「唯一絶対の答えがない時とある時の違いって何だろ~?(´・ω・`)」
「正しい答えの見つけ方って?何をどーしたら正しい答えが見つかるんだろ~?(;´д`)」
「唯一絶対の答えがないとめっちゃ困るんだよね・・・、何が正しい答えなのかわからないし・・・(;´д⊂)」
「唯一絶対の答えがある時の方がラクだと思うんだけど、唯一絶対の答えがない時がどーしてこう多いんだろ~?ヽ(;▽;)ノ」
「唯一絶対の答えがない時に、正しい答えを見つけるにはどーしたらいいんだろ~?( ゜Д゜)」
「唯一絶対の答えがない時に、それが正しい答えなのか間違った答えなのかって、何を基準にどーやって判断したらいいんだろ~?(;・∀・)」
「経営者の仕事には唯一絶対の答えがないって聞くけど、んじゃー唯一絶対の答えがない中で、経営者は正しい答えをどーやって見つけているんだろ~?(´ε`;)」
「自分は従業員の立場だし、経営者の立場になることなんて一生ないだろーから、唯一絶対の答えがある時ばかりだといいのになー・・・( ´△`;)」
などなど、このような疑問の声をお聞きすることもあるんですが・・・
( ´・ω・`)
「経営理念・ビジョン・経営計画等の作成」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「自律型人材育成」、「IT活用人材育成(ITを活用できる人材の育成)」などのお手伝いを行なっているからなのか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからなのか・・・
こーゆー疑問って意外と大事
なんじゃーないかな~???
(`・ω・´)
なーんて感じることもあるのと、それにコレってもしかしたら・・・






などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも~???
なーんて感じるコトもあるので、一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも~?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。
(^^)/
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?(パート1)
んーと、もしかしたら・・・




なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
例えばこんな視点から、まずは考えてみるのはどーでしょう?
(。・ω・)b
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?:もしも答えが1つしかなかったら?編
例えば、こんなのに例えて考えてみるのはどーでしょう?
こーんな風に、答えが1つしかないって状況だとするっす。

「答えが1つだけって、悩まなくていいからいいよなー (´ε`;) 」
「正しい答えの見つけ方もヘッタクレもないし、たった1つしかないその答えをとりあえず選ぶっきゃないんだもんなー Ψ( ̄∇ ̄)Ψ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「1つしかないと、やろうってモチベーションが下がっちゃうし、テンションもめっちゃ下がっちゃうよなー・・・(^∀^|||)」
「1つしかないってことは、選択する楽しみがないっことでもあるもんなー・・・ p(´⌒`q) 」
って方もいらっしゃるんじゃーないでしょーか?
だけど、その答えがこーんな状況だとしたらどーでしょう?

つまり・・・
答えは1つしかないんだけど、その1つしかない答えを選びたくても選べない状況だとしたらどーでしょう?
で・・・、とりあえず・・・
他のを探してみたところ、例えばこーんな状況だとしたら、どう感じるでしょーか?

「こんなにたくさん選択肢があると、答えがわからなくなっちゃって悩んじゃうんだよなー・・・ o゚p(∴´⌒`∴)q゚o。 」
「正しい答えの見つけ方もわからなくなっちゃうんだよなー・・・ ( ;-`д´-) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ん?ってコトは、選択肢がたくさんあるから、唯一絶対の答えがないように感じてしまうってコトなんだろーか???( ̄・ω・ ̄)」
「選択肢がたくさんあるから、正しい答えの見つけ方がわからなくなっちゃうってコトなんだろーか???(´・_・‘) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わーいっっ!!いっぱいあるぅー!! (≧◇≦)」
「だよねーだよねー、選択肢があり過ぎるのも困るけど、せめてコレぐらい選択肢がないと、モチベーションもテンションも上がらないよねー!! ヽ(´ー`)ノ 」
って方もいらっしゃるんじゃーないでしょーか?
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?:正しい答えを知っている人編
例えば、こーんな状態だとするっす。

つまり・・・
自分側からは唯一絶対の答えがあるのかないのかも見えないし、正しい答えがあるのかないのかもわからないんだけど、社長や上司の側からは正しい答えがどれなのか見えているって状況で・・・

「いや、それじゃない!!」
「もっと右!!」
「もっと左!!」
ってな感じで指示されて・・・
手探りで、唯一絶対の答えや正しい答えを見つけざるを得ない状況だとしたら・・・

