「おもてなしって何だろ~?( ̄ー ̄?)」
「おもてなしとホスピタリティやサービスとの違いって何だろ~? (;´д`) 」
「おもてなし、ホスピタリティ、サービスの中では、おもてなしが一番上のレベルってことなのかな~? ( ・_・) 」
「おもてなしとホスピタリティやサービスの違いについて外国人に質問されたら、英語でどう説明したらいいんだろ~? ( ̄◇ ̄;) 」
「日本ではおもてなしの心とか精神とかって言うけど、海外ではおもてなしって概念そのものがないものなんだーか? ( ̄▽ ̄;) 」
「あ、でも、ホスピタリティとかサービスとかって言葉があるぐらいだから、おもてなしの考え方って海外でもあるってことなんだろーか? ( ゜д゜) 」
「おもてなしって普通は何をどーするものなんだろ~? (ーー;) 」
「何をすればおもてなしと言えるんだろ~?どんなおもてなしをしたら、外国人のお客さんに喜ばれるんだろ~? (;´д`) 」
「おもてなしには英語力が必要なのかな~?やっぱ英語でコミュニケーションができないと、おもてなしってできないものなのかな~? (o´д`o)=3 」
「英語版のホームページとか英語メニューとか、おもてなしのためにはそーゆーのもやっぱ必要になるのかな~? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
「外国人にとって日本は、おもてなしの国ってイメージなのかな~? (´・ω・`) 」
「日本と言えばサービスが良い国ってイメージがあるみたいだけど、おもてなしの考え方があるのももしかしたら日本だけなのかな~?( ̄∧ ̄ ) 」
「ウチの会社では、おもてなしがどーのとかってよく言っているんだけど、なーんか違和感があるんだよねー・・・ σ( ̄∇ ̄;) 」
「他にもサービスの向上がどーのとかって声もよく聞こえて来るんだけど、どーも疑問に感じちゃう時があるし・・・ (;´゚д゚`) 」
「そのせいか、おもてなしとかサービスとかって言葉を聞くと、なんだかモヤモヤしちゃうし、しっくり来ないんだけど、それってどーしてなんだろ~? ( ̄◇ ̄;) 」
「おもてなしとかサービスとかって、もしかしてお客様は神様って考え方と何か関係しているのかな~? (´Д`lll)」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「三方よしの経営相談」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「自律型人材育成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問や違和感って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・







などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
おもてなしとは?ホスピタリティやサービスとの違いや違和感って?
(パート1)
んーと、もしかしたら・・・







なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんなのから、まずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
顧客はサービスと値段との関係をきちんと把握している
■ 「「サービス」の常識」
商品の出所をたどっていくと、化粧品でも靴でも食品でも同じところで作っている例が数多くある。
つまり商品もサービスもどんどん「同質化」「類似化」が進行していることを示している。
本来、戦略とは「よそとは異なったことを行う」のが本質であるにもかかわらず「戦略 = 同質化・類似化」へと向かっているのが現状である。
多くの企業で行われているのは「顧客満足度の調査」や「実態把握型のマーケティングの調査」である。
物事には長所と短所があるが、この満足度調査にもいくつかの問題点がある。
まず、どの企業でも一定のパターン化されたフォーマットで行うことが多い。
満足度の点数が高いと偉い人たちは大喜びする。
「業界の平均値です」「マニュアルからはずれていません」などの台詞で逃げようとする。
これでは単に画一的にパターン化することで、自分たちが楽をしているに過ぎない。
その結果、意識的であれ無意識的にであれ、最初からよい点数が出るような調査設計をするという、本末転倒な方向に進んでしまうことが意外に多いのである。
だから、点数は毎年上昇しているにもかかわらず、業績は低迷、ないしは下降線をたどるなどという、おかしな現象が多発するのだ。
つまり、このような調査方法からは、一番大事なはずの「顧客の潜在意識の把握」「顧客のニーズ」が見えてこないのである。
クレームを嫌う企業は多い。
だから顧客のマイナス評価から逃げようとする。
それは企業の「減点主義」のためであることが多い。
「顧客は値引きが最も勝ちのあるサービスだと思っている」
「ともかく安くしなければ購入しない」
という勘違いが最近また復活している。
まともな営業・マーケティングの努力を怠り、顧客に値引きをしたり、オマケさえつけたりすれば何とかなる、ともかくそれが楽な活動であるという安易な考え方が営業の習慣になってしまったのだ。
だが顧客は、サービスと値段との関係を、もっときちんと把握している。
高額でサービスが悪い場合はもちろん、たとえ安くても無料でもサービスが悪いと、顧客は評価しない。
低価格の商品・サービス開発に価値観を感じる企業と、価格が安くなければ購入しない顧客との相性はよいだろう。
全ての顧客が「無料、タダ、値引き、オマケが連動しなければ買わない」というわけではない。
「ほしい付加価値が提供され、価値に見合ったサービスが提供されるなら金額は問題にならない」という顧客も大勢存在する。
どちらか一方の顧客と関係を持つのか、あるいはその両方なのかによってサービスの在り方は異なるのである。
必要になるのは、企業と顧客の価値観が合っているかどうかの確認である。
価格はともあれ、付加価値を求める顧客に対して、企業が低価格戦略や値引き合戦に血道を上げてもすれ違いとなるだけだ。
人間がしかるべき比較優位を維持できるものは何だろうか
■ 「機械との競争」
コンピュータは、パターン認識や複雑なコミュニケーションなど、これまで人間が独占してきた領域を侵食しつつある。
コンピュータは急速にいま挙げた能力を獲得しつつある。
こうしたデジタル技術の進歩がビジネスの世界に与える影響は、誰もが目にしているはずだ。
たとえばカスタマーサービス係に代わってバーチャルアシスタントが導入され、売店やスーパーマーケットではセルフレジが普及してレジ係の需要が減りつつある。
いまや水着、金貨、サングラス、カミソリまで自動販売機で買える時代だ。
また商品情報は、店員に聞かなくても店に備えられたタッチスクリーンで入手できる。
自販機のコストは、実店舗と比べたら微々たるものだ。
こうした動きは、消費者の購買習慣を反映したものとも言える。
インターネット通販の浸透に伴い、セールスマンや店員がいないところでモノを買うことにすっかり違和感がなくなっている。
さまざまな種類の事務は自動化され、大勢の人が毎日銀行のATMや空港のチェックイン機を利用している。
最近ではコールセンター業務が次第に自動音声応答システムに置き換えられるようになった。
自動応答システムが必要な語彙をどんどん学習し、完全な文章も認識できるようになってきた。
パターン認識も複雑なコミュニケーションもいまや自動化が可能だとなれば、人間の能力でコンピュータに脅かされないものは、何があるのだろうか。
人間がしかるべき比較優位を維持できるものは何だろうか。
もっと好ましい商品やサービスを簡単に見つけ、すぐに乗り換えられる
■ 「ワーク・シフト」
テクノロジーが進化し、グローバル化が進んだおかげで、コンピュータの操作一つで膨大な商品やサービスの質と価格を比較し、自分の好みのものを選んで買うことが当たり前になった。
もっと好ましい商品やサービスを簡単に見つけ、すぐに乗り換えられる。
努力をおこたれば、消費者はあっさりほかの企業やブランドに乗り換えてしまう。
このような時代が訪れたことは、働き方の未来に対してきわめて重い意味を持つ。
買い手が商品の乗換えをしやすくなれば、売り手としては、一人たりとも消費者を逃さず、一社たりとも顧客企業を手放さず、あらゆるチャンスをモノにし、すべてのきっかけを売上に結びつけるために、これまでに輪をかけて目の色を変えなくてはならなくなる。
私たちはますます慌しい生活を送る羽目になる。
私たちの働き方の未来を形づくる要因はすべて、暗い未来を生み出す可能性がある半面、明るい未来を生み出す可能性も秘めている。
暗い未来のシナリオが実現すれば、テクノロジーの進化にともない、私たちはいつも時間に追われ続け、バーチャル化が加速する結果、多くの人が深刻な孤独を味わうようになる。
