「組織文化と企業文化って何だろ~???何がどう違うんだろ~??? (・_・;) 」
「組織風土、企業風土、社風(社内風土)って何だろ~???企業体質とはどう関係するんだろ~??? ( ̄○ ̄;) 」
「ウチの会社の組織文化ってゆーか企業文化って、まさに「社内の常識は世間の非常識」って感じなんです・・・ ( ノД`) 」
「非常識な企業風土にはプラスの面もあるかもしれないけど、ウチの場合はマイナス面の方が大きいし、それが企業体質にもなっちゃっているような気がするんです・・・ (|||▽ ) 」
「自由な社風って表では言いつつ、実際は全然自由でも何でもないこんな社風は変えた方がいいと思うんだけど、社風って何をどーしたら変えられるんだろ~??? o( ̄_ ̄|||)o— 」
「組織風土や企業風土を変えるには何をしたらいいんだろ~???組織文化や企業文化を変えるいい方法ってなーんかないものなのかな~??? (ーー;) 」
などなど、このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)
んでもって・・・
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
そーいやー・・・
「自由な社風」
「ウチの会社は、こーゆー社風だから」
「ウチの社風に馴染めないのなら辞めてもらって構わないから」
「社風(社内風土)が合わないので、会社を辞めた」
「こんな組織文化は、変革しなければ」
「組織風土を改革しよう」
「企業文化は、社長がつくるものだ」
「企業風土が変われば、売上も必ず伸びる!」
「コンプライアンス違反や不祥事が発生する企業体質」
「企業体質強化には、これをやりなさい」
などなど・・・
組織文化だの、企業文化だの、組織風土だの、企業風土だの、社風だの、企業体質だの・・・、これらの言葉って、意外とよく耳にする言葉だと思いません?
( ´・ω・`)
だけど・・・
「組織文化、企業文化、組織風土、企業風土、社風、企業体質って何???」
なーんて改めて質問されると、説明が難しい言葉でもあると思いません(汗)?
( ̄  ̄;)
「組織文化、企業文化、組織風土、企業風土、社風、企業体質」などなどの言葉って・・・
いいようにとらえると、一言で表現できてものすごーく便利な言葉かもしれませんが・・・
悪いようにとらえると・・・
「いやいや、理由が知りたいんだけど」なーんて素朴な質問をしても・・・
「そーゆーもんだから」的にごまかしこかれたり、テキトーにお茶を濁したような返事をされたり・・・
「そーゆー社風だから、そーゆー企業体質だから」などのように開き直られちゃったり・・・
なーんてことはありません(汗)?
( ̄  ̄;)
「そう言われると、そんなもんかー」などと、妙にナットクしてしまったり・・・
「組織文化、企業文化、組織風土、企業風土、社風、企業体質」などの言葉がイマイチよくわからない割には、何となくナットクしてしまったり・・・
それ以上考えるのをやめてしまったり・・・
なーんてことはありません(汗)?
( ̄  ̄;)
もしかしたら・・・
などなどにも、関係するっちゃーする面もあるかもしれないけど・・・
「組織文化、企業文化、組織風土、企業風土、社風、企業体質」などなどの言葉って、一歩間違うと・・・
思考の停止を招きかねない言葉の一つ
マニュアル人間や指示待ち人間などを生み出してしまいかねない言葉の一つ
「疑問を感じる力」とか「自分で考えて行動する力」とかを奪ってしまいかねない言葉の一つ
とも言えるのかも~?
なーんて、感じません(滝汗)???
((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル
ってなワケで、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、ゆるゆる~っとお付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
組織文化、企業文化、組織風土、企業風土、社風、企業体質とは?
(パート1)
んーと・・・
まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?
o(*⌒O⌒)b
社員のモチベーションを高める組織風土とは?
