「自律と自立の違いって何???自律型と自立型って何がどう違うんだろ~??? (;゜∇゜) 」
「自律型人材が正しいんだろーか???それとも自立型人材が正しいんだろーか??? ( ̄○ ̄;) 」
「自律型人材育成をやった方がいいんだろーか?それとも自立型人材育成をやった方がいいんだろーか??? (|||▽ ) 」
「自律型の組織の方がいいのかな~???それとも自立型の組織の方がいいのかな~???ってか、何がどう違うんだろ~??? ( ̄▽ ̄;) 」
「自律型人材を育成するいい方法って、なーんかないかな~??? (;´Д`)ノ 」
「自立型人材を育成するオススメのマニュアルって、なーんかないかな~??? o( ̄_ ̄|||)o—」
などなど、このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)
んでもって・・・
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「自律型人材育成」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
日本を含む世界各国の方々への、自律型人材育成のお手伝い経験があるからか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
コレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、自律って、いったい何なんだろーか?
自立って、いったい何なんだろーか?
自律 = 自分で考えることなんだろーか?
自立 = 自分で考えることなんだろーか?
自律と自立って、何がどう違うんだろーか?
自律型人材と自立型人材って、何がどう違うんだろーか?
自律型の組織と自立型の組織って、何がどう違うんだろーか?
何がどうできたら自律していると言えて、何ができなかったら自律しているとは言えないんだろーか?
何がどうできたら自立していると言えて、何ができなかったら自立しているとは言えないんだろーか?
それは、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
自律型人材を育成するメリットやデメリットって何だろーか?
自立型人材を育成するメリットやデメリットって何だろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
どんな状況だったら、自律的に考えて行動したくなるんだろーか?ならないんだろーか?
どんな状況だったら、自立的に考えて行動したくなるんだろーか?ならないんだろーか?
どんな時に自律型人材が必要で、どんな時には必要じゃないんだろーか?
どんな時に自立型人材が必要で、どんな時には必要じゃないんだろーか?
どんな組織だったら、自律型人材が育つんだろーか?育たないんだろーか?
どんな組織だったら、自立型人材が育つんだろーか?育たないんだろーか?
何のために、自律型人材や自立型人材や自分で考えて行動する人材が必要なんだろーか?
誰のために、自律型人材や自立型人材や自分で考えて行動する人材が必要なんだろーか?
何のために、人材育成を行うんだろーか?
誰のために、人材育成を行うんだろーか?
などなども含めて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/
自律と自立などの違いから気づくことって?(パート1)
んーと・・・、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、例えばこんなのからまずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・。)ノ
自律とは?
○ コトバンク
他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。
⇔ 他律
○ OK Wave
親や上司からあれこれ言われる前に、きちんとした生活態度や仕事振りを保つこと。
○ INSIGHT NOW!
・self-directing(自分で方向付けできる)
自力で立った後は、自分が決める方向に進んでいけるということ
・“律”とは、規範やルールのこと
つまり、自らの価値観を持って、そしてまた、組織全体の価値観との整合性を図りながら、目的と手段をつくり出し、進んでいける。
そして他にもはたらきかけることができる。
・意識的な自律をいう
○ 「自律」と「自立」を間違えてはいけない
自分を律することができる力。
他者のニーズを把握し、それとの調整をはかりながら、自分自身の行動のコントロールを行い、自らを律しながら、自己実現を図ることのできる人材。
他律とは?
○ コトバンク
自らの意志によらず、他からの命令、強制によって行動すること。
⇔ 自律
自立とは?
○ コトバンク
他への従属から離れて独り立ちすること。
他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
「精神的に―する」
○ OK Wave
親から仕送りをもらわないで、自分の給料で暮らしていくこと。
○ INSIGHT NOW!
・self-standing(自力で立つことのできる)
・他に依存しないで、自分でやっていける
・主に経済的自立、技能的自立をいう
○ All About
「自立」とは、「自律」と比べて自己満足に終わる可能性が高く、他者(会社・組織・上司・同僚・部下・取引先・クライアントetc.)のニーズを把握することもなく、自己研鑽することも無く、自分の気持ちをコントロールするスキルの修得も難しい状態のこと。
自分の意見を持ち、自己の意見を主張できる人材であるが、それは個人の単なる自己主張・満足で終わってしまう状態のこと。
「組織」で働くのに「他者のニーズ」を無視して仕事は絶対できません。
唯一芸術家のみが「自立」でも何とかなるかもしれません。
独立しても「取引先・クライアント」のニーズを無視して食えるほどの才能があればのみですが。
自立心とは?