そのうえ、グローバル化の影響により、いわゆる勝ち組と負け組の格差が拡大し、グローバルな下層階級が新たに出現する。
家族の結びつきが弱まり、消費するブランドを通じて個人の評価が決まる傾向に拍車がかかり、大企業や政府に対する信頼感がむしばまれ、先進国では人々が幸せを感じにくくなる。
地球の気温がさらに高くなり、海水面が上昇し、乏しい資源の争奪戦が激化する。
しかし、ピンチは常にチャンスと表裏一体の関係にある。
テクノロジーが進化すれば、世界の50億もの人々がインターネットを通じて結びつき、みんなで力を合わせて難しい課題に取り組む時代がやって来る可能性もある。
新しいテクノロジーのおかげで、地球上のすべての子どもが人類の叡智に触れられるようになる可能性もある。
高齢化が進んで70歳まで働くのが当たり前の時代が来れば、高齢になっても充実した人生を送れるようになるかもしれない。
社会の変化にともない、家族のあり方が大きく変わり、企業で重要な意思決定をおこなう地位に就く女性が増え、家族で父親がもっと育児に参加するようになる可能性もある。
エネルギー消費の枯渇と地球温暖化に関する懸念が高まれば、エネルギー消費の少ないライフスタイルに転換し、遠距離通勤をやめて職住接近型の生活を選び、飛行機をあまり利用しなくなれば、それも悪くはない。
つまり、私たちがどういう行動を取れば、どういう未来が訪れるかというシナリオを複数パターン描き出すことは可能だ。
どういう要素を人生で優先させたいかは、一人ひとり違う。
あなたの選択は、あなた自身のニーズに沿っておこなえばいい。
日本にはもともと「おもてなし」の伝統などなかった
■ 日本にはもともと「おもてなし」の伝統などなかった
日本は伝統的に「おもてなしの精神」を誇りにしているような国ではない。
少なくとも、観光業や接客業で「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいこの30年程度の話だ。
バブル崩壊以降、いわゆる「失われた30年」に突入して、国内観光業が大きく衰退したとき、起死回生のマーケティングとして打ち出したのが「おもてなし」である。
事実として、これまで日本の歴史の中で「おもてなし精神」などというものが語られたことはない。
よく「おもてなしは古くは源氏物語にも掲載されている」なんてことが言われるが、それは単に「自宅に客が来たときにもてなす」ということを意味している。
だから、近代になると「おもてなし料理」という言葉が生まれた。
それが「外国人を迎える」というニュアンスで使われるようになったのは戦後の「外交の場」である。
と言っても、別に日本人の精神性を示すようなものではなく、単なる外交辞令だ。
「おもてなし」というのは日本だけの専売特許ではないし、ましてや日本の観光業や接客業の強みとしてアピールされるようなものではなかったのである。
もちろん、高級ホテルや高級レストランでは「王族をおもてなしするような高品質なサービスを提供します」といった感じで、外交辞令で使われる「おもてなし」を宣伝文句に流用することも、なくはなかった。
しかし、今のように「おもてなしは日本の文化」というような盛った話を、世界にふれまわることはなかった。
それが大きく変わるのが、バブル崩壊後だ。1990年代後半から観光業や自治体などが急に「おもてなしの心」を唱え始めるようになる。
この頃になると、「おもてなし」は観光業界のバズワードになる。
ここまで言えばもうおわかりだろう。
今、日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致でプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ。
さて、そこで不思議なのは、なぜこの時機にそれまでは誰も唱えていなかった「おもてなし」が急に叫ばれるようになったのかということだが、実はそれには「国内観光業の低迷」が関係している。
このような背景を知れば、「おもてなし精神」とやらの正体が見えてきたのではないか。
閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。
観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである。
日本の「おもてなし」は、外国人観光客にとっては必ずしも「おもてなし」になっていない可能性がある
■ 「おもてなし至上主義」日本に違和感
実は、日本の「おもてなし」は、外国人観光客にとっては必ずしも「おもてなし」になっていない可能性があります。
重要なのは、日本の「おもてなし」が、日本人同士のものとして成立している点です。
日本社会の中で、日本人同士で行われている「おもてなし」を否定するつもりは毛頭ありません。
ただ、日本人同士がよいと思っていることを、外国人もよいと評価するとはかぎらない。
今や、日本の観光政策を語る際に必ず出てくるのが、「おもてなし」という言葉です。
もはや「おもてなし」はスローガンのように用いられているという印象すら受けます。
しかし、「おもてなしで観光立国」なんてことが、本当に可能なのでしょうか?
外国人観光客が日本にやってくるには、大変な出費が必要です。
時間もかかるので、会社も休まなくてはいけません。
「おもてなし」だけにそのような対価を払うかといえば、ちょっと考え込んでしまうのではないでしょうか。
この「おもてなし」というサービスが必須条件かというと、そうではありません。
それを証明するのが、フランスです。
フランスは約8470万人の外国人観光客が訪れる世界有数の観光大国ですが、「おもてなし」がすばらしいかというと、決してそのような評価ではありません。
むしろレベルが低いという印象で、中でもパリの人々の「おもてなし」が悪いという評判は、欧州でも非常に有名です。
また、諸外国の観光資料を分析すると、ほとんどの国がホスピタリティを自国の魅力として明記しています。
ただ、日本ほど、「おもてなし」を観光戦略の中心に据える国はありません。
ほとんどの国は上から数えて半分以下、7つ魅力を並べたらせいぜい4番目か5番目という位置づけなのです。
問題はそれだけではありません。
世界には242の国と地域があり、72億人もの人が生活しています。
国ごとに、いえ、国の中でさえ、その価値観には違いがあります。
そんな中で、日本人がよいと思う「おもてなし」が、世界中のすべての人に受け入れられ、評価されるでしょうか?
日本の「おもてなし」には特徴があります。
その最たるものは、「無償」であること。
米国のように、客に対してここまでやればこのくらいのチップを払ってもらえるのは当然だ、というような打算はありません。
さらに、客などに求められてやるというものではなく、あくまで「自主的に、自分の頭で考えて行う」というのも、特徴のひとつです。
米国では、客がサービスのよし悪しを判断してチップを支払います。
これは、サービスが悪ければそれについての対価を払わないという拒否権を、客が持っていることになります。
一方の日本は、サービスの対価は価格に含まれていますので、客にはサービスのよし悪しを価格に反映させる権利がありません。
文句を言ったり、2度と来店しない自由はありますが、価格を自主的に割り引く方法がないのです。
これは、価値観の違う外国人からすると、いいサービスを前提とした性善説に基づいているように感じられるのです。
「おもてなし」は、「自分がいいと思ったことをやる」という意味のおもてなしなのではない
■ 「いらっしゃいませ!」にビビる外国人 「おもてなし」を考え直す
日本人は「おもてなし」ということを意識しますが、その「おもてなし」は、「自分がいいと思ったことをやる」という意味のおもてなしなのではないでしょうか。
しかし、「自分がいいと思ったものは、必ずしも相手もいいと思うとは限らない」わけであり、特にバックグラウンドが違う外国人にはその傾向は顕著です。
お店に入ってきたお客様に「いらっしゃいませ」と言うのは、飲食業の常識であり、日本国内のほとんどの飲食店では必ず行われています。
従業員研修でも必ず行われていることで、これを疑う人はいません。
でも、外国人のお客さんにとっては「気分が悪くなった。もう行かない」と言わせるくらい不快なものになる可能性もあるのです。
ここで言いたいことは、「いらっしゃいませ」と言うなということではありません。
「これが日本の文化か」と思って興味を持ってくれるお客さんもいるかもしれない。
楽しそうにしているお客さんが多いならそれを続ければいい。
逆に不快そうな顔をする人が多ければやめた方がいい。
常識だから。
そういう風に習ったから。
日本ではそうしているから。
で止まってしまうことが「自分勝手なおもてなし」につながってしまうのです。
「おもてなし」の良し悪しはお客が決めるもの
■ 逆にウザい‥?「日本の過剰サービス」は必要?必要ない?
