「協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろ~? (;-ω-)」
「協力し合える組織や助け合える組織つくるのに必要なことって何だろ~?(´ヘ`;)」
「協力し合える組織と協力し合えない組織って何が違うんだろ~?(; ̄ェ ̄)」
「助け合える組織と助け合えない組織って何が違うんだろ~? (´ε`;) 」
「ウチの会社って協力し合える組織になっているとは言えないんだよね・・・ ( ノД`) 」
「上司・部下間とか、ひとつの部署内や部署間とかで助け合いすらできないんじゃー、何のための組織なのかわからなくなっちゃうし、めっちゃ困っちゃうんだけど・・・ ヽ(;▽;)ノ」
「協力し合えなかったり助け合えなかったりする組織的な原因って何だろ~? (|||▽ ) 」
「ウチの会社組織で協力し合ったり助け合ったりするのって何が必要なんだろ~?何が足りていないから協力し合ったり助け合ったりできないんだろ~? (´Д`lll)」
「何をどーしたら、協力し合える組織になるんだろ~? (;´Д`)ノ 」
「助け合える組織に変えるために必要なことって何だろ~? (o´д`o)=3 」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「組織力の強化や向上」、「中小企業の経営に役立つ情報活用」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・




などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
(パート1)
んーと、もしかしたら・・・






なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
中小企業の従業員の立場の方からお聞きすることもある例えばこんな声から、まずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Aさんの声
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのか、考えさせられちゃいますよね。
どーして考えさせられちゃうかってゆーと、ウチの会社は協力し合える組織でもなければ、助け合える組織でもないからなんですけどね。
え?
協力し合える組織や助け合える組織になれないのかって?
うーん・・・、そりゃー、協力し合える組織や助け合える組織になれるんだったら、その方がいいとは思いますよ。
私だけじゃーなく、他の従業員だってそう思っていると思います。
だけど、ウチの会社の場合、致命的とも言える人手不足なんですよね・・・
このままだと、人手不足倒産しちゃうんじゃーないか!?って感じるぐらいに・・・
ただでさえ、自分が担当している業務だけで、みんないっぱいいっぱいの状態だし。
みんな必死にがんばっているけど、それでも現場が回っていない状態だし。
誰かが病気で休んだだけでも、悲惨な状態になっちゃうし。
それがわかっているから、熱が出よーがどーしよーがとても休めないし。
有給なんて、何年も取得できていないし。
育休ですら、まともに取得できない状況だし。
ワークライフバランスどころじゃない!!って感じだし。
そんな状態なのに、何をどーやったら協力し合える組織や助け合える組織になれるんでしょう?
やっと新しい人が入社してくれたと喜んだのも束の間で、人材育成に時間を割く余裕がないからなのか、またすぐに辞めちゃうし。
募集をかけてもかけても、応募してもらえないみたいだし。
やっと応募して来てくれた人がいても、またすぐに辞めちゃうって繰り返し。
そんな状況なのにってゆーか、そんな状況だからと言った方がいいのか、連鎖退職まで起きちゃっているし。
で、辞めてしまった従業員の分の業務を引き継いた従業員が、さらにいっぱいいっぱいの状態になっちゃって、モチベーションも下がっちゃうし。
まさに人手不足の悪循環って感じなんですよ。
こんな状況で、どーやって協力し合える組織や助け合える組織になれるんでしょう?
協力したり助けたりしたら、さらにいっぱいいっぱいになって自分が潰れてしまうだけだし、会社を辞めたくなるだけだって、よぉーくわかっているのに。
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
そりゃー、人材採用じゃーないですかね?
いくら何でも絶対数が足りなさ過ぎるんですから。
協力し合える組織や助け合える組織をつくりたいんだったら、せめて辞めて行った人の補充を早くして、少しは人手不足を解消してから言って欲しいものですよ。
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Bさんの声
協力し合える組織って何だろーか?
助け合える組織って何だろーか?
どーしたら、協力し合えるようになれるんだろーか?
何をしたら、助け合える組織になれるんだろーか?
って、考えさせられちゃう時があるんです。
ウチの会社組織でも、言葉の上では、もっと協力し合おうとかもっと助け合おうって言っていますよ。
だけど、言葉だけが虚しく響くスローガンと化しているように、どーも感じちゃうんです。
だって、相談したくても相談できそうにない雰囲気だし。
質問したくても質問できない状況だし。
なーんか、組織全体がギスギスしていて、協力し合える組織や助け合える組織以前の状況って感じなんです・・・
それに、人材育成ですらロクにしてもらえなかったし。
OJTという名の放置プレイだったし。
で、失敗したらめっちゃ怒られちゃうし、無能のレッテルを貼られちゃうし。
ひたすら怒られて「それぐらい自分で考えろ」って言われるだけで、何がどう悪かったのかすら教えてもらえないし。
もうねー、自己嫌悪だらけの毎日ですよ。
モチベーションもダダ下がりだし、ホント役立たずだよなーって毎日毎日ヘコみまくっていますし。
みんな忙しいから仕方がないとは思います。
自分みたいに足を引っ張ってばかりの新入社員にかまっていられる余裕がないってのもわかります。
だから、優秀な人材を採用したいって気持ちもわかります。
即戦力を採用したいって気持ちもわかります。
やっぱり、自分みたいな優秀とは言えない人材はさっさと辞めた方がいいんでしょーか?
質問もできないし相談もできない人間は、さっさと辞めた方がいいんでしょーか?
この会社で自分が役に立てることってそれしかないのかと思うと、なーんかいたたまれない気持ちになっちゃいますよ・・・
新入社員がこんな気持ちになるから、耐えられなくなって会社を辞めてしまうんじゃーないんでしょーか?
実際、入社してすぐに辞めてしまった人もいるぐらいで、その後も何人も辞めてしまって、今残っているのは私を含めて2人だけなんですけどね。
だからこそ、切に思うんです。
もっと協力し合える組織や助け合える組織になって欲しいって。
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
うーん・・・、何なんでしょーね???
いったい何をどーしたら、協力し合える組織や助け合える組織になるんでしょーか???
協力できるのであれば、協力したい気持ちが自分にはあるんですけどね。
誰かの助けになるのであれば、助けたいって気持ちもあるんですけどね。
だけど、協力できるほどの業務知識もなければ経験もないし。
誰かを助けようにも、助けられるほどのスキルもないし。
そう考えると、自分みたいな無能な人間がいない方が、協力し合える組織や助け合える組織になるってことなんでしょーか?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Cさんの声
協力し合える組織に必要なことって何だろーか?
助け合える組織に必要なことって何だろーか?
って、考えさせられちゃいますよね。
少なくともウチの会社組織は、協力し合える組織や助け合える組織には、何をどーやってもなれなさそーに感じるから尚更。
え?
協力し合える組織や助け合える組織になれなさそーに感じるのかって?
そりゃー、属人化し過ぎているからですよ。
一人ひとりの従業員が担当している仕事が、まるでそれぞれの個人商店みたいに別々でバラバラになっちゃっているイメージなんです。
担当している範囲がきっちり決まっていて、棲み分けがされていると言えば聞こえはいいかもしれません。
だけど、属人化し過ぎていて、お互いの業務に興味を持つ機会もないし、たとえ聞いても理解できないと思うんです。
なので、誰かが辞めた後は悲惨な状況になっちゃっているんです。
属人化し過ぎていて、辞めた人の業務について、だぁーれもわからないし知らないしって感じになっちゃうから。
で、仕方がないので、その業務を引き継いだ人が自分なりのやり方に変えると。
そーすると、ますます属人化しちゃうって悪循環なんです。
こんな状況じゃー、協力し合える組織や助け合える組織以前の話で、組織にしかできないことをやっているとは言えないですよね。
同じ会社で仕事をしていても、みんなそれぞれがバラバラの個人商店みたいになっちゃっているんですから。
組織でなくてもいいと思えるぐらいの状況ですから。
協力し合える組織や助け合える組織って言うけど、そもそも組織とは何なのか考えさせられちゃいますよ。
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
うーん・・・、組織力の強化だの現場力の向上だのって話の前に、協力し合える組織や助け合える組織がどーのって話の前に、まずは組織だからできることについて考えた方がいいんじゃーないでしょーか?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Dさんの声
協力し合える組織をつくりたい???