んでもって・・・
正しい答えを見つけようと必死こいてがんばっているのに・・・
「この下手クソ!!」
「なーんで指示する通りにできないのかねぇー!?」

などと、ボロクソのけちょんけちょんに叱られる状況だとしたら、どーでしょう?
( ̄▽ ̄;)ゞ
「少なくとも、モチベーションが下がりまくっちゃうよなー (;・∀・)」
「やる気も失せちゃうし、会社を辞めたくなっちゃうよなー 。゚(゚´Д`゚)゚。 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「正しい答えを見つけようと必死こいてがんばっているのに、ボロクソのけちょんけちょんに叱られたらブチキレちゃうよなー ( ▽|||) 」
「正しい答えの見つけ方をお前がちゃんと指示しないから悪いんだろ!!ってか正しい答えを知っているんだから自分でやれっちゅーの!!って、逆ギレしちゃうよなー (*`θ´*) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社は、このパターンが結構多いのかも!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
「だから、連鎖退職や一斉退職しちゃう従業員が増えているのかも!? ヽ(;▽;)ノ 」
って方もいらっしゃるんじゃーないでしょーか?
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?:正しい答えと思い込んで唯一絶対の答えと早々に絞り込んでしまうリスクって?編
会社の方向性も道のりも決まっていたとするっす。

だけど、よくよく調べてみると、そこまでの道のりが実はこーんな状態だと判明したとするっす。

で・・・
「そこまでのこの道のりが、唯一絶対の答えだと思っていたのに・・・」
「なのに、こんな状態じゃー、正しい答えがあってもその答えを選ぶに選べないじゃんかよー・・・」
と、絶望的な気持ちになったものの・・・
「まぁ、良いようにとらえると、行く前に気づけて良かったってコトなのかも!?」
「実際に行ってから判明したんだったら、シャレにならないもんなー・・・」
「とは言えども、ボヤいていたところで、なーんにも解決しないもんなー・・・」
「仕方がないから、別の答えを探してみるっきゃないかー・・・」
「そもそも早々に正しい答えと思い込んで、他の答えを切り捨てちゃったから、きっと他にも答えがあるよねー」
「ピンチをチャンスに変えるって言うコトだしさー・・・」

と思い直して、別の答えを探してみたとするっす。
すると・・・
例えば、こーんな風に別の答えの候補が複数見つかったとするっす。

「いやー、諦めずに探してみるものだね~っっ♪」
「てっきりアレが唯一絶対の答えだと思い込んでいたけど、他にも答えがあったとは、早々に答えを絞り込んでしまうのも考え物だったよなー・・・」
「唯一絶対の答えをエイヤー!!で完全に決めてしまって、あの道のりを無理やり進まなくて良かったかも・・・!?」
「危うくみんなを危険にさらすところだったわ・・・」
と、喜んだのもつかの間・・・
「とは言えども、他の答えがたくさんあるのも困るっちゃー困るよなー・・・」
「この複数の選択肢から、何を基準に選んだらいいんだ・・・!?」
「新たな唯一絶対の答えはどれなんだ!?」
「正しい答えの見つけ方って、いったいどーすりゃーいいんだ???」
などの悩みが発生したとするっす。
さてさて、皆様だったらどーするでしょーか?
( ̄∀ ̄)b
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?(パート2)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「答えを早々に1つに絞り込んで唯一絶対の答えって決めてしまうのは、ラクっちゃーラクなんだけど、リスクがあるってコトなのかも・・・!? o( ̄_ ̄|||)o 」
「唯一絶対の答えと思い込んでしまうことって、もしかしたらあったかもしれない他の選択肢をみすみす切り捨ててしまうコトでもあるのかも・・・!? (´Д`lll)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「うーん・・・、正しい答えの見つけ方に必要なことって、結局のところ判断基準ってコトなのかも・・・!?w( ̄△ ̄;)w 」
「正しい答えの見つけ方ばかり探していたけど、実は判断基準が定まっていないから、正しい答えを見つけられない場合もあるのかも・・・!? ((((_ _|||)))) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「とは言えども、何を基準にどう判断して、正しい答えを見つけたらいいのかよくわからないよなー・・・ (´・ω・`) 」
「知名度が高い人が言ったからそれが正しい答えって、つい思っちゃいそうだし・・・ σ( ̄∇ ̄;) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー・・・、もしかしたら・・・







なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
従業員の立場の方からお聞きすることもある例えばこんな声からも、考えてみるのはどーでしょう?
o(*⌒O⌒)b
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?:従業員Aさんの声
唯一絶対の答えがない時とある時の違いって、何がどう違うんだろーか?
正しい答えの見つけ方って、何をどーすりゃーいいんだろーか?
って、悩むことってありますよね。
で、どーしてこんな風に悩む羽目に陥っちゃうんだろーか?
って考えてみたところ、やっぱコレが原因なんじゃーないのかな~!?って、感じたことがあるんです。
それは、学生時代と社会に出てからの違いとでも言ったらいいんでしょーか。
だって、学校のテストとかでは唯一絶対の答えがありますよね。
採点する側にとっては、マークシート形式の試験なんかを思い浮かべたらわかるように、唯一絶対の答えがないと採点のしようがないから、唯一絶対の答えが用意されているって側面もあると思います。
テストを受ける側は、その唯一絶対の答えをいかに効率良く導き出すかってテクニックみたいなものを教えてもらったりなんかもしますよね。
だから、正しい答えの見つけ方について悩む必要もないんですよね。
極端な話、学生時代はこーゆー考え方でもいいと思います。
だけど、社会人になった途端、思いっきり支障が出ちゃうんですよね。
唯一絶対の答えがない場合の方が多いですから。
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?:従業員Bさんの声
何をどーすれば、正しい答えを見つけられるんだろーか?
唯一絶対の答えがない時とある時の違いって、何がどう違うんだろーか?
って、悩むことってありますよね。
社会人になろうとしていた頃の私もそうでした。
学生時代は唯一絶対の答えがあったけど、実は唯一絶対の答えがない時の方が多いんだなーって。
特に人生の選択で考えると、何が正しい答えなのかそうでないのかもわからないし、唯一絶対の答えがないことばかりなんだなーって。
例えば、就活においてもそーですよね。
どこの会社を受けたらいいのかに始まって、選考で落ちた時には、何が悪かったんだろう???って悩んだり。
選考に通ったとしても、本当にこの会社でいいんだろうか???って悩んだり。
人生の一大イベントとも言える結婚に関してもそーですよね。
何歳ぐらいの時にどんな人と結婚したらいいのかとか。
ある人にとってはその答えが正しくても、自分にとっては違うかもしれないとか。
そのせいもあってなのか、
どーしてこんなに選択肢が多いんだろーか?
唯一絶対の答えがない時ばっかりなんだろーか?
正しい答えの見つけ方が、わからないことばかりなんだろーか?
って、悩んでばかりいましたね。
だけど、就活の時に散々悩んでおいて正解だったのかも!?
とも感じるようになりましたね。
だって、社会人になって従業員の立場になってからも、唯一絶対の答えがない時の方が多いって思い知らされたから。
就職してしまえば、正しい答えが何なのかとかってこんなに悩むこともないだろーと思っていたんだけど、甘かったですね。
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?:従業員Cさんの声
唯一絶対の答えがない時とある時の違いって、何がどう違うんだろーか?
正しい答えの見つけ方って、何をどーすりゃーいいんだろーか?
って、悩むことってありますよね。
私もそうだったんですけど、唯一絶対の答えなんて見つかりっこないし、正しい答えの見つけ方なんかどーせわかるはずがないって開き直って悩むのをやめたんです。
だって、唯一絶対の答えも正しい答えの見つけ方も、知っているのは社長や管理職だけなのであって、どーやったって自分には絶対わからないんですから、悩むだけソンかなーって。
そしたら、めちゃくちゃラクになりましたよ。
それまで悩んでいたのがアホらしくなったぐらい。
特にウチの会社の場合、それが正しい答えなのかな~!?って思っていたとしても、土壇場でいきなりひっくり返されることがよくありますし。
