「人材」とやらがどーのとか、「人財」とやらがどーのとか、「人在」とやらがどーのとか・・・
「人済」とやらがどーのとか、「人罪」とやらがどーのとか・・・
「4つの人材」がどーのとか・・・
「5つの人材」がどーのとかについて・・・
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「自律型人材育成」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
いろんな意味で考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
コレって、もしかしたら・・・
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
(`・ω・´)
なーんて、感じるコトもあるので・・・
そもそもの話、「人材、人財、人在、人罪、人済」とかって、いったい何なんだろーか?
「4つのジンザイ」とか「5つのジンザイ」とかって、いったい何なんだろーか?
どのジンザイなのかって、どんな会社であっても同じなんだろーか?
どのジンザイなのかって、誰がどんな基準でどう判断するんだろーか?
何のために、「人材、人財、人在、人罪、人済」とかに分類するんだろーか?
誰のために、「人材、人財、人在、人罪、人済」とかに分類するんだろーか?
「人材、人財、人在、人罪、人済」とかに分類する目的って、いったい何なんだろーか?
「人材、人財、人在、人罪、人済」とかに分類するメリットやデメリットって何なんだろーか?
それは誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
誰が何の目的があって、「人材、人財、人在、人罪、人済」とかを考えたんだろーか?
これを鵜呑みにする会社が増えることによって、「人材、人財、人在、人罪、人済」とかを考えた人は何のトクがあるんだろーか?
などなども含めて、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
人材、人財、人在、人罪、人済とは?違いや判断基準、分類する目的、メリットやデメリットって何だろう?(パート1)
んーと、まずは・・・
テキトーにググって調べてみたものから考えてみるのはどーでしょう?
( ´・ω・`)
人材とは?
- 材料だけの人
- 言われた通りにこなす人
- いつかは、組織に貢献してくれるだろうと思われる人
- 一般的な表記
人財とは?
- 自ら進んで何事にも取り組む人
- 会社にとって、なくてはならない人
- 今後もずっと、組織に貢献してくれる期待が大きい人
- 会社の利益に直結する有能な働きをする人
人在とは?
- 会社に、ただいるだけの人
- 無害だが、無益な人
- 平均的な仕事しかしない人
- 無難に働いて給料がもらえさえしたら、それでいいという人
人罪とは?
- 邪魔をし、マイナスになる人
- ミスや失敗を繰り返す人
- 仕事を何もしない給料泥棒
- 悪事を働き、会社に損害を与える人
人済とは?
- 必要がなく、用済みの人
- 組織のお荷物になっている人
- 今後、組織への貢献は期待できない人
人材、人財、人在、人罪、人済とは?違いや判断基準、分類するメリットやデメリットって何だろう?(パート2)
ふっ・・・、ふぅーん???
( ̄  ̄;)
こーゆーのを見ると・・・
あーんな疑問とか、こーんな疑問とか、いっぱい浮かんで来ちゃったりなんかしません?
?(゚_。)?(。_゚)?
・・・え?
「へっ!?疑問・・・???別にぃ~ q( ̄3 ̄)p 」
「言葉の意味さえわかりゃー、それでいいしぃ~ ( ゜∀゜)アハハ八八 」
・・・って?
ううーむ・・・、もしかしたら・・・
なんかにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるかもしれないけど・・・
(´・ω・`;)
それって、一歩間違えると・・・
何の疑問も持たずに、ただ鵜呑みにしてしまうと・・・
元々お持ちだったはずの「自律的に」考えて行動する力が失われて・・・
「思考停止状態」に陥ってしまう危険性もある
んじゃーないのかな~???
((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル
なーんて感じるコトもあるので・・・
次に、例えばこんな疑問からも考えてみるのはどーでしょう?
d( ̄  ̄)
何のために、人材、人財、人在、人罪、人済に分類するんだろうか?
- 人材、人財、人在、人罪、人済に、分類すること自体が目的なんだろうか?
- それとも何かの目的があって、その手段のために分類しているんだろうか?
- 分類した結果を、何にどう使うんだろうか?
誰の基準や都合で、人材、人財、人在、人罪、人済に分類しているんだろうか?
- 誰がどんな基準で、その人がそのジンザイと決めているんだろうか?
- どんな立場の人が、その人がそのジンザイと評価していることが多いんだろうか?
- どんな会社に属していても、どんな組織に属していても、その人はそのジンザイなんだろうか?
