
の続きです。(^^)
※上記の記事を読んでいらっしゃらない方は、後から考えると意味不明で頭がウニ状態になること確実だと思いますので、先に読んでやっていただけると嬉しいです
(お願いお願い)
えーと・・・
「ウチの会社では、ノルマが逆効果になっているように感じるんだけど・・・ (;・∀・)」
「ノルマや数値目標の設定が逆効果になっちゃうんじゃー、本末転倒のような気がするんだけど・・・ (; ̄Д ̄) 」
「ウチの会社には、めちゃくちゃきついノルマがあるし・・・ (;゜∇゜) 」
「営業部門だけではなく、間接部門にもノルマが課されているし・・・ (・・、) 」
「営業ノルマ、販売ノルマ、売上ノルマ、製造ノルマ、経費削減ノルマなど、ノルマだらけだし・・・ (o´д`o)=3 」
「しかも、設定されたノルマや数値目標を何とか達成できたと思ったら、さらにさらに厳しいノルマを課されちゃうし・・・ ( TДT) 」
「ノルマを達成できなかったら、人事評価が下がるのは当然って感じだし・・・ (;゚;Д;゚;;) 」
「ウチの会社の場合、ノルマを達成してもさらなる厳しいノルマを設定されて地獄、ノルマを達成できなかったら会議とかでもつるし上げられちゃうから地獄って感じで、どっちも地獄なので、やる気がめっちゃ失せちゃう時があるし・・・ ヽ(;▽;)ノ 」
「だからなのか、ウチの会社では人材定着率が悪くて、優秀な人材からどんどん辞めて行っちゃうし・・・ (|||▽ ) 」
「人材採用を行っても、厳しいノルマのせいでまたすぐに辞めちゃうから、また人手不足に陥っちゃって現場が回らなくなっちゃっているし・・・ 。゚(゚´Д`゚)゚。 」
「ノルマを設定したことによって、人手不足の悪循環に陥っちゃうんだったら、人手不足に陥る原因を自ら作り出しているような気がするんだけど・・・ o( ̄_ ̄|||)o 」
「お客様は神様とかお客様第一主義とかって言っているけど、そもそもノルマを設定している時点で、経営理念で言っていることと実際にやっていることが乖離しているようにも感じちゃうし・・・ (((( ;゜д゜)))) 」
「何のために、ノルマや数値目標を設定する必要があるんだろ~??? (´ε`;) 」
「誰のために、ノルマや数値目標を設定する必要があるんだろ~??? p(´⌒`q) 」
などなど・・・
「三方よしの経営相談」、「組織力の強化や向上」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「中小企業の経営に役立つ情報活用」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
このような切実な声や疑問の声を、従業員の立場の方からお聞きすることもあるんですが・・・
(´・ω・`;)
コレってもしかしたら・・・












などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、引き続き一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
ノルマや数値目標の設定・達成が逆効果になる時って?(パート3)
んーと、もしかしたら・・・




なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんな視点からも考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
顧客を本当に神様だと思うのであれば、まずノルマの制度を廃止すべき
■ 「やっぱり変だよ日本の営業」
おそらく「お客さまは神様です」という事場は誰もが耳にしたことがあるはずです。
しかし、この言葉は、売る側の立場に立って考えても、買う側の立場に立って考えてもおかしいのです。
売る側が顧客を本当に神様だと思うのであれば、まずノルマの制度を廃止すべきです。
神様の意思を無視して、信者が勝手に数字を決めて神様にモノを売りつけることは、神への冒涜そのものです。
顧客を本当に神様だと思うなら、顧客への提案はできなくなります。
しかしながら、世の中はさかんに提案型営業の重要性を謳っているではありませんか。
どうして、そのような矛盾がまかり通るのでしょうか。
現実には顧客が間違った認識や情報を持つケースも多々あります。
それを正してあげて顧客の真の利益を考えさせるのも、営業マンの使命です。