「おもてなし」の精神あふれる日本。
日本のサービス業ではとにかく客に尽くすことをよしとする風潮がある。
日本社会は究極に利便性を追求した社会。
オンライン・ショッピングの品物は即日もしくは翌日配送がスタンダードですし、自宅のガスや電気系統といったインフラに問題が生じると、修理業者が電話一本で日曜も祝日もすぐに飛んでくる。
タクシーは、今や走るホテルのよう。
いい車を使った黒塗りが増えて乗り心地も快適になっている上、ワンメーターでもイヤな顔一つしないどころか執事並みに丁寧。
一方で、日本のサービス業の生産性が低いのは過剰サービスのためとの見方もある。
ときには過剰すぎて逆に「いらないな……」と思ってしまうこともあります。
「おもてなし」の良し悪しはお客が決めるもの。
「おもてなし」のウソ
■ 「おもてなし」のウソ
日本のサービスは基礎レベルが高い。
世界一と言われるのもその通りだと思います。
ですが、あえていくつか指摘したいと思います。
まず、お話したいのは過剰包装ですね。
スーパーなどで肉を買うとき、肉がパックに入っているのにさらにビニール袋で包んでその上から紙で包むようなことはよくありますよね。
これは時間がかかるし、袋がもったいない。
家に帰っても同じこと。
出すのに時間がかかって面倒だし、ゴミが出てもったいない。
一般論として日本のサービスはすごくいい半面、時間がかかりますよね。
ほかの例では美容室。
マッサージは正直、いらない。
日本の美容院は髪をカットするだけじゃなくてリンス、ブロー、セット、さらにはマッサージまでしてくれる。
行きつけの美容室は僕のことを分かっているから、余計なサービスはしない。
日本はマニュアルによる教育がとてもよく機能していて、丁寧なサービスをどの店舗でもぶれることなく受けられると思います。
その一方で、少し融通が利かないと感じることもあります。
米国はチップ制ということもあり、現場の運用がもっとゆるいですね。
ですが、米国のサービスは差が激しいです。
すばらしいお店もある一方で、ひどいお店も多い。
ですから日本と米国、どっちもどっちなんですが、日本のサービスはもうちょっと柔軟になったらいいんじゃないかなとは思います。
正解は「聞くこと」だと思います。
お客さんとのコミュニケーションをもうちょっとしてもいいと思います。
お客さんを個人として待遇して、その人の好みに合わせることができれば最高でしょう。
サービスする前に聞くのがいいと思いますね。
実際、畳の部屋で、布団で寝ることを楽しみにして日本の旅館や民宿に泊まる外国人観光客も多いです。
外国人旅行者が増えて布団からベッドに変えた旅館もあると聞きますが、せっかくの日本のスタイルがなくなってしまうのはもったいないです。
ですから、予約が入ったときなどに日本風がいいのか欧米風がいいのか聞いてみればいいと思います。
「お客さんごとに好みは違いますから聞いてみましょう」
「要望を聞いて柔軟にモノやサービスを提供しましょう」
このことを実践すれば、日本の接客サービスはより、やさしく、やわらかく、柔軟性をもったものになると思いますね。
「ホスピタリティ」「サービス」っていうのは難しいもの
■ 日本人だけにしかない『ホスピタリティ』って、あるんですかね?
「日本では電車に財布を置き忘れても戻ってくるのです! お・も・て・な・し!」
あらためて考えてみれば、それは「おもてなし」ではなくて、治安の良さ、なんだよなあ。
そして、「個々のホテルや宿での心のこもった接客」よりも、「安全に夜外出できる国」であることのほうが、よほど大事な「ホスピタリティ」であり、それが日本の現時点での強みなのではないか、と思うのです。
夜、ふと思い立ってひとりでコンビニに出かけられる国というのは、そんなに多くはありません。
というか、日本以外には、すぐに思いつかない。
海外を2ヶ月ほど旅行してみて、驚いたことがあります。
外国の人、とくに欧米人は『個人主義者』のように思ってしまいがちだけれど、困っている人に声をかけ、手を差し伸べることや飛行機のなかで他の人の荷物も率先して下ろすというようなことを、あまりにも自然に「やるべきこと」としてやっているのです。
ただ、それは外国人のなかでも、「海外を旅行したり、飛行機に乗るような、少なくとも日々の食べ物に困ってはいない人々」ではあるのだけれど。
海外の旅館やホテルでは素っ気ない対応が多かったけれど、一般人の公共の場での「ホスピタリティ」は、むしろ、日本よりも優れていると思うことが多々あったのです。
日本の「おもてなし」は、自己アピールになりすぎてはいないだろうか。
それは差別化のために必要なことなんだけど、それぞれの客との相性がある、ということなんですね。
あと、ひとつの成功体験に引きずられて、みんなに同じようなサービスを繰り返すと効果は薄れていきます。
もちろん、敬遠球のような「サービス」を担当者の自己満足でやられては困るのだけれど、「ストライクゾーンのど真ん中」では、もう誰も感心してはくれないのです。
本当に「ホスピタリティ」「サービス」っていうのは難しいものですね。
日本の「おもてなし」は、きめ細かなマーケティングが基本のはず
■ 世界で「クールジャパン」が苦戦する原因
「クールジャパン」のイベントが軒並み苦戦しているというニュースでは、クールジャパンを「戦略なき投資」と見ている。
極端にいえば、相手国の事情や文化について深い考察をせずに「ジャパンってクールだろ?」と「日本の押し売り」をしている、と見ているのだ。
もともと日本の「おもてなし」は、きめ細かなマーケティングが基本のはずだ。
日本は親米度の高い国だが、かつて左ハンドルで図体が大きく、燃費の悪いアメリカ車が、日本用のカスタマイズをしないまま、日本市場に来て大失敗したことは、誰しも知っているだろう。
日本人からしてみれば、いくらアメリカのことが好きでも、そんな仕様の車に日本では乗れるわけがないと感じるのは当然だ。
「アメリカの押し売り」だからだ。
同じことを、外国人は「日本の押し売り」について感じているはずだ。
マーケティングなしで日本を売り込んでも、うまくいくはずがない。
日本製品は優れている、日本文化は素晴らしい。
だが、それを世界に知ってもらうには、現地の人々の文化や考えを真摯に知ることがまず必要なのだ。
外から日本はどう見えているのか
■ 「日本スゴイ番組」にドイツから見える違和感
数年前から、やたらと「日本スゴイ」という内容のテレビ番組を見かけるようになりました。
あまり「海外でも人気!」と言いすぎると、現実と差ができてしまうんじゃないか、と心配になってきます。
観光地としての日本には高いポテンシャルがあると思います。
しかし、日本の観光地としての魅力を伝えるためには、もっと「外からの目」を客観的に認識することが必要なのではないでしょうか。
改めて外からの目で日本を見ると、日本のルールを外国人に理解してもらうための工夫が少なすぎる、日本の魅力が伝えきれていない、と思いませんか?
