
の続きです。(^^)
※上記の記事を読んでいらっしゃらなくても、この記事の意味はわかるかもしれませんが、後から考えると意味不明で頭がウニ状態になる可能性が高いと思いますので、先に読んでやっていただけると嬉しいです
(お願いお願い)
えーと・・・
「事業承継って何だろ~? (ーー;) 」
「普通は何をどう引き継ぐものなんだろ~? p(´⌒`q) 」
「事業承継って遺産相続と似たようなものなんじゃないの?専門家がやるものじゃないの?とりあえず株式の引き継ぎだけやっておけばいいんじゃないの?その手の専門家に丸投げして手続きしてもらえばそれでいいんじゃないの? ( ̄(工) ̄) 」
「強みらしい強みもないし、経営資源に乏しい中小零細企業だから、他に引き継ぐものなんて特にないだろーしさー (´ε`;) 」
「小さな会社にも事業承継って必要なのかな~?事業承継なんかやらなくてもいいんじゃないの?ウチは小さな会社だから、事業承継なんかわざわざやらなくても誰も困らないと思うんだけど・・・??? ( ̄▽ ̄|||) 」
「ウチの子どものうちの誰が継いでくれるかどーかわからないけど、多分誰かが継いでくれるだろーし、誰が引き継ぐにしても、引き継いだ人が自分なりのやり方で経営をやっていけばそれでいいんじゃないの??? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
「ってゆーか、経営環境の変化が激し過ぎて、1年先どころか半年先だってどーなっているかわからないのに、この先、会社が存続できているかどーかすらわからないのに、まだまだ先の事業承継なんか考えている場合じゃないよー! o゚p(∴´⌒`∴)q゚o。 」
「事業承継について考えている余裕なんてないよー!!会社が存続できるかどーかの瀬戸際なんだしさー!!とにかく少しでも売上を上げないと事業承継どころか事業継続の危機に陥っちゃうよー!! ヽ(;▽;)ノ 」
などなど・・・
「三方よしの経営相談」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などなどのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
このような声を、お聞きする機会もあるんですが・・・
その度に、いろんな意味で考えさせられることもあるんですが・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
コレって、もしかしたら・・・










などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて、感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、事業承継って、いったい何なんだろーか?
事業承継って、いつやればいいんだろーか?
事業承継って、誰が何をすればいいんだろーか?
事業承継って、何を引き継ぐ必要があるんだろーか?
事業承継って、どう引き継げばいいんだろーか?
事業承継って、何のためにやるんだろーか?
事業承継って、誰のためにやるんだろーか?
何をどーすれば、事業承継と言えるんだろーか?
何をやれば事業を引き継いだと言えて、何をやらなければ事業を引き継いだとは言えないんだろーか?
などなども含めて、引き続き一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
事業承継とは?何をどう引き継ぐ?本当に引き継ぐ必要がある事って何だろう?(パート3)
んーと・・・
まずは、中小企業で次期社長(後継者・跡継ぎ)の立場で、事業承継を経験したことがある方の、例えばこんな声から引き続いて考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
次期社長(後継者・跡継ぎ)の立場で事業承継を経験したCさんの声
私の場合、子どもの頃から会社を継ぐようにずっと言われていました。
社長の子どもなんだから、継ぐのが当たり前でしょ!って感じでしたね・・・
「生まれた時から決まっていたこと」ってゆーか、会社を継ぐって選択肢しか与えられていなかったってゆーか・・・
ずっとそう言われて育ったからなのか、いつの間にかそういうもんだって思い込んでしまったってゆーか・・・
そのせいか、ものすごーく厳しく育てられました。
口答えなんて、一切許してもらえませんでしたよ。
疑問を持つことすら許されませんでしたし、ちょっとでも逆らうようなコトを言っちゃったら大変なコトになっちゃったから、ただただ黙って従うだけって感じでしょーか。
家族でご飯を食べていても、勉強していても、部屋の掃除をしていても、何をしていても、いつ怒鳴られるかと常にビクビクしているって感じでしたよ。
怒鳴られるだけで済めばいいけど、下手したら手が飛んできましたしね・・・
会社の話は、小さい頃からずっと聞かされてはいたんですけど・・・
でも、正直言って、会社を継ぐってどーゆーコトなのか、その時は全然ピンと来ていませんでした。
経営者ってどんな仕事をするのか?どんな役割なのか?などについても、今思うとわかっているようで全然わかっていなかったと思いますね。
いつかは会社を継がなきゃいけないんだろーなー、社長にならなきゃいけないんだろーなーとはナントナーク思っていましたけど・・・
卒業の時期が近づいて来ると、もう少しだけ先延ばしにしたくなってしまったんですよ。
「いつでもどこでも何をしていても24時間365日社長」って感じの父親の姿を見て育ったってゆーコトもあって、二代目社長としての修行生活に本格的に入ってしまったら、そして社長になってしまったら、プライベートな生活なんて全くなくなるんだろうなって感じていたので、もう少しだけ自由を味わいたかったってゆーか・・・
それに、ウチの会社しか知らないってのはどーなんだろ~???
