「会議って何だろ~?何のために会議が必要なのかな~? ( ̄▽ ̄;) 」
「無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろ~? ( ゜Д゜) 」
「そもそも無駄な会議ってどんな会議なんだろ~?意味のある会議ってどんな会議なんだろ~?どんな会議だったら無駄な会議って言われて、どんな会議だったら意味のある会議って評価してもらえるんだろ~? (´・ω・`) 」
「無駄な会議なのか意味のある会議なのかって、何を基準に誰がどう判断するものなんだろ~?どんな内容の会議だったら無駄な会議と判断されちゃって、どんな内容の会議だったら意味のある会議と判断してもらえるんだろ~? (ーー;) 」
「会議と生産性との関係って何だろ~?会議の長さや回数に関係あるのかな~? ( ̄ー ̄?)」
「会議の時間を短くして回数を少なくすれば、生産性の向上につながるんだろーか? (; ̄Д ̄) 」
「それとも会議の長さや回数に関係はなくて、意味のある会議であれば生産性の向上につながるものなんだろーか? o( ̄_ ̄|||)o 」
「もしそうだとしたら、意味のある会議ってどんな会議なんだろ~?意味のある会議と付加価値の向上の関係って何だろ~? (;´д`) 」
「ってゆーか、そもそも何のための会議なんだろ~?何のために会議をするんだろ~?どーして会議をする必要があるんだろ~? (* ̄△ ̄) 」
「誰のための会議なんだろ~?誰のために会議をする必要があるんだろ~?自社の顧客のためになっている会議って本当に言えるのかな~? σ( ̄∇ ̄;) 」
などなど・・・
「経営会議」とやらとか、「営業会議」とやらとか、「社内会議」とやらとか・・・
「部門会議」とやらとか、「定例会議」とやらとか・・
「打ち合わせ」とやらとか、「ミーティング」とやらとか・・・
「無駄な会議」とやらとか、「意味のある会議」とやらとかについて・・・
このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」、「中小企業の経営に役立つ情報活用」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、会議や打ち合わせやミーティングって、いったい何なんだろーか?
会議を行ったり打ち合わせを行ったりミーティングを行ったりするのって、どーゆーことなんだろーか?
無駄な会議や打ち合わせやミーティングと感じてしまう原因って、いったい何なんだろーか?
意味のある会議や打ち合わせやミーティングと感じられる時って、どんな時なんだろーか?
無駄な会議や打ち合わせやミーティングと、意味のある会議や打ち合わせやミーティングとの違いって何なんだろーか?
無駄なのか意味があるのかって、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングを行うメリットやデメリットって何なんだろーか?
それは誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングって、どんな時に行う必要があるんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングって、どんな時には行う必要はないんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングを行うことって、目的なんだろーか?
それとも手段なんだろーか?
手段だとしたら、目的は何なんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングって、何のために行うんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングって、誰のために行うんだろーか?
などなども含めて・・・
会議・打ち合わせ・ミーティングの類について、無駄な会議が多いよなー!会議なんか全部なくしてしまえー!と思っている方も、会議は必要だし意味のある会議ならやるべきと思っている方も、会議嫌いな方も好きな方も一緒に考えてみませんか?
(〃⌒∇⌒)ゞ
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
(^^)
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?(パート1)
んーと・・・
などで・・・
会議の類からも、その会社やその組織ならではの組織文化や企業文化等が
ナントナーク見えて来ることがある
んじゃないかな~?
なーんてホザいていましたが・・・
( ・ _ ・ )
それに・・・
で登場する 「組織の成立条件(組織の成立要件)」 に、社内で行っている会議等の様子とか、 会議等に関する意見とか考え方とか、不平・不満の声とかを当てはめて考えてみると、何か気づくこともあるんじゃーないかな~?
d(⌒ー⌒)
なーんて感じるコトもあるので、例えばこんな声からまずは考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Aさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
全部が全部無駄とか、何もかも意味がないとまでは言いませんけど、もうイヤになっちゃいますよ・・・
ウチの場合、とにかく回数がものすごーく多いんですよね・・・
こんなに何回もやる必要ってあるんだろーか???って、言いたくなっちゃうんですよ・・・
回数が多いってことは、他の仕事をやっている時間がどんどんなくなっちゃうってことじゃないですか・・・
会議とかも仕事のうちだとは思うんですけど、会議とかだけが仕事じゃないし、会議にばっか手間を取られるってのはホントに困るんですよね・・・
一つの会議がやっと終わったと思って、自分の席に戻りますよね。
会議中にかかって来た電話とか、メールとかをさばいて、ようやくやりかけの仕事を始めようと思ったら、また会議・・・
こーゆーのをずっと繰り返しているから、いつまで経っても仕事が進まないんですよ・・・
それで結局、残業になっちゃったり、自宅に持って帰って仕事をする羽目に陥ったり・・・
部下からは、何か相談しようと思っても、いつも会議ばっかやっていて席にいないから、相談したくても相談できないって責められちゃうし・・・
「放置プレイだ!」とか「こんなのパワハラだ!」とかって言われちゃうし・・・
上司からは、あの件はどーなった?この件はどーなった?まだやっていないのか?って責められちゃうし・・・
「成果を出していない!」とか「生産性を上げろ!」とかって言われちゃうし・・・
これじゃー、仕事を増やすために会議とかをやっているようなもんですよね・・・
残業が増えるのは、当たり前の話ですよね・・・
マジでうつ病になるか、過労死しちゃうかしそうですよ・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Bさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
全部が全部無駄とか、何もかも意味がないとまでは言いませんけど、もうイヤになっちゃいますよ・・・
ウチの場合、会議とかにかかる時間がとにかく長いんですよ・・・
こんなに長い時間やる必要ってあるんだろーか???って、言いたくなっちゃうんです・・・
考えてもみてくださいよ。
会社で仕事できる時間が、いったい何時間あるのかって・・・
本来であれば、1日8時間労働なワケなんですけど、その内のたとえば3時間を会議に費やしたとしたら、残り時間は5時間しかなくなっちゃうワケですよね・・・
それで、時間が足りなくなっちゃって、結局また残業になっちゃうんですよ・・・
仕事には、いろいろと種類がありますよね。
時間をかければできるってものでもない仕事もあると思いますけど、何をどう工夫してもコレだけの時間が最低限かかってしまうってものだってあるじゃないですか・・・
5W1Hをちゃんとやれとか、報連相をもっとちゃんとやれとか、生産性をもっと上げろとか、タイムマネジメントを意識しろとかって言われても、できることと、できないことがあるんじゃないでしょーか?
長い会議に参加するだけで、もうぐったりですよ・・・
長い会議に参加して、生産性が低下するんだったら、本末転倒のような気がするんですけどね・・・
これじゃー、生産性の向上とか以前の問題ですよね・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Cさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
全部が全部無駄とか、何もかも意味がないとまでは言いませんけど、もうイヤになっちゃいますよ・・・
だって、連絡事項とか報告事項とかがものすごーく多いんですから・・・
こんなことにわざわざ時間を割いて、会議とかをやる必要なんてあるんだろーか???って疑問に感じちゃいますよ・・・
報連相をするのに、絶対に会議じゃなきゃいけない必要性なんてないように思うんですけど・・・
情報共有のつもりでやっているのかもしれませんけど、情報共有というのなら、もっと他にやり方があると思うんですよね・・・
たとえば、もっとIT(ICT)を活用するとかした方がいいんじゃーないでしょーか?
