「クリティカルシンキングの意味って何だろ~? ( ̄◇ ̄;)」
「クリティカルシンキングの必要性って? ( ゜Д゜) 」
「どんな時にクリティカルシンキング(批判的思考)が必要になるんだろ~? (;´д`) 」
「会社がどんな状況だったらクリティカルシンキング(批判的思考)が必要なんだろ~? (・_・;) 」
「クリティカルシンキングは批判的思考って日本語で言うみたいだけど、どーも違和感があるんだけど・・・ ( ̄▽ ̄;) 」
「批判が悪いことってイメージがあるからなのか、クリティカルシンキング(批判的思考)に関してもあまりいいイメージが持てないんだけど・・・ (´Д`lll)」
「だってさー、クリティカルシンキング(批判的思考)だと、社長や上司を批判するって感じがしちゃうしさー、自分のことは棚上げにして他者に責任転嫁して、ただ批判しているだけで後ろ向きって感じもしちゃうしさー・・・ (; ̄ェ ̄)」
「批判したくなっちゃう時もそりゃーあるっちゃーあるけど、誰かを批判することによって、組織全体がギスギスしちゃいそーだしさー・・・ (ーー;) 」
「クリティカルシンキング(批判的思考)に対してそんな風に感じちゃうのって、そもそもクリティカルシンキング(批判的思考)の批判って言葉の意味を間違えてとらえてしまっているからなのかな~? 。゚(゚^o^゚)゚。」
「ってゆーか、クリティカルシンキング(批判的思考)って本当に必要なのかな~?もし必要だとしたら、クリティカルシンキングって誰に対してどう批判する必要があるんだろ~? p(´⌒`q) 」
「クリティカルシンキングを行うメリットとデメリットって何だろ~? ( ̄∧ ̄ ) 」
「クリティカルシンキングを行うそのメリットとデメリットって、誰にとってのメリットとデメリットなんだろ~? σ( ̄∇ ̄;) 」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「自律型人材育成」、「組織力の強化や向上」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問や違和感って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・





などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
(パート1)
んーと、もしかしたら・・・




なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
クリティカルシンキングについて、例えばこんな視点からまずは考えてみるのはどーでしょう?
( ´ ▽ ` )ノ
クリティカルシンキング(批判的思考)の意味とは?
クリティカルシンキングの辞書的な意味はっつーと、後述しているように・・・
「物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること」
らしいっす。
ただ、コレだけじゃー・・・
「何のこっちゃーさっぱりわからないんだけど・・・??? ヽ(;▽;)ノ 」
「物事や情報を無批判に受け入れないって、どーゆーコトなのさ??? ( ;-`д´-) 」
「多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解することって、どーゆーコトなのさ???主観的に理解するのではなく客観的に理解するってコト??? (・_・?) 」
などなどの疑問が浮かんで来る方もたくさんいらっしゃると思うので、ものすごーくざっくりばっくりカキカキするっすね~。
φ( ̄ー ̄ )
例えばこーんな風に・・・

誰かが主張したこととかなんかについて疑問を一切持つことなく、ついつい鵜呑みにしてしまう時って多かれ少なかれ誰にでもある程度あるんじゃーないでしょーか?
そんな時にこそ、クリティカルシンキング(批判的思考)の必要性があるってコトなんすよね~。
(= ̄ω ̄=)
クリティカルシンキング(批判的思考)は、誰が誰に対して行うものなのか?
んでー・・・
クリティカルシンキング = 批判することととらえられがちってコトもあって・・・
「クリティカルシンキングって、誰が誰に対して批判するものなんだろ~??? (´._.`) 」
「クリティカルシンキングの必要性がいくらあるからと言っても、誰かを批判するのもやっぱりイヤだし、誰かに批判されるのもなーんかイヤなんだけど・・・ (;´゚д゚`) 」
などなどの疑問をお持ちの方もいらっしゃるんじゃーないでしょーか?
んーと・・・
クリティカルシンキングは自問自答が基本
なので、ご安心くらぱいな~っっ♪
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ
クリティカルシンキング(批判的思考)とは言えない例
つまり、クリティカルシンキング(批判的思考)ってのは・・・
例えばこーんな風に、誰かが誰かに対して一方的に批判を行うんじゃーなく・・・

他にも例えばこーんな風に、集団で誰かを叱責して批判するってものでもなければ・・・

はたまた、誰かに対して疑問をぶつけて答えてもらうよう要求するものでもないってコトなんっすよね~。
( ̄▽ ̄;)ゞ

クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「ナルホド・・・、クリティカルシンキング(批判的思考)について、ほんのちょっぴりだけどわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、クリティカルシンキングって、そーゆーコトだったんだ~、批判って、そーゆーコトだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「自問自答が基本だとしたら、クリティカルシンキングによって批判的に考えるって意味もちょっと理解できそーかも・・・!? (*´∀`)-ε」
「それだったら誰にも迷惑をかけないし、クリティカルシンキング(批判的思考)を試しにやってみよーって気持ちにちょっとなれそーかも・・・!? ( ´θ`)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「やっぱクリティカルシンキングの批判的思考って日本語訳が良くないのかも・・・ ( ̄(工) ̄) 」
「とは言えども、クリティカルシンキングを物事や情報を無批判に受け入れないこと云々って日本語訳にすると、長くなり過ぎちゃうしなー・・・ ( ̄‥ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「クリティカルシンキング(批判的思考)は自問自答が基本って言うけど、何をどう自問自答したらいいのさ??? ヽ(`⌒´メ)ノ 」
「どんな疑問を思い浮かべて、クリティカルシンキング(批判的思考)で考えたらいいのさ??? o(`ω´*)o 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
ってなワケで・・・
クリティカルシンキング(批判的思考)について、例えばこんな視点からも考えてみるのはどーでしょう?
(о ̄∇ ̄)/
クリティカルシンキング(批判的思考)ではどのように自問自答すればいいのか?
先述したように、クリティカルシンキングは自問自答が基本なんっすけど・・・

「クリティカルシンキング(批判的思考)をやろーと思ったら、どんな風に何を自問自答すればいいんだろ~? (´ε`;) 」
「どんな風に何を自問自答すればいいのか、全然思いつかないんだけど・・・??? (◎_◎;) 」
などなどの疑問をお持ちの方もいらっしゃると思うので・・・
何を目的にクリティカルシンキング(批判的思考)を行うのかとか、状況とかによっても異なるんだろーけど、例えばこんな風に考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
- その主張って本当に正しいのかな~?
- 何のためにそう主張しているんだろ~?
- 誰のためにそう主張しているんだろ~?
- 何の目的があって、そう主張しているんだろ~?
- その主張は誰にとってのメリットやデメリットなんだろ~?
- その情報や主張はどこから出て来たんだろ~?
- その主張の裏付けとなるエビデンスは?
- その情報の一次情報は?
- そのエビデンスや一次情報は信用できるのかな~?
- そもそも〇〇の言葉の意味って何だろ~?
- そもそも根本的な原因って何だろ~?
- それが唯一絶対の答えなのかな~?
- 他の選択肢はないのかな~?
- もしも自分が消費者の立場だったら、どう考えるんだろ~?
- もしも自分が取引先の立場だったら、どう考えるんだろ~?