ウチの会社・ウチの業界しか知らない「井の中の蛙」になってしまうんじゃーないのかな~???
そんな風に思ったので、一度ぐらいは違う会社で働いてみたいって思ったんですよ。
そりゃー、父親は大反対しましたよ。
卒業したら、すぐにウチの会社に入るのが当たり前って思っていたみたいでしたから・・・
「親不孝者!そんなヤツは出て行け!勘当だ!」なんて言われちゃいましたし・・・
思いっきりブン殴られましたし・・・
名ばかりとはいえども、ウチの会社の監査役を一応やっていたせいか、母親にも泣きつかれましたし・・・
「何のために、あんなに苦しい思いをして産んで育てたと思っているの?」なんて言われちゃいましたし・・・
でも、これだけは譲りたくなかったので、必死で説得して、「最後のワガママ」「3年間だけ」って約束で、ウチの会社とは違う業界の会社で働かせてもらったんです。
その会社はウチの会社と似たような規模で中小零細企業だったということもあって、一人で何役もやらなきゃいけないから仕事は結構きつかったし、残業だらけだったし、社長も上司も厳しかったし、給料も安かったんですけどね。
生まれて初めて家族から遠く離れた所での一人暮らしで、愚痴りたくなったりしたこともありましたけど、心が折れそうになったこともありましたけど・・・
でも、ここで愚痴ったり折れたりしたら、父親の思うツボだと思って踏ん張ったこともありましたね。
それでも、毎日が新鮮だったし、楽しくて充実していましたよ。
仕事上では厳しく言われることもよくありましたが、人間関係は悪くありませんでしたし。
いろんなことを教えてもらえましたし、ものすごくいい勉強になったと思います。
あの時、あの会社で、従業員の立場で働かせてもらっていなければ、今の私はないって本当に感謝しています。
とってもいい会社だったし、後ろ髪をひかれる思いもありましたが、約束は約束ですし、これ以上先延ばしにするわけにも行きませんので、申し訳ないけど3年間で辞めさせてもらって、それでウチの会社に入ったんです。
ウチの会社に入って最初に感じたことはというと、前に勤めていた会社とのあまりの違いにビックリしたってコトでしょーか。
企業文化って、会社が違うとこんなに違ってくるものなんだーって驚きましたよ。
良くも悪くも、ものすごいワンマン経営だったし・・・
社長の命令は絶対!社長の命令に逆らうなんて絶対にあり得ない!って感じの社風で、自宅での父親と同じだったんですよ。
家での父親を知っていたので、会社でもやっぱりそうだったのかとも思いましたけどね・・・
私が跡取りだから厳しいのかと思っていたら、従業員に対しても同じだったってのには、さすがに愕然としましたけど・・・
父親は職人肌ってゆーか、職人気質ってゆーか、そーゆー面もありましたから、親切丁寧に何か教えてもらえるってコトは一切ありませんでした。
「学びたければ、オレの背中を見て勝手に学べ!」って感じでしょーか。
疑問を口にしても、逆らっても意見を言っても、怒鳴られるか手が飛んでくるだけって、小さいころからよぉーくわかっているので、会社でも自宅でもひたすら命令に従っていました。
自宅だけならともかくとして、会社でもそうですから、24時間365日耐えていたって感じでしょーか。
会社でも家でも、ひたすら仕事の話ばかり。
そんな生活が毎日毎日続いていました。
はっきり言って、想像していた以上に辛い生活でした。
ワンマン経営に対して、個人的には不満もありましたし、私自身にはできそうもないって思っていましたけど、決して悪いコトばかりではないですよね。