助け合える組織に変えたい???
はぁ???
ウチの会社の現状を把握した上で言ってるの???
って、言いたくなっちゃいますよ。
私だけじゃーなく、少なくともウチの部署の従業員はみんなそう呆れ返っているんじゃーないですかね?
そりゃー、協力し合えない組織や助け合えない組織より、協力し合える組織や助け合える組織の方が絶対にいいと思いますよ。
そもそも一人でできないからからこそ、組織をつくるんでしょーし。
組織なんだから、お互いに協力し合って助け合ってってのが至極当然の話だとは思います。
だけどねー、半ば強制的に協力させられたり助けさせられたりするのは、さすがにいかがなものかと思いますね。
それも、協力してもらえずにコッチが協力させられるばっかとか、困った時に助けてもらえずにコッチが助けさせられるばっかとか。
コッチが困っている時に協力してもらえないし助けてもらえないって、よぉーくわかっているのに、どーして協力したり助けたりしなきゃいけないんでしょう???
部署の力関係とかもあるんでしょーけど、何の利益もないし、納得感がないし、フェアじゃないし、はっきり言って理不尽ですよね。
ウチの会社では、他の部署でもこんな風に批判している従業員が結構いるんです。
今まで十分過ぎるぐらい散々協力して来たし助けて来たのに、そのことをガン無視して、協力し合える組織とか助け合える組織とかって、まだ言うかぁ!?って、怒りがわいて来ますよ。
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
うーん・・・、やっぱギブアンドテイクってヤツじゃーないでしょーか?
協力してもらったら協力し返すとか、助けてもらったら助け返すって感じで。
逆に言うと、一方的に協力させられるばっかだと、協力し合えるって感じじゃーないですよね。
半ば強制的に助けさせられるばっかだと、助け合いって感じでもないですよね。
だって、協力し合える組織って言うからには、お互いに協力し合える関係でなければ協力し合える組織とは言えないでしょーし。
助け合える組織って言うからには、お互いに助け合える関係でなければ協力し合える組織とは言えないでしょーし。
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Eさんの声
協力し合える組織や助け合える組織をつくりたいって言っているみたいですけどね。
だけど、ウチの会社ではまずムリだと思いますよ。
だって、めちゃくちゃ厳しいノルマが設定されているんですから。
で、ノルマを達成できなかったら、会議とかで吊るし上げられちゃうし。
それがイヤだからみんな必死で、自爆営業をせざるを得なくなっちゃっているし。
そーやって必死こいてノルマをなんとか達成できたとしても、さらに厳しいノルマを課せられちゃうし。
ウチの会社では、コレの繰り返しなんです。
だから、まともな人からどんどん辞めて行っちゃうんです。
連鎖退職まで起きちゃっているし。
で、辞めた人の分のノルマが残った従業員に重くのしかかって来るし。
それでまた、まともな人が辞めて行っちゃうって人手不足の悪循環を招いているし。
本来だったら給料を稼ぐために働いているはずなのに、自爆営業でそれ以上の支出が増えちゃうんですから、コレじゃー何のために働いているのかわからなくなっちゃいますよね。
こーゆー状況なのに、何をどーやったら協力し合える組織になれるんでしょうか?
助け合える組織になれるんでしょうか?
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
世の中にはいろんな会社があって、それぞれの会社で状況も異なるだろーから、協力し合える組織や助け合える組織に必要なことっていろいろあるとは思うんですけど、少なくともウチの会社に関しては、ノルマを廃止することなんじゃーないでしょーか?
問題が全くない組織なんて存在しません。
何の問題もない欠点もない人間が存在しないのと同じです。
同様にウチの会社だって、問題はノルマだけじゃーありません。
だけど、ノルマがなければ協力し合える組織や助け合える組織に少しはなれるんじゃーないでしょーか?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Fさんの声
協力し合える組織に必要なことって何でしょーか?
助け合える組織に必要なことって何でしょーか?
って、考えさせられることがよくあります。
どーしてかってゆーと、ウチの会社の場合、協力し合える組織や助け合える組織に今のままではとてもなれそーにないからなんですけどね。
え?
どーして、協力し合える組織や助け合える組織に今のままではとてもなれそーにないって感じるのかって?
協力し合える組織や助け合える組織になれそーにないって感じ理由はいろいろあるんですけど、根本的な原因はやっぱ、成果主義にしちゃったってことじゃーないんでしょーか?
実は私が入社した頃は、終身雇用制度を採用していたんです。
年功序列はイヤだったんですけど、なんだかんだ言っても終身雇用って悪くなかったんですよ。
終身雇用だった時は当然のことながら職能型ですから、どの部署にいてもどんな仕事を担当していても、みんな同じ会社の仲間って感覚が強かったんです。
ですから、誰に言われるでもなく自発的に協力し合っていましたし。
仲間同士なんだから、助け合うのが当たり前って感覚でしたし。
だけど、成果主義を採用してからは、協力し合うことも助け合うこともどんどんなくなって行ったんです。
成果主義の導入に伴って職務型に変わったからってのもありますが、それは私の仕事じゃないとか私の担当ではないとかって、今では仲間意識もどこへやらの無関心が蔓延している状態になっちゃったし。
考えてみたら、セクショナリズムが発生したのも、この頃からなんですよね。
それまではなかったのに、企業風土まで変わっちゃったように感じるんです。
つまり、元々は協力し合える組織や助け合える組織だったのに、成果主義を導入したことによって、協力し合えない組織や助け合えない組織に変わっちゃったんです。
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
そりゃー、成果主義制度をやめて終身雇用制度にまずは戻すことなんじゃーないでしょーか?
もしくは、成果主義を続けたいのなら、協力し合える組織とか助け合える組織などと言わないことなんじゃーないでしょーか?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Gさんの声
ウチの会社の上層部が、もっと協力し合える組織をつくりたいとか、もっと助け合える組織をつくりたいとかって言っているみたいですけどね。
今のウチの会社の状況下で、協力し合える組織や助け合える組織って言葉がよく出て来るよなー!!どの口が言うよ!?って、呆れ果てちゃいますよ。
もしかして、従業員が呆れ果てて自ら会社を仕向けているのかぁ!?って感じちゃうぐらいです。
だって、近いうちにリストラが行われるらしいですから。
みんな戦々恐々としています。
売上が減少しているし赤字だから、リストラが行われても不思議ではありませんよね。
だけど、そもそも業績不振を招いたのはいったい誰なんだ!?って、言いたくなっちゃいますよ。
コレじゃーまるで、従業員に責任転嫁しているようなものじゃないですか。
毎日一生懸命まじめに仕事して来たのに、どーしてそんなまじめな従業員がリストラされなきゃいけないんですか!?
もしかして、リストラに協力しろって言いたいんですかね???
リストラに協力して会社を助けろって言いたいんですかね???
だから、この期に及んで、もっと協力し合える組織をつくりたいとか、もっと助け合える組織をつくりたいとかって言い始めたんですかね???