- もしも自分が部下の立場だったら、どう考えるんだろ~?
- もしも自分が上司の立場だったら、どう考えるんだろ~?
- もしも自分が管理職の立場だったら、どう考えるんだろ~?
- もしも自分が経営者の立場だったら、どう考えるんだろ~?
・・・とか?
クリティカルシンキング(批判的思考)の流れとは?
えーと・・・
「クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答をやってみた後は、何をどーすればいいんだろ~? ( ̄○ ̄;) 」
「自問自答して終わるだけじゃー単なる自己満足って感じちゃうし、手段の目的化に陥っちゃいそーだし、そもそもクリティカルシンキング(批判的思考)とは言えないような気がしなくもないんだけど・・・??? ( ̄▽ ̄;) 」
などなどの疑問をお持ちの方もいらっしゃると思うので・・・
例えば、こーんなクリティカルシンキング(批判的思考)の流れはどーでしょう?
(o*゜ー゜)o
〇 疑問を持つ
↓
〇 自問自答してみる
↓
〇 エビデンス・1次情報などを見つける
↓
〇 仮説を立ててみる
↓
〇 立てた仮説を分析・検証してみる
↓
〇 分析・検証の結果から、仮説をまた立ててみる
↓
〇 立てた仮説をまた分析・検証してみる
↓
〇 分析・検証の結果から、仮説をまたまた立ててみる
・
・
・
・・・とか?
クリティカルシンキング(批判的思考)のメリットや必要性とは?
んでー・・・
「じぁさー、クリティカルシンキング(批判的思考)の必要性って? ( ̄∧ ̄ ) 」
「どんな時に、クリティカルシンキング(批判的思考)が必要になるんだろ~? p(´⌒`q) 」
「クリティカルシンキング(批判的思考)のメリットってあるのかな~? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
「どんな状況の時に、クリティカルシンキング(批判的思考)のメリットを感じられるんだろ~? ( ´△`;) 」
などなどの疑問をお持ちの方もいらっしゃると思うので・・・
例えばこーんなのなんかをイメージしながら、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答を試しにやってみるのはどーでしょう?
d( ̄  ̄)
- この壺を買えば幸せになれる
- この印鑑を買えば先祖供養になる
- この投資を行えば絶対に儲かる
- これなら絶対に痩せる
- 動物園からライオンが逃げ出した
- お湯でコロナウイルスが死滅する
- お茶や紅茶を飲むと新型コロナウイルス予防に効果がある
- ニンニクを食べると新型コロナウイルス予防に効果がある
- イソジンは新型コロナウイルスに効く
- 太陽光パネルを屋根につけると火災保険に入れない
- 〇年〇月〇日に〇〇で巨大地震が起こる
- トイレットペーパーが品薄になった
- 内部告発者探しは法律上禁止されていない
- 温暖化や水害はメガソーラーのせい
- メロンパンを食べたら死ぬ
- 核武装が最も安上がり
- 日本軍は沖縄の人たちを殺していない
- 飛行機で来るのは難民ではない
- 外国人による犯罪が増加した
- 通訳がいないから外国人の不起訴が多い
- アンティファはテロリスト
- ガザで人は亡くなっていない
- ロシアはウクライナに侵攻していない
クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「んーと、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答、自問自答、自問自答、自問自答っと・・・( ・_・) 」
「あーんなコトとかこーんなコトとかを自問してぇ~、んでー自答してぇ~っ、エビデンスとか1次情報とかも探してぇ~っと・・・ σ( ̄∇ ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「クリティカルシンキング(批判的思考)の意味を知らなかったけど、こーやって考えてみると、今までもクリティカルシンキング(批判的思考)を無意識にやっていたってコトなのかも・・・!? (  ̄ー ̄)ノ 」
「だけど、冷静な時はやっているけど、焦っている時とか感情的になっている時とかは、クリティカルシンキング(批判的思考)をやってなかったかも・・・!? (;・∀・)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「今まで、クリティカルシンキング(批判的思考)がどーのって以前の話だったのかも・・・!? ( ̄∧ ̄ ) 」
「今までロクに考えることなく疑問も持つことなく、そーだそーだ!!とか、うんにゃ!!ぜってぇー違うし!!とかとしか思っていなかったし・・・ (ーー;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「クリティカルシンキング(批判的思考)の意味の一つである物事や情報を無批判に受け入れるのではなくって、こーゆーコトだったのかも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
「クリティカルシンキング(批判的思考)の意味の一つである論理的・客観的に理解することって、こーゆーコトだったのかも・・・!? (´Д`lll)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「デマとかフェイクニュースとか詐欺とかの類を鵜呑みにして騙されてしまわないためにも、クリティカルシンキング(批判的思考)の必要性を感じちゃったかも・・・!? (@ ̄□ ̄@;) 」
「そーなんだよねー、特に災害時とか危機感を煽られた時にはパニくっちゃうから、平常時であればんなバカな!?ありえねぇー!!と思っていたとしても、エビデンスや1次情報を確認することなく信じ込んじゃったり、善意の気持ちで拡散しちゃったりしがちだもんなー・・・ o( ̄_ ̄|||)o 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「本来はクリティカルシンキング(批判的思考)で考えてから判断するものだと思うんだけど、今まで感情優先で判断しちゃっていたかも・・・!? (´ε`;) 」
「好き嫌いとか自分が支持している人の発言なのかそーでないのかとか、権威のある人の発言なのかそーでないのかとかで、今まで判断しちゃっていたのかも・・・!? (;´д`) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答をまず行うことを習慣にしたら、エビデンスや1次情報を確認にすることにもつながるだろーから、思い込みとか偏見とかも少しは減るのかも・・・!? (´・ω・`) 」
「だよなー、ステレオタイプな思い込みとかって、一度思い込んじゃうと、なかなか抜け出せなくなっちゃうから怖いもんなー・・・ (|||▽ ) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
で・・・、もしかしたら・・・




なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
クリティカルシンキング(批判的思考)について、例えばこんな視点からも考えてみるのはどーでしょう?
o(*⌒O⌒)b
会社全体で行うクリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答で気づくことって何だろう?
クリティカルシンキング(批判的思考)ってのは先述したように、あくまでも自問自答が基本なんっすけど・・・
(。・ ・)
クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答を、会社全体で行ってみるってのもアリなんじゃーないでしょーか?
つまり・・・、例えばこーんなイメージで・・・

会社全体をひとりの人間と見立てて、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答をやってみるって意味で。
そーすると・・・
気づくことって何かあるんじゃーないかな~???
( ・ _ ・ )
なーんて感じちゃったりなんかしません?
d(⌒o⌒)b
業界全体で行うクリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答で気づくことって何だろう?
同様に、例えばこーんなイメージで・・・

業界全体をひとりの人間と見立てて、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答をやってみるってのもアリなんじゃーないでしょーか?
そーすると・・・
気づくことって何かあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
o(*⌒―⌒*)o
国全体で行うクリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答で気づくことって何だろう?
他にも例えば、こーんなイメージで・・・

国全体をひとりの人間と見立てて、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答をやってみるってのもアリなんじゃーないでしょーか?
そーすると・・・
気づくことって何かあるんじゃーないかな~???
なーんて感じちゃったりなんかしません?
(* ̄▽ ̄*)
クリティカルシンキング(批判的思考)を行う目的とは?
