「国際化とグローバル化の意味や違いって何だろ~? ( ̄▽ ̄;) 」
「国際化の意味とグローバル化の意味って、何がどう違うんだろ~? (´ε`;) 」
「国際化もグローバル化も同じ意味だと思うし、国際化もグローバル化の使い方を聞いていても、違いってそんなにないんじゃーないのかな~? ( ̄◇ ̄;) 」
「それとも実は知らないだけで、国際化とグローバル化って全然違う意味なのかな~? (;゜д゜) 」
「そーいやー、国際化って英語ではインターナショナリゼーションって言うし、グローバル化はグローバリゼーションって言うもんな・・・ (´-ω-`) 」
「ってコトは、国際化とグローバル化の意味って、実は違うってことなのかな~? (・_・;) 」
「グローバル人材とは言うけど、国際人材とは言わないような気がするもんなー・・・ (ーー;) 」
「もし言うとすれば、インターナショナルって言葉を使うもんなー・・・ (´・ω・`) 」
「国際化とグローバル化の意味がもし違うのだとしたら、どんなところがどう違うんだろ~?国際化とグローバル化のどっちの方がメリットがあるんだろ~? (;´д`) 」
「国際化とグローバル化の意味がもし違うのなら、国際化とグローバル化の言葉の使い方も違うはずなんだけど、どーして同じような使い方をしているんだろ~? o( ̄_ ̄|||)o 」
「国際化やグローバル化するって、どーゆーことなんだろ~? ( ̄○ ̄;) 」
「何がどーだったら、国際化やグローバル化しているって評価されるんだろ~? (; ̄Д ̄) 」
「日本は、国際化やグローバル化している国って判断していいのかな~? σ( ̄∇ ̄;) 」
「国際化やグローバル化している国 = 先進国で、国際化やグローバル化していない国 = 新興国って考えていいものなのかな~? (* ̄△ ̄) 」
「国際化したりグローバル化したりすることのメリットって何だろ~?国際化したりグローバル化したりすることのデメリットって何だろ~? ( ̄ー ̄?)」
「国際化とかグローバル化とかの言葉って、どっちかってゆーといいイメージなんだけど、だけど実はメリットだけじゃーなくてデメリットもあるような気がするんだけど??? (´Д`lll)」
「特にここ最近、国際化とかグローバル化とかの言葉をよく聞くようになったような気がするんだけど、それってどーしてなんだろ~? ( ̄∧ ̄ ) 」
「それだけ日本がまだ国際化もしていないし、グローバル化もしていないってことなのかな~?だとしたら、国際化とグローバル化のどちらからやった方がいいんだろ~? (|||▽ ) 」
「何のために、国際化やグローバル化をする必要があるんだろ~? ( ´△`;) 」
「誰のために、国際化やグローバル化をする必要があるんだろ~? p(´⌒`q) 」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「自律型人材育成」、「外国人と日本語でコミュニケーション」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
日本語教師の経験や海外赴任の経験があるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・








などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
国際化とグローバル化の意味や違いから気づくことって?
(パート1)
んーと、もしかしたら・・・









なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんなのから、まずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
急速に進むグローバル化や集中化がもたらす社会への危機感
■ 「共創とは何か」
「共創」という言葉を耳にされた事があるだろうか?
この言葉が用いられるようになった背景には、20世紀に人類が怒涛の勢いで築き上げてきた科学技術や産業、経済、政治システムの限界と、現在、急速に進むグローバル化や集中化がもたらす21世紀型社会への危機感が隠されている。
世界が一つのマーケットになりつつある今日において、グローバルスタンダードや大競争の波は、われわれが自分自身のことだけを考えているだけでは生きていけないことを明示する。
そこには、個と個、個と全体との間に様々な対立が現れてきている。
このような対立の解消のために、これまでしばしば用いられてきたお題目として、共存や共生がある。
それに比べて、「共創」には、互いを理解するという意味以上の、共に創るという強いメッセージが含まれている。
そして、この「共創」というキーワードは、もはや単なるお題目ではなく、早急に実現しなければならない課題となっている。
生産、消費の分野でグローバル化が急速に進んできている
■ 「グローバル・マーケティング入門」
今やグローバリゼーション3.0の時代になります。
世界がフラット化し、個人や企業の活動が国境をあまり意識することなくつながっている世界です。
個人が今居る場所を意識することなくく、マスコミを経由してではなく、インターネットを利用することで、自由に各種の情報にアクセスできるようになりました。
またクラウドコンピューティングを活用することで、ユーザーはインターネットに接続する端末とその上で動くブラウザ、インターネット接続環境があれば各種のサービスを安価で楽しむことができるようになりつつあります。
零細企業では難しかったサーバの購入や管理の大半が不要になるのです。
中小企業や新興国であっても創造性があればグローバルに活躍できる手段が整ってきているのです。
グローバリゼーション2.0の時代の国際化は、各国が自国の市場を維持しつつ行為が行われた分野がまだまだ多く存在していました。
しかしグローバリゼーション3.0の時代は、多くの分野で各国の市場が統合されグローバルな市場を考えて競争しなければならなくなってきています。
昔は日本の中で存在した単純な作業が、現在では中国、ベトナムなど人件費の安い国にアウトソーシングされています。
労働市場を日本国内で閉じた形で考えて企業を経営することはできなくなっています。
日本のメーカーの家電品の多くの部品がアジアの工場で作られ、中国の工場で完成品になるというように国際分業ネットワークによりできています。
生産もグローバル化してきています。
生産、消費の分野でグローバル化が急速に進んできているのです。
世界中の人々、企業が参加し、競う時代を迎えたのです。
グローバルな視点を持ったマーケティングの活動は、これから多くの企業にとり重要になるでしょう。
グローバル・マーケティングを展開するということは、国境や地域を越えて、言語や文化、また生活スタイルの異なる市場へ進出するということです。
従って、まずそれら世界の市場や、世界の消費者の購買行動について知ることから、グローバル・マーケティングは始まります。
グローバル化の影響によるグローバルな下層階級が新たに出現する
■ 「ワーク・シフト」
テクノロジーが進化し、グローバル化が進んだおかげで、コンピュータの操作一つで膨大な商品やサービスの質と価格を比較し、自分の好みのものを選んで買うことが当たり前になった。
もっと好ましい商品やサービスを簡単に見つけ、すぐに乗り換えられる。
消費者の行動の変化は、すでに経済のあり方に大きな影響を及ぼしはじめている。
市場で生き残るために、企業は商品やサービスの質をたえず改善し、コストを徹底して削減し、新たな企業買収の機会に抜け目なく目を光らせ、休みなくイノベーションを推し進めて、市場に送り出す商品やサービスを刷新し続けなくてはならなくなった。
その努力をおこたれば、消費者はあっさりほかの企業やブランドに乗り換えてしまう。
このような時代が訪れたことは、働き方の未来に対してきわめて重い意味を持つ。
ビジネスの世界で競争が激化する結果、雇用は新興国など、賃金の安い国にますます流出する。
私たちは、地球の裏側にいる無数の人々と仕事を奪い合うようになるのだ。
そのうえ、グローバル化の影響により、いわゆる勝ち組と負け組の格差が拡大し、グローバルな下層階級が新たに出現する。
しかし、ピンチは常にチャンスと表裏一体の関係にある。
もっと明るいシナリオが実現する可能性もある。
グローバル化がさらに進めば、世界が一体になってイノベーションに取り組んだり、低コストでイノベーションを成し遂げる方法を途上国が先進国に教えたりする時代が到来するかもしれない。
先進国が大倹約時代に突入すれば、大量消費社会に終止符が打たれて、消費より充実した経験を重んじる社会への転換が実現するかもしれない。
エネルギー消費の枯渇と地球温暖化に関する懸念が高まれば、エネルギー消費の少ないライフスタイルに転換し、遠距離通勤をやめて職住接近型の生活を選び、飛行機をあまり利用しなくなれば、それも悪くはない。
つまり、私たちがどういう行動を取れば、どういう未来が訪れるかというシナリオを複数パターン描き出すことは可能だ。
グローバル化がますます進むにしたがって成長をセーブせざるを得なくなる
