「根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクって何だろ~?(;-ω-)」
「根性論・精神論に頼ることにはデメリットとリスクしか感じられないんだけど、根性論・精神論に頼るメリットって何かあるのかな~?(; ̄Д ̄)」
「すぐに根性だ!気合だ!って、ウチの会社も根性論・精神論にばかり頼っているように見えるんだけど、何が原因で根性論・精神論に頼るようになっちゃったんだろ~?(; ・`д・´)」
「根性論・精神論に頼ることによってデメリットとリスクしか生じないと思うんだけど、根性論・精神論に頼るメリットを感じているから頼っているってことなのかな~?( ̄▽ ̄|||)」
「組織力の強化や向上と根性論・精神論の関係って何だろ~? (ーー;) 」
「根性論・精神論に頼りがちだから、キャッチコピーやらスローガンやらを唱えるだけとか、どんなに残業が増えようともとにかくやれとか、できなかったら根性なしの人在、人罪、人済ってレッテルをはるとかって感じで、組織力の強化や向上も根性論・精神論に頼ることになっちゃうんじゃーないのかな~? (´Д`lll)」
「根性論・精神論って人材採用にも関係するのかな~?ウチの会社の場合、人材採用に関しても根性がある人とか、何があっても気合で乗り切れるガッツがある人ばかり採用する傾向にあるんだけど・・・ ( ̄‥ ̄;) 」
「類は友を呼ぶとはよく言ったもので、スキルがどーのってのはガン無視して、根性論・精神論肯定派の体育系の人ばっか優先的に採用しがちだし、人事評価の基準もブラックボックス化していて、根性論・精神論の人ばっか評価されちゃう傾向があるし、そーするとウチの会社の体質がますます根性論・精神論重視になっちゃうし・・・ ((((_ _|||)))) 」
「とにかく何でもかんでも根性論・精神論に頼る会社だから、採用のミスマッチやアンマッチに陥りがちだし、その上、根性論・精神論が大嫌いな人とかまともな人とかからどんどん辞めて行っちゃうし・・・ (っ´;ω;’c) 」
「ノルマの達成に関しても根性論・精神論を求めるし、根性論・精神論が優先だからなのか人材育成に関しても根性論・精神論丸出しで、人材育成らしい人材育成もなしで丸投げして、気合と根性で乗り切るように要求されちゃうし・・・ ( ノД`) 」
「ウチの会社の社長も、根性論・精神論に頼ってばかりいるんだよね・・・ ( ´△`;)」
「とゆーより、ウチの会社の社長が根性論・精神論に頼ってばかりいるから、管理職とかイエスマンになっている人とかをはじめとして、従業員もその根性論・精神論に染まらざるを得ない状況に陥っていると言った方がいいのかも・・・ (T▽T) 」
「根性論・精神論に頼ってばかりいる会社の方針に従いたくなんてないし、めっちゃイヤだしとても馴染めないし染まりたくないから、自分も辞めた方がやっぱりいいのかな~?ヽ(;▽;)ノ」
「だけど、辞めようとしたら、根性がないとか気合がないとかって怒られた挙句に、辞めさせてもらえないかもしれないから、どーしたらいいのやら・・・ (;゚;Д;゚;;) 」
「ウチの会社の社長も上司も根性論・精神論に頼る傾向があるんだけど、根性論・精神論に頼る会社の体質を変えようとしたら、何をどーしたらいいんだろ~?o゚p(∴´⌒`∴)q゚o。 」
「根性論・精神論に頼るウチの会社の社風を、いち従業員が変えようとするなんて、やっぱムリなのかな~? (o´д`o)=3 」
「根性論・精神論に頼る考え方って、日本人だけの考え方なのかな~? σ( ̄∇ ̄;) 」
「海外の国の人から根性論・精神論っぽい話なんて聞いたことがないんだけど、根性論・精神論が日本特有の考え方だとしたら、どーして日本人は根性論・精神論に頼るんだろ~? ( ̄▽ ̄;) 」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・









などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクって何だろう?
(パート1)
んーと、もしかしたら・・・






なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
特に中小企業で経営者の立場を経験したことの方からお聞きすることもある例えばこんな声から、まずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクなどに関する中小企業経営者Aさんの考え
根性論・精神論に頼る会社って、意外とたくさんあるんですよね。
そーゆーウチの会社も、実はそうだったんです。
と言っても、ウチの会社全体が根性論・精神論に頼っていたってゆーより、正確には経営者である私自身が根性論・精神論に頼っていたって言った方が正しいんでしょうけど。
どーして根性論・精神論に頼っていたのかってゆーと、恐ろしいことに根性論・精神論に頼ることが自分の中では普通になってしまっていて、根性論・精神論に頼ること何の疑問も当時は持っていなかったってことなんです。
心当たりがあるとすれば、従業員として勤めていた頃の会社に根性論・精神論が蔓延していて、いつの間にか自分も根性論・精神論に染まっていたから、その会社を辞めて起業してからも根性論・精神論に頼ることが当たり前になってしまっていたってことでしょーか。
根性論・精神論が当たり前と思い込んでいた当時の私を今思い返すと、とんでもないよなーってつくづく感じますよ。
根性論・精神論が当たり前って考え方だったから、会社の方向性なんていちいち考えなくても、その時その時で気合と根性で乗り切ればなんとかなるさーって感じの、根拠のない自信家だったし。
根性論・精神論が普通で経営計画を立てようと考えもしないものだから、当然のことながら経営戦略の必要性を感じたこともなかったし、経営戦略や戦術も立てたことがなかった立てる気もなかったし、出たとこ勝負で気合と根性で乗り切ればなんとかなるさーって、無謀で行き当たりばったりの無計画もいいところだったし、そのせいか朝令暮改も多かったし。
売上が減少しよーが赤字になろーがおかまいなしで、根性論・精神論しかなかったそんな私だったから、当然のことながら決算書の見方も知らなかったし、知ろうともしなかったし。
損益計算書(P/L)から何がわかるのか何がわからないのかも知らなかったし、知ろうともしなかったし。
損益計算書(P/L)ですらこんな状況だったから、貸借対照表(B/S)から何がわかるのか何がわからないのか、もっと知らなかったし知ろうともしなかったし。
損益分岐点がどーのとか、固定費がどーのとか、変動費がどーのとかなんて、考えもしなかったし。
なので、売上目標を立てるにしても、ものすごーくテキトーだったし。
そのせいか、薄利多売もいいところだったし。
勘と経験と度胸(KKD)の経営にはメリットもあるとは思いますけど、当時の私の場合は根拠のない勘と気合と根性だけだったから、デメリットしかありませんでしたし。
え?
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクは何なのかって?
うーん・・・、一言で言うと、エビデンスとか根拠とか裏付けとかの類をガン無視して、主観と思い込みと思いつきだけで経営判断して、気合と根性だけで突っ走ってしまうってことじゃーないでしょーか。
しかも自信満々で。
自分だけは絶対大丈夫って根拠のない自信も含めて。
エビデンスとか根拠とか裏付けとかの類をガン無視して、根性論・精神論で突っ走ってしまうものだから、クリティカルシンキングがどーのって以前の話だったし。
主観と思い込みと思いつきだけの根性論・精神論で突っ走ってしまうものだから、ロジカルシンキングもヘッタクレもないって感じだったし。
そのせいで、怪しいお金儲けにまんまとのせられてしまったこともありましたし。
それも1度や2度ではなく、何度も何度も。
極論を言えば、私一人だけの会社なら根性論・精神論でもいいのかもしれません。
根性論・精神論で経営判断した結果どーなろーと全て自己責任ですから。
だけど、従業員を雇っている会社の場合だと、何でもかんでも根性論・精神論で経営判断してしまうのは、さすがにヤバイと今はつくづく思いますよ。
根性論・精神論の経営判断によって振り回される従業員は、たまったものではありませんしね。
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクなどに関する中小企業経営者Bさんの考え
以前のウチの会社は、根性論・精神論に頼ってばかりいましたよ。
自分では根性論・精神論に頼っているつもりがなかっただけに、本当に怖いですよね。
根性論・精神論に頼っていたことに、どーして気づけなかったんでしょーね???
