「倫理観の意味って何だろ~?( ゜Д゜)」
「企業に必要な倫理観って?ビジネスに必要な倫理観って?( ̄○ ̄;)」
「倫理観って会社組織の中では特に誰に必要になるんだろ~?(´・ω・`)」
「倫理観が一番必要になるのって、やっぱ経営者じゃないのかな~?(;´д`)」
「だってさー、いくら従業員に倫理観があったとしても、経営者に倫理観がもしなかったら、従業員の倫理観が帳消しになっちゃうことだってあるんじゃーないかな~?(|||▽ )」
「逆に、従業員に倫理観があまりなかったとしても、経営者が倫理観を持っていたら、組織的なコンプライアンス違反に手を染めることってないんじゃーないのかな~?(ーー;)」
「こんな風に考えると、企業に必要な倫理観 = 経営者に必要な倫理観って気がしなくもないんだけど???( ̄・・ ̄)」
「それとも、企業に必要な倫理観 = 従業員にも必要な倫理観なのかな~?( ̄∧ ̄ )」
「職業的にはどーなんだろ~?(´ε`;)」
「倫理観が特に必要な職業って、どんな職業なんだろ~?(;・∀・)」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「自律型人材育成」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・









などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
倫理観の意味とは?企業に必要な倫理観って?(パート1)
んーと、もしかしたら・・・








なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんな視点から、まずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
判断基準の根源をたどれば、道理とか倫理、つまり人として正しいものは何か、という原理原別であるはず
■ 「心を高める、経営を伸ばす」
正しい判断を行うには、正しい認識がなされなければなりません。
しかし、この正しく認識するということが非常に難しいのです。
皆さんは、それぞれの立場で判断を迫られるでしょう。
そして自分の判断基準に照らして、良い悪いを判断しているはずです。
そして、その判断基準の根源をたどれば、道理とか倫理、つまり人として正しいものは何か、という原理原別であるはずです。
筋を持たない人は、何もできません。
自分の基準をどこに置くかが分からないからです。
正しい判断をするには、自らの中に指標が確立されていなければなりません。
とかく陥りがちな、常識とか慣例などを例に引いた判断行動があってはなりません。
常識や経験だけでは、新しいことに道遇した場合、どうしても解決がつかず、そのたびにうろたえることになるからです。
戦略にも、守らなくてはならない基本ルール、つまりやってはいけない企業倫理やリーガルな制約がある
■ 「戦略「脳」を鍛える」
戦略をひらたく定義するならば、要は「ケンカの仕方」である。
ケンカといっても実際に殴り合うわけではなく、企業間の競争でどう勝つかという意味だ。
もちろん企業間のケンカにも、守らなくてはならない基本ルール、つまりやってはいけない企業倫理やリーガルな制約はある。
だが、そのなかでいかに自分が優位にとなる新しいゲームのルールをつくってケンカできるかが、企業間の異種格闘技戦に勝利する重要な要素となる。
社長が社会的に意味のある考えに基づき、倫理的にも正しい方向へ会社を向かわせるものであればよいが・・・
■ 「サーバント・リーダーシップ入門」
社長には権限もあり、抱える責任も大きいため、社員が思いどおりに動いてくれなければイライラが募り、
「なぜ、私の言うことがわからないのだ」という言葉とともに、つい「私の言うとおりに動け!」と命令しがちだ。