- いわゆるブラック企業にとっての人材、人財、人在、人罪、人済と、いわゆるホワイト企業にとっての人材、人財、人在、人罪、人済の評価基準って同じなんだろーか?
- 適材適所になっている会社の人材、人財、人在、人罪、人済と、適材適所になっていない会社の人材、人財、人在、人罪、人済の評価基準って同じなんだろーか?
- 自社の経営者、上司、部下、同僚、新入社員、契約社員、派遣社員、パートやアルバイトなど、誰の目から見ても、その人はそのジンザイなんだろうか?
- 得意先や仕入先の人で、直接会って話した人、電話で話した人、メールでやり取りした人など、誰の目から見ても、その人はそのジンザイなんだろうか?
- 会社組織以外の場であっても、その人はそのジンザイなんだろうか?
- 会社組織以外の人が見ても、その人はそのジンザイなんだろうか?
その人が、そのジンザイになったのはナゼだろう?
- 生まれた時から、その人はそのジンザイだったんだろうか?
- そのジンザイになるのって、先天的なものなんだろーか?それとも後天的なものなんだろーか?
- 入社する前から、その人はそのジンザイだったんだろうか?
- 入社する前からそのジンザイだったとしたら、どーして採用したんだろーか?
- 入社後にそのジンザイになったのだとしたら、その人はいつからそのジンザイになったんだろうか?
- どんなきっかけで、その人はそのジンザイになったんだろうか?
- 誰が、そのジンザイをつくったんだろうか?
- 何が、そのジンザイをつくったんだろうか?
- そのジンザイは、本当の姿なんだろうか?
- 見せかけの姿だとしたら、何のためにそのジンザイに見せかけているんだろうか?
- 自分自身が見せかけの姿でそのジンザイになる時は、どんな時なんだろうか?
その人は未来永劫、そのジンザイのままなんだろうか?
- 現在はそのジンザイであっても、今後もそのジンザイのまま変わらないものなんだろうか?
- 変わらないとしたら、その理由はなんだろうか?
- 変わるとしたら、どんなジンザイに変わるんだろうか?
- 何が、そのジンザイに変えるんだろうか?
- 誰が、そのジンザイに変えるんだろうか?
- どうやって、そのジンザイに変えるものなんだろうか?
- そもそも、そのジンザイから違うジンザイへ、誰かが変えられるものなんだろうか?
- そのジンザイから違うジンザイへ、誰にも変えられないとすれば、どうすればいいんだろうか?
- 何を変えれば or 何が変われば、そのジンザイから違うジンザイへ変わるんだろうか?
自分自身を、人材、人財、人在、人罪、人済のいずれかに分類するとしたらどうだろう?
- 自分自身のことを「人材だなー」と感じるのは、どんな時だろうか?
- 自分自身のことを「人財だなー」と感じるのは、どんな時だろうか?
- 自分自身のことを「人在だなー」と感じるのは、どんな時だろうか?
- 自分自身のことを「人罪だなー」と感じるのは、どんな時だろうか?
- 自分自身のことを「人済だなー」と感じるのは、どんな時だろうか?
- それは、どんな状況であってもそのジンザイなんだろーか?
- 若くてもトシ取っても、事故とかで障害が残ったとしても、いつも変わらず同じジンザイなんだろーか?
自分自身が、人材、人財、人在、人罪、人済のいずれかに、誰かから一方的に分類されたり決め付けられたりしたとしたらどう感じるだろう?
- 「お前は人材だな」と誰かに言われたとしたら、どんな気持ちになるだろうか?
- 「お前は人財だな」と誰かに言われたとしたら、どんな気持ちになるだろうか?
- 「お前は人在だな」と誰かに言われたとしたら、どんな気持ちになるだろうか?
- 「お前は人罪だな」と誰かに言われたとしたら、どんな気持ちになるだろうか?
- 「お前は人済だな」と誰かに言われたとしたら、どんな気持ちになるだろうか?
そもそも、人材、人財、人在、人罪、人済に分ける必要はあるんだろうか?
- 三四三の法則(※後述)が、正しいとしたらどうだろうか?
- わざわざ時間を使って、人材、人財、人在、人罪、人済に分ける意味は何だろーか?
- 意味があるとすれば、その理由は何だろうか?
- 意味がないとすれば、その理由は何だろうか?
国全体で考えてみると、どうだろうか?
- 社会全体で、5つのジンザイ(4つのジンザイ)やジンザイ以外の5つ(4つ)のホニャララ(例えば企業など)を考えてみるとどうだろうか?