私が会社に入った時は、業績もそこそこ良かったみたいだし、うまく行っているうちはそれでもいいのかな?と思っていたんですよ。
でも、ウチの会社の場合、ワンマン経営の弊害が水面下でめちゃくちゃ大きく膨れ上がっていたんです。
その弊害には会社に入ってすぐに気がついていましたが、思い知らされたのは、会社に入って何年かしてからのことでした。
父親には前々から物忘れがあったし、同じ自慢話を何度も何度もするクセがあったんですけど、ますますひどくなってしまったんです・・・
後からわかったことだったんですけど、この時ぐらいから認知症が始まってしまっていたんですよね・・・
認知症って、もっと高齢者になってからの話だと思っていたんですけどね・・・
たとえ軽度であっても、認知症となると、いろいろなところに支障が出てきますよね・・・
日常生活だけではなく、仕事上でも・・・
経営者が認知症で、しかもワンマン経営となると、その支障は支障なんてかわいいレベルでは済まないって思い知らされましたよ・・・
しかも、本人に自覚がないからさらに困ったんですよ・・・
かと言って、社長に誰も逆らえない状態なのに、「認知症だから、早く引退した方がいいんじゃないですか?」なんて本人に直接言えるワケありませんしね・・・
最初のうちは、従業員に対しては、父親が認知症ということを隠していました。
でも、いくら隠しても、従業員にも何となくわかっていたと思います。
そのうち、認知症がどんどんひどくなって行って・・・
誰の目から見ても、経営者としての仕事はおろか、日常生活すら一人ではままならない状態になって行きました・・・
そんな状態でも、父親は会社に行こうとするんですよ。
道に迷ってたどりつけなくなったり、自宅に帰れなくなったり、それで警察のお世話になったりするのに・・・
創業社長だったから、それだけ仕事が生きがいだったのかもしれませんが・・・
社長のそんな姿を見たからなのか、ある日を境に、従業員が私に何でもかんでも聞いてくるようになって、「次期社長として、どうしたらいいか指示してください」って言ってくるようになったんです。
そりゃー、困りましたよ・・・
次期社長としての修行らしい修行もできていませんでしたし・・・
何よりも我ながらショックだったのは、子どもの頃から父親の命令にひたすら従うように育てられていたので、自分なりに考えて誰かに指示したことが一度もなかったって気がついたことでしたよ・・・
そのせいなのか、誰かに命令するのもイヤだって思っていた自分にも気がつきました。
誰かに命令するのもイヤな人間が、父親のようなワンマン経営をやるなんて、絶対にムリだと悟りましたよ。
でもそれは、ウチの会社の従業員も同じだったんですよね・・・
しかも、役員も管理職も・・・
何もかも、社長が一人で決めて命令して、有無を言わせずやらせていたんですから・・・
自分なりに考えて、提案したり指示をしたりする機会すら与えられていなかったんですから・・・
いずれにしても、今すぐ社長が亡くなることはなかったとしても、認知症である以上、これから劇的に良くなることはまずないだろうし・・・
ワンマン経営でもっていた会社だったとしたら、このままでは本当にマズイと思ったので・・・
まずは、役員や管理職を集めて、これからどうしていけばいいか話し合うことにしたんです。
現場にも直接出向いて、一緒に仕事をして、従業員からも直接話を聞くようにしましたよ。
最初のうちは会議とかをやってもやっても、みんな下を向いて押し黙るばかりで、話し合いどころか意見すら出してもらえませんでしたけどね・・・
こんな頼りないヤツが後継社長で、この会社は大丈夫なのか?