■ 「学習する組織 -現場に変化のタネをまく-」
今や資源やマーケットは限られ、生き残りゲームになってきた。
やってもやらなくても生活は保障しましょうという原資は存在しない。
年功序列とか終身雇用という形態は、よほど安定的に将来にわたって拡大し続けるマーケットを保持している企業でしか維持できない。
そんな安定したマーケットがどこにあるのだろうか。
日本の企業が人事制度を変えざるを得ないのは、社会環境変化に適応するための必然である。
しかしながら、グローバル化がますます進むにしたがって、資源が枯渇し、環境が悪化し、世界市場そのものが成長をセーブせざるを得なくなると言われている。
その動きはすでに始まっている。
グローバリゼーションによって世界がつながり始めると
■ 「未来の働き方を考えよう」
「グローバリゼーション = 世界がつながること」は、より大きな意味で、私たちの働き方に根本的な影響を与えます。
最初に理解すべきことは、日本では迫り来る脅威として受け止められることの多いこの言葉も、新興国においては、完全にポジティブな言葉だということです。
彼らにとってグローバリゼーションは「明るい未来」とほぼ同義です。
グローバリゼーションによって世界がつながり始めると、他国にはない制度や考え方を、一国内だけで維持することが難しくなります。
貿易の自由化がモノの価格を国際的に平準化したように、制度や考え方も世界で統一(平準化)されていくからです。
たとえば一部の国には、女性が車を運転することや、男女が同じ部屋で働くことを禁ずる国がありますが、グローバリゼーションが進めば、こういったルールを維持することは極めて難しくなるでしょう。
日本にとっても他人事ではありません。
これまで先進国では、同一労働・同一賃金という言葉(論理)を、国内の格差解消につながるポジティブな概念として仕様してきました。
しかしグローバルに見ればこの言葉は、新興国が先進国から雇用を奪うことを正当化する論理です。
国内だけにこの原則を適用するなどという選択肢は、もはや残されていないのです。
世界規模での同一労働・同一賃金という原則は、「給与は仕事の対価である」という考え方に基づいており、今まで日本の組織が維持しようとしてきた年功序列型の賃金秩序と、真っ向からぶつかります。
さらにグローバリゼーションが進めば、仕事が行われる場所も、世界規模で再配置されます。
これまで仕事の再配置が行われたのは、工場での組み立て作業が中心でした。
しかし今後はホワイトカラーの仕事も、先進国から新興国へ移動します。
そうなれば日本の最低賃金も適用されないし、年金や健康保険の企業負担も不要になります。
リーダーシップを発揮する環境がグローバルになれば
■ 「採用基準」
最近よく聞くグローバル人材という言葉。
これを聞くたびに、絶望的な気持ちになります。
日本社会はいまだにリーダーシップの重要性を理解していない、と思えるからです。
グローバル人材とは、「グローバルに活躍できる人材」という意味なのでしょう。
「グローバル人材」と「グローバルリーダー」というふたつの言葉は、その意味するところが決定的に違っています。
そしてその差が、「世界が育てようとしている人材」と「日本社会が必要と考えている人材」の違いを象徴しています。
グローバル人材を欲しがる日本企業は、今の日本におけるリーダーの不在を深刻な問題とは捉えていないように思えます。
彼らが問題だと思っているのは「商品が、日本では売れなくなった」ということだけです。
だから「外国語ができて、海外でも、日本と同じようにモノをつくったり売ったりできるグローバル人材が必要だ」と考えているのでしょう。
あるのは「日本市場が小さくなってきたから、海外へ出よう」という領域の変化に関する問題意識だけです。
本当に今の日本、そして日本企業に必要なのは、「外国語が話せ、海外でも自分たちで開発、営業、マーケティングなど、従来の事業オペレーションを粛々とこなせる人材」なのでしょうか?
日本に足りないのはリーダーシップであると同時に、「リーダーシップに関する、重要性や必要性の認識」です。
そしてそのことを如実に表しているのが、昨今の「グローバル人材」という流行り言葉なのです。
リーダーシップを発揮する環境がグローバルになれば、解決できる問題の範囲も一気に広がります。
加えて、グローバルにリーダーシップを発揮すると、一緒に働く人も多様になります。
自分とは異なる価値観をもつ人から学べることは多く、今まで知らなかった世界が目の前に出現します。
IT化だ、グローバル化だ、国際標準だという議論を待つまでもなく
■ 「まず、ルールを破れ」
IT化だ、グローバル化だ、国際標準だという議論を待つまでもなく、すでに「おれは課長だ」と言って権威を誇示し、「何とかなる」と高をくくっている課長は排斥され、本物のマネージャーでなければ会社組織で生き残れなくなる時代が到達している。
文字どおり本物のマネージャーが求められている。
それはアメリカだろうと、日本だろうと同じだろう。
日本はあらゆる面で「島国」
■ 「新・日本の経営」
日本は地理的な条件、言葉、文化といった点で、そもそも壁ができている。
日本はあらゆる面で「島国」なのであり、大陸国家とは性格が違う。
日本の制度は、いかに優秀な人でも、将来性がある人でも、外国人を探し引きつけるようにはできていない。
企業経営の場ですら、経営幹部を日本に招聘するのは簡単ではない。
そして、日本に長期にわたって滞在し、日本国籍を取得することなど、考えもしないのがふつうのようだ。
日本がぶつかっている問題のうちかなりの部分は、ここに起因している。
日本が世界の中心地からある程度孤立した状況が、今後も長く続くことになろう。
政治・経済のグローバル化が急速に進行している今日
■ 「「上から目線」の構造」
政治・経済のグローバル化が急速に進行している今日、組織の競争力を高めたり、個人の能力開発を強化したりする必要があり、能力主義・成果主義を取り入れないわけにはいかない。
だが、それを前面に出しすぎると、見捨てられたような気がしてやる気をなくすというが、現在の日本にはそうした雰囲気が漂っている気がしてならない。
周りが何でもお膳立てをしてくれるのが当然という文化的風土で暮らしてきたのに、いきなり自己責任で這い上がれと言われても困る。
そんな感じだろうか。
日本の国際化に資する人材と、グローバル化を成功させるための人材
■ 日本で全く育成できていない「真のグローバル人材」とは
グローバル人材論の類には、違和感を持たざるを得ない。
それは、突き詰めると「日本企業の『グローバル化』を成功させるためにどのような人材が必要か」という議論に終始しているからだ。
日本では「グローバル人材」の意味が誤解されている。
それは、従来からの日本の国際化に資する人材と、なにも変わらない人材像が想定されているからである。
日本企業はグローバルな企業間競争からますます淘汰されていく
■ 今なお日本社会に巣くう「同期」という病魔
「同期」あるいは「同期意識」の思想は、日本社会固有の共同体的集団主義を基盤とした「派閥意識」といってもよいだろう。
「同期」という組織上の横並び意識や日本的な集団主義という旧来の経営システムを捨て去らなければ、日本の企業はグローバルな企業間競争からますます淘汰されていくことになるだろう。
欧米の企業の人材採用は新卒一括採用方式ではなく、ポストに空きができた場合に、必要な人材を採用するという能力主義だ。
新卒の大学生といえども、その職務に適合した実力がないと採用されることはない。
この背景には、欧米の企業は日本のように、企業を経営者と社員の運命共同体として捉えていないことがある。
トーナメント方式で実力のある者が勝ち上がっていくシステムなのである。
さらに、欧米の企業で成功した事例をみると、ハイブリッドな価値観(異文化的な価値観)を持った多様な人材を、能力主義という形での「競争原理」で抜擢している。
人事・組織のグローバル化対応
■ 人事・組織のグローバル化対応
日本企業の多くは、「職能型」と呼ばれる人事制度を採用している。
一方、日本以外の国では、「職務型」と言われる人事制度が主流である。
グローバル標準である職務をベースとした人事制度に合わせた方が、合理的・効率的であることは言うまでもない。
職務をベースとした人事制度がグローバル標準になってきた背景には、人種・性別・年齢による差別の撤廃という命題に、客観性・説明性が高い職務型の人事制度が合っていたこともあるが、グローバル化の中で、このような要素はますます重要となろう。
また、日本で主流の「人・能力」をベースとした制度は、曖昧で属人的要素が入りやすく、高度成長や儒教の影響といった背景があった当時の日本にはマッチしたが、それも今や当てはまらない。
実は、企業の成長が鈍化した1990年以降、多くの日本企業の人事制度が、制度疲労を起こしていたにも関わらず、そのまま運用を続けたため、大きなひずみを抱えている。
多くの企業で、社歴が長いというだけで、仕事に見合わない高い等級・報酬となっている社員が、かなりの割合で存在する。
グローバル化という名目で欧米化に媚びるような道は
■ 企業は「ジョブ型正社員」を求めているのか?
