「我慢強いことのメリットやデメリットって何だろ~? ( ̄▽ ̄;) 」
「忍耐力があることのメリットやデメリットって何だろ~? (;´д`) 」
「我慢強いとか忍耐力があるとかっていうと、どっちかってゆーと良いイメージの方が強くてメリットがあるってとらえられ方がされているようにも思うんだけど、どーも疑問や違和感を感じちゃう時があるんだよねー・・・ (ーー;) 」
「何でもそーなんだろーけど、我慢強いことや忍耐力があることに関しても、メリットだけじゃーなくてデメリットもやっぱあるよーな気がするんだけど・・・ ( ・_・) 」
「我慢強いこととか忍耐力があることとかって、日本人の強みとか美徳とか社会人としての常識とかのように言われることもあるみたいなんだけど、なーんか暗黙の了解の自己責任を押し付けられているように感じちゃう時もあるし・・・ (|||▽ ) 」
「かと言って、あまりにも我慢できなかったり忍耐力がなかったりするのも、どーかとは思うんだけどね・・・ o( ̄_ ̄|||)o 」
「どんな時には、我慢強いことや忍耐力があることが適しているんだろ~? ( ゜Д゜) 」
「我慢強いことや忍耐力があることって日本人の強みや良さなんだろーか?それとも日本人ならではの弱みなんだろーか?どんな時には、我慢強くない方が適しているんだろ~?忍耐力がない方が適しているんだろ~? (´ε`;) 」
「我慢強いことや忍耐力があることって、そもそも誰にとってのメリットやデメリットなんだろ~? ( ̄∧ ̄ ) 」
「我慢強いことや忍耐力があることって、どんな状況ならメリットになって、どんな状況だったらデメリットになっちゃうんだろ~? (´・ω・`) 」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「下請けからの脱却(脱下請け)」、「中小企業の経営に役立つ情報活用」、「IT活用人材育成(ITを活用できる人材の育成)」、「自律型人材育成」、「組織力の強化や向上」、などなどのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問や違和感って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(パート1)
んーと、もしかしたら・・・
なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
我慢強いことや忍耐力があることに関する例えばこんな声から、まずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(Aさんの声)
我慢強いことや忍耐力があることには、メリットもあるとは思います。
だけど、我慢強いことや忍耐力があることによって、忍耐強く我慢した側が被害やデメリットを被る場合もありますよね。
そして、決してトクしてはならない側にメリットが生じてしまう場合だってあるんじゃーないでしょーか?
そんな風に陥ってしまう状況っていろいろあるんでしょーけど、私が最も感じているのは、やっぱり下請法違反になる下請けいじめでしょーか。
どーしてそう感じるのかとゆーと、下請法違反になる下請けいじめをされていて、必死に我慢していた頃があるからなんですけどね。
当時は、我慢強いと言われれば我慢強かったのかもしれません。
忍耐力があると言われれば、忍耐力があったのかもしれません。
というより、我慢強く見えていただけで、実際は何も行動を起こしていなかっただけだったんですよね。
つまり、脱下請けを目指すにも何をどーしたらわからなかったが故に、ひたすら我慢するしかなかったってゆーか。
下請法違反になる下請けいじめをされていたにも関わらず、我慢するしかないって思いこんでいたからなのか、誰にも相談しなかったし。
誰かに相談しようって考えすらありませんでしたし。
従業員の生活もあるし従業員の家族のこともあるからって言い訳をして、その当時は必死に我慢していましたよ。
今思えば、言い訳でしかありませんけどね。
とにかく我慢だ!!
忍耐力だ!!
って、自分で自分に言い聞かせていたが故に、何も行動を起こせなかったって見方もできますよね。
今思えば。
そーゆー意味で言うなら、我慢強いことや忍耐力があることって、メリットがあるし美徳のように言われることもあるけど、デメリットもやっぱりあると思うんです。
それもかなり大きなデメリットが。
だって、我慢強さや忍耐力って、何か行動を起こす気持ちにブレーキをかけてしまうことになっちゃいますし。
しかも、我慢強いことや忍耐力があることって美徳のように言われちゃうものだから、我慢することを自分で正当化しちゃっていたし。
そーやって我慢し続けているうちに、どんどん無気力になって行ってしまって、もはや行動を起こす気力もなくなっちゃって、もう何もするまい、抵抗するまい、何も考えまいって状況に陥っちゃうんですよね。
当時の私がそうだったように。
正確に言うと、その一歩手前だったんでしょーけど。
そう考えると、我慢強いことや忍耐力があることも考え物ですよね。
結局のところ、脱下請けを目指す決心がその後できたんですけどね。
完全にブチキレたとゆーこともあって。
我慢していることによって、ウチの会社にはモチロンのこと、誰もメリットを得られていないってことに気づけたからってのもありますけど。
ただ中抜きをしているだけで付加価値を提供することもなく、決してトクしてはならない側にばかり、メリットが生じてしまっているってことに気づけたからってのもありますけどね。
そう思うと、我慢強いことや忍耐力があることって、やっぱり考え物だと強く思いますよ。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットを強いて挙げるとすれば、怒りが溜まりまくっていて、爆発した時には凄まじいエネルギーになるってことでしょーかね。
私がそうだったように。
怒りは原動力って言うだけのことはあるよなーって実感しちゃいましたよ。
ただ、怒りは負のエネルギーになりがちだから、その怒りを正のエネルギーに変えて活用する工夫は必要だと思いますね。
つまり、ブチキレる時には正しく且つ戦略的にブチキレる必要があるんじゃーないかなーって。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(Bさんの声)
我慢強いことや忍耐力があることって、メリットももしかしたらあるかもしれません。
だけど、我慢強いことや忍耐力があることに対して、私はデメリットしか感じられなくなっちゃいましたね。
あんな経験をしたせいなのかもしれませんけど。
どんな経験をしたのかってゆーと、カスタマーハラスメント(カスハラ)なんです。