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
そりゃー、リストラが行われるような状況ではないことですよ。
いつリストラされるかとビクビクしながら働くことを余儀なくされていたら、みんな生活がかかっているものだから自分と自分の家族のことだけでいっぱいいっぱいになっちゃうので、社内で協力しようって気に誰もなれないし、社内の誰かを助けようって気にもとてもなれませんから。
少なくとも安心して働ける会社でなければ、協力し合える組織や助け合える組織をつくるなんてまず不可能だと私は感じますね。
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「うーん・・・、一見バラバラに見えても、協力し合える組織や助け合える組織って点で考えてみると、実は共通点があったりなんかするのかも・・・!? ( ̄∧ ̄ ) 」
「ウチの会社でもそうだもんなー、協力し合える組織や助け合える組織どころか、協力し合えない組織や助け合えない組織の典型って感じだもんな・・・ (ーー;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってゆーか、協力し合える組織とか助け合える組織とか以前の状態で、ウチの会社とか部署とかって、組織とすら言えない状況だったのかも・・・!? (;´д`) 」
「組織力の強化とか現場力の向上とかって言っているけど、そもそも組織にしかできないことをやっていないし、組織でなくてもいい状態だもんなー・・・ (|||▽ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協力し合うメリットとか助け合うメリットとかがなかったら、だぁーれも協力したくないし助けたくなくなっちゃうもんなー・・・ (o´д`o)=3 」
「ウチの会社なんかもそーなんだけど、協力したり助けたりするデメリットはあっても、協力したり助けたりするメリットなんてないもんなー・・・ (´Д`lll)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協力し合える組織とか助け合える組織とかもそーなんだけど、顧客への貢献や社会貢献と言う名の会社への貢献とか売上への貢献とかって点でも考えさせられちゃうよなー・・・ (´・ω・`) 」
「貢献って言葉がスローガンと化していて、虚しく響いているもんなー・・・ o( ̄_ ̄|||)o 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こーやって考えてみると、現状把握ってめっちゃ大事なのかも・・・!? ( ̄○ ̄;) 」
「協力し合える組織や助け合える組織になれない根本的な原因を把握した上で、その原因を解消する手を打たないと、協力し合える組織や助け合える組織をつくることそのものが目的化しちゃうってコトなのかも・・・!? ヽ(;▽;)ノ」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって、もしかするとそーゆーコトだったのかも・・・!? (; ̄Д ̄) 」
「協力し合える組織や助け合える組織に必要なことについて、難しく考え過ぎちゃっていたのかも・・・!? σ(^◇^;)。。。」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協力し合える組織や助け合える組織をつくるには、少なくともアレとかコレとかが必要ってコトなのかも・・・!? (´ε`;) 」
「その上で、アレとかコレとかも必要になるってコトなのかも・・・!? (・_・;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって、結局何なのさ??? ( ̄ヘ ̄)凸 」
「もっと親切丁寧に手取り足取り、協力し合える組織や助け合える組織に何が必要なのか教えろっちゅーに!! (# ̄3 ̄)」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
で・・・、もしかしたら・・・



なんかにも、ある意味関係するかもしれないので・・・
中小企業の従業員の立場の方からお聞きすることもある例えばこんな声からも考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Hさんの声
協力し合える組織や助け合える組織にするには、何が必要なんだろーか!?
って、考えさせられちゃいますよね。
そーゆーウチの会社もそーなんですけどね。
協力し合える組織や助け合える組織とはとても言えない状況だから。
もっと協力し合って欲しいとかもっと助け合って欲しいとかって、現場だけに求められてもねぇ・・・って感じですから。
はっきり言って現場への丸投げでしかありませんし、こんなの組織じゃないしって感じですから。
え?
組織なのに、協力し合えない原因や助け合いができない原因は何なのかって?
うーん・・・、やっぱリーダーがいないってことじゃーないでしょーか?
役職がリーダーとか管理職とかって意味じゃーなくて、仕切り役ってゆーか旗振り役ってゆーかの意味での。
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
例えば、オーケストラなんかを思い浮かべると、なんとなーくイメージできると思うんです。
オーケストラではピンと来ないのであれば、バンドとかをイメージしてもいいんじゃーないでしょーか?
バンドにしろオーケストラにしろ、いい音楽を奏でたいって一つの目的に向かって、協力し合って演奏するじゃないですか。
そーゆー意味で言うなら、バンドもオーケストラも組織と言えるんじゃーないでしょーか。
例えば、ドラムの音がやたらとデカ過ぎてもいけないだろーし。
ギターの音ばっかが目立つのも考え物だろーし。
目立ちたい気持ちはわかるんですけど、それじゃーいい曲にならないですよね。
それぞれのパートが協力し合って演奏するからこそ、いい曲になるんじゃないですか。
バンドの場合はまだ少人数だから、阿吽の呼吸でそれぞれが協力し合うことでまだナントカなるかもしれないけど、オーケストラとなると人数も多いから、指揮者が必要になって来ますよね。
指揮者って自身は演奏こそしないけど、全体を俯瞰した上で指示を出すじゃないですか。
そのお陰で、それぞれの楽器を演奏している人はそれぞれの役割に専念できるってことでもありますよね。
もし指揮者がいなかったら、木を見て森を見ずの状況に陥っちゃうでしょーし。
部分最適の状況に陥っちゃうでしょーし。
それぞれがそれぞれのパートをただ奏でて主張したいように主張するだけになっちゃって、バラバラの演奏になっちゃって、一つのいい曲を奏でているとは言えない状況になっちゃいますよね。
協力し合える組織や助け合える組織においても、コレと同じことだと思うんです。
もっと協力し合って欲しいとかもっと助け合って欲しいとかってただ求められても、それぞれの業務を担当している従業員にとっては、何をどーしたらいいかわかりませんし。
こんな風に考えてみると、少なくともウチの会社では、協力し合える組織や助け合える組織の指揮者にあたるリーダーが必要なんじゃーないでしょーか?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Iさんの声
ウチの会社では、どーしてもっと協力し合えないんだろーか?
何が原因で、助け合えないんだろーか?
協力し合える組織や助け合える組織にするには、何が必要なんだろーか?
って、考えさせられることがありますよ。
だって、協力し合えない組織よりも協力し合える組織の方がいいに決まっているし。
助け合えない組織よりも助け合える組織の方がいいに決まっているし。
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
世の中にはいろんな会社があって、それぞれの会社で状況や原因も異なるだろーから、協力し合える組織や助け合える組織に必要なことっていろいろあるし、あっていいと思います。
状況や原因が違えば、協力し合える組織や助け合える組織に必要なことも違うでしょーし。
だけど、少なくともウチの会社に関して言うなら、自社の顧客が誰なのかをまずは明確にすることじゃーないですかね?
自社の顧客が不明確な状況で「お客様のため」って言われても、どんなお客様のため???って言いたくなっちゃうことがよくあるし。
自社の顧客が不明確だから、誰のために協力し合えばいいのか?何のために助け合えばいいのか?とかもよくわからなくなっちゃうし。
自社の顧客が明確ではないからか、お客様は神様って平気で言っているし。
お客様は神様って聞くと聞こえはいいかもしれないけど、薄利多売にもなっちゃっているし、カスハラされても何をされても我慢しろ!!って言われているように感じちゃうし。
そんな状況では、協力し合える組織や助け合える組織にはとてもなれないと思うんです。
我慢するために、協力し合おうって気にはとてもなれませんし、助け合おうって気にもなれませんし。
今のウチの会社の状況は、協力し合える組織や助け合える組織になるどころか、我慢の限界に達した従業員から辞めて行っちゃってますからね。
逆に言うと、こーゆー顧客のために役に立ちたいって思えるのであれば、みんなで協力し合おうって気にもなれるでしょーし、みんなで助け合おうって気にもなれるだろーし、協力し合える組織や助け合える組織にも少しはなれるんじゃーないでしょーか?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
中小企業従業員Jさんの声
協力し合える組織や助け合える組織には、何が必要なんでしょう?
どんな組織だったら、みんなで協力し合おうって気になれて、みんなで助け合おうって気になれるんでしょう?
って、よく考えさせられますよ。
ウチの会社組織は、協力し合える組織や助け合える組織になっているとは到底言えないからなんですけどね。
え?
組織なのに、協力し合える組織や助け合える組織になっていない原因は何なのかって?
えーと・・・、最初のうちは、それぞれの従業員に協調性が足りないからって思っていたんですけどね。
それだったら、人材育成がもっと必要なのかも!?とも思っていたんです。
だけど、よくよく考えてみたら、協調性の問題じゃーないと今は思うんです。
正確に言うと、協調性が足りないって点が見えているだけであって、根本的な原因が別にあったって言うか。
どーして協調できないのかって観点から考えても、協調するのに致命的なものがウチの会社にはないんですよね。
それは、経営理念やビジョンが不明確ってことなんですけど。
つまり、ウチの会社では、組織共通の目的でもある経営理念やビジョンが不明確なんです。
経営理念やビジョンが不明確では、何に対してどう協調したらいいのかもわからなくなっちゃいますよね。
それと同じで、協力し合おうにも何に対してどう協力したらいいのかわからなくなっちゃうだろーし、助け合うにしても何に対してどう助け合ったらいいのかわからなくなっちゃうんじゃーないでしょーか?
ウチの会社の場合、経営理念やビジョンが全くないワケじゃーないんです。
だけど、テキトーに考えたからなのか、掲げている経営理念やビジョンと実際とが思いっきり乖離しちゃっているんですよね。
経営理念やビジョンとの一貫性のなさについて、取引先からも従業員からもツッコミが入ることがあるし。
その度に、どう答えたらいいか悩む管理職の身にもなって欲しいものですよ。
え?
