどこでも「正しい」やり方というものがすでに存在しなくなっている。
この場合はうまくいくが、これ以外の場合はうまくいかないかもしれない。
前例が適用できない環境のなかでは、個々が状況を読み取って、その場で考えて対応することが求められる。
その過程で、一つや二つの失敗はあるかもしれないが、自分で考えてやってみる試行錯誤のなかでの失敗は、現場の経験を豊かにして対応力を高めていくための大事な学習の機会なのである。
何かを考えたりやろうとする時、必要なのは気軽に相談できる相手だ。
一人で問題を抱え込んでしまうと、解決の糸口が見つからずに悶々とする。
行動も周囲の応援や協力があれば起こしやすいが、誰か協力してくれる人がいるかどうか前もってわかっていないと、初めの一歩がなかなか踏み出せない。
周りにいる人たちが、自分の意見を聞いてくれる、受け止めてくれる、せめて自分を攻撃しないとわかっていなければ、「こうしたい」「やろう」ということすらいい出しにくい。
職場に安心してものがいえる雰囲気があって、メンバー同士が気楽に話をし、一緒に考えようという関係性になっていないと、知恵は引き出されてこないのだ。
さらに、同じような問題にぶつかっているのにお互い知らないとか、似たようなことをあちこちでやっているといった明らかなムダが見えてくることもある。
みんなが自分のことで精一杯、わき目もふらずに作業に没頭して話もしない状況だと、全体どころか周りも見えなくなる。
そのことが結果として、組織の非効率を生んでいるのである。
「過去に」
「他社が」
「利益は?」
これらはいずれも自由な発想を遮断する危険なキーワードだ。
しかも、必ずしも悪意で発せられるのではなく、
「失敗するな」
「無駄なことはやるな」
という配慮にもとづくアドバイスとして発せられる場合が多い。
よくいえば親心だったりするから始末が悪い。
いわれた瞬間に部下は
「失敗しないようにしよう」
「ムダなチャレンジはやめよう」
と反射的に思考を切り替える。
新しいチャレンジを避ける、見通しが立たないことはせずに確実なことだけを実行する、上司からの指示だけをこなす、というふうに行動が限定的になる。
本当はそこからアイデアを膨らませる余地があるかもしれないのに、「上司から止められたからやめておこう」となってしまう。
「失敗は許されない」といういい方をよく聞く。
むろん大きな失敗はしないに越したことはないけれど、では、どのくらいまでの失敗なら許されるのかと、一度まともに考えてみるべきではないだろうか。
大きな失敗を恐れるあまり、小さな失敗を避けて通っていたら、いつまでたっても状況は変化しない。
小さな失敗が予測されるのであれば、むしろそれは課題だととらえ直すべきであって、課題を克服しようとするところから発想は生まれる。
権限は与えられず、責任だけとらされる組織にいるメリットはゼロ
■ 「「一体感」が会社を潰す」
権限のある人が、その権限を使ってビジネスを行い、成果をあげれば報酬を受け取り、失敗すれば責任を問われるというのが正論です。
ところが、この正論が通用しないのが日本の組織です。
権限は与えられず、責任だけとらされる組織にいるメリットはゼロです。
権限と責任が不釣合いな組織では、誰もリスクをとりたがりません。
誰もリスクをとりたがらないのですから、当然、リターンもない、じり貧の組織になります。
「挑戦しよう」「新しいことにチャレンジしよう」といくら掛け声をかけたとしても、思ったとおり自由にやらせてもらえず、失敗したら責任をとらされることがわかっているのですから、誰もそんな挑戦などしません。
自営業者にとっては「事業に失敗すること」とは
■ 「借金なんかで死ぬな!」
借金苦で自殺や夜逃げをする人は、サラリーマンよりも自営業者のほうが割合としてはるかに多いように見受けられます。
自営業という立場は過酷です。
大企業の社長の場合、責任の範囲がはっきりしていますので、会社を経営破綻に導いても基本的には社長をクビになる程度で済みますが、自営業者の場合、事業資金の借入を社長個人が連帯保証している場合がほとんどであり、中には奥さんの実家を担保提供していたり、個人名義のカードローンで資金繰りしていることも少なくないので、倒産すれば債権者から個人資産の処分まで求められるのが当たり前です。
事実上の無限責任ですね。
このため、自営業者にとっては「事業に失敗すること」は「ほぼ全ての資産を失うこと」とイコールなのです。
人間関係は、なんらかの形で「助け合う」ことで成り立っている
■ 「生活保護リアル」
