「無関心の原因って何だろ~? (´・ω・`) 」
「無関心になっちゃう理由って何だろ~? (;゜д゜) 」
「ウチの会社に無関心になっちゃっているように感じる従業員がいるんだよね・・・ o( ̄_ ̄|||)o 」
「同じ部署でも自分が担当している以外は無関心っぽいし、他部署の仕事にも無関心っぽいし、自社の製品やサービスに対しても無関心っぽいし・・・ (;´д`) 」
「自分が勤めている会社なんだから関心や興味があるのが普通のはずだと思うんだけど、どーしてあんなに無関心なんだろ~? (;´д⊂) 」
「マジメに仕事をしているからやる気がないってワケでもないと思うし、人間関係が悪いわけでもないし、社内コミュニケーションが全くないってわけでもないんだけど、ただ淡々と目の前の仕事をしているだけってゆーか、無気力とまでは行かないけど、なーんかどーも興味や関心がないってゆーか無関心に感じるってゆーか・・・ (o´д`o)=3 」
「無関心だから疑問も持ってくれないんだろーか? (ーー;) 」
「無関心だからアイデアも出してくれないのかな~? (´ε`;) 」
「従業員がウチの会社に対して無関心なのって、一種の兆候なんだろーか? (|||▽ ) 」
「もしかして、優秀な人材が会社を辞める前兆ってコトなんだろーか? ヽ(;▽;)ノ 」
「従業員が無関心になっちゃうのって、組織に関する問題なんだろーか? ( ̄∧ ̄ ) 」
「それとも人材育成に関する問題なんだろーか? (; ̄Д ̄) 」
「関心を持たせるには、やっぱもっと人材育成をやらなきゃダメなのかな~?だとしたら、どんな教育をやったらいいんだろ~? (;・∀・)」
「従業員がウチの会社に関心や興味が持てる組織をつくるには、何をどーしたらいいんだろ~?どんな組織力の強化や向上をやる必要があるんだろ~? (;´Д`)ノ 」
などなど、特に経営者の立場の方や管理職の立場の方から、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「三方よしの経営相談」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、無関心って何なんだろーか?
関心や興味って何なんだろーか?
どんな時に無関心になりがちで、どんな時には無関心にはならないんだろーか?
どんな時には関心や興味が持てて、どんな時には関心や興味が持てなくなっちゃうんだろーか?
どんな組織だったら、従業員が無関心になってしまうんだろーか?
どんな組織だったら、従業員が関心や興味を持てるんだろーか?
自分が勤めている会社のことに対して、関心や興味を持つメリットやデメリットって何なんだろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
無関心で困るのは誰なんだろーか?
無関心でも困らないのは誰なんだろーか?
何のために、関心や興味を持って欲しいんだろーか?
誰のために、関心や興味を持って欲しいんだろーか?
などなども含めて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
無関心の原因とは?関心や興味が持てる組織をつくるには?
(パート1)
えーと・・・
無関心と一口に言っても温度差があり
理由や事情などが異なれば、解決策も異なる
んじゃーないかな~???
( ・ _ ・ )
それが良いかどーかは別として、例えば・・・
従業員の立場の方でも関心や興味があることもあれば、従業員の立場であるが故に無関心になっちゃっていることもあれば・・・
経営者や管理職の立場の方でも無関心になっちゃっていることもあれば、経営者や管理職の立場であるが故に関心や興味が持てないこともあれば・・・
関心や興味はあるものの、何をどーしたらいいのかわからなかったり、何をどーしてもなーんにも変わらない、どーせ何をやっても変えられない、やるだけムダなどと諦めてしまっているが故に、無関心になっちゃっているように見える場合もあれば・・・
何が起こっているのか全く知らされていなかったり、知ろうとしていなかったりしたために、無関心になっちゃっている場合もあれば・・・
何が起こっているのか知って初めて、関心や興味が持てる場合もあれば・・・
自分自身にどう関係するのかよくわからないとか、因果関係や関連性などが見えないが故に、無関心になっちゃっている場合もあれば・・・
因果関係とか関連性とかがわかれば、関心や興味を持つことができる場合もあれば・・・
関心や興味を持つことにデメリットしか感じられないはずだから、無関心でいた方がメリットが大きいなどと感じていることもあれば・・・
関心や興味を持つことにメリットを感じられたら、無関心ではいられなくなる場合もあれば・・・
自分にはなーんの関係もないし、何があってもどんなことがあっても、これから先も当事者になることは絶対にないと思っていて、無関心になっちゃっている場合もあれば・・・
自分にはなーんの関係もないと思っていたり、興味もなかったり無関心だったりしたけど、経営環境の変化の影響なんかをきっかけにして、自分自身が当事者になって初めて、関心をイヤでも持たざるを得ない状況になっちゃう場合もあるんじゃーないかな~???
なーんて感じるコトもあるので・・・
( ̄▽ ̄;)ゞ
従業員の方が無関心になっちゃっている原因とは一見、何も関係ないように見えるかもしれないけど、視点が変われば何か気づくこともあるかもしれないし、もしかしたら・・・
なんかにも関係するっちゃーする面もあるかもしれないので、例えばこんなのからまずは考えてみるのはどーでしょう?
d(⌒ー⌒)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その1)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その2)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その3)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その4)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その5)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その6)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その7)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その8)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その9)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その10)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その11)
■ コレって関心ある?無関心?ナゼ無関心?ナゼ関心ある?(その12)
無関心の原因とは?関心や興味が持てる組織をつくるには?