でも、もしも顧客が神様だとしたら、そのような心構えを持てるわけありません。
我々がモノを買うとき、神様の気分を味わいたいでしょうか。
実際に我々が神様ではない以上、わからないこともたくさんあります。
だから、聞きたいことをきちんと教えてくれれば、あとはかまわないで欲しいというのが本音です。
もちろん、ほどよい気遣いはうれしいのですが、過剰な勧誘や押し売りは迷惑になるだけです。
せっかくの休日に、チャイムと電話を無断で鳴らして邪魔をするなど言語道断です。
一度いらないと言ったらその情報を記録に残し、他の営業マンが二重に迷惑をかけないようにして欲しいですし、わざわざ大事な時間を取らせないで欲しいです。
結局のところ、誰も顧客のことを神様だと思っていないのです。
本当は「とにかく顧客を持ち上げて気分をよくさせて、買ってもらえればそれでよいのだ」という一方的な思いを象徴する言葉にすきないのです。
会社が営業マンの良心に反しても商売させようとするなら、そんな会社は辞めて、自分が納得できる商品を作り出している企業に転職すればいいのです。
皆がそうすれば、顧客との関係を本当に大事にしている会社だけが残り、社会はもっと快適になるでしょう。
ノルマと顧客の視点
■ 「小さなサービスで大きく売り上げる売れる仕組み」どんな会社であっても「顧客を無視しろ」などという方針を掲げているようなところはないはずです。
「顧客のニーズに応えろ」とか「顧客を大切にしろ」などと旗じるしとして営業を展開していることでしょう。
ところが、実際の営業の場面で、顧客にどのように接しているかというと、「顧客は大事だ」としながらも、結局のところ、顧客を自社の販売目標を達成するための販売先としてしか考えてしなかったり、顧客を単に売上高を増やす相手であるとしか考えていないという場合が多いのです。
立派な方針を掲げているにもかかわらず、その方針がどのような意味を持っているのかをつかめていないために、顧客の視点に立って顧客の要求に応えられていないのです。
では「顧客」とはいったい誰のことをいうのでしょうか。
どのような顧客に対して、自社のどのような商品を提供する営業を行うのか、つまり顧客対象を明確にしてから販売戦略を考えなければ、ちぐはぐな営業をやってしまうことになりかねません。
「よい商品をつくれば必ず売れるはずだ」と考えていても、「どの顧客層をターゲットにしてどのようにこの商品を売るのか」という視点がなければ、売れるものも売れないということになります。
どの顧客と付き合おうが、どのように取引しようが、ある程度の利益が確保できていた時代なら、どのような顧客であっても幅広く付き合っていたほうがチャンスも多くなっていました。
しかし、そんな時代はとうに終わっていて、取引する顧客を間違えると、売上高は増えても、利益が出ないということになりかねません。
どの顧客とも「平等」に取引して、すべての欲求に応えることなどできません。
コストばかりが増えて、それが利益に結びつかないということになりかねません。
顧客には、たくさん利益をくれる顧客、まったく利益をくれない顧客、利益どころか損失を与えかねない顧客もいます。
ですから、すべての顧客は平等というわけにはいかないのです。
売上第一主義の会社では、顧客を絞り込む判断をする際の基準が自社にないことに気づかなければならないのです。
意図的に顧客を選別し、差別化することが大切になってきます。
成果の定義が曖昧なまま成果主義を振り回せば、ノルマ管理が待っている
■ 「目標管理の教科書」
成果の定義が曖昧なまま、成果主義を振り回せば、ノルマ管理か、はたまた言葉遊びの世界が待っている。
そんないい加減な成果主義と目標管理との強引な結合は、目標管理を人事評価制度のツールに貶めるだけであり、業績向上や働きがいの醸成は望めない。
人事評価に対する信頼感や納得感も薄れてしまうだろう。
なぜ、ノルマ管理が起きるのか。
1つは、経営陣やリーダーの持つ、「働く人々は業績向上の手段である」という割り切った考え方であり、かなりの歪みを持った思想である。
確かに、人間は経営資源の1つであり、業績を挙げるための手段には違いない。
しかし、人間は「掛け替えのない存在」であり、モノ・カネと同列に論じることのできない別格資源である。
そう人間を位置づけて、会社と働く人々の「ともにハッピー」を追求する。
それが会社と働く人々の望ましい関係ではないだろうか。
人間を別格資源と位置づけて「ともにハッピー」を追求するというスタンス固めがないままに、リーダーが修羅場へのひと引っ張りを行えば、それはノルマ管理になってしまう。