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何なのかって?
そりゃー、組織共通の目的でもある経営理念やビジョンをまずは明確にすることじゃーないですかね?
組織共通の目的すらないんだってら、そもそも組織とは言えないでしょーし。
経営理念やビジョンが不明確なまま、人材育成をやって無理やり協調性を従業員に持たせても、対症療法になっちゃうでしょーし。
経営理念やビジョンが不明確なまま、協力し合える組織や助け合える組織に無理やりしようとしても、意味がないでしょーし。
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社が協力し合える組織や助け合える組織になれない根本的な原因って、そーゆーコトもあったのかー!! Σ( ̄ロ ̄lll) 」
「意外な盲点だったかも・・・!?危うく手段の目的化に陥っちゃうところだったのかも・・・!? σ( ̄∇ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「だよなー・・・、協力し合える組織や助け合える組織って言うからには、組織共通の目的が必要だもんなー・・・ ( ̄▽ ̄;) 」
「組織共通の目的でもある経営理念やビジョンすらないんじゃー、何のためにどう協力したらいいのかわからなくなっちゃうだろーし、助け合うにしても誰のためにどう助け合ったらいいのかわからなくなっちゃうもんなー・・・ (; ̄ェ ̄)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そっ・・・、そーいやー自社の顧客って誰のことなんだろ~??? ( ̄ー ̄?)」
「ウチの会社がターゲットとしている顧客って、どんな顧客なんだろ~??? (;・∀・)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「協力し合える組織や助け合える組織をつくろうと思ったら、組織共通の目的でもある経営理念やビジョンもモチロン必要なんだろーけど、自社の顧客を明確にすることも必要なのかも・・・!? w( ̄△ ̄;)w 」
「協力し合える組織や助け合える組織をつくることもそうなんだけど、選択と集中って言うし、他社との差別化って観点から考えても、薄利多売から抜け出すためにも、まずは自社の顧客を明確にした方がいいのかも・・・!? ( ´△`;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって、そーゆーコトだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「ウチの会社で協力し合える組織や助け合える組織をつくるために必要なことって、こーゆーコトだったのかも~ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
で・・・、もしかしたら・・・
盲点になっていたり灯台下暗しになっていたりすることも意外とある
かもしれないので・・・
( ・ _ ・ ;)
上記を踏まえた上で、例えばこんな視点からも考えてみるのはどーでしょう?
(〃⌒∇⌒)ゞ
お互いに協力し合えばみんなが利益を得られるのに、各自が自分の利益だけを考えて行動して、結局みんなが不利益を被ってしまう社会的ジレンマ
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
お互いに協力し合えば仕事がうまくいくことは、誰しもよくわかっている。
「協力したほうがいいと思うのか、協力などしなくてもいいと思うのか、どちらかに○を付けよ」というアンケートをとったとしたら、ほとんどの人が「協力したほうがいい」と答えるだろう。
ただし、同じアンケートで、「では、あなたは協力しますか」と聞かれた場合、「するかどうかは条件しだい」と答える人が圧倒的に多いのも、また事実なのだ。
こうした矛盾は、「社会的ジレンマ」という概念を使って説明できる。
「社会的ジレンマ」とは、お互いに協力し合えばみんなが利益を得られるのに、各自が自分の利益だけを考えて行動して、結局みんなが不利益を被ってしまう状況を言う。
「社会的ジレンマ」の中で注目すべきは、ほかの人が協力してくれるという期待が持てないとき、ほとんどの人が協力的な行動をとらない、という点である。
「協力する」ということは、通常、相手からも協力を受けられるという前提条件があるときにはじめて成り立つ行動である。
もちろん、世の中には、見返りを期待せずに、他人に与えることをもって喜びとできる人もいる。
ただ、こういう行動は、自分の意思でやればいいことであって、他人に命じたり強制したりするようなものではない。
問題なのは、自分は協力したほうがいいと思うが、相手が協力してくれるかどうかわからないときに、自分だけ協力すると「損」になる、と考える人が多いという現実である。
協力し合うことは、チームで仕事をするにあたって、最も基本的で重要な要件である。
にもかかわらず、現実の問題として、協力し合うことが、なかなか実行に移されないのは、
「協力することが必ずしも自分にプラスに働かない」
「かえってマイナスに働くかもしれない」
という厳しい現実を、誰もが感じているからである。
組織が生まれて間もない頃は、対立し合ったりしながらも、それなりに「協力し合う」ことがお互いの了解事項となっている
■ 「なぜ会社は変われないのか」
まだ組織が小さかったり、組織が生まれて間もない頃は、お互いに協力し合わなければ仕事が成功しないことをみんな暗黙のうちに知っている。
そこでは、対立し合ったりしながらも、それなりに「協力し合う」ことがお互いの了解事項となっている。
この「協力し合う」という了解事項が、しだいに「協調し合う」ことに変質しやすいのが組織、特に日本的組織の特徴でもある。
余計な波風を立てずに「なあなあ」で物事を納めていくことによって安定している組織は、良い組織のイメージそのものである。
ただ、この「協調する」という了解のほうが主流になると、しだいに
「本当のことを言わない」
「言ってもムダ」
「言わないほうが得」
というような体質をつくっていく。
本当に協力し合おうと思えば、時にはきちんと自分の意思を相手に伝えなければうまく協力などできない。
相手と意見が違っていたらそのままにするのではなく、お互いに接点を見つけて努力をする。
そのためには「なあなあ」ではなく、お互いに率直な意見の交換が必要なのだ。
組織にも人間と同じように成人病がある。
それは人間の場合よりもより確実に、年をとるにしたがって組織を侵してゆく病気なのだ。
「言ってもムダ」というような牽制作用が組織の中で大きな意味をもつような安定的状態というのは、一種の組織の老化現象である。
「前例を大切にする」
「上の顔色を窺い読んで期待に応える」
「いつも『頑張るぞ』と言い続けて前向きの発言を繰り返す」
「上の意向には直に反応し、下には厳しく取り立てる」
そういう環境下では、人は問題を見つけても
「自分だけが言っても仕方がないからあきらめるか」
「解決するために努力をしようか」
をてんびんにかけて考え、前者を選択することが多くなる。
つまり、自分の力で問題を解決しようとする力がしだいに弱まる。
全体としてみればこういう組織では、人間は言われたことしかやらなくなるから、人に指示を与えたり管理したりする機能がしだいに肥大化する。
つまり、管理機構が肥大化し、スタッフが肥大化する。
そして、そういう組織に入ってくる若い人たちはしだいに何も発言しない、上から見ると元気のない社員になってしまう。
若い人に対して「元気がない」「何も発言しない」「発言するのはどうでもよいことだけ」という問題意識をもっておられる方には、それを嘆く前に、まず「自分の組織の中に問題点があるのでは」と考えてみることをお勧めしたい。
「成長の宿命」と、協力し合える組織や助け合える組織
■ 「現場力を鍛える」
仕事というものは組織や部門をまたがって、「チェーン(鎖)」としてつながることではじめて価値を生む。
しかし、概念としてはそのことを理解していても、実際には組織の壁、部門の壁は厚く、情報の断絶が起きたり、意思疎通が上手くいかなかったり、部門のエゴが出てきたりする。
立ち上げたばかりの小さな組織では、創業者であろうが従業員であろうが、その肩書きや、階層、機能に関係なく全員が同じ目的に向かって複数の仕事をこなすのが当たり前である。
社内のコミュニケーションがきわめて密であり、情報の滞留もなく、意思決定も早い。
会社が今、どんな状態にあるのかが肌感覚で分かり、問題があれば一致団結し、協力することを惜しまない。
ところが、企業が成長し、関わる従業員が増えてくると、当然のことなながら、組織は専門化、分化していく。
部門や個人の仕事はより明確に分けられ、他との「境界線」がはっきり規定される。
拠点も地理的に分散し、コミュニケーションは形式的になり、人間同士の「触れ合い」はどんどん薄くなる。
「ひとつの会社」でありながら、一体感は希薄になり、「見えない境界線」が会社の運営を困難にする。
しかし、これはどの組織も避けては通れない「成長の宿命」なのである。
放っておけば、壁はできるし、タコツボ化するのが自然なのである。
専門化、分化した組織の中で、それぞれの機能組織や部門が自らのミッション・役割を遂行することは重要であるが、それはあくまで経営体としての全体最適の発想のもとで行われなければならない。
会社の至るところに「タコツボ」ができてしまい、それがそのまま放置され、経営が「タコツボの集合体」となってしまっては、現場力を高めることなど到底不可能である。
放っておくとできてしまうタコツボの意識を常に払拭する努力、すなわち「ツボ割り」が不可欠なのである。
部門をまたぐ大きな問題を解決するためには、他の部門の協力を必要するが、組織がタコツボ化していると・・・
■ 「会社を変える会議の力」
組織が細分化された部門によって構成されるようになると、部門の中では得意分野に専門化できるために効率的です。