- どんな基準で分ければいいんだろうか?
- ジンザイの場合と、同じ判断基準で分ければいいんだろうか?
- 得意先・仕入先・自社の社長、従業員、家族、諸外国などいろんな視点があるけど、誰の視点で分ければいいんだろうか?
- それとも、分ける必要はないんだろうか?
- だとしたら、ナゼなんだろうか?
- また、社会全体で三四三の法則(※後述)を考えてみるとどうだろうか?
- どんな場であっても、三四三の法則が見られるものなんだろうか?
- 三四三の法則が当てはまらない場があるとすれば、どんな場なんだろうか?
- どんな時に当てはまって、どんな時に当てはまらないんだろうか?
- 独裁国家にとっての5つのジンザイ(4つのジンザイ)やジンザイ以外の5つ(4つ)のホニャララと、民主主義国家にとっての5つのジンザイ(4つのジンザイ)やジンザイ以外の5つ(4つ)のホニャララって同じなんだろーか?
- 同じだとしたら何が同じなんだろーか?違うとしたら何が違うんだろーか?その根拠は何なんだろーか?
人材、人財、人在、人罪、人済とは?違いや判断基準、分類する目的、メリットやデメリットって何だろう?(パート3)
で・・・
例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
(⌒▽⌒)ノ
三四三(さしみ)の法則とは?
人間が10人いると、その内の3人が一生懸命働き、組織を引っ張っていく存在。
その内の4人は、普通に働く。
残りの3人は、あまり働かずに周りの世話になる。
という法則のこと。
じゃあ、一生懸命働いて組織を引っ張って行く人だけで、10人の組織をつくるとどうなるのか?
すると、またその中で三四三の法則が発生する。
じゃあ、あまり働かずに周りの世話になる人だけで、10人の組織をつくるとどうなるのか?
すると、やはりその中で三四三の法則が発生する。
そういう法則のこと。
ピグマリオン効果とは?
○ ウィキペディア
ピグマリオン効果とは、教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上することである。
別名、教師期待効果、ローゼンタール効果などとも呼ばれている。
ゴーレム効果とは?
○ コトバンク
人に対し悪い印象を持ち接することにより、その印象が良い印象を打ち消して悪い影響のほうが勝ってしまい、悪い人と実際になってしまうことを指す。
例えば教師が生徒と接する際に、この生徒は成績の良くない生徒だと思いながら、この生徒に対して成績の上がる見込みがない期待度の低い状態で接すると、その期待通りに生徒の成績が下がることがある。
ラベリング理論とは?
○ コトバンク
ある人物の特性は、その人物の行為ゆえというよりも、周囲から貼られる特定のレッテルによって決められる。
ひとたびレッテルが貼られると(ラベリング)、その人物はそのラベリングのもとにアイデンティティと行動パターンを形成するようになる、という理論。
○ gooヘルスケア
ラベリングとは、ある人や事柄のごく一部を見ただけで、そのごく一部分が表現されるような名称を与え、それがその人や事柄の全てであると決め付けることを言います。
たまたま机の上の書類が散乱していただけで、だらしが無いというラベルを貼り、決め付けるようなことです。
ラベリング理論では、社会から逸脱した行為を行う人は、その人の逸脱行為の動機や原因を問題とするのではなく、周囲の人がその人にラベリングすることによって逸脱者となっていくと考えたのです。
この説明でよく用いられる喩えに、非行少年の話があります。
例えば、素行に問題のある少年がいたとします。
その少年がどんなに「自分は非行少年だ」と思っていても、それだけでは非行少年とはならないのです。
周りの人が彼をそうラベル付けし、非行少年として扱うことによって初めて成り立つというわけです。
またこの理論では、ラベリングされた逸脱者は、そのラベルの行動を強化していくと考えています。
先の非行少年も、その少年の素行のある一面に問題があっただけで、他にどんなにすばらしい面をもっていたとしても、ラベリングされ、周囲にそのように扱われることで、問題の行動がより悪化してしまうと考えられるのです。
会社や家庭でも同じようなことが行われています。