ノルマ管理を志向するリーダーたちは、以下のような人間観を持っているのではなかろうか。
「大多数の人間は、本性的に、労働意欲に欠けている」
「成果を挙げるための能力もかなりの程度劣っている」
「成果に対する責任感に至っては、皆無に等しい状態で、放っておけば、確実に怠けてしまう」
「そのような悪しき特性の人間を、仕事に駆り立てるためにどうするか」
「命令とアメとムチを使うに限る。それが一番の方法だ」
リーダーは、心を鬼にすることなく、当然のこどく、いとも簡単にメンバーの修羅場行きを命令する。
そこには「葛藤」が存在しない。
果たしてそれで、メンバーは幸せなのだろうか。
強制されたノルマだと、主体性ややる気が発揮されにくくなってしまう
■ 「学習する組織 -現場に変化のタネをまく-」
組織を変革するためのコンテンツ、つまり目標や制度、仕組みがいくらよくても、それが必ずしも組織に浸透するわけではない。
そのコンテンツを生み出す際のプロセスや、それを展開していくプロセスが重要である。
組織のビジョンやミッションが会社案内や経営計画に載っていても、メンバーは誰も本気にしていない。
絵に描いた餅のように思っている。
そして、戦略的なゴールや目標が一部の人だけで決められてしまい、それらの検討に参画していないメンバーにとっては、指示・命令と受け取られ、強制されたノルマになってしまう。
そうするとメンバーは、「外発的動機付け」である賞罰という誘引によって動くようになり、主体性ややる気といったものが、発揮されにくくなってしまうのだ。
ノルマが、「不正の温床」になる本質的な理由
■ ノルマが、「不正の温床」になる本質的な理由
多くの人がノルマのことを「数値目標」のようなものだと思っているが、そうではなく正確には「個人や工場に割り当てられた労働基準量」を意味する。
つまり、個々の能力や環境を考慮して設定された目標などではなく、組織が達成する全体の目標から逆算して、その構成員らに問答無用で割り当てられる「労役」なのだ。
例えるのなら、「数値目標」は、病気になった友人の手術代をどうにか捻出しようとクラスのなかの有志が呼びかけて募る「カンパ」のようなもので、これに対して「ノルマ」は、ボスから金集めを命じられた不良少年が気の弱い子を脅して、何枚も売りつける「パー券」のようなものだ。
なぜこのような違いがあるのかというと、ノルマという言葉のルーツに関係している。
実はこれは英語でもフランス語でドイツ語でもない。
ロシア語である。
この概念は、旧ソ連の「計画経済」という考え方とともに世界に普及した。
「5カ年計画」なんて言葉があったように、「計画経済」とは読んで字のごとし、長期的な計画をたてて、その計画どおりに経済成長を果たしていくという考え方である。
要するに、ノルマ主義とは計画経済主義なのだ。
が、この素晴らしい「計画経済」が不正の温床になってしまう。
当たり前の話だが、なんでもかんでも計画どおりに進むわけがない。
しかし、計画経済のなかでは個々がノルマを達成するのが大前提なので、そういうミもフタもないことを言ってしまうと、社会や組織が崩壊してしまう。
では、どうするか。
不眠不休で働いてノルマを達成しようとしても、人間がやることなのでどこかで必ず限界が訪れる。
そうなると、追い詰められた人たちの考えることはひとつしかない。
ノルマを達成するために、ありとあらゆるところでちょちょいと「不正」を行うのが平常運転になってしまうのだ。
つまり、ノルマ主義によって、なにをおいても計画どおりに物事を進めるべしと強迫観念のように刷り込まれたことによって、「調整」という名のもとで、改ざんやデータ不正が当たり前になってしまったのである。
いかがだろうか、まさしく今の日本型組織と重ならないだろうか。
「ノルマ」という概念自体は日本に戦前から持ち込まれている。
その象徴が、1939年に制定された「国家総動員法」である。
この法律は日本人独自の斬新な発想などではなく、実はドイツ経由で入ってきたソ連の計画経済をまんまパクったものだ。
生産性をあげるために企業に国民を縛り付けておく終身雇用や、国家のために国民が与えられた労働量をこなす「ノルマ」という、平成の世にまで脈々と受け継がれてきた「日本文化」はこの時期につくられたものなのだ。
これは「大東亜共栄圏」という破たんした計画を突き進んだ日本軍から続く、「ノルマ」と「計画経済」の呪縛にとらわれた日本型組織の「伝統的な失敗パターン」といえる。