正面切って聞かれれば、並みの社長でも、社長が社員のためにいるんだと口では言うかもしれない。
しかし、中小企業のオーナー経営者なら、会社まるごと自分のものだという意識があるために、社員は自分のためにいると考える人もいるのではないだろうか。
それでもまだ、その社長が社会的に意味のある考えに基づき、倫理的にも正しい方向へ会社を向かわせるものであればよいが、オーナー経営者のなかには会社を(私物化とまで言わなくても)自分の所有物だと思い込み、社員を働かせてやっているのだとうそぶく人もある。
「おれの会社やないか・・・」
というオーナー経営者の発言を、私も何度か耳にしたことがある。
そうした経営者の下では、どんな人間も志し高く、最大限の情熱を持って働こうとは思わないだろう。
経営者ともなると、それなりの大きなパワーを持つので、人間的にも倫理的にもしっかりしたものを求めたくなる。
だから、リーダーシップとは名ばかりで私利私欲に動く人に対しては、人々は反発する。
もはや、画一的な社員が画一的な働き方をしていては、企業は強くなれない。
第一線から社長までが同じ理念と行動規範を共有したうえで、多様な社員が多様な働き方をしてこそ、企業はお客さまの支持を集めることができるのではないか。
経営者として持つべき最も基本的な倫理観とは
■ 「リストラなしの「年輪経営」」
人件費はコストではなく、目的である。
報酬を減らして、会社の利益を増やしても、事業を起こした意味がない。
利益を上げようとするならば、まず商品やサービスの付加価値を上げることを考えるべき。
残念なことに最近は、付加価値を高めるという大変な労力のかかる仕事をおろそかにして、コスト削減という手っ取り早い方法に走っているように思える。
本来リストラというものは、最後の最後になって、どうしようもないという状態に陥った末に、やむなく手を付けるもの。
それは経営者として持つべき最も基本的な倫理観と言えるのではないか。
法令違反はしていないとしても、社会規範や企業倫理の観点から問題となれば、結果として「潰れる」こともある
■ 「二代目が潰す会社、伸ばす会社」
仮に法令違反はしていないとしても、社会規範や企業倫理の観点から問題となれば、メディアに叩かれ、顧客の信用を失い、結果として「潰れる」こともあります。
例えば、「食品偽装」です。
なぜ、こうした食品偽装を行ったのでしょうか?
おそらく、行った企業の大半は、「製造コストを下げたい」「利益を増やしたい」、つまり、「生き残りたい」との思いから行ったものだと思います。
ところが、食品偽装を行ったことが発覚すれば、メディアでも報道され、顧客の信頼を失い、その会社の商品を買ってくれなくなります。
実際、事件を起こした企業の中には、その後、倒産、廃業の道を辿ったものもありました。
今は、ネット社会です。
社会規範や企業倫理に反する行為を知り義憤を感じた人が、監督官庁に手紙やメールで内部告発したり、ネットの掲示板に書き込んだむなどが行われます。
つまり、コンプライアンスに反することがあれば、それを覆い隠すことはできないと考えるべきです。
食品偽装だけではありません。
「セクハラやパワハラが行われている」「ブラック企業である」といった評判も、広義のコンプライアンスの問題と考えてもよいと思います。
こうした評判が立てば、従業員の採用が難しくなり、ひいては経営にも影響します。
コンプライアンスをきっちり守ることは、会社を潰さないためにも重要です。
倫理の面で消費者が怒る時とは
■ 「「サービス」の常識」
コンプライアンス、CSRについて、企業内に委員会を設置し、規約を作り、内部統制資料を作成するなど、形式を整えるだけの話にしかならないケースが多く見受けられる。