今日では、失敗すること、敗北することは、自己責任で招いた結果とみなされる。
特に貧困状態に陥ってしまったら、誰に言われなくても「自分の能力のなさが招いた結果」と考えて自責しがちだ。
「能力主義」「自己責任」「自己選択」・・・
どれも、資本主義社会のもとでは、当然であり、好ましいものとみなされている。
「頑張ればなんとかなる」という文化。
裏返せば「なんとからないのは、頑張らなかったからだ」という文化だ。
そして、精神的にも経済的にも追い詰められた人々が、精神を病み、精神科へと流れ込む。
いわゆる「生活保護叩き」に走る人々は苦しい人が多い。
がんばっていたりする人だ。
恥の意識が強くて、自己責任論を内面化している。
自分は必死でがんばっているから、「なぜ、あいつは」と思ってしまう。
しかし、その「苦しい人」たちは、実のところ、自分の首を締めているだけではないだろうか?
自分がいつ頼らざるを得なくなるかもしれない生活保護制度の改悪を望み、生活保護受給者を攻撃するということは、自分の生存の基盤を切り崩し、近未来の自分を攻撃するということになるのではないだろうか?
人間と人間との関係は、なんらかの形で「助け合う」ことで成り立っている。
そのように考えることができたら、世界はどれほど豊かに感じられるだろうか?
失敗から学ぶ組織とは?その失敗って本当にいち従業員の問題?
(パート3)
んでもって・・・
例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
(`・ω・´)
失敗とは?
○ コトバンク
物事をやりそこなうこと。
方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。
しくじること。
○ Weblio辞書
やりそこなうこと。
目的を果たせないこと。
予期した効果をあげられないこと。
しくじり。
間違いとは?
○ コトバンク
- 真実と違うこと。誤り
- しくじり。過失。あやまち
- 異常な出来事。事故
ミスとは?
○ ウィキペディア
英語からの転用、あるいはミステイクを略した外来語で「誤り」の意。
人為的な「失敗」の意。
ヒューマンエラーとは?
○ ウィキペディア
ヒューマンエラーとは、人為的過誤や失敗(ミス)のこと。
ヒューマンエラーは様々な職種において、経験を重ねたベテランやルーチンワークでも起こりえる事である。
経験で学んだ事により、スムーズに業務を全うする為に、業務に支障をきたさない範囲での基本的な確認・操作を省略し、積み重ねてきた事により「問題ない」という自己確信 が生じる。
そのような状態下で、確認・操作を怠ったまま業務を進行させると、非常時に結びついた場合、重大な問題・被害に発展する可能性がある。
人間である以上必ず失敗 (エラー) は起こりうる、人間に任せる完璧な対応策はないといった観点に基づいた対策を講じる必要がある。
ハインリッヒの法則とは?
○ ウィキペディア
ハインリッヒの法則は、労働災害における経験則の一つである。
「ハインリッヒの災害トライアングル定理」または「傷害四角錐」とも呼ばれる。
1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。
法則名はこの法則を導き出したハインリッヒに由来している。
彼は、同一人物が起こした同一種類の労働災害5000件余を統計学的に調べ、計算し、以下のような法則を導いた。
「災害」について現れた数値は「1:29:300」であった。
その内訳として、
- 「重傷」以上の災害が1件あったら、
- その背後には、29件の「軽傷」を伴う災害が起こり、
- 300件もの「ヒヤリ・ハット」した(危うく大惨事になる)傷害のない災害が起きていた
ことになる。
更に、幾千件もの「不安全行動」と「不安全状態」が存在しており、そのうち予防可能であるものは
- 「労働災害全体の98%を占める」こと
- 「不安全行動は不安全状態の約9倍の頻度で出現している」こと
を、約75,000例の分析で明らかにしている。
なお、ハインリッヒは「災害」を事故と事故を起こさせ得る可能性のある予想外で抑制されない事象と定義している。
上記の法則から、災害を防げば傷害はなくせる。
不安全行動と不安全状態をなくせば、災害も傷害もなくせる。
(職場の環境面の安全点検整備、特に、労働者の適正な採用、研修、監督、それらの経営者の責任をも言及している。
という教訓を導き出した。
割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウ理論)とは?