■ 「なぜこの会社はなぜモチベーションが高いのか」
社員のモチベーションを高める上で最も重要なことは、細かい制度を創ることではなく、そのための組織風土を創ることです。
というのは、社員の大半がやる気に満ち満ちていれば、新卒であれ、中途であれ、入社した社員はたちまちその組織風土に触発され、自ら主体的にモチベーションを高めるからです。
逆に社員の大半が組織批判や上司への批判を繰り返したり、また改善・改革の意欲も低く、ただ生活するために仕方なく働いているという姿勢であるならば、新しく入社した社員はもとより、モチベーションを高めようと頑張る社員のやる気をそいでしまいます。
それもそのはず、下手にそうした職場においてやる気を見せれば、その人は爪はじきにされてしまうからです。
社員のモチベーションを高めるためには、賃金や処遇もやはり重要です。
とはいえ、全社員が平等に昇給し、能力にかかわらず処遇するといった単純な人事労務制度を行えば、肝心のモチベーションの高い社員や成果を実現した社員のモチベーションを逆に下げてしまうことになります。
肝心なのは、納得性、復元性といったシステムといえます。
同じ制度を導入したにもかかわらず異なる結果がでてしまうのは、制度の有無そのものではなく、制度の運用方法の違いということになります。
もとより、運用以前の組織風土や経営者や管理職等への信頼感といった問題もあります。
新人は、企業風土に染まっていく
■ 「夢をかなえる経営計画」
新人は、企業風土に染まっていきます。
明るい風土に入れば明るくなり、暗い風土に入れば暗くなります。
経営理念には企業風土形成力があり、経営理念が浸透すればするほど良好な風土を維持発展させることができるのです。
社員のやる気や戦略・戦術の根源も経営理念にあります。
経営理念を無視した経営活動を行うことは、ひたすら倒産に向かって突き進んでいるとさえいえるのです。
どのような組織でも命を吹き込まなければ活動しはじめません。
経営理念・ビジョンを決め、社内に浸透させることは、まさに「組織に命を吹き込む」行為なのです。
社長の価値観そのものが、現状の会社を形作っている
■ 「うちの社長は、なぜ「ああ」なのか」
中小企業では、社長の性格や考え方や価値観が会社の経営に大きく影響を及ぼしてしまうのです。
中小企業では、「社長 = 会社」なのです。
社長が明るい人なら会社も明るい社風になりますし、オープンな人なら風通しのいい会社になります。
社長がケチなら会社もケチになりますし、いい加減な人なら会社全体がいい加減な会社になるのです。
まさに社長の価値観そのものが、現状の会社を形作っているということです。
企業の業績も、文化と深く関わっている
■ 「人として正しいことを」
文化とは、物事の実際の仕組みだ。
実際に意思決定する方法、実際に昇進を決める方法、実際に人々に接する際の方法、それがすなわち文化だ。
文化は、企業固有の性格を表す生命の源だ。
企業の業績も、文化と深く関わっている。
性格が人の運命を決めると言われるように、文化は企業の運命を決めていく。
企業文化は無数の要素から成り、互いに影響を受け、管理されている。
なかには、その企業に最初から深く根づいていて、変えることができない文化もあるだろう。
事業の内容(何をつくり、売り、サービスを提供するか)によっても、文化は変わる。
従業員の年齢、服装、縁故採用に対する考え方といった要因さえも、文化を大きく左右する。
こうした環境的な要因が、意思決定はどうなされるのか、権力はどう行使されるのか、情報はどう流れるのかといった文化の基本的なあり方に影響を及ぼしていくのだ。
優れた組織の文化は、人の強みに焦点を合わせる
■ 「現代の経営[上]」
人の強みではなく弱みに焦点を合わせ、出来ることではなく出来ないことを中心に組織をつくることほど、組織の文化を破壊することはない。
優れた組織の文化は、人の強み、すなわち、出来ないことではなく、出来ることに焦点を合わせる。
出来ないことではなく、出来ることに焦点を合わせる。
そして、組織全体の能力と仕事ぶりの絶えざる向上をもたらす。
「日本企業の規律」という文化
■ 海外の日系企業に優秀な人材が集まらない理由
海外の日系企業での就職活動を行ってみた。
欧州で暮らしながら、世界を股にかける大手企業で働くチャンスに期待を募らせていたのだが、面接の前に届いた質問項目を見て、気を落とすこととなった。
- 日本企業の規律を学び、実践してみたいですか?