あ、そうそう。
もしかしたら・・・

なんかにも、ある意味関係するのかもしれないけど・・・
特に、会社全体とか業界全体とか国全体とかをひとりの人間に見立てて、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答をやってみる時は・・・
クリティカルシンキング(批判的思考)を行う目的とか・・・
何のために、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答するのかとか・・・
誰のために、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答するのかとか・・・
について、まずは考えた方がいいんじゃーないかな~???
そーじゃないと・・・
クリティカルシンキング(批判的思考)を行うことそのものが
目的化してしまう恐れがある
んじゃーないかな~???
( ・ _ ・ ;)
なーんて感じちゃったりなんかしません?
o( ̄  ̄*)
クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「何のためにクリティカルシンキング(批判的思考)を行うんだろ~??? (;゜0゜)」
「ウチの会社で、クリティカルシンキング(批判的思考)を行う共通の目的って何だろ~???共通の目的が不明確だとしたら、組織の成立条件ですら満たしていないってコトになっちゃうんじゃー??? ( ̄‥ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「クリティカルシンキング(批判的思考)を行う目的を明確にしないと、クリティカルシンキング(批判的思考)を行うことそのものが目的化しちゃうよなー・・・ ( ̄▽ ̄|||)」
「危うく手段の目的化に陥っちゃうところだったのかも・・・!? 。゚(゚^o^゚)゚。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「そっ・・・、そーいやー、組織力の強化や向上って何のために行うんだろ~???ってか、そもそも組織力の組織力とか組織とかって何だろ~??? o゚p(∴´⌒`∴)q゚o。 」
「強い組織と弱い組織って何がどう違うんだろ~???強い組織か弱い組織かの判断基準って何だろ~??? (´・_・‘)? 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「優秀な人材が見つからないって社内でよく聞くんだけど、そもそも優秀な人材ってどんな人材なんだろ~??? p(´⌒`q) 」
「人材、人財、人在、人罪、人済って言葉を聞いたことがあるんだけど、考えてみたらその判断基準って何だろ~???誰がその基準を決めたんだろ~??? (;´゚д゚`) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「モチベーションの向上って、そーいやー何のために必要なんだろ~??? (ーー゛) 」
「そりゃー、従業員のモチベーションが低いよりは高い方がいいとは思うんだけど、モチベーションの向上がナゼ必要なんだろ~??? ( ´△`;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「人材育成に関して考えてもそーなんだけど、そもそもどーして自律型人材育成を行う必要があるんだろ~??? (*´・ω・) 」
「もっと言うと、自律型人材ってどんな人材なんだろ~???何のために自律型人材が必要なんだろ~??? (・´ω・`)ゞ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「顧客のためとか顧客満足度の向上とかって社内でよく言っているけど、そもそもの話、自社の顧客って誰なんだろ~??? (;-ω-) 」
「よくよく考えてみたら、自社がターゲットとしている顧客が明確じゃなかったら、誰の満足度を向上したらいいのかも不明確になっちゃうよーな気がするんだけど・・・!?ヽ(;▽;)ノ」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってゆーか、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答をやってみよーと思ったら、そもそも会社の全体像を俯瞰できていないと考えられないことも多いのかも・・・!?自問はできても自答ができなくなっちゃうのかも・・・!? w( ̄△ ̄)w 」
「そう思うと、クリティカルシンキング(批判的思考)って全体最適の考え方なんかとも、もしかしたら関係している面もあるのかも・・・!? (´・_・`) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの業界に関して、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答を改めてやってみると、気づかされることって意外とたくさんあるのかも・・・!? ( ̄◇ ̄;) 」
「下請けいじめなんかも関係していそーだけど、この業界ならではの商慣習とか常識とか中抜きが普通になっちゃっていることとか、よくよく考えてみたら疑問に感じちゃうことっていっぱいあるよなー・・・ (* ̄△ ̄) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「国全体に関して、クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答をやってみると、いろんなことに気が付いちゃうかも・・・!? (; ̄Д ̄) 」
「キャッチコピーとかスローガンとかに踊らされないためにも、どんなに遅くても選挙の投票日前に、クリティカルシンキング(批判的思考)で、少しは考えてみた方が後悔しなくていいのかも・・・!? ( ̄・・ ̄)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ううーむ・・・、今まで方法論ばっか探していて、そもそもの話云々的な肝心要のことを考えていなかったのかも・・・!? ∑( ̄[] ̄;) 」
「クリティカルシンキング(批判的思考)による自問自答をやっていなかったら、気づけなかったかも・・・!? σ(^◇^;)。。。」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「クリティカルシンキング(批判的思考)って難しいものだと思っていたけど、実際にやってみると意外とそーでもないのかも~ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー・・・
上記を踏まえた上で例えばこんな視点からも、クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性などについて考えてみるのはどーでしょう?
ヾ(・◇・)ノ
間違いをおかさないためのクリティカルシンキング(批判的思考)とは?
■ 「「集団主義」という錯覚」
日本人が食事をしているところを見て、「ものを食べることが日本人の特質だ」と論じたひとがいたとしよう。
だれもが「ばかげている」と思うだろう。
なぜ「ばかげている」かといえば、日本人以外のひとたちも皆、ものを食べるということは、誰もが知っているからである。
だが、日本人以外のひとたちがどうするか、誰も知らないような事柄についてなら、「ばかげている」とは思わずに、そのまま信じてしまうかもしれない。
上官の命令に従うアメリカの海兵隊員と、教授の注意無視しておしゃべりを続ける日本の大学生を比較して、「アメリカ人のほうが日本人より従順だ」と主張したとしよう。
この主張は正しいと言えるのだろうか?
では、間違いをおかさないためには、どうすればいいのだろう?
グローバリズムについてクリティカルシンキング(批判的思考)で考えてみると気づくこととは?
■ 「グローバリズムという病」
あるビジネスマンは、会社におけるグローバル戦略を語り、会社の中でも英語でしゃべり、英語で会議をすると宣言する。
あるものは、「バスに乗り遅れるな」「待ったなしだ」と煽りをいれる。
ところが、彼はグローバリズムとは何かということに関しては、あまり深く考えることもなく、「世界に伍して闘う」ためには、英語が必要であると説く。
「今や、英語ぐらいできないと世界に乗り遅れる」とか、「グローバル化に対応して日本も鎖国的な状況から脱しないといけない」とか、「このままでは、日本は世界に取り残されてしまう」とは言うが、そこに「乗る」ことのメリットとデメリットとは何なのか、そもそもグローバリズムとは何であるのかについての議論はほとんどなされていない。
グローバルな人間とはどういうものなのか。
グローバル化する世界とはどのような世界なのか。
グローバルに生きるとはどういった生活を意味するのかといった問いに対して、グローバル人材の要を唱える人々は何も答えてくれない。
答えがあったとしても、それは根拠の薄弱な希望であったり、これ以上は間違いようがないほどに、頓珍漢なものだったりする。
たとえば、グローバルの条件とはTOEFL(英語検定)で何点以上とれるなんていうことであったり、グローバル教育とは小学校の必須科目に英語を入れることになんていう、英語コンプレックスを裏返したようなわかりやすくも悲しい認識がまかり通っている。
「なぜ?」「なぜだろう?」「どうして?」と自問することと、クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性との関係とは?
