「経営環境の変化って何だろ~??? (;゜∇゜) 」
「経営環境の変化に対応するとか適応するとかって言うけど、具体的には何をどーしたらいいんだろ~??? (;´Д`)ノ 」
「これだけ経営環境が厳しくなると、大企業はともかくとして、ウチみたいな中小零細企業はどうやって生き残っていったらいいのか・・・ ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
「経営環境の変化に対応しなきゃいけないのはわかっちゃーいるんだけど、対応しないと事業継続の危機に陥りかねないのもわかっているんだけど、この業界もヤバイってわかっちゃーいるんだけど、経営環境の変化が激しすぎて何からどうしたらいいんだか・・・ ( ▽|||) 」
「経営環境が年々厳しくなっているのに・・・、経営環境の変化への対応して行かなきゃいけないのに・・・、何をどう言っても何をやっても、当事者意識や危機感を従業員が持ってくれないし・・・ (;´д⊂) 」
「経営環境の変化に迅速に適応できる組織って、どうやってつくったらいいんだろ~???どんな人材育成をやればいいんだろ~??? (o´д`o)=3 」
「経営環境の変化って対応しなきゃいけないもんなの?ウチの会社には、絶対的な強みがあるから大丈夫でしょ~ ( ̄▽+ ̄*) 」
「経営環境の変化にわざわざ対応しようとなくても、景気がよくなればそのうちナントカなるっしょ~、今のところそれほどヒドイ赤字にはなってないしさ~ ( ̄∇ ̄) 」
などなど・・・
「売上や利益の向上」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)
コレって、もしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、経営環境って、いったい何なんだろーか?
経営環境の変化に対応するって、どーゆーことなんだろーか?
経営環境のに適応するって、どーゆーことなんだろーか?
経営環境の変化に対応したり適応したりするメリットやデメリットって、いったい何なんだろーか?
経営環境の変化に対応したり適応したりしないメリットやデメリットって、いったい何なんだろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
何のために、経営環境の変化に対応したり適応したりする必要があるんだろーか?
誰のために、経営環境の変化に対応したり適応したりする必要があるんだろーか?
などなども含めて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
経営環境の変化とは?経営環境の変化に対応、適応するって?
(パート1)
んーと・・・
盲点になっていたり、灯台下暗しになっていたりすることも意外とある
かもしれないので・・・
まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
経営は環境適応業
■ 「夢をかなえる経営計画」
経営は環境適応業といわれるように、いち企業ではその環境を変えることはできませんが、環境に適応することはできます。
時代の変化(特に、自社にとって悪い変化)を嘆くことなく、それを適切に予測・察知し先回りすることなのです。
自分のものは自分の所有にあらず、また、所有していても変化しないものはありません。
自分の体の中でもたくさんの細胞が死にそして生まれ、一つの生命の営みを続けているのです。
このように考えると世の中の本質は「変化」なのであり、ダイナミックに「変化」することが常態なのだと理解できます。
今日では、あらゆるものが一時的
■ 「経営の未来」
どこかの時点で、あなたの会社は前例のない形で変化するよう迫られるだろう。
あなたの会社は適応するだろうか、それとも衰退するだろうか。
自らをつくり変えるだろうか。
それともそうできずに痛みを伴う再編を余儀なくされるだろうか。
衰退が蔓延しているのはなぜだろう。
世界各地の企業幹部が突然バカになったなどということは、もちろんありえない。
かつては不滅だったビジネスモデルがいきなり死を迎えるとしたら、それは環境が変わったからであり、なかでも大きく変わったのは、変化それ自体である。
それは恐ろしいほど加速している変化のペースなのだ。
経営幹部は、製品やサービスの定期的なリニューアルの必要性はあっさり認めるのに、戦略やビジネスモデル、コンピタンシーやコアバリューは不滅に近いもののように、えてして思い込んでいる。
このような思い込みはますます危険になってきている。
一時的なものを永続的だと思い込んでいたら企業は未来を捨てることになる。
そして今日では、あらゆるものが一時的なのだ。
だから、目指すべきは、危機とは関係なく継続的に自らをリニューアルできる組織を築くことだ。