(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「げっ・・・!?コレってマジ!? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「知らないこととか、自分との関係がよくわからないこととかに関しては、関心や興味を持てといくら言われても持てるワケないってコトなのかも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「おいおい・・・、無関心だと激ヤバじゃんかよ・・・、無関心だと、やりたい放題にやられちゃうってコトでもあるのかも・・・!? ((((;゜Д゜))) 」
「無関心だとブラックボックスを生み出してしまう恐れもあるのかも・・・!?もしも暴走したりなんかしても、無関心だと気づけなくなっちゃうし、暴走を止めようがないってコトなのかも・・・!? (;゚;Д;゚;;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「知っていたのもあれば、知らなかったものもあるのかも・・・!?ってか、意識すらしていなかったものもあるのかも・・・!? (;゜д゜) 」
「アレは知っていたけど無関心になっちゃっていることもあるよなー・・・、どーして関心や興味が持てなかったんだろ~? (´ε`;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「知識としていくら知っていたとしても、知識を暗記しているからと言って関心や興味が持てるとは限らないってコトなのかも・・・!? (ーー;) 」
「無関心になっちゃーいけないとは思っていても、関心や興味が持てない時もあるのかも・・・!? (; ̄Д ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こーゆーコトに関心や興味は持てないよなー、なーんか自分とは全然縁のない遠い世界の話のように感じちゃうし・・・ (;´゚д゚`) 」
「だけど、逆の立場だったら関心や興味を持って欲しいって思っちゃうよなー、頼むから無関心にならないでくれよー、少しは関心や興味を持ってくれよーって思っちゃうよなー (ノ_・。) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「どーしてそんなに関心や興味を持たせたいのか、その理由がよくわからなかったけど、ちょびっとだけわかったような気がしなくもないかも!? (;´д`) 」
「何度言ってもどう言っても無関心になっちゃうのか原因がわからないよなー、いったいどーすりゃー関心や興味を持ってくれるんだろ~???って悩んでいたけど、ほんのちょっぴりわかったかも!? ( ̄▽ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「当事者ではないものの、こーゆーのに関しては無関心ではいられないし、関心や興味もあるんだけどなー・・・ p(´⌒`q) 」
「こーゆーコトに関しては興味もあるし無関心ではいられないのに、会社のことに関してはどーして関心や興味が持てないんだろ~? ( ̄∧ ̄ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「大事なコトだとは思うんだけど、でもねぇ~・・・って感じかも・・・!? σ( ̄∇ ̄;) 」
「目の前のことでいっぱいいっぱいで、こーゆーコトに関心や興味を持っている余裕が心身ともにないかも・・・ ( ▽|||) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「関心や興味を持ったってメリットがないし、むしろデメリットばっかだから、無関心のままの方がいいよなーってやっぱ感じちゃうんだけど・・・ (; ̄ェ ̄)」
「関心や興味を持ったところで、なーんの権力もない一般庶民なんだしさー、なーんの権限もなくて役職にも就いていないし肩書きもない平社員なんだしさー、どーせなーんにも変えられるワケないしさー ( ̄・・ ̄)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こーゆーコトに関しては関心や興味を持ちたくないんだよね・・・、無関心でいたいんだよな・・・ (´・ω・`) 」
「あーあ・・・、誰かナントカしてくれないかなー (o´д`o)=3」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こんなのどーでもいいしぃ~、興味ねぇーしぃ~、会社がどーなろーと日本がどーなろーと世界がどーなろーと知ったこっちゃないしぃ~ q( ̄3 ̄)p 」
「何があってもどんなことがあっても、自分は当事者になることは絶対にないから、関心や興味を持つ必要もないしぃ~ ( ̄▽+ ̄*) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「んなコトはどーでもいいっちゅーに!!手っ取り早く従業員がウチの会社に関心や興味を持てるようになる方法をさっさと教えろっちゅーに!! (*`θ´*) 」
「従業員に経営者の視点を持たせる方法とか、組織力を強化する方法や向上する方法とかを教えろっちゅーに!! ヽ(*`Д´)ノ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
で、次に・・・
上記を踏まえた上で、例えばこんなのからも従業員が無関心になる原因などについて考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
脳は自分にとって興味のあるものを好んで選択する