当時の自分を思い返すと、今では不思議でたまらないぐらいですよ。
冷静になってよくよく考えてみると、根性論・精神論に頼る会社には、デメリットとリスクしかないのに・・・
根性論・精神論に頼るメリットなんて、なーんにもないはずなのに・・・
え?
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクは何なのかって?
世の中にはいろんな会社があって状況も異なるでしょーから、根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクも、それぞれの会社によって異なると思うんですけど、ウチの会社の状況で言うなら、根性論・精神論に頼る会社の最大のデメリットとリスクは、根本的な原因ですら見つける努力を怠ってしまって、悪い状況がさらに悪化してしまうってことでしょーか。
例えば、当時のウチの会社は売上が上がらなくて赤字に陥っていて悩んでいたんですけど、売上減少の原因は何なのかとか、赤字の原因は何なのかとか、根本的な原因を見つけようともせずに、あーでもないこーでもないと闇雲に試行錯誤して、体力を消耗してしまったんです。
見込み客へのアプローチにしても売り込みにしても、根性論・精神論で成果を上げるよう要求してしまっていましたし。
ノルマを達成できなかった人に関しては、根性が足りなさすぎる!!何がなんでも気合で達成しろ!!言い訳せずにとにかく成果を出せ!!とかって、会議とかでつるし上げを行っていましたし。
その結果、自爆営業も強いてしまっていましたし。
お客様は神様って、散々言っていたくせに。
それも関係しているんだろーけど、他にも例えば人材定着率が下がる一方で、その上、人手不足の悪循環にも陥っていましたしね。
当時のウチの会社では、まともな人材からどんどん辞めて行っていたんですけど、何もかも全部現場のせいにするなどの責任転嫁を行って、根性論・精神論で現場をとにかく回すように言うだけでしたし。
で、現場がすっかり疲弊してしまって、それでもまだ根性論・精神論で従業員に丸投げしていたものだから、まともな人材がさらにどんどん辞めて行き、連鎖退職まで起きてしまっていましたし。
こんな状況に陥っても根性論・精神論に頼っていたからなのか、まだ現実を直視することなく、人材採用を行いさえすればそのうち状況が改善するだろうなどと高をくくっていて、根本的な原因を見つけようともしていなかったんです。
今思えば、そりゃーまともな人材からどんどん辞めて行くのは当たり前の話だよねーって思いますけど。
普通に考えてみても、バケツの底に穴が空いている状態では、水が溜まることは決してないのに、どーして気づけなかったんでしょーね?
その後間もなくして、事業継続の危機に陥ってしまって、人手不足倒産の寸前まで行って、根性論・精神論が根本的な原因であることに、ようやく気づかされたんです。
逆に言うと、こんな状況になるまで自分の根性論・精神論の考え方が諸悪の根源であるって気づかなかったってことでもあるから、ものすごーく怖いですよね・・・
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクなどに関する元中小企業経営者Cさんの考え
根性論・精神論に頼る会社って、心底怖いよなーって今はつくづく感じるようになりましたね。
根性論・精神論に頼ることってデメリットとリスクしかないのに。
だけど、それに気づかないものだから根性論・精神論に頼ってしまうし、最悪の場合は根性論・精神論に頼るしかないって悪循環に陥りますから。
そーゆー以前の私も実は、根性論・精神論に頼っていたんですけどね。
根性論・精神論に頼るとゆーより、根性論・精神論しかなくて、デメリットとかリスクとかについて考えることすらせずに、根性論・精神論に突っ走っていたと言った方がいいんでしょーけど。
え?
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクは何なのかって?
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクは、それぞれの会社の状況等によって異なると思います。
ウチの会社の場合で言うなら、根性論・精神論に頼る会社の最大のデメリットとリスクは、現実を直視することもなく、現状把握すら行うこともなく、ただただ現実逃避とゆーか先延ばしとゆーか、それに加えて責任転嫁・責任逃れにも走ってしまっていたってことでしょーか。
例えば人材採用に関して言うと、ウチの会社では優秀な人材 = 根性があってどんなに厳しい状況であっても気合で乗り切れる人でしたから。
そーゆー優秀な人材は「人財」で、気合と根性がないのは「人在、人罪、人済」と決めつけて、圧迫面接を長時間行うとかして、どれぐらい根性があるのかを試すような人材採用を行っていましたから。
その人材採用で耐えきれなかった人は、採用のミスマッチと勝手に決めつけていましたから。
今思うと、そんな人材採用じゃー、本当だったらアンマッチにしかなり得ないって思うんですけどね。
で、その人材採用を気合と根性で乗り切った人に対して、さらなる試練を課して、気合と根性を試すようなこともしていましたよ。
人材育成と称して、社是・社訓の絶叫をさせるとかに近いこともやっていましたし。
他にもあーんなこととか、こーんなこととか、OJTという名の放置プレイとか、気合と根性をひたすら試すような研修ばかりやっていたんです。
当然のことながら、多くの人が短期間で会社を辞めて行ったんです。
中には、入社当日に辞めてしまった人もいたぐらいでしたよ。
その時点で、根性論・精神論はおかしいと気づけば良かったのに、
「なーんだー、見せかけの気合と根性だったんだねー」
「まっ、代わりはいくらでもいるさー」
などで終わらせて、気合と根性を試す人材採用がどんどんエスカレートして行き、根性論・精神論にますます突っ走ってしまったんです。
その一つが大量採用・大量離職でした。
つまり、気合と根性がなくて辞める人が続出するのを前提とした人間ポイ捨ての人材採用だったんです。
こんな風に気合と根性がある人が採用されて増えて行くと、企業風土も根性論・精神論にますます染まって行くんです。
企業風土が根性論・精神論重視になると、組織の価値観も根性論・精神論重視になって行きますし。
新規顧客開拓を行うにしても、ノルマの設定や達成に関しても、新規事業をやるにしても、新製品や新サービスの開発をやるにしても、全てにおいて根性論・精神論重視になって行ったんです。
それに、全てにおいて根性論・精神論重視だと、長時間労働も休日出勤も当たり前になってしまうんですよね。
当時のウチの会社は、長時間労働も休日出勤も常態化していましたし。
長時間労働や休日出勤をしない人 = 気合も根性のない「人在、人罪、人済」ってレッテルを貼られてしまうから、自発的に長時間労働や休日出勤するのが当たり前になってしまっていましたし。
それどころか、病気になっても休めない、病気になっても気合と根性で乗り越えなければならない、気合と根性がないから病気になるんだって空気が蔓延していましたよ。
なので、有休を取る人なんて誰もいませんでしたし。
だって、有休を取ったら気合と根性のない「人在、人罪、人済」ってレッテルを貼られてしまうから。
今思えば、生産性もヘッタクレもないですよね。
働くために食べるのではなく、食べるために働くのが人間なのに。
ワークライフバランスもガン無視していたし、過労死しよーが家庭崩壊しよーがどーしよーが、根性論・精神論で乗り切れ!!って言っているような無茶ぶりだとつくづく感じますよ。
挙句の果てに、会社の根性論・精神論の方針にきちんと従って行動できているか、職場に監視カメラを設置して監視していましたし。
根性論・精神論の方針は人事評価にも使っていて、気合と根性がない「人在、人罪、人済」と判断した場合は、リストラを行っていましたし。
コレじゃー、外発的動機で言うところの「アメ」が全くなくて「ムチ」しかないって状況ですよね。
「ムチ」しか与えていない状況なのに、従業員のモチベーションが上がるワケないじゃん・・・、って今はつくづく感じますよ。
え?