抜本的変革を自動的なプロセスに近づけること、危機に見舞われなくても継続的な自己変革を行うことのできる組織を築くこと。
突き詰めていうなら、適応力のある組織というものは存在せず、適応力のある人間が存在するだけだ。
企業の経営管理プロセスが適応を阻む場合であれ、促す場合であれ、究極のところで重要なのは、人びとの変わろうとする意志である。
臆することなく次のような問いをぶつけていただきたい。
「どのような目的なら、個人的なリスクをとってでも取り組む価値があると思うか」
「どのようなことを達成できたら、わが社で当たり前のようになっている一日10時間労働、週末も出勤という働き方に納得できるか」
「まじめに働いてることと株主を金持ちにしていることのほかに、自分は毎日何をしていると、子どもたちに伝えたいか」
残念ながら、ほとんどの企業でこのような問いはめったに持ち出されない。
経営管理イノベーターとして、あなたはそれを変えなければならないのである。
急速に変化している世界で気をつけなければならないのは、企業が特定の生態的地位に過剰適応することだ。
企業は、焦点を絞ってそれだけを追求していくなかで、同じタイプの人間を採用したり、イノベーションの努力の範囲を狭くしたり、一つのビジネスモデルだけに依存したり、新しい業務モデルの実験を怠ったりして、適応力を弱めてしまうことがある。
変化のペースが加速している今、多様性に投資することは贅沢ではない。
それは生き残り戦略なのだ。
企業は口では多様性を唱えながら、実際には、会社にフレッシュなアイデアを引き入れることより、社員に「ただ一つの最善の方法」を植え付ける訓練プログラムを通じて多様性を排除することに力をいれるきらいがある。
未来に進んでいくにつれて、自社のコア戦略をハイペースで進化させるすべてを学んだ企業が生き残り、適応力の劣る企業は排除される競争環境にますますなっていくだろう。
周りの環境が変化していけば、同じことをしても意味が変わっていく
■ 「共創とは何か」
社会は自分たちに何を求めているのか。
自分たちの属している産業の将来はどうなるのか。
そういうことを考えないで自分たちや自分たちの直接の環境だけを考えても、いい結果はでないでしょう。
世界経済の構造変化を考えないで、自分の都合や直接の競争相手のことだけを考えて投資すれば、すぐに現実にあわないものになります。
直接の環境が変化しなくても、その周りの環境が変化していけば、同じことをしても意味がどんどん変わっていきます。
それを無視しては大変なことになります。
人間がしかるべき比較優位を維持できるものは何だろうか
■ 「機械との競争」
コンピュータは、パターン認識や複雑なコミュニケーションなど、これまで人間が独占してきた領域を侵食しつつある。
コンピュータは急速にいま挙げた能力を獲得しつつある。
こうしたデジタル技術の進歩がビジネスの世界に与える影響は、誰もが目にしているはずだ。
たとえばカスタマーサービス係に代わってバーチャルアシスタントが導入され、売店やスーパーマーケットではセルフレジが普及してレジ係の需要が減りつつある。
いまや水着、金貨、サングラス、カミソリまで自動販売機で買える時代だ。
また商品情報は、店員に聞かなくても店に備えられたタッチスクリーンで入手できる。
自販機のコストは、実店舗と比べたら微々たるものだ。
こうした動きは、消費者の購買習慣を反映したものとも言える。
インターネット通販の浸透に伴い、セールスマンや店員がいないところでモノを買うことにすっかり違和感がなくなっている。
さまざまな種類の事務は自動化され、大勢の人が毎日銀行のATMや空港のチェックイン機を利用している。
最近ではコールセンター業務が次第に自動音声応答システムに置き換えられるようになった。
自動応答システムが必要な語彙をどんどん学習し、完全な文章も認識できるようになってきた。
パターン認識も複雑なコミュニケーションもいまや自動化が可能だとなれば、人間の能力でコンピュータに脅かされないものは、何があるのだろうか。
人間がしかるべき比較優位を維持できるものは何だろうか。
「同質化」「類似化」の進行
■ 「「サービス」の常識」
商品の出所をたどっていくと、化粧品でも靴でも食品でも同じところで作っている例が数多くある。
たとえば化粧品を例に取ると、同じ受注先の工場が、発注先からの要請に従って、素材の混合比率を変えたり、香料を替えたり、容器を変えたり、色を変えたり、デザインを変えたりして違う商品名で出荷し、発注先が独自のブランドとして販売しているのだ。
つまり商品もサービスもどんどん「同質化」「類似化」が進行していることを示している。
たとえデザイン、ブランドは違っていても、材料、生産地などをたどっていくと、結局ある企業に行き着くという現象が生じているのである。
せっかくの商品・サービスの差別化戦略が、結局は同質化・類似化に陥るという皮肉な現象に直面しており、さらにこの同質化・類似化は急ピッチに進行している。