アンタが時期社長なんだから、従業員にいちいち相談なんかせずに、さっさと一人で決断してさっさと命令すればいいのにさー!
口には出さなかったけど、そんな態度もとられましたね・・・
辞めていった従業員もたくさんいましたし・・・
経営者の孤独って聞いたことはあったんだけど、こーゆーことだったのかも?って感じましたね・・・
ものすごく孤独を感じましたよ・・・
それでも我慢強く続けて行くうちに、ポツリポツリと少しずつ話してくれるようになりましたけど・・・
そうなるまでに、ものすごく時間がかかりましたよ。
そこで、とんでもないことが発覚したんです・・・
業績がそこそこいいように見えていたのは、そう見せかけていただけだったんですよ・・・
しかも、資金繰りはショート寸前だわ、決算書をよくよく見たら粉飾決算をやらかしているわ、助成金や補助金の使い方はむちゃくちゃだわ、コンプライアンス違反はやらかしているわ、労働法は守っていないわ・・・
出るわ、出るわ・・・、もう、ボロボロの状態だったんです・・・
しかし、このことを隠していた役員や管理職を責めることはできませんでした。
社長に言ったら怒鳴られる、怖いって思っていたら、何も言えなくなってしまうのは当たり前の話だと思いますし、その気持ちはよぉーくわかりますから・・・
元はと言えば、私の父親がまいた種なんですから・・・
取引先のことも従業員のことも大切にしていない会社なんて、社会から必要とされるはずがない。
こんな会社なんて継ぎたくないし、こんな会社が生き残っちゃいけない。
そうだ、いっそのこと廃業してやろう。
後継者である私自身手で引導を渡してやろう。
その方が、取引先のためにも従業員のためにも社会のためにもなる。
正直言って、そう思いましたよ。
でも、一方では、こんなことで従業員を路頭に迷わせてしまっていいんだろうか?って悩みました。
自分がこの会社の従業員だったとしたら、社長にどうして欲しいだろうか?って悩みました。
そんな風に考えられたのも、ウチの会社に入る前に、従業員の立場で働かせてもらった会社のお陰だと思います。
従業員の立場を経験していなければ、父親以外の社長の経営を見ていなければ、卒業してすぐにウチの会社に入っていたとしたら、こんな風には思えなかったと思います。
ウチの会社のこんな現状を正直に話すのはものすごく勇気が必要でしたけど、みんなに協力してもらえなければ、この危機を乗り切ることは絶対にできないって思ったので、恥を忍んで従業員全員に包み隠さず全て正直に伝えました。
そして、これ以上、傷が広がらないうちに廃業してしまった方がいいのか、こんな会社でも存続させていいものかなどについて、みんなでとことん話し合いました。
みんなの協力のお陰で、最大の危機は脱出できたし、どうにかこうにか会社を存続させることが今もできているんですけど・・・
一人では何もできないこんな私でも、社長と名乗ることができて、何とか経営できているんだと思うんですけど・・・
最近になってようやく落ち着いてきたからなのか、よく思うんですよ・・・
「いったい何を、私に引き継いで欲しかったんだろう?」
「誰のために、会社を遺したかったんだろう?」
「従業員にコンプライアンス違反をさせてまでして、何を未来に遺したかったんだろう?」
ってね。
父親の墓参りに行くたびに、尋ねていますよ。
怒鳴られたり手が飛んで来ることはもうありませんが、生きていた時と同様、返事は決してもらえませんけどね。
次期社長(後継者・跡継ぎ)の立場で事業承継を経験したDさんの声