根性論・精神論に頼る会社になってしまったことに気づけたきっかけですか?
他ならぬ私自身が根性論・精神論に頼る会社にしてしまったことに気づけた最初のきっかけを一言で言うと、「代わりの人はいくらでもいる」が一切通用しなくなった時でした。
つまり、気合と根性のある優秀な人材が見つからなくなってしまったんです。
募集しても募集しても、だーれも応募してくれない思いっきりアンマッチ状態に陥ってしまったんです。
そりゃーそーですよね。
代わりの会社はいくらでもあるんですから。
根性論・精神論に頼るだけの会社で働きたいワケないじゃないですか。
実際、就活生の口コミサイトでブラック企業のレッテルを貼られていましたし。
いやーもう、ボロカスのけちょんけちょに書かれていましたよ。
その後、労働法違反についても指摘されていて、ガサ入れにも入られましたし。
それでもまだ当時のウチの会社は根性論・精神論に走っていて、現実を直視しようとしなかったものだから、優秀な人材がどんどん辞めて行ってしまって、挙句の果てに連鎖退職まで起きてしまったんです。
ここまで大量にそれも一度に辞められるとマジでヤバイと思ったので、必死に引き留めたんですけどね。
だけど、
「そんなの知りませんよ」
「お得意の根性論・精神論で乗り切ったらいかがですか?」
などの捨て台詞を吐かれて、蜘蛛の子を散らすように去って行かれたんです。
ほどなくして事業継続の危機に陥ってしまったんですけど、ここまで危機的な状況になってはさすがにマズイ!!このままでは人手不足倒産してしまう!!と焦ったので、残ってくれた気合と根性のある従業員と一緒にナントカしよーとしたんですけどね。
そしたら、根性論・精神論にすっかり染まっていた企業風土のデメリットをさらに思い知らされてしまったんです。
経営者である私も残ってくれた従業員も、それまでずぅーっと根性論・精神論ばかりに頼っていたせいで、現実を直視したことがなかったから、現状把握をするにしても何からどーしたらいいかわからなかったし、根本的な原因の見つけ方もわからなかったし、優先順位のつけ方もわからなかったし、問題解決の仕方もわからなかったし。
根性論・精神論ばからで、何からどーしたらいいのかわからないものだから、他社の成功事例を闇雲にそっくりそのまま真似をしてみたこともありましたね。
それによって、傷口をさらに広げてしまったのは言うまでもありません。
根性論・精神論からの脱却を目指そうともしたんですけど、時すでに遅しでしたよ。
結局、ウチの会社は人手不足倒産してしまったんですけど、今思えば当たり前の話だと思います。
こんな事態を招いたのは、根性論・精神論に頼っていた私が全て悪いんです。
経営者が根性論・精神論に頼っていると、どんな経営理念やビジョンを掲げていよーと、実際の経営理念やビジョンが根性論・精神論になってしまいますし。
そーすると会社全体に根性論・精神論が蔓延してしまって、お客様は神様だと言って顧客のどんな要求にも根性論・精神論で応えるように経営者も管理職も従業員に強制してしまうし。
気が付いたときにはどーすることもできない状況に陥ってしまうし、そして慌てて根性論・精神論からいざ脱却しなければと思ったとしても後の祭りで、それでも根性論・精神論に頼るしかなくなっているから、経営者としての罪はめちゃくちゃ重いと思います。
そう考えると、根性論・精神論に頼ってばかりいるような会社って、崖に向かって一直線にアクセル全開で走っているってゆーか、ブレーキを踏むことを知らないってゆーか発想すらないってゆーか、そんな恐ろしい状態じゃーないでしょーか?
その上、経営環境の変化も無視して、避けられるはずのリスクへの対応すらも疎かにして、外部環境のせいにばかりするってゆーか。
そんな状況に陥っても、根性論・精神論で乗り切ろうとするってゆーか。
もしかしたら、会社が根性論・精神論にばかり頼っているとか、根性論・精神論にばかり頼るしかない状況とかって、会社が潰れる前兆ととらえることもできるのかもしれませんよね。
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクって何だろう?
(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「根性論・精神論に頼るって、そーゆーことだったのかー!! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「根性論・精神論に頼る会社にはデメリットとリスクがあるだろーとは思っていたけど、根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクって、そーゆーことだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「なーにがコワイって、根性論・精神論からいざ脱却しようとしても、それでも根性論・精神論に頼るしかないって状況だよなー・・・ (|||▽ ) 」
「根性論・精神論に頼るしかなくなっちゃう前に、根性論・精神論にばかり頼っているって気づけばいいと思うんだけど、根性論・精神論にばかり頼っているって、どーして気づけなくなっちゃうんだろ~??? (´Д`lll)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社も根性論・精神論にばかり頼っているんだけど、コレってやっぱ会社が倒産する前の兆候なのも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/」
「だとしたら、自分自身が根性論・精神論にいつの間にか染まってしまう前に、そして部下に根性論・精神論を強要してしまう前に、さっさと転職した方がいいのかも・・・!? (o´д`o)=3 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「根性論・精神論に頼る会社を従業員の立場で変えようとしても、やっぱりムリってコトなのかも・・・!? (・_・;) 」
「ウチの会社が根性論・精神論から脱却するなんてまずムリそーだし、根性論・精神論に頼る会社を変えるなんて考えずに、さっさと転職活動を始めた方がいいのかも・・・!? (;´д⊂) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーか!!根性論・精神論に頼る会社を変えるには、その手があったのかー!! ( ̄○ ̄;) 」
「だよなー、代わりの会社はいくらでもあるんだからさー、代わりの人材はいくらでもいるなーんてイマドキってホザいているような根性論・精神論に頼る会社なんかで、ひたすら我慢して働く必要なんてないもんなー ( ̄ー+ ̄)ニヤリッ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「うぉー・・・、転職活動の時に経験したアレとかコレとかって、もしかすると根性論・精神論に頼る会社だったってコトなのかも・・・!? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「他にもあーんなコトとかこーんなコトとか、ブラック企業なのかどーなのかとか、根性論・精神論に頼る会社なのかどーなのかとかを見分ける方法が、ナントナークわかったような気がしなくもないかも・・・!? ( ̄‥ ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクが、わかったよーなわからんよーな・・・、わかりそーでわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「はぁぁぁぁぁ?根性論・精神論の何が悪い!?根性論・精神論が必要な時だってあるはずだろー!! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「根性論・精神論はデメリットとリスクしかないって、そーんなワケないじゃん!! (*`θ´*) 」
「根性論・精神論にだって、メリットがあるはずだねー!! (# ̄3 ̄)」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
で・・・、もしかしたら・・・



なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
特に中小企業の経営者の立場の方からお聞きすることもある例えばこんな声からも、考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクなどに関する中小企業経営者Dさんの考え
根性論・精神論にはメリットなんてない。
根性論・精神論に頼っていると、デメリットとリスクしか生じない。
根性論・精神論が苦手。
根性論・精神論が大嫌い。
根性論・精神論に関しては、根性論・精神論を肯定する人もいるものの、根性論・精神論を否定する人もたくさんいて、根性論・精神論否定派の中にはこーゆー考え方の人もたくさんいるんじゃーないでしょーか?