日本型雇用はメンバーシップ型だという。
だから、終身雇用だ。
途中でクビになることも、辞めることもない。
家族なのだから。
家族でいることは、ある種の安心や安定ではあるけれど、うっとおしく、ウザいものでもある。
メンバーシップ型であることが、終身雇用を生み、新規学卒就職モデルを作り出した。
そして、そのモデルに軋みが生じている。
だが「ジョブ型にすれば解消する」という意見は安直すぎるのではないか。
日本型雇用のシステムが、現在の社会システムとそぐわなくなった点は多くある。
だからといってジョブ型にすれば解消するというのは、あまりにも思考停止だろう。
日本型雇用とジョブ型雇用の二択ではなく、新しい仕組みを生み出すべきなのではないか。
ジョブ型にすればいい、というのは本末転倒だ。
どうして日本型雇用が日本に根付いたのか。
それがどう変節しているのか。
それを考えて、新しい道を見つけ出すべきだと思うのだ。
グローバル化という名目で欧米化に媚びるような道は、地域的多様さを消し去る。
それが日本を幸せにするとは、とうてい思えないのだ。
世界的な人権規範に照らし合わせると日本の履歴書含む採用過程は差別的
■ 日本の「履歴書」は差別的?
問題は、男女の「採用差別」が、いまだに日本社会に横行しているということだ。
海外に目を転じてみると、日本の動きはまだまだ緩慢だといえそうだ。
例えば、アメリカやカナダ、韓国などでは履歴書で性別や写真、年齢等の個人的属性を問うこと自体が、差別禁止の観点から法的に禁止されている。
また、近年では氏名から個人的属性が類推されることを防ぐため、氏名自体も伏せる「匿名履歴書」の導入さえ進んでいる国もある。
さらに、履歴書だけでなく、履歴書提出後の面接においても同様に、個人的属性を問うことが禁止されている国も多い。
つまり、採用過程(履歴書並びに面接など)では差別につながるため求職者の個人的属性を問うことが徹底的に排除される流れが世界的なスタンダードであり、求職者が「何者であるか」ではなく「何ができるのか」という技能をもとに採用の可否を決めるということが「当たり前」となっているのである。
世界的な人権規範に照らし合わせると、日本の履歴書含む採用過程がいかに差別的であり「遅れたもの」なのかがわかるだろう。
日本では「グローバル化」を名目に、グローバル化とは関係のない人々の賃金が引き下げられている
■ 最低賃金を2倍にすると何が起こるか
日本では「グローバル化」を名目に、グローバル化とは関係のない人々の賃金が引き下げられている。
「グローバル化」という言葉に苦々しい気持ちを覚える人がいるのは、この言葉が、国内の格差拡大に正当性を与える言葉として利用されているからだ。
この言葉を盾にして、グローバル化とは全然関係ない人たちの低所得化が進んでしまった。
また「雇用流動化」を名目にした非正規雇用の拡大は、実際には所得階層の固定化を招いた。
「機械よりも人間を使ったほうが安上がり」という状況が変わらない限り、日本では産業の生産性が向上しないままだろう。
グローバルに活躍している企業の広告には、ある共通点がある
■ グローバルに活躍している企業の広告には、ある共通点がある
日本の企業広告を見ていると、自社商品をアピールするものが多い。
「目先の利益を追いかけなければいけない」といった理由があるのだろうが、本当にそれでいいのか。
グローバルで活躍している企業は、課題を解決するために、何らかの行動をしています。
一方、日本の企業は「CSR」を社会貢献として取り組んでいるケースが多く、欧米における「社会問題の解決に役立つ商品やサービスを作る(時に利益の最大化を犠牲にしてでも)」という概念とは異なります。
もちろん日本の企業すべてがそうではありませんが、海外のグローバル企業に比べて規模・方向性ともに違いがありますね。
本当に必要なモノは何か。
心を豊かにするモノは何か。
将来の発展につながるモノは何か。
自社商品をアピールばかりしても「企業価値」はなかなか感じてもらえません。
グローバルに展開するから「グローバル用に作る」というのではなく、まず企業のアイデンティティという基盤を作ってから、海外に進出することが大切なのではないでしょうか。
グローバル化が進みグローバル社会になることのメリットとデメリット
■ グローバル化とは?グローバル社会とは?