朝令暮改もよくありますし、ちゃぶ台ひっくり返しも頻繁にありますし。
そりゃー、腹が立ちますけど、しがない従業員の立場としては、会社の方針に従うしかありませんからね。
会社の方針に納得できないなどと言おうものなら、「イヤなら辞めろ」って言われるのが目に見えているし、必死で就活してようやく入った会社なのに、下手したらリストラされかねませんから、仕方がありませんよね。
長い物には巻かれろって言うし、この際、開き直っちゃおーかと。
でも、こーゆー出来事を社長や管理職の視点で見たら、結構大変なんじゃーないかな~!?とも感じるようになりましたね。
自分みたいな下っ端の従業員は、正しい答えがどーのとかって考えずに、社長や管理職の指示にただ従っていればいいだけじゃないですか。
たとえ失敗したとしても、会社を倒産させるようなことにはまずならないですよね。
だけど、社長の立場だったら、正しい答えを何がなんでも見つけないとダメだろーし。
選んだ答えが正しい答えでなかったとしても誰にも責任転嫁できないだろーし、事業継続の危機に陥っちゃうかもしれないし、会社を倒産させてしまうかもしれないし。
管理職の立場で考えても、やっぱり大変ですよね。
社長が出した答えが正しくなかったら、社長が暴走してしまうのを防止するためにも管理職としては指摘せざるを得ないでしょーし、部下との板挟みになっちゃうことだってあるでしょーし。
社長が出した答えが唯一絶対の答えで正しい答えだったとしても、管理職としては経営戦略を考えざるを得ないでしょーし。
そう思うと、唯一絶対の正しい答えを見つけなきゃいけない立場の人って、本当に大変だよなーって感じるようになりましたよ。
考えようによっちゃー、自分みたいな下っ端の従業員だと、唯一絶対の正しい答えを見つけなきゃいけないワケじゃーないから、ラクっちゃーラクだし有り難い話ですよね。
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?(パート3)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「ナルホド・・・、唯一絶対の答えがない時とある時の違いについて、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ (* ̄▽ ̄) 」
「あ、なーんだー、正しい答えの見つけ方ってそーゆーコトだったんだ~ (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「もしかしたら、唯一絶対の答えがある時がフツーなんじゃーなくて、唯一絶対の答えがない時がフツーと思った方がいいのかも・・・!? (o´д`o)=3 」
「だよなー、唯一絶対の答えがあると思っちゃうから、正しい答えの見つけ方についても悩んじゃうんだもんなー・・・、唯一絶対の答えがないのがフツーだったら、正しい答えの見つけ方についても悩まなくて済むのかもなー・・・ ( ̄▽ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってゆーか、社会人になってから唯一絶対の答えがない時の方が多いんだったら、学校でも唯一絶対の答えがあるのが前提じゃない教育をしておく方が親切じゃね??? ┗(炎Д炎#)┛ 」
「採点する側の都合もあるかもしれないけど、何のための教育なのかって考えたら、学生時代から唯一絶対の答えがないって前提に基づいた教育を行う方が、人生において役に立つんじゃないのかな~??? (´Д`lll)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ウチの会社もそーなんだけど、唯一絶対の答えを知っているのは上司や社長だけの場合って、やっぱよくあるってコトなのかも・・・!? \( ̄▽ ̄;)/ 」
「だとしたら、上司や社長しか知らない唯一絶対の答えの見つけ方を必死こいて探すよりも、上司や社長に直接聞いた方が早いのかも・・・!? ( ̄○ ̄;) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでもって・・・、もしかしたら・・・