本来、戦略とは「よそとは異なったことを行う」のが本質であるにもかかわらず「戦略 = 同質化・類似化」へと向かっているのが現状である。
だから今、メーカーと呼ばれる企業は「組み立て工場」を意味しているといえよう。
このようなメーカーにあるのは「組み立て」のノウハウであり、商品に組み込んでいる部材、部品などのノウハウは、それらを独自に製造している企業が持っていると言っても過言ではない。
どうりでプロでも見分けがつかないほど出来のよい偽ブランドが出るはずだ。
現状維持を続けていれば、いずれは時代に遅れて恐竜化する
■ 「パラダイス鎖国」
パラダイス鎖国状態にあると、長い目で見て問題があったとしても、いまそこそこ幸せなのだから、苦しい思いをしてまで現状を変えようと思えないものである。
誰かが危機感を訴えることに成功し、痛みを伴う改革に着手したとしても、長年にわたる体質に起因した問題がそう簡単に解決するはずがない。
現在の状況は、それなりに意味や経緯があって成立しているわけだから、変えようとすればどこかにしわ寄せがくる。
変化によって損する人が騒ぎ出し、反動による逆行が始まる。
新年にダイエットを決意するようなもので、そう簡単に生活習慣は変わらず、すぐに息切れして、下手をすれば反動で食べ過ぎてかえって太ってしまう。
かといって、現状維持を続けていれば、いずれはひずみが大きくなり、時代に遅れて恐竜化し、とりかえしがつかなくなってしまう。
「このぐらいだったらやってもいいかな」ぐらいの小さい変化を積み重ね、徐々に新しい時代に適応する体力を作っていくのが、パラダイス鎖国時代を健康に生きる知恵である。
目新しい急激なダイエット法ではなく、無理ない範囲で食生活を変えたり、ヨガやジョギングを続けたりして、息長く、体質をより健康的なものに変えるということだ。
企業が消えてなくなるのは、あっという間
■ 「フリーエージェント社会の到来 ― 「雇われない生き方」は何を変えるか」
第二次大戦後数十年間は、個人が会社に忠誠を誓い、会社が個人に安定を保障するという単純な取引が、個人と組織とをしっかり結びつけていた。
人々は会社に言われた通りに働き、会社の方針に疑問を差し挟むことはほとんどなく、転職することもめったになかった。
会社は事実上、終身雇用と安定した給料、それにある程度決まった額の企業年金を従業員に保障した。
こうした関係は、企業における家族的温情主義(パターナリズム)の土台になった。
決して従業員を解雇しないことを約束していたのだ。
どんなに業績が悪化しても、どんなに景気が落ち込んでも従業員の雇用は安全だった。
しかし90年代に入ると、カーテンを開けて窓の外に目を向け始めた。
家の外は、思った以上に厳しい世界になっていた。
グローバル化の進展により新しい市場が生まれると同時に、新たな競争相手が生まれた。
しかし、戦略的なミスや決断の遅い官僚的な体質など、様々な社内の問題のおかげで、変化への対応はますます後手に回った。
「会社はファミリーだ」という考え方は、よく言って時代遅れ、悪く言えば幻想に過ぎないということに気づいたのだ。
住宅ローンの返済に苦しみ、未来に明るい見通しをもてないでいる夫婦がある日、あらためて家の中を見回して、20歳の子供たちがソファに寝転がって、ポテトチップスを片手にドラマの再放送を見ていることに気づいた。
「冗談じゃないわ」と、ママとパパは言う。
「さあ、家から出ていってちょうだい!」
そう言われて、子供たちは開き直る。
「ああ、上等じゃないか」
「前から、こんな家、クソくらえだと思っていたんだ」
こうして、労働者の子供時代は終わった。
そして、大人としての生活、すなわち、フリーエージェントとしての人生が始まったのだ。
いまや、新しい企業が数週間で誕生し、数ヶ月で投資家の出資を受けて、1年後には株式を公開しても不思議ではない。
しかし、企業が消えてなくなるのも同じようにあっという間だ。
要するに、組織の寿命はことごとく短くなっているのだ。
重要なのは、企業の寿命が短くなっているこの時代に、私たち一人ひとりの寿命は長くなっているということなのだ。
これからは、勤め先の企業より長生きするのが当たり前になる。
ひとつの組織に一生涯勤め続けるなどということは考え難くなる。
従来型の「正しい職業選択」は、必ずしも報われる道ではない
■ 「未来の働き方を考えよう」
いまや難関資格さえ取れば、一生食べるに困らないという考えは通用しません。
いまやそれなりの規模の企業に入っても、若者の給与はそんなに高くありません。
しかも今までのように、ずっと働いていればそのうち給与が高くなるのかと言えば、今から40年後にも確実に儲かっていると断定できる企業など、どこにもありません。
一部の若者は、こういった社会の変化に気がついています。
従来型の「正しい職業選択」が必ずしも報われる道ではないと、直感的に感じ始めているのです。