顧客に怒鳴り散らされよーが、無茶苦茶な要求をされよーが、コレも接客業の宿命だから仕方がないって思って、必死に我慢していましたよ。
私はどちらかとゆーと、短気な性格の方なんですけどね。
だけど我慢するしか選択肢がなかったので、以前よりは忍耐力もついたのかもしれません。
じゃあ、必死に我慢したからと言って何かメリットがあったのかってゆーと、メリットなんて一つもなかったと思うんです。
むしろ、デメリットばかりだったように感じるんですよ。
実際、ひたすら我慢していたからなのか、顧客の要求がますますエスカレートして行ったし。
そーゆー顧客の傍若無人っぷりを他の顧客も見ていたからなのか、カスタマーハラスメント(カスハラ)をやらかす顧客が増えて行く一方だったし。
お客様は神様って考え方の経営者だったからなのか、我慢強いことや忍耐力があることを要求されていたし。
そりゃー、客商売なんだから我慢強いことや忍耐力があることはある程度必要だとは思うけど、それでも限度ってものがありますよね。
だからなのか、仕事を辞めてしまう人もたくさんいたし。
ただでさえ人手不足の状況なのに、ますます人手不足になっちゃっていたし。
そーなると、優秀な人材がますます辞めて行っちゃうし。
まさに人手不足の悪循環って感じだったし。
散々経験したからこそ思うんだけど、カスタマーハラスメント(カスハラ)に関しては、我慢強さや忍耐力は不要だと感じます。
そもそもカスタマーハラスメント(カスハラ)を行っている時点で、倫理観ってものがなさ過ぎるんですから。
だって、トクするのはカスタマーハラスメント(カスハラ)を行っている側と、お客様は神様って名目の売上至上主義で我慢強さや忍耐力を従業員に強いている経営者だけなのであって、ひたすら我慢をしている従業員にはデメリットしかありませんから。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(Cさんの声)
我慢強いことや忍耐力があることに関しては、メリットもあるかもしれません。
だけど、デメリットもやっぱりあるんですよね。
我慢強いことや忍耐力があることには。
問題はってゆーと、我慢強いことや忍耐力があることによって、誰にどんなメリットやデメリットが生じるのかってことだと思います。
例えば、労働法違反が常態化しているブラック企業に勤めているとしますよね。
で、そのブラックっぷりに、必死で我慢していたとしますよね。
こーゆー状況だと、ブラック企業で働いている従業員にはデメリットしかありませんよね。
しかも、ブラック企業で働いている従業員が我慢することによって、労働法違反を始めとするコンプライアンス違反がますますエスカレートしちゃうんですよね。
従業員が文句を言わずに我慢することによって、ブラック企業がますます調子をこいちゃうってゆーか。
そーすると、被害者がさらに増えちゃうじゃないですか。
つまり、我慢強いことや忍耐力があることによって、被害者にもなり加害者にもなっちゃう場合があると思うんです。
私がそうだったように。
当時の私は、石の上にも三年って言葉を信じ込んでいたってことや、企業風土に染まってしまっていたってこともあって、ブラック企業がやりたい放題だったにもかかわらず、必死で我慢していたんです。
とにかく3年は我慢しなきゃ!!
入社してすぐに会社を辞めたら、次の転職先を見つけるのが大変だし、デメリットを被るのは自分だけだし!!って。
なので、ブラック企業で働いてた頃の私は、我ながら驚くほど我慢強かったし、忍耐力もある方だったと思うんです。
今思えば、あんな会社で我慢し続けて働いていてもメリットなんて一つもなかったんだし、あんな会社なんかさっさと辞めれば良かったのに、必死で我慢していたなんてホントにバカだよなー・・・って、心底後悔していますけどね。
自分が必死に我慢して働き続けていたせいで、新たな犠牲者を生んでしまったし。
その犠牲者ってのが従業員だけではなくて、取引先に対する被害まで生んでしまっていたし。
だからこそ思うんです。
ブラック企業に関わってしまった時には、自死に追いやられてしまう前にさっさと逃げろ!!って。
結局、我慢とか忍耐とか石の上にも三年とかって、会社を辞めさせないための呪文の一種だと今はつくづく感じるんです。
思考停止に陥らせるための呪文の一種とでも言ったらいいんですかね。
他にも、貢献がどーのとか、社会の常識がどーのとか、根性とか気合とかって言葉も、場合によっては洗脳につながる場合があるから、危険なんじゃーないかなーって思いますね。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(Dさんの声)
我慢強いことや忍耐力があることって、メリットもあるのかもしれません。
私もどちらかとゆーと、我慢強くて忍耐力がある方だったと思いますし。
仕事にしろプライベートにしろいろいろありますから、我慢しなきゃいけない時もあれば忍耐力が必要な時だってありますよね。
だけど、たとえ我慢強くて忍耐力があったとしても、いくら何でも限度ってものがありますよね。
ってゆーか、我慢することによって状況が全く改善されなくなってしまったり、むしろ状況が悪化してしまったりする場合は、我慢強いことや忍耐力があることはデメリットであるばかりか、害悪でしかないこともあるんじゃーないかな~???って感じちゃうんですよ。
実は、災害がある度に感じることがあるんです。
この国は災害大国であるにもかかわらず、いつまで経ってもスフィア基準ってものがガン無視されちゃっているよなーって。
例えば、災害発生時から何日も経つのに、体育館の冷たい床で雑魚寝することを強いられたり。
食料ですら不十分な状況で、トイレも悲惨な状況ってことも珍しくなかったり。
こんな状況じゃー、災害関連死が増えるのが当たり前なんじゃーないのかな~???
そりゃー、ある程度の我慢や忍耐は必要だと思いますよ。
自分だって、被災者になったら我慢するでしょーし。
ってか、みんな我慢しているんだから我慢するっきゃないでしょーし。
だけど、我慢強くて忍耐力があるのをいいことに、政府がロクになーんにもせずに怠慢をぶっこいていて、スフィア基準ですらガン無視され続けている感は否めないんですよね。
弱者無視って感じだし。
被災者は被害者なのに、自助を強要しているようなものだし。
実際のところ、他国の状況を見ていると羨ましく感じちゃいますしね。
冷たい床の上で寝ざるを得ないこともないし、食料が足りないどころか温かい食事まで提供されているし。
冷房暖房も完備されているし、温水シャワーもあるし。
他国と比較すると、スフィア基準ですらガン無視され続けているこの国どーよ???
コレでも先進国と言えるんだろーか???