なんかにもある意味関係するかもしれないので・・・
経営者の立場の方からお聞きすることもある例えばこんな声からも、考えてみるのはどーでしょう?
( っ・ω・)っ
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?:経営者Dさんの声
唯一絶対の答えがある時って、どんな状況なんだろーか?
唯一絶対の答えがない時って、どんな状況なんだろーか?
唯一絶対の答えがない時とある時の違いって、何なんだろーか?
唯一絶対の答えがない時に正しい答えを見つけるには、何をどーしたらいいんだろーか?
正しい答えの見つけ方って、何をどーすりゃーいいんだろーか?
それが唯一絶対の正しい答えなのかそーでないのかって、何を基準にどう判断したらいいんだろーか?
などについて、悩むことってよくありますよね。
経営者の立場だと。
そーゆー私もそうだったんですけどね。
特に起業したばかりの頃は、悩んでばかりいた覚えがありますよ。
自分の優柔不断さに嫌気がさすぐらいに。
コレももしかしたら、経営者の視点と従業員の視点の違いから来る悩みなんだろーか???とも感じましたね。
従業員の立場で働いていた頃は、こんなことで悩んだことが一度もなかっただけに。
そもそも経営者の仕事にはマニュアルもありませんし、唯一絶対の答えがないんですよね。
散々悩んで答えをようやく導き出せたとしても、それが本当に正しい答えなのかもわからないし、正しい答えなのか間違った答えなのか誰も教えてくれないし。
その答えが正しかったのか間違っていたのかがわかるのは、結果がある程度出てから自然とわかるって恐ろしさもあるし。
会社の方向性にかかわることとか、リストラに関することとか、重大な経営判断をしなきゃいけない時ほど唯一絶対の答えがないし、正しい答えの見つけ方もわからないから、こんなに怖いものはないですよね・・・
コレって、経営者の孤独とも関係していると私は思うんです。
そう思うと、経営者ならではの宿命とも言えるのかもしれませんね。
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?:経営者Eさんの声
経営者の仕事や役割において、唯一絶対の答えがない時がフツーだと思うんですけど、唯一絶対の答えがある時ってあるものなんだろーか?
経営者の仕事や役割において、もしも唯一絶対の答えがある時があるとすれば、それはどんな時なんだろーか?
経営者として正しい答えを見つけるには、何をどーすればいいんだろーか?
間違った答えを選択してしまわないためには、何をどーすればいいんだろーか?
などについて悩むことって、ありますよね。
どんなに自信家の経営者であったとしても、やはり人間ですから。
唯一絶対の答えがある時ばかりだったらいいのに・・・
唯一絶対の答えがあれば、こんなに悩まなくて済むのに・・・
こんな風に思うこともありましたよ。
だけど、失敗を散々繰り返して、ようやく気付けたこともあるんです。
それは、唯一絶対の答えがない方がラクな場合も、意外とたくさんあるってことなんですけどね。
例えば、ある経営課題について悩んでいたとしますよね。
で、唯一絶対の答えと思う答えを見つけたとするじゃないですか。
でも、よくよく考えてみると、その答えが実は間違っていたり、リスクが大きかったりしたとしますよね。
そんな時に、もしもそれが唯一絶対の答えで他の答えがなかったら、八方ふさがりになっちゃって超サイアクじゃないですかね???
つまり、それが唯一絶対の答えだったら、AプランがダメだからBプラン・Cプランなどの他のプランを、戦略的に選択するってことができなくなっちゃうと思うんです。
唯一絶対の答えがないからこそ、AプランがダメになったらBプラン・Cプランなどの他のプランを、戦略的に選択することができると思うんですよ。
一時期は、
選択肢がたくさんあるから悪い!!
選択肢がたくさんあるから、唯一絶対の答えがわからなくなるんだろ!!
選択肢がたくさんあるから、正しい答えの見つけ方がわからなくなるんだろ!!
なーんて、自分のふがいなさを棚に上げて、選択肢がたくさんあることのせいにしていた頃もあったんだけど、今思うとむちゃくちゃですよね。
選択肢が1つしかないよりも、選択肢がたくさんある方がいいに決まっていますよね。
それに、どんな会社であってもどんな状況であっても、唯一絶対の答えしかないとしたら、みぃーんな同じやり方をしますよね。
そりゃー、経営者としてラクでいいってとらえ方もあるんでしょーけど、世界中のどの会社もみぃーんな同じやり方したら、差別化も独自性もなくなっちゃうでしょーし。
同質化していてどの会社も違いがないってことでもあるでしょーから、価格競争に陥っちゃいますよね。
そう思うと、唯一絶対の答えがない時も悪くないんじゃーないのかな~???
って、感じるようになったんです。