- 顧客からのメールや電話には可能な限り早く対応しますか?
- 休暇中も仕事に責任を持てますか?
- 仕事に関連した書類を読むことに、進んで自分の時間を費やしますか?
- 顧客を楽しませるため、時々プライベートな時間を費やせますか?
「日本企業の規律」とは結局のところ、残業や休日出勤の言い換えに過ぎなかったのである。
こうした「日本企業の規律」について、現地の友人に話しを聞くと、
「休日に仕事をしたら、それ休日じゃないじゃん」
という正論が返ってきた。
身も蓋もない言い方だが、たしかに言うとおり・・・
そんな仕事に対しての考え方の違いは、面接でも感じられた。
「日本企業の規律」について、面接担当者は「こちらの人たちは終業時間になると、残務があっても帰ってしまうんです」と説明していたが、それは日本が特殊なだけであって、世界では当たり前のことだ。
怠け者であるかのようなニュアンスが含まれていたが、ビジネスにおけるルールに則って働いているにすぎない。
また、現地の人々への敬意が欠けているようにも感じられた。
もちろん、諸外国にも残業や休日出勤がないわけではないが、できるだけそれを避け、仮にどうしてもやらなければいけないのであれば、正当な対価が支払われてしかるべきだ。
それを「日本企業の規律」という言葉でコーティングし、あたかも素晴らしい文化であるかのように「学ぶつもりはありますか?」と上から目線で問われたことに、強い違和感を覚えてしまった。
労働生産性は先進国中最下位、経済成長率は30年近く低迷、そして「Karoshi」という言葉が世界で悪名を轟かせている日本が、ドヤ顔で「日本企業の規律」を押しつける根拠はいったい何なのだろうか?
決して日本経済はかつてのように優れているわけではない。
また、世界経済を席巻していたときも、それを支えていたのは急成長した人口と時間外労働だ。
「日本企業の規律」というと柔よく剛を制すような日本人の琴線に触れるイメージが湧いてしまうが、実際は労働者たちの力でゴリ押ししていたにすぎない。
まるで世界には知られていないビジネスメソッドであるかのように使われている「日本企業の規律」。
日本国内では、同じく過剰労働や人権侵害が大きな問題となっている技能実習生たちにも、似たような謳い文句が使われているが、こうした言葉遊びをやめない限りは、日本経済が再興する日は遠いだろう。
このままでは日系企業の元には優秀な人材など集まるはずもないだろう。
日本企業はその規律を誇り輸出する前に、労働者に対する正しい敬意と対価を払うべきはずだ。
「組織の常識は世間の非常識」は組織文化のこと
■ 不祥事を繰り返す企業を本当に笑えますか?