それだったら、隙間時間に見ることもできますし、それぞれ自分の都合のいい時に見ることだってできると思うんですけど・・・
掲示板とかSNSとかだったら、意見を書き込んだりすることだってできると思うんですけど・・・
議事録的なものとかも、それで残せると思うんですけど・・・
そーゆーことをやらないのは、パソコンができないって人が、おエライさんの中にいらっしゃるからですかね・・・
だから、会議とかをやることにこだわっているんでしょーね・・・、きっと・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Dさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
はっきり言って、会議そのものも無駄って思うんですけど・・・
何が一番無駄って、会議の準備に時間をとられるってことですよ・・・
会議の前に、会議用の資料を作成しなきゃいけませんよね・・・
それも会議のためだけに、わざわざ作成しなきゃいけませんよね・・・
なーんで残業してまで、会議資料を作成しなきゃいけないんだ???って言いたくなっちゃいますよ・・・
会議の資料を作成するために、他の仕事も全部ストップしちゃいますから、その分の残業もやらなきゃいけなくなっちゃうし・・・
しかも、作成しなきゃいけない資料の数がハンパなく多いですし・・・
印刷して上司に見せて、何度も修正してまた印刷して、大量にコピーして、順番を整えて、ホッチキス留めをしてって、準備する側としてはものすごーく大変なんですよ・・・
そうやって苦労して揃えた書類って、結局のところ会議の時にしか使わないんですよ・・・
つまり、会議の時に見るだけで、会議が終わったらシュレッダー行きって感じ・・・
せっかく苦労して一生懸命つくってもこうなっちゃうんじゃー、モチベーションも下がる一方ですよ・・・
それにコレって、いろいろな意味でかなり無駄だと思うんですよね・・・
時間もそうなんですけど、コスト的にも・・・
モチロン、自社の顧客のためになることであれば、コストも時間もかけたらいいと思います。
だけど、こんな状況だから、自社の顧客のためになっているとはとても言えないと思うんですよね。
付加価値の向上なんて言っているくせに、おかしいですよね・・・
生産性の向上なんて言っているくせに、おかしいですよね・・・
経費削減なんて言っているくせに、おかしいですよね・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Eさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
ウチの会社の場合、はっきり言って、会議とか打ち合わせとかミーティングとかをやる以前の問題だと思うんですよね・・・
会議とかができる風土になっていないと言った方がいいのかもしれませんけど・・・
ひと言で言うと、本音で話せるような雰囲気がないんですよ・・・
コミュニケーションが取れるとか、取れないとか、それ以前の状態ってゆーか・・・
相談したくても相談できませんし・・・
質問したくても質問できませんし・・・
相談し合える雰囲気とか、何でも打ち解けて話せる雰囲気とか、協力し合える雰囲気とかもありませんしね・・・
「出る杭は打たれる」の典型的な組織だし・・・
そんな状況なのに、会議とかをやったって、あまり意味がないような気がするんですよね・・・
「もっと意見を出せ!」とか「もっとアイデアを出せ!」とかって言われるんですけど・・・
たとえ意見とかアイデアとかがあっても、話せるような雰囲気じゃないってゆーか・・・
勇気を出して意見を言ったとしますよね・・・
そーしたら、「アレはどーする?」「コレはどーする?」「もっと具体的に!」「自分の頭でもっと考えろ!」とかって問い詰められちゃったり、叩かれちゃったりするんですよね・・・
アイデアのレベルなのに、最初から完璧さを求められるってゆーか・・・
失敗を絶対に許さない雰囲気ってゆーか・・・
不平・不満は、絶対に言ったらダメって雰囲気ってゆーか・・・
常に前向きでポジティブ思考じゃないとダメって雰囲気ってゆーか・・・
だから、みんな押し黙っちゃうんですよ・・・
意見を出したりなんてしたら、どーなるかわかっていますから・・・
本当は、みんなで一緒に考えられるようにした方がいいと思うんですけどね・・・
せっかくいろいろな得意分野を持っている人が集まっているんだから、協力し合って、お互いに知恵を出し合える場になればいいとは思うんですけど・・・
会議とかの場でも、こんな風に言えたら苦労しないんですけどね・・・
せめてもう少し、協力し合える組織になって欲しいです・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Fさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
もうイヤになっちゃいますよ・・・
ウチの会社の場合、会議って感じじゃーない会議が多いんですよね・・・
だって、一方的にエライさんが喋るだけなんですから・・・
会議という名の、自慢話とかお説教とかって感じかも・・・
ご本人は気分よく喋っているんだろーけど、強制的に聞かされる方としては、たまったもんじゃないんですよね・・・
「そんな時間があったら、仕事させてくれよー!!」って言いたくなっちゃいますよ・・・
残業になる度に、ため息をついていますよ・・・
給料もらっているから、これも仕事の内と思って我慢して聞いていますけどね・・・
考えようによっては、話を聞くだけで給料をもらえるんだったらラクと言えばラクですし・・・
でも、眠くてたまらないので、睡魔との闘いになっちゃうんですよね・・・
本当はコッソリと仕事をしたいんですけど、バレたらヤバイですからできませんしね・・・
会議とかって、一方的に一人の人が喋るようなもんじゃないと思うんですけどね・・・
本来なら会議だって組織のうちのはずなんですから、もっと組織でしかできないことをやればいいのになーって、内心いつも思っていますよ・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Gさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
全部が全部無駄とか、何もかも意味がないとまでは言いませんけど、もうイヤになっちゃいますよ・・・
だって、会議とゆーよりは、発表会に近いって感じのが多いんですよね・・・
こんなのをわざわざ会議してやる必要って、あるんだろーか???って思っちゃいますよ・・・
誰かが発表するとしますよね。
で、プレゼンテーション後に、どこが良かったとかどこが悪かったとかって評価をもらうんですけど、これって会議と言えるんだろーか???って思っちゃうんですよね・・・
自分が発表する順番が回って来るまでは、みんな必死で準備をしているから、発表者の話なんて聞いてないし・・・
発表が終わった人は、自分の仕事をコッソリやるか、無事に発表が済んでひと安心して寝ているかしているかって感じだから、発表中の人の話なんて聞いてないし・・・
どっちにしたって、自分が担当している仕事以外の発表を聞いても意味不明だし・・・
何を言っているかわからないし、理解もできないから、興味も持てないし・・・
なーんか、みんなバラバラって感じなんですよね・・・
こーゆー会議って、やる意味あるんでしょーかね・・・???
ってゆーか、そもそも組織って言えるんでしょーかね・・・???
組織とは言えない状態なのに、会議をやる意味ってあるんでしょーかね・・・???