しかし、専門分野に特化すればするほど、他の部門のことがわからなくなります。
わからないので他の部門に注意を払わなくなります。
注意を払ったとしても、他の部門も専門化しているので、他の部門が何をやっているのかを理解できなくなります。
日々の交流も減っていきます。
こうして、部門間のつながりが弱くなっていくのです。
「組織のタコツボ化」は弊害ももたらします。
部門をまたぐような問題が解決されないようになります。
部門をまたぐ大きな問題を解決するためには、他の部門の協力を必要とします。
しかし、組織がタコツボ化していると、部門間のつながりがないため、部門の協力が非効率であったり、そもそもそのような取り組みは後回しにされます。
このようにして、組織が抱える大きな問題が放置されてしまうのです。
全員で協力して行動できるときとは
■ 「「応援したくなる企業」の時代」
サッカーの場合は、ひとたび試合がはじまれば、プレーのひとつひとつをピッチ外からコントロールするのは難しい。
プレーヤーたちは文字どおりフラットな立場で、ゴールというひとつの目標に向けて、全員で協力して行動するわけで、競技の仕組み上、どうしても共創的にならざるをえない。
しかも、彼らは個人レベルで独創的なプレーを交えつつも、基本的にはパスをつなぐという有機的な連係をベースとしている。
プレーヤーたちは、まるでメンバー一人ひとりが網で結び目になったかのようにつながり、かかわり合っているのだ。
みんなで協力して問題を解決することができるときとは
■ 「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
危険なのは、ツールそのものを解決策と勘違いし、ツールさえあれば関係者が連携しなくてもうまくいくと思ってしまうことだ。
実際、方法論の多くはそのような考えのもとに発展した。
もともとは人間のために開発された方法から、いつのまにか人間的な要素が取り除かれてしまったのである。
気がつけば、莫大な量のデータや資料を用いる方法論になってしまい、報告書の作成に際限もなく時間を取られることになった。
そんなことに骨を折るぐらいなら、現場の関係者の話を聞き、みんなで協力してクリエイティブな方法で問題を解決することができるはずだ。
人間こそ問題の原因であり、解決の手立てなのだ。
にもかかわらず私たちは、データ入力やフローチャート作成やソフトウェアのインストールやデータ分析や報告書の作成に追われてばかりで、みんなで実際に業務プロセスの問題に取り組む時間を取れずにいる。
結局、意味のある改善活動など行っていないのだ。
資料や報告書や計画自体は、改革プロジェクトの本当の成果物とは言えない。
お互いに協力しあって、結果を生み出していく人々の集まりが組織
■ 「学ぶ意欲を育てる人間関係づくり ― 動機づけの教育心理学」
協働的な人間関係を基盤とした職場風土が形成されるためには、まずは一人ひとりが、管理職も含めた他の同僚と協働的な関係を結ぶことが必要となる。
一人ひとりが協働的な関係を構築できないと感じている場合は、協働的な職場風土は育ちがたい。
さらに、協働的効力感は、職場の雰囲気と対人的なサポートから強く影響を受ける。
協働的効力感の形成には、職場の雰囲気や職場内のサポートの存在が深くかかわっている。
したがって、協働的効力感を育成するためには、個人の力量を高めていくだけではなく、集団や人間関係のあり方について検討する必要がある。
他者に対する思いやり、協力的なかかわり、困っている他者への支援活動などは、対人的な葛藤関係を低減するだけでなく、お互いの信頼関係を構築していく。
このように対人関係の肯定的な側面、つまり協力しあい、支え合う人間関係は、組織や集団においては格段に必要となる。
組織や集団が十分に機能していく条件の一つに、互いの依存関係を上手に活かすことがあげられるだろう。
もしはじめからおわりまで、すべて自分一人でできるならば、われわれは組織や集団をつくる必要はない。
お互いに協力しあって、一つの結果を生み出していく人々の集まりであるから、成員相互の依存関係がきわめて重要になる。
つまり、目標を達成するために、互いに協力する必要があるという意味で、本来的に相互依存的なのである。
多様な人との人間関係から、ちょっとした手助けや悩みに対する具体的な助言なども肯定的な影響をもたらす。
つまり、お互いに助け合うことが、協働的な集団形成を促進する要因となりうる。
数多くの人々が仕事に対して真摯に向き合い、いつでも自分に対する協力を惜しまない心構えでいることが分かっていれば
■ 「AI「最高の瞬間」を引きだす組織開発」
生産的な相互依存関係にとって必要不可欠なこと、それは行動するにあたって他の人々からの支持を得られる環境が存在しているということである。
数多くの人々が仕事に対して真摯に向き合い、いつでも自分に対する協力を惜しまない心構えでいることが分かっていれば、人は安心して何かを始め、仕事を改善し、学びを深めていくことができる。
つまりシステム全体の支持を確保することにより、人々が新しいことにチャレンジする機運を高め、自分自身の潜在力を最大限に高める形での協業を促進することができるのである。
支持のもとで行動できることを確信できる時、人々は本当に意味のある貢献を行うことができるだけでなく、自分でも驚くほどの学びを得ることがある。
信頼と協力し合える組織や助け合える組織との関係とは
■ 「人として正しいことを」
私たちは、信頼が強力な化学物質で脳を満たし、その物質が恐れを減らすことで人と人の絆を強めることを知っている。
また、信頼が確実性のギャップを埋め、真の繁栄の実現を妨げる不安や臆病さを打ち負かすことも知っている。
さらには、信頼が信頼が生み、時間の経過と繰り返しによって深まっていくことも知っているし、信頼が協力や価値観といった上昇スパイラルを刺激することも知っている。
そして、信頼がウェーブを活気づけ、そのウェーブが人と組織の絆を強めることも。
信頼は、信頼を生み出すのに必要なエネルギーと同じだけのエネルギーを生み出し、リスクを負ってでも行動することを可能にする。
つまり信頼は、積極性や推進力をもたらす。
そこには人を鼓舞する力がある。
信頼することは、何かを放棄し、他者に力を譲ることだとも言える。
信頼は相手に力を与えるが、それが美徳であるがゆえに、信頼する側にも力を与える。
信頼がないとき、確実性のギャップはグランドキャニオンのごとく立ちはだかる。
そういうときの私たちは、車のスピードを落とし、より慎重に行動し、友人や仲間の輪を小さくして保守的になる。
だが信頼があれば、すべては逆転する。
私たちは安心し、大胆に行動できる。
互いが信頼で結ばれていれば、誰もがもっとリスクを負ってみようという気になる。
制度自体にも挑み、問題を解決しようと思うようになる。
上司や同僚からの批判を恐れて、小さな箱にとどまったりはしない。
自由に発想し、発明する。
もっと実験し、たとえ失敗しても貴重なことを学んだと自信を深める。
信頼が多くなればなるほど、より大きなリスクを負うことができるのだ。
土台がしっかりしていれば、より多くのイノベーションが芽を出せる。
リスクを負う覚悟があれば、イノベーションは一気に現実味を帯びる。
過去の偉大なイノベーションを思い起こしてほしい。
それでは必ず何らかのリスクを負っていた。
それができたのは、成功できるという信念、旅の途中で誰かが助けてくれるという確信、ゴールに辿り着かなくても罰は受けないという安心感があったからに違いない。
信頼はリスクを負うことを可能にし、それがイノベーションにつながり、進歩を生み出す。
人が人を信頼するのと同様、組織が組織を信頼することもできる。
「組織間の信頼」とは、ひとつの会社が別の会社を「全員で信頼しようとすること」だと言える。
その組織にどんな人がいようと、一人ひとりが一貫した行動をとれば、組織としての信頼を勝ち取ることができるのだ。
どんな組織でも、相手が自分の利益のためにだけ行動していて、双方の関係や利益を顧みていないという疑念が沸くと、信頼は壊れる。
人と人が協力し合うためには、信頼が欠かせない
■ 「ワーク・シフト」
私たちがほかの人や組織やブランドを信頼するのは、その対象が将来に約束を守ってくれると思うからだ。
私たちは、誰を、あるいはなにを信頼するかという決断を日々くだしている。
ほかの人や組織を信頼できれば、私たちは不確実な状態を抜け出せる。
未来になにが起きるかがわからないと、なんの計画も立てられないが、強い信頼をいだければ確かな計画を立てられるし、確かな計画が立てれれば強い信頼をいだける。
信頼は未来を予測することを可能にし、それを通じて人間関係を円滑にし、知識や情報のやり取りを促すのである。
人と人が協力し合うためには、信頼が欠かせない。
この点で、コミュニティや組織にとって信頼はきわめて価値のある資源と言えるだろう。
私たちは概して、ほかの人たちやコミュニティを信頼していれば、他人と関わり合おうとするが、信頼していなければ、あまり他人と関わろうとしない。
信頼が減退すれば、人々はあまり協力し合わなくなり、ものごとを共有しなくなり、他人の行動に関して楽観的な考え方をしなくなる。
人間と人間との関係は、「助け合う」ことで成り立っている
■ 「生活保護リアル」
今日では、失敗すること、敗北することは、自己責任で招いた結果とみなされる。
特に貧困状態に陥ってしまったら、誰に言われなくても「自分の能力のなさが招いた結果」と考えて自責しがちだ。
「能力主義」「自己責任」「自己選択」・・・
どれも、資本主義社会のもとでは、当然であり、好ましいものとみなされている。
「頑張ればなんとかなる」という文化。
裏返せば「なんとからないのは、頑張らなかったからだ」という文化だ。
そして、精神的にも経済的にも追い詰められた人々が、精神を病み、精神科へと流れ込む。
人間と人間との関係は、なんらかの形で「助け合う」ことで成り立っている。
そのように考えることができたら、世界はどれほど豊かに感じられるだろうか?