出来ない部分だけを見て、その人を「駄目な人」と決めつけてしまうことはないでしょうか。
周りがそう評価することにより、本人は益々自信をなくし、出来ていたことも出来なくなるという悪循環も出てくるかもしれません。
人間は誰しもが、プラスの側面もマイナスの側面も持ち合わせています。
一部の、しかもマイナスの側面だけを見てラベリングするのではなく、多面的に評価しプラスの側面をラベリングすることが大切です。
そして、周囲がその部分を認めていくことが、何より重要なのではないでしょうか。
人材、人財、人在、人罪、人済とは?違いや判断基準、分類する目的、メリットやデメリットって何だろう?(パート4)
んでもって・・・
例えば、こんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
o(*⌒O⌒)b
ラベルは組織の真実を隠す「鎧」
■ 「未来を変えるちょっとしたヒント」
「自分とは誰なのか?」といった疑問を持っている個人には、他者から与えてもらえるラベルは、答えであると共に、答えを探していた時の不安感を消してくれる大きな救いです。
そして、一方で私たちの多くが、自分自身の真実はつかみきれなくても、他者の真実は正確につかんでいるかのように、他者にラベルを貼るのです。
ところが、このラベルは、思わぬ負の影響を私たちにもたらします。
他者に与えられたり、何気なく指摘されたりするラベルによって形成される自己のイメージが、重石になってしまうのです。
他者が与えるラベルは、彼らが体験している面だけを強調します。
それが一度自己イメージになってしまうと、そうでない自分が出せなくなっていってしまいます。
これが、自己のイメージの恐いところです。
一度、ある特定のイメージを自分で持ってしまうと、それとは異なる自分は「あり得ない」と思い込んでしまうのです。
あり得ないとは、「可能性がない」という意味と、「あってはいけない」という両方の意味を持っています。
自己イメージは、その背後にある、その人や組織の他の真実を隠す「鎧」と言ってもよいでしょう。
自己イメージが強化されるにつれて、鎧は重くなっていき、人や組織はその中に閉じ込められていき、やがて、そこからどうあがいても出られなくなってしまうのです。
こうして、他の可能性に挑戦できなくなっていきます。
これまでの延長とは違った未来を創っていくことを、自分の鎧が不可能にしてしまうのです。
人や組織は「知らない」という状態を恐れるが、真に恐れるべきなのは「知った」という思い込みです。
「知った」と思ってしまうことにより、他の可能性に目が行かなくなってしまうからです。
レッテルを貼り、社員をランク分けで管理する恐ろしさ
■ 「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
いかがなものかと思う原則がある。
それは、社員をランク分けし、そのランクに従って管理することだ。
それこそエンロンを転落させた最大の原因と言ってもよいだろう。
いったんレッテルが貼られるとそのイメージができあがってしまい、それが間違いだったと後でわかっても、私たちはつい最初のイメージに引きずられてしまうことが明らかになっている。
私たちはレッテルに従って物事を判断してしまうのだ。
レッテルの恐ろしさは、そのとおりのイメージができあがり、こびりついてしまうことにある。
会社には、社員にレッテルを貼り、紋切型に分類するためのプロセスや方針が存在する。
分類の基準となる評価のスコアには、人種や宗教、性別などの偏見が加味されている場合もある。
世の中はそういう差別を避けようとしているのに、ビジネスの世界ではこんな”ベストプラクティス”が堂々とまかり通っているのだ。
問題は、上司の偏見に左右されるだけでなく、社員がいっときの評価でレッテルを貼られ、分類されてしまうことだ。
上司が下した評価は、本人が転職か異動でもしない限り、レッテルとなって長い間その社員に貼りつく可能性がある。
社員が将来的にどの程度の能力を発揮するかは未知数なのに、どうやって社員をランクに分類できると言うのだろうか。
もしアインシュタインの教師たちに、「彼は将来、成功する見込みはあるか」と尋ねたら、おそらくみんな首を振って舌打ちをしたことだろう。