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Hさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
何がイヤって、つるし上げ的な会議が多いってことなんですよ・・・
特にノルマが達成できていなかった場合は、本当に苦痛で苦痛でたまりませんよ・・・
だって、責められるってのがわかっているんですから・・・
必死で言い訳を考えて、準備しておくしかないんですけどね・・・
自分が責められるのもイヤなんですけど、責められている人を見るのもイヤなんですよね・・・
かばいたくてもかばえないし、かばったら今度は自分が被害に遭いそうだし・・・
会議という名の、パワハラとか精神的な集団リンチとかの場って面もあるかも・・・
そもそもの話、ノルマが達成できなかった人を責めたところで、何も解決しないと思うんですよね・・・
それで解決するんだったら、ここまで業績が悪化することはなかったと思いますし・・・
逆に言うと、こんなことやってるから、業績が悪化の一途をたどるばかりになっているようにも感じちゃうんですよね・・・
そういう意味も含めて、ホントに無駄だよなーって思っちゃいますよ・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Iさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
何もかも意味がないとまでは言いませんけど、もうイヤになっちゃいますよ・・・
だって、会議とかをやったところで、ロクに何も決まらないに等しいんですよ・・・
意思決定がなされていない会議とかって、やる意味があるんでしょーか?
それぞれの部門が、それぞれの部門の利益を主張するばっかで平行線になっちゃって全然先に進まないことも多いし・・・
まさに、泥沼って感じになっちゃうことも多いし・・・
すったもんだの末に、声のでかい人のひと言で、ナントカ決まったとしますよね・・・
でも、決まったとしても、結局のところ実行されないんですよ・・・
内向きってゆーか、何とゆーか・・・
そんな風になっちゃう気持ちもわからなくはないんですけど、なーんか肝心要の視点が抜け落ちているように感じちゃうんですよね・・・
そもそもの話、どーゆー基準に基づいて誰が決断して、誰が実行するのかすら曖昧なようにも感じていますし・・・
何かあった時には、誰がどう責任を取るのかも曖昧なようにも感じていますし・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Jさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
ウチの場合、わざわざ会議とかをやる意味があるの???って感じなんですよ・・・
だって、最初から結論ありきなんですから・・・
出来レースって感じなんですから・・・
会議とかで、みんなで話し合って決めようって感じじゃーないんですよね・・・
前もって、根回しとかをやってる人も多いし・・・
本当は優先順位が高いもののハズなのに、わざと先延ばしにしたり後回しにしたりするコトもあるし・・・
そのせいなのか、会議とかで議題に挙がって来ている段階では、反対意見も出ませんし・・・
ってか、根回しされちゃっていて、結論がもう決まっちゃってるんだから、反対できる雰囲気じゃーありませんしね・・・
「一方的に決めたんじゃーないから」
「会議とかをやって、みんなで決めたんだから」
って、アリバイ的な位置づけになっちゃってるようにも感じるんですよね・・・
こんな会議とかって、民主主義的とは到底言えないんじゃないのかな?とも感じるんですよ・・・だから、陰で批判したり非難したりする人が多いのかも?
だから、当事者意識も持てなければ、危機感も持てないのかも?って感じることもよくあるんですよ・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Kさんの声
ウチの会社でやっている会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類って、無駄がめちゃくちゃ多いんですよね・・・
だって、何のために会議をやっているのか、よくわからないんですよ・・・
誰のために会議をやっているのかよくわからないんですよ・・・
口先では、「お客様第一」とか「お客様のため」とかって言ってますよ・・・
「付加価値の向上がどーの」とか、「生産性の向上がどーの」とか、「成果がどーの」とか、「組織力の向上がどーの」とかって言っていますけどね・・・
でも、コレって単なるスローガンとかキャッチコピーとかみたいになっちゃっているように感じることもあるんですよね・・・
それも、言っている側もよくわかっていなければ、聞いている側もよくわかっていないって感じだし、ポエム化しちゃっているって感じだし・・・
会議とかで話している内容を聞いていると、ソレとコレとがどう関係するの???って、意味不明に感じることも多々あるんですよ・・・
つながって見えて来ないってゆーか、関連性が見えないってゆーか、何てゆーか・・・
ってゆーか、会議以前の話で、社内でのコンセンサスがきちんと取れていないように感じているんですよね・・・
付加価値にしても生産性にしても成果にしても、「組織力」にしても・・・
そもそもの話、付加価値って何?
何のための付加価値?
誰のための付加価値?
ってことをお互いに理解しないまま、何となく会議が進んでしまっているようなんですよ・・・
肝心なコトの話し合いをしないまま、方法論とか手段とかの細かい話に終始しているだけってゆーか・・・
だから、方法論ありき、手法ありきに陥っちゃうのかも?
だから、迷走しちゃうのかも?って思うんですよね・・・
経営方針とかがちゃんと腑に落ちていないのに、そーゆー方法論とか手段とかのレベルで、「この方法の方がいい」とか「その方法じゃダメだ」とかって議論ばっかして、迷走したり前に全然進まなかったりするのかも?って思うんですよね・・・
それで、どんなに時間をかけても何度やっても、何も決まらなかったり、決まっても実行されなかったりするんじゃないのかな~???
実行したところで、それが何のためになるのか?誰のためになるのか?そーゆーコトがよくわからないから、やろうって気になれないんじゃーないのかな~???
やったところで効果が見えないから、こんなのやるだけ無駄って思っちゃうんじゃーないのかな~???
って感じることもよくあるんですよ・・・
こーゆー会議とかをやっている状態じゃー、組織力の向上とか以前の話なのかもしれませんね・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
他にも例えばこんな声から・・・
会議や打ち合わせやミーティングって、いったい何なんだろーか?
会議を行ったり打ち合わせを行ったりミーティングを行ったりするのって、どーゆーことなんだろーか?
無駄な会議や打ち合わせやミーティングと感じてしまう原因って、いったい何なんだろーか?
意味のある会議や打ち合わせやミーティングと感じられる時って、どんな時なんだろーか?
無駄な会議や打ち合わせやミーティングと、意味のある会議や打ち合わせやミーティングとの違いって何なんだろーか?
無駄なのか意味があるのかって、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングを行うメリットやデメリットって何なんだろーか?
それは誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングって、どんな時に行う必要があるんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングって、どんな時には行う必要はないんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングを行うことって、目的なんだろーか?
それとも手段なんだろーか?
手段だとしたら、目的は何なんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングって、何のために行うんだろーか?
会議や打ち合わせやミーティングって、誰のために行うんだろーか?
などなども含めて考えてみるのはどーでしょう?
(о ̄∇ ̄)/
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Lさんの声
無駄な会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類が多いって、陰で文句を言っている人がいるみたいですね。
会議の時間が長いから無駄とか。
会議の回数が多いのが無駄とか。
じゃあ、どのぐらいの長さだったらいいんですか?
何回だったらいいんですか?
その長さと回数がいいと思う根拠は何なんですか?
長さと回数を減らしたら、無駄な会議じゃなくなるって思う根拠は何なんですか?
そもそもの話、会議をやることそのものは目的でも何でもないと思うんですけど・・・???
長さありきで決めるものでもなければ、回数ありきで決めるものでもないと思うんですけど・・・???
会議の長さとか会議の回数とかから考えるのって、手段の目的化に陥っていませんかね???
短い時間で、且つ、少ない回数の会議で最大の成果が出せるんだったら、そりゃーその方がいいですよね?
でも、短い時間だろーと長い時間だろーと、回数が少なかろーと多かろーと、成果が出せなかったら意味がないと思いませんか?