日本にはユニークな生活習慣やシステムがあるのに、それを楽しむ方法が外国人にちゃんと伝わっていない。
それはもったいないです。
「日本スゴイ」と国内だけで盛り上がっていてもしょうがない。
「日本を見直そう」「日本のいいところを理解しよう」という考えは理解できます。
自分の国に自信を持つことは悪いことではありません。
でもせっかくなら、それが「世界に通用するものだったらいいのにな」と思うのです。
特殊な外国人ばかり取り上げて「日本大好き」と言わせて自己満足するのではなく、
「外から日本はどう見えているのか」
「どこに需要があるのか」
を冷静に考えたほうが、日本にメリットがあるのではないでしょうか。
ドイツで日本出身者のわたしは賞賛されたか?
「日本スゴイ」と言ってもらえたか?
正直、そんなことは全然ありませんでした。
日本人だからチヤホヤしてくれる人も、日本を褒めちぎってくれる人もいません。
むしろ
「原発は大丈夫か」
「君の家族も朝から晩まで働いているのか」
と聞かれたりする。
ドイツ人からすれば、日本は極東にある遠い国、アジアの割に頑張っている国にすぎなかったのです。
「おもてなし」の心は素晴らしいが、「もてなせ」と命令することは避けなければならない
■ 「おもてなし」の心を日本のすべての会社が見習う必要はない
「おもてなし」の心は、それがサービス提供者の好意から、自発的に出るものであれば素晴らしいものだとも思う。
ただ、こういった過度の「おもてなし」の要求が、サービス提供者、つまり現場で働く労働者に過度の無理を強いているという側面も忘れてはならない。
例えば、ファストフード系牛丼屋で、店員さんに過度に偉そうな態度を取っている人を見かけたことがある。
「申し訳ございません」と謝る店員をひたすら詰る客に、思わず立ち上がって「黙れ」と言いそうになった。
店員には、料理を提供する義務はあっても、客に媚びへつらう義務はない。
金を払っている以上、何をやってもいいと思うのは間違いだ。
過剰サービスを要求することは、結果的には自分たちの首を締めることでもある。
日本人の多くは、消費者であると同時に、何らかのサービス提供者でもある。
素晴らしいサービスが破格で受けられるということは、どこかで割に合わないサービス提供を強いられている人がいるということだ。
サービスの要求水準を上げていくと、今度は自分がサービス提供者になった時に、辛い思いをすることになる。
「おもてなし」の心は素晴らしいが、「もてなせ」と命令することは避けなければならない。
今「おもてなし」はあまりにも過剰なものになりすぎているのではないか
■ 「おもてなししなきゃ…」意識強まり理不尽クレームに発展
今「おもてなし」はあまりにも過剰なものになりすぎているのではないか。
誰かをもてなしたい、というよりも、“おもてなしをしなければいけない”という意識のほうが強くなっているような気がします。
そうして競い合うようにおもてなしをした結果、受ける側は“されて当然”という気持ちになり、ちょっとしたことで理不尽なクレームをつけたりするようになる。
おもてなしという言葉を武器に相手を責めるのです。
現代社会で、本当におもてなしの意味をわかっている人はどれだけいるのでしょうか。
日本の「おもてなし」への疑問
■ 日本の「おもてなし」への疑問
「お客様は神様です」と教育されている店員さんのほとんどは「なんでも言うことを聞くのが当然」と思っているのではないでしょうか?
その姿勢が日本特有の「おもてなし」という精神を作ったのかもしれません。
しかし「本当にそれでいいのか?」と疑問に思うことが、世界をまわって帰国してから多くなったのです。
オーストラリアで働いていたとき、僕はお客さんに笑顔で「Thank you」と言われることが多くありました。
日本ではその言葉は従業員からお客さんへの一方通行で使われる印象しかなかったので、最初に言われたときは、違和感がありました。
その疑問の根源を突き詰めていくと、「Thank you」と言う背景には「対等な立場にいる」という認識があるからではないかという結論になり、自分の中ですごく納得ができました。
お互いが尊重して、人生を過ごすという意識はとても重要なことであって、人に対するリスペクトは忘れてはいけないものだと思います。
認識の違いによって、日本人である僕らが世界の国々に行ったときにやりがちなミスがあるのではないでしょうか?
それは「リスペクト」を忘れてしまい、まるで自分の立場が上であるかのように振る舞うことです。
笑顔で「ありがとう」と言うことによって生まれるコミュニケーションが、互いをhappyにしていくのだと、そんな風に感じるのです。
それはきっと、国境や人種、年齢は関係なく共通することだと思います。
第一歩として、スーパーやコンビニで買い物をしたとき、カフェでコーヒーを受け取るとき、そのような当たり前の日常の中で「笑顔になってみる」ことから始めてみてもいいのかもしれません。
「おもてなし」という日本の素晴らしき世界に誇れるカルチャーを、もっと誇れるものになるのではないでしょうか。
日本人のおもてなし精神は西洋のホスピタリティとは異なる
■ 日本のおもてなしと西洋のホスピタリティの見解に関する一考察
日本では一般的に「おもてなし」は「ホスピタリティ」と訳されており同義語として扱われることが多い。
「持て成し」とは、とりなし、ふるまい、待遇、馳走を表す。
また、「御持て成し」の「御」(お、またはおん)は、尊敬する人に関係のある事物に冠する、聞き手に対する丁寧の気持ちを表す。
御持て成し、すなわち、おもてなしとは、相手(客)に対して丁寧な思いやりの心を込めて接することを意味している。
サービスに付随する「温かさ」すなわち思いやり、そして「精神性」すなわち滞在先の文化的な独自性に触れることへの欲求が、近年の日本のおもてなしに関する注目の背景と考えられよう。
思いやりを伴う接客・接遇の態度においてはホスピタリティと共通するおもてなしであるが、文化的独自性の発露と無償性の保持という観点に立つとき両者における違いが見いだせよう。
おもてなしの習慣や文化は、世界のどんな社会にも存在するが、丁寧で礼儀を重んじる日本人のおもてなし精神は西洋のホスピタリティとは異なる。
「おもてなし」とホスピタリティとは、本来、無償性という点で共通すると考えられてきたが、最近ではサービス料、奉仕料の位置づけと関連してホスピタリティの無償性に関して否定的な考え方が提出されている。
ホスピタリティ産業は、顧客に対して、有形無形のサービスを提供し、顧客のニーズを満たすことで、対価支払いを得る産業である。
この観点では「おもてなし」とホスピタリティとは相違するものとなる。
ホスピタリティを含んだサービスにおいては常にビジネス効率が考慮される。
西洋におけるホスピタリティは、教会や寺院による奉仕活動から離れて、企業のビジネス戦略の一つとしてサービス産業の中に存在するようになり、有償のサービス商品となった。
ホスピタリティという言葉は、今日、サービス産業に直結する言葉と解釈されるようになっている。
つまりホスピタリティは、顧客が受けるサービスの構成要件として対価を伴うものであり、企業が成功するための手段として確立されているとされる。
したがって、現在では対価の有無の点でホスピタリティとおもてなしとは、根本的に異質である。
サービスの語源は「奴隷」にあり、ホスピタリティは語源が「客人」である
■ 「日本のおもてなし」は海外事業に活かせるか
付加価値の高い日本のおもてなし文化を、世界各地でのビジネスへ展開するときには注意が必要だ。
サービスの語源は「奴隷」にあり、トレーニングでマニュアルを徹底させればいい。