○ コトバンク
他の力や支配を受けないで、自力で物事をやっていこうとする心構え。
自律と自立などの違いから気づくことって?(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「へぇー、自律と自立の違いってそーゆーコトだったんだ・・・!! w( ̄△ ̄)w 」
「そーかー・・・、ナールホドねぇー・・・、自律と自立の「律」か「立」かでこーんなに意味が違っちゃうんだねー 。゚(゚^o^゚)゚。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ん???じゃあ、ウチの会社で言っているジリツって自律のコトなんだろーか?それとも自立の意味で言っているんだろーか? (;´д`) 」
「結局のところ、ウチの会社では自律型人材が必要なんだろーか?それとも自立型人材が必要なんだろーか? (;・∀・) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってゆーか、自律型人材育成にしろ自立型人材育成にしろ、何のための人材育成なんだろ~???誰のための人材育成なんだろ~??? ( ̄ー ̄?)」
「そもそも人材育成って何のためにやるんだろ~???誰のためにやるんだろ~???顧客のためだとは思うんだけど、自社の顧客って誰のことなんだろ~??? σ( ̄∇ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
で、次に・・・
会社で言うところの自律型人材や自立型人材とは一見、全然関係しないように思えるかもしれないけど、視点が変われば気づくこともあるかもしれないので・・・
例えばこんなのを思い浮かべつつ、自律と自立の違いについて考えてみるのはどーでしょう?
o(*⌒O⌒)b
こーゆーのとかを他にも思い浮かべつつ自律と自立の違いについて考えてみると、何か気づくことってあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
(〃 ̄▽ ̄)o
自律と自立などの違いから気づくことって?(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自律と自立って、大違いじゃんかよ・・・ (; ̄Д ̄) 」
「だから自立型じゃなくて自律型って言うのかも・・・!? (@ ̄□ ̄@;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!やっぱよくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
で・・・
上記を踏まえた上で、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
違いを知ってこそ、現状の教育のあり方の問題点が浮き彫りになる
■ 「生きる力をつける ドイツ流子育てのすすめ」
家庭でも学校でも、ドイツの教育の目標は「大人になったら一人で生きていけること」である。
「自立した大人」になるために、教育をしているといっても過言ではない。
ドイツの教育現場の様子を読んで、疑問をもつ人も多いと思う。
しかし、ドイツのやり方は、将来自力で生きていくための方法・手段だと思っていただければ、ご理解いただけるかもしれない。
ドイツの「自立するための教育」に対して、日本は「まわりの人と仲良くすることを重んじる教育」である。
ドイツの場合は、まずは一人、個人であり、それから人との関係がある。
自立のための勉強をさせるドイツでは、
「勉強を教えるのは学校」
「子どもの人間形成や礼儀などを教えるのは親」
と、役割がかなりはっきりと分かれている。
親は勉強のことはすべて学校に任せ、学校は子どもがプライベートな行動面で問題を起こしても、いっさい責任をとらない。
偏っているという反論もあると思うが、ドイツ人は学校が子どもの人間形成を助ける役割をもつことはできないと考えている。
人間形成はあくまでも親と子どもを囲む社会の責任になるのだ。
ドイツにはいろいろな国の人がいて、文化や宗教もさまざまだ。
イスラム教徒で豚肉の食べられない子どもがいれば、ベジタリアンの 子もいる。
アレルギーの子、宗教上の理由で頭にスカーフを巻かなければならない子など・・・。
世の中にはいろいろな考え方があり、生き方がある。
それをまとめる役として学校は適していないのだ。
これを無理やりまとめようとすると、第二次世界大戦前のように、スパルタ式や全体主義的な教育をしなければいけなくなるかもしれない。
それをドイツ人はよしとしないのだ。
ドイツと日本の2つの国を比較して一見目につくのは「文化の違い」だ。
ドイツと日本は、つくられてきた歴史や文化が大きく違う。
だから、人の考えや生き方が違っても当然だ。
そういう意見があるだろう。
それはもっともだ。
ドイツと日本の両方の教育を受けてきた私は、文化の違いという一言では片付けられない何かがあると思ってきた。
そして、ここに来てはっきりしたこと・・・
それは、子どもの頃に学校で受けてきた教育やシステムの違いが、結果として考え方の大きく異なる大人をつくり出しているという事実だ。
大人になってからの考え方や生き方の違いは、親の教育にもよるが、他人との人間関係を築き、深める学校での十数年間の生活に大きく左右される。
日本人は大人になっても自分の好きなことを見つけられない人が多い。
その証拠に、例えば女性向けの雑誌には、「どうしたら好きなことを見つけられるか」「私の自分探し」「このままでいいの?」などといったタイトルの特集や、悩み相談記事が多い。