そして、「そんな働き方をしていて、将来はどうするんだ?」という不安げな大人たちを尻目に、自由度と柔軟性を確保して、働き方を選んでいるのです。
優良な企業でも輝けるのは10年程度
■ 徹底検証、会社の寿命
企業が輝いている旬の年数──。
それは決して長くはない。
超優良企業ですら9割以上が30年間まで輝けない。
そこそこ優良な企業でも輝けるのは10年程度。
一方で起業から倒産までの純粋年齢は伸びているが、スピード倒産トップ10の企業はすべて1年持たずに倒産。
上位35社まで見ても2年以下だ。
業歴30年以上の企業の倒産構成比は、84年には5%にすぎなかったが、94年には初めて10%を突破し、2000年には20%を突破している。
産業構造も大きく変化し、比較的長い業歴を誇る企業が、こうした経営環境の変化に柔軟に対応できなくなっていたことが、この業歴30年以上の企業の倒産が増加した要因になっているのではないだろうか。
変化の激しい時代。
その変化に対応して柔軟に生きていかなければ、長生きを望むのはますます難しくなりそうだ。
使えるものを使わないことには、会社がつぶれる
■ 現実、企業は50歳以上を“使う”しかないのだ
2020年、大人(20歳以上)の「10人に8人」が40代以上になる。
50代以上に絞っても、「10人に6人」だ。
50歳を過ぎた社員をどうやって「会社の戦力にする」かで、会社の寿命が決まるといっても過言ではない。
“追い出し部屋”だの、希望という名の“絶望退職”で、働かないオッさんをやっかいばらいしたがる会社は後を絶たないけど、使えるものを使わないことには、会社がつぶれることになりかねないのである。
環境に適応し易い生物の性質とは、非効率で無駄が多いこと
■ 誰もが知っているダーウィンの名言は、進化論の誤解から生じた
“進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という考えを示したと言われています“
今でもこのフレーズは、ダーウィンが残した言葉として、改革好きの経営者や政治家、学者、メディア等に好んで引用されている。
だが進化生物学的には、不可解な言葉である。
第一に、そもそも安定な環境に棲む生物に当てはまらない。
第二に、変化に対応できる生物、の意味が不明である。
もし環境変化に強い、の意味なら、そうした個体が占める集団は、たいてい辺境の変動の多い環境に棲み、やがて安定で好適な環境に移動するとともに、体が大きくて強いなど、高い競争力をもつ個体に置き換えられていくことが多い。
一方、変化する環境に速やかに適応できる集団が生き残る ── 絶滅しにくい、という意味ならその確かな証拠はないし、むしろ古生物学者は、絶滅の有無は運で決まると主張してきた。
何よりダーウィンの進化の考えとは異なる話だ。
じつはこれはダーウィンの言葉ではない。
彼の考えでさえないのだ。
科学史家の調査によれば、これは元々1960年代に米国の経営学者メギンソンがダーウィンの考えを独自に解釈して論文中に記した言葉であった。
それを他者が引用を重ねるうち少しずつ変化して、最後にダーウィンの言葉として誤って伝えられるに至ったものである。
なおメギンソンは19世紀ロシアの生物学者ケスラーの進化説に強い関心をもち、この言葉もむしろケスラーの考えを反映している。
ケスラーは競争よりも相互扶助が進化に重要だと主張し、革命家クロポトキンに思想的影響を与えて無政府共産主義に導いた人物である。
そんな背景のもとに記された言葉が、ダーウィン自身の言葉へと“進化的変化”を遂げ、競争を生き抜くためのビジネス界の呪文となったのは皮肉な話である。
最近のゲノム科学や理論研究が示した答えは次のようなものだ。
集団レベルの性質ならば、多様でかつ現在の環境下では生存率の向上にあまり貢献していない“今は役に立たない”遺伝的変異を多くもつことである。
個体レベルの性質なら、ゲノム中に同じ遺伝子が重複してできた重複遺伝子を数多く含むこと、複雑で余剰の多い遺伝子制御ネットワークをもつことである。
要するに、常に変化する環境に適応し易い生物の性質とは、非効率で無駄が多いことなのである。
これはたとえば、行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会が、予期せぬ災害や疫病流行に対応できないことと似ている。
だから、もしこのダーウィンの言葉と誤解されているフレーズが、どう変化するか予想が困難な社会環境のもとで、組織や業務の〝選択と集中〟や、効率化を進めることを正当化するために用いられるなら、それは明らかに誤りであり不適切である。
集団主義を温存したままでの成果主義が生み出す矛盾
■ 「職場いじめ ― あなたの上司はなぜキレる」
成果主義は、あらかじめ終身雇用などに取って代わるシステムとして、ゆっくりと時間をかけて合意されてきたものではない。