グローバル化が進みグローバル社会になることでこれまでになかった変化が起きるため様々なメリットが生まれてきます。
グローバル化が進みグローバル社会になることのメリット
賃金の安い地域や国に生産工場を移すことで製品を安価に製造することができるようになります。
製品を安価に製造することができるようになれば、それらを購入する消費者も従来よりも安い価格で商品を購入できるといったメリットが生まれます。
また、生産工場が立てられることによって発展途上国にも新たな雇用が生まれます。
雇用が生まれればより多くの方が所得を得ることになるため、その国全体の経済が潤うようになります。
グローバル社会になっていくことで、それまでなかった新たな技術に触れる機会が多くなります。
触れる機会が多くればさらなる技術革新へと繋がる可能性が出てくるだけでなく、その技術を活用した商品やサービスが生まれることとなります。
グローバル化が進む前は国内のみが商圏となることがほとんどでした。
しかしグローバル化が進むことで海外の人や会社にも様々な商品やサービスを提供することが可能となるため、人口だけで言えば約60億人を相手に商圏を広げることが可能となります。
また、国内では成り立たないビジネスや国内では飽和状態にあるビジネスも海外では成立する可能性が出てくるためビジネスチャンスも増えてる可能性がでてきます。
グローバル化が進みグローバル社会になることのデメリット
グローバル化が進むことで様々なメリットが生まれます。
しかしグローバル化が進むことが必ずしも良い面だけを持つわけでなく、グローバル社会になることで様々な問題も発生してきます。
グローバル化によって価格の安い商品が世に出回るようになります。
そして安い商品が出回れば、企業ごとの価格競争も激化しさらに安い商品が出てくるようになります。
そうなることで商品やサービスを購入する消費者側はより安い商品を購入することができるようになりますが、販売する企業は利益を圧迫されることになるため経営が悪化する恐れがあります。
商品やサービスの価格が下がり企業の利益が圧迫されることになれば、最終的には消費者=労働者の給与に反映されます。
最初はボーナスのカットや福利厚生の廃止などがはじまり、場合によっては基本給などのベースダウンなどが起きる可能性も出てきます。
さらに進めば倒産する会社も増えてきます。
会社が倒産すれば当然その会社で働いていた従業員は職を失うことになります。
また、1つの企業が倒産することによって仕入れや販売をしていた取引先の会社も倒産する可能性が出てくるため、そういった悪影響が連鎖してしまえばさらなる失業者が増えてると言った問題が発生してきます。
さらには倒産せずとも雇用を行わない企業も出てくるため、仕事をしたくても見つからない方も増えてきますので、失業率の増加といった問題になる可能性がおおいにあります。
海外に生産工場などが移るようになれば、そういった国内の産業が空洞化してしまう可能性が出てきます。
産業が空洞化することでその産業は衰退し必然的に競争力が低下してしまうなどの問題が発生します。
グローバル化によって外国人に仕事を奪われる方が増えてくると国内はもちろん世界的に見た場合でも貧富の格差が拡大するなどの問題も発生します。
失業者が増えれば治安が悪化と言った問題にも直面してきます。
治安が悪くなればそこに住む人達の暮らしが脅かされてしまいます。
生産工場などを海外に移すことで独自の技術が海外に流出することになってきます。
国や会社の技術が流出すれば、海外で同様またはそれ以上の製品などを独自に作ることが可能となりかねません。
また、グローバル化によって海外とのやり取りが当たり前のように行われるようになれば、よりよい労働環境を求め国内の優秀な人材が海外の企業へ就職してしまう可能性もでてきます。
デジタルデバイドが広がると、DXの推進やグローバル化が遅れてしまう
■ デジタルデバイド(情報格差)解消のための具体的な取り組み・対策
デジタルデバイドが広がると、DXの推進やグローバル化が遅れてしまうリスクがあります。
デジタル技術が欠如していたり不十分だったりすると、DX推進は思うようにいきません。
DXへの対応ができている企業が少なければ日本社会が停滞し、グローバル化も遅れてしまうでしょう。
デジタルデバイドが起きると、比例してセキュリティリスクが高まる危険性があります。
デジタルデバイドによりリテラシーが欠如していると、詐欺メールやフェイクニュースなどに引っかかりやすくなります。
個人情報が容易に流出し、悪用されてしまう可能性が上がるので、セキュリティリスクも高まるのです。
「グローバル化」と「国際化」を区別すべきだ
■ 「グローバル化」と「国際化」の区別を
「グローバル化」と「国際化」を区別すべきだ。
「グローバル化」とは「国境の垣根をできる限り引き下げ、ヒト、モノ、カネの流れを活発化させる現象、およびそうすべきだという考え方」である。
他方、「国際化」は「国境や国籍は維持したままで、各国の伝統や文化、制度を尊重し、互いの相違を認めつつ、積極的に交流していく現象、およびそうすべきだという考え方」だといえる。
両者の区別をしないと、日本の針路を誤った方向に導いてしまうおそれがある。
大多数の日本人は、外国や外国人との交流が大切だと思っている。
このとき多くの人々が望んでいるのは実は「国際化」型の交流である。
だが、財界や政府が力を入れてきたのは「グローバル化」型の推進である。
残念ながら現在、「グローバル化」と「国際化」の概念はほとんど区別されずに使われている。
グローバル化推進策を批判するのは、現状では非常に難しい。
グローバル化を批判すれば変わり者だとみられ、ときには「孤立主義者」「排外主義者」「極右」のレッテルを貼られてしまう恐れもある。
そのため批判が手控えられ、実は大多数の人が望んでいなかった未来が到来してしまう恐れがある。
「グローバル化」と「国際化」を概念的に区別し、「グローバル化」には批判的だが「国際化」には賛成だと言いうる余地を作る必要がある。
グローバル化に対する風当たりが強まっている
■ 反グローバル化にどう対抗するか
グローバル化に対する風当たりが強まっている。
自由貿易や移民の受け入れに反対する政党や政治家が台頭し、生活に不満を抱く人々の間で一定の支持を受けるようになった。
このうねりを放置するのは危険である。
保護主義的な政策や人の移動を不当に抑える動きにつながれば、世界経済を下押しし、人々の暮らしをかえって悪化させかねない。
反グローバル主義の台頭にどう効果的に対抗していくか真剣に考えるときだ。
対応すべきポイントは3つある。
ひとつは、グローバルなモノ・サービスや人の動きを安易に押さえ込めばむしろ人々の暮らしに悪影響が出る恐れがある点を、主流派の政治家や経済界のリーダーらがはっきりと主張することだ。
自由貿易によって、人々は食料品や衣服などを安く手に入れることができる。
競争力のある製品やサービスの輸出拡大で雇用を増やすこともできる。
移民もうまく社会に溶け込めれば経済や社会に活力をもたらす。
自国の市場を高関税などで閉じれば相手方も同様の動きに出るのは必至である。
その結末は、1930年代の関税引き上げ競争や経済ブロック化による世界恐慌の深刻化に見られたように明らかだ。
だが、こうした点を理解しているはずの政治家の姿勢が揺らいでいる。
ふたつ目は、各国政府が経済の成長力を高め、雇用や所得環境を改善する政策に全力をあげることだ。
対応策は国によって異なろうが、需要創出につながるインフラ投資や労働市場改革などで経済が長期停滞に陥るのを防がなければならない。
そのうえで、グローバル競争や技術革新が加速する時代にあった安全網を整備することが重要だ。
苦境にある人をどう支えるかが、みっつ目のポイントである。
まず、失業した人が新たな技能を身につけて再就職するための職業訓練への支援を拡充すべきだ。