日本の学校では小中高と、自分の好きなことをするより、みんなとの協調性や、苦手なことをすることが重要視されているのだから、好きなことに打ち込む能力など育つわけがないのだ。
たとえ6、7歳の子に好きなことに打ち込む能力があったとしても、日本の教育を受けているうちに、その能力は見事になくなっていくだろう。
そして、自分の苦手なことに打ち込むことイコールよいことになり、自分の好きなことにエネルギーと時間をつぎ込むことを悪いこと、わがままなこと、みんなと違うことと感じるようになる。
極端な話、ドイツの場合は、幼稚園では子どもが何かをしたければ3時間ずっとそれに打ち込んでいてよいシステムになっている。
また、小学校にあがってからも、授業は午後1時に終わるので、家に帰って宿題を終えたあとは「自分の好きなこと」にずっと打ち込める。
このシステムで育つことが、大人になってからの仕事に役に立つかどうかはわからない。
しかし、少なくとも、「好きなこと」を自分で見つけて、実際に自分でやってみる能力は失われずにすむ。
だったら学校の中で好きなことを見つければいいではないかと言われてしまいそうだが、学校で習うことは子どもにとっては「義務」である。
「義務」であることを好きになれ、と言われても、それは無理というものだ。
さらに、日本の場合、こうして大人になると、自分の好きでもない仕事を選んでしまう危険性が高い。
小中高と、好きなことをやることを抑えられてきたばかりか、嫌いなことをずっとやらされてきたので、本来は嫌いなことでも「仕事だから仕方がない」と、選択してしまうことになんの抵抗も感じなくなる。
そして、そんな日々が続くうちに、
「やっぱり何か違う」
「毎日が楽しくない」
「でも、好きなことに打ち込む勇気も能力もないし」
となってしまう。
最近ではこういった切実な悩みを、大人たちは、「最近の若者はフラフラしてけしからん」と片付けてしまいがちだが、その原因は、教育にあるということを忘れてはいけない。
また、家庭での教育に関しても似たようなことが言える。
ほとんどの親が子どものことを思っていることは間違いないだろうが、彼らが好きなことをやろうとしているのを無視して、何かにつけ「勉強しなさい」と言いすぎてしまうと、後に好きなことがわからない大人、好きなことに打ち込めない大人を生み出してしまう。
みんなと一緒をよしとして教育を施す日本人は、「和」を尊び「恩」を大切にする。
それに対して、自立した大人をつくり出すための教育を受けてきたドイツ人は、「個」の意見を重視する。
そしてその大人の考え方や生き方の違いがまた、子どもへの教育として異なった形になっていく・・・。
どちらの国の教育が正しいのかはわからない。
それぞれ短所もあれば長所もある。
ただ、その違いを知ってこそ、現状の教育のあり方の問題点が浮き彫りになってくることもある。
ナチの教育は、金太郎飴的な人間を再生産すること
■ 「ヒトラーに抵抗した人々 – 反ナチ市民の勇気とは何か」
彼ら反ナチ主義を掲げて戦った、「普通の人々」の勇気とはなんだったのか、そして、彼らはどんなふうにあの時代を生きたのか。
それは決して、あの時代特有のことではない。
彼らの活動にいまも学ぶことがあるはず。
ナチの教育を一言で言えば、金太郎飴的な人間、つまり没個性の人間を再生産すること。
国民の大多数は、ヒトラーの経済政策に大きな期待を寄せ、彼を支持した。
つまりあれは、「国民の同意による独裁」だったということを忘れてはいけません。
単なるイデオロギーで、国民大衆が12年間もの間、非道な独裁者に対して万歳するなんてありえないのです。
統治の手法として、そこには「ニンジン」が必要で、それは人間の本性を突いているとも言えます。
ヒトラーは、そういうものを巧みに操作し、徹底的な利をもって国民を操ったのです。
一方、処刑された教育学者は知識の詰め込みに熱心な教育者ではありませんでした。
彼が目指したものとは、狭い村社会を超えた、開かれた世界を子どもたちと共有し、自分で考えることができる人間、すなわち、主体的自己を育むことです。
あの混沌とした時代の技術社会で人間が生きていくためには、何よりも自律的で、自分をよく知る人間であることが重要なのだ、と言ったのです。
彼のこのメソッドは、いまのドイツの教育にも受け継がれています。
なかでもとりわけ心に大きく響いたのは、彼が処刑される直前、11歳の娘にしたためたという「最期の手紙」の一節。
「いつでも人には親切にしなさい」
「助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、人生でいちばん大事なことです」
「だんだん自分が強くなり、楽しいこともどんどん増えてきて、いっぱい勉強するようになると、それだけ人びとを助けることができるようになるのです」
そうか、学ぶことというのは、そういうことだったのだ。
すとんと腑に落ちた。
人間にとって、学びというものが人生のエンドレスな営みなのだとすれば、この言葉は、わたしたち大人がこれから生きるうえでも大きな指標になると、勇気が湧いた。
自立した人間とは、支援を求める必要がない人を意味する
■ 「人を助けるとはどういうことか」
支援を求めた場合、人は「ワン・ダウン(一段低い位置)」に身を置くことになる。
これは次にすべきことがわからないとか、できないといった、一時的に地位や自信を失った状態だ。
独立心が失われ、他人から助言を受けたり、癒されたり、面倒を見てもらったり、助け起こされたり、支援されたり、さらには仕えてもらうことまで入っている。
私がいつも驚かずにいられないのは、通りでつまずいたり転んだりした人を目撃すると、彼らの第一声が決まって「大丈夫です」であることだ。