現実には、終身雇用を否定してしまった後に、それに代わるシステムがなく、もはや選択の余地なく成果主義に走るしかなかったという事情がそこにはあるように見える。
いずれにせよ、こうした制度のやみくもな変更がもたらす不安が、職場での苛立ちの大きな要素となっていることは間違いない。
これまでは、オジサンたちにとっては、自分たちの根拠なき優位性は説明するまでもなく明々白々の事実だった。
ところが、突然に事態が急変して、いわれのない権限や、年齢だけが理由の高給について、いきなり説明責任を求められることになってしまったというわけである。
うろたえて慌てふためくオジサンたちの醜態を尻目に、不十分な説明は退けられて、成果主義という新しい制度が一気に導入されることになった。
ところが、ここに一つの誤算が生じた。
それは、新たな制度導入にともなう意識変化が十分ではなかったことである。
つまり、その制度を取り入れるための背景となる意識や環境を変化させておかなければ、時代になじむものとはなりにくいということがある。
その最大のものは、個人個人が実力を十分に発揮するための職場環境であり、また発揮された実力を評価するための新しい基準である。
こうした背景の整備がなされないままでの新制度は、職場に混乱をもたらし、その評価で混乱しはじめた。
成果主義の重視する個人主義がこれまでの集団主義と軋轢を起こしはじめ、実力発揮が集団主義の厚い壁に頭をぶつけることになってしまった。
日本企業の背骨ともいうべき集団主義を温存したままでの成果主義 = 個人主義は職場に矛盾を生み出したのである。
したがってそこでは、まさに実力を発揮するには、集団から疎まれない形での実力発揮が求められ、そこでの評価は集団への迎合を含むことを了解することになった。
こうした現状はまさに制度としての矛盾になる。
つまり、成果主義とは、本来は何物にもとらわれず、己の実力をそのまま発揮して、それが客観的に評価されるシステムであるはずが、そこに歪みが生じてしまったのだと言ってもいい。
それでもその制度を信じて個人主義を貫こうとする人たちにとっては、過酷な時代になろうとしている。
本来の実力を発揮するには、集団主義の壁を突き抜けるために通常以上の力が求められることになるからである。
個人主義を貫くには周囲からの同調圧力に屈しない精神力が求められる。
その一方で、これまでは年功序列と集団主義意識のもとで、企業への帰属意識だけで生きてきた中高年にとっても過酷な環境となってきた。
まさに、職場が居心地の悪い落ち着かない場所となってきたからである。
新しい制度への不安や、失われたものへの喪失感によるイライラは、ストレスとなって職場環境を悪化させている。
そして、帰属への不安によって彼らの不満は増幅され、年功序列制度や集団主義への強烈な回帰への願望を募らせている。
その葛藤が陰湿ないじめや、その結果としてのメンタルストレスを呼び込むことになっているのだ。
外部環境の変化は、すべてがストレッサー
■ 「マジメすぎて、苦しい人たち」
適応とは、「環境に対する適合的な態度をとることで、周囲や自分との調和的な関係を保つこと」をいいます。
したがって、環境や状況に適応できない「不適応」も、調和的な関係が築けないといった面で大いに問題がありますし、反対に適応し過ぎた状態の「過剰適応」も、調和のバランスを崩してします意味から問題といえます。
適応のし過ぎとは、環境に無批判的に同調してしまうことです。
従順で、異を唱えることなく、どこまでも限りなく「いい人」であり続けます。
そこでは個人の主体性や創造性といったものは抑え込まれた状態です。
つまり、自分という自己をどこかに置き去りにして、親のための自己、会社のための自己、恋人や伴侶のための自己を演じてしまうわけです。
本来の自分ではなく、偽りの社会的自己で周囲との関係を保とうとするわけですから、当然、本人の心の中ではギャップからくるストレスで大変苦しいものになります。
自分が適応しなければならない環境や状況が次第に苦痛となり、やがてその環境や状況に不適応を起こすこととなります。
本来、環境や状況に合わせて自律的に、柔軟に自分を変えていく、自分の要求や願望に合うように環境を変えていく、あるいは自分も変わり、環境も変えることで最適な状況にしていく。
そうやって周囲や自分との調和的な関係を続けていくことが、健全な社会的「適応」の仕方です。
環境や状況に無理やり自分を押し込め、枠にはめようとすれば、どこかに無理がくるのは当たり前なのです。
外部の環境変化は、すべてが人にとってストレスとなります。
政治体制が激変する、経済、文化、価値観が変わるというような大きな変革や、事故にあう、ケガや病気、中毒や過労といった直接的な変化もストレス。
急激な温度変化、気圧の変化、騒音、臭気、地震・火事・洪水などの自然災害もストレスになります。
日常生活を営むうえでかかわらななければならない人たちとの対人関係が大きなストレスになることもあります。
生活環境の変化もストレスの元となります。
