「会社の成長って何だろ~? ( ̄ー ̄?) 」
「何を目指してどーなったら会社が成長したって言えるものなんだろ~?会社が成長するってどーゆーことなんだろ~? ( ̄∧ ̄ ) 」
「成長企業って言葉を聞くこともあるけど、成長企業ってどんな会社なんだろ~?成長企業の条件って何だろ~?会社の成長と聞くと会社を大きくするってイメージがあるんだけど、規模が大きくなれば会社の成長って言えるんだろーか?どーなんだろ~? (。´・ω・) 」
「会社の成長って、売上や利益を増やしたり資本金の額を増やしたりすることなんだろーか?それとも従業員数や取引先を増やしたり、店舗数を増やしたりすることが会社の成長ってことなんだろーか?それともそれとも会社の知名度を上げることとか、自社のブランドを持つこととかが会社の成長ってことなんだろーか? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
「会社の成長と、経営理念やビジョンとか、経営戦略とか経営方針とかの関係って何だろ~? どんな関係があるんだろ~?(; ̄ェ ̄) 」
「会社の成長と、会社の目的や目標との関係って何だろ~? ( ̄▽ ̄;) 」
「会社の成長と、人材採用との関係って何だろ~? ( ̄◇ ̄;) 」
「会社の成長と、人材育成との関係って何だろ~? (;゜0゜) 」
「何をしたら、会社の成長につながるんだろ~? (´ε`;) 」
「何を目指せば、会社をもっと成長させられるんだろ~? (ーー;) 」
「ってゆーか、経営環境の変化が激しくて先行き不透明な時代なのに、本当に会社を成長させられるものなんだろーか?成長を目指すべきなんだろーか?成長を目指すのではなく、現状維持のままの方がいいんだろーか? ( ー`ω´ー ) 」
「会社が全然成長しないのもどーかとは思うけど、成長ばかり目指すのもどーかとも思うし、成長を無理して目指したが故に、過度なノルマを設定したり、コンプライアンス違反に手を染めるようなことになってしまったり、事業継続の危機に陥ったり、資金繰り難に陥ってしまったり倒産してしまったりするようなことになったら、本末転倒なんじゃないかな~?成長を目指す意味がなくなっちゃうんじゃーないかな~?成長を目指すにはリスクもあるんじゃーないかな~?それでも会社って成長した方がいいのかな~?迷っちゃうよな~ o゚p(∴´⌒`∴)q゚o。 」
などなど、「会社の成長」ついて、特に経営者の立場の方からこのような疑問の声や迷いの声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などなどのお手伝いを行なっているからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なのかも~???
o(*⌒O⌒)b
「会社の成長」も含めて「成長」の考え方やとらえ方は
会社によっても違うし、人それぞれいろいろな考え方があるし、あっていい
んじゃーないかな~???
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
んでもって、もしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるかもしれないけど・・・
「会社の成長」も含めて、「成長」に関する考え方やとらえ方などから
見えて来ることって意外とたくさんある
んじゃーないかな~???
( ・ _ ・ )
そう思うと・・・
もしも成長を目指すかどーか迷っていたり、どんな成長を目指せばいいのか迷っていたり、「会社の成長」も含めて「成長」について、これから考えてみよっかなーなどとと思っていたりするのであれば・・・
ピンチをチャンスに変える機会にもなり得る
イェ━━━━━ヽ( ゜Д゜)人(゜Д゜ )ノ━━━━━━イ
場合だってあるのかも~???
d(⌒o⌒)b
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
会社の成長とは?成長の考え方から見えて来ることって?
(パート1)
んーと・・・
会社にとって、どのような成長が必要になるのかとか
会社の成長において、どんなリスクがあるのかとかって・・・
同じ会社であっても、どのような時期にあるのかによっても異なって来る
場合もあるんじゃーないかな~???
( ・ _ ・ )
なーんて感じるコトもあるので、まずはこーゆー視点から「会社の成長」について考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「うーむ・・・、会社の成長のこととか何を目指せばいいのかとかばっか考えていて、現状把握ってもんをすっかり忘れちゃっていたかも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
「現状がわかっていないから、身の丈に全然合っていない成長を目指してしまったり、本当に必要な成長をやらないまま放置してしまって、それで事業継続の危機に陥ってしまうことってありそうだもんな・・・ ((((;゜Д゜))) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社って、企業組織の成長ステージで考えたらどの時期になるんだろ~? ( ゜д゜) 」
「やっぱあの時期かな~?それともこの時期なんだろーか? (;゜д゜) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社のあの製品とかこの製品とかって、製品ライフサイクルで考えたらどの時期になるんだろ~??? (ーー;) 」
「あの時期かな~?いや、もうこの時期に入っちゃっているのかも!? o( ̄_ ̄|||)o 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「こーゆー会社の成長の考え方ってのもアリなのかも~!? ヾ(@⌒ー⌒@)ノ」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
会社の成長とは?成長の考え方から見えて来ることって?