勤労意欲を阻害しない低所得者支援策も重要だ。
米欧では勤労者を対象とした給付付き税額控除制度を導入する国が増えたが、その強化は一つの方法だ。
グローバル化への不信感を減らすために、各国が協調して対処しなければならないこともある。
課税回避への取り組みや、国際的な資金移動に伴う市場の混乱を防ぐ仕組みづくりなどだ。
日本は欧米に比べると反グローバル化志向の政治的潮流はまだ強くないが、同様な動きが広がる懸念はある。
対処方法は欧米の場合と共通する。
海外とのつながりを減らせば日本は活力を失う。
グローバル化が進む中でどう変わればよいのか分からない日本人の心情
■ 日本人はなぜリスクを回避したがるのか
日本人はどんな場合でも他人から非難される可能性があることを避けようとする傾向が高い。
グローバル化が進む中でどう変わればよいのか分からず、いらだちばかりが募る日本人の心情は、世界価値観調査によく表れている。
つまり、置かれた状況に対して不安や怒りは強いものの、自らが変えていこうとする意識は低い。
自分の意見を発信して周りの人たちを変えようとする人は少ないと言われている。
ただし、状況が明確であれば(自由になんでもやっていいのだと分かれば)、米国人と同様に自己主張をする。
日本人のリスク回避志向は心の問題として扱うのではなく、リスクを積極的に取ろうとする人たちが利益を得られるような社会の仕組みを構築することが不可欠である。
グローバル化によって広がる企業のサプライチェーン
■ 「人権デューデリジェンス」とは?企業に求められる人権リスクの管理手法
グローバル化によって、企業のサプライチェーンは世界中に広がってきています。
人権DDではその全ての範囲、全ての過程において、人権侵害のリスクをきちんと管理することが求められます。
人権侵害の例としては、
などがあります。
自社の都合で取引内容を一方的に変更したことで、取引先の従業員の長時間労働を誘発した場合。
住民を脅迫して立ち退きを迫る企業に金銭を貸し付けた場合。
これらも企業の人権に対する責任が問われることになります。
グローバリゼーションの進展と人権に関して企業の責任を問う背景
■ 外国人実習生の「人権侵害」
人権に関して企業の責任を問う背景には、グローバリゼーションが進展する中で、国家の枠組みを超えて生産活動を行うグローバル企業が増え、個別の国家だけでは労働者の人権侵害に対応できないという実情がある。
サプライチェーンの中で起きた人権侵害については、下請に委託をしている企業も責任を負うと言うことが、もはや国際的には「常識」なのである。
この人権に対する新しい常識は、これまで多くの大企業が下請企業の「人権侵害」によって利益を上げている事実が何度も告発されることで形作られてきた。
大手企業はがいくら「SDGs」や「人権遵守」を表明しても、そこに製品を供給する企業が児童労働や労働法違反を繰り返しているのは、明らかな矛盾だったからである。
グローバル化におけるアイデンティティの分裂
■ グローバル化におけるアイデンティティの分裂
「あなたは何人ですか?」という質問に対して私は困る。
「あなたは何人ですか?」という質問は私の大嫌いな質問である。
私自身は、ロシア人のステレオタイプに合わせて作られたような見た目をしている。
しかし、日本で生まれ、日本で育っている。
目をつぶって話してみたら本当に「ザ・関西人」。
びっくりするくらい達者な関西弁を使う。
家の中ではもちろんロシア語で、ロシアの文化の中で育ったけれど、公立の幼稚園、小学校を卒業して、日本人の友達と、日本語でコミュニケーションして、日本の文化を吸い取って、外にいる時は(見た目以外)完璧な日本人。
本当にロシアと日本の中間で育ったわけですよ。
日本において、私みたいな人は、ごくマイノリティであるし、そこまで重要な問題でもないかのように思われる。
しかし、グローバル化の産物として、いわゆる「ハーフ」や、帰国子女、日本人ではあるけど、「日本人」ではない人、外国人ではあるけど、本当は「日本人」である人、たくさんの新しいパターンが増えてきている。
国籍だけで、その人のアイデンティティが構築されにくい時代になってきている。
「あなたは何人ですか?」というシンプルな国籍を知ろうとする質問は、答えてしまえば、その人の帰属やアイデンティティにバイアスが欠けてしまう。
「あなたは何人ですか?」
そんなシンプルに答えられる質問ではないと、私は感じる。
グローバル化で自らの生活や思想などに見合った選択をする人
■ 「日本国籍」取得した元米国人の斬新な本音
国籍とは実際のところ極めて複雑な概念で、「国籍(合法的にその国に所属すること)」と「民族性(言語、人種、地理的なつながりなど))」の違いを理解していない人は少なくない。
文化的背景や人種、伝統などはそれに付け加えられるもので、また別の問題だ。
日本人は国籍と民族性をほとんど区別しないとしばしば指摘され、日本人であることは、日本国籍と民族性の両方を持つ人を指すと思われている。
実際のところ今日の世界では、国籍はますます個人のアイデンティティとは関連性が薄くなっているのではないか。
グローバル化や、文化、思想の国際的統合に加え、世界中で人の移動が容易かつ盛んになっていることや、グローバル企業の台頭などによって、個人レベルでも、より自らの生活や思想などに見合った選択をする人が出てきている。
より多くの人が自らの意思で海外に移住し、そこで永住権を得たり、国籍を取得したりし始めているのである。
結局のところ、国籍の意味や意義は、客観的に語れるものではない。
国籍とは極めて個人的なものであり、また、個人の深い問題にかかわるものである。
亡命先で生まれたシリア難民にとっては、新たな国での出発を意味するかもしれないのだ。
国際人権条約を守らずして、「国際化」はとうてい無理
■ 「難民からまなぶ世界と日本」
非正規滞在者および難民申請者を収容する施設が、外国人収容所です。
被収容者のなかには、収容すべきでない人々が含まれています。
なぜ収容されるかというと、入管が入管難民法に違反した外国人すべてを収容する方針をとっているからです。
これを全件収容とよんでいます。
しかも、期限なしの長期収容です。
自殺者が年間1人から2人見られたこともあります。
自殺未遂者は30人から40人です。
たとえ病気になっても、十分な医療は受けられません。
収容所では、医師は常駐しておらず、交代勤務で、診察を希望しても、1ヶ月以上待たされます。
収容所の出来事は、めったに外部にもれません。
しかも強制送還されれば、暴力行為は闇に埋もれてしまいます。
このような密室性は、職員のさらなる暴力を促します。
暴力的な扱いは、強制送還時でも同じです。
難民条約および拷問禁止条約にかかげてあるノン・ルフールマン(非送還)の原則に違反する行為が、今も秘密裏に続けられています。
外国人収容所では、犯罪者のごとく扱われます。
あたかも刑事事件の罰を受けているかのようです。
収容と難民の対応に関して、国際人権機関は改善の勧告を日本政府に与えています。
どの機関も同じ勧告となっています。
これは、日本政府が勧告を無視しているからにほかなりません。
日本政府は国際人権条約を守らない「不法」状態を長く続けています。
入管は「ルールを守って国際化」という標語をかかげています。
入管こそ、国際人権条約のルールを守るべきでしょう。
国際人権条約を守らずして、「国際化」はとうてい無理です。
軽やかなグローバル化の世界に生きている日本人は、すでに数多い
■ 「パラダイス鎖国」
国内に目を転じると、国際競争力の低下という危機がひたひたと迫っているのに、清潔で安全な社会に住み慣れた日本人は海外に対する興味を失っているように見える。
中からも外からも、つながろうとする力が弱まり、日本は孤立しつつあるのではないか?