そして、「当社の工場の規格に合格しています」「業界の平均値です」「企業内のマニュアル・規則からはずれていません」などの台詞で逃げようとする。
これでは単に画一的にパターン化することで、自分たちが楽をしているに過ぎない。
もう一つよくあるのが、倫理的な問題である。
食中毒で子どもやお年寄りがウンウンうなっているときに、「私だって寝てないんだ」と言って世間から顰蹙を買った社長がいたが、これは法的に罰せられることを言ったわけではない。
まさに倫理の面で消費者は怒ったのである。
法律を無視して売上向上を行い、問題になると「それのどこがいけなかったですか?」とにこにこしながら不思議そうな顔をテレビで見せた社長の場合、明らかに法律違反であったが、その倫理にもとる態度が反感を買いクレームが殺到し、改めてしぶしぶお詫びの会見を行った。
企業・組織の中に委員会を設け、本来の企業理念、企業倫理、経営哲学を中核として、組織の全員が取り組んでいたなら、恐らくこれらの問題、トラブル、事件・事故は起きなかったはずである。
それが○○委員会という形式的な点の活動で終わってしまっているところが問題なのである。
企業や政府が社会の倫理観から逸脱した行動を取れば、瞬時にしてことごとく暴露される
■ 「ワーク・シフト」
数々の調査が浮き彫りにしているように、政治家や司法制度、大企業に対して私たちがいだく信頼は弱まっている。
政治家や経営者の振る舞いとは別に、最もわかりやすい要因は、透明性の向上だ。
政治家や経営者の一挙一動が人々に知られるようになったのである。
人々に伝える情報を選別し、どの情報を強調するか決めるという点で、メディアが果たしている役割も大きい。
悪い評判を拡散させるうえでは、ソーシャルメディアが果たす役割も大きくなっている。
企業や政府が社会の倫理観から逸脱した行動を取れば、瞬時にしてことごとく暴露される。
人間の持つ倫理観や道徳観のことを「モラル」と呼ぶ
■ 「モラル」ある行動は宗教を信仰しているかどうかに関わらず一定の確率で生じる
人間の持つ倫理観や道徳観のことを「モラル」と呼びます。
モラルは単純なものと思われがちですが、各個人の「モラルの基準」というものはいくつもの要因に基づく複雑なものです。
研究で明らかになった結果は非常に興味深いもので、例えばモラルある行動をとったという場合には「思いやり」がそのベースにあったとのことですが、インモラルな行動の場合はその動機はさまざまで、そのほとんどが「悪意」だとか「不当さ」、「不正」などが原因になっていたそうです。
多くの場合モラルある行動は道徳的な考えにコミットしているものですが、普段モラルある行動を取ることで「多少であればインモラルな行動を起こしても良い」と勝手に自分の行動を正当化していくことにもつながる、とのことです。
環境問題や倫理の問題など、現代社会には「これが正解!」とすぐには言えない難しい問題がたくさんある
■ 【サルでもわかる】哲学入門!
哲学を一言で言うと、「考えることについて考える」学問です。
ちょっと変な言い方に聞こえますよね。
でも実は、とてもシンプルなことなんです。
私たちは普段、いろいろなことを「当たり前」だと思って生活しています。
例えば「この机は実在する」とか「1+1=2」とか「人を殺してはいけない」とか。
でも、哲学ではそんな「当たり前」を疑うところから始めます。
「当たり前」を疑って、深く考えていくのが哲学なんです。
哲学では、「なぜ?」「本当に?」という問いを大切にします。
そして、その答えを探していく過程で、新しい発見や気づきが生まれるんです。
哲学は、数学や科学のように目に見える形ですぐに役立つものではありません。
でも、実は私たちの社会や生活の中で、とても重要な役割を果たしているんです。
まず、哲学は「物事を正しく考えるための土台」を作ってくれます。
例えば、みなさんは「批判的思考」という言葉を聞いたことがありますか?