って、いつも考えさせられちゃいますよ。
スフィア基準に関すること以外にも、我慢強いことや忍耐力があることについていろいろと考えさせられることがあるんですけど、我慢強さや忍耐力があるが故にデメリットになっていることがたくさんあるって感じるんです。
特に人権に関わる問題に関しては、我慢強さや忍耐力は封印して、もっともっと声を上げて行かないといけないよなーって、つくづく思いますよ。
声を上げることなくひたすら我慢しているから、いつまで経っても人権問題が解消されないんでしょーし。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「我慢し続けているうちに、我慢するのが普通で当たり前にいつの間にかなっちゃうことってあるよなー ( ̄▽ ̄;) 」
「で、我慢するのが普通で当たり前になっちゃっているからなのか、行動を起こす気すら失せちゃうこともあるよなー (´Д`lll)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そう考えると、我慢強さや忍耐力って、相手の思う壺にハマっちゃう場合もあるし、場合によっては危険ってコトなのかも・・・!? (;゚;Д;゚;;) 」
「我慢強いことや忍耐力があることによって、自分にデメリットが生じているってことすらわからなくなっちゃう場合もあるから、マジで怖いよなー・・・ (((( ;゜д゜)))) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こーやって考えてみると、我慢強いことや忍耐力があることって、デメリットの方が実は大きいのかも!? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「とは言えども、あまりにも我慢が足りなかったり忍耐力がなかったりするのもどーかとも思っちゃうんだよねー・・・ (o´д`o)=3 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自分としては、我慢強いことや忍耐力があることってどーしても美徳に感じちゃうんだけど、こんな風に考えてみると、それも状況によりけりってコトなのかも・・・!? o( ̄_ ̄|||)o 」
「ってコトは、我慢強いことや忍耐力があることにもバランスが必要ってコトなんだろーか???バランスがとれていてこその日本人の強みなんだろーか??? (;´д`) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「コレぐらい我慢するのが当たり前とか、我慢強くないし忍耐力がない = わがままで協調性がないイメージとかって、いつの間にか刷り込まれちゃっているようにも思うんだけど、それってどーしてなんだろ~??? (|||▽ ) 」
「やっぱ教育なのかな~???教育によって我慢強いことや忍耐力があることが常識だって、もしかしたら洗脳されちゃっているんだろーか!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー・・・、もしかしたら・・・
なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
我慢強いことや忍耐力があることに関する例えばこんな声からも考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・。)ノ
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(Eさんの声)
我慢強さや忍耐力って個人差があるだろーし、あっていいと思います。
我慢強いことや忍耐力があることには、メリットもあればデメリットもあるでしょーし。
だけど、あまりにも我慢強過ぎたり忍耐力があり過ぎたりするのもどーかとは思いますね。
そもそも、人間だから不平や不満を持つのが自然ですし。
人間は多様とは言えども、不平や不満が全くない聖人君子みたいな人なんて、まず存在しないでしょーし。
我慢することによって、その不平や不満を押さえつける必要がある場合もあるんでしょーけど、いつもいつも不平や不満を押さえつけてばかりだと、ストレスが溜まっちゃうでしょーし。
だからと言って、その溜まったストレスをカスタマーハラスメント(カスハラ)なんかで解消しよーとしたり、上司や部下にぶつけりするのは、人としてどーかとも思いますしね。
そう思うと、そーゆー方向で不平や不満を発散するんじゃーなくて、もっと違う方向で発散した方が役に立つだろーし有意義だろーし、合理的なんじゃーないかな~???とも思いますし。
だってねー、不平や不満があったからこそ生み出された製品やサービスって実は結構あるじゃーないですか。
逆に言うと、たとえ不平や不満があっても、我慢強過ぎたり忍耐力があり過ぎたりすると、そーゆー製品やサービスって生み出されなかったってことでもありますよね。
そーゆー視点で考えると、我慢強いことや忍耐力があることって考え物だと思うんです。
我慢強いことや忍耐力があることによって、不平や不満が押さえつけられてしまって、顧客ニーズの源泉が失われてしまうことによって、新しい製品やサービスが生み出されなくなってしまう原因にもなり兼ねませんから。
なので、適度な我慢強さや忍耐力は必要とは思うものの、我慢し過ぎるのは、もったいないようにも感じるんですよね。
例えばイノベーションって観点から考えても、我慢強さや忍耐力によって阻害されかねませんし、社会全体にとってデメリットになってしまうこともあるんじゃーないでしょーか。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(Fさんの声)
我慢強さや忍耐力って個人差があるものでしょーし、あっていいと思います。
我慢強いことや忍耐力があることにも、我慢強くないことにも忍耐力がないことにも、どちらにもメリットもあればデメリットもあるでしょーし。
誰にも迷惑をかけることがなくて、自分自身にもデメリットが生じないのであれば、我慢強さや忍耐力があってもいいでしょーし、我慢強さや忍耐力がなくてもアリなんじゃーないでしょーか。
そーゆー自分はどーなのかってゆーと、どちらかとゆーと我慢強くないし忍耐力がなかった方だと思います。
ただねー、我慢強くなくて忍耐力があまりなかったが故に、まさに短気は損気って状況に陥ったことがよくあるんですよ。
で、失敗を何度かやらかしちゃったんですよね。
なので、失敗から学ぶことにしたんです。
お陰で今は以前よりは、我慢強くなったし忍耐力もついたのかもしれません。
とは言えども、あまりにも我慢しているとストレスがめっちゃ溜まっちゃうんですよね。
ですので、適度に発散させるようにしているんです。
発散させると言っても、趣味に没頭して発散させるとかして、誰にも迷惑をかけないようにしているんですけどね。
そーゆー経験から思うんだけど、我慢強さや忍耐力って、結局のところバランスが大事なのかもしれませんよね。
我慢強過ぎるのも忍耐力があり過ぎるのも、我慢強くなさ過ぎるのも忍耐力がなさ過ぎるのも、どちらも両極端でしょーし。
いずれにしても、我慢や忍耐力って仕事をしている時にはモチロンのこと、プライベートでも必要になる場面がありますし、人生において我慢や忍耐力が全く必要ないなんてまずあり得ないでしょーから、上手く付き合って行く方が得策なのかもしれませんね。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(Gさんの声)
我慢強さや忍耐力って個人差があるものでしょーし、あっていいと思います。
何にでもメリットだけではなくデメリットがあるように、我慢強いことや忍耐力があることには、メリットもあればデメリットもあるでしょーし。
誰かに迷惑をかけるとかではないのであれば、我慢強さや忍耐力があってもアリだろーし、我慢強さや忍耐力がなくてもアリなんじゃーないでしょーか。
考え方は人それぞれだし、それがその人の個性でもありアイデンティティでもある場合だってあるでしょーし。
ただ、海外暮らしをしていた経験があるからなのか、日本人の我慢強さや忍耐力に関しては、メリットとデメリットの両方で、いろいろと考えさせられちゃうことがあるんです。
と言っても、日本人の我慢強さや忍耐力や自分自身の我慢強さや忍耐力は、海外暮らしをして初めて気がついたんですけどね。
日本人の我慢強さや忍耐力なんて、日本にずぅーっといたらきっと気づかなかったと思うし、考えることもなかったと思いますよ。
日本人の我慢強さや忍耐力のメリットは何かってゆーと、とにかく人様に迷惑をかけないように行動するって点でしょーか。
自分が我慢してでも、他者を気遣えるとか。
誰かの迷惑になる可能性があるのなら、自分が我慢しようって考えるってゆーか。
こんな風に我慢強かったり忍耐力があったりするからなのか、日本人に対するイメージや評価は悪くない方だったし。
一人の日本人がこうだと、他の日本人もそうだろうって思ってくれるし。
そーでなくても、海外暮らしだと外国人の立場だから、我慢せざるを得ないシーンって多々あるじゃないですか。
そう思うと、我慢することに慣れていて良かったなーって思うこともありましたよ。
逆に、日本人の我慢強さや忍耐力のデメリットはってゆーと、声をあげなければいけないシーンで声をあげられなくなってしまっているってことでしょーか。
日本人の我慢強さや忍耐力のデメリットについては、現地の人や日本人以外の人にこんな風に質問されて初めて気づいたんですけどね。
「日本人って、どーしていつもそんなに我慢強いの???」
「この国の言葉や外国語があまりできないから、我慢しているように見えるだけ???」
「でも、日本人以外の人たちって、この国の言葉や外国語があまりできなくても、決して我慢することなく主張するべき点は主張しているよね」
「それがたとえ文法がむちゃくちゃであっても、単語を知らなくても、反対意見は反対意見として、我慢することなく必ず主張するのが当然になっているよね」
「母国語である日本語だったら、我慢せずに主張する???」
「それとも、母国語である日本語で話せても、我慢しちゃうものなの???」
「我慢せずに、もっと言いたいことを主張したらいいと思うんだけど???」
「日本では自分の意見を主張することって、あまり良くないものなの???」
「日本って民主主義の国だし、言論の自由もあるし、表現の自由もある国のはずだよね???」
「独裁国家みたいに、自分の意見を主張しただけで脅迫されたり拷問されたり、逮捕されたり獄死させられたりする国じゃないよね???」
「それなのに、どーして日本ではデモすら起こさず、ひたすら我慢しているの???」
「増税されたり汚職をされたりしても、文句ひとつ言わずにひたすら我慢して、政府に従うのが日本では普通のことなの???」
って。
そりゃー、海外にいると外国人の立場だから何かと我慢しなきゃいけないことってありますよね。
だけど、それだけでは説明がつかないぐらい我慢しているってことに、質問されるまで気づかなかったんです。
ってゆーか、どーして我慢しているのかなんて考えたことすらありませんでしたよ。
それぐらい、我慢することが普通になっちゃっていたんです。
それで我慢することや忍耐力について、初めて考えてみたんですけどね。
我慢強さや忍耐力って、もしかして日本の文化になっちゃっているんだろーか???