いまの自分の生活を否定する必要はまったくない。
お国のために何かをしなければならない、と勧めるつもりもない。
ただ、広い世界で多くのつながりを持ち、自分の位置をなるべく正しく認識した上で、自分の生活がもっとよくなると思う方向に、一歩だけ踏み出してみたらどうか。
私は、そんな「ゆるやかな開国」と、「自分のための軽やかなグローバル化」を目指すのがいいと思っている。
日本が豊かな先進国になって、海外への憧れがなくなったのは、効しがたい時代の流れである。
また、日本を代表する企業が新しいグローバル化の公式を見つけられないというのも、時代の流れである。
こうした状況のために企業のインセンティブ・システムが混乱をきたし、「リスクや苦労を負ってでも海外で仕事をしたい」と思う若い人が減っているとしたら、若い人たち自身を責めることはできない。
産業のコスト構造と、産業のコスト構造と、海外事業のビジネスモデルは、ガッツや根性だけで変えられるものではない。
多様な選択肢のひとつとして、英語ができれば、広く情報を集めたり発信したりすることによって選択肢は広がる。
グローバルな足場を持てば、それだけ選択肢が増える。
モーレツ社員でもなく、日本だけに引きこもるのでもなく、軽やかなグローバル化の世界に生きている日本人は、すでに数多い。
日本人全員が英語をできるようになれ、グローバル化せよ、というのではない。
一方で、グローバル化できる下地を十分持っていても、あえて日本の中にとどまる選択をする人もいるだろう。
日本だけにしかない分野を専門にするとか、日本にいることで自分の強みを活かす戦略であれば、それはそれでよい。
これも、多様性のひとつだ。
あるいは、語学がどうしても苦手な人もいる。
どんなに頑張ってもできない人もいるのだ。
それでも、そういう人がほかの方法で世界に出ようと思えば、なんとかなるケースは多い。
ただ、わかっていてとどまることを選ぶことと、知らないままその状態にとどまることとは、意味合いが違う。
「パラダイス鎖国」の一番危険な点は、外部への興味を自らシャットアウトすることで、外の世界の情報と隔絶され、バランス感覚をなくすことだ。
その結果、自信を失って「引きこもり」になったり、極端に国粋主義に走ったりすることがありうる。
グローバル化する世界とはどのような世界なのか
■ 「グローバリズムという病」
ここ数年の間に、最も頻繁に使われた言葉は「グローバル」だろう。
「グローバリズム」
「グローバル人材」
「グローバル戦略」
こんな単語が、毎日のように語られている。
時代はまさにグローバリズム一色というわけだ。
ところが、グローバルな人間とはどうういうものなのか。
グローバル化する世界とはどのような世界なのか。
グローバルに生きるとはどういった生活を意味するのかといった問いに対して、グローバル人材の要を唱える人々は何も答えてくれない。
答えがあったとしても、それは根拠の薄弱な希望であったり、これ以上は間違いようがないほどに、頓珍漢なものだったりする。
たとえば、具体的なグローバルの条件とはTOEFL(英語検定)で何点以上とれるなんていうことであったり、グローバル教育とは小学校の必須科目に英語を入れることになんていう、英語コンプレックスを裏返したようなわかりやすくも悲しい認識がまかり通っている。
あるビジネスマンは、会社におけるグローバル戦略を語り、会社の中でも英語でしゃべり、英語で会議をすると宣言する。
あるものは、「バスに乗り遅れるな」「待ったなしだ」と煽りをいれる。
ところが、彼はグローバリズムとは何かということに関しては、あまり深く考えることもなく、「世界に伍して闘う」ためには、英語が必要であると説く。
「今や、英語ぐらいできないと世界に乗り遅れる」とか、「グローバル化に対応して日本も鎖国的な状況から脱しないといけない」とか、「このままでは、日本は世界に取り残されてしまう」とは言うが、そこに「乗る」ことのメリットとデメリットとは何なのか、そもそもグローバリズムとは何であるのかについての議論はほとんどなされていない。
確かに、世界はグローバル化してきているが、それは何か世界の構造が変わったわけでもない。
大航海の時代の昔から、いやそれ以前から遍歴する商人たちは国境を越えて商売の種を探し求めていた。
ビジネスや情報が国境を跨いで交流するということそれ自体は、自然過程に過ぎない。
それをことさら「グローバル時代」というのは、そこに何か特別の意味を付与したいからだろう。
グローバル化を喧伝すりものが言うように、このグローバル化に乗り遅れた企業は、やがて淘汰されることになるだろうか。
このグローバル化に棹さす政策を進めない国家はやがて没落するのだろうか。
わたしは、これはずいぶん乱暴で怪しい見方だと思っている。
時代の変化は激しいが、その中で流行のように動くものと、時代を跨いで行き続けていく普遍的なものをもう少し丁寧腑分けして考えていく必要があると思う。
「バスに乗り遅れるな」とか、「待ったなしだ」という煽動は、いつの時代にもあった。
後で考えれば、そんな口車に乗せられて、あのときなんであんなことをしたのだろうという経験は誰にでもあるはずである。
世界はずっとグローバル化の方へ向かって進んできた。
今ことさらにグローバリズムだ、グローバル化だと騒ぎ立てることの意味を分析すべきだろう。
主力事業を海外に展開する国際化は経営戦略の有力な選択肢だが
■ 「どうする? 日本企業」
このままでは日本人の数が減っていくことは間違いありません。
このような認識が広まるにつれで、一種のグローバル信仰が急速な広がりを見せています。
「国内の市場は縮む一方だから、事業をグローバルに展開しない限り、日本企業に明日はない」というわけです。
この手の議論に理はあるのでしょうか。
もちろん、主力事業を海外に展開する国際化は経営戦略の有力な選択肢ですから、それを頭から否定するつもりはありません。
問題としているのは、「何のために?」という動機の部分です。
日本は外国企業に門戸を開く一方で、あの手この手を繰り出して自国企業の防衛に努めました。
自らが新興国であったときには外国企業の「侵攻」を見事に阻止して自国企業を守り抜いた国が、次は外国に「侵攻」して成長を続けようと目論むのは、いくら何でも身勝手過ぎると思いませんか。
そもそも、そこまで虫がいい目論見を新興国がすんなり許してくれるのでしょうか。
価格競争はボーダレス化・グローバル化のなかでは成立しない
■ 「経営者の手帳」
元気のない中小企業は、中小企業がやってはいけない競争をやってしまっている。
価格競争は、結果として誰かを苦しめてしまうばかりか、近年の経済社会のボーダレス化・グローバル化のなかではどう考えても成立しない。
中小企業は価格ではなく、商品力、人財力、マーケティング力、社会力、情報力、技術力といった、非価格競争力こそを重視すべきである。
どんなにグローバルな展開をしていても
■ 「本質を見抜く「考え方」」
日本特有の神道の考え方の基本に、「明・浄・正・直」があります。
「明き、清き、正しき、直き心」です。
とくに直き心(素直な心)というのが絶対の価値を持っています。
それはつまり、「素直さ、勇気、慈しみ」の三拍子そろって初めて人間といえる、というわれわれのアイデンティティです。
日本のそういうアイデンティティを持った企業は、どこに本社を置いても、どんなにグローバルな展開をしていても、もちろん外国人をトップに据えていても、それはまぎれもなく「日本の企業」なのです。
グローバル経済における政府と企業の役割
■ 「日本の競争戦略」
日本は競争していける。
日本は伝統を重んじる国であり、安定を尊ぶ国である。
しかし同時に、国家の将来を左右する事態に直面した際には、驚くべき自己変革能力を発揮する国でもある。
過去の転換点においてそうであったように、いったん日本人の心構えが変われば、日本という国は急速に変貌を遂げる潜在能力を備えた国なのである。
今日の危機を乗り越えるために必要とされるものは、政府の政策における抜本的変更は言うまでもなく、日本企業のビジネスに対する考え方、行動における大幅な変革である。
日本に欠けているものは意欲ではなく、ビジョンと方向性である。
今日、日本では、恐怖感からと必要性に迫られた変革が断片的に起こっている。
個々の取り組みは、国際的商習慣を採り入れることや、明らかに支障をきたしている事項に対処することを目的に行われている。
それらは対処療法にすぎない。
いまだに欠けているものは、日本が現在直面している困難の原因を包括的に理解し、日本独自の解決策を打ち出すことである。
今こそ、日本が新しい戦略に取り組むときである。
その戦略は、競争に対する過去のアプローチの長所と限界に対する深い理解に基づくものでなければならない。
また、その戦略を支えるものとして、グローバル経済における政府と企業の役割について新しく、かつ、より洗練された考え方が必要である。
国際化とグローバル化の意味や違いから気づくことって?