そーゆー私はってゆーと、根性論・精神論が今でもやっぱり大の苦手だし、以前は根性論・精神論完全否定派だったんです。
根性論・精神論なんか古い考え方でしかないし、メリットなんて全くないし、デメリットとリスクしかないから何の役にも立たないって思っていたし。
だけど、後継社長の立場でウチの会社を継いでからは、根性論・精神論に対する考え方がちょっと変わったように思いますよ。
私の場合、他社で従業員の立場を経験してから、ウチの会社に後継者として入社したんです。
その時の驚きときたら、半端なかったですね。
それとゆーのも、小さな町工場で職人さんが多い会社だったってこともあって、根性論・精神論に頼ることが日常茶飯事になっちゃっていたからなんです。
根性論・精神論に加えて、ものすごーく丼勘定だったし、無計画でテキトーで行き当たりばったりだったし。
従業員として勤めていた会社は大企業だったってのもあって、ウチの会社とついつい比較してショックばかり受けていました。
ウチの会社に後継者として入社したことを、即後悔したのは言うまでもありませんでしたよ。
その時は、根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクしか感じられませんでした。
虫唾が走ったぐらい、根性論・精神論に頼る会社が嫌で嫌でたまりませんでした。
とは言えども、後継者として入社してすぐに会社を辞めると、すぐに根を上げたと見られてしまうのも腹立たしいし、後継者のくせに無責任に投げ出したと文句を言われるのも心外だから、後継者としてしばらく修行を積んで、実際に会社を継ぐかどーかの時に判断してもいいかも!?とも感じたので、しばらく様子を見ることにしたんです。
で、職人さん達のものづくりの様子を見たり、自分でも実際にものづくりをやってみたりしているうちに、根性論・精神論に対する考え方が少しずつ変化して行ったんです。
先代社長も含めて職人さん達はぶっきらぼうだし、口下手ってのもあって教えるのが超下手クソだし、俺の背中を見て学べの典型だったってのもあって、最初のうちは、根性論・精神論のデメリットとリスクしか感じられなかったんですけどね。
だけど、いいものづくりが出来るのは、技術力とか技能とかもモチロン必要なんだろーけど、根性論・精神論のお陰でもあるのかも!?とも感じるようになって行ったんです。
粘り強さとか、納得できるものがつくれるまで妥協しない気持ちとか。
失敗しても失敗してもヘコたれない気持ちとか、愚直に努力し続ける力とかとでも言ったらいいんですかね。
こーゆーのも根性論・精神論の一種だろーし、技術力とか技能とかが同程度であるとしたら、最後の最後には気合とか根性とかによって差が出る場合もあるのかも!?
あくまでも自発的にやるのであれば、コレってもしかしたら根性論・精神論ならではのメリットにもなり得るのかも!?と感じるようになって行ったんです。
その一方で、先代社長のあまりにもテキトーな根性論・精神論だけとしか言いようのない会社経営っぷりに辟易して、さらに根性論・精神論嫌いになったのも事実なんです。
先代社長自身も職人の一人だったから、大変なのはわかるんだけどさー。
だけど、こんな状況じゃー、経営者としての仕事や役割をちゃんと果たしているとは言えないんでね!?
いつかは脱下請けするつもりとか何とかって口では言うものの、会社の方向性をちゃんと決めようとしていないようにどーも見えちゃうよなー。
経営戦略の必要性ですら、感じているようには見えないしさー。
経営計画ですら立ててないしさー。
他社との差別化できるだけの経営資源がこんなにあるのに、差別化戦略ですら考えようとしないなんて、もったいなさ過ぎだよなー。
差別化戦略すら考えていない状態で、根性論・精神論だけに頼って下請けから脱却しようとするなんて無謀過ぎるよなー。
実際、下請けからの脱却の準備もしてなさげだしさー。
下請けからの脱却計画も立ててなさそーだしさー。
根性論・精神論に頼ってばかりいるから、下請けいじめをされちゃうんじゃーないのか!?
どんなに下請けいじめをされても、根性論・精神論に頼ってひたすら我慢するしかないんじゃーないのか!?
自社がターゲットとする顧客に関しても、不明確だしさー。
マーケティングに関しても、全然考えてなさそーだしさー。
そもそも、決算書だってロクに見ていないしさー。
忙しいのはわかるんだけど、せめて決算書の簡単な見方ぐらい勉強して欲しいよなー。
最初は、損益計算書(P/L)だけでもいいんだからさー。
貸借対照表(B/S)の見方から始めてもいいんだしさー。
放漫経営とまでは言わないけど、あまりにも丼勘定だし、無計画でテキトーで行き当たりばったりだしさー。
経営者としてやることすらちゃんとやらずに、根性論・精神論に頼ってばかりいるって、どーかしているんでね!?
ってな感じで、ただでさえ良いイメージがなかった根性論・精神論が、さらに悪化して行きましたね。
で、はっとさせられたんです。
ああ・・・、そーか・・・、もしかしたら根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクってこーゆーことで、根性論・精神論のメリットってこーゆーことだったのかも!?って。
そーだよねー、考えてみりゃー、何にでもデメリットとリスクだけではなくメリットもあるように、根性論・精神論に頼ることだってデメリットやリスクもあれば、メリットもあるもんなー・・・って。
なので、根性論・精神論に対して、今はこう思っています。
やるべきことをきちんとやってから、万策が尽きた最後の最後に根性論・精神論に頼るのであればアリなのかも!?って。
つまり、気合や根性をはじめとする根性論・精神論を最後の最後の切り札として、あくまでも自発的に利用するのであれば、そーゆー最後の最後の手段しての根性論・精神論なのであればアリなのかも!?って意味で、今は根性論・精神論をとらえられるようになりましたね。
根性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクなどに関する中小企業経営者Eさんの考え
根性論・精神論に頼ることにはデメリットとリスクしかないし、根性論・精神論が大嫌いって人も多いですよね。
特に根性論・精神論が大嫌いって点に関しては、ものすごーくよくわかります。
とゆーのも、起業する前の私は根性論・精神論を毛嫌いしていましたから。
実は、サラリーマン時代に勤めていた会社の社長が根性論・精神論の塊みたいな人だったってこともあって、管理職も根性論・精神論に染まっていたんです。
何かと言えば、気合と根性ばっか。
何のメリットもない非論理的な根性論・精神論だけって感じの会社だったんです。
根性論・精神論に頼ってばかりいるこんな会社なんて、さっさと辞めて起業してやるぅー!!