■ 「できない人ほど、データに頼る」
私たちは年齢を重ねると、次第に「どうして?」と尋ねなくなります。
大人になると、物事をそのまま受け入れて疑問を持つことができなくなり、「なぜ?」と質問することが減っていきます。
ビジネスの世界では、「なぜだろう?」という疑問はあまり持ちません。
また、いつどのように、「なぜ?」と自問すればいいのかわかりません。
「なぜ?」と自問する方法は、たくさんあります。
さまざまな顧客視点に立って、質問するのです。
「どのように」ではなく、「なぜ?」と質問することが大切です。
問題点が具体的に浮かび上がり、その答えを解く糸口を見つけられるからです。
「なぜ?」と自問すると変化が生まれ、観察すると「なぜ?」という疑問が湧いてきます。
自分が大切にしていることだから、
「なぜ、そうなんだろう?」
「なぜ、変えられないんだろう?」
と問いかけられるのです。
「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません。
しかし、いまだに多くの企業が「なぜ?」と自問していないのが実情です。
論点を見つけることと、クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性との関係とは?
■ 「論点思考」
まず与えられた問題を疑うことから始めるべきだ。
与えられた問題は正しいとはかぎらない。
与えられた問題をそのまま解いても正解にはつながらない可能性がある。
問いの設定が間違っていれば、その後の戦略の策定・実行をいくら精緻華麗に行なったとしても、もともと方向性が間違っているのだからよい結果につながるはずがない。
重要なのは、なにを論点にするかで打ち手が変わるということだ。
別の言い方をすれば、論点の設定が間違っていると、どんなに立派な打ち手を考えたとしてもなんの役にも立たない。
会社に泥棒が入ったとしよう。
これは会社にとって大きな問題である。
しかしながら、「会社に泥棒が入った」ことは論点ではなく、現象もしくは観察事実である。
経営不振に陥ったレストランをイメージしてほしい。
そのレストランの問題はなにかと尋ねると、多くの場合、以下のような答えが返ってくる。
- 味がまずい
- 客が入っていない
- 価格が高い
- 従業員のサービスが悪い
- 店主の態度が悪い
これらは一見問題のように見えるが、これも単なる現象や観察事実であって論点ではない。
なぜなら店主の態度が悪くても、味やサービスのレベルが高いために流行っている店は多い。
もちろん、価格は高くても流行っている三ツ星レストランもある。
売上不振に陥っている会社の社長が、
「我が社の課題は売上不振だから、この問題をなんとかしよう」
といったとしよう。
経営幹部であるあなたはどんな手を打つだろうか。
例えば売上増のために、価格を下げる、広告をうつ、販売促進策を打ち出す、営業にハッパをかけるなどのアクションを起こす。
これらの対症療法は、一時的なカンフル剤としては効果をあげるかもしれないが、結局長続きしない。
なぜなら、売上不振は現象にすぎない。
売上不振をもたらしている真の原因、すなわち論点は別にある。
論点を見つけるには、
「本当にそれが論点か」
とつねに疑問を持つ。
「これが問題だ」という人の話を聞いて「なるほど」と思ってもそこで思考を止めてはいけない。
「なるほど・・・でも、なぜなのか」と、「なぜ」を繰り返す。
目に見える現象だけをとらえて問題を解決することはできない。
その奥に潜む真の問題、すなわち論点に気づくことが大事なのである。
世の中には、論点をきちんと設定せずに「問題」だと思われているものが多い。
きちんと論点を設定しないうちに問題解決を図ろうとしているから解くことができない。
現場力に関するクリティカルシンキング(批判的思考)による問いとは?
■ 「現場力復権」
- 「現場力強化」を謳いながら、多くの企業はどうしてその取り組みが、一過性的な運動で終わってしまうのだろう?
- 同じ日本人が社長をつとめ、同じ日本人が現場での業務を担いながら、どうして現場力の格差がここまで拡がってしまったのだろう?
- 「現場力が最も大切」と言いながら、どうして過剰な非正社員化を進めたり、過度なアウトソーシングをおこなうなど、現場力を削ぐ動きが続くのだろう?
- 共通の価値観をまとめた「○○ウェイ」や「××イズム」を作成して全社員に配布しても、どうして具体的な行動に結びつかないのだろう?
- 経営トップは「現場重視」の方針を打ち出していながら、どうしてその思いは組織内に浸透しないのだろう?
- 現場力強化を推進する中核であるべきミドル層が、どうして冷めてしまっているのだろう?
- 「見える化」の有効性は皆、理解していながら、その取り組みがどうして定着しないのだろう?
- 現場力強化の取り組みは、どうしてグループ企業や海外の拠点にまで拡がらないのだろう?
--現場力強化の取り組みが「上滑り」していませんか?
権威への妄信とクリティカルシンキング(批判的思考)
■ 「疑う力」
人は情報が少なく、自分で検証が難しい問題について、「権威」の言うことを信じたがります。
人が無条件に信じてしまう「権威」には、「警察官」「医者」「大学教授」「人気タレント」などがあります。
これら「権威」の言うことを、多くの人は無条件に信じます。
ステレオタイプな権威への妄信が、「疑う力」を停止させ、思考停止に陥らせる一つの原因です。
ほかにもステレオタイプな考え方の例として、「東大生 = 真面目」というものや「マスコミ = 権威」というものがあります。
さらに多くの人が思い込みがちなステレオタイプとして、「官僚 = 優秀」があります。
逆に言えば「権威」に対して強くなれば、「疑う力」は向上します。
たとえば国が発表したからといって、正しいとは限らないと考えるなど、つねにそういう思考の癖を身につけておくのです。
クリティカルシンキング(批判的思考)によって、ふと浮かんだ疑問は自分の正直な感覚
■ 「本質を見抜く「考え方」」
ふと浮かんだ疑問は、自分の正直な感覚です。
実感として「こうじゃないのか?」と肌身で感じた疑問は、無理に押さえつけないことが必要です。
「ディベート」の本では、誰も反対できない大義名分をスローガンとして声高に叫んだり、数字や論理を戦術として上手に利用したりせよと教えています。
なかでも強敵なのが、相手が最初から自分の都合のいい結論を持っていて、「先に結論ありき」の論理を組み立てているときです。
あまりに見事な「反論の余地ない議論」は、「先に結論ありき」だったのではないかと疑ってみるほうがいいようです。
一見上等な議論ほど、私たちから考える機会を奪い、間違った方向にミスリードする危うさをはらんでいる場合が多いからです。
つい「なるほど」と思ってしまう数字や、誰が聞いても反対できないようなスローガン、疑うことのできない三段論法などを出してくる人には、とりあえず注意が必要なのです。
「イタリア人は陽気」「高額の商品は高品質」「理系の人は論理的」などについて、クリティカルシンキング(批判的思考)で考えてみると?