私の場合、サラリーマン家庭で生まれ育って、これからもずっと一生、サラリーマンとして生きて行くんだろうなーって思っていましたよ。
そんな私がまさか後継者として会社を継ぐことになるなんて、その当時は夢にも思っていませんでした。
会社経営なんて、全く興味ありませんでしたし。
コレと言ってやりたいことも特になかったということもあって、起業とかに関しても考えたことすらありませんでしたし。
実際、特にも何も考えることなく、みんなと同じようにフツーに就職活動して、そこそこの規模の会社に就職しましたしね。
それが当たり前だし、常識だって感覚だったんですよ。
就職して何年か経ってから、前々から付き合っていた人と結婚しました。
結婚してからもモチロン、極々フツーのサラリーマンをやっていたんですけどね。
毎日が同じことの繰り返しで、上司にムカついたり、同僚たちと愚痴り合って憂さ晴らししたり、つまらないと言えばつまらない人生だけど・・・
不満もそれなりにあったけど会社を辞めようと思うほどのことでもなく、仕事量が多くて残業も多いけど平和と言えば平和な日常で、こんな平凡な生活をずっと送り続けるものだと、そういう人生なんだと当時は信じて疑っていませんでした。
でも、勤めていた会社の業績が悪化してから、生活が一変してしまったんですよ・・・
蜘蛛の子を散らすように優秀な人からどんどん会社を辞めて行って、直属の上司までもが突然辞めてしまったんです。
自己都合退職って聞いてましたけど、実際はクビになったようでした。
突然のことで、本当にビックリしましたよ・・・
ムカついていた上司だったんですけど、いざいなくなるとものすごく困るもんだなー、何だかんだ言っても上司やってただけのことがあったんだなーって痛感させられました。
そういう私も転職活動をした方がいいんだろうかどうしようかと迷ったこともあったんですけど、お世話になっていた会社を見捨てるような気もして気が引けたんですよね。
そうこうしている内に、上司が辞めたしわ寄せが一挙に押し寄せて来て、残業時間も倍以上に膨れ上がりましたし、転職のことなんて考える時間も余裕もなくなってしまいましたけどね。
ある日のこと、辞めてしまった上司の後釜ってことで、ナゼか私に白羽の矢が立てられてしまって・・・
何度も断ったんですけど、断るに断れなくて結局引き受けてしまったんですけど、それからがまたさらに悲惨でしたよ。
何をやっても上手くいかなかったし、部下は言うことを聞いてくれないし、指示に従ってくれないし・・・
部下から思いっきり無能扱いされて、上司からはしょっちゅう怒鳴りちらされて怒られましたし・・・
会社を自分から辞めるか、クビ切られて辞めさせられるかって状況だったから、人手不足もひどくなる一方だったし・・・
そういう私もいつそうなるかと思いながら、ビクビクしていました。
どんなに残業をしても追いつかなかったし、自宅に持ち帰ってやっても終わらなかったし・・・
寝不足のはずなのに全然眠れなくなったし、食欲もなくなったけど、休んでいるわけには行かないからずっと仕事仕事仕事でしたよ・・・
自分のあまりの不甲斐なさに、落ち込んでばかりいましたよ。
そんな時に、「こんなこともできないのか?お前なんかもう辞めてしまえ!」って言われてしまいまして・・・
本当はもう少しがんばりたかったんですけど、
これ以上こんな無能なヤツががんばっても、迷惑をかけるだけなのかもしれないって思ったので、退職願を出したんです。
辞めたのかクビになったのかわからないけど、あの上司も、もしかしたらこんな気持ちだったのかな?