って思いで必死に我慢しましたけどね。
根性論・精神論が大嫌いで、根性論・精神論に頼ることにはデメリットとリスクしか感じていない私だったんですけど、自分が起業して初めて、根性論・精神論に頼る気持ちがほんの少しだけわかるようになった気がするんです。
特に起業したばかりの頃って、ないないづくしもいいところですよね。
ただでさえ経営資源に乏しい中小零細企業なのに、起業したばかりの頃は経営資源と言えるようなものがないに等しいし。
例えば、経営資源のうちのヒトは自分だけ。
ビジネス上の人脈もないに等しいし。
モノは最低限の仕事道具だけ。
カネはサラリーマン時代に貯めた分だけ。
起業したばかりの頃は、大抵どこの会社もこーんな状況ですよね。
経営資源と言えるようなものがないに等しいレベルですよね。
ウチの会社もそうだったんです。
コレだけ経営資源がないと、使えるものは何でも使うっきゃなくなるし、起業したからにはがむしゃらにやるっきゃないですよね。
で、ふと気がついた時には、あんなに毛嫌いしていた根性論・精神論に頼ってしまっていた自分がいたんです。
我ながら、結構ショックでしたね。
あーんなに嫌っていた根性論・精神論に、いつの間にか頼ってしまっていたんですから。
で、気がついたことがあるんです。
根性論・精神論で言うところの気合や根性の類も、見ようによっては経営資源と言える時もあるのかも!?って。
根性論・精神論で言うところの気合や根性の類にも、デメリットとリスクだけではなく、メリットも意外とあるのかも!?って。
但し、起業したばかりの頃のように、経営資源と言えるようなものがないに等しい時だけ頼ってもいいかもしれない、あくまでも限定的、且つ、一時的な経営資源ですけどね。
性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクって何だろう?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「根性論・精神論にもメリットって一応あったんだ・・・ w( ̄△ ̄)w 」
「ナルホド・・・、根性論・精神論のデメリットとリスクだけでなく、メリットに関してもちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「最後の最後の切り札として気合や根性を使うのであれば、もしかしたら経営資源ととらえられるかもしれないし、根性論・精神論によってメリットが生じる場合もあるってコトなのかも・・・!? (´・ω・`) 」
「だけど、やるべきことをなーんにもやらずに、根性論・精神論ばかりに頼ると、デメリットとリスクしかない生じないってコトなのかも・・・!? o( ̄_ ̄|||)o 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そーか・・・、ウチの会社では根性論・精神論に頼るデメリットとリスクしか感じられないんだけど、それはやるべきことをなーんにもやらずに、最初っから根性論・精神論にばかり頼っているからなのかも・・・!? (ーー;) 」
「火事場の馬鹿力って言うけど、いつもいつも火事場の馬鹿力を出すなんて不可能だもんなー、気合や根性をはじめとする根性論・精神論に関してもそれと同じなのかも・・・!? ( ̄∧ ̄ ) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー・・・、上記を踏まえた上で・・・
例えばこんな視点からも考えてみるのはどーでしょう?
d( ̄  ̄)
チームのメンバーにとって、成功体験をメンバーに押しつけたり、根性論や精神論で乗り切ろうとするのは、たまったものではない
リーダーシップのない人に成果目標を与えると、その人は結果を出すために無謀な方法に頼ります。
プレーヤーとしての自分の成功体験をメンバーに押しつけたり、根性論や精神論で乗り切ろうとする人もいます。
部下や納入業者など、力の弱い者をたたいて成果をあげようとする人も出て来るし、なかには不正な方法に頼る人もでてきます。
チームのメンバーにとっては、たまったものではありません。
精神論者が増え、管理職は権威と権限にしがみつき、井の中の蛙になってしまう時とは
■ 「やっぱり変だよ日本の営業」
結果にしか興味がない営業管理をしていると、どんな結果が生まれるでしょうか。
まず、社員は本当の情報をあげなくなります。
どうせ結果が悪いと叱られるだけですから、あげても損するだけです。
次に、管理職は怠慢になります。
根性を入れてやれば何とかなると思い込み、戦法・戦術の研究を怠り、効率悪化を放置します。
経営者は傲慢になります。
モノが売れるかどうかは営業マンのやる気次第だと信じ込んで、自社の事業や製品の社会的意味を問わなくなり、顧客の気持ちを無視してしまいます。
結果にしか興味がない営業管理をしていると、どんな企業になるのでしょうか。
まず社員は、モチベーションが下がるでしょう。
会社側は戦略、事業と仕組みについて努力しないのに、社員には犠牲を強いているからです。
次に人材が育ちません。
精神論者が増え、管理職は権威と権限にしがみつき、井の中の蛙になってしまいます。
経営者は裸の王様になります。
過去の成功を人格やカリスマ性に結びつけ、その権威を振りかざして組織を追い立て、営業現場や顧客の中で起きている小さな変化を読み取ろうとしなくなるからです。
「自己実現」というのは、精神論のレベルの問題ではないはずだ
■ 「組織力を高める」
「自己実現」において大切なことは、組織と自己実現のベクトルが合っているか、ということだ。
組織と自己実現のベクトルが合っていなければ、自己実現の努力や成果が組織の目的達成に貢献することもなく、その人は当然評価されない。
企業側の課題としては、実際に一人ひとりの自己実現をどうサポートしていくかといった課題が、多くの企業にとってまだまだ表面的であるということだ。
企業によっては、人材育成の主要な部分を外部専門家に丸投げし、ありきたりの研修プログラムを実行しているケースが見受けられることも多い。
そもそも「自己実現」というのは、単に資格をとるといったお手軽な方法論や、念ずれば実現するといった精神論のレベルの問題ではないはずだ。
組織は、放っておくと徐々に腐っていく傾向がある。
組織の活力がなくなり、組織内に無意味と思えることが増殖する。
最終的には、なんらかの問題を起こし組織が消えてなくなってしまう場合も多い。
かつての優良企業が産業再生機構入りするケースなど、そのような事例に事欠かない。
本来やらなければいけないこと、耳を傾けなければいけないことから離れた「無意味なこと」が増えてきたら、組織の腐敗が始まっている可能性があるので要注意である。
組織が完全に腐敗しきってしまうと、「組織力」を取り戻すたの努力は並大抵のものではない。
体裁を整えることを大切にする人たちが重きを置いているのは、つねに内容よりも形式であり、事実ではなく精神論である
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
「意識改革」なるものの研修が本当に効果をもたらしたという話を、いまだかつて聞いたことがない。
そもそも、官製談合を「誰でも知っているみんなの秘密」として当たり前のようにやっている組織で、事の本質にかかわるような話には蓋をしたまま、研修できれいごとの「あるべき論」を説教し、それをもっと「意識改革」などと称するのはあまりにも空々しい。
上から言われたから形にだけはしなくては、といった程度の熱意しか感じ取ることができなかったら、そんなことはやるだけ無駄だ。
こういう組織には担当者の熱意などではどうにもならない別次元の根深い問題が横たわっている。
このような組織で大切にされるのは中身ではなく形式だ。
会議であっても、中身はともかく、それをやったという形がまず大事なのだ。
こういう世界の中では、人間も儀式の中の道具だてのひとつになる。
しかし、このようなやり方に慣れきった人たちは、この種の「儀式」を「ディスカッション」と称して、大まじめにずっとやってきたのだ。
中身がまったくないこのような儀式を、誰もおかしいと思わず仕事としてとり行ってきたのである。
内容よりも形式を重視する傾向の強い人たちは、人も道具だてのひとつとして見ているから、役職だとか肩書きに意味は見出しても、「内発的な動機」が果たす役割などには、そもそも興味すら持たない。
命令さえすれば動く「道具」が内発的動機など持つ必要性があるわけないからだ。
道具に人の情熱など、そもそも必要としないから、内発的動機など無視してもいっこうにかまわないのである。
人を、中身(たとえば、考えや意見、関心の有無)で評価するのではなく、その属性(地位や役割)で見る、という考え方を持っていると、人の内発的動機に対する関心はおのずと小さくならざるをえなくなる。
儀式としての体裁を整えることを大切にする人たちが重きを置いているのは、つねに内容よりも形式であり、事実ではなく精神論である。
そして、このような考え方、価値観が当たり前になっていることが、日本という国が今日抱えているさまざまな困難な問題を引き起こしている根源的な要因だと考えている。
事実を直視し、現実と向き合おうとしない国に未来はない。
目指す方向や方針がいかに立派につくられていても、それだけで改革が成し遂げられていくわけではない。
根性論・精神論と見込み客へのアプローチとの関係とは
■ 「目標管理の教科書」
見込み客にいくら電話をしても、アポが取れずに苦悩する。