明らかに怪我をしている場合でさえ、人は突然、誰かに依存する状態になったことを認めたくないものである。
病院で病床用の便器を使うのに助けが必要といった、極端な場合には恥辱さえ感じてしまう。
成長することが自立を意味する文化においては、自分に主導権があると感じたい気持ちが強く、特に男性の間で顕著だ。
自立した人間とは、支援を求める必要がない人を意味する。
たびたび支援を求めなければならないと、屈辱を感じるのである。
支援を求めることが屈辱だという感情は、さまざまな種類の手伝いを利用していることを認めたがらないとか、宣伝したがらないといった点にも表れている。
ワン・ダウン(一段低い位置)の存在だという感覚を意識するのは、支援者と向かい合ったときだけでない。
自分が働いている組織の中で、他人との関連においてより強く意識される。
大半の企業では、助力を求めることは、仕事ができないと自分で認めるのと同じくらい始末に悪いものだ。
支援を求めれば、クライアント(支援を受ける人々)は一段低い位置にいる状態となり、支援者になりそうな相手に対する立場は不安定になる。
支援を求めれば、クライアント(支援を受ける人々)候補は弱い存在となり、バランスを取り戻すことが必要になる。
そもそもどんな支援関係も対等な状態にはない。
クライアント(支援を受ける人々)はワン・ダウン(一段低い位置)にいるため、力が弱く、支援者はワン・アップ(一段高い位置)にいるため、強力である。
支援のプロセスで物事がうまくいかなくなる原因の大半は、当初から存在するこの不均衡を認めず、対処しないせいだ。
最低でも、支援が提供されたあとに、クライアント(支援を受ける人々)は感謝の態度を示して礼を述べることを求められるのだ。
いくつかの感情的な反応に通じる緊張感をただちに減らさねばならない。
そのような緊張感があると、支援はいっそう難しくなる。
自律ということは、イコール独立ということではない
■ 「学ぶ意欲の心理学」
「自律ということは、イコール独立ということではないんだ」
独立とは、他の人とはもう関係なしに、自分一人でやることですよね。
私たちは、実際には他の人に頼ることもある。
つまり助けを借りることもあるわけです。
しかし、それが自分の意志で「こういうふうな援助をしてほしい」と思って頼んでやってもらうという時には、自律心は損なわれないわけですね。
「締め切りを決めてください。それを目標にやりますから」
というのであれば、自律心は損なわれない。
頭ごなしに他の人に決められて自分が縛られていると思うと、やる気がなくなってしまいますけどね。
本当に自律的な人は、すべての側面を受け入れて人生を送ろうとする
■ 「ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか」
本当に自律的な個人は、自分という人間の一部だけでなく、すべての側面を受け入れて人生を送ろうとする。
自分の衝動的な部分を全面的に押し殺すのは、突き詰めて言えば、自己破壊的な行動だ。
欲求は人生の原動力。
それを無視するべきではない。
現実離れした理想を追及して自分を過度に締めつければ、健康で幸せな人生を送れなくなる。
適切なバランスが重要なのだ。
適度な自己コントロールを実践するためには、感情を否定するのではなく、自分を甘やかす時間が不可欠だ。
友だちと馬鹿笑いをし、自分を甘やかす時間が不可欠だ。
怠けるのが好きだったり、不真面目だったり、気まぐれだったりする性質は、私たちの人生になくてはならない要素なのだ。
ゆっくり立ち止まり、いろいろなものをじっくり見る時間もないとすれば、そんな人生になんの意味があるのだろうか。
自律性の支援は、人々の気持ちを把握することからはじまる
■ 「人を伸ばす力 ― 内発と自律のすすめ」
自律性の支援とは、他者を自分自身の満足のために操作すべき対象と見るのではなく、人間として、支援する価値のある能動的なエージェントとして認めながら、かかわっていくことである。
自律性の支援が自由放任と同じでないことは、いくら強調しても強調しすぎることはない。
放任するのは簡単だが、自律性を支援するのはむずかしい。
それには、明確で一貫した態度で接し、理解と共感をもって制限を加えなければならない。
人はしばしば、自律性への欲求と関係性への欲求は両立しないと考える。
他の人たちとよい関係を保つためには、自律性をあきらめなければならない、と言う。
しかしそれは、単に人間に対する見方が誤っているだけである。
混乱を招いた要因の一つは、自律性と独立性とを、実際にはまったく異なった概念なのに、同じだと考えたことである。
独立性とは、独力で何かをすることであり、他者からの物質的、情緒的支援に頼らないということである。
それに対して自律性とは、自由な意志と自己選択の感覚をもって、自由に行動することである。
独立していてしかも自律的な(すなわち、自分の自由意志で他者に依存しないようにしている)人もいれば、独立していて、しかも統制されている(すなわち、他者に依存しないよう強制されたと感じている)人もいるということである。
独立性が自律とも統制とも共存できるように、依存性もそのいずれとも共存できる。
人には他者と情緒的な絆をつくろうとする傾向がある。
そしてさらに、他者に頼ったり、他者に何かしたあげようとする。
それは愛とも関係している。
自律性を保ちつつ依存していると感じるのは自然なことであり、有用なことであり、そして健全なことである。
自律的に依存することは、実際きわめて自然な状態である。
強要された、あるいは統制された依存(すなわち、真に選択されたのではない依存)こそが、不適応をもたらす原因なのである。