就学・進学、転勤、引っ越し、単身赴任、異動・配転、失業、倒産、定年などがそうです。
これら外部環境の変化は、すべてがストレッサーです。
すぐにストレスになるかどうかは、その人の受け取り方によって違いますが、自分の処理能力以上のストレスが加わると、ストレス反応が起こるのです。
また、その人がどのような集団に属しているかによっても、外部環境からくるストレスは緩和されたり、倍化したりといった動きをします。
人間性を尊重し、さまざまな面でサポートしてくれる集団であれば、ストレスの影響は少なくなります。
反対に、人間性を無視し、効果・効率、従順性ばかりを求め、社会に適応することを要求する集団であれば、ストレスレベルは倍化していくのです。
強い環境変化にさらされたときには、それまでのストレス処理メカニズムが通用しなくなり、心の均衡状態が大きく崩れてしまいます。
こうなると、ますます外部の環境がストレスとして受け止められやすくなっていきます。
外部環境の変化にどう対応していくか、それがどの程度のストレスになるかは、そのときの内側の状態によっても変わり、個人差もあるわけですが、現代人の場合はとくに外部と内部のバランスが崩れやすくなってきているといっていいでしょう。
その背景にあるのは、もって生まれた体質や気質というよりも社会環境です。
自然の一員である人間はアナログ的な生物です。
環境変化にゆるやかに対応しながら、あいまいな部分も残しつつ生きるというのが本来の姿なのです。
ゆるく生きることも、甘えも許されない社会は、自己の欲求を押し殺して環境に適応しようとする過剰適応な人間をつくります。
意味のある変化は、全体がそれに向けて用意されているときに起こる
■ 「人を伸ばす力 ― 内発と自律のすすめ」
その人自身が変わりたいと深く望んでいなけばならない。
もし本当に変わろうとしていないのならば、どんなテクニックを用いようとも失敗するのは目に見えている。
何か行動をする理由を見つけるのは、出発点としては有益ではあるが、非難をする機会になってはならない。
変化の過程は、人が非適応的な行動をする理由に気づくことで促進されると同様、その行動について自分自身や他者を非難することによって妨げられるのである。
意味のある変化は、全体がそれに向けて用意されているときに起こる。
今が変化のときであると感じ、各瞬間にその決意を実行しようとしているときに起こる。
圧力をかけることは助けにならない。
それどころか、自分を責めるのと同じくらい自分を傷つけてしまう。
小さな変化を読み取ろうとしなくなるとき
■ 「やっぱり変だよ日本の営業」
結果にしか興味がない営業管理をしていると、どんな結果が生まれるでしょうか。
まず、社員は本当の情報をあげなくなります。
どうせ結果が悪いと叱られるだけですから、あげても損するだけです。
次に、管理職は怠慢になります。
根性を入れてやれば何とかなると思い込み、戦法・戦術の研究を怠り、効率悪化を放置します。
経営者は傲慢になります。
モノが売れるかどうかは営業マンのやる気次第だと信じ込んで、自社の事業や製品の社会的意味を問わなくなり、顧客の気持ちを無視してしまいます。
結果にしか興味がない営業管理をしていると、どんな企業になるのでしょうか。
まず社員は、モチベーションが下がるでしょう。
会社側は戦略、事業と仕組みについて努力しないのに、社員には犠牲を強いているからです。
次に人材が育ちません。
精神論者が増え、管理職は権威と権限にしがみつき、井の中の蛙になってしまいます。
経営者は裸の王様になります。
過去の成功を人格やカリスマ性に結びつけ、その権威を振りかざして組織を追い立て、営業現場や顧客の中で起きている小さな変化を読み取ろうとしなくなるからです。
変革の失敗のプロセス
■ 「学習する組織 -現場に変化のタネをまく-」
組織を変革するためのコンテンツ、つまり目標や制度、仕組みがいくらよくても、それが必ずしも組織に浸透するわけではない。
そのコンテンツを生み出す際のプロセスや、それを展開していくプロセスが重要である。
組織のビジョンやミッションが会社案内や経営計画に載っていても、メンバーは誰も本気にしていない。
絵に描いた餅のように思っている。
そして、戦略的なゴールや目標が一部の人だけで決められてしまい、それらの検討に参画していないメンバーにとっては、指示・命令と受け取られ、強制されたノルマになってしまう。
そうするとメンバーは、「外発的動機付け」である賞罰という誘引によって動くようになり、主体性ややる気といったものが、発揮されにくくなってしまうのだ。
さらに、目標を達成するための施策や仕組み・制度も、一部の人が決めてしまい、その実施を上位下達で周知されても、大抵の場合は現場の実情には合わない。
そのため、メンバーは今のやり方を変えようとか、新しいやり方を現状に適応させようとはせずに、おざなりに行なうか放置してやり過ごすようになる。