果たして、不祥事を繰り返す企業を笑い飛ばすことのできる人間は、どれだけいるのだろうか。
最初の不正発覚前に転職した人は冷笑的にこう言った。
「そう簡単にあの会社は変わらないよ」
ドイツ人からはこんな話を聞いた。
「日本人は一人ひとりの能力は高そうに見えないが、チームになると高い能力を発揮する」
この2つの話の話は、組織文化という切り口でつながる。
コンプライアンスの分野でよくいわれる「組織の常識は世間の非常識」といったときの常識とは、組織文化を指している。
組織の常識に従っていれば、いちいち行動の意味を検討したり、価値基準を考えなくて済む。
それがメンバーの阿吽の呼吸を生み、効率化を促進する。
共有された価値観の体系はチームのまとまりも高めていく。
だが、自組織特有の規範である組織文化は、内向きになり、見直す機会をもたなければそのズレが許容範囲を超え、一般社会の道徳・倫理・法規等の規範から逸脱していく。
その気になれば、外の目で組織の常識を顧みる機会はそこここに存在している。
私たちは、謙虚に自分たちの常識 = 組織文化を見直す感受性・寛容性をもっているだろうか。
もし、自らを省みることがなければ、知らず知らずのうちに、「世間の非常識」と見られる振舞いをしている可能性が高いだろう。
職場の風土は、変えることが難しい
■ 愚痴ばっかり言ってる人について思うこと
愚痴を言うことでのいい効果も確かにあるのだと思う。
ストレス発散や、愚痴で人との繋がりや連帯感が生まれたりするものね。
愚痴を言っている人は僕の職場にも多くて、ほとんどみなさん言われております。
部下は上司の居ない所で愚痴ばっかり。
間に入ってなんとかしようとしていたのですが、こういう職場の風土みたいなものは、変えることはなかなか難しいですね。
で、最近このままここに居たら僕もそのうち不満ばっかり言う人になってしまうんじゃないかって、そういう心配がわりとリアルに感じられてきました。
愚痴を言ってる人についての不満を書いている時点で、僕も愚痴を言ってる人になっちゃいますよね。
このサイクルからは人は逃げられないのだろうか。
負の回路こえーなー。
強固な組織文化
■ 「組織文化とリーダーシップ」
組織の文化とは、「組織が誕生して以来、1つの社会単位として学んできたもの」であり、以下の3つの層からなるものである。
これらの関係性が強いほど、強固な組織文化がある。
人工的産物
組織内で、見たり触れたりできるもの。
ドレスコード(服装規定)、オフィスレイアウト、机の配置など。
価値観
明文化されている文化のこと。
創設当時の逸話、社是、社訓、従業員の話、社内掲示物など。
潜在的な前提
目に見えない潜在意識的なもので、暗黙のルール。
組織内の行動、組織外における組織の行動など、第三者にはわかりにくいもの。
企業に存在する多くの「ストーン・キャット」
■ 「やっぱり変だよ日本の営業」
戦後、日本企業は長期間にわたって高度成長を謳歌してきました。
人手不足が社会問題になり、「人手不足倒産」まで起きました。
このために社員の確保が企業の経営課題の一つとなり、社員にずっと自社で働くことを期待し、奨励しました。
つまり、「終身雇用制」は企業側の都合だったのです。
日本人の集団心理をうまく利用し、一つの企業に尽くすことを美徳とし、会社を辞めることを裏切り行為と見なすようになりました。
これは、単に長く続くことで習慣化したものにすぎません。
それでも一昔前までは、終身雇用制は日本企業の文化だと言う人がたくさんいました。
しかし、バブル崩壊後やリーマンショックを経て、日本を代表するような企業でさえも大量のリストラを余儀なくされている現状を見た日本人は、自分たちの会社もすでに例外ではないことに気づいてしまいました。
企業のためではなく自分や家族のために働く感覚が、今の若い人たちはもちろん、中年の人たちにも広まっています。
一つの会社にずっといることを前提とせず、もっと自分の生き方に合う企業、もっとやりがいのある企業、もっと条件のよい企業に転職していくことが、自然なことになってきています。
しかし、実際に日本企業は社員が辞める前提で運用されているのか、そのような運用ノウハウと心構えがあるかというと疑わしいのが現状ではないでしょうか。
欧州のある古い教会での話です。
昔、教会の神父が野良猫を飼い始めました。
彼が祭壇の前でお祈りするとき猫が彼に悪戯したりするため、お祈り中には猫を紐で祭壇の脚につなげるようにしました。
やがてこの神父が亡くなり、二代目の神父がその猫を世話して、同じようにお祈り中に祭壇の脚に猫をつなげるようにしていました。