ってゆーか、文句を陰でただ言うだけじゃー、意味がないと思うんですよ。
無駄なら無駄、イヤならイヤ、文句があるなら文句を言うで別にいいと思います。
それも含めて、話し合えばいいんじゃないですか?
だって、会議の場なんですから。
でも、文句を言うだけ、言いっぱなしで誰かにナントカしてくれーって丸投げするのはどーなんでしょう?
イヤならイヤで、じゃあどーしたらいいかって考えないと、なーんにも変わらないと思うんですけど・・・???
そもそも、ナゼ会議の時間が長くなってしまうのか、どーして会議の回数が多くなってしまうのかを考えないと、何の解決にもつながらないと思うんですけど・・・???
どうして会議の時間が延びて会議の回数が増えるのかってゆーと、いい意見やいい提案やいいアイデアが出てこないからじゃないですか?
いい意見やいい提案やいいアイデアが出てこないと何も決めようがないから、会議の時間が延びたり何度も会議をしたりする羽目に陥るんじゃないですか?
逆に言うと、いい意見やいいアイデアがちゃんと出てくれば、会議の時間も短くて済むし、何度も何度も会議をやらなくて済むんじゃないですか?
生産性を上げるって、こーゆーことなんじゃーないですかね~???
そう考えて行くと、会議の時間が長いから生産性が上がらないとか、会議の回数が多いから生産性が向上しないとかってのも違うんじゃないですかね~???
どーなんでしょう?
どう思います?
ってなことを、忌憚なく本音で話し合える場にして行きたいと思いません?
そーゆー会議にして行く方が、陰でブツブツ文句を言っているよりよっぽど建設的だと思うんですけど・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Mさんの声
無駄な会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類が多いって、陰で文句を言っている人がいるみたいですね。
じゃあ聞きたいんですけど、どんな会議だったら無駄じゃないんでしょう?
どんな会議なら意味のある会議やいい会議で、どんな会議ならやりたいって思うんでしょう?
誤解のないように言っておきけど、文句を言うこと自体は別に構わないと思います。
誰にだって文句の一つや二つ言いたくなる時だってありますし、不平・不満を全く持っていない人なんて世の中にはいないと思いますし。
でも、陰で文句をただ言うだけ、ただ愚痴るだけってのはどーなんでしょう?
それじゃー、何の解決にもならないと思うんですけど・・・???
そう思ったので、会議に関して文句を言っているらしい人の何人かに会議をやってもらったんですよ。
コッチは何も言わないし文句も一切言わないから、自分がいいと思う会議、無駄じゃないと思う会議、自分がやりたいと思っている会議をやってみてよって。
そしたら、ほとんどの人が「私にはできません」って断っちゃうんですよね・・・、コレが・・・
おエライさんがずらりと並んでいる経営会議でやれって言っているわけじゃーないんですよ。
上司と部下の少人数のミーティングとかでやってみたら?って言っているんですよ。
文句があるんだから、自分がやってみたいと思っているように思う存分やってみたらいいと思うんですけど・・・
すごくいい機会だと思うんですけど、それでも断っちゃうんですよね・・・
うーん、何でなんでしょう???
文句を言いたいだけなんでしょーかね???
文句があるんだったら、代案ぐらいあると思うんですけど・・・???
自分だったらこうするとか、こうしたいとかってのがあると思うんですけど・・・???
それとも、誰かから文句を言われるのがイヤだからなんでしょーかね???
今まで文句を言う側だったのが、文句を言われる側になるのがイヤなんでしょーかね???
100%の人を満足させられることなんて、まずないと思うんですけど・・・???
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Nさんの声
無駄な会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類が多いって、陰で文句を言っている人がいるみたいですね。
誰かが一方的に話すだけの会議だから無駄だとか。
一人が話しているだけの会議だから無駄だとか。
出来レースで結論ありきの会議だから無駄だとか。
そもそも、誰かが一方的にどーして話す羽目に陥ってしまうんでしょう?
誰か一人が話すだけの状態になっちゃっているんでしょう?
どーして、出来レースで結論ありきの状態になっちゃっているんでしょう?
意見やアイデアを出すように促しても、全然出てこないからですよね?
「○○についてどう思いますか?」とか「△△について意見を出してください」とか「こう決めちゃってもいいですか?」などと言っても、みんな下を向いて黙り込むだけで、なーんにも意見やアイデアを出そうとしてくれませんよね?
だから、いつも同じ人が話すしかなくなっちゃうんじゃないですか・・・
いつも同じ人からの意見やアイデアしか聞こえてこないんじゃないですか・・・
意見を言いたければ言えばいいし、イヤなら何がどうイヤなのか言えばいいし、反論があるのなら反論すればいいじゃないですか。
会議の場なんだから、もっとこうしたいって提案すればいいじゃないですか。
たとえダメ元でも、アイデアを出してみればいいじゃないですか。
荒唐無稽で非現実に思えるような突飛なアイデアであったとしても、全然構わないじゃないですか。
多様な意見やアイデアがあるからこそ、いろんな考え方があるからこそ、世の中面白いんじゃないですか。
不平・不満があるからこそ、新しい製品やサービスが生まれるんじゃないですか。
それもせず、しようともせず、陰でコソコソ文句だけ言うって何でなんでしょう?
不平・不満を持つのって人間にしかできないことでもあるのに、せっかくの会議の場なのに、もったいなくないですか?
陰で文句が言えるのに、どーして会議の場で堂々と言わないんでしょう?
ものすごーく不思議なんですけど・・・???
じゃあ、何かテーマを決めて順番に発表するようにしたら、イヤでも発言せざるを得ないし、もしかしたら意見やアイデアも出しやすくなるのでは?と思って試しに提案してみたんですよ。
で、実際にやってみたら、そしたらまた陰で文句を言っているみたいですし・・・
仕事が忙しいとか、準備が面倒くさいとか、評価されるのがイヤだとか、人前でしゃべるのが恥ずかしいとか・・・
ヘンな提案をしやがってって、怒られたこともあるし・・・
これじゃー、何のために会議をやっているのかわかりませんよね・・・
会議以前の話で、コミュニケーションすら取れていない状況なんですから・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Oさんの声
無駄な会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類が多いって、陰で文句を言っている人がいるみたいですね。
会議の準備をする時間が無駄とか面倒くさいとか、会議用の資料を作成するのが無駄とか面倒くさいとかって、文句を言っている人もいるみたいですね。
こんなことで文句を言っているなんて、めちゃくちゃ驚いちゃいましたよ。
そーゆー人って、リストラされたいのかな~???って・・・
自分で自分のクビを絞めたいのかな~???って・・・
仮に、会議の準備をする仕事や会議資料作成をする仕事を全部なくしてしまったとしますよね。 IT(ICT)をうまく活用するとかして、リアルタイムでいつでもどこからでも最新のデータをパソコン上で見られるようにしたとしますよね。
そしたら、会議準備や会議資料作成の仕事そのものがなくなるから、その仕事をやっている人はいらなくなっちゃうと思いません?
そーゆー人を採用する必要もなくなるし、その分の手間隙も人件費も必要なくなっちゃうし、経費削減にもなるんですよねー。
いっそのこと、そうしちゃった方がいいんですかね~???