彼は型破りで、考え方があまりにも自由で、頑固で、反抗的であり、いずれも当時の学者に求められた資質とは言えなかった。
しかし、まさにそのような資質のお陰で、傑出した理論物理学者になれたのだ。
人間は「ラベリング効果」によって大きく影響を受ける
■ 「ビジネスマンのための「行動観察」入門」
「一ヶ月で最もミスが多かったのは○○さん」ということ自体は動かしようのない事実ではあるが、それを示すのはモチベーションにおいて問題がある。
なぜなら、人間は「ラベリング効果」によって大きく影響を受けるからである。
人は、その人に貼られた「ラベル」に沿って行動する傾向があり、「良いラベリング」は良い効果があるが、「悪いラベリング」は悪い効果をもたらす。
たとえば、先生が生徒に「君たちは算数がすごくできるね」と言い続けるクラスと、「君たちは算数がダメだね」と言い続けるクラスがあると、前者のクラスでは生徒たちの算数の成績はよくなり、後者のクラスでは算数の成績は下がる。
この効果は、最近ではトイレ内の表示にも応用されている。
出かけたときにトイレに入ったとする。
一昔前のトイレには、「使用後は必ず水をお流しください」といった表示がよく貼ってあった。
最近の表示は「トイレをきれいにお使いいただきありがとうございます」と書かれていることが多い。
この2つでは、表示を作った人がトイレ利用者をどのような人だと考えているのかが、全く異なる。
前者の表示では、トイレ利用者を「こちらが言わないと、あなたは水を流さない人だ」とみなしていると感じられてしまう。
後者の表示では、「あなたはトイレをきれいに使う人ですね」と考えていることが伝わってくる。
余談ではあるが、日本では血液型と性格に密接な関係があると信じている人が多い。
外国にはほとんどない現象で、多くの心理学者が両者の関係を調査したが、その相関性を示すデータは得られていない。
心理学者の関心は、「血液型と性格には関係がないのに、どうして関係があると思ってしまうのか」という点に移っているが、その理由の一つがこの「ラベリング効果」であると言われている。
「血液型はA型ですか。そうでしょうね。真面目ですからね」といった会話をあなたもこれまでに聞いたことがあるだろう。
「あなたは真面目」とラベリングされた人は、その結果本当に「真面目」になっていく。
つまり、「関係がないことであるのに関係があるように自ら導かれてしまう」ということである。
100点が当たり前で、95点だとそのマイナス5点のところを指摘される。
これが毎日繰り返されると、人間としてはかなり辛いだろう。
超一流のシェフは 今ある食材で 最高の料理をつくってみせる
■ 世界のことわざ
一流のシェフは 最高の料理をつくるために 最良の食材を集めようとする。
しかし、 超一流のシェフは 今ある食材で 最高の料理をつくってみせる。
人財はアメやムチではなく、正しい経営のなかから自然に育つ
■ 「経営者の手帳」
人財の確保・育成は、企業の盛衰の決め手となる。
優秀な人財の確保・育成のため、これまで多くの企業は、社員や求職者に対し、アメとムチを使い分けるような人事労務政策を講じてきた。
しかし、それはもはや時代遅れである。
人財はアメやムチではなく、正しい経営のなかから自然に育つ。
人財の確保、育成をしたければ、アメやムチではなく、正しい経営をするべきである。
正しい経営とは、社員や顧客に愛され、頼りにされ、必要とされる経営であり、そのキーマンは経営者そのものなのだ。
人材、人財、人在、人罪、人済とは?違いや判断基準、分類する目的、メリットやデメリットって何だろう?(パート5)
あ、そうそう。
「人材、人財、人在、人罪、人済」などとは一見、何の関係もないように思えるかもしれないけど・・・
でも・・・
「人材、人財、人在、人罪、人済」などの類に、めちゃくちゃ固執していらっしゃる方の声をお聞きしていると、とってもとっても心配になるコトもあったりなんかするので・・・
(´・ω・`;)
取り越し苦労だとは思うけど・・・
取り越し苦労で済むことを、心の底から祈っているけど・・・
例えば、こんなコワーイ話からも念のために考えてみるのはどーでしょう?
(((( ;゜д゜))))
優生思想とは?