○ ウィキペディア
ブロークン・ウィンドウ理論、破れ窓理論、壊れ窓理論ともいう。
軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。
「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。
割れ窓理論は次の記述する理論である。
治安が悪化するまでには次のような経過をたどる。
- 建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す
- ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる
- 住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる
- 凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる
したがって、治安を回復させるには、
- 一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも取り締まる
(ごみはきちんと分類して捨てるなど) - 警察職員による徒歩パトロールや交通違反の取り締まりを強化する
- 地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する
などを行えばよい。
失敗から学ぶ組織とは?その失敗って本当にいち従業員の問題?
(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「うぉー!だから、根本的な原因がわからなかったのかも~??? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「だから、何度言ってもどう言っても、同じような失敗を何度も何度も繰り返しちゃっていたかも~??? \( ̄▽ ̄;)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「これじゃー、状況のさらなる悪化を招くワケだ・・・ (((( ;゜д゜))))アワワワワ 」
「なーんで今まで気づかなかったんだろう・・・??? ガ━(゜Д゜;)━ン 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「だよなー、いち従業員の問題にしたって何の解決にもならないよな・・・ ( ̄・・ ̄) 」
「ってゆーか、いち従業員の問題、いち従業員のせいにすることによって、その時はそれで対処できたつもりでいても、その結果、もっと大きな失敗につながっちゃう恐れだってあるもんな・・・ (;゜0゜)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「臭いものにフタをする企業風土って、マジでヤバイのかも・・・!? (;゚;Д;゚;;) 」
「失敗から学べる組織に変えて行かないとヤバイのかも・・・!? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「おおっ、そーか!失敗なら山のようにあるゾ~っっ♪ (* ̄▽ ̄) 」
「せっかくの失敗なんだから、活かさないともったいないもんな~っっ♪ y( ̄ー ̄)y 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「失敗から学べる機会って、こーやって考えてみると意外とたくさんあるのかも~ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーだそーだ!悪いのは私じゃない!!いち従業員のせいにするなー!! (▼皿▼#) 」
「悪いのはアイツだ!○○部門だ!ナントカしろー! ヾ(。`Д´。)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「お前が悪いのに、組織に責任転嫁するなっつーの! o( ̄ ^  ̄ o) 」
「自己責任だよね~、自助努力ってもんが足りないよね~ (; ̄ェ ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「コレの何がおかしいの?こんなのよくあるよね? q( ̄3 ̄)p 」
「組織なんてこんなもんだよな~、ああ・・・、組織ってヤダヤダ・・・ (o´д`o)=3 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「だから言ってるじゃん!こんなやり方じゃー、いつまで経っても改善できるワケないじゃーん!こんなことやったって効果出るワケないじゃーん!同じ失敗を何度も繰り返すだけじゃーん!!ってさー! ヽ(`⌒´メ)ノ 」
「コレじゃー、ミスしたくなくてもまたミスしちゃうよ~、どんなに気をつけても誰がやっても同じ失敗を繰り返しちゃうよ~ (T▽T) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
えーと・・・、例えば・・・
自分で考えて行動できない、行動力がない、主体性がない、協調性がない、自発性がない、向上心がない、チャレンジ精神ややる気が足りない、細かく指示しないと行動できない、上司(部下)の気持ちをわかってくれない、パワハラやセクハラが発生する、うつ病の人やうつ病の予備軍がいる、上司(部下)が辞める、危機感がない、経営理念が浸透しない、社長の思いが従業員に伝わらない、経営者意識や経営感覚がない・・・
などなどに関しても、いち従業員の問題と、ついとらえてしまいがちなのかもしれないけど・・・
対象となっている従業員を教育しさえすればナントカなると、ついつい思ってしまいがちなのかもしれないけど・・・
(。・ ・)
また、「解雇してしまえばいいやー、それで問題解決!」なーんて、思っていらっしゃる方も中にはいらっしゃるかもしれませんが・・・
でも・・・、それって一歩間違えると・・・
( ̄  ̄;)
臭いモノにフタをしたり、手っ取り早い手段などに走ったり、誰かに対して一方的にナントカしろ!などと丸投げしたりすることによって・・・
組織力の強化・向上につながる機会を、自ら失ってしまう恐れもある
最悪の場合、組織が爆発・炎上・崩壊してしまう恐れもある
んじゃーないかな~???