そーゆー文句があるのなら、いい機会とも言えるでしょーし。
それでなくても、この先、AI(人工知能)の技術がさらに進むでしょーしねー。
企業側も人間にしかできないことをやって行かないと差別化もできないし、生き残れなくなっちゃうでしょーし。
こんな風に考えると、会議って結構大事なのかもしれませんね。
人間にしかできないことの一つでもあるでしょーし。
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Pさんの声
無駄な会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類が多いって、陰で文句を言っている人がいるみたいですね。
報連相ばっかだからイヤとか。
今はIT(ICT)の時代なんだし、SNSや電子掲示板なんかを活用して連絡事項や報告事項を掲載すればいいから、会議なんてわざわざやらなくてもいいとか。
でも、それってどーなんだろ~???
それでちゃんと伝わるのかな~???
って、思っちゃうんですよ。
いやなに、社内掲示板を物理的に設置したり、紙ベースの社内報をつくったりして、連絡事項や報告事項や通達しているんですけどね。
でもそれで連絡事項や報告事項を従業員がちゃんと見てくれているかってゆーと、ほとんど見てくれていなかったんですよね。
え゛!?そんな話、聞いていない、知らないし!
おいおい、そんなのいつ決まった!?勝手に決めるなよ!
って、文句言われちゃうし。
目の前に物理的なモノがあっても、そーゆー状態なんですよ・・・
物理的な社内掲示板とか紙ベースの社内報とかだったら誰でも見ようと思えばすぐに見られるし、目を通すのにパソコンができなきゃいけないってわけじゃありませんよね。
そんな状態なのに、目の前に物理的なモノがないSNSや電子掲示板なんかで、ちゃんと目を通してもらえるとはとても思えませんよね。
ちゃんと目を通してくれるのなら、IT(ICT)を活用してもいいとは思うんですけど、IT化しても誰も見ない、使わないって状況になりそうだし、投資対効果も低すぎますし。
そんな状態だから、会議や朝礼などの場でも連絡事項や報告事項も伝えるようにしているんですけどね。
情報共有をしてからでないと、話し合いにならないこともありますし。
無駄な時間と言えば無駄な時間かもしれませんけど、全く伝わっていないよりはずっとマシですし。
連絡事項や報告事項を決定しちゃう前に、意見も文句も会議の場で聞けますしね。
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Qさんの声
無駄な会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類が多いって、陰で文句を言っている人がいるみたいですね。
会議なんか全部なくしてしまえー!!って言っている人までいるみたいですね。
うーん・・・、気持ちはわからなくもないんですけどね・・・
でも、会議を全部なくしちゃってもいいものなんですかね?
会議も何もやらずに、誰にも何も相談せずに、経営者が一人で独断で決めちゃってもいいんですかね?
「こう決めたから」って、従業員に一方的に通知するだけでもいいんですかね?
「もう決まったことだから」「こーゆー方針だから」って、従業員の意見を全く聞かずに社長一人で何でもかんでも勝手に決めちゃってもいいんですかね?
「言われたとおりにやれ」「イヤなら辞めろ」って雰囲気で、従業員には有無を言わせず反論の余地も与えず、まるでロボットに命令するかのごとく強制的に命令しちゃってもいいんですかね?
従業員のことを考えてくれているワンマン社長だったら、それでもうまく行くかもしれませんけど・・・
でも、どこかの国の独裁者みたいなワンマン社長だったとしたら、恐ろしくないですか?
社長が暴走しちゃったとしても、止めるどころか知る機会すらなくなっちゃうのかも!?って思うんですけど・・・
コンプライアンス違反に手を染めていたとしても、何も知らされないまま、反論も許されないまま、片棒を担がされちゃう可能性もあるのかも!?って思うんですけど・・・
そんな社長にはなりたくないし、そんな会社には絶対にしたくないから、会議をしているんですけど・・・
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Rさんの声
無駄な会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類が多いよなー!!
会議なんか全部なくしてしまえー!!
って言っている従業員があまりにも多かったから、そんなに不平・不満が多いんだったら、会議の類を試しに全部なくしてみようか?ってことになったんですよ。
最初のうちは、みんな結構喜んでいたんですけどね。
会議に時間を取られなくて済むから、これでようやく自分の仕事に専念できるし。
残業も減らせるし、生産性も向上できるって。
だけど、しばらくしたらまた新たな不平・不満が出て来ちゃったんです。
どんな不平・不満だったのかとゆーと、
「え゛!?そんなの聞いてないし!」
「勝手に決められても困るし!」
って感じでしょーか。
そんなの会議の類をやっていても、出てくる不平・不満だって思う人もいるかもしれません。
だけど、ウチの場合は、この状態がさらにひどくなってしまったんですよ。
他にもいろいろと不平・不満が噴出してしまいました。
会議をやっていた頃の方が、はるかにマシだったのでは?ってぐらいに。
それも、あちらこちらの部署で。
言った言わないもさらに増えちゃったし、お互いに疑心暗鬼になっちゃったり不信感が募ったりして、会社全体がめちゃくちゃギスギスしてしまいましたよ。
そのせいか、組織として仕事をしているって感じじゃーなくなっちゃったんです。
同じ場所で仕事をしてはいるものの、それぞれがバラバラに目の前の作業をただこなしているだけってゆーか。
そうなると当然のことながら、生産性も低下しちゃいますよね。
属人化もさらにひどくなりましたし、たった一人が会社を辞めただけでも、見事にガタガタになっちゃいましたし、セクショナリズムまで発生してしまいましたし。
これだけだったら、まだ内輪の話で済むかもしれません。
社内だけの問題で終わっていたのかもしれません。
だけど、ウチの会社の場合、致命的で超サイアクだったのは、取引先に多大なる迷惑をかけてしまったことだったんです。
会議の類をなくしたことによって、取引先に迷惑をかけてしまったり、生産性が低下しちゃったり、コミュニケーション不足がますますひどくなったり、組織が組織とは言えない状態になっちゃったりするとは思いもしませんでしたよ。
こんなことになるんだったら、会議の類をなくさない方が良かったですよね。
だけど、これほど広範囲に影響が出てしまうなんて、会議の類をなくす前には予想もできなかったのも事実なんですよね。
そーゆー意味で言うと、会議の類をなくしたからこそ初めて気づかされたことなんですよね。
思い切って会議の類を試しになくしてみなければ、気づかなかったことなんだと思います。
そんなわけで結局、会議の類をほどなくして復活させたんですけどね。
と言っても、以前と同じような会議ではなくなりましたけど。
それに、会議の類を復活したからと言って、前のようにはすぐに元には戻らなかったんです。
良くも悪くも。
特に、一度壊れてしまったものについては、元に戻るまでのにはものすごーく時間がかかりましたよ。
こんなに苦労するんだったら、会議の類をやめてみなきゃ良かったのかも?ってちょっと後悔したぐらいに。
失敗から学ぶとは、まさにこのことなのかもしれませんね。
会議の類をやめるのにはリスクが伴うのも事実だとは思いますけど、会議の類に関して不平・不満がたくさんあるのなら、試しに思い切ってなくしてみるのも手なのかもしれませんよね。
会社の本当の問題とか課題とかも見てくるかもしれませんし。
本当に必要な組織の改革って何なのか?とかも見えてくるかもしれませんし。
雨降って地固まるとも言いますし。
失敗から学ぶこともできるでしょーし。
そしたら、会議がなければどーなるのか身をもって体験することになるでしょーし。
会議がなければ、どこにどんな影響が出て誰がどう困るのかも実感できるでしょーし。
どんなに会議嫌いな人であっても、会議の良い面とか必要性とかが見えて来るかもしれないでしょーしね。
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?