■ 「脳はなにかと言い訳する」
脳が情報をどういうふうに歪めているかというと、脳は自分にとって興味のあるものを好んで選択するということです。
たとえば、幼い子どもに、「日本地図を描きなさい」と言うと、たいていの子どもは、まず自分の家を大きく描き、次に近所周辺の道路を描き・・・
というようによく知っているところを異常に拡大して仕上げていきます。
結果として、日本地図は本人の興味を中心にして歪められてしまいます。
世界地図の場合も同様で、まず日本を大きく描いて、次にアメリカやロシアなど他の国々を描きます。
しかも、日本以外の国は小さく。
それはなぜかというと、自分にとって興味のあるもの、大切なものは、脳の中では非常に大きいからです。
これは、とても理にかなっています。
なぜならば「世界地図を描け」と言われて、たとえばカサブランカの街路図だけを詳しく描いた地図ができたとしても、日常の生活には役に立ちません。
自分が接している生活とインタラクション(相互作用)するのは、私たちの体であり、脳である以上、たとえ歪めてもいいから、大切なものを大きくするわけです。
ですから、その情報が自分にとって価値があれば、それに対してより強く反応する、というのは、当然のことなのです。
それゆえに私たちは日常において注意が必要になります。
そうだと思い込んでしまったら、その思い込みから逃げることができなくなってしまう不自由さ、先入観に機能が縛られてしまう危険性を伴っているということです。
逆に言えば、新しい発想、人とは違う個性とは、先入観や思い込みだけで流されてしまわないで、ほかに何か可能性がないだろうかと考えていくところから出てくるのかもしれません。
人間は自分への関心は持続的で、他人への関心は瞬間的なものになりがち
■ 「職場いじめ ― あなたの上司はなぜキレる」
そもそも、人間は自己中心的なもので、物事を自分に都合よく判断したがるものである。
しかも、やっかいなことに、人間は自分への関心は持続的で、他人への関心は瞬間的なものになりがちである。
まして、自分の言動は分かりやすいが、他人の言動は分かりにくいことは当然である。
目の前の楽しいことや楽なことのほうにだけ関心を向けていると
■ 「未来を変えるちょっとしたヒント」
誰でも、これから起こるかもしれない良いことや嫌なことは想像したり考えたりしたくはないものです。
関心を払って、危機感を持って、実際に解決に向けて動いている人や組織がほんの一握りしか存在しなければ、状況が日々悪化していくのは当然のことです。
事態は悪い未来の方向に向かっているという現実を無視して、あえて考えないようにするという行為は、問題をさらに悪化させる最も手っ取り早い方法であり、同時に、その問題を手に負えなくなるまで膨張させる方法なのです。
物事や事態が悪い方向に進行していることに気づいているにもかかわらず、それらには注意を向けずに、目の前の楽しいことや楽なことのほうにだけ関心を向けていると、当初は小さかった問題が、やがて何十倍もの大問題になって襲いかかってきます。
未来の悪い状況が想像されうる時に、そのような状況が起こることを考えるのを意識的に停止することは、その悪い状況を、予想通りかそれ以上に悪い状態で実現させてしまう最大の推進力以外の何物でもありません。
現状に甘んじて未来をあえて見ないようにする姿勢は、いったいどこから来るのでしょうか。
私たちは日々、時間に追われて忙しい生活を送っています。
時間が足りないと感じる状態を「忙しい」という言葉で表しています。
このような状況の中で、人々の心の中に芽生えているのは、「今、この瞬間さえ良ければ、それでベストではないか」という思いでしょう。
そして、「今、この瞬間さえ」という思いは、同時に、「未来のことは、今は考えたくない」という思いの反映でもあります。
最近の若者は他人に無関心?
■ 「「上から目線」の構造」
最近の若者が他人に関心がないということはないのではないか。
人からどう見られるかを気にしすぎるくらいなのだから、むしろ他人に関心がありすぎるのではないか。
そんな疑問を口にする人がいた。
だが、それは違うと思うのだ。
人からどう見られるかを気にするというのは、あくまでも自分自身への関心だ。
自己愛の視線を相手を通して自分に向けているにすぎない。
相手そのものなど眼中にないのだ。
人の目に自分がどう映っているかが気になるだけで、他人そのものに関心が向いているわけではない。
人から向けられる視線が気になる心理。
自分が人に向ける視線が相手からどう受け止められるかが気になる心理。
それは、相手との関係によって形を変えていかなければならない日本的自己のあり方と深く関係している。
私たちの自己は、相手から独立したものではなく、相手との相互依存に基づくものであり、間柄によって形が変わる。
ゆえに、相手との間柄がどうなっているかに過敏にならざるを得ない。
「だれが何と言おうと、私は私だ」などと開き直ることはできない。
「私」は「相手」にとっての「あなた」の要素をちゃんと盛り込んでおかないといけないのだ。
だから、相手の視線に過敏にならざるを得ない。
無関心と箱
■ 「自分の小さな「箱」から脱出する方法」
相手のために何かをしてあげなくてはと感じていたが、その感情に抵抗した。
こうして自分の感情に逆らったことによって、関心は自分自身に移り、相手のことを手助けするに値しない人間だと見なすようになった。
自己欺瞞、つまり箱は、自分の感情に積極的に背くことによって自身が作り出し、維持しているものなんだ。
自分をなんとかすることで箱の外に出ようとしても、無駄なんだ。
箱の中にいるときに考えたり感じたりすることは、すべて箱によるまやかしにすぎないんだからね。
自分への裏切りについて、もうひとつ知っておかねばならないことがある。