その結果、せっかく新しい試みをしようとしても形骸化してしまう。
これではまずいということになり、次に実行のためのトレーニングが行なわれる。
しかし、このトレーニングの進め方は、教え込もうというプロセスになり、知識ややり方を解説し、実践できるように練習するというマニュアル的なものになる。
メンバーは上からしつこく言われるので仕方なしに現場で実践するが、主体的な意欲を持っているわけではないので、「言われたこと」「指示されたこと」しか実践しない。
それでは成果が上がらないので、実践段階では管理が強化される。
その結果、何とか目標を達成したとしても管理者は疲弊し、メンバーはやる気を失っている状態が生まれる。
これが多くの会社にありがちなプロセスである。
言い換えると変革の失敗のプロセスと言えるだろう。
組織レベルの知恵
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
競争環境にあって、これからどこに優位性を求めて勝負していくのかといえば、もはや力をもつのは、ひと握りの才能による突然変異のような「発明・発見」ではない。
経営の目指す方向性や方針やプランを、市場や顧客との間に立って実行可能なものに具体化し、実行を通じて新しいものを生み出していくことのできる「チームによるイノベーションの力」だ。
それには現場のたくさんの知恵を要する。
これは、秀でた知恵や能力をもつ「個人」をどう育てるか、という個人レベルの知恵の話ではない。
もっと大きな環境として、経営はどうやって組織的に人の知恵が発現しやすい状態をつくるか、という「組織レベルの知恵」の問題だ。
それは見方を変えれば、企業にとって、人の可能性を組織の可能性に変える方法を新たに身につけるということなのだ。
日本企業は、従来の考え方や自らの行動を大きく転換する必要がある
■ 「日本の競争戦略」
日本の人口は高齢化しており、これは、日本という国家のあり方とその経済にとって重要な意味を持つ。
数年もすれば、労働力不足が真の問題であることが明らかになるであろう。
日本が、その生産性を高め、労働力を新しくよりよい方法で活用しない限り、従来の日本の生活水準を維持することは難しい。
日本は、もはや貿易障壁のおかげで生き残ってきた非効率な国内産業分野や非生産的な産業に労働力を費やす余裕などなくなるはずである。
変化なしに、日本が将来にわたって健全な経済成長を続けることはまず不可能である。
日本企業では「稟議書」や「根回し」といった方法によって、誰一人として意思決定のプロセスからはみ出るものが出ないようにしている。
あまりにも多くの承認を必要とするために、これは大胆または独自性のある戦略が遂行されないことをほとんど保証するようなものである。
さらに、ひとたび多くの関係者の承認を得てしまうと、たとえその製品や事業が成功しなかった場合でも、撤退するのが非常に難しくなる。
日本企業は、市場シェアに関しては執念に近いものを持ち、収益性を犠牲にしてまでもそれを追求する。
市場シェアに固執することで、日本企業は模倣戦略を遂行し、互いに同質化するようになる。
日本企業に広くみられる組織構造は、いまだに漸進的な改善を継続的に進めることを念頭に構築されている。
多くのビジネスにおいて、強固な階層構造はますます時代遅れのものになりつつある。
日本企業は、何よりもまず従来の考え方や自らの行動を大きく転換する必要がある。
今、日本企業には、経営や競争に関する新たな概念が求められている。
今日の危機を乗り越えるために必要とされるものは、日本企業のビジネスに対する考え方、行動における大幅な変革である。
文化は最も変えることが難しく、日本の変革の障害となるものは文化的要素である、と指摘する声も多く聞かれる。
「出る杭は打たれる」という集団指向の強い社会は、新しい経済モデルとは相容れないというのが、その論拠である。
日本は伝統を重んじる国であり、安定を尊ぶ国である。
しかし同時に、国家の将来を左右する事態に直面した際には、驚くべき自己変革能力を発揮する国でもある。
日本の指導者は、日本の独自の新しい戦略を策定し、それを具現化する責任と同時に好機をその手に握っている。
過去の転換点においてそうであったように、いったん日本人の心構えが変われば、日本という国は急速に変貌を遂げる潜在能力を備えた国なのである。
経営環境の変化とは?経営環境の変化に対応、適応するって?
(パート2)
んでもって・・・
こんなのからも念のために考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・。)ノ
経営環境とは?
○ m-Words
企業の経営を取り巻いている世の中の状況、情勢のこと。
企業は綿密に政治・経済・社会と綿密に関わっており、刻一刻と起こっていく変化を読み取りながら経済活動を行っていくことが不可欠である。
外部環境とは?