助け合い、支え合う人間関係が生まれるときとは
■ 「サーバント・リーダーシップ入門」
まず相手のことを考える。
自分が相手にできることを考える。
そしてそれを実行に移す。
お互いがそうした気持ちで接していれば、助け合い、支え合う人間関係が生まれる。
「商いの心」もCSRの考え方も、その大本は「相手を思いやる気持ち」「相手に尽くす精神」であり、本来、日本人が遺伝子として持っているはずのものだ。
今こそ、こうした日本の伝統的な美徳を思い起こすべきではないだろうか。
マネージャーの役割と、協力し合える組織や助け合える組織との関係とは
■ 「マネジメント」
マネージャーの役割は、部分の和よりも大きな全体、すなわち投入した資源の総和よりも大きなものを生み出す生産体を創造することである。
オーケストラの指揮者のように、リーダーの行動、ビジョン、指導力を通じて各メンバーを統合し、創造的なものとして活かすことである。
指揮者が手にしているのは、作曲家の手になる楽譜である。
これに対し組織のマネジメントは、指揮者であると同時に作曲家である。
マネジメントはもともと権力をもたない。
責任を持つだけである。
その責任を果たすために権限を必要とし、現実に権限を持つ。
それ以上のなにものももたない。
組織の優秀さとは、凡人をして非凡な働きをなさしめることにある。
マネジメントのほとんどがあらゆる資源のうち、人が最も活用されず能力も開発されていないことを知っている。
だが、現実には、人のマネジメントに関するアプローチのほとんどが、人を資源としてではなく、問題、雑事、費用として扱っている。
マネジメントとは、人にかかわるものである。
その機能は人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。
人が何かを成し遂げるのは、強みによってのみである。
弱みはいくら強化しても平凡になることさえ疑わしい。
強みに集中し、卓越した成果をあげよ。
最高のオーケストラと、協力し合える組織や助け合える組織との関係とは
■ 「ネクスト・ソサエティ」
偉大なソロを集めたオーケストラが最高のオーケストラではない。
優れたメンバーが最高の演奏をするものが最高のオーケストラである。
オーケストラを参考に、協力し合える組織や助け合える組織について考えてみると気づくこととは
■ 「リーダーの仕事」をオーケストラに例えると?
マネジメントの仕事は、
「第一に、部分の総和よりも大きな全体、すなわち投入した資源の総和よりも大きなものを生みだすことである」
「それは、自らのビジョン、働き、リーダーシップによって、多くの楽器をまとめあげるオーケストラの指揮者に似ている」
「指揮者が手にしているのは、作曲家の手になる楽譜である」
「これに対し組織のマネジメントは、指揮者であると同時に作曲家である」
とドラッカーは述べています。
スペシャリストや多様な働き方が増える今日、オーケストラを参考に、良い組織を支えている仕組みは何かを考えてみることも大切です。
まず、第1に楽譜があることです。
楽曲全体の楽譜のことを総譜(トータルスコア)といいます。
数十人のオーケストラであれば、バイオリン、クラリネット、フルートなどの演奏者はパートというチームになります。
各楽器演奏者は、総譜の中で役割に応じたパート譜(パートスコア)をもとに、指揮者の指揮に合わせて演奏します。
パートリーダーは総譜に調和したパートスコアを指揮者と相談して書き、本番演奏で最高のチーム演奏を披露するために、各演奏者を惹きつけ、やる気を出させ、強みを結集し、楽曲を奏でることで、聴衆に感動を与えることができるのです。
管理職はパートリーダーです。
ドラッカーが言うように管理職は、自ら作曲して指揮を執り、多くの場合、自らも演奏しなければなりません。
オーケストラも含めて組織・事業の良しあしは、聴衆や社会の評価と成果の持続性とを見なければ分かりません。
ドラッカーは、
「企業の健康はマネジメントの責任である」
「組織構造は目的達成のための手段である」
「それ自体が目的ではない」
「構造の健全さは、組織の健康の前提である」
「しかし、それがそのまま組織の健康を意味するわけではない」
「事業の健康を判定する基準は、組織構造の美しさ、明晰さ、完全さではない」
「人のあげる成果である」
とし、人が成果をあげている事業・組織が健康・健全であり、それはマネジメントの責任であるとしています。
ドラッカーは、組織は社会の機関であるとしたうえで、マネジメントは「組織の生存と成果を左右する組織の機関である」とまで述べています。
機関とは原著では、「organ」(器官)です。
私たちの身体にある心臓のような臓器・器官をいうのです。
私たちは、チームの一員として仕事をする時、他のチームメンバーとは、信頼、尊重、共感、協力、モチベーションなどからくる一体感や絆を感じることがあります。
とすれば、人体とマネジメント・組織は似たような構造だとしても不思議ではありません。
マネジメントに当たる部分は、身体を動かす精神(思惟、価値観、心など)を指すのではないかと思います。
健康な心身を持った社員が働く健康な組織は、良い組織の条件といえるのではないでしょうか。
地震の現場で日本の場合、ごく自然に助け合いの精神が湧き起こる
■ 「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」
日本では、地震の現場で略奪は起こらない。
日本の場合、物資が不足し、事情が緊迫したなら、持っている人間がその値段をつり上げるのではなく、ごく自然に助け合いの精神が湧き起こる。
治安もよいので、一歩外を出たからといって、自分にアラームを鳴らし続ける必要もない。
だから、電車の中で安らかに眠っている。
力ずくで他人を騙してでも得しようと考える人間も少ない。
置き忘れたカバンも、もちろん戻ってくる。
日本は、世界の常識からすれば、とても不思議な国なのである。
こういう国が珍しいことは、ちょっと海外へ足を延ばせばすぐにわかる。
日本人は「和」とか「絆」とか言っておきながら、結局支えあったり助け合う気がないんじゃないのかな?