いまほとんどの日本人はこの国を「自由主義経済」だと思い込んでいる。
だが、その一方で、「ウチの会社はノルマが厳しい」と旧ソ連の労働者とまったく同じようなスタイルで働いている。
こういう二重人格のような社会の「歪み」こそが、日本社会が生きづらい最大の理由の気がしてならない。
シベリアの強制労働では多くの尊い命が奪われた。
その一方で、過酷なノルマのなかでも、どうにか生き延びた人もいらっしゃる。
その点がいまの日本企業と丸かぶりだ。
ノルマに追いつめられ、「もうだめだ」と脱落したり、不正に走る人もいれば、過酷な環境にフィットして生存競争に勝ち抜き、「ノルマなんかあって当然だ」とうそぶく人もいる。
続発する日本企業の内部崩壊は、戦前から続くソ連型経済の崩壊をあらわしているのではないのか。
ノルマの為に違反を犯すのも、見て見ぬ振りする上司もおかしい
■ 自爆営業の現状
自分の会社では業務の性質上ないけど、妻は郵便局で働いており、やっぱりテレビでやってた通りの宅配サービスを自分宛に申し込んでいます。
以前、郵便局のコンプライアンス教育書を黙って見たけど自爆営業の詳細説明とコンプライアンス違反である事をしっかり解説しています。
コンプライアンス違反と知りながら見て見ぬ振りの風潮が郵便局全体に蔓延してるんですか。
ニュースを見て、それを含めて聞くと
「コンプライアンスなんて所詮口ばかりのただのお飾り」
「どの業界でもやってるのが実情で、法で規制しても評価や解雇などに絡むから無駄」
と言われました。
ノルマの為なら違反でも何でも犯すのもおかしいし、それを見て見ぬ振りする上司もおかしくありませんか。
取り締まったところで従業員がノルマ達成の手段が切られて追い詰められるのは目に見えてるし何か手段はあるのでしょうか。
そして売上向上ややる気に転化したノルマと言うもの自体何とかならないものでしょうか。
自社の商品を社員に買わせてノルマを達成させる「自爆営業」
■ 「自爆営業」の告発
自社の商品を社員に買わせてノルマを達成させる「自爆営業」。
「対前年○%増し」という販売ノルマが設定されているが、実需や景気動向を反映していないので、達成が非常に困難であるという。
にもかかわらず、ノルマ未達成者には反省文を書かせるなどのペナルティがあるため、商品を自分で買い取る「自爆営業」が日常化しているというのだ。
ノルマは総務などの内勤や非正規社員にも及んでおり、金額が大きすぎて給料で賄いきれず、家族や親戚、友人に頼み込む人もいる。
商品が売れないのは現場の社員の責任ではなく、商品の企画、さらにいえば現場に押し付ける「無理なビジネスモデル」が原因。
クビになりたくなければ、自爆するしかない。
自爆したくなければ、辞めるしかないということだ。
ノルマを達成しても、次はさらに高いハードルが課される
■ 「助けてと言えない - いま30代に何が」
「なぜ、ノルマが達成できないのか」
「ここにいる全員に説明しろ、納得できるようにだぞ」
「それができないならやめてしまえ」
異様な空間だった。
威圧的な言葉で、何度も責められ続けた。
次々と罵倒される。
ノルマが達成できたときには、その追及から逃れられる。
しかし、いつもノルマが達成できるわけではない。
次は自分の番だと、いつも心の中で思っていた。
「ノルマを達成できていないと言える雰囲気ではないんです」
「いま、冷静に考えると、そんなノルマなんて達成できる状況にないんです」
「理不尽な言いがかりもいっぱいありました」
「でも、そのときは、自分のやり方が悪いんじゃないかって考えて、もっとほかに売れる方法があるんじゃないかって思って、自分の責任だと思ったんですよね」
「経済的にも不景気で、簡単にものが売れる時代じゃなくなっていたのに」
「一番辛かったのが、責められる人をかばってあげることができないんです」
「かばったら、矛先が自分の方に向いてくるから、自分がいないようなものとして、下を向いて、時間が過ぎるのを待っているしかなかったんです」
たとえ、ノルマを達成しても、それが昇給やボーナスに繋がるわけではなかった。
「やればできるじゃないか」と言われ、次はさらに高いハードルが課される。
ノルマは100%達成が当たり前。
それが達成できければ、罵倒される。
その繰り返しだった。
年々ノルマはあがっていく一方だった。
さらに、同期が減るほど、自分の責任はより重くなっていく。
さらなる成果が求められた。
給料は10年以上、1円もあがることはなかった。