「優生思想」とは
■ 「優生思想」とは
「優生思想」とは、劣等な子孫の誕生を抑制し優秀な子孫を増やすことにより、単に一個人の健康ではなく一社会あるいは一民族全体の健康を計ろうとする思想をいう。
「優生思想」で、障害者や難病の患者が犠牲に
■ ナチス・ドイツの「優生政策」の実態
「優生学」とは、劣等な子孫の誕生を抑制し優秀な子孫を増やすことにより、単に一個人の健康ではなく一社会あるいは一民族全体の健康を計ろうとする思想をいう。
ナチス・ドイツの「優生思想」で、障害者や難病の患者は「安楽死計画」の犠牲になった。
1939年から1941年8月までに、約7万人の障害者が「生きるに値しない生命」として、抹殺された。
「安楽死計画」の事務所(中央本部)がベルリンのティアガルデン4番地の個人邸宅を接収して、そこに置かれたことから、この計画は暗号で「T4作戦」と呼ばれた。
邸のかつての持ち主であったユダヤ人は、一文の補償金もなしで追い出された。
T4本部には少なくとも60人の専任の医者と300人のスタッフが働き、6ヶ所の精神病院に「安楽死施設」が設けられた。
患者のリストを専門家に評価させ、記号によって障害者の運命を決める規則の細目を作成した。
ドイツの旧領土中およびポーランドの占領地域までバスを送り、各地の精神病院から患者を「安楽死施設」に移送した。
「T4作戦」には著名な医学教授や精神病教授、高名な医者が参加に同意した。
医学界の指導者のみならず相当数の医者も詳細な説明を得ていた。
ドイツの医学界は上も下も計画に対して語るに足る反対を行なわなかったし、邪魔立てもしなかった。
一般市民から、精神病患者の殺害に抗議する手紙、嘆願書が多くあった中で、エヴァルト教授からの手紙を唯一の例外として、精神病医からの抗議はなかった。
ナチス・ドイツの様々な組織の中にあって、ひときわ異彩を放っているのが「アーネンエルベ」である。
多岐にわたる「アーネンエルベ」の研究項目の中で、ぞっとするのは「人種・遺伝問題研究部」である。
優越民族アーリア人種の純血保存のために“劣等民族”を絶滅させる目的で、最初の断種実験が行なわれたのは、アウシュヴィッツ収容所の囚人に対してで、薬剤、外科手術、更には強力なX線照射などで効果を試してみたという。
生体実験をはじめ、数々の非人道的研究実験が行なわれ、数多くの人間が実験台にされて苦悶のうちに死んでいった。
“劣等民族”を絶滅させるための研究と並行して、“支配民族”を育てる「交配牧場」なるものを作る計画もあった。
IQの高い者同士、または運動能力の高い者同士のSS隊員とゲルマン女性を一緒にして、より優れた人間を作ろうとしていたのである。
この計画の1つとして実施されたのが「レーベンスボルン(生命の泉)計画」である。
「レーベンスボルン」で“生産”された子供たちは約4万人と推定されている。
子供を組織的に“生産・飼育”してみたところで、時間がなんといっても10ヶ月以上もかかり、ナチ幹部たちはもどかしさを感じていた。
そのため、もっと手っ取り早い方法を考えるようになる。
東方の子供たちを毎年人種選別する計画を立て、占領地区で「アーリア的」な子供を探して誘拐することを開始したのであった。
戦争中、ドイツに占領されたポーランド西部の町々ではナチスにより2歳から14歳までの少年少女が大勢さらわれたが、その数は20万人以上と言われている。
彼らは連れてこられてすぐ詳しい身体検査をされ、その後、優秀とみなされた。
つまり引き受ける子供と、引き受けない子供とに分けられたのである。
特徴的だったのは、その子供たちがみな青い目で金髪であったことである。
大切なのは目の色、髪の毛の色、そしてことに頭の形で、例えば丸い頭の者は全くチャンスがなかった。
「レーベンスボルン」で生まれた子供たちはエリートになり、国の将来を担う人に育つ予定だった。
二親の最も優れた遺伝子を受け継ぎ、生まれたときにすでにスーパー人種であるはずだった。
実際にそうなったのか?
戦後の調査では驚いたことに、そのほとんどに知能や体力の点での後退が見られた。
3歳でまだ歩けない子、まだしゃべれない子、かなりの損傷を持った子供もいた。
母胎はこの上なく異常な状況に置かれた。
そして出生後も“ヒトラーの子供たち”は『愛』のない養育を受けた。
一方、さらってきた子供たちはどうだったのか?
小さいとき青い目で金髪で典型的な北欧タイプの顔立ちをしていた子供たちでも、その後全然違うタイプの顔になり、目や髪の毛の色も濃くなった人がずいぶんいた。
幼いときドイツ語に無理矢理変わらされ、そのために思考に困難を生ずることがあった。
大きくなり、ドイツ人ではなかったと分かった子供たちはまた母国語の勉強のし直しで、大学まで行けた子供は数としては少数。
心に深い傷を負った例はことに多い。
人の価値は生産性のみで決まるものではありません
■ 優生思想の本質
歴史的な背景としては、ダーウィンの進化論がきっかけとなり、優秀な遺伝形質を多く残し、劣等なものは排除するのが望ましいとする「優生学」が興り、それを根拠に、様々な社会問題を解決させる手段としての差別行為を正当化する「優生思想」が生まれ、戦前の帝国主義者の政策に利用されるようになりました。
「障害の有無や人種等を基準に人の優劣を定め、優秀な者にのみ存在価値を認める」という思想です。
「否定」の最たるものと言えば「ホロコースト」でしょう。
「お前など生きる価値がないから抹殺してやる」これこそ優生思想と言えます。
優生思想と聞くと、ナチスドイツや旧日本帝国などの軍国独裁政権で行われた障害者弾圧のイメージが強いのですが、このような国家レベルの差別に限らず、個人のレベルにおいても、「障害者は不要」とする考え方を優生思想と呼んでいます。
人の価値は生産性のみで決まるものではありません。
個人としての人格が持つ精神性や、他者に与える影響力等、森羅万象に対して何らかの変化をもたらす根源となる「存在意義」が総合的に評価されるべきです。
さらに言えば、この世の中に「健常者」というものは存在しません。
誰であっても、何がしかの不具合を有しているものです。
優生保護法とは?