(パート2)
んでー・・・
盲点になっている「成長」も意外とある
かもしれないので、次に例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
成長は、誰にとっても本当によいことなんだろうか?
■ 「人として正しいことを」
資本主義社会では、当然のように、成長は誰にとってもよいことだと考えがちだ。
成長することは、雇用が増え、資金が増え、企業にとっても市民にとってもより安全になることに等しい、と。
だが、本当にそうだろうか?
人間は成長する生き物
■ 「夢をかなえるゾウ2」
人間は、成長する生き物なんやで。
人間はな、この地球に生まれたときは「こんなんでほんまにやっていけんのか?」て見て心配になるくらい無力な存在やったんや。
ライオンみたいな牙もあれへん。
鳥みたいに空を飛べるわけでもないし、シカやサイみたいに自分を守る角もあれへん。
それこそ「才能」をな、まったく持ってへん状態で生まれたんや。
せやけど、人間は「成長」したんやなぁ。
二本足で立てるようになって、火や言葉を使いこなせるようになった。
人間を、他の動物らと決定的に違う存在たらしめたんは「成長」や。
人間の赤ちゃんが、なんでこんなに何もでけへん状態で生まれてくるか知ってるか?
赤ちゃんはな、最初は何もでけへんからこそ、どんな存在にもなれるし、どこまででも成長していくこともできる。
何もでけへんから、可能性は無限大なんや。
夢をかなえることは奇跡や思えるかもしれへん。
でもな、もう奇跡を起こしてるんやで。
そんでその奇跡はな、「成長する」ちゅうことをあきらめへんかぎり、何べんでも起こせるんや。
これも成長
■ 「仕事の報酬とは何か」
我々は、努力して腕を磨きます。
しかし、腕を磨けば磨くほど、なぜか、仕事がうまくいかなくなるときがある。
その原因を深く考えてみると、ふと気がつきます。
自分の心の中に、「俺は腕が上がった」という慢心があることに気がつきます。
そして、その自分の心の中の密やかな傲慢さを、実は、職場の仲間や仕事の顧客も、心の奥深くで感じ取っていたことに気がつきます。
これもまた、一つの成長です。
我々は、「良き仕事」を残したいと努力します。
しかし、そう考えて奮闘し、仲間に働きかけても、なぜか、仲間の気持ちに、なかなか火がつかない。
しかし、ある日、その理由に気がつきます。
「良き仕事」を残したいという自分の気持ちが、実は、自分のエゴの「達成願望」が発していたことに気がつきます。
そして、自分は、その職場の仲間の空気や雰囲気を敏感に感じる力がなかったことを知ります。
これも成長です。
それは、大きな成長です。
また、例えば、我々は、「良き仕事」をめざして、仲間にビジョンを語るときがあります。
しかし、そのビジョンに、少しも仲間の共感が得られない。
そうした問題に直面します。
そのとき、最初は、その理由を、自分の表現能力の問題と思っているのですが、あるとき、自分の心の深くを見つけていて、気がつきます。
自分自身が、そのビジョンを、本当には信じていないことに気がつきます。
そして、そのことを、仲間の無意識の世界は敏感に感じ取っていることに気がつきます。
これも、成長です。
それは、見事な成長です。
人はいくつになっても成長できるもの
■ 「潰れない生き方」
人はいくつになっても成長できるものです。
だから、子育てと同じように自分を育ててやることです。
あせらず
↓
くらべず
↓
褒めてあげる
を回していけば自分を育てることができます。
個人業績が問われる会社であっても、自分の成績を他の人の成績とはくらべない。
うまくいかなくてもあせらないで、やり続ける。
そして、成果が出なくてもくさらないで頑張っている自分を褒めてあげる。
もし本当に疲れてしまったなら、そのときは立ち止まったり、ちょっと戻ったりする。
それでも大切なのは、「もういいや」と投げ出さないことです。
子育てでは褒めることも大事ですが、自分育てでは投げ出したくなったとき、「きっと、どうにかなる、ぼくは大丈夫だ」と自分を励ますことも大事です。
自分を励ますというより、自己暗示をかけるといったほうが良いかもしれません。
「人一倍努力したから自分は大丈夫」と自分に信じ込ませることができたら、何事もなんとかなるものです。
人は悩みがあたり、つらいことがあると、少なからずは努力しているものです。
だから、その努力に対して「それなりに良くやっているよ、よく耐えているよ」と自分を認め、自分を褒めてみる。
毎日、何かしらをしていること。
それだけでも立派な行為なのですから。
もし、自分への悪口を言ってしまったら、気持ちがますます萎縮し、自発性も出てこなくなります。
子育てのペースは子どもを受け入れることですが、自分育てのペースも同じで、自分を認めて受け入れることです。
子どもは思春期になると、今度は親ではなく、学校の先生や部活の監督など自分に真剣に向き合ってくれる大人と出会って大きく成長します。
だから、大人になっても自分に真剣に向き合ってくれる上司や先輩を探してみてください。
このようにして、自分を大事に育ててみてください。
これができないと、子どもも大人も本当は育たず、うまく生きていくことができなくなるのですから。
成長と失敗の関係とは?