これは「何でも疑ってかかる」という意味ではなく、「物事を多角的に検討して、適切に判断する」という意味です。
SNSでデマや誤情報が広がりやすい今の時代、この力はとても大切ですよね。
この批判的思考の基礎となっているのが、実は哲学的な考え方なんです。
次に、哲学は「新しい考え方や概念」を生み出す力を持っています。
例えば「人権」という考え方。
今では「すべての人には生まれながらに基本的な権利がある」というのは当たり前になっていますよね。
でも、これは哲学者たちが長い時間をかけて考え、広めてきた概念なんです。
昔は「身分の高い人には権利があるけど、低い人にはない」というのが当たり前でした。
それを「すべての人に平等な権利がある」という考え方に変えていったのは、まさに哲学の力だったんです。
さらに、哲学は「新しい問題への対処方法」も教えてくれます。
例えば今、人工知能(AI)が急速に発達していますよね。
「AIに仕事を奪われないか」「AIと人間はどう付き合っていけばいいのか」など、新しい問題が次々と出てきています。
こういった前例のない問題に対して、哲学は「人間とは何か」「技術と人間の関係はどうあるべきか」といった根本的な視点から考えるヒントを与えてくれるんです。
他にも、環境問題や倫理の問題など、現代社会には「これが正解!」とすぐには言えない難しい問題がたくさんあります。
そんな時に、哲学的な考え方は問題の本質を見抜き、より良い解決策を見つけるための道具となってくれます。
例外がないように細かくマニュアルやルールをつくる経済的、倫理的な合理性はあるのか
■ 「「一体感」が会社を潰す」
ルールは状況の変化に合わせて柔軟に変えていかなければならないのに、精緻に設計されたルールの変更をすることが大変なために、どうにか今のルールでむりやり対応しようとして失敗してしまうのです。
ここに「ルール主義」「マニュアル主義」の限界があります。
きちんとルールを守りましょう。
何か困ったことがあったら、ルールにしたがって行い、「自分で勝手に判断しない」ようにしましょう。
これらは一見よさそうですが、現実的ではありません。
あらゆることを想定して、どんなことが起こりうるかを考えて、すべてをルールやマニュアルとして決める。
アルバイトやパートの人たちにこうしたルールやマニュアルを徹底するのは致し方ないにしても、社員までがルールやマニュアルだけに頼る組織というのはいかがなものでしょうか。
現代はあらゆることを想定できるほど安定した時代ではありません。
想定外のことが日々起こるのが普通です。
例外がないように細かくマニュアルやルールをつくる経済的、倫理的な合理性はあるのでしょうか。
士業が使命感や倫理観を失っていく時とは
■ 「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」
深刻なのは、悪徳な社会保険労務士や弁護士が、ブラック企業と労働者の間に介在するようになってきたことだ。
かれらはブラック企業が用いるさまざまな「パターン」を企業に唱導し、普及させる。
紛争を「ビジネス」と考えて、盛んに日本型雇用の「悪用」の仕方を説くのである。
こうした背景には、司法制度改革で弁護士の数が激増したことにある。
弁護士資格をとっても弁護士事務所に就職できないものがあふれかえっている。
また、弁護士事務所そのものが「ブラック化」している。
今年弁護士登録した弁護士に話を聞くと、すでに周りの動機が何人も弁護士事務所を「自主退社」しているという。
その経過はブラック企業と瓜二つである。
弁護士事務所の場合にも、利益を出すために、ひたすら事務的な仕事を新規登録者にやらせて、「使えない」と判断すると、すぐに切る。
こうして大量の弁護士が仕事にあぶれている。
また、その過程で使命感や倫理観も失っていく。
そうした弁護士たちが、ブラック企業の労務管理に介入している。
また、同じように、社会保険労務士の劣化も深刻である。
その背景には、受験者数の増加がある。
そうした中で、自覚的に「ブラック」な稼業に手を染める社会保険労務士も現れてきている。
多くの弁護士や社労士は法律に基づいて業務をし、経営者が健全な経営をするように指南している。
こうしたブラック士業が現れて、もっとも困っているのはかれら、まともな経営側のコンサルタントかもしれない。
自組織特有の規範である組織文化は、内向きになり、一般社会の道徳・倫理・法規等の規範から逸脱していく
■ 不祥事を繰り返す企業を本当に笑えますか?