(´・ω・`;)
何らかの「兆候」とか「前兆」とか「サイン」とかって、とらえられる場合もある
んじゃないかな~???
そもそもの話・・・
問題が全くない組織なんて存在しない
失敗を全くしない人間もいなければ、失敗を全くしない組織も存在しない
んじゃーないかな~???
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
失敗から学ぶいい機会を自ら捨ててしまうのって、あまりにももったいない
んじゃーないかな~???
考えようによっちゃー・・・
失敗も貴重な経営資源の一種
とも、とらえられるんじゃーないかな~???
いち従業員、いち部下、いち上司、いち管理職などの問題を、
組織全体の問題と、とらえてみることによって・・・
組織力の強化や向上などにつながることもある
イェ━━━━━ヽ( ゜Д゜)人(゜Д゜ )ノ━━━━━━イ
んじゃーないかな~???
なーんて、感じません?
(〃⌒∇⌒)ゞ
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
コメント
組織に起こる問題って、大掛かりなアンケートや調査をしなくても、それぞれの現場で起こっている事や、いち従業員の声や不満の原因を深く掘り下げて考えてみれば、そこに大きなヒントがあるように思います。
最近はそこに信頼感がないと、本音は話してくれない事も気づき始めています。
偉そうに言ってますが、全部このブログで気づかされた事ばかりです。
すみません(笑)
はっしー様
いつもコメントありがとうございます。(^^)
> 従業員の声や不満の原因を深く掘り下げて
> 考えてみれば、そこに大きなヒントがある
> そこに信頼感がないと、本音は話してくれない
おお~っっ、コレって本質をズバっと突いてますねー。
それ(・∀・)ィィネ!!(・∀・)ィィネ!!(・∀・)ィィーネ!!
想像するに・・・
「地ならし」が、随分進んで来ているってことなんじゃーないでしょーか? v(^^)v
いい方向に行くといいですね。
(=´∀`)人(´∀`=)
> 全部このブログで気づかされた事ばかり
こんなボログですが、何かのお役に立てているのであれば嬉しいです♪
と言っても・・・
私は「皆さまと一緒に考えられそうな題材」を、このボログ上で提供しているだけですので・・・
それ以外は、なーんにもしておりませんので・・・
「はっしーさんの自律的に考えて行動する力」によって、ご自身で気づかれたことばかりだと思いますよ~。
(⌒▽⌒)ノ”
こんにちは。
久しぶりに書き込みさせて頂きます。色々考えさせられてしまったもので。
組織のなかにいながら、その組織の問題点を考えるというのは本当に難しいことですよね。なかにいると、外から見たら「異常」に見えることが「当たり前」に感じてしまったりしますし。
そういうところのなかでその「問題点」に気がつくきっかけとして、「いち部下、いち社員の問題」と考えがちな事項を見ていく、というのは「なるほどなぁ」という気がしました。
私自身もこれまでそういう視点を持てていたかというと・・・。ううむ。反省しきりです。
うちもこれから「組織」ということを考えていくなら、きちんと消化していかなければならない問題ですね。
色々と勉強になりました。
こんにちは。
お世話になってます。
悩めるカチョーです。
先日は丁寧な対応を戴きありがとうございました。
今だから言えるのかもしれませんが、この記事でおっしゃりたいことが何かよくわかります。
いち社員の問題ととらえてしまうから、目的も不明確なまま人材育成を行うことばかりに気をとられていたのかもしれません。
それでは意味がありませんよね!