人は、さまざまな人やグループに対して、箱の外にいることもあれば、中にいることもある。
日常生活の中では、実にたくさんの人々と関わる。
だから、相手によって、こちらが箱に入っている時間が長かったり短かったりと、差がでてくる。
しかしいずれにしても、人は箱の中にいながら、同時に箱の外にもいられる。
ここがポイントなんだ。
誰それに対しては箱の中にいて、誰それに対しては箱の外にいるといった具合にね。
これをうまく利用すれば、やっかいな場面でも、箱の外に出ていることが可能になる。
箱の中にいる人間がいくら箱から出ようとあがいても、どうにもならないわけだが、その一方で、箱の外に出た形の人間関係がひとつでもあれば、箱の中にいる時間を減らしたり、箱の中に入ったままだった関係を修正したり、いろいろなことができる。
日常生活では、こんなことは絶えず起こっている。
たいていは、すぐに忘れてしまうようなごく些細なことなんだが。
いいかい、いったん箱に入ってしまうと、相手をひどい奴だと責めている自分を正当化するためにも、実際に相手がひどい奴であってくれなくては困ることになる。
箱の中にいる限り、問題が必要だからね。
そして、こちらが箱の中に留まり続ける限り、相手はひどい奴であり続ける。
こちらが責めれば責めるほど、相手は責められるようなことをするわけだ。
相手が箱に入っていることを責めたりせずに、しかも相手の箱の存在に気づけたなら、そのほうがずっといいと思わないか。
結局のところ、こちらもときには箱の中に入ってしまうわけだから、箱の中にいるということがどういうものか、感覚的にわかっている。
さらに、箱の外にいさえすれば、箱の中にいるのがどういうことか、頭でも理解できる。
それに、こっちが箱から出てしまえば、相手がひどい奴である必要はなくなり、相手をひどい奴にする必要もなくなる。
だから、つらい状況を悪化させるのではなく、よい方向に持って行くことができるようになる。
無関心と感情のコミュニケーション
■ 「職場は感情で変わる」
活気もないけど、不平不満もあまり聞こえてこない。
そんな感情の交流が極端に少ない職場です。
何が起きているのか聞いてみると、お互いのことがよくわからないのだと言います。
別に普通にコミュニケーションはしているし、仕事上の問題も起きているわけではないけれども、お互いが何を考えているのか、何を感じているのかわからない。
組織全体の感情共有がほとんどない、無感情に近い職場だと言えます。
情報のコミュニケーションはあるけれど、感情のコミュニケーションがない。
だから、余計なことに振り回されることはないけれど、心の交流はほとんどない。
そんな職場です。
別にお互いに関心がないわけではないし、普通に話をするけど、積極的に関わることよりも自分のやりたいことを淡々とできる環境の方が良いと思っているので、特に問題を感じているわけではありません。
確かに一見、個人にとっては居心地がいいのかもしれません。
でも、何かが起きた時に、一緒になって相談したり、解決しようという取り組みができない。
自分が壁にあたっても、発想を広げてくれる機会や仲間がそばにいない。
誰もちゃんと自分を見てくれているわけではないから、心から褒められた、認められたという実感も持てない。
無関心な人任せの社員が増えている原因
■ “考えず、従う”姿勢が生む「国民総残業社会」
日本人の仕事に時間がかかる理由の1つには、“ハイ・コンテクスト文化”もあるね。
彼らは、言葉少なに曖昧かつ間接的な表現で、互いの考えや気持ちを察し合う傾向がある。
逆に言うと、自分の言いたいこと全てを直接的かつ論理的に相手に伝えるのが苦手ということだ。
会議を議論と決断の場にしても、ほとんどの人は発言しない形式的な会議になっちゃうだろうね。
2つ理由がある。
1つは、どうやら確固たる自分の意見を持たない人が多いらしいこと。
たぶん好奇心や参加意識が薄いか、人から意見を聞かれることが少ないから、自分のアタマで考えなくなっているのかもしれない。
2つ目は、考えがあっても、それが議論の中で他のメンバーと衝突することを避けるせい。
彼らは、衝突して人間関係が悪くなる、組織の中で自分の立場が悪くなる、組織の雰囲気が悪くなるのが怖いんだよ。
彼らの多くは、自分(個人)の考えとか信念に従って行動しない。
少なくとも会社の中ではね。
その結果、互いに理解不足で中途半端なコンセンサスが形成される。
動き出した後に、関係者と話がうまくかみ合わなかったり、人間関係がギクシャクしたり、無関心な人任せの社員が増えたりしているらしい。
心のすり合わせが大切な国で、それができなくなってくる……
日本企業の競争力の源泉だったチームワークが、崩れかけているとも言えるかもね。
日本企業が、“外の世界”に関心が持てるはずがない
■ 日本企業のタコツボ化、「井の中の蛙」化
日本企業のタコツボ化、「井の中の蛙」化は恐ろしいほどだ。
転職の少ない日本企業は今でもほぼ純粋培養。
タコツボ化した組織で純粋培養されれば当然、誰もが金太郎飴になる。
しかも井の中の蛙。
“外の世界”に関心が持てるはずがない。
会社に一番多いのは多いのは不信感が無関心につながっている層
■ コンプライアンスの問題解決に向けて
コンプライアンス関連の問題が何回も新聞で取り上げられています。
こうした会社に共通する傾向は基本的に経営に対する根深い不信感が社員の間に蔓延している、ということです。
とはいえ、社員が不信感を持っている、といっても別に会社に対して反乱をおこすつもりなど持っているわけではないのです。
これは高度成長期とは全く違う傾向でしょう。
今、こういう会社に一番多いのは実は不信感が無関心につながっている層なのです。
指示されたことはちゃんとこなす。もらっている給料分は働いています。
何かそれで問題はあるのですか?