我慢強さや忍耐力って、もしかすると主体性のなさとか協調性があることとかとも関係しているんだろーか???
人様に迷惑をかけないようにすることも、我慢強さや忍耐力があって当たり前ってことがベースになっているんだろーか???
自助・共助・公助って言うけど、我慢強いことや忍耐力があることとも関係しているんだろーか???
我慢強さや忍耐力があって、他者に迷惑をかけちゃ絶対にダメって思いこんでいるが故に、誰にも相談できなくなってしまっているとゆーことはないんだろーか???
誰かに相談するどころか、質問することすら躊躇してしまって質問できなくなってしまっているとゆーことはないんだろーか???
ひょっとして、我慢強さや忍耐力って、日本の教育の賜物なんだろーか???
我慢強さや忍耐力にも良い面はあるとは思うんだけど、自助・共助・公助を押しつけるために我慢や忍耐を強いる洗脳教育をやっているのだとしたら、めっちゃコワイのかも???
などについて、初めて考えてみる機会になったんです。
そーいやー、この国の人たちって何かあればすぐにデモをやるぐらいデモ大国なんですよね。
日本では見たことがないぐらいの頻度だし、むちゃくちゃ激しいし。
最初のうちは、交通機関が止まっちゃうわゴミが溢れ返っちゃうわ、酷い時には町が破壊しつくされちゃうわで、ホント大迷惑だよなーって感じていたんですけどね。
だけど、よくよく考えてみたら、我慢する方がおかしいぐらいの話だし、デモをやってむしろ当然の話ばかりなんですよ。
こーゆーのが一般的で普通になっている国の人たちから日本人を見たら、我慢している方が不思議に感じちゃうんだろーなー、肉屋を支持するブタに見えちゃうんだろーなーって、つくづく感じるようになったんです。
こーやって考えてみると、我慢強いことや忍耐力があることも程々なのがいいのかもしれませんよね。
我慢し過ぎるのも良くないし、かと言って全く我慢しないのもどーかとやっぱり思うし。
年金にしても増税にしても裏金にしても、日本人は我慢し過ぎているようにも感じているし。
言われてみたら、そこまで何でもかんでも我慢する必要なんてないですよね。
少なくとも言えるのは、我慢強さや忍耐力があるが故に、肉屋を支持するブタには絶対になりたくないってことでしょーか。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「いっ・・・、言われてみたら、日本人ってそーゆー面があるのかも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
「日本人には我慢強さや忍耐力があって協調性もあって、それが日本人の良さでもあり強みでもあるってことなんだろーけど、見方を変えれば、主体性がないように見られちゃう原因にもなっているような気がしなくもないかも・・・!? (´Д`lll)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「我慢強いことや忍耐力があることを良しとしている日本の文化って、やっぱそーゆー教育を受けて来たからなのかな~??? (;゜Д゜) 」
「人様に迷惑をかけたらダメだからってつい我慢しちゃうんだけど、それってそーゆー風に洗脳されちゃっているからってコトなのかな~??? o( ̄_ ̄|||)o 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「人様に迷惑をかけないようにするって点では我慢や忍耐力はいいんだろけど、自助・共助・公助の押し付けになっちゃっていたらヤダよなー・・・ (ーー;) 」
「だって、それこそ思う壺になっちゃうもんなー・・・、肉屋を支持するブタにはなりたくないもんなー・・・ (|||▽ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーいやー、何のために我慢しちゃうんだろ~??? σ( ̄∇ ̄;) 」
「誰のために我慢しちゃうんだろ~???自分もついつい我慢しちゃう方なんだけど、どーして我慢しちゃうのか今まで考えてみたことがなかったかも・・・!? ( ̄∧ ̄ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「もしかして、誰にも相談できないことも、我慢強いことや忍耐力があることと関係しているのかな~??? ( ゜Д゜) 」
「ひとりで抱え込んで悩んじゃうことも、我慢強いことや忍耐力があることと関係しているんだろーか??? ( ̄▽ ̄;) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでもって・・・
盲点になっていたり灯台下暗しになっていたりすることも意外とある
かもしれないので、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
(〃 ̄▽ ̄)o
現代の若者が我慢を知らないといった批判は間違っている
■ 「逃げる中高年、欲望のない若者たち」
現代の若者が昔に比べて怠け者になったとか根性がないとか我慢を知らないといった批判は間違っている。
日本の若者は、大人になって一人で生きていくための実務的な職業訓練をほとんど受けることなく成長し、ふいに社会に放り出される。
議論されるのは、学力重視の教育か、それともゆとり教育かというような、どうでもいい話題ばかりだ。
学力重視もゆとり教育も、一人で生きていける大人にするための具体的なカリキュラムがないという点では変わり映えしない。
怒っているんだよと誰かに言われなければ怒れないような若者が大量に社会に送り込まれる。
怒らないのは別に若者に限ったことではない。
経験と訓練がなければ、怒りの感情をアクションに帰ることはできないのではないだろうか。
わたしたちの社会は、正当な怒りを言葉や行動で表現することを、子どもたちや若者に教えていないし、示してもいないということになる。
収入が多ければ、つまらない仕事でも我慢する?