■ 日本人って案外「個人主義」な気がする
よく言われるイメージとして、欧米の人は「個人主義」で、日本人は「集団主義」というものがあります。
でも、最近思ったんです。
案外日本人って「個人主義」かもって。
日本人は「和」とか「絆」とか言っておきながら、結局支えあったり助け合う気がないんじゃないのかなーって。
誰かが急に休むことになっても業務に支障が無いように、なぜなってないのでしょう。
それぞれがそれぞれの仕事を抱え込むのが「和」なんでしょうか?
互いに互いの仕事を助けあうのが「和」ではないでしょうか?
もうひとつ「個人主義」っぽいなと感じるのが、何か結果が悪かった時に「努力が足りない」という結論に偏りがちな空気です。
ただ集まるだけで、情報も共有しないし、交代もしない、ただそれぞれが突っ立ってて、各々のことを勝手に「努力」する。
それってとっても「個人主義的」に私には思えます。
「助け合わない社会」「それぞれがそれぞれのことを解決しないといけない社会」であって、その意味ではとても「個人主義」になりえます。
「チーム」ってのは、「和」ってのは、やっぱり「手を繋ぐこと」なんじゃないでしょうか?
協力して仕事を進めるポジションに配属されたパートナーを信頼・尊敬しない限り、仕事を進めることはできません
■ 日本人は教えることが嫌いな国民!?
たった1回しか来日したことのないイラン人でも、「日本人は保守的である」と言うかもしれません。
政治的な言論が自由である一方で、社会的な言論の自由が限れているように見えるからです。
一方、イランは政治的な言論の自由には欠けていますが、日常生活では批判することにタブーはありません。
職場でも学校でも自分の意見を自由に発言する。
自分が正しいと思うことはあくまでも主張します。
日本のような先輩後輩関係は、軍隊の中でも日本ほどに強くはありません。
では、他人の意見を自由に批判したり、自分の意見を強く主張したりすることに、社会的なメリットはあるのでしょうか。
答えは、ノーです。
協力して仕事を進めるポジションに配属されたパートナーを信頼・尊敬しない限り、仕事を進めることはできません。
組織も形骸化してしまいます。
一方、日本式のやり方にも問題があります。
批判が許されなければ、組織が活性化するわけがありません。
イランと日本の中間が望ましいのかもしれません。
4週間続けてバカンスをとれるドイツと、協力し合える組織や助け合える組織との関係とは
■ 「仕事が残ってても休みます」経済大国ドイツの人の働きかた
ドイツはEU最大の経済大国として発展を続けながら、ドイツ人は休日をしっかりと楽しんでしる。
ドイツでは、連邦休暇法で社員に対して最低24日間の年次有給休暇を義務づけている。
しかし、多くの会社では連邦休暇法より6日多い年間30日に設定している。
ドイツでは、4週間続けてバカンスを取るのは珍しくない。
断っておくが、病欠は有給休暇とは別の休暇である。
病気のときは、病欠を取ればよい。
医師の診断書があれば、最長6週間までは病欠でき、その間は給料も支払われる。
有給休暇は、あくまでも楽しみ・休養のために使うものなのだ。
ひとつの業務を常に2~3人で担当している。
その上で、仕事内容は他の社員にわかるように共有化している。
長期休暇を取るのは当然の権利なので、取引先の担当者が休暇で不在でも、怒ったりはしない。
数週間後まで待つことになっても、休暇だから仕方ない、と考える。
ドイツ人にとっては、早く帰ってプライベートの時間を過ごすことが大切なのである。
だから、同僚と飲みに行くこともない。
アフターファイブは、プライベートだからだ。
一言で言うなら、会社は仕事の場。
仕事を定時に終わらせて、結果を出すのが評価につながる。
逆に言えば、夜遅くまで残るような働き方をしていると、評価が下がる。
また、自分の仕事も明示されているため、ドイツ人は自分の担当以外の仕事は、やらない。
目的を遂行するために、無駄なことはしない。
そう、ドイツ人は合理的なのだ。
仕事を全うするからこそ、休暇もきちんと取りたい。
合理的なドイツが大切にするワークライフバランスなのかもしれない。
メンタリティの異なる日本がそっくり真似すればいいとは思わないが、ドイツを参考にしながら、日本に合ったよりよい働き方を模索できるといいだろう。
もっとも大きな問題は、協力し合える関係がつくられていないこと
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
管理者はつねに数値責任をもっていて、生産性の向上のためのコスト削減やリソース調整に追われている。
その一方で、業務量が増えるにつれて、これをこなすための人の育成が課題になる、というジレンマを抱えている。
彼らは彼らで、管理職の役割として職場の人材育成は大事だと認識しつつも、昔みたいに”かかりきり”で部下の面倒をみるのは物理的に不可能だ。
そんな現実を前にして、「もっと自律的に、一人ひとりが自分で考えて、職場のみんなで協力し合って仕事をしてほしい」と部下たちに望んでいる。
急変する環境への対応を迫られる状況下では、今までのマネジメントや仕事の仕方に限界を感じながらも、立ち止まって再構築している余裕はない。
部下たちが自力でどうにか頑張ってしのいでくれないか・・・。
なす術が見つからない時には、もう人の力に託すほかないのだ。
企業がかつてないほど多様な課題を突きつけられているなかで、いかにショートサイクルで課題をこなして結果を出していくか、その義務感を背負って、たくさんの仕事をさばくことを迫られているのが多くの現場の姿である。
現実の現場は息も絶えだえの状態だ。
彼らの大半は、いつも仕事の山と向かい合い、それを処理することに追われている状態だ。
いくら上司が「提案が少ない」「もっと考えてほしい」と願っても、実際のところ部下のほうにも考えるための時間的・物理的な余裕がないのである。
当然、精神的な余裕もない。
もっとも大きな問題は、上司の側も部下の側も忙しさに追われて「人とつながっていない」ことだろう。
困っても相談する相手がいない。
協力し合える関係がつくられていない。
それぞれが抱えているものを自分一人の頑張りでこなしていくしか術のない、孤立した状態になっている。
組織や職場の人が分断されてバラバラなのである。
知恵の生まれにくい環境をよく理解していないと、「うちの社員はいわれたことしかやらない」「自分で考えて仕事ができない」と外部から人を採って戦力強化をする、「生産性が低い」と管理ツールを導入する、といった矢継ぎ早に繰り出す目先の打ち手が逆効果になってしまうことがある。
そのことが、さらに社員の気持ちを冷え込ませてしまうことにもなりかねない。
だからこそ、現状を違う視点で問い直す必要があるのだ。
今の組織の多くは、「一緒に考える」「一緒に行動する」以前の問題として、お互いが知り合い、関心をもてる状態になっていない。
スケジュールに追われ、会議は増え、あっという間に一日が過ぎて、仕事が残っていても残業規制があるのでさっさと退勤しなければいけない。
そんな状況では、誰かとゆっくり会話を交わすゆとりさえないのかもしれない。
行動も周囲の応援や協力があれば起こしやすいが、誰か協力してくれる人がいるかどうか前もってわかっていないと、初めの一歩がなかなか踏み出せない。
周りにいる人たちが、自分の意見を聞いてくれる、受け止めてくれる、せめて自分を攻撃しないとわかっていなければ、「こうしたい」「やろう」ということすらいい出しにくい。
職場に安心してものがいえる雰囲気があって、メンバー同士が気楽に話をし、一緒に考えようという関係性になっていないと、知恵は引き出されてこないのだ。
さらに、同じような問題にぶつかっているのにお互い知らないとか、似たようなことをあちこちでやっているといった明らかなムダが見えてくることもある。
みんなが自分のことで精一杯、わき目もふらずに作業に没頭して話もしない状況だと、全体どころか周りも見えなくなる。
そのことが結果として、組織の非効率を生んでいるのである。
どんなに優秀な頭脳の持ち主であっても、現状打開のための知恵というのは一人で考えて出て来るものではない。
集団主義とチームワークは同じではないが、「お互いに協力し合いながら事を進める」という点では、結果として似たような作用をする部分がある
■ 「どうやって社員が会社を変えたのか」
日本のチームワーク力が欧米に比べて落ちてきている、と言われるようになって久しい。
確かに、高度成長真っ盛りの時代は集団主義的な日本の特性が強く現れた時代であった。
集団主義とチームワークは同じではないが、「お互いに協力し合いながら事を進める」という点では、結果として似たような作用をする部分があるのも事実だ。
ただ、高度成長時代には当たり前であった「社員の会社に対するロイヤリティ」は、今やあらかた消えてしまっている。
集団主義すら次第に作用しなくなりつつあるのだ。