会社全体をもっと見る必要がありますよね!
総務部の役割とも関係しているように感じました。
少しずつですが何か見えつつあります!
ありがとうございます。
八木 様
久々のコメントありがとうございます。(^^)
> 組織のなかにいながら、その組織の問題点を考えるというのは本当に難しい
いやー、コレってホントそうですよねー。
八木さんも私も、企業さんのご支援を行っている立場だから尚更そう感じませんか?
そう思うと、「外部の人間だからこそ、お手伝いできること」って結構あるのかもしれませんね♪(^^)v
> その「問題点」に気がつくきっかけとして、
> 「いち部下、いち社員の問題」と考えがちな事項を見ていく
> 私自身もこれまでそういう視点を持てていたかというと・・・。
> ううむ。反省しきりです。
えーと・・・、もしよろしければ教えてやっていただけると有り難いんですが・・・(懇願)
どーして、「いち部下、いち社員の問題」と考えてしまいがちになっちゃうんだと思います?
八木さんは、どう思われますか?
> 色々と勉強になりました
ほっ、ホントですか???
こんなボログですが、ほんの少しでもお役に立てたら嬉しいです。(^^)v
悩めるカチョー 様
お世話になっております。
こちらこそ、先日はありがとうございました。
いつもコメントありがとうございます。(^^)
> いち社員の問題ととらえてしまうから、
> 目的も不明確なまま人材育成を行うことばかりに
> 気をとられていたのかも
ううーむ・・・、悩めるカチョーさんがおっしゃるとおり、こーゆー「手段の目的化」というのもあるのかもしれませんね・・・。
((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル
> 会社全体をもっと見る必要がありますよね
> 総務部の役割とも関係している
おお~っっ、コレってめちゃくちゃ鋭いです。
さすが、直感が超鋭い悩めるカチョーさんです♪
この記事は、今までカキカキした記事にも、例えば以下の記事にも、今後カキカキする予定の記事にも深く関係しています。
■ 人事部の役割とは?総務部の仕事は何のため?誰のためにあるんだろう?
http://blog.next-strategy.com/article/201992914.html
> 少しずつですが何か見えつつあります
ほっ、ホントですか???
こんなボログが、何かのお役に立てているのであれば嬉しいです。
何か見えたら、是非是非教えてやってくださいね。(^^)/
>どーして、「いち部下、いち社員の問題」と考えてしまいがちになっちゃうんだと思います?
>八木さんは、どう思われますか?
→なんでなんでしょうかね? 言われて初めて「何故?」ってことを考えました。
今朝から今までぼーっと頭の隅で考えてましたけど。
良く分からないです。
でも、もしかしたら、
「会社全体の組織のことは上のほうの人が考えることで、下の人間には関係ないこと。だから、全体のことなんて考える必要もない」
と思っている面があったのかもしれないですね。問いかけられたときに、
「考えたこともなかった」
と感じたということは、そういうことかもしれません。
あと、今こうやって事務所を構えるまでは、「日々の実務をこなすのが自分の仕事で、それだけやっていればいい」という気持ちが強く、かつ、それだけで精いっぱいだった、というのもあるかもしれません。
「組織全体のことを考えなければならない」、という気持ちが皆無だったら、それは考えないだろうな、と。
部下の教育についても、「組織のなかでの役割」ということより「技能としてこのようなことができるように」という指導しか考えていなかったので、「できる、できない」だけでの判断になっていたのかもしれません。
長文コメント失礼しました。
八木 様
> 今朝から今までぼーっと頭の隅で考えてました
お忙しいのに考えてくださったんですねー、感謝感激アメアラレです。m(_ _)m
八木さんのお陰で、いろんなことを改めて考える機会になりました♪
感謝の気持ちを込めて、投げキッスしちゃいます。
(^з^)-☆Chu!!