■ 「「判断力」を強くする」
脳では省力化のメカニズムが発達しています。
その脳の省力化のメカニズムの一つが「単純化」です。
時間短縮のための単純化とは、脳内処理を一部省略することなので、ときおり、そのこと自体が判断ミスの原因になってしまうこともあります。
「イタリア人は陽気」「高額の商品は高品質」「理系の人は論理的」
一方、イタリア人にも陰気な人、高額でも低品質な商品、理系出身の人でも非論理的な人がいるはずです。
脳のパターン化による単純化が悪さをするケースに限り、私たちはそれを「偏見」と呼んだりします。
野生動物が持っている危険を回避する本能が警戒心です。
もはや野生動物ではない私たちヒトにとっての警戒心とは、「その情報は本当か?」と疑う力です。
商品を実際に使ってみると、あまり自分に合わないことが分かり、いつの間にか押入れの奥にしまいっぱなし・・・ということもあります。
それほど欲しかったわけでも、必要なわけでもないのに、巧みな宣伝に乗せられて、つい衝動買いしてしまうのです。
テレビやチラシを通して受け取った情報(宣伝)を鵜呑みにし、その商品を「すばらしい」と判断して飛びついた結果です。
「見当違いをしていますよ」を英語では、
「You are barking up the wrong tree(間違った木に向かって吠えている)」
と表現することがあります。
たとえば、電車の中で足を踏まれた人が、実際に踏みつけた人とは別人に猛抗議したとします。
そのとき、濡れ衣を着せられた人が発する表現がこれなのです。
つまり、自分の目指す「結果」とは無関係な「原因」を基にしての判断は、勘違い猟犬が的外れな木の下で吠えているようなものなのです。
「疑う力」の不足は、判断ミスを誘います。
Why?(なぜ?)So What?(だから何だ?)を自問自答することと、クリティカルシンキング(批判的思考)の考え方との関係とは?
■ 「論理思考の「壁」を破る」
初めて取り組む課題にぶつかったとき、だれしもすぐに解決方法を考えつくわけではない。
考え込むところから始まるのはすべての人に共通したことだ。
しかしそこからは、いいかげんな答えを出す人、もっともらしい答えを出す人に二分されていく。
この差はどこから出てくるのだろうか。
往々にして、感情で決めたり先入観や慣習に基づいて思考停止に陥ったりすると、答えがいい加減になる。
誤った思考プロセスと判断によって結論を出していることを自覚していない場合も多々ある。
だから答えが怪しいと思った場合は、ひたすら
- Why?(なぜ?)
- So What?(だから何だ?)
を自問自答したり、ほかの人が言っている場合は角が立たないようにWhy?So What?と聞いてみてほしい。
「いいかげん」な答えは客観性に乏しく、Why?とSo What?の繰り返しに弱い。
一方で、確かな答えはWhy?とSo What?に強い。
「論理的に考える」ということは、目の前にある情報・ファクトの材料から、客観的に確からしい仮説を立て、それを確認していくという、一連のプロセスを何回も重ねることである。
そして、正しい論理でつながっているストーリーができあがるのだ。
一連の「なぜ」に対する問いと答えと、クリティカルシンキング(批判的思考)における問いと答えとの関係とは?
■ 「ストーリーとしての競争戦略」
コンセプトは顧客に対する提供価値の本質をひと言で凝縮的に表現した言葉です。
それを耳にすると、われわれは本当のところ誰に何を売っているのか、どのような顧客がなぜどういうふうに喜ぶのか、要するにわれわれは何のために事業をしているのか、こうしたイメージが鮮明に浮かび上がってくる言葉でなくてはなりません。
コンセプトを動画で構想するというと、多くの人が「どのように」という方法論に傾きがちです。
コンセプトから「誰に」と「何を」が抜け落ちて、「どのように」ばかりが前面に出て来ると、コンセプト不全に陥るのが常です。
たとえば、「顧客の囲い込み」とか「サービスの個別化」「顧客の組織化による継続的課金」、こうしたよくあるアイデアはいずれも「どのように」を問題にしています。
それ自体は悪いことではないのですが、この種の方法論が先行したコンセプトは、結局のところ顧客への提供価値よりも自分たちがどのように儲けるのかという手前勝手な妄想に終始してしまうことが少なくありません。
顧客を組織化して囲い込むにしても、それに先行して「誰に」と「何を」を突き詰めなければコンセプトは動画にならないのです。
そこまでの価値を認める顧客は誰か、なぜ彼らを囲い込めるのか、なぜ彼らが継続的にお金を払うのか、サービスを個別化することによって顧客に提供できる独自の価値とは具体的に何か。
コンセプトはこうした一連の「なぜ」に対する答えを含んでいなければなりません。
「なぜ」が希薄なコンセプトでは、リアリティのあるストーリーは切り拓けないのです。
個人や集団の行動を縛る「思い込み」と、クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性との関係とは?
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
組織のなかには、個人や集団の行動を縛る「思い込み」が至るところに見られる。
外部の人間からは「思い込み」にしか見えなくても、なかにいる人たちは気づかない。
疑うことすら思いつかないほど当たり前になっている場合が多い。
もしくは、気づいていたとしても、「変えられない」という思い込みによって思考にフタをしている。
「自由に発想してみよう」といっても、こうした思い込みは随所に現れて思考の壁になっていく。
発想を活性化させるためには、これらの思い込みを一度くつがえしてみることが大事だろう。
組織にはびこる思い込みは、個人的な心理というより、暗黙のルールのような集団心理や圧力として働いて組織の行動を制約している場合が多い。
したがって、これに対しては上司と部下が、あるいは部署間、部門間の当事者が一緒に考えながら解きほぐし、明るみに出して取り払っていくしかない。
「会社の常識は社会の非常識」というように、その組織にとって当たり前を当たり前のまま放置しておくと、本当の問題に目が向きにくい。
もしも、ひょっとしてこれは思い込みかもしれないというものが見つかったら、ひとまず疑ってみること、場合によっては一度棚上げにして、全体を俯瞰する議論をしてみるべきだろう。
思い込みを疑い、衆知を集めて別の角度からの仮説を立てられれば、見える世界が変わってくる。
そこで組織の常識を打ち破ることができれば、せっかくの発想が殺されることはなく、それを実現するためには何をどうすればいいのか、どこで知恵を出せばいいのかというアイデアの実行段階へと進んでいける。
大衆扇動術に対抗することと、クリティカルシンキング(批判的思考)の必要性とは?
- 大衆は愚か者である。
- 同じ嘘は繰り返し何度も伝えよ。
- 共通の敵を作り大衆を団結させよ。
- 敵の悪を拡大して伝え大衆を怒らせろ。
- 人は小さな嘘より、大きな嘘に騙される。
- 大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな。
- 利口な人の理性ではなく、愚か者の感情に訴えろ。
- 貧乏な者、病んでいる者、困窮している者ほど騙しやすい。
- 都合の悪い情報は一切与えるな。都合の良い情報は拡大して伝えよ。
- 宣伝を総合芸術に仕立て上げろ。大衆の視覚聴覚を刺激して感性で圧倒しろ。
「日本人ファースト」、「アメリカを再び偉大に(MAGA)」、「アメリカファースト」などを、クリティカルシンキング(批判的思考)で考えると?