コンプライアンスの分野でよくいわれる「組織の常識は世間の非常識」といったときの常識とは、組織文化を指している。
組織の常識に従っていれば、いちいち行動の意味を検討したり、価値基準を考えなくて済む。
それがメンバーの阿吽の呼吸を生み、効率化を促進する。
共有された価値観の体系はチームのまとまり(集団凝集性)も高めていく。
自組織特有の規範である組織文化は、内向きになり、見直す機会をもたなければそのズレが許容範囲を超え、一般社会の道徳・倫理・法規等の規範から逸脱していく。
その気になれば、外の目で組織の常識を顧みる機会はそこここに存在している。
私たちは、謙虚に自分たちの常識=組織文化を見直す感受性・寛容性をもっているだろうか。
もし、自らを省みることがなければ、知らず知らずのうちに、「世間の非常識」と見られる振舞いをしている可能性が高いだろう。
悪を実感することは自分の人生を考える倫理に繋がる
■ 性善説と性悪説どちらを支持する?「道徳と倫理」から考察
性善説に基づくと、人間には4端の心があって、それが何かの状況をみたときにふくれあがって助けるようになると孟子は述べます。
例えば、かわいそうな牛を見たときに理由もなく助ける。
これは先天的な同情心からの行動で、超越的な価値に従うので道徳になります。
道徳に説明は求めません。
端があったから助けるという行動を示します。
では、この性善説から出てくる道徳を疑ってみましょう。
かわいそうな牛を助けた王様は牛の代わりに羊にしろ、と言いました。
そうなると、羊がかわいそうではないのかという疑問がでます。
この理由から言えば、羊のことを考えるのは道徳的ではない。
しかし、性悪説にたったときには、これは差別的だと考えることができます。
王様がとっさに行った行動も考え出すことによって悪くなる。
先天的な良い行動も、見方を変えると悪になっていきます。
道徳を考えることによって悪が生じ、個人的な倫理に移っていきますが、それによって動物的な面も含めた人間全般のことを考えられます。
道徳が個人にやってきて、倫理になります。
悪を実感することは自分の人生を考える倫理に繋がります。
性悪説の悪は弱いという意味もあるそうです。
人間には弱さがあります。
道徳や倫理、法律を超えて、生存に利する利己的な行動をする時とは
■ 性善説でも性悪説でもない「性弱説」について考えて得た結論とは
とてもお腹が空いていて、食べるものがない。
目の前に美味しそうなご馳走があったらどうするか?
きっと、私は「盗むことは悪である」と頭では理解していても、目の前にあるご馳走にありつこうとするだろうと。
つまり、私は「性弱」である。
人間も動物的な側面を持っている。
生物が持つ生存本能として、生存が脅かされると生き残ることを最優先に行動するのだ。
そのような状況では道徳や倫理、法律を超えて、生存に利する利己的な行動をする。
こう考えると、飢餓に苦しみ、食べ物を盗んでしまう人を責められるだろうか。
生物としての生きることを願っているだけなのに。
組織は往々にして「大企業病」と揶揄される問題に苦しんでいる。
この大企業病は、性弱説的に、生存本能的に、考えを巡らせると、ある意味当然の帰結といえる。
組織が掲げる全体最適を追求することが、仮に自分自身や、自分の所属する小集団の損失になったら、もしくは存続を脅かすとしたら、どうなるだろう。
社会において、組織において、自らの生存が脅かさないという安心感のなかで、はじめて人は社会のこと、他者のことをしっかりと考えて、社会や組織の全体最適性に目を向け、行動できるということだ。
その結果として、心理的に生存を脅かされないという安心感が、個人にとっても、組織にとってもいい結果をもたらすのであろう。
すぐには答えのない倫理・哲学的な問いにじっくり向き合う時間も必要
■ 子供に潜む”大きな問題”
「安楽死は導入されるべきか」
「死刑制度は継続されるべきか」
「大学の女子枠は平等なのか」