だがホスピタリティは語源が「客人」であるように、マニュアルに留まらない対応が求められ、マニュアルを厳守するだけのサービスは、ホスピタリティがあるとはいえない。
相手の立場を細やかに気遣うという日本のおもてなし文化は、数百年の歴史を持つ。
その精神を踏まえてホスピタリティを展開できれば、強力な差別化の要因となるだろう。
日本人のサービスに対する意識は、本当に厳しいし、細かい
■ 日本と海外のホスピタリティについて
日本人のサービスに対する意識は、本当に厳しいし、細かいです。
基本的に、相手の目を見て笑顔でサービス、なんて当たり前だと思うじゃないですか。
でも、欧米は、その辺りは本当に適当です。
接客しながら、隣の同僚とおしゃべり、鼻歌歌ったり、とか、で、こっちには商品の袋投げて渡してきたりとか。
基本的に、アメリカやカナダなんかは、サービスはお金で買うものだ、という意識が高いです。
お店でチップを渡すのも、そのせいです。
チップは死活問題なんですよ。
だから、飲食店なんかはチップ欲しさに愛想を振りまく訳です。
ヨーロッパは、アメリカ・カナダ程チップによって生活が変わる事はないので、国によってかなり差があると思います。
あとは、その店によっても全然違いますね。
日本は、例えばお客様の要求に対して、なるべく答えようって思うじゃないですか。
あとは、こうして欲しいだろうな、みたいな先を読むようなサービスが、求められますよね。
でも、海外は、そういうの一切ないです。
海外の友人が日本に来るたび、日本のサービスに感心してます。
それでチップなしでいいの?!って。
私もそう思います。
日本にもチップ制、導入した方がいいと思うんですけどね。
時給1000円のバイトが働く現場で「最高のおもてなし」は実現できるのか
■ 時給1000円のバイトが働く現場で「最高のおもてなし」は実現できるのか
人を安く使うのが当たり前になりすぎて、おかしくなってきている。
最低ラインに近い賃金で働くスタッフが当たり前のようにいるとなると、「最高のおもてなし」をキープするのはかなり厳しいのではないだろうか。
仕事に対してモチベーションの原動力となるのは、お金だ。
時給たった1000円で一流の接客を求められるのは辛いものがある。
直接雇用でなければ、自分の職場に愛着も湧きにくい。
これでは意識が高くなりようがないだろう。
安さを求めコストパフォーマンスを重視する一方で、質やサービスを批判している消費者も、「ブラック化」を促進する遠因でもある
■ 経営者目線を押しつけ、美辞麗句でダマす
多くは、顧客にも従業員にも真摯な姿勢で臨み、いい店舗づくりのために努力されているはずだが、中には残念な店も存在する。
経営者目線を押しつけ、美辞麗句でダマす。
薄給でハードワークな現状を改善しようともせず、「夢」や「絆」「笑顔」「感謝」などといったキラキラワードでごまかしている店はブラックである。
ダメ経営者がしばしば口にする「労働基準法を守っていたら、商売にならない」は言い訳だ。
適正価格で商品とサービスを提供し、適法な労働環境を整備し、キッチリ利益を出している店は確実に存在している。
安さを求めコストパフォーマンスを重視する一方で、質やサービスを批判している消費者も、「ブラック化」を促進する遠因でもあることを忘れてはいけない。
その過剰要求に応えるために、最終的なしわ寄せが従事者に至っていることを認識しておく必要がある。
相場より安いサービスとサービス残業
■ 4コマ漫画が迫真すぎる
会社経営者役のウサギが、「企業経営の心得」をクライアントの人間に語っている。
クライアントは、ウサギの経営者にこう質問している。
「おたくの会社のサービスは相場よりかなり安くて助かってるけど、そんなに安くて赤字にならないの?」
ウサギ社長は、「平気平気」と答え、その理由を明かす。
人間は、それほど安い人件費では人が辞めてしまわないか、と案ずるが、ウサギ社長は動じない。
さらにウサギ社長は、社員の不満を溜め込まないために、こんな方法を取っていると明かす。
「ちょっとやそっとじゃ辞めないよ!」と、ウサギ社長は笑顔で締めくくっている。
サービス残業を社員に強いる経営者からは、判を押したように
「長引く不況で、クライアントからのコストカットが厳しい」
「残業代を払えば、会社が立ち行かなくなってしまう」
という言い訳を聞く。
しかし外向きには、社員の知らないところでウサギ社長のように言っていないだろうか。
日本は世界から「すばらしい“おもてなし”の国」だと思われてるなんて、まさか信じてないですよね?
■ 日本の難民認定基準、知ってます?
「自分の国は、こういう基準で難民認定をしているのだ」ってことくらいは、知っておいたほうがいいかも。
日本の難民認定数、そしてその認定率は、他の先進国と比べあまりに少なく低いんです。
「なんで日本だけこんなに認定率が低いのよ?」ってことで調べてみたのが、法務省が出してる「難民認定の事例集」です。
日本の難民認定基準では、監禁されたり拷問を受けたり、家を爆撃されたり家族が脅迫されても、迫害主体が「本国政府」じゃないと難民として認定されないんです。
わかりやすく言えば、シリアにおいて政権に迫害されてる人は条件を満たすけど、IS や反政府勢力に迫害されてる人は難民としては認められないってことです。
もちろんシーア派の人がスンニ派の人に迫害されてもダメです。
それは「政府による迫害」じゃないから。
「申請者の供述には・・・看過しがたい変遷や齟齬が認められる」というパターンも多かったですね。
命からがら逃げてきた外国で、すべての証拠を揃えて日本語に訳し、その資料と齟齬のないようきちんと論理立てて話す。
そういうことができないとダメなんです。
他にも、「申請者は独立活動組織の広報責任者として活動していたというが、広報責任者として当然承知しているはずの事項について客観的情報と異なる」といった不認定理由も複数ありました。
でもね。
日本の担当官って、内戦が続く国の反政府活動グループの広報担当者が「当然知ってるべきこと」をどうやって判断してるんでしょうね?
まーさか、日本の企業の広報部をイメージして「広報ならこれくらいのコトは知ってるべき」とか、そんな判断をしてるわけじゃないでしょうね??
申請者の言うことが「客観的な情報と異なる」って書いてある事例もすごく多いんだけど、アフリカや中東の紛争に関する「客観的情報」って、いったいどこから得ているの?
てか、そもそも判定を担当してる人たち、途上国や紛争国に行ったことくらいはあるんですかね?
3つめに多かったのがこの理由。
つまーり、「国が内戦でぐちゃぐちゃになってるから逃げ出してきた!」では難民とは認められないんです。
本人がなんらか政治的な主張をし、それを理由として本国政府から迫害されないとダメなの。
反政府活動をしてる人のうち、リーダーなど主要なメンバーじゃなければ難民として認めない。
だから、もしそういうレベルのリーダー以外は難民として認めないと言うのなら、ものすごく狭い範囲の活動家しか難民とは認められない。
ちなみに戦前の日本だって、公安警察は共産主義者や戦争反対論者を片っ端から捕まえて投獄し、拷問して殺しちゃってます。
でも、拷問で命を落とした彼らの多くだって、歴史に名を残すこともない“一般メンバー”でした。
そういう人が逃げてきても「リーダーじゃないから保護する必要はない」ってこと?
どう、この基準?
これが“おもてなし”の国、日本の難民保護の基準なんです。
まさかみなさん、日本は世界から「すばらしい“おもてなし”の国」だと思われてるなんて、信じてないですよね?
そんなコト思ってるのは日本人だけですよ。
てか、金を払ってくれる人だけを歓迎するなんて日本語的にも“おもてなし”とは言えないでしょ。
日本はある勘違いをしている気がしてなりません
■ 訪日外国人はリピーターになるのか?