■ 「帰ってきたヒトラー」がいる…「20世紀の独裁者」と同じ手法がまかり通る民主主義への不信感
ヒトラーは、宣伝は、「学識あるインテリゲンツィアに対してか、あるいは教養の低い大衆に対してか」という質問を設定し、「宣伝は永久にただ大衆にのみ向けるべきである」と喝破した。
したがって、宣伝は分かりやすく、知的水準の低い大衆のレベルに合わせねばならないとして、「宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目ざすべきものの中で、最低級のものがわかる程度に調整すべきである。
それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋の知的高度はますます低くしなければならない」と明言している。
さらに、効果的な宣伝を行うには、大衆の理解力をよく考えて、雑多で多様なことを言うのではなく、テーマを限定して繰り返し語ることだと言い、「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。
この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、そのことばによって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるように継続的に行わなければならない」とヒトラーは断言している。
「日本人ファースト」、「アメリカを再び偉大に(MAGA)」、「アメリカファースト」など、その典型である。
21世紀にもなって、しかもSNS全盛時代に、20世紀の独裁者と同じ手法がまかり通っている。
世界の民主主義は大丈夫なのであろうか。
周囲に批判者がいない中で非常識な行動をしてしまう権力者と、クリティカルシンキング(批判的思考)の関係とは?
■ 童話作家、アンデルセンの名作「裸の王様」は…
「裸の王様」は、周囲に批判者がいない中で非常識な行動をしてしまう権力者が主人公だ。
社会心理学などの分野に「多元的無知」という言葉がある。
集団の多くの人が規範を受け入れていないにもかかわらず「多数派は受け入れている」と思い込み信じたり、言い出せなくなったりする状態だ。
裸の王様はその例として、よく引き合いに出される。
一番怖いのは相次ぐ感覚が次第にまひし、国際社会が「多元的無知」に陥ってしまうことだ。
「王様は裸だ」と叫ぶ少年がいない世界は危機である。
クリティカルシンキング(批判的思考)のポイントは、「さまざまな角度から物事を疑う」こと
■ クリティカルシンキング(批判的思考法)とは?
組織でクリティカルシンキングを活用することで、主体的な解決者として、計画立案や問題解決、そして意思決定の基盤・技術を築くことができます。
また分析、推論、伝達といったクリティカルシンキング・スキルは円滑なコミュニケーションにおいても重要です。
知識や経験が豊かになってくると「自分の考えが絶対に正しい」と思い込み、他の可能性を考えられなくなってしまうことがあります。
しかし、自分の考えを「もしかしたら間違っているかもしれない」と常に批判的に見ることで、過去の経験からは思いつかないような、今の時代に合う新しいアイディアを導き出せることがあります。
物事の本質を見極めるクリティカルシンキングを通して、一見論理的に導かれたように見える結論でも、矛盾や漏れが見つかることがあります。
計画を動かす前に、結論をあらためて評価・判定する習慣をつけることで、問題発生を未然に防ぐことができます。
管理職の場合、担当部署の「売上・コスト・利益」を管理したり、統計データをもとにマーケティング戦略を立てたりする必要があります。
クリティカルシンキングが身に付けば、数値データが何を意味するのかを把握し、的確な判断ができるようになります。
クリティカルシンキングのポイントは、「さまざまな角度から物事を疑う」ことです。
与えられた前提や情報をただ受け入れるのではなく、
「なぜそのような前提なのか?」
「その情報は本当に正しいのか?」
と、あえて疑ってみるクセをつけましょう。
前提や情報が事実と異なっていた場合、意思決定や戦略に大きな変更が生じます。
ブラック校則・学校の謎ルールと、クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
■ 日本の「ブラック校則」にショックを隠しきれない外国人たち
「ブラック校則」「学校の謎ルール」が議論を呼んでいる。
容姿に関連したブラック校則・学校の謎ルールでは、地毛証明書やツーブロック禁止も話題となった。
「子どもたちには人を見た目で判断してはいけないと教えているはずですが、それを教える側の学校が、率先して決められた髪型を押しつけているのが皮肉です」
「大人が強制するルールを、子どもたちは身を以て感じているわけですから、影響は大きいはずです」
死者や負傷者まで出ている、運動会や体育祭の組体操「ピラミッド」
事故が相次ぎながらも、いまだに「協調性」や「一体感」を理由に、一部地域では続けられているピラミッド。
こちらも外国人にはかなりショッキングなようで……
- 「こんなもの大人がやっても危ないってわかるのに、子どもにやらせるのは虐待じゃないの?」
- 「それも怪我人まで出てるのに続けるなんて、無責任どころの話じゃないよね」
- 「やらせた教師は刑務所に入ったの? 」
- 「そもそも、なぜこんなことを学校でしなければいけないのか、意味がわかりません」
- 「学校は勉強するところで、アクロバットを練習する場所ではありません」
- 「ピラミッドを続けなければチームワークが学べないのであれば、その教育のシステムは破綻しています」
- 「怪我人はもちろん、死者まで出ているなら、これはもう『変なルール』じゃなくて、『アビューズ(虐待)』ですよ」
WHYがなくてHOWだけの説明と、クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
■ “目的”より“やり方”へのこだわり
ドイツ人とインド人の対話。
日本人に仕事をお願いした時、彼らは、
“WHY――なぜ、何のためにやるのか?”よりも、
“HOW――どうやるのか?”
をえらく気にしていたよ。
逆に、日本人が人に何かをお願いする時は、WHYがなくてHOWだけ説明がある場合が多い。
WHY?と聞くと、答えが返ってこないか、曖昧だったりするんだよね。
上司からWHYの説明なしにこれを頼まれた。
その上司も、そのまた上司からWHYの説明なしに頼まれた。
つまり指示の流れの中で、誰もWHYを深く考えずに、HOWだけがくっついてきた可能性もあるね。
それで全体の業務効率が良くなればいいが、問題は、マニュアルが劣化していることだよ。
時代錯誤のやり方が残っていたり、業務の現実に即した新しいやり方が加わっていないことがある。
じゃあなぜ、劣化したマニュアルを変えようとしないの?
なぜ、これやらなきゃならないの?
本当にこれでいいの?
他にいいやり方があるのでは?
ほとんどの人が発言しない形式的な会議と、クリティカルシンキング(批判的思考)の必要性とは?
■ “考えず、従う”姿勢が生む「国民総残業社会」
日本人の仕事に時間がかかる理由の1つには、“ハイ・コンテクスト文化”もあるね。
彼らは、言葉少なに曖昧かつ間接的な表現で、互いの考えや気持ちを察し合う傾向がある。
逆に言うと、自分の言いたいこと全てを直接的かつ論理的に相手に伝えるのが苦手ということだ。
会議を議論と決断の場にしても、ほとんどの人は発言しない形式的な会議になっちゃうだろうね。
2つ理由がある。
1つは、どうやら確固たる自分の意見を持たない人が多いらしいこと。
たぶん好奇心や参加意識が薄いか、人から意見を聞かれることが少ないから、自分のアタマで考えなくなっているのかもしれない。
2つ目は、考えがあっても、それが議論の中で他のメンバーと衝突することを避けるせい。
彼らは、衝突して人間関係が悪くなる、組織の中で自分の立場が悪くなる、組織の雰囲気が悪くなるのが怖いんだよ。
彼らの多くは、自分(個人)の考えとか信念に従って行動しない。
少なくとも会社の中ではね。
組織ぐるみの愚かな決定に陥らないためのクリティカルシンキング(批判的思考)による問いとは?