など、倫理・哲学で取り沙汰されるような問題というのは、「これ」という答えがありません。
素早く「こちらが正しい」と言えるようにするのではなく、賛成意見と反対意見を両方考えて、「答え」ではなく「よりベターな考えは、どちらだと言えるのか」を悩む必要があります。
タイパが当たり前とされる世の中だからこそ、すぐには答えのない倫理・哲学的な問いにじっくり向き合う時間も必要なのではないでしょうか。
こうした問いに向き合う中で、生徒にとって不可欠な「容易に答えが出ないことに耐える力」が養われるのではないか、というのが私の考えです。
情報処理の「速さ」に飲み込まれることなく、時には立ち止まって考える機会を持ってほしいと願っています。
生きていくうえで重要になってくる問いのほとんどには「答え」は存在しておらず、その「答え」を考えるまでに費やした時間が、自分の価値観として育っていくのではないでしょうか。
マネジメントを志す者は、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史などを身につけよ
■ マネジメントとは何にもましてものの考え方である(ドラッカー)
ドラッカーは、マネジメントを志す者は、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史などを身につけよという。
それらの知識によって、成果を出せという。
病人の治療、学生の教育、橋の建設、ソフトの設計に使えという。
医師の倫理観欠如も向精神薬の蔓延を助長する一因になっている
■ “医療利権構造”炙り出すも精神医療の欠陥に迫らぬ現代のうつ特集
「労働安全衛生法」の改正案に懸念の声が出ている。
企業に従業員の「ストレス検査」を義務づける内容が含まれているが、この検査が防止どころか、逆にうつ病患者を増やして、薬漬けにしてしまう危険性があるからだ。
“医療利権構造”を見ると、ストレス検査もそこに組み込まれる危険性は十分にある。
「うつは心の風邪」というキャッチフレーズなどを使って精神科の早期受診キャンペーンを張る。
それによって、うつ病患者がぐっと増えて、薬の販売が急増する。
まさにマッチポンプとしか言いようのないやり口だ。
医師の倫理観欠如も向精神薬の蔓延を助長する一因になっているのだ。
わが国の精神医療が薬物療法に偏っているのは、製薬業界や医学会にはびこる利益優先主義に加えて、日本人の人間観そのものが偏っているからなのだろう。
CSRは、法令順守や労働協約の尊重は前提条件と位置づけ、「社会」「環境」「倫理」「人権」「消費者の懸念」を企業活動の中核戦略として統合するというものだ
■ 「CSR = 社会貢献」という考えは、時代遅れ
本来の意味でいうと、「CSRとは企業活動そのもの」と言っても過言ではない。
CSRは、企業を取り巻く顧客や従業員といった、ステークホルダーからの期待やニーズに答えるために、企業戦略として対応していくものなのである。
法令順守や労働協約の尊重は前提条件と位置づけ、「社会」「環境」「倫理」「人権」「消費者の懸念」を企業活動の中核戦略として統合するというものだ。
何より重要と位置づけられているのは、企業活動の中でCSRを意識して形成する際の「過程」である。
道徳とか倫理といったものを真面目にやらずに軽視していると、酷いときにはアウシュヴィッツのような出来事が起きる
■ “アウシュヴィッツ唯一の日本人ガイド”が語る記憶の継承
600万人に上るユダヤ人が犠牲になったとされる「ホロコースト」。
人類史上最悪の惨劇を象徴する現場となったのが、ポーランドにあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だ。
「劣等人種」はモノのように分類・管理し、効率的に殺す――。
人間の尊厳を根底から奪ったホロコーストは、排外主義と結び付いた近代合理主義が孕む残虐性を顕在化させた。