人には自律性と関係性のどちらも必要であり、したがってこれら2つを組み合わせ、結果として最適な依存性を許容することこそが、さまざまなプラスの効果をもたらすのである。
自律性を支援するには、彼らの視点をとれること、すなわち、彼らが見ているように世界を見ることが必要である。
そうすることで、彼らの要求や行動の理由が理解できる。
簡単に言えば、管理職として自律性を支援するというのは、会社で、団体で、工場で、あなたのもとで働く人々の気持ちを把握することからはじまる。
あなたが自律性を支援する側であるなら、彼らの視点から新しい状況に関与するであろうし、そのような対人的態度をもつことは、教育、経営のすべての面に及ぶのである。
やるべきことが、何をするのかを決めることであろうと、なされたことを評価することであろうと、自律性を支援するやり方でそれを行うのは、より伝統的、管理的で階層を重んじるやり方で行うのとは非常に異なる。
そして、そのやり方は、業績や適応や勤労意欲に大きな影響を与えるのである。
自律性を支援することは、管理されることに慣れている人に対しては特に難しい。
権威ある地位の人が管理的であると、支援されるはずの人たちからやる気を奪うことになるのである。
自律性を支援しているとはいえない教師や管理職や親がたくさんいるが、それはなぜなのだろうか。
その一つは、自律性を支援するために必要なスキルをもっていない人がいるという問題である。
彼らにはトレーニングが必要なだけである。
しかし、教師や管理職の支配的パーソナリティとスキル不足が、自律性を支援する行動を促進するうえで唯一の障害というわけではない。
状況要因も、自律性の支援を非常に困難にすることがある。
管理職など上の地位にいる人自身が、自律性を支援されなければ、彼らの生徒や子どもや部下の自律性も効果的に支援できないということである。
学習は人とのかかわりを基盤にしながら自律性を帯びる
■ 「学ぶ意欲を育てる人間関係づくり ― 動機づけの教育心理学」
学習を進めていくなかで、わからないところを質問したり、うまくいかないときに助言を求めたりすることは、「学業的援助要請(academic help-seeking)」と呼ばれている。
これは一見すると、人に助けを求めることであり、自律的な学習のあり方とはいえないと思われるかもしれない。
しかし、学習において有効な情報や高い能力を有する他者は、学習資源の一つとして考えられるものであり、それらのリソースに対して自己調整によってアクセスできることは、自己調整学習方略の一つしてとらえることができるだろう。
学業的援助要請は、人間関係にかかわる方略であるため、社会的な要因の影響を大きく受けることになる。
自己調整学習方略として、適応的な援助要請を身につけるためには、自力で学習に取り組める部分と、他者からの援助が必要な部分を識別し、状況に応じて援助要請の必要性の適否を判断できるメタ認知の力を高めることが、肝要になってくると思われる。
学習は人とのかかわりを基盤にしながら、自律性を帯びるようになっていく。
近年、仲間同士の支えあい、学びあいを基盤とした「仲間支援学習(peerassisted learning)」に関する研究が注目を集めてきている。
学習の問題を考えるとき、モデルは教師にかぎられたものではないだろう。
さまざまな能力と個性をもちあわせた仲間の存在が、多様な機能を有するモデルとなりうることに留意しておく必要があるだろう。
もっとも大きな問題は、「人とつながっていない」こと
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
管理者はつねに数値責任をもっていて、生産性向上のためのコスト削減やリソース調整に追われている。
その一方で、業務量が増えるにつれて、これをこなすための人の育成が課題になる、というジレンマを抱えている。
彼らは彼らで、管理職の役割として職場の人材育成は大事だと認識しつつも、昔みたいに”かかりきり”で部下の面倒をみるのは物理的に不可能だ。
そんな現実を前にして、「もっと自律的に、一人ひとりが自分で考えて、職場のみんなで協力し合って仕事をしてほしい」と部下たちに望んでいる。
急変する環境への対応を迫られる状況下では、今までのマネジメントや仕事の仕方に限界を感じながらも、立ち止まって再構築している余裕はない。
部下たちが自力でどうにか頑張ってしのいでくれないか・・・
なす術が見つからない時には、もう人の力に託すほかないのだ。
もっとも大きな問題は、上司の側も部下の側も忙しさに追われて「人とつながっていない」ことだろう。
困っても相談する相手がいない。
協力し合える関係がつくられていない。
それぞれが抱えているものを自分一人の頑張りでこなしていくしか術のない、孤立した状態になっている。
組織や職場の人が分断されてバラバラなのである。
「人」は、自らの意欲や関心を原動力にして人とつながり、そこに生まれる機会や流れのなかで、新しい知恵を生み出していく。
このような目には見えない「知恵」と「つながり」という伸びしろによって、組織は可能性を拡げながらさまざまな課題を解決していく。
その生きているはずの「人」が、萎縮して塩漬けになっているのである。
そういう知恵の生まれにくい環境をよく理解していないと、「うちの社員はいわれたことしかやらない」「自分で考えて仕事ができない」と外部から人を採って戦力強化をする、「生産性が低い」と管理のツールを導入する、といった矢継ぎ早に繰り出す目先の打ち手が逆効果になってしまうことがある。
そのことが、さらに社員の気持ちを冷え込ませてしまうことにもなりかねない。
だからこそ、現状を違う視点で問い直す必要があるのだ。