だとしたら、申し訳ないことをしてしまったのかも・・・って、気持ちになりましたよ。
会社を辞めてしばらくは放心状態でした。
燃え尽き症候群みたいな状態だったとでも言ったらいいんでしょうか。
早く転職先を見つけなきゃいけないのに、外に行くのすら億劫になっていたし、何もやる気になれなかったし・・・
食べるのも面倒くさいから食べなかったし、風呂にも入りたくなかったから何日も入らない時だってあったし・・・
あれだけ没頭していた趣味のことですら、やりたいとすら思えなくなっていたし・・・
そんなことよりも、成り行きだったとは言え、引き受けたからにはちゃんと責任を果たすべきだったのに・・・
何の役にも立てないどころか、みんなの足を引っ張って迷惑ばかりかけてしまった自分を責め続けていましたよ。
やっと眠れる生活になったはずなのに眠れなくて辛かったので、外出するのは億劫だったけど、せめて睡眠薬だけでももらえたらと思って医者に診てもらったんですけど・・・
そしたらショックなことに、うつ病と診断されてしまったんですよ・・・
そう診断されても、うつ病だろうと何だろうと働かないわけには行かないので、気力を振り絞ってすぐに転職活動を始めました。
でも、転職先がやっと見つかったと思って働いても、長続きしなかったんです。
どの職場に転職しても、情けないことに全然上手く行かなかったんです。
一度レールをはずれるとこうなるのか・・・って、ショックを受けましたよ・・・
幸い妻が働いていたし、その時は子どももまだいなかったので、生活の方は何とかなったんですけど・・・
コレじゃーニートのヒモ男だよな・・・って、ますます落ち込みましたよ・・・
そんな時に、妻の父親から誘われて飲みに行ったんです。
さぞかし怒られるんだろう、マジメに働けってきっと怒られるんだろう、ヘタしたら離婚しろって言われるのかもしれないとビクビクしながら飲みに行ったんですけどね。
義父とは趣味が同じということもあって、最初は趣味のこととかたわいのない話ばかりをしていたんですけど・・・
病気のこととか、仕事のこととかを聞かれるだろうと覚悟していたんですけど、何も聞かれなかったんですけど・・・
別れる間際になって、意外なことを言われたんです。
「生活のことは心配しなくていいから、まずはゆっくりと療養しなさい」
「誰だって病気の時は休むものなんだから、病気を治すのが今は仕事だと思ったっていいんじゃないか?」
「趣味のことがやりたいと思えるようになったら、できるようになったら、たまには付き合ってくれると嬉しいんだけど」
「その代わりと言っては何だけど、ちゃんと寝て食べられるようになったら、体調がいい時だけでいいから、ウチの会社でバイトしてくれると助かるんだけどどうかな?」
ってね。
この時まで、義父が会社を経営しているってことをすっかり忘れていましたよ。
話には一応聞いていたんですれど、跡は継がなくていいって聞いていたし、会社経営に興味も全然なかったから忘れていたんですよね。
有り難い話ではあったんですけど、ただでさえ妻には迷惑をかけっぱなしだし、その上、義父に甘えるなんて男としてあまりにも情けないと感じたので、その時は一旦お断りしました。
でも、今のように職を転々としていても、うつ病は一向によくならないだろうし、妻にもっと迷惑をかけることになるだろうし、それだけは絶対に避けたいと思ったので、恥を忍んで義父の話を受けることにしたんです。
義父の会社に初めて行く時は、ものすごく緊張したし怖かったですよ・・・
小さな会社みたいだし、従業員さんにきっといろいろと聞かれるんだろうなー、白い目で見られるんだろうなーって・・・
でも、仕事内容が仕事内容だったからか、人と接することもあまりなかったし、誰にも何も聞かれなくて、ほっとしました。
それどころか、「人手不足だから助かるぅ~」とか「みんなパソコンが苦手だから助かるぅ~」とかって言ってもらえて、こんな自分でも役に立てることがあるんだって感じられて、涙が出るほど嬉しかったですよ。
最初は1~2週間に1回2~3時間ぐらいから始めて、体調が悪い時には申し訳ないと思いながら休んで。
徐々にバイト回数を増やしてもらって、バイト時間も増やしてもらって、調子が悪い時には減らしてもらって、調子が良くなったらまた増やしてもらってって感じで。
こんな我儘を聞いてもらえる職場なんてそんなにあるものじゃないだろうから、本当に有り難かったですよ。
小さい会社ということもあってバイト代は少なかったけど、それでもお金を稼げるようになっただけでも嬉しかったし、役に立てることや自分にできることが少しずつ増えて行くのが何よりも嬉しかったですよ。
今まで事務仕事しかしたことがなかったんですけど、工場の作業も徐々にやらせてもらえるようになりました。