■ 組織の病の重篤な合併症
集団浅慮ともいわれますが、集団がなんらかの危機に見舞われたり、また圧力を受けたときに、普通では考えられない非合理的な決断が行われ、集団の誰もがそれを疑うこともなく実行していく状態に陥ることです。
外部から見れば、偽装は、もし万が一発覚すれば企業生命が絶たれるリスクがあり、あまりにも大きな代償を払わなければならないことは誰でもわかることです。
しかし、内向きな大企業病に冒されているので、それを批判したり、止めさせようとする自浄作用が働かず、組織ぐるみでその愚かな決定に従ったのです。
赤信号みんなで渡れば怖くない、そのものです。
問題は、不都合な真実が表面にでてこず、そのまま隠蔽されていく過程を想像すると、社内から批判が生まれない、社会や企業の将来に対する責任をとるよりはその場の空気に流されていく風土があったということに他なりません。
病に冒され、社員が保身しか考えなくなってしまった企業に、やれコンプライアンスだ、「法令遵守」だと言ってもそれは形式に流れ、新たな保身を広げるだけです。
リストラに関するクリティカルシンキング(批判的思考)による問いとは?
■ 何でもかんでも他人の責任にできるもんですよ
経営が悪化して、リストラしたり、工場を閉鎖したり、施設を売却したりと、会社を立て直そうとしている所が多いと思いますが、何か変じゃない?
リストラされた人は?
工場が閉鎖されたら、その近辺の人たちは?
施設を売却って、無駄なことをしていたの?
元々、経営悪化したのは、誰の責任なの?
何故、ひどくなる、もっと前から立て直せなかったの?
と言う疑問が浮かんできます。
サービス業で、人件費を抑えれば利益が上がると勘違いしている人がいますね。
そういうのって、自ら失敗する思考をしているように感じます。
データを数値化して、分析すれば、サービス業で多くしめているのは、人件費になるから、それを抑えれば、、、、って簡単な思考になれば、失敗への道が出来上がる訳です。
徐々に以前より悪くなって、、、、
更に人件費を削って、、、、
更に悪くなって、、、
となりますね。
人件費下げて、サービスは向上させて、、、って、非現実的なことを平気で言って、中途半端ことをしていたら、そりゃ~そのお店に行きたいと思わなくなりますよね。
それって、お客の責任でしょうか?
どんな商売でもそうですが、お客が悪いからって理由になってしまっては、本末転倒で、何の解決にもならないでしょうね。
大本営発表から考えるクリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
■ 大本営発表:セクショナリズムと権力・メディアの一体化が生んだ悲喜劇
日本では、自分に都合がよいだけで信用ならない当局の発表を「大本営発表」と言う。
大本営は戦時中、劣勢になればなるほど「勝った、勝った」とデタラメな発表を繰り返した。
そしてメディアはそれを無批判に垂れ流し、国民は捏造された報道に一喜一憂させられた。
これが日本メディア史の暗部だからこそ、大本営発表という言葉が今なお使われているのである。
権力(軍部)とメディアの一体化。
これこそ、大本営発表がデタラメになった最大の原因である。
いかに大本営が虚偽の発表を行っても、メディアが不自然さを指摘すれば、国民は騙されなかっただろう。
ところが、メディアは大本営発表の下請け機関に成り下がり、大切な権力の監視の役割を放棄してしまった。
こうして大本営発表の暴走に歯止めが掛からなくなった。
巧みなアメとムチにより、アジア太平洋戦争時には、日本のメディアは進んで戦争協力せざるを得ないほど軍部に従属的になったのである。
これでは、権力監視などできようはずもなかった。
このような大本営発表の歴史から、われわれは何を学べるだろうか。
最も今日に応用できるのは、権力とメディアの一体化によって引き起こされた弊害の教訓であろう。
批判の核心はあくまで、「もっと権力をしっかり監視せよ」と言うものでなければならない。
政府のやっていることにおかしいと声を上げることと、クリティカルシンキング(批判的思考)の関係とは?
■ 「こんな時に政府を批判するな」という主張はなぜ完全なる間違いなのか
新型コロナウイルス感染拡大への日本政府の対応の酷さに多くの批判が集まっていますが、複数の著名人らがそうした批判を封じ込めようとする発言を行っています。
ですが、戦後最大の国難であることを理由に「こんな時に批判するな」「今は一致団結するとき」といった言説は完全に間違いで百害あって一利なしです。
実際には政府のやっていることにおかしいと声を上げ、批判をすることで政策の内容は確実に変化しています。
ネット上などで国民が政府の対策を厳しく批判し、問題点を指摘してきたからこそ、保護者も事業者も休校や自粛要請に対する補償を得ることができ、私たちもお肉券の代わりに10万円の給付を手にすることができるようになっています。
つまり、政府に対してSNSや官邸や省庁の意見フォームなどで声を上げ、署名を集めておかしいことはおかしいとはっきり批判すれば、政策を少なからず変えていくことができたということ。
「こんな時に政府を批判するな」「今は一致団結するとき」といった意見を鵜呑みにして黙っていたらこうした変化は起こっていません。
私たちはすでに批判によって納得のいかない政策を変えているのです。
自分の国民への批判は問題なくて、国民の政府への批判はダメだというのであれば、それは単に国民の口をふさいで政権を擁護するプロパガンダでしかありません。
クリティカルシンキング(批判的思考)による政権批判の必要性とは?
■ 国際問題と日本社会の行方
誰かが政権批判すると「余計なことを言うな」と反発して、結果的に政権を肯定するようになる。
すると被害者が自己責任を負わされる悪循環が生まれ、社会は改善されず、衰退していく。
日本は今が一番自律を失い、他律になっているので非常に怖いと感じています。
日本の人権状況を、クリティカルシンキング(批判的思考)で考えてみると気づくこととは?