自律と自立などの違いから気づくことって?(パート4)
あ・・・
それから、ついでにこんなのもどーでしょう? (^^)
顧客ニーズの多様化に対応していくためには「自律型人材」が必要
■ 主体的なキャリア形成の必要性と支援のあり方
かつては、企業本位の事業展開が中心であったため、過去の前例を参考にしながら○×方式で正解を探し当てる人材、あるいは与えられた課題や目標を着実に実行する人材を求める傾向が強かった。
しかしながら、経済活動のグローバル化、ICTの進展と情報量の増加に伴う業務の複雑化・高度化などに対応し、世界規模での厳しい企業競争を勝ち抜いていくためには、これまで以上に人材の持つ総合的な力、「人材力」の質的水準の向上が不可欠となっている。
従業員一人ひとりが、創造性を発揮し、自ら課題を発見し解決する能力、国際社会に通用する幅広い教養と語学力など、「人材力の向上」が強く求められる所以である。
近年、企業は顧客志向の経営を求められている。
顧客ニーズの多様化に対応していくためには、
「自律型人材」が必要となる。
また、
も求められている。
自律した人材の育成に向けては、
である。
一方、自律した従業員は、顧客の声、現場の状況をラインを通じて、速やかに上へと伝達していく。
こうした風通しの良さを持った組織が、企業をより柔軟にかつ強固なものとしていくことになる。
なお、トップが明確にした目標を実現するためには、自律型人材との接点となる管理職層が、
- トップの考えを整理し、
- 部下に対してわかりやすく説明できる咀嚼力と具体的な目標による管理、
- さらには対話力を養う
必要があることを付記しておきたい。
社会・経済の急速な発展に伴って、企業が必要とする従業員の能力は年々変化しており、変化に対応しうるキャリア形成の重要性が高まっている。
また、すでに指摘したように、顧客ニーズの多様化に対応するためには、常に問題意識を持ち、「自律型人材」を育成する必要が生じているとともに、個人の価値観や就労観も多様化していることから、従業員自身の主体的なキャリア形成への取り組みが不可欠となっている。
子に「自立しろ」といいながら自分の手元から手放したくない親
■ 「社員が「よく辞める」会社は成長する!」
会社が目標を掲げる際、「自立」か「自律」かで悩むケースが多いという。
「自律」つまり社員が自分で自分を律するようになると管理しにくくなり、キャリアアップのために辞めるのを奨励しているように見える。
そのため結局、「自律」ではなく「自立」に落ち着くそうだ。
そこには、社員を囲い込んでおかなければほんとうに優秀な社員が辞めてしまうのではないか、という会社側の腰の引けた姿勢が垣間見える。
それは、子に「自立しろ」といいながら自分の手元から手放したくない親と同じだ。
本気で自立を促したら、兄弟の中でもしっかりとしたできの良い子のほうが、これ幸いと出て行ってしまい、出て行ってほしい子のほうは石にかじりついても親元から離れない。
親はそれを恐れているので、「自立しろ」といっても迫力がないし、子はそうした親の本心を見抜いているのでいつまでも甘え放題、好き勝手にふるまう。
自律と自立などの違いから気づくことって?(パート5)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「「自立」と「自律」って・・・、「立」と「律」の一文字が違うだけで随分と意味が違ったんだ・・・!! w( ̄△ ̄;)w 」
「「自立」と「自律」って、こんなに違う意味だったんだ・・・!! ( ̄○ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーいやー、自律型人材の育成方法を探すばっかで、「自立」と「自律」の何が違うのかって考えたコトすらなかったかも・・・!? (;・∀・) 」
「手段の目的化に陥って、キャッチコピーに踊らされちゃっていたとは、まさにこのことなのかも・・・!? (´ε`;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「もしかしたら、誰かに対して自律型人材になるように要求すること自体が、自律的とは言えないってコトなのかも・・・!? (;゜д゜) 」
「自律の意味から考えたら、「自律型人材を育てる」とか「自律型人材育成のマニュアル」とかって考えてみたらちょっとヘンなのかも・・・!? ( ̄∧ ̄ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「え゛!?ってことは、ウチの会社で言ってるジリツ型人材ってどーゆーことなの??? (・_・;) 」
「あり???ウチの会社で聞く、自分で考えて行動する人材って、「自律型人材」って意味で使っているんだろーか???それとも「自立型人材」って意味の方で使っているんだろーか??? (;・∀・) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社で言っているジリツって、もしかしたら「自立」でもなければ「自律」でも実はないのかも~!? ヽ(;▽;)ノ 」
「「自律」や「自立」と「自分で考える」って同じ意味だって思い込んでいたけど、実はそーゆーワケでもないのかも~!? ( ̄(工) ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってゆーか、そもそもの話、ウチの会社では何のために「自律型人材」が必要なんだろーか???「自律」の意味がわかって言っているんだろーか??? (; ̄ェ ̄) 」