■ 「失敗学のすすめ」
失敗はたしかにマイナスの結果をもたらすものですが、その反面、失敗をうまく生かせば、将来への大きなプラスへ転じさせる可能性を秘めています。
事実、人類には、失敗から新技術や新たなアイデアを生み出し、社会を大きく発展させてきた歴史があります。
これは個人の行動にも、そのままあてはまります。
どうしても起こしてしまう失敗に、どのような姿勢が臨むかによって、その人が得るものも異なり、成長の度合いも大きく変わってきます。
つまり、失敗との付き合い方いかんで、その人は大きく飛躍するチャンスをつかむことができるのです。
人は行動しなければ何も起こりません。
世の中には失敗を怖れるあまり、何ひとつアクションを起こさない慎重な人もいます。
それでは失敗を避けることはできますが、その代わりに、その人は何もできないし、何も得ることができません。
これとは正反対に、失敗することをまったく考えず、ひたすら突き進む生き方を好む人もいます。
一見すると強い意志と勇気の持ち主のように見えますが、危険を認識できない無知が背景にあるとすれば、まわりの人々にとっては、ただ迷惑なだけの生き方でしょう。
おそらくこの人は、同じ失敗を何度も何度も繰り返すでしょう。
現実に、失敗に直面しても真の原因の究明を行おうとせず、まわりをごまかすための言い訳に終始する人も少なくありませんが、それではその人は、いつまでたっても成長しないでしょう。
また人が活動する上で失敗は避けられないとはいえ、それが致命的なものになってしまっては、せっかく失敗から得たものを生かすこともできません。
その意味では、予測される失敗に関する知識を得て、それを念頭に置きながら行動することで、不必要な失敗を避けるということも重要です。
大切なのは、失敗の法則性を理解し、失敗の要因を知り、失敗が本当に致命的なものになる前に、未然に防止する術を覚えることです。
これをマスターすることが、小さな失敗経験を新たな成長へ導く力にすることにもなります。
さらに新しいことにチャレンジするとき、人は好むと好まざるとにかかわらず再び失敗を経験するでしょう。
そこでもまた、致命的にならないうちに失敗原因を探り、対策を考え、新たな知識を得て対処すれば、必ずや次の段階へと導かれます。
そして、単純に見えるこの繰り返しこそが、じつは大きな成長、発展への原動力なのです。
量的な成長はできなくとも、質的な向上はできるはず
■ 不況期にも人的資源を維持し生産性を向上させ続ける企業は必ずや成長の機会に出会う
「ゼロ成長時こそ、社員一人ひとりの仕事の内容を大きくし、挑戦のしがいのあるものにしなければならない」
不況のために、成長はできない。
しかし、量的な成長はできなくとも、質的な向上はできるはずである。
成長ができないのであれば、事業の内容をよくしなければならない。
企業の成長と社会的責任
■ 企業の社会的責任の国際的な基準とは?