会社からは、不景気だから、こういう時代だから仕方がないと説明された。
受け入れるしかなかった。
「言ったところで、わかってもらえないだろうなって」
「みんな足の引っ張り合いをするような環境のところで、心を開いて話すという発想自体がなかったんです」
結局、誰にも相談できないまま、会社をやめざるを得なくなった。
助けてと言えない人の気持ちに応えることができるのは、一体誰なのか。
そのためには、どうすればいいのか。
絶対にこなすことができないノルマを課し、自己都合退職へ追い込む
■ 「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」
自己都合退職への追い込みは、「辞めろ」とという退職強要によって行われることばかりではない。
むしろ多いのは、直接「辞めろ」とは言わずに「自分から辞めるしかない」状態へと追い込むことである。
絶対にこなすことができないノルマを課し、これができない場合に「能力不足」を執拗に叱責するなどである。
あたかも仕事上の命令や訓練の一環であるかのように偽装しながら、追い込んでいく。
いじめ、嫌がらせ、パワーハラスメントによって、自ら辞めるように仕向けていく。
もちろん、こうしたハラスメント自体は違法行為である。
法的には、命令や訓練の真の目的がハラスメントであれば、当然権利の濫用となるし、もし命令や訓練の目的が本当の営業目的だったとしても、そのやり方が過剰であれば、違法になりえる。
本来、退職勧奨はしつこく行ったり、やり方が暴力的であったりする場合、同意を求める「勧奨」とはみなされずに、退職強要であるとされる。
退職の強要に至った場合には、たとえ「同意」の形式をとったとしても、それは無効であるし、損害賠償の請求も可能だ。
自分のノルマ以外の仕事を手伝うには相当の理由が必要になる
■ 「「すみません」の国 」
欧米に限らず、海外勤務をした人たちがよく言うのは、日本と違って個人主義が徹底している国では、自分のノルマとして決められた仕事はするけれど、それ以上のことはしてくれないから戸惑うということだ。
日本であれば、自分の仕事が終わって手が空いているときに、「ちょっとこの仕事を手伝ってくれないか」と上司から言われれば手伝うだろう。
そうした日本での常識は、どうも多くの国では通用しないらしい。
組織よりも個人を拠り所とする場合は、自分のノルマ以外の仕事を手伝うには相当の理由が必要になる。
多くの場合、手伝うことで本人にとってどんなメリットがあるかが説明され、納得すれば動くようだ。
個人主義の文化的伝統のもと、「雇用契約に則って動くべきである」という心の構えをもっていれば、何の抵抗もないのだろう。
考えてみれば、日本では仕事の境界も曖昧で、どこまでが自分の仕事で、どこからが他の人の仕事かということが明確に区別しがたく、曖昧領域というようなものがあるように思われる。
ノルマを課している仕組みを変えるには
■ 「潰れない生き方」
上司から物理的に過大なノルマを課せられたとします。
最初は、まずこのノルマを課しているしくみが「おかしい」と考え、何とか変えたいと思うはずです。
しくみといっても、結局そのしくみを生み出して運用しているのは人なので、人を変えなければノルマは減りません。
とはいえ、人の考え方を変えるのは容易ではありません。
自分を苦しめる上司やシステムがあったら本気で向き合うことが必要なのですが、これには覚悟を要します。
だからこそ、仲間の後ろ盾が必要です。
ふつうは労働組合を組織して闘います。
これをしないで闘うと、組織の論理で潰される可能性が高いということは知っておく必要があります。
いちばん良くないのは、最初から「どうせ無理」と思って、何もせずに逃げてしまうことです。
人と向き合うことを最初からあきらめてしまうと、やがて行き場が見つからず、自分が潰れることにもなりかねません。
日本では、厳しいノルマや作業を命令されればひたすら従うしかない
■ 「日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?」
日本では「モンスター上司」に当たってしまえばキャリアは閉ざされる。
あるいは、どこに配置されるのかもわからないし、厳しいノルマや作業を命令されれば、ひたすら従うしかない。
会社のなかの人事や命令は「運任せ」である。
ということはつまり、一方的に決められるということで、対等ではない。
だが、労働組合の機能が発揮されると、そうした「運任せ」の仕事遂行ではなくなる。