「ウチの会社では、誰のために「自律型人材」が必要って言っているんだろーか???少なくともお客さんのために言っているんじゃーないよーな気がするんだけど??? ?(゚_。)?(。_゚)? 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「げっ・・・、他人にジリツしろって散々言っておきながら、自分は「自立」しているだけで、実は全く「自律」できてなかったのかも・・・!? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「自律型人材を育成したいって言っている側が、自律型人材が何なのかってコトすら自分で考えたコトがなかったってオチなのかも~!? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自立型人材を育成しちゃったら転職する人が続出しちゃう可能性もあるのかも!?そしたらますます人手不足に陥っちゃって事業存続の危機に陥っちゃうかも!? ( ̄_ ̄|||) 」
「ウチの会社で自律型人材育成をやったとしても、あーゆー状況だから自律のしようがないのかも・・・!? ( ̄▽ ̄|||) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自律型人材がウチの会社にはいないのは人材育成の問題と思っていたら、実は組織面の問題だったのかも・・・!? o゚p(∴´⌒`∴)q゚o。 」
「自律型人材がウチの会社にはいないのは組織面の問題と思っていたら、実は人材育成の問題だったのかも・・・!? ( ̄‥ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こりゃー、ウチの会社では自律型人材が育たないワケだわ・・・ (o´д`o)=3 」
「ってか、ウチの会社の状況じゃー、自立型人材も育たないよな・・・ σ(^◇^;)。。。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「自律的に考えてできるコトって、意外とまだまだあるのかも~っっ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自立でも自律でもどっちでもいいから、上司がいちいち指示しなくても部下が自分で考えてやれっちゅーに!でないとコッチの仕事が回らんっちゅーに!! ┗(炎Д炎#)┛ 」
「自分で考えろって部下に要求する前に、上司がちゃんと考えて部下にわかりすやく的確に指示しろっちゅーの!でないとコッチの仕事が回らんっちゅーの!! ( ̄ヘ ̄)凸 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「イマドキの若者は自分で考えて行動すらできんなんてあり得ないよなー!コストをかけてわざわざ教育してやらなきゃならんってあり得ないよなー!ワシの若い頃はもっと・・・(ぶつぶつぶつ・・・) (*`θ´*) 」
「自律型人材を無理やり育成しようとするなんて、そんなの自律でも何でもないよなー!洗脳教育だよなー!自分のコピーが欲しいだけだよなー!一方的に丸投げしたいだけだよなー!だから老害なんだよなー!!(ぶつぶつぶつ・・・) (# ̄3 ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「世の中には自立と自律の違いもわからずに、自律型人材育成をやっている会社もあるんだねぇ~、まっウチは大丈夫だけどさぁ~ (⌒▽⌒)ノ 」
「そもそもさぁ~、自律型人材を採用しないから悪いんだよね~、人材採用のやり方が悪いんだよね~、まっウチは大丈夫だけどさぁ~ ( ̄▽+ ̄*) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自立だろーと自律だろーと、そんなのどーでもいいしぃ~、給料さえもらえたらいいしぃ~ q( ̄3 ̄)p」
「自立してなかろーと自律してなかろーと、自分で考えて行動してなかろーと、会社にとやかく言われる筋合いはないしぃ~ ( ̄。 ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自律型人材を育成しましょうって、お国が煽っているだけって気がしなくもないんだけど!? (@ ̄□ ̄@;) 」
「国が言っているコトをただ鵜呑みにして、振り回されているだけなんじゃー??? d( ̄  ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってゆーかさー、自立とか自律とか、主体性とか自主性とかって言っているけど、従業員にただ丸投げしているだけなんじゃー??? ( ▽|||) 」
「ただでさえ給料が少ないのに、自立とか自律とかって名目で、さらにタダ働きさせようとしているだけなんじゃー??? 。゚(゚´Д`゚)゚。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自立だの自律だのって言っている会社って、やっぱブラック企業じゃん・・・ ( ̄_ ̄|||) 」
「自立だの自律だのってただ言っているだけで、結局のところ人件費をケチりたいだけじゃん・・・、そんな会社に入ったら人生終わりだよ・・・ (;゚;Д;゚;;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
自律と自立などの違いから気づくことって?(蛇足)
んーと・・・、個人的には・・・
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
■ 自立とは?(自立型人材とは?)