というスタンスがこういう社員の持つ共通の特性です。
こんな状況が生まれているのは何か問題を感じても解決の方策もめどもまったく見当たらない、と多くの社員が感じているからです。
自分たちの問題を自分たちが参加することで解決する、という民主主義では当たり前の環境が欠如していることを意味しています。
ほとんどの人が何を言っても仕方がない。
言うだけ無駄、と感じているからこんな状況が起こるのです。
社員の大勢がこういう社員で占められるようになってしまいますと、コンプライアンスに抵触するような問題が発生しても、そもそも周りに関心がないから気がつく人がいないか仮にいてもきわめて少数です。
ですから、気づいた人も見て見ぬふりをしてしまいます。
かかわりになどなりたくないし、かかわりあいになって得なことなど何もない。
そもそも自分の問題ではない、と思っているのです。
本来、健全な職場では内部にこうした問題に対する抑制機能が働いているものなのです。
情報に基づいて黙って従う従業員は規則にしか関心がない
■ 「人として正しいことを」
価値観を大切にする従業員と、規則を遵守する従業員の間には違いがある。
前者は「すべき」に律せられる。
彼らは価値観や信念に沿って行動し、自己統治する。
選択を迫られたときは、堅固な価値観が手引きとなる。
一方、情報に基づいて黙って従う従業員は、規則にしか関心がない。
「やってもいい」の世界に生きているのだ。
もしもお偉方が規則に従おうとしなかったら、自分の損にならないような決断をするしかない。
自分で決められなければ、それができる管理職なり上司なりに判断をあおくが、誰かが決定するまでは自分の損得勘定が前面に出ることになる。
結果として、時間や効率ばかりか、安全そのものも脅かされる。
今の組織の多くは関心をもてる状態になっていない
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
今の組織の多くは、「一緒に考える」「一緒に行動する」以前の問題として、お互いが知り合い、関心をもてる状態になっていない。
スケジュールに追われ、会議は増え、あっという間に一日が過ぎて、仕事が残っていても残業規制があるのでさっさと退勤しなければいけない。
そんな状況では、誰かとゆっくり会話を交わすゆとりさえないのかもしれない。
何かを考えたりやろうとする時、必要なのは気軽に相談できる相手だ。
一人で問題を抱え込んでしまうと、解決の糸口が見つからずに悶々とする。
行動も周囲の応援や協力があれば起こしやすいが、誰か協力してくれる人がいるかどうか前もってわかっていないと、初めの一歩がなかなか踏み出せない。
周りにいる人たちが、自分の意見を聞いてくれる、受け止めてくれる、せめて自分を攻撃しないとわかっていなければ、「こうしたい」「やろう」ということすらいい出しにくい。
職場に安心してものがいえる雰囲気があって、メンバー同士が気楽に話をし、一緒に考えようという関係性になっていないと、知恵は引き出されてこないのだ。
さらに、同じような問題にぶつかっているのにお互い知らないとか、似たようなことをあちこちでやっているといった明らかなムダが見えてくることもある。
みんなが自分のことで精一杯、わき目もふらずに作業に没頭して話もしない状況だと、全体どころか周りも見えなくなる。
そのことが結果として、組織の非効率を生んでいるのである。
どんなに優秀な頭脳の持ち主であっても、現状打開のための知恵というのは一人で考えて出て来るものではない。
それぞれの立場、実感にもとづく視点や考え方、経験をぶつけ合いながら、断片的な知恵を出し合ってメンバー同士で考え抜いていく相互作用の渦のなかから、ぽっかりと浮かび上がってくるのである。
意欲は「目標に対する興味や関心(目標の魅力)と納得感」
■ 「目標管理の教科書」
ヤル気は意欲と責任感との集合体。
意欲は「目標に対する興味や関心(目標の魅力)と納得感」、「仕事の面白さや自己成長の手応え」、あるいは「報酬の魅力」などがもたらす目標達成への思いであり、責任感は「自分に課せられた役割をまっとうしようとする決意」である。
アタリマエを当たり前にやり切ることほど難しいものはない。
見込み客にいくら電話をしても、アポが取れずに苦悩する。
懇切丁寧な商品説明をしたにもかかわらず、お客様から袖にされ、思わず不快な顔をする。
その態度にクレームが付き、こっぴどく叱られる。
ガックリ肩を落として会社に戻る。
そんな出来事が3日も続けば、せっかく盛り上げたヤル気も、シャボン玉がはじけるように一挙にしぼんでしまう。
それが普通の人間が抱えている弱さではないか。
そんなとき、「お前が決めた目標だから、やり切れよ!」と叱責しても始まらない。
「内発的な動機」が果たす役割には興味すら持たないとき
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
「意識改革」なるものの研修が本当に効果をもたらしたという話を、いまだかつて聞いたことがない。
そもそも、官製談合を「誰でも知っているみんなの秘密」として当たり前のようにやっている組織で、事の本質にかかわるような話には蓋をしたまま、研修できれいごとの「あるべき論」を説教し、それをもっと「意識改革」などと称するのはあまりにも空々しい。
上から言われたから形にだけはしなくては、といった程度の熱意しか感じ取ることができなかったら、そんなことはやるだけ無駄だ。
こういう組織には担当者の熱意などではどうにもならない別次元の根深い問題が横たわっている。
このような組織で大切にされるのは中身ではなく形式だ。
会議であっても、中身はともかく、それをやったという形がまず大事なのだ。
こういう世界の中では、人間も儀式の中の道具だてのひとつになる。