(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「国際化やグローバル化の意味がピンと来ていなかったんだけど、国際化やグローバル化の意味って、もしかしたらこーゆーコトなのかも・・・!? w( ̄△ ̄)w 」
「国際化とグローバル化の違いって、もしかしたらこーゆーコトなのかも・・・!? ( ̄З ̄)b 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「こーやって考えてみると、日本って国際化もグローバル化も全然していないような気が・・・!? p(´⌒`q) 」
「そーかなー!?国際化やグローバル化って観点から考えたら、以前に比べると日本も随分と国際化やグローバル化して来ているよーに思うんだけど・・・!? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「何でもかんでも国際化やグローバル化すりゃーいいってものでもないと思うんだけど、あーんな点とかこーんな点とかに関しては、日本も少しは国際化やグローバル化した方がいいようにも思うんだけど・・・!? ( ´△`;) 」
「うーん・・・、あーんなコトとかこーんなコトとかって、日本の独自性ととらえた方がいいのか!?それともガラパゴス化しちゃっているととらえた方がいいんだろーか!? ( ̄∧ ̄ ) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「国際化することやグローバル化することって、メリットだけじゃーなくデメリットもあったんだね・・・ (´ε`;) 」
「誰が何のために国際化やグローバル化しようとしているのか、ちょっぴりわかったような気がしなくもないかも・・・!? (; ̄ェ ̄)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「もしかしたら、国際化とグローバル化を分けて考えた方がいいのかも・・・!? (@ ̄□ ̄@;) 」
「だよなー、国際化とグローバル化って同じだと思っていたんだけど、国際化とグローバル化って実は違う意味みたいだし・・・ (;・∀・)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「日本が国際化するのはいいんだけど、グローバル化するのはちょっと考え物なのかも・・・!? (; ̄Д ̄) 」
「日本はグローバル化した方がいいと自分は思うけど、国際化するってのは違和感があるかも・・・!? σ( ̄∇ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「国際化とグローバル化の意味や違いって、結局のところ何なのさ??? (*`θ´*) 」
「国際化することのメリットやデメリットって何なのさ???グローバル化することのメリットやデメリットって何なのさ??? q( ̄3 ̄)p 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー、もしかしたら・・・

なんかにも、ある意味関係するかもしれないので、上記を踏まえた上で、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
o(*⌒O⌒)b
国際化とは?(インターナショナリゼーションとは?)
○ goo辞書
国際的な規模に広がること。
また、国際的視野をもち、その観点に立って行動すること。
○ コトバンク
国際的なものになること。
世界に通用するようになること。
○ ウィキペディア
国際化は「国際的な視点を持ち、地球規模の行動を起こす」という意味である。
「国境線に基づいた国同士の相互作用」を促すものであり、他国からの影響は受けにくい概念である。
グローバル化とは?(グローバリゼーションとは?)
○ goo辞書
国家などの境界を越えて広がり一体化していくこと。
特に、経済活動やものの考え方などを世界的規模に広げること。
グローバライゼーション。
○ ウィキペディア
グローバリゼーションは「ヒト、モノ、カネが、国や地域を始めとした、あらゆる枠組みから外れて行き来する現象」を意味する。
「グローバリゼーション」という言葉は、さまざまな社会的、文化的、経済的活動において用いられる。
経済や文化などに相互連鎖関係が構築され、間接的な影響を受ける可能性がある。
グローバル化、世界の一体化ともいう。
「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。
「インターナショナリゼーション」は「国家間」で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は「地球規模」で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される。
具体的に言えば、世界地図を見て国境を意識しながら国家間の問題を考えれば、「インターナショナル」な問題を考えていることになる。
対して、地球儀を見ながら地球全体の問題を考えれば「グローバル」な問題を考えていることになる。
すなわち、「グローバリゼーション」の方が「インターナショナリゼーション」よりも範囲は広くなる。
○ コトバンク
グローバリゼーション・グローバライゼーションとは、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大してさまざまな変化を引き起こす現象である。
物事が地球規模に拡大発展すること。
世界化,地球規模化などと訳す。
グローバライゼーション、グローバル化などともいう。
英語の地球globeからの派生語。
なお、グローバリゼーションとは、“相互依存を強化するように”進行する過程である。
グローバリゼーションをとらえる枠組みは確立しておらず、定義、推進要因、時期区分、影響など基本的な点について、見解の一致はない。
むしろ基本的な問いとそれに対する見解の相違を概観することによって、その全貌を推定できる。
今日では、民主主義や市場経済といった諸制度も、世界に伝播して各地域の相違を収斂(しゅうれん)させる効果をもってきた。
なんらかの選挙が行われていることを指標として民主主義をとらえるなら、グローバリゼーションは民主主義を広めてきた。
他方でグローバリゼーションはまた「民主主義の赤字」とよばれる状況や「ポピュリズム」を台頭させてきた。
ある種の課税や規制などを受ける一方で、自分たちの意見が代表されず、反映されていないことが「民主主義の赤字」である。
その不満を吸い上げるかのように単一課題として設定し直すことで支持を得ようというのが「ポピュリズム」である。
グローバリゼーションを推進する強力な要因がある一方で、反グローバリゼーションの要因も強化されつつある。
また、格差や地域的な分断が民主主義を危機に陥れるリスクが、多様な形で現れていることを見逃すことはできない。
○ Weblio辞書
グローバル化とは、政治・経済、文化など、様々な側面において、従来の国家・地域の垣根を越え、地球規模で資本や情報のやり取りが行われること。
社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大してさまざまな変化を引き起こす現象である。
グローバリゼーション・グローバライゼーション、世界の一体化ともいう。
グローバル化により、経済的には、国内市場と海外市場の境目がなくなる、労働力も海外から調達できる、などの変化が顕著になる。
人の行き来が盛んになることで、疫病の流行も世界規模になること(パンデミック)が少なくない。
また、工業生産が大規模になることで、地球環境もグローバル化していると言える。
○ コトバンク
グローバル化とは、文化,経済,政治など人間の諸活動,コミュニケーションが,国や地域などの地理的境界,枠組みを越えて大規模に行なわれるようになり,地球規模で統合,一体化される趨勢。
これまで存在した国家、地域などタテ割りの境界を超え、地球が1つの単位になる変動の趨勢(すうせい)や過程。
グローブ(globe)とは、球体としての地球の意味。
1970年代、地球環境が人類的課題だという意識が生まれたことなどから広く使われるようになった。
グローバリゼーション,地球規模化などともいう。
冷戦期には、東西分断を超える人類的視点をグローバルと呼び、世界平和を志向する用語。
こうして、国家ではなく人類の視点から、環境破壊、戦争、貧困などの地球的問題に取り組む「グローバルに考えて、ローカルに行動する」という標語も広まった。
歴史的に,交通,物流,通信などの技術発展に伴って国際的な活動は活発化し,交流は深化しているが,特にインターネットなど情報通信技術の発展が地球規模でのコミュニケーションを急速に推進した。
国民経済は構造調整が迫られ、広範な倒産や失業が広がった。
これら経済のグローバル化は、実質的には米国の経済的優位に重なることが多い。
その中で、グローバル化は資本の支配の貫徹であり、貧富の差を拡大し、環境と固有文化を破壊するという反グローバリズムの主張が力を増している。
こうして、むしろマイナスの価値を示す言葉としてグローバル化が語られることも多くなり、言葉の二面性が強まっている。
グローバル化に対抗する,反グローバル化と呼ばれる動きも世界各地で生じた。
経済のグローバル化が新自由主義(ネオリベラリズム)に基づく自由競争をもたらし労働者に厳しい労働条件を強いることなどが懸念され,世界貿易機関 WTO会合が開催されたアメリカ,ワシントン州のシアトルでは貿易自由化に反対する大規模なデモが発生,その後も国際会議に際して抗議デモが頻発した。
文化面では,フランスなどにおいて,ファーストフードを伝統的な文化様式に対する脅威とみなす傾向がみられることなどがあげられる。
○ ビジネス知識
「グローバル化」の意味は、“地球規模の流動性を目指すこと”です。
「グローバリゼーション」あるいは「グローバライゼーション」とも呼ばれているもので、グローバルの元になっているグローブ(Glob)という単語は、英語で地球のことを指しています。
したがって「グローバル化」とは、社会的・経済的な関係を地球規模にまで拡大させることを表し、具体的には「ヒト・モノ・カネ」の流れを滞らせる障壁となる国境や規制を取り除き、世界規模で結びつきを深めていくような活動が進んでいくことをいいます。
「グローバル化」は、国家や国境をなくした世界を目指すものであることですが、「国際化」は国同士が国家や国境を前提として連携していくことなのです。
グローバル社会とは?