誰からも支配や干渉、援助などを受けることなく、自分の力だけで身を立てること。
自分で自分のことさえできたら良く、共生を前提としていない。
だから、極論を言えば・・・
自分で自分のことさえできたら良いため、誰かの話を聞いたり、誰かに相談したりする必要がなく、組織に属してようが属してまいが、誰に何を言われようが言われまいが、自分独りだけで考えて行動できりゃーそれでいいので、他者の存在があってもなくても、他者がどう思おうが思うまいが関係ないっちゃーない。
よって・・・
敵(相手)のことや、己(自分自身)のことを知っていようがいまいが、どーでもいいっちゃーいい。
■ 自律とは?(自律型人材とは?)
一人ひとりが各々の役割の中で、他者のニーズなどを把握して調整をはかりながら、
「自分ができることを、自ら考えて判断し行動する」こと。
自分のことだけではなく相手のことも考えて行動していて、共生を前提としている。
だから・・・
経営者・上司・部下・同僚・自部門・他部門・取引先・同業者・第三者など組織内外にかかわらず、必要に応じていろんな人の声を聴いたり、声なき声も聴いたり、相手の考え方や価値観などを理解しようと努めたり、困った時はいろんな人に相談したり、みんなで一緒に考えたりしながら、「自分にできることを、自分なりに考えて行動する」ので、他者の存在が不可欠。
よって・・・
敵(相手)のことや、己(自分自身)のことを知らなければ、
知ろうとしなければ成り立たない。
なーんて感じる面もあったりなんかするんですけど・・・
ε=ε=ε=( * ̄▽)ノノヾ(▽⌒*)ヽ(⌒∇⌒)人(⌒▽⌒)人( * ̄▽ ̄)人( ̄▽ ̄* )\(▽ ̄\)
んでもって・・・
「自律」とやらには、
「三方よし」の考え方にも通じるものがある
イェ━━━━━ヽ( ゜Д゜)人(゜Д゜ )ノ━━━━━━イ
のかも~???
なーんて感じる面もあったりなんかするんですけど・・・
o(*⌒O⌒)b
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
・・・え?
「げっ・・・、自律ってムズイじゃん・・・ (;゜Д゜) エエ~~~~ 」
「自律ってハードル高すぎ!!こんなの絶対にムリ! o( ̄_ ̄|||)o— 」
・・・って?
んーと・・・
「何もかもカンペキにやらなきゃー!! ( ・`ω・´)〇 」
なーんて最初っから考えると・・・
考えただけでどどっと疲れちゃったり・・・
めちゃめちゃ大変そうで、嫌気が差しちゃったりすることもあるんじゃーないでしょーか? (^^;)
(私なんて根がぐーたらゆるゆるなヤツなので、そんなこと考えただけで疲れちゃいまふw)
なので・・・
いきなり、「自分で独りで考えて行動しなきゃ!」って考えるんじゃーなく・・・
いきなり、「相手のことを考えて行動しなきゃ!」って考えるのでもなく・・・
いきなり、「相手の考え方や価値観などを理解しなきゃ!」って必死こくのでもなく・・・
いきなり、「何が何でも自律型人材になるどー!!」って張り切りまくるのでもなく・・・
もっとゆる~い感じで・・・
「いろんな人の声を、とりあえず聴くだけは聴いてみる」
ところらへんから、まずは始めてみる
のは、どーでしょう?
(〃⌒∇⌒)ゞ
例えば・・・
などなどに登場する人の声から考えてみるのはどーでしょう?
何か気がつくコトってあるんじゃないかな~???
なーんて感じません?
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
・・・え?
「そっ・・・、そんなのから始めてもいいものなの??? ( ̄◇ ̄;) 」
「いろんな人の声をとりあえず聴くだけ聴いてみるって、めっちゃ簡単だと思うんだけど、そんな簡単なことでいいの??? ( ̄▽ ̄;) 」
・・・って?
えーと・・・
「いろんな人の声を、とりあえず聞くだけは聞いてみる」って、一見、簡単なように思えるかもしれないけど・・・
誰もがやっているように思えるかもしれないけど・・・
ムズくもナントモないように思えるかもしれないけど・・・
でも・・・
意外と誰もがやっているわけでもなければ
誰でも簡単にできるわけでもないければ
人によってはめちゃめちゃムズイと感じる
コトだってあるじゃーないのかな~???
なーんて感じる面もあったりなんかするんですけど・・・
どっ・・・、どうでしょう???
( ̄  ̄;)
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません? (〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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