○ goo辞書
企業を取り巻く環境のうち、外部にあるもの。
外部環境は、
- マクロ環境
- 市場環境
- 競争環境
の3つに分類できる。
企業の戦略策定に当たっては、これら3つを見落とさないことが重要である。
○ 外部環境の変化の見極め
企業を取り巻く外部環境には、人口構成、ライフスタイルといった社会環境、産業構造、貿易、IT化などの技術革新といったマクロ経済動向が含まれるが、とりわけ自社の企業活動に大きな影響を与える要素としては、顧客を中心とした市場との関係、ライバル企業などの競合他社との関係が重要である。
なぜなら、自社の市場が成長市場や競争の少ない市場ならとどまればよく、衰退市場や競争が激化した市場であれば、新しい分野に進出するのか、既存市場に残るのかを選択しなければならないからである。
市場規模が拡大している状態であれば、顧客・売上等を獲得できる余地は残されており、比較的収益を上げることができる可能性が高く、また、競合他社が多数いる市場ほど、競争環境は厳しくなり、利益を上げる可能性は減少する。
マクロ環境とミクロ環境とは?
○ コトバンク
ミクロ環境は企業の周辺の環境で、マクロ環境はミクロ環境の外側にある環境とされている。
その境界は必ずしも明確ではないが、経営環境分析を行うときなどは、便宜的にミクロ環境を業界内の環境、マクロ環境は業界外の環境と位置づけて進める。
マクロ環境には、自然環境、社会環境、文化、人口動態、政治、経済、産業構造、金融、労働市場、先端技術などが含まれる。
これらは企業が直接コントロールすることが不可能で、企業が一方的に機会や脅威にさらされる。
一方ミクロ環境には、需要状況、顧客動向、競合動向、製品関連技術、原材料市場と供給業者の動向、協力業者、株主、その他の利害関係者の動向も含まれる。
こちらは、企業経営に直接的に影響を与える要因となるが、自社が働きかけてその環境に影響を及ぼしてくことも可能とされている。
内部環境とは?
○ Weblio辞書
企業がコントロール可能な自社の環境。
環境とは?
○ ウィキペディア
環境は、広義においては人、生物を取り巻く家庭・社会・自然などの外的な事の総体であり、狭義ではその中で人や生物に何らかの影響を与えるものだけを指す場合もある。
特に限定しない場合、人間を中心とする生物・生態系を取り巻く環境のことである場合が多い。
より厳密に考えると、環境とは、あるものを主体にとった場合における、それを取り巻き、直接間接に関係を持つものすべてを指すものである。
したがって、主体をどう取るかによってその内容が変化する。
人間集団を主体にとった場合には、以下のようなものが環境として取り上げられるであろう。
- 気候・日照・温度条件など
- 雨量・水環境
- 化学物質・環境汚染
- 植生帯・生物群集
- 農産物・収穫可能な生物
- 外敵・害虫・病気・寄生虫
- 政治経済の状況
- 民族問題・周辺諸国との関係
変化とは?
○ Weblio辞書
ある物事がそれまでとは違う状態・性質になること。
変わること。
対応とは?
○ はてなキーワード
周囲の状況などに合わせて事をすること。
適応とは?
○ goo辞書
生物が環境に応じて形態や生理的な性質、習性などを長年月の間に適するように変化させる現象。
新しい、また変化する自然環境に合わせて人間の生活や社会のあり方を変えていくこと。
経営環境の変化とは?経営環境の変化に対応、適応するって?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったかのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「うぉー・・・、今のやり方じゃー逆効果なのかも・・・ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ふぅーむ、ナルホドナルホド~ φ( ̄ー ̄ ) メモメモ~ 」
「そーか、そーゆーことか、ナットク ( ̄∀ ̄)b 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
こーやって考えてみると・・・
経営環境の変化への対応や適応って
企業だけに関係するものなんだろーか?
社長だけに関係するものなんだろーか?
社長だけが考えればいいことなんだろーか?
なーんて、疑問も感じちゃったりなんかしません?
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
自分自身は、会社の社長でも役員でも管理職でも何でもなかったとしても・・・
平社員だったとしても、派遣社員だったとしても、アルバイトだっとしても、パートだったとしても・・・
専業主婦だったとしても、学生だったとしても、失業していたとしても・・・
自分の人生において考えてみると、自分自身にも意外とものすごーく関係しているのかも?
知らず知らずのうちに、経営環境変化への対応や適応とかに関係しているのかも?
そういう意味では、
「誰もが、自分の人生の経営者」
って、言えなくはないのかも~?
なーんて感じません?
そう考えると、経営ってもんがちょっと身近に感じられません?
o(*⌒O⌒)b
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
コメント