■ 「ボーアウト」
私たちは、何のために働くのだろうか?
まっさきに出てくる答えは、「生きていくため」というものだ。
生計をたてるにはお金が必要だ。
生計をたてることが収入と直接に結びついているため、ともすると私たちはそればかりを重視する傾向がある。
収入が適正なら仕事も適正だ・・・こういう考え方をしていると、
「収入が多ければ、つまらない仕事でも我慢する」
ということにつながってしまう。
むろん、誰もが興味ある仕事ができるわけではない。
能力の違いや家族を養わなければならないことなど、いろいろな原因がそれを妨げている。
おまけに現代社会では、面白くはないが誰かがしなければならない仕事がたくさんある。
しかしそれでもなお、もし可能なら、現在の仕事、あるいは新しい仕事について考えるときに、興味があるかどうか考えるのは大切だ。
個人的な興味を仕事に結びつけることができたら、あとの2つ、収入と時間との関連において、できるだけ多くの見返りを得るという目的は、すでに成功に近づいているからだ。
コミュニケーションはひとりではできない。
相手のあることだからだ。
もし上司があなたの発言に耳を傾けてくれなければ、どうにもならない。
だから、上司があなたにきちんと向き合ってくれることが前提だ。
最後の手段はむろん退職を願い出ることだ。
だがその前に、あらゆることを試してみたほうがいい。
さもないと新しい職場でまたぞろ同じことの繰り返しになってしまうかもしれないからだ。
従業員が我慢できるとき、我慢できないとき
■ 「まず、ルールを破れ」
すぐ上のマネージャーがはるかに重要だ。
従業員が働く環境を決め、現実にそれを展開するのはマネージャーだ。
もしマネージャーが要求をはっきりと示した上で、部下が理解し、信頼して仕事を任せるなら、その企業に具体的な利益の分配計画が存在しなくても従業員は我慢できる。
けれどもそのマネージャーとの関係が壊れている場合には、社内でマッサージや会社が代わりにしてくれるサービスがどれだけ充実していても、その会社にとどまって仕事をする気にはなれない。
ひどいマネージャーのもとで仕事するよりも、優秀なマネージャーのもとで働く方がはるかに快適だ。
会社で奴隷のように扱われるのを我慢すべき理由などありはしない
■ 「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
人間性に逆らって働くよりも、人間らしく働いたほうがずっとラクだ。
さらに重要なのは、社員が人間らしく働ける会社のほうが、社員の人間性を奪うような会社よりも、成功する確率が高い。
文明の進歩に従って、大量虐殺や奴隷制度はほとんど見られなくなっている。
月給取りだからといって、会社で奴隷のように扱われるのを我慢すべき理由などありはしない。
コスト削減を口実に、従業員を奴隷のように扱うことがあってはならない。
我慢は美徳!?
■ 「我慢は美徳!?」 強さを強要する“息切れ日本”に抗う力
何に価値を置くかは人によって異なる。
自分らしく生きるために、自分の人生に納得するためには、自分の大切なものを失わないように、環境に流されないように、大きく足を広げて、地面にしっかり足をつけて、踏ん張る必要がある。
それは、自分の価値観を信じることでもあり、生きる力を失わせない術でもある。
大切なのは困難に遭遇したときに、「いかにして積極的に対処し、適応するかだ」
我慢することは、現代ではタブーとされている。
だが、自分にとって大切なモノ、価値ある事、それを見失わないためには、ときには踏ん張ることが重要となる。
といっても、どんなに苦しくても耐えろ! というわけじゃない。
積極的な適応を図るためには、ネガティブな感情を低く抑えればいい。
厳しい状況を笑い飛ばしたり、ときには趣味に没頭したり、お酒を飲んだり、愚痴を言ったりして、感情をコントロールする。
1人で踏ん張ることができなくとも、一緒にふんばってくれる人がいれば、なんとかなる。
そして、どうにか踏ん張ることに成功すれば、それがその後再び遭遇するであろう困難を乗り越える元気になる力となる。
我慢が上手になってしまうと、不満を感じても指摘できなくなる
■ 人が辞めていく「現状維持ばかりの組織」が職場で「禁じている発言」・ワースト1
あなたの職場では「大変だ」「つらい」などの発言が禁止されていないだろうか。
「大変だ」「つらい」をあまりに頻発するのは、たしかに職場の空気を悪くする。
しかし我慢しすぎるのも不健全である。
弱音を言葉にすることは、職場の問題や課題を言語化する意味もある。
我慢が上手になってしまうと、職場環境や仕事のやり方に不満を感じても指摘できなくなる。
改善意識がなくなり、現状維持の体質が強化される。
現状の改善を促すためにも、我慢しすぎず適度に発散したほうがよいだろう。
あなたが大変さやつらさを率先して発するのみならず、誰かが弱音を吐いたら、話を聞いてその大変さやつらさを一緒に分析・分解しよう。
何が大変なのか、どうすればつらさが和らぐのか。話を聞きながら一緒に悩む。
その対話と行動の積み重ねが、大変さやつらさを一人で抱えず、チームで相談して解決する文化、および改善体質を育む。
我慢が偉いだの努力が素晴らしいだの思いこんでいるのは日本人だけ
■ 日本の人権意識の低さは異常
日本の人権意識の低さは異常としか言いようがない。
社会全体が人権を守るという意識が皆無だ。
洗脳教育の賜物だ。
先進国は人権は当然の権利として、老若男女とわず誰でも主張する。
主張するのは当たり前なのでバッシングなんて絶対に有り得ない。
- 会社で上司が部下に怒鳴る殴る
- 仕事の面接で年齢を聞かれる
- 学校で教師が生徒に体罰や理不尽なシゴキ
- 言葉の暴力、肉体の暴力、パワハラセクハラモラハラ
全て許されない犯罪なのだ。
怒るべき事なのに日本人は唯々諾々と従う。
仕方ない皆同じように我慢している。
我慢するのは恥であって偉くもなんともない。
我慢が偉いだの努力が素晴らしいだの思いこんでいるのは日本人だけだ。
我慢して良いことなんか何一つない。
人権を主張しろ。
怒りを我慢するな。
怒りは今この瞬間にも、人権を踏みにじっている。
アメリカでは日本のように我慢しない
■ なぜ日本人は世界で通用しないのか
残念ながら日本の場合は、先生が1番偉くて、生徒は知識を一方的に与えられる人になっています。
先進国に追いつく過程においてはそうした教育も効果的でしたが、日本は1990年代前半にアメリカに追いついてしまった。
それが「失われた20年間」につながったのかなと。
知識を与えられるだけの教育では、その瞬間に、誰も絵を描けなくなってしまう。
上の意見に逆らうことができない状態じゃいい発想も出てこないし、仕事へのモチベーションも上がらないでしょう。
背景には1人だけ違う意見を持つことを許さない日本企業の文化があると思います。
アメリカでは、自分の考え方と合わないと思えば転職します。
日本のように我慢しない。ということは、日本では多くの人が自分の考えを諦めているわけです。
採用にも問題があると思います。
企業は、上の意見に服従してくれる人のほうが都合がいい。
だから「答えはいくつもある」なんて難しいことを言う人より、自分たちのカルチャーに染められるように、「とにかく頑張ります」と言う人を積極的に採ってきました。
小中学校のときから「答えはいくつもある」という教育をしていって、彼らが社会に出たときに化学反応が起きれば、新しい日本というものが見えてくるはずです。
日本はベースの教育はいいのだから、うまく組み合わせれば、ふたたび世界に羽ばたけるのではないかと思います。
我慢していれば将来的には報われる?