内容よりも形式を重視する傾向の強い人たちは、人も道具だてのひとつとして見ているから、役職だとか肩書きに意味は見出しても、「内発的な動機」が果たす役割などには、そもそも興味すら持たない。
命令さえすれば動く「道具」が内発的動機など持つ必要性があるわけないからだ。
道具に人の情熱など、そもそも必要としないから、内発的動機など無視してもいっこうにかまわないのである。
人を、中身(たとえば、考えや意見、関心の有無)で評価するのではなく、その属性(地位や役割)で見る、という考え方を持っていると、人の内発的動機に対する関心はおのずと小さくならざるをえなくなる。
儀式としての体裁を整えることを大切にする人たちが重きを置いているのは、つねに内容よりも形式であり、事実ではなく精神論である。
そして、このような考え方、価値観が当たり前になっていることが、日本という国が今日抱えているさまざまな困難な問題を引き起こしている根源的な要因だと考えている。
事実を直視し、現実と向き合おうとしない国に未来はない。
目指す方向や方針がいかに立派につくられていても、それだけで改革が成し遂げられていくわけではない。
与えられた仕事をこなすのに精一杯で、受身になっていたり、守りに入ってしまうと、どうしても自分の役割に閉じこもりがちになる。
目の前に課題が見えても、すぐ隣で問題が生じていても、見て見ぬふりをしようとする。
下手に手を出したりすると、忙しさで身動きできなくなってしまう恐れがあることを十分に承知しているからだ。
立場や役割を超えて仕事がしやすい環境というのは、失敗しても、それが前向きの失敗ならば許容される雰囲気や、困ったときに誰かが必ず手を差し伸べてくれる空気のある環境だ。
しかし、そうした経験を入社以来一度もしたことがない人もいて、そういう人は困ったときに周りが手を差し伸べてくれるという状況を想像すらできない。
立場や役割を超えて仕事ができないと、次々に出てくる新しい課題も処理できないままで放置されることになり、組織は見えないところで機能不全に陥ってしまう。
さらに、下から見ると、上が(すなわち幹部クラスが)それぞれバラバラに仕事をしている、という構図も実によくあるケースだ。
なぜなら、幹部はそれぞれ自分の部門ではトップだから、幹部どうしてかかわり合うより、自分の組織の中に安住しているほうが居心地はいいからだ。
幹部どうしは、相互不可侵条約を結んで、表面上は仲良くする、言うべきことがあっても自分を抑え、余計なことは言わずに、必要最小限の情報交換ですませている。
表面上はうまくいっているのだが、その実、大事なことで意思が統一されていないままだったりするから、下がひどく迷惑するケースが多い。
組織が大きくなればなるほど、組織の長の目は自分の組織だけにいきがちである。
多くの場合、それは部や課の単位でもしばしば見られる。
多くの若者が貧乏で最初から車を買うのをあきらめていて興味がない
■ 「逃げる中高年、欲望のない若者たち」
わたしたちの社会で流行する言葉は、ある事実や状況を正確に表現するというものではなく、ミもフタもないリアルな現実を覆い隠すためにある場合が多い。
肉食系・草食系という言葉は「社会・個人の欲望の退化」を結果的に隠蔽するために考案され流通したのだと思う。
これから何をどうすればいいのかわからない、という社会・個人にとって、とても使い心地のいい言葉なのである。
若者の車離れの原因はひとつではない。
もっとも大きいのは、多くの若者が貧乏で最初から車を買うのをあきらめていてそもそも興味がない、という理由ではないだろうか。
車を買うという実感もイメージもない。
若者の海外旅行離れも進行中らしい。
彼らの8割はパスポートを持っていなかった。
別に海外に行きたいと思わないし、空港が遠くてかったるい、と彼らは言った。
飢えから脱したいという欲望は素朴なもので、実際に飢えから脱してしまうと消滅してしまう。
単にそれだけの話で、若者たちがだらしないわけでも無能なわけでもない。
一番危険な点は、外部への興味を自らシャットアウトすること
■ 「パラダイス鎖国」
国際競争力の低下という危機がひたひたと迫っているのに、清潔で安全な社会に住み慣れた日本人は海外に対する興味を失っているように見える。
いまや日本人が海外に行く必要などすでにない。
アメリカでもヨーロッパでも、日本ではしなくてよいスリや置き引きの心配をさせられる。
関税が下がったり円が高くなったりして、輸入品はすっかり安くなり、わざわざ海外まで行かなくとも欲しいものには手が届く。
海外の情報はインターネットで簡単に入手できる。
それになんといっても日本はどこに言っても清潔だ。
欧米諸国ですら、清潔さでは日本にかなわないのだから、途上国に行くには相当の覚悟がいる。
お腹をこわす危険性も加わる。
その上、これまで国際テロがなかった国ですらその標的となり、海外旅行にはテロや戦争の心配まで加わってしまった。
商売として、海外に出るリスクと期待できる成果を評価する場合、あるいは個人としてどういう生き方をするかという場合も、「日本にいたほうがいい」となったり、あるいは最初から「海外に出る」という考えすら浮かばなかったりしたとしても、不思議ではない。
「ジャパン・ブランドを守らなければならない」
「新しいグローバル化の公式を見つけなければならない」
「若者よ、海外を目指せ!」
と言いたくなるのもわかるが、叱咤激励されても当の若者は、
「なぜ、そんなことをする必要があるの?」
と答えるだろう。
それだけではインセンティブにはならない。
日本が豊かな先進国になって、海外への憧れがなくなったのは、効しがたい時代の流れである。
また、日本を代表する企業が新しいグローバル化の公式を見つけられないというのも、時代の流れである。