○ 社会人の教科書
グローバル社会とは定義づけられた言葉ではないため人によって解釈の違う部分がありますが、一般的には国や地域といった垣根を超えて世界的に資本(お金・モノなど)や人材、情報と言ったもののやり取りがされる社会のことを指します。
また、その範囲は経済などだけにとどまらず政治や宗教、文化など様々なもの含めて使われます。
そして、グローバル化とは上記のようなグローバル社会を進めていく動きことを指す言葉になります。
反グローバリズムとは?(反グローバリゼーションとは?)
○ ウィキペディア
反グローバリゼーションまたは反グローバリズムは、グローバリゼーションに反対する主張や運動などを指す呼称。
反グローバリゼーションは必ずしも統一された思想ではなく、グローバル資本主義に反対する様々な社会運動を包括した呼び名である。
○ コトバンク
グローバル化は、一般に、世界的に情報、人やモノ、資本などが容易に、頻繁に移動することを意味する。
一方、反グローバリズムとは、そうした傾向が多国籍企業による発展途上国の搾取や、通貨金融危機の発生、環境破壊を招くとする批判や運動である。
地球規模で市場メカニズムを浸透させる経済のグローバル化は、強者と弱者の格差を拡げ、環境破壊をもたらすので反対する、という考え方と運動。
反グローバリズムの中の地球市民の運動は、グローバル化の全面的拒絶より、国際組織の民主化や特定の政策変更などを目標とし、市民社会の価値観や倫理を訴える役割を担ってきた。
他方この運動には、アメリカ文化・多国籍企業の浸透、グローバル化に埋没する自国エリートなどへの反発や不満など、既存秩序の外に周辺化された人々のポピュリスト的エネルギーのはけ口という側面もある。
極左から極右までが「反グローバリズム」の行動に流れ込み、グローバル化は、左からは社会的格差を広げ、右からは国民国家を掘り崩すとされ、両極から挟撃されている。
グローバリズムとは?
○ goo辞書
国家を超えて、地球全体を一つの共同体とみる考え方。
○ ビジネス知識
日本においては「グローバル化」と混同されがちな言葉として、「グローバリズム」が挙げられます。
「グローバリズム」は「グローバル化」とは別のもので、極端な自由競争を推進する「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」を広げるという目的で使われるようになった言葉です。
○ ウィキペディア
グローバリズムとは、地球全体を一つの共同体と見なして、世界の一体化(グローバリゼーション)を進める思想である。
字義通り訳すと全球主義であるが、通例では、多国籍企業が国境を越えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想などを表す。
関連語として「グローバリゼーション」「グローバル化」があるが、「グローバリゼーション」「グローバル化」は現象を指すのに対して、「グローバリズム」はグローバリゼーションを推進する理念を指す。
グローバリズムは、多国籍企業による市場の寡占もしくは独占固定化に至る確率が高い。
例として、参入に巨額の資金が必要な半導体製造等の業種は、リスクが高く新規参入が困難であることから、多国籍企業による市場寡占・独占固定化の可能性が高くなる。
参入が困難な業種ほど寡占・独占固定化が進むと予測される。
グローバリズムによる相互依存が高まると、原油を初めとする資源価格高騰によって、持てる者である資源国がますます富み、無資源国が高値で資源購入を余儀なくされる状況が深刻化する。
一部の多国籍企業による国際市場の寡占・独占固定化が強まると、資金・資本に乏しい国家からの企業の参入は極端に不利となる。
国内産業が多国籍企業に支配された開発途上国は、先進国から政府開発援助を受けても資金が国内産業に回らずそのまま国外に流出し、低開発国からなかなか離陸できない。
無資源国で有力な産業が少なく、国外市場参入もできない国は世界を一つの市場として共有するメリットは無いため、グローバリズムの市場共有を放棄する可能性も生ずる。
逆に、ソフトウェア産業等のようにわずかの資金で参入でき、1人の人間のアイデアが大きく生かされる業種は、多くの雇用がアウトソーシングの形で先進国から開発途上国に流れており、世界的な産業規模の拡大が続いている。
○ コトバンク
グローバリゼーションが地球規模の相互依存を強化するように進行する社会的過程であるのに対し、グローバリズムはその運動と過程に価値を与えて推進する思潮・イデオロギーをさす。
さらに、グローバリゼーションによって達成される状態をグローバリティとよんで区別できる。
今日、すなわち20世紀末からの第二期グローバリゼーションにおいて、これを推進する支配的なイデオロギーは市場派グローバリストによる新自由主義である。
これは、自由貿易の拡大や市場のグローバルな統合を目ざすものである。
市場派グローバリゼーションに対抗するグローバリズムとしては、次の二つがある。
一つ目は、公正(正義)派グローバリズムであり、分配における正義とグローバルな連帯が目ざされている。
世界経済フォーラムに結集する勢力がその代表である。
別のグローバリゼーションを目ざしているため、これは反グローバリゼーションや反グローバリズムではなく、対抗的なグローバリズムである。
同様に二つ目として、反世俗主義と反消費主義の特徴をもち、グローバルなイスラム共同体を目ざすなどの宗教的グローバリズムも、対抗的グローバリズムである。
これらは、現行の新自由主義的なグローバリズムとは異なる、別のグローバリゼーションを志向するグローバリズムだと考えられる。
他方で、グローバリゼーションによって加速する人の移動や外国の文化的影響を排し、国民国家という枠に回帰しようという志向性をもつ思潮が、反グローバリズムである。反EU(ヨーロッパ連合)や反自由貿易、反移民などを掲げる思潮・イデオロギーや政党などが世界各地に台頭し、急速に勢いを得ている。
これらの思潮は、ポピュリズムとしての性格をあわせもつと説明されることがある。
ボーダーレスとは?
○ コトバンク
境界がない、国境がない、などの意。
境界がないことを意味する語として一般に用いられているが,ボーダーとはもともと国境を意味する言葉である。
社会主義体制の崩壊に伴う政治体制の均一化,ヨーロッパ統合にみられる地域統合化の進展,対外貿易をはじめとするボーダーレス・エコノミーの隆盛などによって,ボーダーレスという語が多用されるようになった。
さらに,このような国家全体の国境の低下とは別に,各テーマごとの相互浸透現象も生じている。
しかし国境というのは国家主権の限界としての大きな役割を受持つものであり,すべての分野において簡単にこの敷居 (国境) が取除かれ,ボーダーレスが進むとみるのは楽観的すぎるといえよう。
○ Weblio辞書
「borderless」とは、文字通り「境界線のない」を意味する英語の形容詞である。
物理的な境界線、例えば国境や地域の境界を指すこともあれば、抽象的な境界線、例えば文化や言語、思想の境界を指すこともある。
具体的な例としては、インターネットが「borderless」であると言える。
国や地域を超えて情報を共有したり、コミュニケーションを取ることが可能であるからだ。
ボーダーレス・エコノミーとは?
○ コトバンク
経済面でしだいに国境がなくなってくる現象を指す。
貿易面での交流の強まり,企業の多国籍化の進展,世界の金融市場の統合などが国境を実質的に無意味なものとしている。
ボーダーレス・エコノミーの下では,経済政策面での国際協調が不可欠なものとなる。
ボーダーレス化が進行すると,税制,企業への法規制,製品規格,基準認証制度などが各国同一化する傾向が現れる。
特に日本は,従来独自の制度・慣行を維持しているので,こうした制度のハーモナイゼーション (調和化) が重要となる。
国際化とグローバル化の意味や違いから気づくことって?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・








などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?




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