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?:経営者Fさんの声
唯一絶対の答えがない時とある時の違いって、何なんだろーか?
唯一絶対の答えがない時に正しい答えを見つけるには、何をどーしたらいいんだろーか?
正しい答えの見つけ方って、何をどーすりゃーいいんだろーか?
などについて、悩むことってやっぱりありますよね。
唯一絶対の答えがない時ばかりで、マニュアルが一切通用しない仕事をしなきゃいけない経営者だからなのかもしれませんが。
だけど、そんな経営者の仕事にも唯一絶対の答えがある時とか、その唯一絶対の正しい答えを見つけなければならない時とかって意外とあると今は思うんです。
それはどんな時なのかってゆーと、人権とか法律とか倫理とかにかかわることでしょーか。
従業員の立場で考えると、そんなの当たり前だろ!!って言われちゃうかもしれませんが。
でも、経営者の立場で考えると、コレがなかなか難しいんですよね。
例えば、労働法を守らない会社ってたくさんあるじゃないですか。
労働法を守らないことって、人権にもかかわりますよね。
労働法ぐらい守るのが当たり前だろ!!って、従業員の立場だと言いたくなるでしょーけど、経営者の立場だとコレがなかなか難しいんですよね。
他にも例えば、コンプライアンス遵守とか。
コンプライアンスぐらい遵守して当然だろ!!って、従業員の立場だと言いたくなるでしょーけど、経営者の立場だとコレがなかなか難しいんですよね。
だからこそ、特に経営者には高い倫理観が求められているんだと思います。
言うなれば、最大の敵は己の中にありって感じですよね。
唯一絶対の答えがない時があってもいいかもしれないけど、特に人権とか法律とか倫理とかにかかわることに関しては、唯一絶対の答えがないと思ったら逆にダメだと思うんです。
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?(パート4)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「うーん・・・、一理あるっちゃー 一理あるのかも・・・!? (@ ̄□ ̄@;) 」
「だよなー、選択肢が少なくてもどんなに選択肢がたくさんあっても、自分の中にその選択肢を判断する基準がなければ、正しい答えを見つけられないもんなー・・・ (;・∀・)」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトは、唯一絶対の答えがないかあるかが問題なんじゃーなくて、判断基準が定まっていないことが問題ってコト・・・!? (´ε`;) 」
「正しい答えの見つけ方で悩んだ時は、その兆候ってコトなのかな~??? (´-ω-`) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ってコトはだよ・・・、アレをあーして、コレをこーして・・・ ((φ( ̄Д ̄ ) 」
「ウチの会社で必要な正しい答えの見つけ方って、こーゆーコトだったのかも~ d(⌒ー⌒) 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
んでー・・・
上記を踏まえた上で、例えばこんな視点からも考えてみるのはどーでしょう?
(* ゜ー゜)
人生の選択肢の多さと唯一絶対の正しい答えの見つけ方
■ 「潰れない生き方」
この数十年の変化の中で、もっとも大きく変わったものは何かと問われると、私は人生の選択肢が飛躍的に増え、さらにその選択をする自由度が高まったことではないかと答えます。
ところが、この状況が人を幸せにしているとは必ずしも言えないというのが現状です。
選択肢の数の増加と同じだけ、「これでいいのだろうか・・・」という迷いも増えました。
迷って選択ができない、あるいは選択したけれど間違ったと思う・・・
そんな人たちが増えてしまったのです。
何かを得ようとして選択したことで、何かを失ってしまったかもしれない。
本当は別の幸せがあったのかもしれないのに、自分はそのチャンスを逃してしまったのかもしれない。
本当の自分は、こんな自分じゃなかったのではないだろうか。
他の人と比べて、自分の人生が劣っているのではないか、失敗だったのではないかと考えてしまう。
こうやって自分を追い込み、自分の人生に自信がもてなくなる。
そんな人をたくさん生んでしまったのではないでしょうか。
生き方はいくらでもあると言われたら、迷うのは当然のことだと思います。
大事なことはやはり、何をするかではなく、どう生きるかなのではないでしょうか。
どんな選択をしようと、これが正解なんてものは誰にも決められません。
決められるとしたら、それは本人がそう思い込めるかだけです。
だとすると、本人が自分の選択が良かったと素直に思える、あるいはその選択がどうであれ、自分は良く頑張った、精一杯やったと心から思えることが大切なのではないでしょうか。