ブルーカラーの仕事って、きつくてしんどくて泥臭くてアナログで薄給でって悪いイメージしかなかったんですけど、ものづくりって意外と面白いんだなーって思えるようになりましたよ。
職人技のアナログな世界なんて、今まで全く知らなかったので驚きの連続でしたよ。
こういう職人技が、日本のものづくりを支えているんだなー、日本の良さを支えているんだなーって実感しました。
教えてもらいながら没頭していると、あっと言う間に1日が過ぎていきますし。
苦労して製品が出来上がった時の達成感がハンパなかったですね。
次に転職する時には、工場の仕事も視野に入れて探してみるのも悪くないのかも?って思えるようになった自分に驚きましたよ。
変われば変わるものですよね。
体調が悪くて休むこともまだあったけど、ほぼ毎日出勤して1日8時間勤務できるようになって来たことだし・・・
これ以上、甘えるのも申し訳ないから、そろそろ転職活動をしようと思っていた矢先のことだったんですけど・・・
義父が大ケガをして、入院してしまったんですよ・・・
幸いなことに、命には別状なかったんですけどね・・・
ただ、トシもトシだし、ゆっくりと療養して欲しかったので、後継者の人にそろそろバトンタッチした方がいいんじゃないのかな?って思って義父に聞いてみたんですけど・・・
「後継者はいない」
「誰にも継がせるつもりはない」
って返事されて、義父が言っていた「跡は継がなくていい」って意味がこの時初めて理解できて青くなりましたよ・・・
だって、こんないい会社がなくなっちゃうなんて、あまりにももったいないじゃないですか・・・!!
取引先からも従業員からも、みんなからこんなに必要とされているのに、日本の良さでもあり日本のものづくりを支えているスバラシイ技術力もあるのに、なくしたら絶対にダメだ!!
こんないい会社がなくなったら、日本企業にとっても日本社会にとっても、もったいなさ過ぎる!!
そんな風に思ったので、何かできることはないのかと必死になって考えましたよ。
散々考えた挙句、たどり着いた答えが「私が継ぐ」ってことだったんですけどね・・・
自分でも驚きましたよ。
サラリーマンとして、これからもずっと生きて行くものだと思っていたのに・・・
会社経営に興味すらなかったのに、経営って何をすることなのかも知らないのに、経営者の仕事ってどんなことなのかも知らないのに・・・
それなのに、「跡を継ぐ」って大それた決断に至ったってことに。
その一方で、こんな頼りない男が、跡を継いでいいものなんだろうか?
サラリーマンしか経験したことがないのに、会社経営なんてできるようになるものなんだろうか?
とも、そりゃー思いましたよ。
でも、私にできることって、それぐらいしか思いつかなかったんですよ。
誰も継がないんだったら、誰かが継ぐしかないじゃないですか。
早速相談してみたところ、妻は何とか賛成してくれたものの、義父にも両親にも大反対されました。
特に義父に関しては、いつも温厚で優しい義父なのに、この時ばかりは人が変わったかのように猛反対されましたよ。
「苦労するのがわかっているし、病気がまた悪化してしまうかもしれないから絶対にダメだ!」って、口では言っていましたけど・・・
こんな頼りないヤツには継がせたくないから反対するんだろうな・・・って、私は感じたんですけどね・・・
いずれにしても、義父にはゆっくり療養して欲しかったし、少しでも恩返しがしたかったので、必死になって経営の勉強をしながら、みんなにもたくさん助けてもらいながら、がんばってみることにしたんですよ。
義父が休んでいる間に会社が潰れてしまうというのだけは、何として避けたかったし・・・
義父に跡を継ぐことを認めてもらえたのは、それから3年後のことでした。
と言っても、全面的に賛成してくれたわけでは決してなく、渋々って感じでしたけどね。
あれから随分と年月が経って、義父も亡くなってしまいましたけど、こんな私でもどーにかこーにか会社経営を続けられているのは、みんなのお陰だよなーって、いつも感謝しています。
会社経営って、ひとりではできませんから。
経営者ひとりでは、なーんにもできませんから。
一人ではできないからこそ、組織をつくるんですから。
それと、義父があの時、会社を継ぐことを大反対した気持ちもちょっとだけど、ようやくわかるようになりましたね。
当時の私が頼りなかったってのはもちろん事実なんでしょーけど、自分自身が会社を経営するようになって初めて、それだけじゃなかったんだなーってことにも気づいて、涙が出るほど有り難い気持ちでいっぱいです。
こんな私にも、事業承継を行う時期がいつかは必ずやって来ますよね。
実際に事業を承継するのはまだまだ先でしょーけど、義父もそうだったように、いつ何時何が起こるかわからないので、ぼちぼちと考え始めています。
当時のことを思い返して今の私が思うのは、事業承継って結局、
次世代に何を託したいと思うのか?