こうした状況のために企業のインセンティブ・システムが混乱をきたし、「リスクや苦労を負ってでも海外で仕事をしたい」と思う若い人が減っているとしたら、若い人たち自身を責めることはできない。
産業のコスト構造と、産業のコスト構造と、海外事業のビジネスモデルは、ガッツや根性だけで変えられるものではない。
多様な方向性を持った人々にとって「世界」は、たくさんの新しい創造的な出会いのチャンスを与えてくれる舞台である。
グローバルな足場を持てば、それだけ選択肢が増える。
従来の典型的なグローバルビジネスだけでなく、いろいろな職業や商売にチャンスが増えている。
いままで物理的に外国に行けないために、世界と縁がなかった人でも、バーチャルに海外とのクラスター化活動ができる。
多くの日本人が、もうそれに気づいている。
一方で、グローバル化できる下地を十分持っていても、あえて日本の中にとどまる選択をする人もいるだろう。
日本だけにしかない分野を専門にするとか、日本にいることで自分の強みを活かす戦略であれば、それはそれでよい。
これも、多様性のひとつだ。
ただ、わかっていてとどまることを選ぶことと、知らないままその状態にとどまることとは、意味合いが違う。
一番危険な点は、外部への興味を自らシャットアウトすることで、外の世界の情報と隔絶され、バランス感覚をなくすことだ。
その結果、自信を失って「引きこもり」になったり、極端に国粋主義に走ったりすることがありうる。
感覚の違いから来る興味の違い
■ 「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」
ドイツ人と日本人に限って言うなら、金銭感覚にはかなり大きな開きがある。
ひとことで言うなら、ドイツ人は後に残るもの、また、減価償却期間の長いものには、それがかなり高価であってもお金を出すが、サービスや、すぐに消えてなくなるものには、たとえ安価であっても出し渋るという傾向がある。
だから、駐車場の料金は出したくないし、食事も押し並べて質素だ。
どうせ食べればなくなるのだから、お腹がいっぱいになるなら別に安いものでもいいと考える。
食にはもともとそれほど興味もない。
ただし、これはと思ったものには、ドーンと大金を払う。
そして、その用途が、日本人にはとても理解できない代物だ。
たとえばドイツ人は、少しだけ煤けた家の外壁を全部塗り替えたり、まだ新しい居間を、壁から家具まで一気にリニューアルしたりする。
ドイツでは人件費が高いうえ、消費税が高いので、外壁を塗り替えれば、もちろん大変な出費だ。
フランスやイタリアは日本と似ていて、家の外観にはあまりこだわっている様子がない。
つまり、そういう意味では、ドイツ人はケチではない。
何をもったいないと思うかというところが、日本人と完璧に食い違っているのだろう。
だから、当然のことながら、日本人は概して、ドイツ人が無駄だと思うところにばかり重点的にお金を使うことになる。
たとえば、お中元やお歳暮をはじめ各種進物、冠婚葬祭の出費は大きいし、食べ歩きも大好き。
ブランド物に惜しげもなく手を出すし、ひとたび旅行に出れば、「何かおみやげが必要」という理由だけで、精力的に無駄なものを買い漁る。
ドイツ人の持ってくるプレゼントは、お金があってもなくても、日本人から見ると極端に安価なものが多い。
ドイツ人は、たとえば日本のお香典も、それに付随する半返しの習慣も、一生かかっても理解できないと思う。
ドイツ人と日本人のあいだの感覚の違いというのは、結構多い。
プレゼントもそうだが、食べることにかける情熱も違うし、自然に対する接し方も違う。
結果にしか興味がない管理をしていると、どんな企業になるか
■ 「やっぱり変だよ日本の営業」
結果にしか興味がない営業管理をしていると、どんな結果が生まれるでしょうか。
まず、社員は本当の情報をあげなくなります。
どうせ結果が悪いと叱られるだけですから、あげても損するだけです。
次に、管理職は怠慢になります。
根性を入れてやれば何とかなると思い込み、戦法・戦術の研究を怠り、効率悪化を放置します。
経営者は傲慢になります。
モノが売れるかどうかは営業マンのやる気次第だと信じ込んで、自社の事業や製品の社会的意味を問わなくなり、顧客の気持ちを無視してしまいます。
結果にしか興味がない営業管理をしていると、どんな企業になるのでしょうか。
まず社員は、モチベーションが下がるでしょう。
会社側は戦略、事業と仕組みについて努力しないのに、社員には犠牲を強いているからです。
次に人材が育ちません。
精神論者が増え、管理職は権威と権限にしがみつき、井の中の蛙になってしまいます。
経営者は裸の王様になります。
過去の成功を人格やカリスマ性に結びつけ、その権威を振りかざして組織を追い立て、営業現場や顧客の中で起きている小さな変化を読み取ろうとしなくなるからです。
早いか、遅いかの違いはありますが、死ぬまで一つの会社にいる人はあまりいません。
しかし、多くの企業は、基本的に社員が会社を辞めないことを前提に行われています。
戦後、日本企業は長期間にわたって高度成長を謳歌してきました。
人手不足が社会問題になり、「人手不足倒産」まで起きました。
このために社員の確保が企業の経営課題の一つとなり、社員にずっと自社で働くことを期待し、奨励しました。
つまり、「終身雇用制」は企業側の都合だったのです。
日本人の集団心理をうまく利用し、一つの企業に尽くすことを美徳とし、会社を辞めることを裏切り行為と見なすようになりました。
これは、単に長く続くことで習慣化したものにすぎません。
しかし、バブル崩壊後やリーマンショックを経て、日本を代表するような企業でさえも大量のリストラを余儀なくされている現状を見た日本人は、自分たちの会社もすでに例外ではないことに気づいてしまいました。
企業のためではなく自分や家族のために働く感覚が、今の若い人たちはもちろん、中年の人たちにも広まっています。