人生の選択肢の多さに惑わされないでください。
いま自分が何をしているかで、自分の人生を判断しないでください。
大切なのは、何をしているかではなく、どう生きているかなのですから。
どう生きるかは、いまからでもすぐに変えられるのですから。
正しい答えは一つしかないと考えるのではなく、いろいろあっていいのだと考えると・・・?
■ 「日本語教師のための異文化理解とコミュニケーションスキル」
異文化理解の態度は異文化に関する知識が豊富なだけでは育ちません。
頭も大切ですが、心と体が異文化に開かれていることがもっと大切です。
相手はあなたの気持ちや態度を敏感に察知します。
異文化理解の態度がにじみ出ていると人は近づいてきます。
人間は、理解してもらえると感じると人と自然にコミュニケーションしたくなります。
人によって考え方、感じ方、やり方がいろいろあると考えている人は、自分の考え方、感じ方、やり方を固守しません。
異文化と接するとき大切なのはこの態度です。
正しい答えは一つしかないと考えるのではなく、いろいろあっていいのだと考える。
これは相手に一方的に同調したり、同化したりすることとは明確に異なります。
自分の考えをしっかり持ち、相手に分かるように説明できなければなりません。
いろいろな理屈があるということを受け入れられるだけの頭、心、体を土台にして、しっかりとした自分の考えを持っていることが肝心です。
この幅があると相手の気持ち、感情に共感できるようになりますし、相手の考え方ややり方も受け止められるようになります。
相手の立場に立って考え、感じることができます。
反対に自分の考えを固守する人は相手が同意しないと自己防衛に走り、相手を攻撃したり、感情的な対応をしてしまいます。
共感することと感情的になることは相反する情動です。
異文化間では誤解や失敗は付き物です。の度に自分を責めたり、相手を責めていては疲れてしまって前に進めません。
失敗を繰り返さないためには肯定的なエネルギーが必要です。
あるいはそのようなエネルギーをもたらしてくれます。
だから、自分の失敗を責め悔やむのにエネルギーを使い果たすのではなく、笑って前向きに進むことです。
失敗は結果ではなく過程の段階で起きた一事に過ぎません。
異文化理解は常に進行形の過程です。
だから、あせらない、あわてない、あきらめないのが基本です。
「仕事」や「働くこと」と唯一絶対の正しい答えの見つけ方
■ 「この世でいちばん大事な「カネ」の話」
角度と向きを変えると、同じものでもまったく違うふうに見える。
それを冷静に判断できるようになることを、「客観性を持つ」という。
他人と比べて、自分の何がちがっていて、どこがどう足りていないのか。
それがちゃんと自分でもわかっていないと、その先の展開も、あいまいで成り行き任せのものになってしまうからね。
どんなことであれ、「客観性を持つ」のは、人がまず自分なりのスタート地点に立つために、とても大切なこと。
とはいえ、言うは易し。
自分の実力を客観的にわかるようになるというのは、口で言うほど簡単なことではないし、時間だってかかる。
自分のダメさがわかるって、こわいもんね。
そりゃあ、誰だって逃げ出したくもなるよ。
まして、わたしは最下位だもん。
そうやってグルグル悩んでたからって、答えなんかみつかるわけがない。
それに、わたしは、逃げるわけにはいかなかった。
おーし、上等じゃないの。
こうなったら最下位だろうと何だろうと、しぶとくふんばってやる!
自分は将来何をするのか?
「自分のやりたいこと」ってはたして何なのか?
これはちょっと簡単には答えが出ない悩みだよね。
でも、こんなふうに考えてみたらどうだろう。
一方に、お給料は結構もらえるんだけど、でもそれはガマン料も入っている仕事がある。
そしてもう一方に、そんなにストレスはなさそうだけど、ただ食べていくため、生活費を稼ぎ出すための仕事がある。
こっちは、まあ、お給料はそんなにもらえない。
あんなりストレスが大きい仕事は、いくらお金をたくさんもらえたからって、しまいには心と体を壊してしまう。
家に帰っても眠る暇もないような仕事をしていたら、家族だって心配だし、大変だよね。
「自分がやりたいことがわからない」という人は、やみくもに手探りをするよりも、このふたつの「あいだ」に自分の落としどころを探してみたらどうだろう。
それでも、もし「仕事」や「働くこと」に対するイメージがぼんやりするようならば、「人に喜ばれる」という視点で考えてみるといいんじゃないかな。
自分がした仕事で人に喜んでもらえると、疲れなんてふっとんじゃうからね。
人が喜んでくれる仕事っていうのは長持ちするんだよ。
「なぜ?」と自問することと正しい答えの見つけ方
■ 「できない人ほど、データに頼る」
小さな子供に、「なんで?」と何度も質問され、困った経験は誰にでもあるでしょう。