まず、企業の社会的責任の国際的な基準について見ていこう。
企業活動におけるSDGsの重要な指標として、「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、「ビジネスと人権原則」)が2011年に国連人権理事会で採択されている。
この原則は、次の3点から成っている。
- 人権及び基本的自由を尊重、保護及び実現するという国家の既存の義務
- 特定の機能を果たす特定の社会組織として、適用されるべきすべての法令を遵守し人権を尊重するよう求められる、企業の役割
- 権利及び義務が侵されるときに、それ相応の適切で実効的な救済をする必要性
2. の規定では、企業が、世界人権宣言、国際人権規約、ILO中核的労働基準などの国際人権基準を尊重する責任を負うことを明記している。
これまでの国際的な人権基準は主に国家に対してその責任があることを示していたが、その対象はすでに「企業」に拡張されているのである。
人権に関して企業の責任を問う背景には、グローバリゼーションが進展する中で、国家の枠組みを超えて生産活動を行うグローバル企業が増え、個別の国家だけでは労働者の人権侵害に対応できないという実情がある。
そして、この原則がでとりわけ重要なのは、この原則が、直接雇用する労働者の人権だけでなく、取引先企業の労働者の人権にもコミットするように求めている点だ。
「ビジネスと人権原則」13では、次のように明記している。
自らの活動を通じて人権に負の影響を引き起こしたり、助長することを回避し、そのような影響が生じた場合にはこれに対処する。
たとえその影響を助長していない場合であっても、取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接的につながっている人権への負の影響を防止または軽減するように努める。
このように、サプライチェーンの中で起きた人権侵害については、下請に委託をしている企業も責任を負うと言うことが、もはや国際的には「常識」なのである。
この人権に対する新しい常識は、これまで多くの大企業が下請企業の「人権侵害」によって利益を上げている事実が何度も告発されることで形作られてきた。
大手企業はがいくら「SDGs」や「人権遵守」を表明しても、そこに製品を供給する企業が児童労働や労働法違反を繰り返しているのは、明らかな矛盾だったからである。
成長という名の強迫観念
■ 経済も人も、常に成長を目指さなくてはいけないのか
自分磨きをするには予定を詰め込み、お金を稼ぎ、物を買い揃え、情報のアンテナを張り巡らせる。
その「ノンストップ感」に圧倒されつつも、時代の最先端をがむしゃらに走り続けることが奨励されているように感じました。
やがて、奨励を鵜呑みにして心身をすり減らす人が出てきます。
スケジュールを埋め尽くし、今日の自分は昨日とは違う自分になれたという実感を得るために走り続ける。
常に高いテンションで緊張状態を保ち、何もしないでゆっくりすることに罪悪感を持ってしまう。
その罪悪感の源泉はどこにあるのでしょうか。
経済という要素が私たちの価値観に染みついていることも要因の一つではないかと思っています。
圧倒的に多くの人は、去年より今年のほうが成長していないと経済は回っていかないという強迫観念を持っているように見えます。
貯蓄に関しても同じことが言えそうです。
日本人は死ぬ間際に最もお金を持っていると指摘されています。
欧米では40代から50代を境に、あとは徐々に使っていく傾向が見られるといいます。
備えがなくなることへの底知れぬ恐怖はもちろんあるでしょうが、経済と同じように成長(増加)していかなければならないという強迫観念があるのかもしれません。
人間は、赤ん坊が大人になっていくように、ある年代までは成長し続けます。
国を考えても、新興国はある時点までは成長を続けます。
しかし、目に見える形で何かが増えていく、何かが積み上がっていくという意味での成長は、成熟に向かう過程で徐々になくなります。
マイナスに向かう「衰退」は誰もが嫌がるでしょうが、「停滞」することを認めてもいいのではないでしょうか。
人間には、日々成長することが必要なのでしょうか。
人間は評価されないと気が済まないのでしょうか。
がむしゃらに全力で走ることが悪いとは言いません。
ただ、その努力に見合った成果が得られる保証はありません。
成果が出ていても、心身がすり減ってしまう前に注意することも大切です。
一方、頑張れない自分に必要以上に罪悪感を抱く人もいます。
むしろ、全速力で駆けることが社会の美徳と規定し、頑張れない人が罪悪感を抱いてしまうことのほうが、社会にとって遥かにマイナスだと思います。
自らの成長のためには
■ 「プロフェッショナルの条件」
自らの成長のためには、自らに適した組織において自らに適した仕事につかなければならない。
そこで問題になるのは、自らの得るべき所はどこかである。