いま企業では、人権が大きなテーマだし、経営者も自分で学ばないといけなくなっている。
そうしないと、もう一発で社長を追われたりするわけですからね。
人権というのは、アウシュヴィッツの反省からやってきているわけです。
道徳とか倫理といったものを真面目にやらずに軽視していると、酷いときにはアウシュヴィッツのような出来事が起きるということです。
外国企業の株主も増える中で、歴史をわかっていないと企業の代表としてやっていけないわけですよね。
ホロコーストの歴史を知る外国企業の方が普通に「民主主義の危機」といった話をできるのに、日本人はこういった話をすると、だいたい戸惑った顔をするわけですね。
日本人経営者は全員、とは言いませんけれど、仕事一辺倒、売上一辺倒でやってきたので、教育がブランクになっていて人権問題などを感覚的に捉えられず、不安もあって来るのではないでしょうか。
最低限守るべき倫理を守らなければ、たちまち信頼をなくす
■ 「テレビはなぜおかしくなったのか」
「テレビ報道」にかかわる人間ならば、誰しも最低限守るべき倫理がある。
- 差別や偏見を生み助長するような報道をしない
- ウソや誤った情報は流さない。万一、流したら速やかに訂正する
- デマや噂など確認が取れない情報を流さない
- 政治家や経済人などの伝える手段を持っている人間よりも、ふだん声を上げにくい弱い立場の人たちの境遇を考えて、そうした人たちの声を優先して報道する
これらを守らなければ、テレビ報道はたちまち信頼をなくす。
それは個々の人たちの人権を守り、民主主義の根幹をなすジャーナリズムの社会的な機能からみて当然のルールだ。
ところがこうしたルールから大きく逸脱した放送が実際に行われていた。
しかも大量に、洪水のごとく垂れ流された。
有名なジャーナリストやアナウンサー、ニュースキャスターたちも関与する形で。
放送の後で指摘を受けても、「訂正」は行われない。
問題ではないかという話が関係者から出なかったばかりか、お目付け機関も見逃し、指摘を受けても「黙認」し続けた。
こうなったら、自浄作用はない。
もはや「末期的」といえる。
改善は困難だ。
なぜなら、内部にいる人間もお目付け役の人間たちも「聞く耳」をもたないからだ。
システムの防御機能の限界を補うのは人間の情報倫理
■ 「IT社会の護身術」
IT社会においては、書類が紙媒体から電子ファイルに姿を変えている。
この変化に対応して情報の管理意識も変えなければならない。
電子ファイルは、扱いを誤ったならば、紙媒体よりも大量の情報が瞬時に、そして広範囲に拡散するのである。
原本を持ち出すことなく短時間にコピーを作ることができる。
所有者は複写されたことに気づかない。
それが電子ファイルの特徴である。
技術的には静脈、指紋、顔、虹彩などの生体情報を利用した認証(バイオメトリクス)により、IDやパスワードよりも精度の高い本人確認を実現することは可能だ。
しかし残念ながら、機械は人間の悪意までは判定できない。
使用権限のある者が許可されたファイルを操作する限り、システムは正常に動作せざるを得ない。
ここにシステムの防御機能の限界が存在している。
それを補うのは人間の情報倫理なのである。
倫理観の意味とは?企業に必要な倫理観って?(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「倫理観の意味って、そーゆー意味だったのかー!!∑( ̄[] ̄;)」
「企業に必要な倫理観って、そーゆーコトだったのかー!!(; ̄ェ ̄)」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー・・・、もしかしたら・・・


なんかにも、ある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんな視点からも、念のために一応考えてみるのはどーでしょう?
(о ̄∇ ̄)/
倫理観とは?