Sさんの声
無駄な会議やら打ち合わせやらミーティングやらの類が多いって、陰で文句を言っている人がいるみたいですね。
無駄な会議だからって理由で、居眠りしちゃう人とかもよく見かけるし。
無駄な会議だからって理由で、内職やっちゃう人とかもよく見かけるし。
無駄な会議だからって理由で、遅れて参加したり途中退出したりする人とかもよく見かけるし。
これって、どーなんだろ~???
って、個人的には感じちゃうんですけど・・・
いや別に、居眠りや内職そのものが悪いとは思っていないんですよ。
マジメとかマジメじゃないとか、やる気があるとかないとか、危機感や当事者意識があるとかないとかって話でもなくて。
つまらない会議だったら睡魔との闘いで居眠りしたくなっちゃうこともあるだろーし、自分が参加していても参加していなくてもあまり意味がないと感じる会議だったら内職したくもなるだろーし、遅れて参加したり途中退出したりしたくもなるだろーしと思いますし。
でも、居眠りとか内職とかって、一人でもできることじゃないですか?
それに対して、会議って一人じゃできないことをやるものじゃないんですか?
一人じゃできないから、組織で仕事をしているんじゃないんですか?
一人じゃできないから組織をつくって、みんなで協力し合って助け合いながら仕事をしているんじゃないんですか?
組織って、いったい何なんでしょうね???
うちの会社でやっている会議って、組織って言えるんでしょうかね???
ってか、うちの会社組織って、組織って言えるんでしょうかね???
なーんかうちの会社の状況って、会議が全て物語っていますよね・・・
もしも外部の人間がうちの会社の会議を見たら、どんな会社でどんな組織風土なのかすぐにわかっちゃうってゆーか・・・
陰で文句を言っているところとか・・・
つまらないってはっきり言えないところとか・・・
いてもいなくても同じって感じちゃうところとか・・・
居眠りや内職なんかも含めて・・・
あ、でも、逆にこうも思うんですよ。
うちの会社を変えるには、まずは会議から変えて行かないと何も始まらないのかも!?
会議がもしも変わったら組織も変わって、うちの会社も変わるのかも!?って。
会議が変わることで、組織力の強化や向上にもつながるのかも!?って。
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?(パート3)
んでー・・・
意外と盲点になっていることとか、灯台下暗しになっていることもある
かもしれないので、ちょっと視点を変えて、例えばこんなのからも考えてみるのはでーでしょう?
(。・ω・)b
組織文化を理解したいなら、会議に出るに限る
■ 「出現する未来」
組織を「全体」からみるのは難しいと思うかもしれないが、自分たちがつくり出している文化にもっと目を向け、好奇心を持つことが第一歩となる。
組織文化を理解したいなら、会議に出るに限る。
誰が発言し、誰が発言していないのか、誰の話が聞かれ、誰の話が聞かれていないのか、どの話題が取り上げられたか、どれが無視されたり笑いものにされたりしているかは、その組織の実態を知るうえで有力な手がかりとなる。
こうした手がかりは、自分自身の反応に注意すると、いっそう「本物」になる。
企業理念や信条を読むよりも、注意深く観察し、自分の反応を見ながらその場に立ち会う方が、企業文化についてはるかに多くのことが学べる。
人は誰もが、自分が所属する文化を、自己のなかに取り込んでいる。
そうでなければ文化は存在していないことになる。
人間が瞬間、瞬間に体現してこそ、文化になるからだ。
自分たちが働き、生活している組織全体を内側から眺める能力を磨くことができる。
いつも出席する会議の場で、会議の「外的な」ダイナミクスに注意するとともに、自分の考えや感情にも注意していると、多くのことが学べる。
会議が終わった時、気持ちが動いた出来事を思い出してみる。
その出来事が起きた時、自分がどう感じ、何を考えたのか、想像力を駆使して再現してみる。
これを何度か繰り返せば、自分自身について、そして組織について多くのことがわかるようになる。
どこが安全だと感じ、どこに不安を感じているか。
どこで自分の意見が否定され、どこで全体の動きに同調したか。
どこで気が散り、どこに熱心だったか。
つぎに、他の参加者の立場を想像する。
自分と似ているのはどこで、違っているのはどこか。
何人かの参加者の立場になってみる。
このように視点を変えると他の人の気持ちや考えがわかるように思えるが、実際には想像力を駆使して、自分自身の気持ちや考えの微妙な部分を探っているのである。
想像力を働かせる、というこのプロセスを重ね、会議以外の場面でも応用すれば、組織の文化を生きた現象として感じとれるようになる。
そして、自分自身がこのプロセスの一部であり、積極的なエージェントとして、「組織文化」をつくり出していると考えるようになる。
「自分の行動、考え方、感じ方のどこが、このパターンを維持しているのか」と真剣に問えば、多くの点で、自分が役割を演じていることがわかり、やり方を変える選択肢が見えてくるだろう。
自分自身が問題を生み出していると自覚しないかぎり、根本的な変化は起こらない。
日本の組織にムダな会議が多い理由とは?