■ ミンツバーグが描く“コミュニティ”は日本に根付く?
「コミュニティ」は、西洋的個人主義に基づくものだ。
確固たる自分の意見を持った独立した個人が、自ら望んで集まり、集団にコミットし、コミュニケーションを持ち、アイディアと創造性を発展させていく。
これが西洋的自己観に基づいたコミュニティだ。
しかし、日本をはじめとした東アジアの「コミュニティ」はそれとは様相が異なる。
人々は個々の意志で集まるというより、あまり選択肢のない中で、極端に言えば「仕方なく」集まった人々が、「ま、ここでやっていくしかないよな」という諦めのもと、集団規範に組み込まれて成り立っているのが東洋型コミュニティだ。
そこでは、個人のユニークな考えではなく、集団の持つ空気を読むことがより重要で、どのように集団に順応していくかがカギとなる。
個人が自発的に集まるコミュニティと、集団がその規範の中に個人を巻き込んでしまうコミュニティでは、そのメンバーのメンタリティや行動規範は自ずと違ってくる。
前者では、個人は自分が集団にいかに貢献できるかを考えるのに対し、後者では、個人は自分がいかに集団から利益を得られるかが重要になる。
だから、ますます強い集団規範が必要となる。
それが立ち行かなくなったのが、バブル崩壊後の日本組織だ。
そしてその直接的な理由は、年功序列、終身雇用といった「長期的関係」の組織をつくり上げる制度がなくなったことである。
先の集団規範も、メンバーが「他にいくところがないし、我慢していれば将来的には報われるので、今は集団に順応するしかない」という状態に置かれて、初めて機能するものだ。
しかし、これらの制度の崩壊によりその状態はなくなった。
後に残ったのは、日本型コミュニティの崩壊と「不機嫌な職場」だった。
我慢をやめて過重労働の日々に終止符を打つのは「逃げ」なのだろうか
■ 会社に壊されるくらいなら会社をやめよう
連日の深夜残業や休日出勤のあげく心身を壊す正社員、低賃金なのに正社員並みの業務と責務を負わされる非正規雇用の労働者。
いわば、「会社に壊される」状況がはびこる現代に、私たちは生きている。
「ブラック企業に関する調査」では、自分の会社が「ブラック企業」だと感じているにもかかわらず転職しない人の理由として、「再チャレンジが難しい」が半数を占めたほか、
「転職活動の時間がない」
「どこも似たような環境だと思う」
「今の職場を辞めたら生活が成り立たない」
という回答が上位を占めた。
たとえ今の職場が劣悪な環境でも、一旦会社を辞めてしまえば、「待っているのは“転落人生”ではないか」という恐れが、わたしたちの足をすくませる。
だが、「楽して生きている人なんていない、人生は苦しいものなんだ。だから逃げちゃダメだ」と我慢するのはもうやめて、会社を辞める恐怖も乗り越えて過重労働の日々に終止符を打って新たな道を探りたい、と考えるのは、ただの「逃げ」なのだろうか。
別に、好きで過重労働に挑むなら構わないだろう。
その挑戦から勝ち取る成果もあるはずだ。
だが、図らずも過重労働に陥って、過労死のリスクを背負ってまでがんばる理由がなければ、苛烈な労働環境から降りて別の道を探したっていい。
バイトは我慢しないでどんどん辞めるといい
■ バイトの人は、どんどん会社を辞めるといい それが「変化」を後押しする
君たちはこれからもどんどん休んだり辞めたりしていい。
バイトは我慢しないでどんどん辞めるといい。
だって、流動性の高さこそ君たちの手にしている最強の武器であり、権利なのだから。
「職場に迷惑がかかるから」なんてつまんない理由で我慢するのはもったいない。
内輪の事情は、バイトのみんなには何の関係もない話だ。
君たちの空けた穴は、正社員のみんながぶっ倒れるまで頑張って埋めてくれることだろう。
その正社員もぶっ倒れたり逃げ出したりしたらどうなるか?