次世代に何を遺したいと思ってもらえるのか?
社会に必要とされる会社とはどんな会社なのか?
どんな会社が、社会に必要と思ってもらえる会社なのか?
どんな未来を子どもや孫たちに遺して行きたいのか?
どんな未来なら、みんなが幸せに暮らせるのか?
これから先も遺して行きたい日本の良さとは何なのか?
日本って国がどんな国だと思ってもらいたいのか?
ってことなんじゃないかな~?って感じるんですよ。
事業承継って、いち会社だけのこととついとらえてしまいがちですよね。
もちろん、いち会社のことだけととらえて事業承継について考えてみるのもアリだと思います。
だけど私は、決してそれだけじゃーないようにも思うんです。
もっともっと広い視野で考えてみるのもアリなんじゃーないかと。
たかだかこんな小さな会社の経営者が何を言っているんだか!?って笑われちゃうかもしれませんけど、だけど、たったひとつの小さな会社に過ぎなくても、小さな会社も含めてたくさんの会社が日本全体を構成しているわけですし、日本の良さとかにもつながるぐらいの大きな面もあると思うんですよ。
そーゆー意味で言うなら、義父から私は大きな大きな財産を託してもらえたように感じますね。
こんな私だけど、引き継がせてもらえて本当に感謝しています。
そして、義父が私に託してくれたその大切な財産を、これから先もずぅーっと遺していきたいなーって思っています。
次世代に遺したいと思ってもらえる会社に、これから先もずっとずっと必要と思ってもらえる会社に、これが日本ならではの良さですって従業員に胸を張って言ってもらえる会社に、この会社で働いていて良かったと言ってもらえる会社に、取引先からもこの会社と取引できて良かったとか、なくなったら困るとか、これから先もずっと存続して欲しいとかって言ってもらえる会社に、もっともっとして行かなきゃなーって思っています。
私にとっての事業承継って、そーゆーことですから。
それが原点だったんですから。
事業承継とは?何をどう引き継ぐ?本当に引き継ぐ必要がある事って何だろう?(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「うぉー・・・、そーゆー視点からは全然考えてなかったかも・・・ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「事業承継について、誤解していたかも・・・ ( ▽|||) 」
「今までやって来た事業承継の方法って、もしかしたら・・・ ( ̄‥ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「事業承継をどうやればいいのかとか、何をやればいいのかとか、事業承継の手法とか方法論とか、株式とか費用とか時期とかのコトばっか考えていて、肝心要のコトを全然考えていなかったかも・・・ ( ̄▽ ̄;) 」
「その手のコトをいくらきっちりやっていたとしても、後継者に跡を継ぎたいと思ってもらえなければ、無理やり継がせても意味ないもんな・・・ σ(^◇^;)。。。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーいやー、何のために事業承継を行うのかって、今までちゃんと考えたコトがなかったかも!?もしかしたら手段の目的化に陥っちゃっていたのかも!? (ーー;) 」
「何のための事業承継なのか、誰のために事業承継を行うのか、次世代に何を託したいのか、どんな日本の良さを未来に託したいのか遺したいのか、何を引き継いで欲しいのか欲しくないのか、何を遺したいのか遺したくないのかとかについて、ちょっち考えてみよっかなー・・・ (。・ ・) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーいやー、そもそも経営って何をすることなんだろ~? (;゜∇゜) 」
「経営者の仕事や役割って何なんだろ~?それが明確じゃなかったら、事業承継と言ったところで何をどう引き継いだらいいのかわからないような気が・・・??? (´ε`;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
















などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?




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