■ 「「すみません」の国 」
個人的なコミュニケーションのみならず、ホンネが出にくいのは会議でも同じだ。
「今日は、この議案が出るけど、こんなのが通ったらとんでもないことになるなあ」
「ほんとにそうですね。何でこんな案が出てきたんでしょうね」
「よくわかりませんね。上層部の考えることは」
などと言っていたので、てっきりみんな反対するものと思った。
会議が始まって、ついにその議案になり、意見を求められたときに反対意見を述べた。
ところが、他の人たちはみんな、「とくにありません」と言うだけで、誰ひとりとして反対意見を述べなかったのだった。
当然のことだが、その議案は何の問題もなく通った。
参加者の大多数が反対している議案がほぼ全員一致で決まる会議のあり方に対しては、どうしても違和感を拭うことができない。
「あなたの言うことは正論だからムカつくのよ!」
組織の上層部の方針は間違っているということで、みんなで気炎を揚げても、それを真に受けて会議で主張したりすると、とんでもない目に遭う。
みんなで架けたハシゴを使って屋根に上り、天に向かって叫んでいると、気がついたら自分だけ。
いつの間にかハシゴは外され、みんなは地面にひれ伏している。
正論を振りかざす人は、自然に「場」から浮いてしまう。
みんなの「和」を乱すとして、敬遠される。
なぜ日本では正論を述べる人は排除されるのか。
それは、正論というのは有無を言わさぬ説得力をもち、違う意見をもつ人たちの面目を潰してしまうからだ。
日本的コミュニケーションでは、意見や感受性の違いが際立たないように、曖昧な部分を残しておく必要がある。
ぼかした表現を用い、意見の異なる人に対しても、正面切って反論したりはしない。
すべては「場」の雰囲気を良好に保つため、そして関係者同士の人間関係を良好に保つためである。
こうしたコミュニケーションの原則は、会社などの会議の場にも、子どもの保護者会での意見交換の場にも、どんな場にもほぼ例外なく当てはまる。
正論というのは、他の意見を退けてしまうような圧倒的な力をもち、見当違いな意見を述べた人の面子を潰してしまう。
それゆえに、正論を述べる人は敬遠されるのである。
日本社会に適応するには、言葉の背後にある思いを察することが求められる。
言葉そのものではなく、その人の表情や言い方のニュアンス、その場の状況などにも注意を払わなければならない。
日本的コミュニケーションはじつにややこしい。
事実や意見をできるだけ正確に伝えようとする欧米人に対して、私たち日本人は、これを伝えたら相手はどんな気持ちになるかを気にして、言うべきことや言い方を調整する。
正確さを伴う説明責任よりも、気持ちや関係性を重視するのだ。
欧米社会においては、コミュニケーションは自分の意見や思いを相手にできるだけ正確に伝えるための手段であり、はっきりと言葉で伝えることで説得しようとする。
自分の意見や思いをストレートに押し出す。
それがコミュニケーションの役割だ。
したがって、対立意見を闘わせるディベートが盛んに行われる。
これに対して、日本社会においては、コミュニケーションは良好な関係を保つための手段であり、自分の意見や思いを正確にわかってもらおうという意思は乏しい。
説得しようとしているわけでもない。
お互いの対立点をぼかして、「何となくいい感じ」の雰囲気を醸し出そうと努力する。
自己主張ではなく、お互いの気持ちを結びつけるのがコミュニケーションの最も重要な役割となっている。
いわゆる「和」の雰囲気を醸し出すのがコミュニケーションの目的となる。
自己主張をして相手を説得しようという動機の乏しい日本的コミュニケーションでは、自分の意思の伝達よりも相手の出方を窺うのが中心となる。 相手の出方を確かめることで、相手と自分がほどほどに納得できるような着地点を見つけようとする。
このような文化的伝統を踏まえてみれば、私たち日本人が自己主張をうまくできず、議論が下手なのは、当然のことと言わざるを得ない。
相手の出方ばかりを気にしていて、主体性がないとか、自分がないとか批判されるが、それも仕方のないことなのだ。
日本の組織には、一見ムダな会議が多いものだ。
目の前に処理しなければならない案件がたくさんあり、すぐにでも自分の机に駆け戻りたいのに、会議室で何時間もああでもないこうでもないと話し合いが続く。
しかも、結論に向かって効率よく進行するような議論ではなく、行きつ戻りつの非能率的で焦点のぼやけた議論になりがちである。
このようなムダにしか思えないコミュニケーションにも、じつはみんなに気持ちを吐き出させ、満足感を与えて一体感を醸し出すという意味があるのだ。
その場に良好な雰囲気が醸し出されると、それを壊さないようにとの意識が働き、波風立てるような自己主張はしにくくなる。
できるかぎりみんなが適度に譲歩し合い、納得できるような落としどころに向かうことになる。
だが、ときに上位者から強引な提案があり、反対して雰囲気を壊すのをみんなが恐れて躊躇する間隙を縫って、それが通ってしまうこともある。
日本的な会議で理不尽な提案が通るときにありがちな構図と言える。
いずれにしても日本的コミュニケーションの場では、理屈で押し通すというのは得策とは言えない。
気持ちをつなげ、一体感醸し出すことで、こちらの理屈が通りやすい雰囲気がつくられる。
そのための情緒的コミュニケーションは、本題とは関係のない雑談にすぎないが、けっしてムダではなく、むしろ説得のために必要不可欠な要素なのである。
食事しながら、あるいはアルコールを飲みながらの非公式のコミュニケーションが盛んに用いられるのも、情緒的コミュニケーションによって理屈が通りやすい間柄を形成するためと言える。
だが、国際的な場では、このような態度は誤解を招きかねない。
会議に見られる日本の特殊性
■ 「採用基準」
「それはどこで決まったのか」という問いと、「○○会議で決まった」という回答が有り得ることは、日本における「決める」という行為の特殊性をよく表しています。
決めたのは場所ではなく、人のはずです。
誰かがその会議において決めたはずです。
しかし私たちは決めた人をあえて曖昧にするために、「会議で決まった」という言い方をするのです。
決めることができないのは、責任をとるのが怖いからでしょう。
決断を下す人には、常に結果責任が問われます。
それが怖い人はいつまでも決断を引き延ばします。
そして彼らが決断をしない理由(言い訳)はいつも同じです。
それは、「十分な検討時間がなかった」と、「必要な情報が揃っていない」のふたつです。
しかし過去のことならともかく、未来のことに関して十分な情報が揃うことはありません。
無駄を全部排除したら、イノベーションも全部排除されてしまう
■ 「経営の未来」
効率を追求するなかで、企業は業務から多くの無駄をそぎ落としてきた。
れ自体は、もちろん悪いことではない。
だが、問題は、会社から無駄を全部排除したら、イノベーションも全部排除されてしまうことだ。
イノベーションには時間が必要だ。
来る日も来る日も電子メールやボイスメールがどっと押し寄せるし、次から次へと会議がある。
このような世界では、「対応する」必要性が人間の関心を細切れにしてしまうので、じっくり考える時間はまったくない。
問題はまさにそこにある。
あなたの会社は、社員が自分の中核的な職務にはあまり関係のないアイデアにどれくらいの時間を充てているか、調べているだろうか。
「無駄」が、コスト効率と同じように制度化されているだろうか。
これらの問いに対する答えは、おそらく「いいえ」だろう。
あなたの会社には、社員を忙しくさせておくインセンティブがたくさんある。
(「私が全力で働いているように見えれば、会社は私の仕事をオフショアリングしないのではないか」というような)
しかし、未来を静かに思い描く時間をとることを促すインセンティブは、いったいどこにあるだろう。
多すぎる管理と少なすぎる自由は社員の自主性を奪い、イノベーションに充てる時間やエネルギーがほとんど残らないようにする。
会議では数字が絶対的なものとして扱われるが・・・
■ 「「応援したくなる企業」の時代」
会議の席で「合理的な判断」「いちばん合理的な方法」などといい表されるときには、客観性があり、理にかなっていることを意味するが、ビジネスに確実性が求められる以上、行動に裏づけは欠かせない。
しかし、本当に数字が「理にかなっている」のかというと、じつはそうともいいきれない。
マーケティングの世界で、もっともよく用いられる数字といえば、おそらく調査データだ。
が、もはや、生活者にニーズを問いかけても、なんの手がかりも得られないという状況が出来つつある。
最大の原因は、生活者たちが「自分が欲しているものを自覚していない」ことにあり、そのため、調査データそのものの信憑性が薄れている。
人間は頭のなかにあることのうちの5%程度しか言語化できず、残りの95%は無意識下に置かれたままになっているという。
自分の意識をすべて自覚しているわけではなく、日常的な行動のほとんどが、深層意識の中で無自覚のままおこなわれているのである。
「ニーズ」も例外ではない。
95%は無意識、つまり自覚されていない。
表面的な要望を聞き取るような調査を何度重ねても、新しい手がかりがほとんど得られないのも当然だ。
既存の定量調査などから導かれた数字データでは、本当に必要な本質的なニーズに切り込むことは難しいのである。
それなのに、会議の席などでは、こうしたかならずしも信頼性が高いとはいえない調査から導かれた数字や、言語で明示されたことを根拠にした判断が絶対的なものとして扱われる。