そうなったら、無理なく働ける新制度を会社自身が作るしかない。
「我慢できなかったの?」は、上からの指導
■ 「自己責任だ」と説教しても、貧困問題は解決しない
会社やめても
「なんでやめたの」
「我慢できなかったの?」
「そんな上司文句言えばいいじゃん」
とか。
でもそれは上からの指導なんですよね。
それって対等じゃない。
何かの理由があって、仕事が出来ないから困窮している。
それなのに出来ないことだけを見て責めても問題は解決しません。
みんなに責められている人をこれ以上、責めても仕方ない。
過程を丁寧にみていかないといけない。
説教をして自己満足しても、その人の問題解決につながらない。
自業自得じゃない要素を持っていない人って少ないと思うんですよ。
誰だって、人生の選択に失敗はつきものです。
「自己責任」って言うのは、最強の言い訳ワードなんです。
その一言で見ないようにできる。
自己責任って言いだしはじめたら、誰も反論できません。
「自己責任」と言われて言い返せる人なんてほとんどいません。
自分自身の生活が100%高潔な人はいないと思うので。
日本の労働者の忍耐強さのレベルは相当高い
■ 勤勉さだけでは改善できない日本の低い労働生産性
日本人は確かに勤勉だ。
世界的に見ても、日本の労働者の教育レベル、勤勉さ、そして忍耐強さのレベルは相当高い。
しかしこれまでの経済的な課題と違って、日本の労働生産性は「もっと頑張る」だけでは解決できない。
品質の高い商品を作るだけではなく、顧客が望んでいる商品、付加価値の大きいイノベーション性のある商品が求められている。
それを可能にするのは生産現場だけではなく、研究開発スタッフ、マーケティングの担当者、商品デザイナー、などのホワイトカラーの人材だ。
しかし、日本の組織は、生産現場以外の人材を管理するための革新的な方法を生み出しておらず、実際のところ、諸外国と比べても人材の管理や有効活用のための取り組みについては遅れていると言ってもよいだろう。
日本企業の管理者は、部下の仕事を評価する場合に、そのアウトプットよりインプットに重点を置く傾向がある。
残業は努力の現れとも言え、奨励される傾向にある。
従業員が残業することが当たり前に思われており、「一人の仕事」量は40時間(8時間X5日)でこなせる量よりも相当大きなものとなる。
言い換えれば、残業をしないと仕事がこなせない状況を作り出している。
『自分は歯車にしか過ぎない』と感じさせる現状は、生産性の向上にはほど遠い。
日本の企業は従業員満足度をあまり重視しない。
実際は、自分の仕事に情熱を傾け、幸せでいられることと生産性には大きな関連性があり、そうではない人からは優れたアウトプットの期待はできない。
創造性を必要とするホワイトカラーの仕事には特にそれが当てはまる。
日本では最近、上司のパワハラが問題になっている。
怒鳴ったり極度に厳しい態度をとる上司を持つ部下は、仕事が楽しくなくなり、ストレスレベルが上昇、エンゲージメントが下がり、生産性も向上しないのは言うまでもない。
まずはこういった問題の存在やその悪影響について認識することがその第一歩と言える。
経営学には、シナジー効果を求めるべきということがよく言われる。
しかし、残念ながら、日本の組織は労働力の利用が非効率すぎて、全体がその和より小さくなってしまっているように見える。
言い換えれば、労働力が無駄使いされているのだ。
この状況が続けば日本の労働生産性は一向に上がらないし、経済も改善しない。
組織をどのように運営するかについて、日本企業は考え直す必要がある。
企業の利益、国の将来、そして個々の従業員の人生を考えれば、それは急務だと言える。
日本の労働力の勤勉さは素晴らしいが、それにばかり頼り、もっと働かせればよいというやり方は限界に来た。
長時間労働を前提としないシステムを整え、無駄の多い社内手続を取り除き、エンゲージメントとそれに密接に関係する創造性とイノベーションを奨励し、モチベーションを阻害するものをなくす。
これが日本の組織にとって重要な課題だ。
忍耐を必要とするイノベーションの仕事ができないとき
■ イノベーションは企業家の道具 イノベーションに成功するには3つの心得がある
ドラッカーは、イノベーションに成功するには心得が必要だという。
いずれも当たり前のことでありながら、しばしば無視される。
第一に、集中しなければならない。
複数の異なる分野でイノベーションに成功することはほとんどない。
あのトーマス・エジソンさえ、発明を発明したといわれるほど発明の方法論に通暁しながら、電気の分野でしかイノベーションを行なわなかった。
イノベーションには、勤勉、持続、献身を必要とする。
集中することなくして、これらのものを手にすることはできない。
知識は多分野のものを必要とするであろう。
だが、目指すものについては、集中がなければならない。
第二に、強みを基盤としなければならない。
あらゆる人、あらゆる組織に、得意と不得意がある。
イノベーションに利用できるのは、得意とする能力である。
あらゆる機会を検討し、自らの能力を最も生かしてくれる機会を探す。
相性も必要である。
狙いとするものの価値を心底信じていなければならない。
さもなければ、忍耐を必要とするイノベーションの仕事はできない。
問題を「我慢しよう」と考えてしまうと、世の中は進歩しない
■ 問題の名称をわかりやすく変更しよう!
問題って、もうちょっと本質がよくわかるような名称で呼んだほうがいいと思うんだよね。
大事なことは、
- 問題を問題と認識し、
- 問題を解決するためにはなにをすればいいのか
という方向で思考することです。
問題を「仕方のないこと」「我慢しよう」と考えてしまい、「できない理由」ばかり声高に叫ぶ人が増えてしまうと、世の中は進歩しない。
面倒なこと、理不尽なこと、大変すぎることに関しては、「これってちょっと変じゃね?」って声に出していいましょう。
そして可能なら、個人としてどんどんそれらを避けましょう。
ひとりひとりがそうすることで、問題解決への道が拓けるのです。
若いうちは低賃金で我慢するのが今までのお約束だった
■ 「未来の働き方を考えよう」
年功序列型の賃金体系は、
「単身者や共働きの20代と、妻子の生活費や教育費、親の介護に住宅ローンまで抱えた50代では、生活に必要な額が全く違う」
「両者の仕事のデキが同じだからといって、同じ給与にする必要はない。給与はそれぞれの生活に必要な額を支払うべきだ」
という考え方を反映して、設計されています。
だからどんなに仕事ができても、若いうちは低賃金で我慢し、どんなに仕事の能力が衰えても、50歳の人にはそれなりの額を払うというのが、今までのお約束だったのです。
しかし、世界規模での同一労働・同一賃金という原則は、「給与は仕事の対価である」という考え方に基づいており、今まで日本の組織が維持しようとしてきた年功序列型の賃金秩序と、真っ向からぶつかります。
「中高年は家族を養わないといけないから、給与を高く設定する」などという国内限定ルールは、早晩維持できなくなるでしょう。
さらにグローバリゼーションが進めば、仕事が行われる場所も、世界規模で再配置されます。
今後はホワイトカラーの仕事も、先進国から新興国へ移動します。
グローバルなクラウド環境が利用可能になれば、私たちが働く場所と住む場所は、完全に分離できるかもしれません。
本人の意向にかかわらず
「この仕事は、ネットでやりとりでき、たまに出張すればこなせるはず」
「ついては部門全体をフィリピンの子会社に移すので、みなさんには、そちらで働いてもらいます」
と言い出す企業が出てくるかもしれません。
そうなれば日本の最低賃金も適用されないし、年金や健康保険の企業負担も不要になります。
給与だけは日本と同じ額を払ったとしても、法人税や消費税、オフィスの光熱費から家賃まで、ビジネスのインフラコストは日本よりかなり安くなります。
そうなれば、経理や総務などの管理部門、大半の仕事を電話で行うカスタマーサポート部門やプログラムのバグとりをするような仕事を、いつまでも日本においておく必要があるでしょうか?