日本はある勘違いをしている気がしてなりません。
国も地方自治体も企業もいかに観光客にモノを売るかという発想に偏り過ぎていないか。
この数年、訪日外国人が増えているのは円安とビザの発給緩和をしているからであります。
よって、この波がひと段落すると今までの勢いはパタッと止まるはずです。
一度は行くが、二度目に来る人は何%で目的は何か、またその頻度などをよく分析しないと総訪日外国人数だけで追っていると厳しいしっぺ返しを食うことになります。
バケーションとはなにか、リゾートとは何か、という点を理解をしているのかと思います。
ディズニーはリゾートではありません。
そこに行き、ゆったりと出来ることがリゾートの最大のキーであります。
日本人はそのような楽しみ方をかつてほとんどしたことがないので概念的にわかっていないのではないでしょうか?
ディズニーランド、ラスベガスといった施設は人工的に作られたアトラクションでそこに高いお金を払い、遊びに来るというものであります。
ブロードウェイでもラスベガスでもロンドンでも当日券は特別人気があるものでなければ割と手に入ります。
東京ではコンサートのチケットは直前ではまず手に入りません。
東京に行くと慣れた者でも疲れます。
理由は迷路のようなインフラ、歩くスピード、階段なども多いし、人が溢れています。
これは休暇をとってリラックスするには程遠い状態なのです。
ニューヨークとなると街としての魅力、更にはブロードウェイミュージカルやメトロポリタン、グッケンハイム美術館を含む芸術やアートを楽しむことが出来ます。
パリを擁するフランスも観光客が年間8000万人以上訪れますが、ブランド物の買い物やフランス料理を楽しむばかりではなく、歴史的建造物や芸術とのバランスがそのキーではないでしょうか?
日本では「サービスを受ける側」にとって快適な面がある一方で、「サービスを提供する側」には過剰な労働がうまれる
■ 日本人はどうして長く夏休みをとれないのか?
8月にバカンス旅行をするならパリ以外がよいかもしれません(笑)。
7月半ばになるとパリはバカンスの始まり。
パリを出てバカンス地へ向かう人が増えてどんどん周りと連絡がとれなくなっていきます。
8月のパリなんてゴーストタウン状態。
パリジャンたちの主食であるパン屋も閉店。
マルシェの店の半分以上も閉店してしまいます。
こんな風にパリのバカンスシーズンは、アリの大群のように観光客が押し寄せる観光スポット以外、空っぽになって普段の生活に支障がでてきます。
だからみんなバカンスを取らざるを得ない状況です。
こうなったらバカンス明けの9月を待つしかありません。
最初のうちこそ私もバカンス中の機能停止っぷりにショックを受け、「一体、どうしたらいいの?」と気持ちばかり焦っていました。
いまでは逆にゆったりとした時間の流れるバカンスモードを楽しめるようになり、夏休みをとれなさすぎる日本人の働き方に違和感を覚えるほどです。
「どうして日本人はパリジャンたちのような長いバカンスがとれないのか?」という疑問がわきました。
日本を出てみた私が感じるのは、そうした環境を 日本人自身が生み出してしまっているからではないか?ということです。
そしてその原因は、異常に「質の高いサービス」が当たり前になっているからではないでしょうか。
パリでは「客は店員以下」の立場が普通です。
客より働く人の都合が尊重されるので、小銭がなければ品物を売ってもらえないこともあるし、バカンスでお店が閉まっていようと文句は言えません。
パリのいい加減で、人によってばらつきがあるサービス業にもたいがい腹をたてて疲れることも多々あるのですが、だんだん慣れてきて「まぁ、しょうがないかぁ」とあきらめられている私がいます。
働かない人が多い街では、その分自分も働かなくていいのです。
そう考えると肩の力が抜けてきて「ま、お互い人間だからね。私もほどほどでいいや~ぁ」なんていい加減な感じになれます。
日本のサービスは本当に素晴らしい。
店員さんもていねいで一生懸命働いています。
これは「サービスを受ける側」にとって快適な面がある一方で、「サービスを提供する側」には過剰な労働がうまれ、どんなに働いても足りないという事態を生み出します。
過剰すぎてこちらが恐ろしくなるほどです。
働き過ぎて過労で死んでしまったり、仕事が続けられなくなるなんて、個人にとっても、会社にとっても、日本にとってもいいことなんてありません。
一生懸命さが効率的かどうかというと疑問に思うことも少なくありません。
一生懸命働く日本人を見てると、
「そんなに働かなくたって、別にそう困ることはないはず!働かないことにも慣れましょうよ」
と声をかけたくなるのです。
しかも、働いている本人たちは習慣化されていて、それが良いか悪いかなんてことすら感じる暇がないようです。
まずは部下を持つ先輩、上司のみなさん。
今年の夏は思い切って多めに夏休みをとってみてはいかがでしょうか?
そうすれば、みんな休みがとれるはずです。
交代で休みさえすればいいじゃないですか。
それで本当に困る人なんて結構いないものですよ。
ドイツでは、サービスはタダではなく有料である
■ 「お客様は神様」がドイツ人にはありえない理由
ドイツへ転勤してきた日本人の多くは、小売店や飲食店の顧客サービスの悪さにショックを受ける。
日本に比べるとドイツはサービス砂漠である。
おもてなしという観念はほぼゼロの国だ。
日本では「お客様」としてまるで真綿にくるまれるように店員から優しく接してもらえるが、ドイツでは「客扱い」されないことがしばしばある。
最も目につくのは、商店やレストランでの店員の態度の悪さだ。
大半の日本人は、度肝を抜かれるだろう。
ドイツでは、客が店員から待ちぼうけを食わされるのは日常茶飯事だ。
手を挙げて店員の注意をひかなくては、いつまでも注文を取ってもらえない。
客が自分でメニューを取りに行くことも珍しくない。
しかもドイツでは、サービスはタダではなく有料である。
店員やタクシー運転手、理髪店、ホテルの部屋の掃除人、購入した家具を自宅まで運んでくれた運送業者などにはチップを払わなくてはならない。
ドイツの商店では、それぞれの店員の仕事が厳密に決まっており、与えられた仕事以外はやらない。
日本の常識は、ドイツでは通用しない。
この国の店や企業では、職務分掌が厳しく決められており、いくら忙しいときでも、ほかの人の仕事を取ることは許されない。
たとえ客から頼まれても、順番を待つ客が長蛇の列を作っていても、店の内部の決まりを破ってはならない。
つまり日本に比べると融通が利かず、柔軟性に欠けるのだ。
お客様は神様ではない。
ドイツには「閉店法」という法律があり、店を開ける時間が規制されている。
この法律によると日曜日と祝日の店の営業は原則として禁止されている。
午後8時から翌朝6時までは店を開いてはならない。
例外はガソリンスタンド、薬局、空港、大きな駅の売店などだ。
ドイツには24時間営業のコンビニエンスストアや、夜中まで開いているスーパーマーケットはない。
2003年の法改正によって、ようやく平日、土曜日ともに閉店時間が20時まで延長されたので、市民はそれまでのように時間に追われて買い物をする必要はなくなった。
会社で18時まで仕事をしても、買い物ができるようになった。
それでも、コンビニエンスストアに慣れた日本人は、ドイツの営業時間規制を窮屈に感じることだろう。
ドイツには、サービスという観念がない
■ 「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」
ドイツには、サービスという観念がない。
店員は、店の側に立った言動を為すべきだということさえ、教えられていない。
ドイツでは、一歩外を出ると、不愉快なことが山のようにある。
この国には、サービスという観念が希薄なばかりでなく、他人の気持ちを慮ろうという習慣もない。
サービス精神の基本は、他人に喜んでもらおうとすることだから、他人の気持ちを慮る習慣のないところにサービスが根づかないのは、当たり前かもしれない。