このことはつまり、「社員相互の判断基準や行動の原則がバラバラだし、目指すものも共有していないから、集団として存在はしていてもチームとして機能しなくなってきている」ことを意味している。
社員は目の前にある仕事をこなし、細分化された仕事をたださばくことに集中するのが普通になってしまう。
こんな状況だと、当たり前だが、企業全体が高コスト体質になり、組織の活力は著しく減退する。
日本企業の抱える生産性、利益率とも、他の先進諸国と比べて著しく低いという重大な事実は、その結果として生じているのだ。
日本企業全体として見ると、低い利益率しか上げられていないという事実のもつ意味は非常に大きい。
そして、この先進国としては最も低い利益率が、社会全体として見れば、人が人として豊かに暮らしていくだけの余裕を奪ってしまっているのである。
この日本企業の抱える余裕のなさが、結果として見れば、長時間労働など社会的弱者にしわ寄せをもたらし、自殺率を高め、日本社会の将来に大きな不安要素を持ち込んでいるのだ。
なぜ、これだけ分社化やアウトソーシングをはじめとする合理化に励み、コスト低減をやり続け、さらには長時間働き続けているにもかかわらず、利益が出にくいのだろうか。
それは、チームワークが働かず、総合力が発揮されにくい環境がいつの間にかできてしまっているからだ。
日本企業のチームワークを悪くしている最大の要因は、社員間の信頼関係もさることながら、経営と社員との間の信頼関係がきわめて希薄になってきていることである。
社員のロイヤリティは、いつの間にか先進国では最も低くなってしまっているのだ。
段取りが決まっていて、お互いに役割分担がはっきりしていれば、協力関係が作りやすく、協調性も発揮しやすい
■ 「職場いじめ ― あなたの上司はなぜキレる」
一般的な言い方をすれば、協調性というのは、定型化した仕事のやり方の中では発揮されやすい。
つまり、段取りが決まっていて、お互いに役割分担がはっきりしていれば、協力関係が作りやすく、協調性も発揮しやすいものとなる。
日本の企業社会は、一種のセレモニー化した規範を確立して協調性を大切にしてきた。
そして、こうした企業内の協調性を土台にした人間関係が集団主義を支えてきた。
しかし、この一見まさに集団主義的で協調的に見える行動も、その基準は実は自分の打算によっている。
一見企業へのロイヤリティを軸にした統一した行動に見えても、その原理となっているのは、その行動が己の打算にかなうかどうかである。
つまり、個人としては嫌であっても、出世や仕事にいい効果をもたらすということで参加してきた。
自分だけが仲間と違う行動を取るのはまずいという判断で、自分を殺して参加していることが多かった。
逆に言えば、拒否が自らの利益につながらない場合や、そうした利益を無視しても参加したくない譲れない哲学がある場合には、拒否することもあるだろうということである。
日本人の多くは、実は自分自身は集団主義的な人間だなどとは思っていないという不思議な現実がある。
むしろ、個人個人に聞けば、「日本的集団主義には辟易していて、何とかそういう呪縛から自由になりたかった」などと語ることが多い。
それどころか、「日本人全体が集団主義である」ことは認めても、「自分は、そうした生き方に仕方なく従っているが、本当は違う」と感じている人のほうが多いのが現実であろう。
今、職場に起きていることは、集団主義の揺らぎに対しては「以前から望んでいなかったことだから」と肯定しつつも、今度は「そうは言っても個人主義的に飛び出した行動をすることが本当に利益なのかどうか」を見定めている状態なのだと言ってもいい。
まさに、職場は今、集団主義から個人主義、そして年功序列から成果主義を典型とする変化を前に、自らがどのように協調性を発揮すればいいのか分からず、立ちすくんでる状態なのだ。
古い価値観の集団主義や協調性というしがらみを捨てようとしながらも、なお、その一方でしがみつくという混乱と矛盾の中にいるのだと言ってもいい。
日本的経営と、協力し合える組織や助け合える組織との関係とは
■ 「新・日本の経営」
日本の会社を特徴づけている経営のあり方は、企業と従業員の関係を中心としており、日本的経営と呼ばれている。
最大の柱は企業と従業員の間の社会契約であり、会社ではたらく人たち全員の経済的な安全を確保するために全員が協力するという約束である。
第二の柱は年功制であり、賃金と昇進の決定にあたって年功が決定的な要因になる。
第三の柱は労働組合が企業内組合という形態をとっていることであり、ひとつの企業の従業員が全員ひとつの組合、経営側と交渉する唯一の労働組合に所属する仕組みである。
欧米では、ひとつの企業で終身にわたってはたらくという概念は奇妙だという印象をもたれ、うまくいくはずがないとの見方が強かった。
昇進と昇給というアメしか使えず、賃金引下げや降格、解雇の脅しというムチを使えないのであれば、部下の動機づけができるはずがないではないかというわけだ。
終身雇用制は特殊だし、うまくいくはずがないとみられていたので、雇用関係にどのような形であれ、少しでも変化がみられると、終身雇用制が終わった証拠だとされた。
日本的経営の中では、協力しなければ自分が損をするのだから、自分から協力することが当たり前だと思えた
■ 「職場は感情で変わる」
そもそも人は何のために組織をつくるのでしょうか。
答えは単純です。
一人ではできないことがあるからです。
大きな石を運ぶのに自分だけの力ではどうにもならない。
だから、人の力を借りて運ぶ。
みんなで一緒に石を運ぶ。
そして家をつくり、農地をつくり、食糧を確保し、分け与え、家族を守る。
これが、人間が生き残るためにとってきた方法です。
だから、他の動物よりも大きな集団をつくり、大きな困難を乗り越えていく知恵と力を結集することができる。
長期的関係がベースにあり、集団主義のもと逸脱行為を許さないかつての日本的経営の中では、人は周囲の意図に反した行動をするとはじかれてしまうのではないかと思い、自分の行動を抑制していました。
協力という行為も、ある意味、そうしなければ自分が損をするのだから、自分から協力することが当たり前だと思えたわけです。
自分から周囲に協力しない人は評価を下げ、給与を下げる。
あるいは、周囲に影響を及ぼすような行為をしたら、組織から出て行ってもらう。
確かにこうしたルールは、誤った行為をさせない、組織の中での不確実性を排除する仕掛けとして、機能します。
しかし、ルールに縛られ、その通り行動しなければならないような集団主義的組織に変えて、そこで働く人たちは幸せになれるのでしょうか。
目標が共有され、職場全体で何か新しい事業や業務を立ち上げようとしている職場では、連帯感、達成意欲が高まっていく。
そういう意味では、連帯感が伴うと、さらにみんなの力が重なり合っていく実感を得られるようになる。
ところが、こうした職場を見ていくと、前向きなんだけれど、何かつらそうに感じるケースも多くあります。
余裕がない。
みんなが必死になって働いている。
自分ががんばらなければという気持ちが強すぎて、みんなが「がんばり」を競い合っている雰囲気になってしまう。
その結果、疲れ果てていく人、もう走れないとつらくなる人が出てきてしまう。
燃え尽き感情が広がり始める。
今まで常識だと思ってきたことが通じない。
それが不信感を生む。
こんな構造に陥っているのが、今の日本企業であり、日本社会です。
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
(パート4)
んでもって・・・
例えばこんな視点からも、念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
ヾ(・◇・)ノ
協力とは?
○ コトバンク
力を合わせて事にあたること。
○ 意味大辞典
目的に向かって心を一つにし、力を合わせて努力すること。
助け合いとは?
○ コトバンク
互いに力を貸し合う。
○ 言葉の違いが分かる読み物
「助け合い」とは、互いに困っているときに手を差し伸べたり、支え合ったりすることを表現する言葉です。
「助け合い」は、相手の立場や状況に応じて援助することであり、対等ではない関係が多いと考えられますが、「協力」は、互いに責任や役割を分担して協調することで、対等な関係が多いと言えるでしょう。
協力し合える組織や助け合える組織に必要なことって何だろう?
(パート5)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
他にも、例えば・・・





などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?






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