優生保護法とは
■ 優生保護法とは
1948年に施行され、遺伝性疾患やハンセン病、精神障害などを理由に不妊手術や中絶を認めた。
「不良な子孫の出生を防止」などを目的に、1948年に施行された。
遺伝性の疾患や精神障害、知的障害などと診断され、都道府県の審査会で「適当」とされた場合、本人の同意がなくても不妊手術ができた。
96年に母体保護法に改正されるまで、全国で少なくとも男女1万6475人が不妊手術を強いられたとされる。
優生保護法の2つの目的
■ 優生保護法とは
優生保護法は、2つの目的をもった法律でした。
一つは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」--病気や障害をもつ子どもが生まれてこないようにする、という意味。
もう一つは「母性の生命健康を保護する」--女性の、妊娠・出産する機能を保護するという意味です。
この2つの目的のために、不妊手術と人工妊娠中絶を行う条件と、避妊具の販売・指導についてを定めたのが、優生保護法なのです。
障害者に対する差別は日本にも昔からありましたが、18世紀にヨーロッパとアメリカに拡がった「優生学」を取り入れた結果、それは“近代的な科学”の裏付けをもって法律のかたちに現れました。
法律に定めるということは、
“障害をもつ子どもの出生は家族と社会の負担であり本人の不幸だから、障害をもつ子どもを産む可能性のある人の生殖機能を奪ってもかまわない”
といった障害者への偏見に満ちた考えを、国が表明したということです。
また、
“子どもを産んでよい人”と“子どもを産んではいけない人”を、国が選別する
ということでもあります。
最初にできた法律は、障害者の断種を目的として1940年に成立した国民優生法でした。
当時の日本は、世界大戦への道をひた走っていました。
兵士となる子どもを「産めよ殖やせよ」という時代で、避妊も中絶も不妊手術も、一般には許されていませんでした。
国民優生法は、「遺伝性疾患」をもつ人に限って、優生学的理由による不妊手術を行うことを認めた法律です。
しかし、本人の同意なしに不妊手術ができる条文があったものの実施されず、本人が同意した手術の件数も、目的に反して少なかったのです。
国民優生法は断種よりもむしろ、一般の中絶をいっそう取り締まることに力を発揮したのでしたが、それでも、“障害をもつ子を産むかも知れない人は、断種して良い”という考え方を、人々に定着させることになりました。
優生保護法は、第二次大戦に敗れた日本が、戦前とは逆に人口の増加をくい止めるため、国民優生法をもとにして、中絶を許す条件と避妊の指導をつけ加えた法律です。
しかし、優生政策は国民優生法でよりも、むしろ優生保護法の方で強くなりました。
優生保護法は、優生手術の対象を「遺伝性疾患」だけでなく、「らい病」や「遺伝性以外の精神病、精神薄弱」に拡大し、本人の同意なしに優生手術を実施できるようになりました。
本人の同意がない優生手術は、1949~94年の間に、統計に現れただけでも約1万6千500件も実施されたのです。
なぜ、優生保護法が戦後の日本国憲法の下で作られたのか
■ 強制不妊手術の問題が今なぜ注目されるのか
この問題を巡ってはさまざまな疑問が湧く。
なぜ、このようなことが法律で定められていたのか。
なぜ、こんな法律が戦後の憲法の下で作られたのか。
なぜ、改定されて20年以上経ってからこの問題が表面化したのか。
実際に優生手術が行われたのは、遺伝性疾患のほか、知的障害、精神障害のある人が多いとされる。
手術された人の約7割が女性であること、9歳や10歳で手術された少女や少年も含まれていたことも明らかになっている。
強制的不妊手術の実施件数は1949年から急増し、1960年代になっても積極的に実施されていた。
1952年には審査手続きが簡略化されたために、中絶が急増した。
その後、1992年の1件が公的な記録では最後である。
優生保護法がなくなっても、それ以前に不妊手術を受けさせられた人々の傷は癒えるわけではない。
約1万6500人のうち、さまざまな理由で声を上げられない人たちのほうが多数派である。
すでに亡くなった人も含まれるだろう。
優生手術が実施されてから長い時が過ぎ、多くの行政記録が破棄されてきた。