■ 「人権後進国」日本
日本人の多くは日本は先進国と思っている。
しかし、意外に知られていないのが、日本の人権保障や女性差別などが世界基準からみて大幅に遅れていることである。
雇用、社会保障、中小企業、農林水産業、税制など経済のあらゆる分野で、国民のくらしと権利をまもるルールが弱いことの根底には、「人権後進国」日本がある。
日本の人権保護状況を検証する「普遍的定期審査」の一環として国連人権理事会の審査がおこなわれ、国際自由権規約委員会は、日本政府に対して34項目に及ぶ詳細な勧告を出した。
勧告は、男女平等へむけてのいくつかの方策実施や、ドメスティックバイオレンス防止法制定、国際刑事裁判所への加入などの点では、日本を評価したが、死刑廃止や代用監獄、犯罪捜査のあり方(尋問の長さの制限、取り調べの可視化、弁護人立ち会いの権利など)、受刑者の処遇(独房、隔離処遇など)、男女平等や「従軍慰安婦」問題など29項目について、詳細で具体的な改善勧告を示した。
このときも、委員会審査では日本政府の対応の甘さを厳しく糾弾する発言が次々とおこなわれたというが、ほとんど知らされていない。
日本政府のいい加減な態度に、「日本政府は条約に法的拘束力があることがわかっているのか」とまで言われている。
こんなトンチンカンな政府の態度をみれば、誰だって日本の役人は英語が話せても「言葉が通じない」と思うだろう。
国連自由権規約委員会や女性差別撤廃委員会の批判を無視し続ける日本が、国連安保理の常任理事国になりたいといっても、国際舞台で「言葉が通じない」日本をどれだけの国が支持するであろうか。
人権論議や人権教育と、クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
■ 日本の人権状況は「後進国レベル」
日本政府はこれまで、国連機関から長年にわたって選択的夫婦別姓制度の実現や死刑廃止に向けた検討など様々な勧告を受けてきたにもかかわらず、政治は真剣に向き合おうとしていないように見える。
G7議長国の日本も、人権保障の国際水準では先進国最下位どころか、後進国レベルにあるといえます。
世界経済フォーラムのGGI(ジェンダーギャップ指数)では政治分野の男女格差は146カ国中139位で世界ワーストテンに入っていますし、ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書でも、国内人権機関や差別禁止法が無い点が問題視されています。
憲法13条は『個人の尊重』を定めていますが、個人の尊重を利己主義と誤解しているのです。
戦後の改憲論議で繰り返されてきたのが、日本国憲法が行き過ぎた個人主義という風潮を生んできたという保守層からの批判でした。
それは2012年の憲法草案が、『個人』を『人』に書き換えていることにも表れています。
つまり、55年体制以降の長期保守政権が、憲法とその人権規定を尊重しない改憲論の立場をとり、国内人権機関や小学校などでの人権教育の制度化を怠ってきたことに原因があるのではないでしょうか。
道徳と人権が混同され、個人尊重主義が利己主義と誤解される傾向とあいまって、十分な人権論議や人権教育の場が確保されない状態が続いてきたと考えています。
監視社会とクリティカルシンキング(批判的思考)
■ シュタージ 「東ドイツ秘密警察の恐るべき監視社会」
シュタージは東ドイツの秘密警察として主に対外諜報活動や自国民の監視を行い、設立からベルリンの壁崩壊までの約40年もの間、恐るべき監視社会を作り上げた。
東ドイツは監視社会だったと言われている。
なぜ徹底的な監視が行われたのか、それは反体制派弾圧のためであった。
シュタージは街中あらゆるところに監視カメラを仕掛け、民間人に対する盗聴まで行った。
その監視ぶりは徹底したもので、ゴミ箱やドラム缶、鞄や腕時計万年筆などという小物に及ぶまで、本当に至るところに監視カメラが仕掛けられていたのである。
うっかり政府に対する批判でもしようものなら、すぐに警察がやって来て収容所へと連れていかれてしまう恐るべき監視社会である。
住民は街中で政治の話をすることもできない、ましてや資本主義を肯定するような発言などは絶対に許されなかった。
シュタージに反体制派として目を付けられていた者は、生活の全てといってもいいほどのあらゆることを監視されていた。
個人的な会話から風呂を浴びているところ、性的なことに至るまで、全てを監視されていた。
民主主義とクリティカルシンキング(批判的思考)
■ ドイツの16歳の授業に参加して驚いたこと
「最も重要なのは、生徒たちが自分で考える能力と、それを大勢の前で発言できる能力を養うこと」と先生は語る。
現場の教師たちが意識しているのは、生徒自身の意見を尊重し、教師の意見を押し付けないことだという。
ドイツでは模範解答を求めるよりも、論争することに重きを置く。
民主主義は、異なる意見を共存させ、止揚していくシステムだからだ。
クラスの大多数が同一意見のときには、論争の原則を徹底させるために、先生がわざと反対意見を投げかけることもある。
ドイツの教育は2つの世界大戦、特にナチスの過去への反省なくしては語れないだろう。
過去への批判を通して、現在の民主主義を尊ぶ姿勢も自然に生まれてくる。
日本人として驚きなのは、ゴールデンタイムに、毎日どこかのテレビ局でトークショーを放映していることだ。
現役の大臣や識者が登場し、時事問題について内容の濃い議論を展開する。
それを見ながら引き込まれ、そのうち家族の間でも意見交換が始まっている。
「自分ごと」になれば、民主主義を尊重する気持ちも強まるはずだ。
クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
(パート5)
んでもって・・・
クリティカルシンキング(批判的思考)について、例えばこんな視点からも念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・。)ノ
クリティカルシンキングとは?(批判的思考とは?)
○ goo辞書
クリティカルシンキングとは、物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること。
批判的思考法。
○ コトバンク
クリティカル・シンキングは、批判的思考と訳されている。
クリティカル・シンキングは規準に基づく論理的、合理的でバイアスのない思考である。
「相手を批判する思考」という意味よりも、むしろ自分の推論過程に意識的に吟味する反省的思考reflective thinkingである。
クリティカル・シンキングは、高次のリテラシー(メディアリテラシー、科学リテラシーなど)の基盤であり、人の話を聞く、メディアの情報を受け取る、文章を読む、議論をする、自分の考えを述べる、問題を解決する、意思決定をするときに、より良く考えるためのものである。
すなわち、クリティカル・シンキングは、目標志向的思考であり、目標や文脈に応じて実行されることが重要である。
クリティカル・シンキングは、認知的側面(スキル・知識)と態度的側面に分けることができる。
○ ウィキペディア
クリティカル・シンキングまたは批判的思考とは、「物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること」とされる。
クリティカルの語源は「きびしく批判する」、「危篤の」、「批評(家)の」、「慎重な判断を下す」など。
クリティカル・シンキングとは、自分の思考過程を意識的に吟味する内省的で熟慮的な思考、証拠に基づく論理的で偏りのない思考、より良い思考を行うために目標や文脈に応じて実行される目標思考的な思考を意味する。
クリティカル・シンキングでは、間違った議論や推論、論理展開(これらを誤謬という)をできるだけ回避する努力を常に持つべきであるとされる。
集団主義のような厳格な社会においては批判を非常に嫌い、また知的柔軟性は伝統的なものへの理解の欠如とみなされ、これも嫌われるが、なるべく最良の合意を出そうとするため、相談に時間をかける。
また集団主義においては個人主義のような認知的な一貫性は求められないが、年長者のいうことに疑問を持たず従うことを求められ、無批判的な権威主義的な態度が望ましいとされる。
これに対して個人主義の社会においては、歴史や文脈を無視して葛藤を分解したがる傾向が強く、解決策の長所と短所を検討し、利益を最大にする解決策を目指す。
批判とは?
○ コトバンク
- 物事に検討を加えて、判定・評価すること
- 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること
○ ニコニコ大百科
人や物事の誤った箇所や悪い部分を、根拠を示しながら論理的に指摘し、改善を求めることです。
正しい「批判」を行うには、客観的な思考や豊富な知識、理性的な態度、そしてなにより批判をする相手に対する思いやりが必要となります。
相手の良い所を見つけ、互いに理解できる部分を探し、肯定的な言葉で相手を認める、といった「共感」を積極的に行っていった方が、いきなり「批判」を行うよりも、ずっと楽に相手への改善を促せるようになります。
自問自答とは?
○ コトバンク
自分で問いかけ、自分で答えること。
○ 四字熟語辞典
自分自身に質問をしかけて、自分自身でその質問に答えること。
○ 言葉の手帳
「自問自答」とは「自分自身に問いかけて自身で答えを探し出す行為」です。
「自問自答」の意味は以下の通りとなります。
自問は「自分で自分の心に問いかける」、自答は「自分で答える」で、問題事などを自分自身に問いかけて自分で答えるのが「自問自答」です。
クリティカルシンキング(批判的思考)の意味や必要性とは?
(パート6)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
他にも、例えば・・・





などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?





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