彼らは、店員が客に対して、おかしくもないのにニコニコするのは、欺瞞だと信じている。
それどころか、イライラを客にぶつけるのは、それは人間なのだから当然許されるとも思っている。
ドイツでサービス業が発達しない理由の一つは、サービス業の位置づけの低さだと思う。
伝統的にサービス業は尊敬されない職業で、サービスを受ける人は、サービスを施す人をバカにしており、サービスを施す人はバカにされているのでふて腐れている。
そして、チャンスがあれば、こんな職業から足を洗いたいと思っている。
ただ、矛盾するようだが、ドイツ人が不親切な人たちというわけでは決してない。
たとえば、道で困っている人や、気分が悪くなった人などを見ると、助けてあげようとする気持ちは日本人よりも格段に強い。
だから、ドイツと同じくらいサービスの悪い国や、さらにサービスの悪い国、あるいは、町のあちこちでしょっちゅう喧嘩の絶えない国などからやってきた人にとっては、この国はやはり普通で、それどころか、なかなか快適な国であると思う。
ドイツの商店ではサービス精神は少ないし、ぶっきらぼうな店員も多いが
■ 「びっくり先進国ドイツ」
ドイツの個人主義は、この社会が日本ともっとも大きく異なる点である。
しかも、この国はヨーロッパの中でも、個人主義が特に強いと考えられている。
日本はチームワークとか他人への思いやり、気配り、調和が重視される社会だが、ドイツはその正反対である。
個人の意思がもっとも尊重され、他の人がどう思っても、自分の意見や気持ちを正直に言うことが、正しいと見なされる。
理屈さえ通っていれば、他人と違う行動を取ったり、大勢に逆らうような発言をしたりすることは、日本ほど問題視されない。
ドイツの商店ではサービス精神は少ないし、いやいや仕事をやっているせいか、笑顔も見せないぶっきらぼうな店員も多い。
会社でも、自分の任務さえきちんとこなしていれば、「上司や他の人がまだ働いているから、自分も残業しよう」などという配慮は全く必要ない。
気に入らないことがあると、人目を気にせずに、はっきりと口に出して文句を言う。
ヨーロッパの様々な民族の中でも、ドイツ人は「歯に衣を着せず話をする、遠慮のない民族」として知られている。
泣き寝入りをしたり、気に食わないことを我慢したりするのが、とにかく大嫌いなのだ。
思ったことを正直に言うと、評価される社会でもある。
一部の例外を除くと、自分の言ったことが、相手の感情にどういう影響を与えるのかについては、あまり気にしない人が多い。
感受性よりも、理屈が優先する国なのである。
だから、人から言われたことについて、いつまでもクヨクヨしていたら、この国では生きていけない。
日本に比べると精神的に疲れる社会ではある。
しかし、日本の銀行、証券業界、中央官庁などで、泣き寝入りや「触らぬ神にたたりなし」という態度を続けてきたがために、問題がかえって深刻化したケースがあったことを考えると、「おかしい」と思ったことに抗議するドイツ人気質には、評価するべき点もあると思うのだが、どうだろうか。
日本社会にはない良い面もある。
たとえばドイツでは、お年寄りや女性が大きなトランクを抱えて駅の階段を登っていると、通りすがりの人が運んであげたり、女性が乳母車を市電に載せるのを手伝ってあげたりするのを、よく見かける。
道で物乞いをしているホームレスに、お金をあげる人も目立つ。
たとえ知らない人でも、困っている人を助ける精神は、日本よりも強いような気がする。
モノやサービスの提供と本質的な部分の「幸福化」
■ 「「応援したくなる企業」の時代」
人間には一時的なよろこびや快楽を求めがちな性質がある。
その状態を目的とし、そこを重視してモノやサービスを提供すれば、たしかに生活者からもポジティブな反応を得られる可能性は高まる。
そのため、企業にも短期的な快楽を訴求できるようなモノやサービスをつくろうとしがちな傾向があった。
だが、一時的な快楽を重ねても、本質的な部分を「幸福化」することはできない。
そして、すでに生活者の多くは、そのことに気づきはじめている。
これからは、どうしたら社会が「しあわせ」になるかを考え、独自のやり方で、それを提供しようとする高い「志」が、企業に求められる時代になる。
そして、そういう姿勢を持った企業こそが生活者の共感を獲得し、長く生き残っていくことになるのではないか。
大切なのは、ぶれない製品やサービスを提供すること
■ 「ゼロのちから」
費用のかかった企業ブランドや広告キャンペーンは、たいてい、あまり心に残らない。
ごまかしたり、偽ったりしているものもある。
組織はこう自問しなければならない。
「私たちの組織は、ほかの同業組織とどこが違うのか」
と。
実際は、変化が必ずしもいいとは限らない。
とはいっても、盲目的に伝統に従えばいいわけではない。
組織は変化する市場に柔軟に応える必要があることは間違いない。
社会は深く考えずに新しいものや変化にとびつくこともあるが、ぶれないことが何よりも大切だ。
感情を揺さぶることはできなくても、重要なのは、現実味があることだ。
商品やサービスを、人間らしいものにすること。
その中に感情をこめること。
ここで注意しておくことがある。
企業はよく「ぶれないこと」を言い訳にして、たくさんの規則や手続きを儲けがちだ。
しかし、大切なのは、ぶれない製品やサービスを提供することであり、旧ソ連のように官僚的なやり方で社員を苦しめることではない。
「どうしたらもっとよいサービスを提供できるか」と言っていた企業が
■ 「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
「どうしたらもっとよいサービスを提供できるか」と言っていた企業が「どうしたら最も儲かる契約を取ってこられるか」と言い始めたり、「どうしたら人の命を救う薬を開発できるか」と言っていた企業が「どうしたら巨額の利益を出せる薬品を開発できるか」などと言い始めたりしたら、企業が衰退に向かっている警告のサインだ。
お金は指標のひとつにすぎない。
お金は手段にしてもよいが、目的にしてはならない。
お金が目的になってしまうと、価値を付加することがおろそかになり、やがて会社が滅びることになりかねない。
多くのビジネス問題の根本的な原因は、ビジネスとは「人」であることを見失い、ビジネス問題とそのソリューション(解決策)について間違った思い込みを持ってしまうことだ。
「数値目標やインセンティブ報酬はかえって逆効果で、社員が悪い行為に走る可能性がある」と指摘すると、こんな反応が返ってくる。
「ほかにどうやって社員にプレッシャーをかけてがんばらせる方法がある?」
いったいなぜ社員を追い詰める必要があるのか?
サービスの低下など、現場力の劣化を起因とする問題は増加傾向にある
■ 「現場力復権」
日本企業がもつ「現場力」は独自の優位性の源泉であり、「日本の宝」だと断言できる。
与えられたこと、決められたことをルーティン業務としてこなすだけでなく、現場自らが能動的に改善や改良をおこない、問題解決を進めるのは、世界的に見ても類がない。
日本人はあまり自覚していないし、当たり前だと思っているが、日本の現場がもっている高い当事者意識、チームワーク、問題解決の能力は、たんなる日本人の特性ではなく、経営における競走上の優位性として捉えるべきなのである。
しかし、日本企業の屋台骨であるべきこの現場力に、企業間の「格差」が生じている。
品質の劣化、コスト競争力の低下、安全の軽視、サービスの低下、さらには不祥事の発生など、現場力の劣化を起因とする問題は、間違いなく増加傾向にある。
そしてそれが、企業の業績の低迷にもつながっているのだ。
安直に目先の人件費を下げたり、業務を過度に分断させていたままでは、当事者意識は高まるどころか、劣化・喪失につながってしまう。
組織能力の基盤となるのが現場力である。
戦略を実行する主体は、あくまでも現場である。
会社に不信感をもった社員が、顧客に感動を与えるような商品・サービスを創造・提案できるものだろうか?