自らが所を得ていないとき、あるいは組織が腐っているとき、あるいは成果が認められないときには、辞めることが正しい選択である。
出世はたいした問題ではない。
中小企業には成長に足を取られる危険がある
■ 中小企業には成長に足を取られる危険がある(3分間ドラッカー)
1. 成長は資金繰りを悪化させる
第一に、成長は資金繰りを悪化させる。
したがって、キャッシュに目を光らせておかなければならない。
利益に目を奪われてはならない。
利益は、緊急時の留保ぐらいに思っておいたほうがよい。
2. 成長は財務構造の変化を要求する
第二に、成長は財務構造の変化を要求する。
資金源を高度化していかなければならない。
必要なときに必要な種類の資金を手にするには準備が必要である。
3. 成長には情報が不可欠である
第三に、成長には情報が不可欠である。
経理の数字だけではとても足りない。
成長すればするほど、顧客と市場の情報を必要とする。
特に、顧客になっていて不思議でないにもかかわらず顧客になっていない人たち、すなわちノンカスタマーについての情報が必要である。
4. 成長には廃棄が必要である
第四に、成長には廃棄が必要である。
製品、工程、流通チャネルを不断に見直し、自ら陳腐化させていかなければならない。
5. 健全に成長する会社にワンマン経営者はいない
第五に、オーナー創業者がすべてを引き受けることなしに、トップの仕事はチームで分担するようにしなければならない。
健全に成長する会社にワンマン経営者はいない。
そもそも、ワンマンであったのでは、本人が先に倒れてしまう。
中小企業にとって、成長の危機による傷から回復することは、不可能ではなくとも至難である。
しかし、それはかなり容易に防げる。
また、防がなくてはならない。
株式会社は、経済成長を前提にして初めて可能なシステム
■ 「グローバリズムという病」
株式会社というものは、その成立において、経済が右肩上がりであること(経済成長)を前提にして初めて可能なシステムであった。
なぜなら、資本と経営の分離という、株式会社の最も根幹的な仕組みにおいて、分離された資本は将来的な増加を約束されることでのみ調達可能なものだからである。
成長が止まった社会における経済というものを、株式会社は原理的に構想できないのだ。
右肩下がりにシュリンクしていく社会、あるいは経済が停滞する定常型の社会において、株式会社という形態は存続の危機にさらされることになる。
成長を目標にすることは間違いである
■ 成長を目標にすることは間違いである(3分間ドラッカー)
長期にわたる高度の成長は不可能であり、不健全である。
それどころか、あまりに急速な成長は組織を脆弱化する。
マネジメントを不可能にする。
緊張、弱点、欠陥をもたらす。
それらの緊張、弱点、欠陥のゆえに、ちょっとしたつまずきが致命傷となる。
成長を目標にすることは間違いである。
大きくなること自体に価値はない。
よい企業になることが正しい目標である。
成長そのものは虚栄でしかない。
しかし、存続の条件としての成長の最低点は検討しておかなければならない。
存続のための地位は確保しなければならない。
つまり、成長の最適点を検討しておく必要がある。
それ以上成長すると、資源の生産性が犠牲になる点はどこか。
収益性を高めようとすると、リスクが急激に増大する点はどこか。
成長の最高点ではなく、最適点こそ成長の上限としなければならない。
資源の生産性を全体として高める成長は、健全な成長である。
十分な栄養を与え支援しなければならない。
これに対し、量だけ増えて全体の生産性を向上させない成長は、脂肪太りである。
成長を目標に掲げると、ろくなことにならない
■ 「どうする? 日本企業」
やりたいことが先にあり、それに遭遇した結果として成長を遂げるのが、企業の正常な姿です。
ところがいまや多くの企業が、やりたいことはそっちのけで、成長目標の実現に邁進しているようです。
しかし成長を目標に掲げると、ろくなことになりません。
日本企業は管理職の延長線上に経営職を置いてしまったため、管理一辺倒に陥り、寿命を迎えた事業の立地にしがみついたまま、利益が伴わない不毛な努力を続けている。
日本企業が「成長の奴隷」になってしまったのではないかと思えてきます。
まるで強迫観念に取り憑かれたように成長、成長とまくし立て、売上高は伸ばし続けてきたものの、その陰で利益を度外視したツケがたまりにたまって、閉塞感を打破できない状況に追い込まれてしまったのではないでしょうか。
成長を目標に掲げると、ろくなことになりません。
成長を達成する道が何本もあるからです。
その中には筋の良い道もあれば、筋の悪い道も混ざっています。
そして、成長を目標として押しつけた瞬間、善良な社員たちが易きについて、全速力で筋の悪い道を走り始めてしまうのです。
それが、「利益なき成長」につながります。
社員の成長が企業の成長