三代目の神父はいつも猫を祭壇の脚につなげる先輩神父のことを思い出し、自分も猫を飼って同じようにお祈り中に猫を祭壇の脚につなげていました。
四代目の神父は面倒くさがり屋で、生きた猫ではなく石の猫を作り、祭壇の脚の横に置くようにしました。
そして、五代目の神父は、床に置かれている石の猫を邪魔だと思い、祭壇の上に置きました。
そして六代目以降の神父たちは、常に石の猫に向かってお祈りするようになり、いつのまにかこの教会では、その石の猫は祭壇上の神聖なる存在になっていたのです。
今では誰もその経緯を知りませんし、その存在意義を問おうともしません。
これが「ストーン・キャット」の話です。
我々人間は、いつもやっていることを必要以上に神聖化する癖があります。
長く続けてきたことに対しては、必ず意味があると思い込んでしまいます。
つまり、その時代や状況に応じてたまたまできた制度や仕組み、方法などをしばらく続けると、まるで神聖なルールのように思い込み、誰もその存在理由と合理性の是非を問わなくなります。
企業には多くの「ストーン・キャット」が存在します。
長い間、我々はそれが必要だと信じ込んできたところに大きな問題があります。
今の時代に特に必要のないものや代用できものであっても、いざ変えるとなると怖くなってしまうのです。
異なる文化に遭遇したとき、初めて自文化を強く意識する
■ 「日本語教師のための異文化理解とコミュニケーションスキル」
文化は生得的なものではありません。
日本社会に生まれ育ったからこそ日本文化の成員になるのであって、たとえ両親が日本人でも、生まれも育ちもアメリカだったら、たいていの場合その人はアメリカ文化の成員になります。
つまり、文化はDNAに記されているものではなく、生まれてから学び取るものです。
私たちは文化の中に生まれ落ち、文化の中で育っていくので、文化の重要な部分は深く浸透し、自文化の中で生活している限り、いろいろ意識しないようになります。
だからこそ、異なる文化に遭遇したとき、初めて自文化を強く意識するのです。
相手国の文化を理解し、自身の文化との違いを認識することは余分なストレスの軽減になることは確かです。
地球上には絶対的に正しいやり方を独占する文化はなく、それぞれの文化は帰属する集団において妥当なものであるという考え方を文化相対主義といいます。
特定の文化に同化することを強要するのではなく、それぞれの文化を尊重することに主眼をおいています。
多文化共生を目指す考え方です。
教育と文化
■ 「生きる力をつける ドイツ流子育てのすすめ」
家庭でも学校でも、ドイツの教育の目標は「大人になったら一人で生きていけること」である。
「自立した大人」になるために、教育をしているといっても過言ではない。
ドイツの教育現場の様子を読んで、疑問をもつ人も多いと思う。
しかし、ドイツのやり方は、将来自力で生きていくための方法・手段だと思っていただければ、ご理解いただけるかもしれない。
ドイツの「自立するための教育」に対して、日本は「まわりの人と仲良くすることを重んじる教育」である。
ドイツの場合は、まずは一人、個人であり、それから人との関係がある。
自立のための勉強をさせるドイツでは、「勉強を教えるのは学校」「子どもの人間形成や礼儀などを教えるのは親」と、役割がかなりはっきりと分かれている。
親は勉強のことはすべて学校に任せ、学校は子どもがプライベートな行動面で問題を起こしても、いっさい責任をとらない。
偏っているという反論もあると思うが、ドイツ人は学校が子どもの人間形成を助ける役割をもつことはできないと考えている。
人間形成はあくまでも親と子どもを囲む社会の責任になるのだ。
ドイツにはいろいろな国の人がいて、文化や宗教もさまざまだ。
イスラム教徒で豚肉の食べられない子どもがいれば、ベジタリアンの 子もいる。
アレルギーの子、宗教上の理由で頭にスカーフを巻かなければならない子など・・・
世の中にはいろいろな考え方があり、生き方がある。
それをまとめる役として学校は適していないのだ。
これを無理やりまとめようとすると、第二次世界大戦前のように、スパルタ式や全体主義的な教育をしなければいけなくなるかもしれない。
それをドイツ人はよしとしないのだ。
ドイツと日本の2つの国を比較して一見目につくのは「文化の違い」だ。
ドイツと日本は、つくられてきた歴史や文化が大きく違う。
だから、人の考えや生き方が違っても当然だ。
そういう意見があるだろう。
それはもっともだ。
ドイツと日本の両方の教育を受けてきた私は、文化の違いという一言では片付けられない何かがあると思ってきた。
そして、ここに来てはっきりしたこと・・・