■ 「経営者の手帳」
好不況を問わず、業績が低迷すると、経営者は企業の人件費を削減するため、非正規社員のリストラに踏み切る。
それでもペイしない場合には、正規社員へのリストラを実施する。
いの一番に犠牲になるのは、いつも高齢者や障害者、派遣社員、パートなどの非正規社員や一般社員だ。
好況時、あれだけ油まみれ、汗まみれになって頑張ってくれた社員たちを、紙切れ一枚でお払い箱にする。
それが再び好況になると、何事もなかったかのように「また来てください」としたり顔で言う。
材料ではあるまいし、こうした理不尽なことを定期的にやられる社員に、どうしてその組織への忠誠心、愛社心が生まれるだろう?
かろうじて残った社員の心も、決して穏やかではない。
今回のリストラから逃れることができたとしても、「いつの日か自分も」と考えるからだ。
それに、チームのメンバーとして一緒に頑張ってきた仲間のリストラを見るのはつらい。
会社に不信感をもった社員が、顧客に感動を与えるような商品・サービスを創造・提案できるものだろうか?
むしろ離職が増大していくだろう。
そのような企業はやがて、もぬけの殻になる。
感動と価値を創造し市場に提案する人財がいたからこそ、好業績(好況)になったのであり、逆に不足していたからこそ、低業績(不況)になってしまったのである。
社員や下請企業、顧客や地域住民の犠牲の上に成り立っているような企業が多い。
一般社員や契約社員への冷たいリストラ、縁の下の力持ち的存在でもある下請企業への理不尽な大幅コストダウン要求などがその表れである。
こうした、正しくない経営が長続きするはずはない。
おもてなしとは?ホスピタリティやサービスとの違いや違和感って?
(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「ナルホド・・・、おもてなしと、ホスピタリティやサービスとの違いって、そーゆーコトだったのか・・・ (; ̄Д ̄) 」
「ウチの会社で聞こえて来るおもてなしについて、どーも違和感があると感じていたんだけど、だからだったのかも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「考えてみりゃー、ウチの社長がなーんか突然、おもてなしがどーのとかって言い始めたもんなー・・・ (´Д`lll)」
「なーんでいきなりおもてなし!?って不思議に感じていたんだけど、もしかしたらそーゆー理由だったのかも・・・!? ((((_ _|||)))) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「顧客に対しておもてなしをすること自体はいいことなんだろーけど、少なくともウチの会社の従業員にとっては、労働法すら守られていない状況下でおもてなしをするように要求するのは、ちと考え物なのかも・・・!? (((( ;゜д゜)))) 」
「だよなー、おもてなしがどーのって以前の話で、承認欲求どころか生理的欲求すら満たされていない状況だもんなー・・・ (o´д`o)=3 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こーやって考えてみたら、おもてなしと組織力の強化や向上って関係があるのかも・・・!?現場力とも関係しているのかも・・・!? o( ̄_ ̄|||)o 」
「おもてなしに関する考え方って、経営理念や経営方針との一貫性なんかとも関係があるのかも・・・!? (|||▽ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってゆーか、そもそもの話、自社の顧客って誰なんだろ~??? (;´д`) 」
「もしかして自社の顧客が明確になっていないから、ウチの会社ではお客様は神様って考え方に染まっちゃって、おもてなしがどーのとかって言っているんだろーか??? ( ̄ー ̄?)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「結局のところ、おもてなしとホスピタリティやサービスとの違いって何なのさ??? (´ε`;) 」
「おもてなしに関する違和感や疑問って、いったい何なのさ??? ヽ(;▽;)ノ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー、もしかしたら・・・

なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、上記を踏まえた上で、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
おもてなしとは?
○ はてなキーワード
客を歓待すること。
客の世話をすること。
○ ウィキペディア
おもてなし(御持て成し)とは、心のこもった待遇のこと。
顧客に対して心をこめて歓待や接待やサービスをすることを言う。
「もてなし」に「お」を付けて、丁寧にした言い方である。
持て成しとは?
○ goo辞書
- 客への対応のしかた。待遇。
- 食事や茶菓のごちそう。饗応。
- 身に備わったものごし。身のこなし。
- とりはからい。処置。取り扱い。
○ Weblio辞書
- 客に対する扱い。待遇
- 客に出す御馳走。接待
- 人や物事に対する振る舞い方。態度
- 物事に対する扱い。とりはからい。処置
1. 「もてなす」の丁寧語
言葉の通り、「客をもてなす」の「もてなす」からきています。
「もてなす」の語源とは、「モノを持って成し遂げる」からきており、お客様に応対する扱い・待遇のことを指します。
ここでいう「モノ」とは、目に見える物体と目に見えない事象の2つを示します。
2. 「表裏無し」
字の如く、表裏がない心でお客様を迎えるということです。
以上の2つが合わさって、一般的に「おもてなし」の語源とされています。
ホスピタリティとは?
○ goo辞書
心のこもったもてなし。
手厚いもてなし。
歓待。
また、歓待の精神。
○ exBuzzwords
ホスピタリティとは、おもてなしの心、また、その程度、という意味で用いられる。
サービスのよさを評価する際に用いられる。
サービスとは?
○ Weblio辞書
サービスとは、他者に対して行われる支援や援助、またはその過程で提供される利益や機能を指す言葉である。
ビジネスの文脈では、商品やサービスを顧客に提供することを指すことが多い。
「service」の語源は、ラテン語の「servitium」であり、これは「奉仕」や「隷属」を意味する言葉である。
これが古フランス語を経て中英語に伝わり、「service」という形になった。
○ goo辞書
- 人のために力を尽くすこと。奉仕
- 商売で、客をもてなすこと。また、顧客のためになされる種々の奉仕
- 商売で、値引きしたり、おまけをつけたりすること
- 運輸・通信・商業など、物質的財貨を生産する過程以外で機能する労働。用役。役務
○ ウィキペディア
サービスあるいは用役(ようえき)、役務(えきむ)とは、経済活動において、売買した後にモノが残らず、効用や満足などを提供する、形のない財を指す経済学の用語である。
第三次産業が取り扱う商品である。
また、サービスの概念に含まれる公共サービスは社会(国家、自治体や組合)がその費用を負担する役務のことである。
資源やスキル、創意、経験などを活かし、提供者が消費者、市民などに提供する。
○ ニコニコ大百科
サービス(service)とは、ラテン語の「servus」という語源になっており、これは「奴隷」を意味する。
現在の英単語として「service」と言った場合は「誰かに尽くすこと」、「奉仕」 、「貢献」、「供給」、「(スポーツで)球を初めに供給すること」、「役に立つこと」、「サービス業」なども意味する。
日本において「サービス」と言えば「形が無い売り物」、「お金を出した人が得になるような行動」、「役務」など意味する。
また以下の意味でも使われる。
(英単語の使い方とかぶる部分もある)
- 非常に安い商品、無料の物(例:サービス価格、サービス商品)
- 奉仕活動
- おまけのこと
- お得になるような何か
- 球技で初めに球を打つ事
- コンピュターネットワークで情報処理をしているプログラム
奉仕とは?
○ goo辞書
- 神仏・主君・師などに、つつしんでつかえること
- 利害を離れて国家や社会などのために尽くすこと
- 商人が品物を安く売ること
おもてなしとは?ホスピタリティやサービスとの違いや違和感って?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・







などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?






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