> 長文コメント
とんでもありまっしぇーん。
ものすごーく勉強になるので、ガンガン書いてやってくださいませませ。(^^)
> 部下の教育についても、「組織のなかでの役割」ということより
> 「技能としてこのようなことができるように」
> という指導しか考えていなかったので、
> 「できる、できない」だけでの判断になっていた
ううーむ、ナルホド・・・。
ものすごーく参考になりました。
海より深ぁぁぁーく感謝感謝です。(^^)
また、「仲立ち的な立場」で、お手伝いをすることもあるせいか・・・
上司を「外部に依頼する企業さん側」に、部下を「外部の専門家や業者」にたとえてみると・・・
似たような感覚ってあるのかも?
それもあって・・・
外部に依頼する側にとっては、外部の専門家や業者の強みを十分に引き出せなかったり、丸投げしてしまったり、指示どおりにやってくれりゃーそれでいいやーとか、安ければそれでいいやーになってしまったり・・・
外部の専門家や業者にとっては、差別化がし難くなってしまったり、価格競争に陥ってしまったりする原因の一つでもあるのかも?
とも感じました(汗)。
だとすると・・・、例えば・・・
■ 「適材適所とは?人材活用とは?上司や人事部にできることって何?」シリーズ
http://blog.next-strategy.com/article/204825698.html
■ 人の強みや組織の強みの見つけ方、活用方法、伸ばす方法とは?
http://blog.next-strategy.com/article/195587501.html
などなどでの話って、いち企業内だけのことじゃーなく・・・
外部の専門家や業者も含めて一つの組織と考えてみると、いろんな意味で関係して来るのかも?
なーんて、改めて感じちゃいました。
(=´∀`)人(´∀`=)
> 会社全体の組織のことは上のほうの人が考えることで、下の人間には関係ないこと
> 「考えたこともなかった」と感じた
おお~っっ、コレって核心を突いているのかもしれませんね~。
それ(・∀・)ィィネ!!(・∀・)ィィネ!!(・∀・)ィィーネ!!
そう考えると・・・
管理職や人事部(総務部)の役割って・・・!
支援を依頼する側にとっても、依頼される側(外部の専門家や業者)にとっても、経営者の方にとっても従業員の方にとっても、直接的にしろ間接的にしろ、めちゃ重要なのかも~?
なーんて、改めて感じちゃいました。(≧▽≦)
はっしーさんや悩めるカチョーさんのお考えも、お聞きしたいところでもありますねー♪
こんにちは。
お世話になってます。
悩めるカチョーです。
八木さんのコメントとそのお返事に共感しました!
今思うと目の前の仕事を早く片付けることしか頭になかったのかもしれません。
お恥ずかしい話ですが、目的も考えることなくどんな人材育成をしたらいいかだけを考えていましたから。
だからインターネットで検索して答えを探していたように思います。
しかし会社全体のことや総務部の役割を意識しただけで自分自身も仕事に対する考え方も少し変わったように感じてます!
社外の人にお願いする時もよく考えなければなりませんね!
これも総務部の大事な役割の一つかもしれませんね!
ご質問戴いていた件でメールを送信しましたのでお手すきの時にご一読下さい。
悩めるカチョー 様
お世話になっております。
再びコメントありがとうございます。(^^)
> だからインターネットで検索して答えを探していた
ナルホド・・・、そうだったんですねー。
とても参考になりました。
ありがとうございます。(^^)
> 会社全体のことや総務部の役割を意識しただけで
> 自分自身も仕事に対する考え方も少し変わった
おお~っっ、非常に興味がある貴重なご意見です。
次回お会いした時にでも、是非是非詳しくお教えいただけると嬉しいです(懇願)。m(_ _)m
> メール
お返事させていただきましたので、ご確認くださいませ。