「なんとなく」とか、「そんな気がする」といった感覚的な意見はとてもいい出せない。
そこに95%の真実が隠されているかもしれないのに、だ。
もともと数字というものは、見えにくいものを単純化してわかりやすくする目的で用いられていたのだ。
だが、問題はそこからそぎ落とされてしまうものもある。
数字には、測定できるものしか表現されない。
そのため、扱いやすくはなるものの、視点が一面的になってしまいがちなのである。
民主主義は、おそろしく面倒くさくて、うんざりするシステム
■ 「ヒーローを待っていても世界は変わらない」
私には私の意見があり、別の人には別の意見がある。
それが当たり前です。
逆にそうでなければ気持ち悪い。
みんなが同じ意見を持っているような社会は、自由な社会とは言えないでしょう。
だから、異なる意見を闘わせ、意見交換や議論をする中で、お互いの意見を調整することが必要となります。
夫婦や親子のような親しい間柄でも、自分の意見や意向だけを一方的に主張し、「おれの言うことを聞かないおまえが悪い」と言い続けていたら合意形成に至らないことは、誰もが経験していることだと思います。
国レベルでも同様で、自国の言いたいことだけ言い合っていたら、すぐに戦争です。
そうならないための技術として「外交」があります。
しかしそれは面倒なことでもあります。
世の中には、物事をすぐに「決めつける」人も、何度言ってもこちらを理解しようとしない「わからず屋」も、たくさんいます。
そしてお互いに、自分は柔軟で、異なる意見を受け容れる力を持っているが、相手こそが「決めつける人」で「わからず屋」だと思っています。
しかしそれでも、誰かに任せるのではなく、自分たちで引き受けて、それを調整して合意形成していこうというのが、民主主義というシステムです。
したがって民主主義というのは、まず何よりも、おそろしく面倒くさくて、うんざりするシステムだということを、みんなが認識する必要があると思います。
面倒くさくて、うんざりして、そのうえ疲れるシステムである以上、投げ出したくなるのは人情です。
自分で他人と調整するのは大変です。
誰かがその面倒くさい作業を担ってくれたほうが楽です。
その場合、私たちには「民主主義を放棄する」という選択肢があります。
王制なら王様が決めてくれます。
その代わり、その面倒で疲れることを引き受けて調整して決めてくれた人たちの決定には黙って従います、という選択です。
このとき大切なことは、調整責任と決定の権限はセットということだ、と考えています。
なるべく自分たちで決めたければ(決定権限を持ちたければ)、自分たちで調整責任を背負わないといけない。
調整責任を委ねるならば、決定の権限も委ね、それには従わなければならない。
調整は面倒くさいから嫌だ、しかし決定はさせろというのは、実際問題として成り立たない。
自分たちは要求はする、しかし調整はしないという態度は、結局、
「誰かが調整してくれ」
「ただし、自分の要求を通すように」
と言っていることと変わりません。
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?(パート4)
んでもって・・・、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、例えばこんなのからも念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
( ´ ▽ ` )ノ
会議とは?
○ コトバンク
関係者が集まって相談をし、物事を決定すること。
また、その集まり。
○ ウィキペディア
会議は、関係者が集まり、特定の目的(議題)に関して意見交換・審議し、合意・施策などの意思決定をすること、およびその物理的構成員の集まりを意味する。
また、「会議」には、それらの集まりを計画・管理・運営する組織の意味もある。
英語のmeeting(ミーティング)は集まり・協議を意味し、conference(カンファレンス)は協議および協議体を意味する。
会議は、組織において、最も重要な人間と人間との間の意思を伝達する手段である。
特に民主主義を標榜する集団に於いては、議決機関である国家や企業は常に会議の形を取り、多数で相談の上で決定する。
ただし、国家や企業のトップが独裁的な場合には、単に形式だけの会議が行われて提出された議案が承認される、という建前に使われる場合もある。
ミーティングとは?
○ goo辞書
比較的少人数の集会。
会合。
打ち合わせとは?
○ コトバンク
前もって相談すること。
下相談。
相談とは?
○ コトバンク
問題解決のために話し合ったり、他人の意見を聞いたりすること。
また、その話し合い。
話し合いとは?(話し合うとは?)
○ コトバンク
- 互いに話す。打ち解けて話す。語り合う
- 問題を解決するために、立場・考えなどを述べ合う
会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?(パート5)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「げっ・・・、マジでぇぇぇ!? ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「てっきり会議だけの問題だとばかり思っていたけど、実はウチの会社全体の問題だったってコトなのかも!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
「ってゆーか、ウチの場合、会議も打ち合わせもミーティングも、そして部署も会社全体も実は、組織とは言えない状態だったのかも!? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ワンマン経営ではないからこそ、会議ってもんがやっぱり必要なのかも? ( ̄○ ̄;) 」
「だよなー、独裁国家とかだったら、会議なんか最初から必要ないもんなー、有無を言わさず従え!って感じになっちゃうもんなー、意見を言うとか逆らうとかって選択肢なんて最初からないもんなー、逆らったらクビが即飛んじゃうもんなー 。゚(゚^o^゚)゚。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーいやー、会議とかって何のためにやるんだろ~??? (;゜∇゜) 」
「えーと・・・、会議とかって、そーいやー誰のためにやっているんだったっけ???会議をどうやればいいかとか何をどう改善すべきかとかの方法論ばかりの話になっていて、なーんか手段の目的化に陥っちゃっているような気が・・・ σ(^◇^;)。。。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そもそもの話、無駄って何だろ~??? ( ̄▽ ̄;)ゞ 」
「うーん・・・、どんな会議とかだったら効果があって、やる意味があるって言えるんだろ~???その判断基準って ??? ( ̄∧ ̄ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「とゆーより、そもそも組織って何だろ~???ウチの会社って何のために存在するんだろ~???誰のために存在するんだろ~??? ( ̄‥ ̄;) 」
「ウチの会社で言うところの組織の共通の目的って何なんだろ~???(; ̄ェ ̄)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ~、アレをこーして、コレをこーして~ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「そっかー、会議とかも含めて組織ってそーゆーコトだったんだ~っっ♪ ヽ(´ー`)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ああ・・・、また明日も会議があると思っただけで、うんざりしちゃうよ・・・ (o´д`o)=3 」
「会議のせいで、今日も残業決定だな・・・、こりゃー・・・ (´;ω;`) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーだそーだ!!こんなの時間の無駄としか言いようがないよー!!生産性もクソもないよー!!タイムマネジメントとか以前の状態だよー!! ( ノД`) 」
「もっと意味のある会議にすりゃーいいのにさー!!誰かナントカしてくれよー!! (;´Д`)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「会議とかなんて、いっそのコト全部なくしちゃえばいいんじゃーんっっ Ψ(゚∀゚)Ψ 」
「会議とかをやっても進まない、やらなくても進まないんだったら、やらない方がまだマシなんじゃねw ( ゜∀゜)アハハ八八 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「会議とかをやっても文句言うし、会議とかをやらなくても文句言うんじゃー、どーしろって言うのさ??? o( ̄_ ̄|||)o— 」
「そんなに愚痴ばっか言うんだったら、自分の力でもっと意味のある会議とやらにしてみろっつーの!! ヽ(*`Д´)ノ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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