やっと声を上げてもその証拠となる記録が残されていないという状況もある。
人権が侵害されている状況下に置かれていた人たちに、「同意した」ことを盾に救済できないという判断をすべきではないだろう。
国が犯してきた人権侵害を省みて、私たちも不作為という罪を犯さない責任がある。
旧優生保護法を振り返ることは、「今ある問題」につながる
■ 9歳の少女に強制不妊手術。かつて日本に実在した残酷な法律
「1981年の日本で、まだそんなことが行なわれていたのか?」
思わず声をだしてしまいました。
しかも、9歳の女児や10歳の男児にまで行なわれていたとは……
言葉もありません。
旧優生保護法は、ナチス・ドイツの「断種法」がモデルの国民優生法が前身です。
この法律は国際的にも問題視されていて、2016年には国連の女子差別撤廃委員会が、「優生手術の実態調査や手術を受けた人への補償」を日本政府に勧告。
日本弁護士連合会も、「優生手術が対象者の自己決定権を侵害し差別だったことを認め、謝罪・補償するべきだ」との意見書を国に提出しました。
そもそも日本は「過去」を振り返ることを、なおざりにしてきました。
歴史を振り返ることでしか人は学べないのに、残念なことです。
ドイツでは「二度と過ちをおかさない」という強い信念のもと、歴史教育を学校と社会で、徹底的に行なっています。
強制収容所について学ぶことは義務づけられていますし、近現代史に多くの時間がさかれる。
真ちゅうのプレートに、ナチスに虐殺された人たちの名前などが刻印された『つまずきの石』と呼ばれる敷石が、ドイツ国内に無数に埋められ、ありとあらゆる場所に加害に関するミュージアムや史跡がある。
「すごい!ここまでやるのか!」と驚愕するほど、過去の歴史と向き合う取り組みが行なわれているのです。
片や日本はどうでしょうか?
日々報じられるいくつもの社会問題は、何一つ「自分に関係ない問題」は存在しません。
旧優生保護法を振り返ることは、「今ある問題」につながる大切な事だと思います。
人材、人財、人在、人罪、人済とは?違いや判断基準、分類する目的、メリットやデメリットって何だろう?(パート6)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
コメント
初めてコメント差し上げます。
たまたまYahooで検索して、記事タイトル目当てに訪問しました。意味を知りたかっただけだったんですが、追伸の部分を拝見して感じたことがあったのでコメントを差し上げます。
確かに言われてみたらそのとおりだと思います。ただ意味が知りたいというだけで何も考えずに検索していたと思います。恥ずかしいことですが、僕は疑問も何も感じていませんでした。これでは自分の頭で考えて行動しているとは言えませんよね。これから少しずつ考えてみようと思います。
自分で考える力というのは、知らず知らずのうちに落ちているものですね。自分では考えて行動していると思い込んでいただけに、とても怖くなりました。よいきっかけをありがとうございます。
お陰でこれからの記事が楽しみになりました。今後もちょくちょく遊びに来ます。
やまちゃん様
初めまして!
当ブログ2番乗りのコメント、ありがとうございます。
> ただ意味が知りたいというだけで
> 何も考えずに検索していたと思います
そうなんですよね・・・、私も以前はそうでした。
今も忙しいとついつい・・・。(^^;)
でも、気づくことが第一歩なんじゃないかなーって思っています。
> 自分で考える力というのは、知らず知らずのうちに
> 落ちているものですね。
> 自分では考えて行動していると思い込んでいただけに、
> とても怖くなりました。
激しく共感です。
人間って、ラクな方へラクな方へ行ってしまうものなのかもしれませんね。
で、自分のことは棚上げにして、他人に求めてしまうものがあるのかも・・・(汗)
そう思うと、海より深く反省させられますよね(滝汗)。
> これから少しずつ考えてみようと思います
このお言葉、超嬉しいです♪
こんなボログでよろしければ、今後ともお付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/