○ コトバンク
倫理についての考え方、捉え方。
○ Weblio辞書
倫理観とは、人間が行動を選択する際に、その行動が善であるか悪であるかを判断する基準となる価値観の一部である。
個々の倫理観は、文化、教育、経験などによって形成され、その人が社会の一員としてどのように振る舞うべきかを決定する。
倫理観は、法律や社会規範とは異なり、個々の内面から生じるものである。
倫理観は、ビジネス、医療、科学、教育など、社会のあらゆる分野で重要な役割を果たす。
例えば、ビジネスでは、企業が社会的責任を果たすための行動指針となり、医療では、患者の尊厳を守るための基準となる。
○ Forbes JAPAN Tips
「倫理観」とは、「社会や集団において好ましいとされる行動規範や道徳的な価値観」を指す言葉です。
人間同士が協調して生きていくうえで、何が正しく、どのように行動すべきかを判断する基準となる考え方や心構えのことを意味します。
たとえば、企業で働く際に守るべきコンプライアンスや、社会全体の秩序を保つためのモラルが倫理観に関連します。
職場や組織の中でも、相手を敬った言動を心掛けたり、公正な取引を行うなど、業務上の取り組みを進めるうえで不可欠な概念と言えるでしょう。
ビジネスシーンにおいては、組織や企業の一員として行動するうえでの道徳的基盤や責任感を示すために、倫理観が不可欠です。
たとえば、顧客や取引先とのコミュニケーションで正直さや誠実さを保つことはもちろん、コンプライアンスを遵守し、社会に対して責任ある行動を取ることが企業の信頼につながります。
また、職場でのハラスメントや情報漏洩などのリスクを防ぐためにも、各社員が高い倫理観を持って行動できる環境づくりが求められます。
単に利益を追求するだけでなく、社会や顧客の利益を考慮したうえでビジネスを進めることが、現代の企業の存在価値を高めるポイントと言えるでしょう。
企業倫理とは?
○ ウィキペディア
企業倫理とは、企業行動とそれを実現する企業内における人間の行動に関して、意思決定の根幹となるもので、自然人の倫理にあたるものである。
なお、コンプライアンス(法令遵守)の訳語として用いられる時もある。
企業の行動は投資家、消費者などのステークホルダーに大きな影響を与え、あるいは社会や環境に深刻な被害を与えるものであり、企業の行動は常に高い倫理性をもって行われなければならない。
現実の企業においてはいかに掲げる種々の事柄と強く結び付くことによって、経営者をはじめとした企業体の行動に関係する一人一人の人間が、個々の現場において倫理的に正しい判断を行うことによって企業の倫理は守られている。
倫理あるいは道徳と法は互いに密接な関係を持っているものの、別なものである。
しかしながら各種法令の遵守体制ができている企業の倫理は総じて高い。
社是・社訓はその企業の行動規範を示したもので、その企業の企業倫理の根幹をなすものである。
経営者や個々の従業員の全ての行動判断の基準に社是・社訓を置くことは有効とされる。
会社を動かしている要素が一人一人の人間である以上、企業倫理の実践において最後に問題になるのは個々の人々の倫理感である。
しかしながら、企業活動の中においてはしばしば個々の人々の倫理観がないがしろにされることがある。
この結果企業の活動が社会に大きな影響を及ぼすことがあるため、国や一部の企業においては内部通報制度を設け、企業がハラスメント行為など正しくない行動をとらないように、また、そのような行動をとった場合にこれを認知し、対応できるようにしている。
倫理とは?
○ コトバンク
人として守り行うべき道。
善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。
道徳。モラル。
○ コトバスタ
倫理とは、社会や集団における「善悪・正不正」の基準を定め、人が互いに尊重しながら共存するための行動規範を指します。
この言葉は「道徳」と混同されがちですが、倫理は個人の内面的信念よりも、社会的・公共的なルールや合意を重視する点が特徴です。
具体的には、医療倫理・ビジネス倫理・研究倫理など、分野ごとに細分化されたガイドラインが存在します。
これらは時代や文化によって変化するため、固定的ではなく「相対的」な概念といえます。
現代社会では多様な価値観が共存するため、倫理は「互いの違いを尊重しながら調整する仕組み」として機能しています。
技術革新による新たな課題(AI倫理やバイオ倫理など)も増え、柔軟なアップデートが欠かせません。
つまり倫理は、社会が円滑に回るよう「私たち全員で守るべき約束事」を示す言葉です。
倫理観の意味とは?企業に必要な倫理観って?(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
他にも、例えば・・・






などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?






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