■ 「日本でいちばん大切にしたい会社 3」
人はいなくなる、商権はなくなる・・・
社長に就任して半年間はこのような状況で、業況はガタガタでした。
しかしそれでも、就任1年目に黒字転換を果たします。
なぜこれほどの、劇的な黒字体質への転換ができたのか。
社長に就任したとき、残った社員たちに対して、経営者としての自身の強い思いを社員に明言したそうです。
「辞める人間がいても動じない」
「私と違う考えがあるなら、辞めてもしようがない」
「しかし、こちらから辞めさせることは絶対にしない」
「リストラは絶対にしない」
「私の理念は『雇用する』ことだから・・・」
「私の理念は雇用することだ」という明確なことばを聞いて初めて、心の中に安心と希望のともしびを見出した社員たちが多かったことは、想像に難くありません。
縁があった人を大切にして採用し、本人がいやだと言うまで、会社は決してクビにはしない。
しかし、会社の業績と無関係に年功序列みたいなことをしてどんどん給料が上がっていったら、当然ながら会社は労務倒産してしまいます。
ですから、会社としては、どんな状況になってもつぶれないようなしくみをつくっておく。
業績のよくない会社は、トップからそういう姿勢を示そうとしません。
とにかく雇用する・・・
なぜなら、それが唯一のセーフティネットだと考えているからです。
そして、雇用のためには社員が成長していくことも必要です。
雇用をし、社員が成長していって自己実現をはかってもらうことが目的なのです。
会社として常に雇用し続けるということは、利益を上げ続けていかなければならないことにもなります。
社員が成長しないと会社の業績も高くならないため、社員が成長するようなしくみをつくる。
成長に見合った仕事の与え方をし、最後は、社員がそこに満足を感じる・・・
それが、「社員の成長が企業の成長」なのです。
会社の成長とは?成長の考え方から見えて来ることって?
(パート3)
んでー・・・
こんなのからも、一応念のために考えてみるのはどーでしょう?
d(⌒ー⌒)
成長とは?
○ ウィキペディア
成長とは、生物や物事が発達し大きくなることをいう。
例えば経済が発展することを経済成長と呼ぶ。
経済成長とは?
○ ウィキペディア
経済成長とは、ある経済の活動規模が増大・拡張していくことである。
経済成長の要因として、
- 労働力(人口増加)
- 機械・工場などの資本ストック(蓄積)
- 技術進歩
の3つが挙げられる
経済成長は、付加価値の生産が増大することである。
このため、実際に生産量が増加することとは異なる場合がある。
経済成長は、生産と消費の増大である。
このため、経済成長には供給の側面と需要の側面がある。
付加価値は工場や農場、オフィスで生産される。
そのため工場などの設備投資の増大は供給力の増大をもたらし経済成長の源泉となる。
一方、消費者による購入の増大や企業・政府による設備投資の増大により需要が増加し経済成長の源泉となる。
この二側面に共通して重要な影響を与えるのが設備投資に代表される投資である。
投資は需要と供給の増大をもたらし、経済成長の原動力となっている。
しかし供給が需要を満たし、設備の稼働率が低下してくると投資は減衰するようになる。
経済成長はこれに合わせて低迷するようになる。
このような状態は、景気循環における不況の局面ということになる。
投資を再び増加させるのは、短期には在庫、中期には設備投資・住宅投資、長期にはイノベーションなどの変動(景気循環)によると考えられている。
ことにイノベーションは、生産要素のまったく新たな結合によって、新しいニーズなどを生み出し、その需要を満たすために投資が行なわれ経済成長が起きる。
会社の成長とは?成長の考え方から見えて来ることって?
(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
ところで・・・
経営者の立場の方が思う「会社の成長」と
従業員の立場の方が思う「会社の成長」とが・・・
必ずしも同じで、一致しているとは限らない
場合あるのかも~???
なーんて疑問も感じちゃったりなんかしません?
(〃⌒∇⌒)ゞ
経営者の立場の方が思う「会社の成長」と、従業員の立場の方が思う「会社の成長」が同じで一致していればいいんだろーけど・・・
(。・ ・)
同じ組織の中で、「成長」に関する考え方とかとらえ方とかが全然違っていたり
あまりにもかけ離れていたり、納得感がなかったり
コンセンサスが全くとられていない状態だったりしたら・・・
「会社の成長」って、どうなってしまうんだろーか???
なーんて疑問も感じちゃったりなんかしません?
(´・ω・`;)
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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