労働市場で売り買いされたあとも、使用者と対等に「仕事のしかた」を取り決めることができるのだ。
優秀な社員ほど、数値目標を達成するために方策に走ってしまう
■ 「どうする? 日本企業」
「いついつまでに、この数字を達成せよ」と言われたら、優秀な社員ほど逆算を働かせます。
そして数字を積み上げる方策に走ってしまうのです。
期限を切られたら、誰しも結果の読める世界に勝負するに決まっています。
そもそも成長目標を掲げる計画経営の発想には、根本的な無理があります。
企業が価格を決めれば、どれだけ売れるかは市場に委ねるしか道はなく、逆に企業が出荷数量を決めれば、いくらで捌けるかは蓋を開けてみなければわからない。
いまだ日本は「無理やり成長」のツケに苦しんでいるのに、相変わらず「成長戦略」の大合唱でよいのでしょうか。
成長を目標に掲げると、ろくなことになりません。
成長を目標として押しつけた瞬間、善良な社員たちが易きについて、全速力で筋の悪い道を走り始めてしまうのです。
それが、「利益なき成長」につながります。
人口の増大する国で経済成長が実現するのは、不思議でも何でもありません。
近隣に統合する相手もいなければ、移民も受け入れないという日本が欧米の向こうを張って下手に背伸びすれば、破滅への道を歩むだけでしょう。
このままでは企業の組織も社員の生活も、そして国の財政も、疲弊するばかりです。
そろそろ発想を入れ替えるときだと思いませんか。
ノルマや数値目標の設定・達成が逆効果になる時って?(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
で・・・
上記を踏まえた上で、例えばこんなのからも念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
(。・_・。)ノ
ノルマとは?
○ goo辞書
一定時間内に個人や集団に課された標準作業量。
各人に課せられる仕事などの量。
○ Weblio辞書
- 個人や工場に割り当てられた、一定時間内・期間内になすべき生産責任量。第二次大戦後、シベリア抑留者が日本に伝えた語。
- 各人に課せられる仕事などの量。
○ ウィキペディア
ノルマ(ロシア語:Норма、 ラテン文字転写 Norma)とは半強制的に与えられた労働の基準量であり、大抵の場合時間的強制も付加される。
会社の売上を一定以上確保する、特定の日までに一定量を製造・生産する、競合他社との競争に勝つ、などといった目的を達成するために、経営者などが労働者にノルマを課す。
労働者にノルマを達成させる意欲を高めさせるために、労働者に対しノルマ達成の褒美(報奨金、昇進、昇給、海外旅行など高額商品の授与)を用意したり、未達成の場合はペナルティ(解雇、減給、左遷、暴力・暴言など)を与える場合もある。
「ノルマ」は営業のないイメージがある公的機関でも存在する。
公営企業にも当然ノルマがある。
数値目標とは?
○ goo辞書
計画の中で設定した目標を数値で示したもの。
自爆営業とは?
○ ウィキペディア
自爆営業とは、企業の営業活動において、従業員が自己負担で商品を購入し、売上高を上げる行為のこと。
自爆契約、自腹契約とも。
ノルマ達成と各店舗、営業所の販売、営業成績のために行われる。
営業成績のために身銭を切る行為を自爆になぞらえた比喩表現である。
元々は、日本郵便株式会社の組織内で呼ばれるようになった言葉で、電子メールやSNSが普及していなかった郵政省時代や日本郵政公社時代でも、売れない郵便商品の自爆営業は行われ、ノルマの達成を当たり前と思い込む風潮が広まっていたが、郵政民営化以後の利益追求より、一層の営業を求めている。
そのため、職員にお年玉付郵便はがきなどの販売ノルマを割り当ており、その際、販売数未達分については、職員が差額分を自腹で対応し、それが高額となったことと、ノルマ達成に対する手当が出ないことが問題視されるようになった。
郵便局局員は、大量に購入したお年玉付き年賀はがきを、金券ショップに売りに行くのが恒例行事となっていた。
ノルマや数値目標の設定・達成が逆効果になる時って?(パート5)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
他にも、例えば・・・









などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?






コメント