争いなしに収まるのなら、我慢しようかと考えるのが大方の日本人
■ 「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」
日本は、世界の常識からすれば、とても不思議な国なのである。
日本に帰ってくると、日本人は本当に穏やかだと思う。
東京の雑踏の中でも、満員電車の中でも、人々は殺気立たず、罵り合うこともなく、常にそれなりの秩序と平安が保たれる。
治安もよいので、一歩外を出たからといって、自分にアラームを鳴らし続ける必要もない。
だから、電車の中で安らかに眠っている。
日本では、たとえ何かトラブルが起こっても、相手が一方的に正当性を主張し、こちらに非難を浴びせかけてくるなどということはない。
日本人は穏やかで、普段から、他人と喧嘩腰の物言いになることが少ない。
こういう国が珍しいことは、ちょっと海外へ足を延ばせばすぐにわかる。
日本人がいつも漠然とした信頼感の中で漂うように生きているのは、大昔から外的に生存を脅かされたことがないというのが一番の理由だと思う。
常に警戒しているという状況で生きる必要がなかったのだ。
だから、攻撃されることには慣れていない。
万が一攻撃されても、すぐさま反撃に出たりもしない。
こちらがちょっと我慢をして争いなしに収まるのなら、我慢しようかと考えるのが大方の日本人である。
根っから抗争を好まないのだ。
気に食わないことを我慢するのが、とにかく大嫌いなドイツ人
■ 「びっくり先進国ドイツ」
ドイツ人は気に入らないことがあると、人目を気にせずに、はっきりと口に出して文句を言う。
ヨーロッパの様々な民族の中でも、ドイツ人は「歯に衣を着せず話をする、遠慮のない民族」として知られている。
泣き寝入りをしたり、気に食わないことを我慢したりするのが、とにかく大嫌いなのだ。
日本人ならば、他の人が見ている前で、店員に文句をつけるなんて、気恥ずかしくてやりたくないし、のんびりした土曜日の気分がぶち壊しになってしまうと思うだろうが、ドイツ人はためらわない。
思ったことを正直に言うと、自分の成果を堂々と売り込むことが、評価される社会でもある。
一部の例外を除くと、自分の言ったことが、相手の感情にどういう影響を与えるのかについては、あまり気にしない人が多い。
感受性よりも、理屈が優先する国なのである。
日本では不平を言わずに、つらさに耐えて黙々と仕事をするのが美徳とされるが、この国では文句を言わないのは、状況に満足している証拠とみなされる。
自分が何かにつけて文句を言っているのに気づいたら、ドイツ人に近づいた証拠である。
日本の銀行、証券業界、中央官庁などで、泣き寝入りや「触らぬ神にたたりなし」という態度を続けてきたがために、問題がかえって深刻化したケースがあったことを考えると、「おかしい」と思ったことに抗議するドイツ人気質には、評価するべき点もあると思うのだが、どうだろうか。
会長は、社長の数倍我慢しなければならない
■ 「経営者の手帳」
社長と会長の最大の違いは、「我慢の度合い」である。
社長を引退した後、代表取締役会長に就任する経営者が意外に多い。
理想をいえば、代表権は潔く返上し、取締役会長や相談や、顧問になったほうがよい。
また、代表権の有無にかかわらず、会長になったら現場にはあまり口を挟まないことである。
というのは、たとえ役割分担をしたとしても、全体に関する決断は、社長と会長のどちらかがしなければならないからである。
結局のところ院政が敷かれ、社長とは名ばかりで実質は会長補佐役、専務となってしまうケースが多い。
せっかく社長に就任しても、会長のことを気にするあまり、独自性発揮の経営ができにくいばかりか、社員も二頭政治に振り回されてしまう。
社長と会長の違いは、会社に出社する回数、現場に口出しする回数、とりわけ我慢の度合いである。
具体的には、会長は社長に比べて出社する回数や口出しする回数を、社長の数倍我慢しなければならない。
それができなければ、会長になる資格はない。
下請け経営というのは、自立型経営、独自企業になるまでの我慢の期間
■ 「日本でいちばん大切にしたい会社 3」
私はよく、相談に来た下請け企業の社長さんに
「『徳』のない会社とはつきあわないほうがいい」
「いつの日か捨ててしまいなさい」
とアドバイスします。
下請け企業の経営者や社員、さらにはその家族の幸福を念じない企業とつきあっても、得ることなどひとつもないからです。
私は下請け経営というのは永遠の企業形態ではなく、自立型経営、独自企業になるまでの我慢の期間、勉強の期間と思っています。
発注企業、メーカーの購買政策や担当者の仕事への取り組み姿勢で泣いている下請け企業は多いと思います。
しかし、自社の業績を維持・向上させるために、なんら非のない下請け企業に圧力をかける取引姿勢や取引は、下請け企業の反発は生んでも、信頼関係を深めることはできないでしょう。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(パート4)
で・・・、、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、例えばこんなのからも念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
( ´ ▽ ` )ノ
我慢強いとは?
○ goo辞書
- 忍耐力がある。辛抱強い。
- 我 (が) を張る気持ちが強い。
○ 違い比較辞典
自分の感情をうまく調整して耐えられるのが「我慢強さ」といいます。
人が楽しんでいるとき、自分も参加してみたいと思う状況でも耐えられるだけの精神的な強さがあったり、忍耐力を養って我慢して生きるのです。
また、辛い出来事があっても弱った気持ちを見せず、いつか事態は変わると思いながら生きる人も対象になります。
「我慢強さ」は欲望をうまく抑えて生きる人の精神力を指す言葉です。
何事にも我慢できる人は大声を出して怒りをぶつけたり、泣き喚くといったこともありません。
試練を耐えられるだけの精神力があるわけです。
我慢とは?
○ goo辞書
- 耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。
- 我意を張ること。また、そのさま。強情。
- 仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。
○ ウィキペディア
我慢とは、仏教の煩悩の一つ。
強い自己意識から起こす慢心のこと。
四慢(増上・卑下・我・邪)の1つ、また七慢(慢・過・慢過・我・増上・卑劣・邪)の1つ。
仏教では人間を固定的な実体として捉え、自己に執着することを我執(がしゅう)といい、その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。
現在、一般的に自分自身を抑制し、また耐えるという「忍耐」の意味あいで用いられる「我慢する」は、もともと「我意を張る」などという強情な心意を介した転用で、近世後期から言われるようになったとされている。
辛抱とは?
○ コトバンク
つらいことや苦しいことをがまんすること。
こらえ忍ぶこと。
忍耐力とは?
○ コトバンク
つらいことや苦しみなどをたえしのぶ力。
辛抱する力。
○ 違い比較辞典
何事にも動揺せず、耐えられる力を「忍耐力」といいます。
耐え忍ぶ力を身に付けて高めることを「忍耐力」といいます。
つらいと思っても悲観せず、いつか明るい光りが差すと願って生活するのです。
それほど黙って耐えられる力が身に付くよう日々努力しています。
金銭的につらい生活を送ったり、家族が病気になってしまい、看病する日々で寝る時間もままならない厳しい生活にも耐えて生きるのです。
いつか事態が良くなると考えて我慢する生活を送る人は苦痛な状況でも酷く動揺したり、人を騙して生きようとはせず自らの力で生き抜く人生を選びます。
忍耐とは?
○ コトバンク
苦難などをこらえること。
たえしのぶこと。
こらえること。
辛抱。
耐忍。
○ ウィキペディア
忍耐とは、苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと。
忍耐する力を「忍耐力」、忍耐力があることを「忍耐強い」と言う。
例えば、自分に不都合なことなどをひとにされても、暴力的な仕返しをしたり、現実逃避したりしないなど。
我慢強いことや忍耐力があることのメリットやデメリットって?
(パート5)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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