懇切丁寧な商品説明をしたにもかかわらず、お客様から袖にされ、思わず不快な顔をする。
その態度にクレームが付き、こっぴどく叱られる。
ガックリ肩を落として会社に戻る。
そんな出来事が3日も続けば、せっかく盛り上げたヤル気も、シャボン玉がはじけるように一挙にしぼんでしまう。
それが普通の人間が抱えている弱さではないか。
そんなとき、「お前が決めた目標だから、やり切れよ!」と叱責しても始まらない。
営業マンのやる気だけに頼ろうとする根性論・精神論
■ 「小さなサービスで大きく売り上げる売れる仕組み」
今までマーケティングに注目しなかったのは、いい商品を提供できれば、いつでも買ってもらえるという自負心があったからです。
いいものさえ提供することができれば、売ることは営業マンの努力次第で何とかなるもので、やる気がないから売れないということになったわけです。
営業マンのやる気だけに頼ろうとする考え方が、今でも一般的です。
これではマーケティング・サイクルを回すことはできません。
商品は顧客にとっては自分の目的を達成するための手段であるということに目を向ける必要があります。
商品を使用することによって得られるメリット、自分自身の目的を達成するための手段として、商品を買うわけです。
多くの企業では、品質のよい、機能性に優れた商品が勝利するものであるとしてマーケティングを展開しがちです。
そのため、「勝負は商品次第である」という過ちを犯してしまうのです。
顧客が商品を購入するのは、商品から得られる満足が顧客にとってどのようなものなのかを評価するからで、商品そのものがどのような品質・性能を持っているかではないのです。
マーケティングにあっては、顧客の心の中にどのような考え方があるのか、感じ方があるのかが問題なのです。
つまり、商品に対して顧客がどのように思っているかがすべてであり、「うちの商品はベスト」というのは幻想にすぎないと言ってもいいのです。
どんな会社であっても「顧客を無視しろ」などという方針を掲げているようなところはないはずです。
「顧客のニーズに応えろ」とか「顧客を大切にしろ」などと旗じるしとして営業を展開していることでしょう。
ところが、実際の営業の場面で、顧客にどのように接しているかというと、「顧客は大事だ」としながらも、結局のところ、顧客を自社の販売目標を達成するための販売先としてしか考えてしなかったり、顧客を単に売上高を増やす相手であるとしか考えていないという場合が多いのです。
立派な方針を掲げているにもかかわらず、その方針がどのような意味を持っているのかをつかめていないために、顧客の視点に立って顧客の要求に応えられていないのです。
では「顧客」とはいったい誰のことをいうのでしょうか。
顧客が誰なのか理解できないからこそ不鮮明な「顧客志向」にならざるを得なくなってしまうのです。
顧客という言葉をあいまいなまま使用し、単に売上高や利益を上げる相手であるくらいに考えて無意識のうちに営業活動を行ってきているのです。
日本ではいまだに、すべての物事は気合いや精神で乗り切れると考えている根性論・精神論の人が大勢いる
■ 日本の人手不足がここまで深刻化したワケ
日本ではいまだに、すべての物事は気合いや精神で乗り切れると考えている人が大勢いて、科学的に状況を分析し、合理的な解決策の提示を忌避する傾向が顕著です。
科学技術の粋を集めた米国の大型爆撃機B-29に対して、竹槍で戦おうとした戦時中の日本と何も変わっていないように思えます。
今の日本では人手不足が深刻化しており、基本的な経済活動の維持すらままならない状況に陥っています。
今の日本では空前の人手不足が発生しており、あらゆる分野で業務がうまく回らないという事態が発生しています。
特に現場仕事を必要とする業界の人手不足は極めて深刻です。
重要なのは、今、発生している人手不足は決して一時的な要因ではなく、日本経済の仕組みそのものに起因する構造的問題であるという点です。
日本社会では、具体的な問題解決を提示するわけでもなく、「スポ根マンガ」のように根性論・精神論を唱えて気合いで乗り切ろうとしがち
■ 日本にはもともと「おもてなし」の伝統などなかった
日本は伝統的に「おもてなしの精神」を誇りにしているような国ではない。
少なくとも、観光業や接客業で「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいこの30年程度の話だ。
大きく変わるのが、バブル崩壊後だ。
バブル崩壊以降、いわゆる「失われた30年」に突入して、国内観光業が大きく衰退したとき、起死回生のマーケティングとして打ち出したのが「おもてなし」である。
1990年代後半から観光業や自治体などが急に「おもてなしの心」を唱え始めるようになる。
この頃になると、「おもてなし」は観光業界のバズワードになる。
バブル崩壊で日本の国内観光は大打撃を受けた。
若者がかつてのように泊まり込みでスキーや海水浴などに行かなくなり、海外旅行にも流れてしまっていたからだ。
閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。
観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである。
そんな「おもてなしマーケティング」は観光業者にもてはやされた。
「おもてなし精神」というあくまで心の問題なので、特殊技能が必要なわけでもないし設備投資もいらない。
つまり、「おもてなし精神」というのはもともと、観光業に携わる日本人が、同じ日本人の観光客へ向けて「我々は死ぬ気でサービスします」と「根性アピール」をしたようなものなのだ。
ちなみに、これは日本社会の「あるある」でもある。
苦しくなってくると具体的な問題解決を提示するわけでもなく、「ふわっ」とした精神論を唱えて「スポ根マンガ」のように気合いで乗り切ろうとしがちである。
得意先と飲みに行け、ガンガン押していけ!と、会社があまりにも精神論、根性論のみで具体的なプロセスや論理的思考がありません
■ 根性論について
会社があまりにも精神論、根性論のみで具体的なプロセスや論理的思考がありません。
市場が厳しい中売上低迷しているのに対し、売上を上げたいため、具体的な売上を上げるプロセスを助言求めたところ、得意先と飲みに行け、ガンガン押していけ!時には引けというのみです。
ガンガン押しても変わらないし、そもそもマーケティング無しで「買ってくれ、買ってくれ」のみで売上上がるわけありません。
いい加減、打開策が無いことを「根性論」一つで逃げようとするのをやめて欲しいです。
普通、売上をあげるためには、この期間こういう施策を打ち出して、こういった戦略で、こういった商品で組み立てて…が必要ではないでしょうか?
そしてできなかった時に検証し、PDCAを回す事が大事ではないでしょうか?
根性論、精神論がまかり通る会社は先が短い
■ 根性論、精神論がまかり通る会社は先が短い
根性論、精神論がまかり通る会社は先が短いと考えられる。
前職は製造メーカーでありながらこれといったコア技術もなく他社から技術を提供して頂き、ようやく生きながらえている感じでした。
(入社当初はこんな感じでははなかったのですがリーマンショック以降おかしくなりました)
どんな無理な注文や仕事が入っても営業や上層部後先考えずに
「はいやります」
「はい納品します」
と言い放ち設計や製造に丸投げでベテラン社員は事なかれ主義者、上司も精神論や根性論を掲げて発破を掛けるという論理が破綻した経営状況でした。
そんな中でも私はなんとか業務をこなしていましたが、賞与が半減して売上高も前年比60%で推移していたので見切りをつけて転職。
泣きつかれましたが
「私はあなた方(営業部)が掲げる気合いと根性で要求にお応えし続けました」
「気合いと根性で頑張ってください」
と言って会社を去りました。
(精神的にも肉体的にも疲れていました)
私は根性論や精神論は時には(もう少しで達成する時などには)必要と感じますが、それだけでは良い仕事はできず破綻すると考えています。
遅くまで残っている社員をともすれば愛でてしまう誤った不毛の根性論・精神論の罪は、極めて深いものがある
■ 長い日本の労働時間は何が原因か
わが国の労働慣行のほとんどが、実は、1940年体制とも呼ばれる戦後の高度成長期に確立されたものである。
そして、このガラパゴス的な終身雇用―年功序列の体制の下では、ともすれば軍隊的な上意下達のシステムが出来上がり、ひたすら部下の忠誠心が試されることになりやすい。
いわば上司より先に帰ることが憚られるような空気が、自然に醸成されてしまうのである(いわゆる「つきあい残業」)。
例えば会議から戻ってきた上司が、先に帰宅した部下に「あいつはどこへ行ったんだ?」と訝ったり、残っている部下に「遅くまでご苦労さん」と労ったりするだけで、その組織ではつきあい残業が「評価されてしまう」のである。
こういった、遅くまで残っている社員をともすれば愛でてしまう誤った不毛の精神論の罪は、極めて深いものがある。
加えて、現行の法体系の下では、法定労働時間を超えた残業には割り増し賃金が支払われるので、「つきあい残業」には、インセンティブもまた働くことになってしまう。
これでは残業時間が長くなることは当然ではないか。
そこには生産性の向上という視点の入り込む余地が、そもそもないのだ。
サービス残業はれっきとした法律問題だから、『仕事はやりがい』理論のように、根性論・精神論にすりかえることはできない
■ 「サービス残業」を肯定する理論は正しいか?