それは、子どもの頃に学校で受けてきた教育やシステムの違いが、結果として考え方の大きく異なる大人をつくり出しているという事実だ。
大人になってからの考え方や生き方の違いは、親の教育にもよるが、他人との人間関係を築き、深める学校での十数年間の生活に大きく左右される。
日本人は大人になっても自分の好きなことを見つけられない人が多い。
その証拠に、例えば女性向けの雑誌には、「どうしたら好きなことを見つけられるか」「私の自分探し」「このままでいいの?」などといったタイトルの特集や、悩み相談記事が多い。
日本の学校では小中高と、自分の好きなことをするより、みんなとの協調性や、苦手なことをすることが重要視されているのだから、好きなことに打ち込む能力など育つわけがないのだ。
たとえ6、7歳の子に好きなことに打ち込む能力があったとしても、日本の教育を受けているうちに、その能力は見事になくなっていくだろう。
そして、自分の苦手なことに打ち込むことイコールよいことになり、自分の好きなことにエネルギーと時間をつぎ込むことを悪いこと、わがままなこと、みんなと違うことと感じるようになる。
極端な話、ドイツの場合は、幼稚園では子どもが何かをしたければ3時間ずっとそれに打ち込んでいてよいシステムになっている。
また、小学校にあがってからも、授業は午後1時に終わるので、家に帰って宿題を終えたあとは「自分の好きなこと」にずっと打ち込める。
このシステムで育つことが、大人になってからの仕事に役に立つかどうかはわからない。
しかし、少なくとも、「好きなこと」を自分で見つけて、実際に自分でやってみる能力は失われずにすむ。
だったら学校の中で好きなことを見つければいいではないかと言われてしまいそうだが、学校で習うことは子どもにとっては「義務」である。
「義務」であることを好きになれ、と言われても、それは無理というものだ。
さらに、日本の場合、こうして大人になると、自分の好きでもない仕事を選んでしまう危険性が高い。
小中高と、好きなことをやることを抑えられてきたばかりか、嫌いなことをずっとやらされてきたので、本来は嫌いなことでも「仕事だから仕方がない」と、選択してしまうことになんの抵抗も感じなくなる。
そして、そんな日々が続くうちに、
「やっぱり何か違う」
「毎日が楽しくない」
「でも、好きなことに打ち込む勇気も能力もないし」
となってしまう。
最近ではこういった切実な悩みを、大人たちは、「最近の若者はフラフラしてけしからん」と片付けてしまいがちだが、その原因は、教育にあるということを忘れてはいけない。
また、家庭での教育に関しても似たようなことが言える。
ほとんどの親が子どものことを思っていることは間違いないだろうが、彼らが好きなことをやろうとしているのを無視して、何かにつけ「勉強しなさい」と言いすぎてしまうと、後に好きなことがわからない大人、好きなことに打ち込めない大人を生み出してしまう。
みんなと一緒をよしとして教育を施す日本人は、「和」を尊び「恩」を大切にする。
それに対して、自立した大人をつくり出すための教育を受けてきたドイツ人は、「個」の意見を重視する。
そしてその大人の考え方や生き方の違いがまた、子どもへの教育として異なった形になっていく・・・
どちらの国の教育が正しいのかはわからない。
それぞれ短所もあれば長所もある。
ただ、その違いを知ってこそ、現状の教育のあり方の問題点が浮き彫りになってくることもある。
善悪の判断は、文化によって結構違っている
■ 「ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人」
たとえば、私たちは、社会生活を送る中で、何が善いことで何が悪いことかを学ぶ。
それは、そもそも人間に備わっているものではなく、その文化で他の人たちとのコミュニケーションをとる中で身につけるものである。
そして、そうした善悪の判断は、文化によって結構違っていることは理解していただけるだろう。
ある文化では、豚は汚らわしいものと思われ、別の文化では牛は神聖な生き物と思われている。
また、片膝を立てて食事するのが正統な行儀作法であったり、お膳からご飯茶碗を手にとって持ち上げて食べるのは品がないと思われている文化もある。
さらに、誰かの家を訪問するときに、お土産を持って行くのは当然と思われている文化があるのに対し、そうしたしきたりを重視しない文化もある。
これとまったく同じように、ある文化では当然と思われている人間関係が、他の文化では失礼に当たることもある。
また、ある文化では非常に重要と思われているものの考え方が、他の文化では、瑣末なことと考えられている場合だってある。