一つの会社にずっといることを前提とせず、もっと自分の生き方に合う企業、もっとやりがいのある企業、もっと条件のよい企業に転職していくことが、自然なことになってきています。
しかし、実際に日本企業は社員が辞める前提で運用されているのか、そのような運用ノウハウと心構えがあるかというと疑わしいのが現状ではないでしょうか。
ここで問題となるのは担当が代わると、経緯がわからなくなってしまうということです。
結局ほとんどの営業マンが、数年間の顧客情報とともに会社を離れてしまいます。
また、顧客の窓口も同様に流動します。
こちらが代わらなくても顧客側が変わることがあります。
「責任感」「モチベーション」を強調してもよいのですが、それを仕事なら何でもやると誤解すると、全体の効率が悪くなるだけです。
社員に無関心な企業の従業員は仕事に責任を見出そうとはしない
■ 「こうすれば組織は変えられる!」
あなた自身の懐を肥やすために従業員に今の2倍の努力をするよう求めても無駄なことだ。
その結果、従業員たちが疲労困憊してしまうような場合には、なおのことだ。
社員たちはひそかに不満を募らせ、ときにはそれを外部の人たちに漏らすようになる。
トップがあるとき壁の落書きを見つけて、ようやく社員の本当の気持ちを聞いてみようと決意したときには、組織内の軋轢はもはや取り返しのつかないところまで進んでいるのだ。
それでもたいていは、問題は何もないという姿勢を押し通す。
社員たちの気持ちがすっかりしらけ切っている会社で、社員を鼓舞する演説を聞いたり、モチベーションを高めるための社内ポスターや輝かしい夢を謳った企業ビジョンを目にするのは、実に滑稽であり、ときに哀れですらある。
その場しのぎの対応はかえって理想と現実の落差を強調し、状況をいっそう悪化させるだけだ。
社員に無関心な企業の従業員たちは、仕事に個人的な責任を見出そうとはしない。
しかし、何らかの公正なシステムをつくって従業員たちと利益を分かち合い、かつ、今の仕事を片付ければもっとよい仕事に移れるということを保障すれば、あなたはより大きなパイを手に入れることになる。
当然、全員が得る分け前も、その分大きくなる。
あなたのためだけでなく、自分のためでもあるということがわかれば、従業員たちはさらに意欲的に努力するようになり、結果的にあなた自身の利益も飛躍的に伸びていくことになる。
日本企業は従来の考え方や自らの行動を大きく転換する必要がある
■ 「日本の競争戦略」
日本企業は、何よりもまず従来の考え方や自らの行動を大きく転換する必要がある。
今、日本企業には、その経営や競争に関する新たな概念が求められている。
コスト削減だけでは、成功はおぼつかない。
経営目標を再定義した上で、競争優位をどのように創造し、それを維持するのかについて、認識を新たにすることが必要なのである。
日本がそのような根本的な変革を実施できるかどうかについては、疑問を持つ向きが日本の国内外に多数存在する。
多くの人は、現在、政府と企業を支配している世代は現状を維持することに執着する世代であると指摘する。
多くの人は、日本の過去における成功から間違った教訓を導き出してしまった。
従来の通説は、国際的に広く流布している見解によってさらに強化されてしまった。
今日の危機を乗り越えるために必要とされるものは、政府の政策における抜本的変更は言うまでもなく、日本企業のビジネスに対する考え方、行動における大幅な変革である。
変革への契機は、日本の国民自身である。
若い世代の労働者は、彼らの前の世代とは異なる指向を持っている。
文化は最も変えることが難しく、日本の変革の障害となるものは文化的要素である、と指摘する声も多く聞かれる。
「出る杭は打たれる」という集団指向の強い社会は、新しい経済モデルとは相容れないというのが、その論拠である。
今日、日本では、恐怖感からと必要性に迫られた変革が断片的に起こっている。
個々の取り組みは、国際的商習慣を採り入れることや、明らかに支障をきたしている事項に対処することを目的に行われている。
それらは対症療法にすぎない。
いまだに欠けているものは、日本が現在直面している困難の原因を包括的に理解し、日本独自の解決策を打ち出すことである。
今こそ、日本が新しい戦略に取り組むときである。
その戦略を支えるものとして、グローバル経済における政府と企業の役割について新しく、かつ、より洗練された考え方が必要である。
過去の転換点においてそうであったように、いったん日本人の心構えが変われば、日本という国は急速に変貌を遂げる潜在能力を備えた国なのである。
無関心の原因とは?関心や興味が持てる組織をつくるには?
(パート3)
んでー・・・
例えばこんなのからも一応念のために、従業員が無関心になる原因などについて考えてみるのはどーでしょう?
( ´ ▽ ` )ノ
関心とは?
○ goo辞書
ある物事に特に心を引かれ、注意を向けること。
○ Weblio辞書
よく知りたいという積極的な気持ち、の意味で用いられる語。
「興味」とも言い換えられる。
たいてい「関心を持つ」「関心を抱く」あるいは「関心を引く」といった言い回しにおいて用いられる。
無関心とは?
○ goo辞書
関心がないこと。
興味を持たないこと。
また、そのさま。
興味とは?
○ goo辞書
- その物事が感じさせるおもむき。おもしろみ
- ある対象に対する特別の関心
- 心理学で、ある対象を価値あるものとして、主観的に選択しようとする心的傾向。教育学では、学習の動機付けの一つ
無関心の原因とは?関心や興味が持てる組織をつくるには?
(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
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