「サービス残業」を肯定するため、次のような理論が語られた。
- お客の喜ぶ顔を思えば金のことも気にならなくなるという「仕事はやりがい理論」
- 定時に仕事を終えることができない部下が悪いという「残業が発生するのは仕事が遅いからだ理論」
- まずは金のことは考えずにがむしゃらに働いて能力をアピールしろという「金は後からついてくる理論」
だが、部下はこれらの「理論」に納得せず、仕事を辞めてしまった。
身も蓋もない言い方ですが、どんな理屈をもってしても、サービス残業(賃金不払残業)を法的に正当化する余地は、1ミリたりともありません。
労働基準法は、一日8時間または週40時間を超えて労働者を働かせた場合、残業代(割増賃金)を支払わなければならないと定めています(労基法37条)。
このルールは『強行法規』と言われ、当事者の合意にかかわらず、適用されます。
もし労働者と会社側が、これに反する合意をしていたとしても、無効となります(労基法13条)。
労働者が「サービス残業」に同意していた場合でも同様で、上司が部下の『説得』に成功して、部下がサービス残業を受け入れたとしても、法的には何の意味もありません。
さらにいうと、残業代の不払いは、刑事罰(6か月以下の懲役または30万円以下の罰金)まである『犯罪行為』です。
サービス残業の時間を立証するための客観的証拠が十分にあれば、裁判になっても負ける可能性は低く、年14.6%の高率の遅延損害金もつきます。
残業代と同額の付加金(ペナルティ)まで認められる余地がありますので、まさに『倍返し』が期待できます。
このように、サービス残業はれっきとした法律問題ですから、『仕事はやりがい』理論のように、精神論にすりかえることはできません。
また、労働者の業務量や業務内容をコントロールする義務は、会社にあります。
『残業が発生するのは仕事が遅いからだ理論』も、法的には認められません。
能力評価は、あくまでも所定労働時間をベースにした生産性で行うべきです。
サービス残業を行ったこと自体や、それによって獲得した成果を高く評価するのは、客観的に公平な評価の基準といえません。
そうすると、『金は後からついてくる理論』も説得力はありません。
「気合と根性で動け」という昭和の根性論・精神論
■ 「昭和の根性論」と「平成の効率主義」が令和の職場を地獄にするワケ
昭和のタテマエの大きなものが「タテ社会」と「気合と根性」です。
上司の命令を絶対として部下はその通りに動く、動けば成果が上がる。
単純に言うと、こういうやつです。
指示に逆らわずに気合と根性で動いていると、高く評価されました。
この時代を過ごしてきた人は、動かない部下を見ると、「気合と根性で動け」という感情がふと出てきます。
はっきりと認識していないにしても、なんとなく漏れ出ているものなので、部下はそれを察知し、嫌気を感じてしまうのです。
気合や根性といった根性論・精神論だけで人が動き、物事が進んでいく根拠はどこにもないということに、多くの人が気づいてしまった
■ 多くの人が嫌う「根性論」
「根性論を押しつけられるのは、もうウンザリ」
「いまどき根性論なんて古い」
「根性論には具体性がなくバカげている」
などなど、根性論はすっかり否定的な見方をされるようになりました。
戦前から戦後のはじめの新聞記事では「慾張(欲張り)根性」「商人根性(金儲け主義)」「泥棒根性」といった言葉が確認できる。
当時の辞書においても、「根性腐り」「根性悪」「根性を入れ換える」といった例示が記されている。
しかし、1964年の東京オリンピックをきっかけに、特にスポーツに関連して肯定的な文脈における使用へと転換。
流行語になるほど人気に。
「根性」という言葉に「困難にくじけない強い精神」「物事を成し遂げようとする強い気力」といった意味を込め、競技者の強靭な精神を称賛する際に用いられるようになった。
当時の新聞記事には、「根性」が社会的な環境で後天的に備わるものであり、“目標達成に必要な意欲をつくりあげる” 、あるいは “強い意欲そのものである” と表現され、スポーツ界に限らず、根性教育が取り入れられるようになった。
やがて、「人間の能力の開発」などに関連づけて戦略的に推進され、1960年代の経済発展に欠かせなかった人材の強化に、大きな役割を果たした。
つまり、はじめは「先天的に備わったネガティブな性質」であるかのように表現されていた「根性」が、のちに「後天的に備わるポジティブな性質」であり、道徳的な美徳として解釈されるようになったわけです。
ところが2020年のオリンピックを前にして、人気者だったはずの「根性」は、すっかり嫌われ者になってしまいました。
1960年代は戦後の挫折・喪失・復興・高度経済成長期といった時代背景があったことから、スポーツを通じて根性論が拡大解釈されたと考えられています。
しかし今は、気合や根性といった精神論だけで人が動き、物事が進んでいく根拠がどこにもないと、多くの人が気づいてしまいました。
特に、他者から「とにかく根性入れて必死にやりなさい」と押しつけられることを嫌う人は多いでしょう。
精神論的な日本企業のやり方は、現地から総スカンを食らっている
■ 海外の優秀な人材が「日本企業では働きたくない」という理由
多くの日本企業が海外に拠点を置いていますが、現地で行われているマネジメントにはさまざまな問題があると聞きます。
その原因は、日本人と現地の人との「働き方のギャップ」にあるようです。
現地採用の日本人は、単にその土地で職が得られればOKという人も多く、愛社精神があるわけではありません。
なのに彼らは、同じ日本人だからということで仕事のやり方を日本式にされ、長時間で過酷な仕事を強いられます。
しかも給与は駐在員の半分くらい。
その結果、ほとんどがすぐに辞め、駐在員だけで頑張るはめに陥ります。
じつは日本人ならまだマシで、現地の人はもっと短期間に辞めてしまいます。
- サービス(賃金不払い)残業がある
- 駐在員並みに頑張っても、昇進できるキャリアパスが明確ではない
- 給与が安い(給与格差がある)
これではモチベーションが上がるはずもありません。
精神論的な日本企業のやり方を現地でも展開し、現地から総スカンを食らっているわけです。
根性論・精神論に近い考えが、国際的な「スフィア基準」に満たない避難所が次々に作られる事態につながってきたのではないか
■ 命を守る「スフィア基準」
海外の避難所の多くで、「スフィア基準」が使われていると言います。
大地震が起きたときのイタリアの避難所。
発生から72時間以内に、家族ごとにテントやベッドが支給され、衛生的なトイレも、整備されたということです。
これに対し、日本では「スフィア基準」が浸透せず、劣悪な環境の避難所が設置され続けています。
「災害時はみんな大変だから、我慢するのは当たり前」
こうした考えは、日本人の美徳とも言われてきました。
しかし、そのような精神論に近い考えが、国際的な「スフィア基準」に満たない避難所が次々に作られる事態につながってきたのではないかと指摘する専門家もいます。
日本の「根性論」は、「すごく頑張る」レベルを求め、さらに他人の助けを借りることは想定されていないイメージがある
■ フィンランドにも「根性論」があった。世界一幸せな国で「頑張る」ことの意味とは
フィンランド人を表す言葉で、「SISU(シス)」という言葉がある。
「シス」は「非公式なフィンランド人の心がけ」と捉えられているらしい。
「シス」が発揮される日常の場面は、例えば、
- 交通機関を使う代わりに、自転車や徒歩で通勤する
- エレベーターの代わりに階段を使う習慣をつける
- 天気に関係なく、行動を起こしてみる
などだ。
シスは日常の中で「少し頑張る」だけでも、認められるらしい。