このように、どのような人間関係が常識的かということは、その文化を構成する人たちが共有したルールによって、はじめて決まってくる。
以上のように、私たちの前に立ち現れてくる現実の見え方は、個人の生理状態や精神状態を超えて、もっと社会的な要因によって決まってくることがあるのだ。
そして、その文化にできあがった常識的なものを見る際の構えが、時として曖昧な現実にわかりやすい意味を与える道具となっているということがわかってくるだろう。
組織文化、企業文化、組織風土、企業風土、社風、企業体質とは?
(パート2)
んでもって・・・、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、例えばこんなのからも念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
文化とは?
○ Weblio辞書
社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。
ある集団の中で共有されている信条、価値観、行動のこと。
文化には言語や習慣、それに役割や対人関係についての信条などが含まれる。
言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。
文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。
組織文化とは?
○ コトバンク
組織構成員間で共有化された考え方に基づく企業(組織)全体の行動原理や思考様式であるとされている。
組織の中で共有された行動原理や思考様式と言える。
○ Weblio辞書
組織文化とは、経営されている組織において、構成員の間で共有されている行動原理や思考様式などのことを言う。
組織に存在している個々の構成員の価値観が融合されるということで組織文化が形作られていくということである。
企業においての組織文化というのは、創業者による経営理念が示されているということから、それに賛同して集まった従業員によって形作られている。
つまり経営理念が従業員のモチベーションとなり、それが組織文化を形作っているということである。
だが企業の中には時代の流れとともに組織文化が変化をしていき、経営理念が飾りとなっているようなところも存在する。
企業文化とは?
○ Weblio辞書
コーポレートカルチャーともいう。
企業文化とは、その企業固有の価値体系、思考や行動規範の体系、社風、企業の体質、その企業らしさのこと。
CI(コーポレート・アイデンティティ)はこうした企業文化を変革する方法として実施されることが多い。
組織風土とは?
○ コトバンク
企業風土ともいう。
組織風土とは、組織に集まった個人個人の価値観が集まり平均化され、表面化したその組織の価値観と言える。
企業風土とは?
○ exBuzzwords用語解説
企業風土とは、組織のメンバーが共有する価値観や信念、思考プロセス、これらに基づく行動等のことである。
共有することによる効果の例は次の通りである。
社風とは?
○ ウィキペディア
社風とは、その会社の風紀、性情を表すもので、一般に、体育会系、家族的、軍隊的、官僚的、野武士、お公家等の言葉であらわされることが多い。
社風と企業倫理の実践は別のものであるが、いわゆるイケイケの社風の場合、企業倫理の徹底が末端の社員や経営者全般に行き届かないことがあり、不祥事を引き起こす場合もある。
企業体質とは?
○ Weblio辞書
組織などにしみ込んでいるある種の性質。
○ ウィキペディア
「ブラック企業」の企業体質としては、以下のような点が挙げられる。
- 経営陣が圧倒的な力を振るう一方、それに見合った責任を負う仕組みがない
- 合理的かつ合法的に仕事を行う組織やルールを作れない・作らない
- 従業員からの経営陣へのチェック機能がない
- 激務で長時間労働・過重な責任
- 薄給の上に自腹
- ノルマが未達成の場合の苛烈なペナルティ
- 心身の健康を害するほどの身体的・精神的ストレス
- スキルアップとキャリアアップは皆無
組織文化、企業文化、組織風土、企業風土、社風、企業体質とは?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
「三方よしの経営相談」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「その組織には何の関係もない、第三者の外部の人間」の視点として、いつも感じるのは・・・
あくびがうつるのに似ている
のかも~?
って、コトでしょーか。
世の中には全く同じ人間もいなければ、全く同じ会社も組織も存在しないはずなのに・・・
人間は一人ひとり異なるはずなのに・・・
よくよくお話しすると、一人ひとりいろんな考え方があるのに・・・
でも、ものすごーく大雑把にとらえると不思議なことに・・・
良いか悪いかは別として・・・
同じ組織に属している人には、何らかの共通点がある
ご本人が気がついていよーが、いまいが、好むと好まざるにかかわらず、
いつの間にか、その共通点に染まっている
ように感じることって、あるのかも~?
って、コトでしょーか。
つまりね・・・
ある組織に属している一人の人と接しても・・・
ある組織に属している複数の人と接しても・・・
部屋の様子などを拝見しても・・・
朝礼やら会議やらを拝見しても・・・
昼飯時やら飲み会やらを拝見しても・・・
何気なく使用しているインターネット検索のキーワードを拝見しても・・・
どの記事をどう見てくださったかを拝見しても・・・
その会社やその組織ならではの・・・
「組織文化、企業文化、組織風土、企業風土、社風、企業体質」などが、
ナントナーク見えて来ることがある
んじゃないかな~?
なーんて、感じてたりなんかするんですけど・・・
もっと言うとね・・・
経営理念が明確にあろーが、なかろーが・・・
経営理念に、何と書かれていよーが・・・
社是・社訓に、何と書かれていよーが・・・
経営理念が浸透しないと社長さんが嘆いていよーが、いまいが・・・
従業員さんが、経営理念を覚えていよーが、いまいが・・・
従業員さんが、経営理念の中身を理解していよーが、いまいが・・・
本当の経営理念は、組織文化などに染みこんでいる
んじゃーないかな~?
( ・ _ ・ )
そしてそれが、その組織ならではの独自性とか強みや弱みなどにもつながっている
コトって、あるんじゃーないかな~?
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
でも・・・
その組織の中にいると、その組織しか知らないと、なかなか気が付かない(気が付けない)
なーんてコトも、あるんじゃーないかな~?
とすると・・・
「相手を知ることによって、己も知る」
「己を知ることによって、相手も知る」
とかって、意外と大事
なんじゃーないかな~???
(〃 ̄▽ ̄)o
なーんて、感じるコトもあるんですが・・・
どっ・・・、どうでしょう???
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
コメント
こんにちは。
お世話になってます。
悩めるカチョーです。
最近とみに感じるのは、総務部が抱えている問題は全社的な問題でもあるということです。。。
そしてその問題は自分自身の問題でもあるということです。。。
自分の問題を見ようとしないから、自分を変えずに部下を変えようとするからこうなるんですよね!
でも一方では、自分の中に答えが必ずあると確信出来るようにもなりました!
今だから言えますが、初めてお会いした時に何であんな質問をするのか不思議に感じたことがありましたが、今思えばヒントをたくさん下さっていたんですよね!
気がついていなければ井戸の中の蛙のままでした!
改めて感謝します!
悩めるカチョー様
おはようございまーす。(^^)/
こちらこそ、いつもお世話になっております。
コメントありがとうございます。
> 総務部が抱えている問題
> 自分自身の問題
> 自分の中に答えが必ずある
ううーむ、さすが悩めるカチョーさん!
いつもズバっと本質を突きますね~。
でも・・・
問題ばっかりじゃー、決してないと思いますよ♪
悩めるカチョーさんならではの強みや、御社ならではの強みも、いっぱいあるんじゃーないでしょーか。v(^^)v
> 何であんな質問をするのか不思議に感じた
わからないことだらけでしたので、ヘンな質問ばかりしてすみませんでした。m(_ _)m