ここでポイントになるのは「自分」で設定することだ。
日本の「根性論」は、「すごく頑張る」レベルを求め、さらに他人の助けを借りることは想定されていないイメージがある。
むしろ頼ったら「負け」とみなされるような気がする。
人によって体力や能力が違うことがあまり考慮されない考え方のように感じる。
「シス」が自分基準の「頑張り」でもOKなら、「少し頑張る」こともそこまで難しい話ではなくなると思う。
誰かにとって簡単なことでも、他の人にとっては不可能なこともあるからだ。
限界をそれぞれが設定できるという意味で、「シス」は、日本の根性論と比べると幾分か、多くの人が参加しやすい考え方に思えた。
産業のコスト構造と、産業のコスト構造と、海外事業のビジネスモデルは、ガッツや根性だけで変えられるものではない
■ 「パラダイス鎖国」
国際競争力の低下という危機がひたひたと迫っているのに、清潔で安全な社会に住み慣れた日本人は海外に対する興味を失っているように見える。
かつてアメリカやヨーロッパは、日本人にとってあこがれの地であった。
海外に行く機会のある仕事は、あこがれの仕事だった。
海外旅行とは一生に一度の「夢」であった。
しかし、いまや日本人が海外に行く必要などすでにない。
アメリカでもヨーロッパでも、日本ではしなくてよいスリや置き引きの心配をさせられる。
関税が下がったり円が高くなったりして、輸入品はすっかり安くなり、わざわざ海外まで行かなくとも欲しいものには手が届く。
海外の情報はインターネットで簡単に入手できる。
それになんといっても日本はどこに言っても清潔だ。
欧米諸国ですら、清潔さでは日本にかなわないのだから、途上国に行くには相当の覚悟がいる。
お腹をこわす危険性も加わる。
その上、これまで国際テロがなかった国ですらその標的となり、海外旅行にはテロや戦争の心配まで加わってしまった。
日本が豊かな先進国になって、海外への憧れがなくなったのは、抗しがたい時代の流れである。
また、日本を代表する企業が新しいグローバル化の公式を見つけられないというのも、時代の流れである。
こうした状況のために企業のインセンティブ・システムが混乱をきたし、「リスクや苦労を負ってでも海外で仕事をしたい」と思う若い人が減っているとしたら、若い人たち自身を責めることはできない。
産業のコスト構造と、産業のコスト構造と、海外事業のビジネスモデルは、ガッツや根性だけで変えられるものではない。
商売として、海外に出るリスクと期待できる成果を評価する場合、あるいは個人としてどういう生き方をするかという場合も、「日本にいたほうがいい」となったり、あるいは最初から「海外に出る」という考えすら浮かばなかったりしたとしても、不思議ではない。
「ジャパン・ブランドを守らなければならない」
「新しいグローバル化の公式を見つけなければならない」
「若者よ、海外を目指せ!」
と言いたくなるのもわかるが、叱咤激励されても当の若者は、
「なぜ、そんなことをする必要があるの?」
と答えるだろう。
それだけではインセンティブにはならない。
性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクって何だろう?
(パート4)
んでもって・・・、もしかしたら・・・


なんかにも、ある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんな視点からも、念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
ヾ(*・ω・)ノ
根性論とは?
○ Weblio辞書
乗り越えられない物質的な限界も、根性次第で乗り越えられるという考え。
例えば激しいスポーツで疲労したとしても、根性があればいつまでも動き続けられるだろうと主張することなどが根性論に基づいた考え方である。
○ ニコニコ大百科
根性論とは、日本国内における論説のひとつである。
論説の内容で「x時間寝ずに~」のように「一般的な体力や精神的に無理」なことから命名される。
ほとんどの論説が「自分」を主体にしたものであり相手に理解されることはほとんど無いと言って良い。
しかしながら日本国内では「趣味と実益(仕事)」を兼ねる過程から容認されがちである。
○ ウィキペディア
根性論とは、苦難に屈しない精神=根性があれば、どんな問題でも解決できる・またはどんな目標にも到達できるとする精神論の一つ。
根性論は古くより、スポーツの選手や挫折した人を激励する場面で用いられてきた。
現代では営業職をはじめとするビジネスの世界にも用いられ、ビジネス本には根性論の色彩が強い。
苦労に挫折せず、さらなる向上を目指した結果、今までできなかったことが可能になる。
そして、そのような利益を得るためには、努力するしかない。
努力を続けるために必要なのは根性であり、何事にもめげない精神力こそが必ず人を成功へと導くという思考法である。
こうした考え方は常に否定されるわけではなく、メンタル面が結果を左右する場面では、スポーツの試合において「根性」「絶対に勝つんだという気持ち」など精神的な要素が勝敗に影響することや、正しいトレーニングをする上でのモチベーションの維持として用い、健康を害することなく技術や体力の向上につながるといったことも観察される。
その逆に、誤った方向での努力も見られる。「炎天下で水を飲まずに練習を続けて熱中症で倒れる」「関節や筋を傷めていたり、風邪を引いたりしているのに寒い屋外で練習を続行して、体調を余計に悪くする」といったケースがそれである。
当人が根性論を重んじ、この信念に基づいた行動を自ら取る限りは、どのような結果が出ようとも当人の自由であり自己責任ともいえる。
だが、責任者が誤った危険なトレーニング法を根性論を振りかざして強行していた場合は責任問題となる。
根性とは?
○ コトバンク
- その人の本来的に持っている性質。しょうね。また、あるものに特有の性質
- 物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力
○ ウィキペディア
根性とは、本来は仏教用語の機根に由来する言葉である。
現在の根性は「異常なまでの努力」といった意味で使われる場合が多いが、本来は「その人間が持って生まれた性質」であり、より深くは衆生が仏の教えを受け入れられる能力や器の浅深のことと言われる。
これが現在のような意味合いに変化(誤用)されるようになったのは、東京オリンピックの女子バレーボール日本代表チームに特訓を課し、金メダルに導いた指導者の発言がきっかけと言われている。
精神論とは?
○ はてなキーワード
強い精神力によって、物質的な劣勢や困難を克服できるという考え方。
精神主義とは?
○ ウィキペディア
物質的なものより精神的なものを重んじる立場。
精神力を決定的要因と捉える立場。
精神を根本的なものとみなす立場。
精神力とは?
○ コトバンク
精神を支えている力。
精神の強さ。気力。根気。
あることを遂行するために精神を集中するとか、その状態を持続するとかといった精神的な意志の状態の総称。
気合とは?
○ コトバンク
精神を集中させて事に当たるときの気持ちの勢い。
また、そのときの掛け声。
性論・精神論に頼る会社のデメリットとリスクって何だろう?
(パート5)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
他にも、例えば・・・







などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?





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