なんども「なんで?」と繰り返し質問されると、「そういうものなの!」と思わず叫びたくなりますが、子供は納得してくれません。
私たちは年齢を重ねると、次第に「どうして?」と尋ねなくなります。
大人になると、物事をそのまま受け入れて疑問を持つことができなくなり、「なぜ?」と質問することが減っていきます。
人間は本来疑問を感じ、自分は何のために生まれ、何をすべきなのかを考える能力を持っています。
反論のためでなく、物事を深く理解するためです。
理解すると、さらに改善できるからです。
毎日の生活でも、本来問いかけることはたくさんあります。
しかし、ビジネスの世界では、「なぜだろう?」という疑問はあまり持ちません。
また、いつどのように、「なぜ?」と自問すればいいのかわかりません。
「なぜ?」と自問する方法は、たくさんあります。
さまざまな顧客視点に立って、質問するのです。
また、「どのように」ではなく、「なぜ?」と質問することが大切です。
問題点が具体的に浮かび上がり、その答えを解く糸口を見つけられるからです。
「なぜ?」と自問すると変化が生まれ、観察すると「なぜ?」という疑問が湧いてきます。
自分が大切にしていることだから、「なぜ、そうなんだろう?」「なぜ、変えられないんだろう?」と問いかけられるのです。
「なぜ?」と問いかけるのに、特に高度な知識は必要ありません。
しかし、いまだに多くの企業が「なぜ?」と自問していないのが実情です。
学校の勉強であれば、試験の出題者の出した問題を解けばいいので、正しい解き方、あるいは効率的な問題の解き方が教育の中心になっている
■ 「論点思考」
いわれたとおりの仕事をしたはずなのに、なぜか満足してもらえなかったという経験は多くの方がもっていると思う。
実は多くの場合、間違った問題を解いているために満足させることができていない。
仕事で大事なことは問題を解決することであるのはいうまでもないが、それは正しい問題を解いている場合にかぎるという前提がつく。
学校の勉強であれば、試験の出題者の出した問題を解けばいいので、どちらかといえば正しい解き方、あるいは効率的な問題の解き方が教育の中心になっている。
ましてや国語の問題に数学の問題が紛れ込むことや、「この中には解くべき問題と解いてもしょうがない問題が混ざっているので自分で判断しなさい」なんてことは絶対にない。
ところが、ビジネスの世界では誰も「あなたが解くべき問題はこれである」と教えてくれない。
たしかに、はじめのうちは上司がこの課題を解決しなさいと指示してくれるが、徐々に自分で課題が何かを考えて、その解決方法も自分で考える必要が出てくる。
上司がいても、本当に正しい問題を与えてくれるかどうかもたしかではない。
そこで自分で問題を発見したり、定義したりしなければならない。
論点とは「解くべき問題」のことだが、その解くべき問題を定義するプロセスを論点思考と呼ぶ。
最初に論点設定を間違えると、間違った問題に取り組むことになるので、その後の問題解決の作業をいくら正しくやったところで意味のある結果は生まれない。
論点設定に戻ってやり直すことになる。
したがって、短期間で答えを出すためには最初の論点設定がきわめて重要になる。
本当の論点を設定するには、論点の特徴について知っておく必要があるだろう。
まず大前提として、現象や観察事実を論点と間違えないことが大切だ。
一般的に問題点と呼ばれるものの多くは、現象や観察事実であって、論点でないことが多い。
現象を論点ととらえて問題解決を図ろうとしても、多くの場合、成果はあがらない。
会社に泥棒が入ったとしよう。
これは会社にとって大きな問題である。
しかしながら、「会社に泥棒が入った」ことは論点ではなく、現象もしくは観察事実である。
そこを勘違いしている人が多い。
ここで重要なのは、なにを論点にするかで打ち手が変わるということだ。
別の言い方をすれば、論点の設定が間違っていると、どんなに立派な打ち手を考えたとしてもなんの役にも立たない。
論点思考が難しいのは、論点候補が無数に存在し、その中からこれはと思う論点を見つけて深堀りしなくてはならないこともあるが、それに加えて、論点が動くからである。
なぜ動くかといえば、それは、
- 論点は人によって異なる
- 環境とともに変化する
- 論点は進化する
からである。
質問の仕方と正しい答えの見つけ方
■ 「なぜ危機に気づけなかったのか」
人は仲間や顧客と話をするとき、聞きたい答えを引き出そうとして質問することがある。
そして、その応えは回答者が実際に考えていることや、組織の中で実際に起きていることを反映していないことが有り得る。
人は特定の方向の答えを促したり、その後の会話の範囲を限定するような形で質問の仕方を考えることがある。
ときには意図的にそうすることがあり、また無意識の場合もある。
たとえば、ある経営幹部が「値段を下げればどのくらい売上が増えるだろうか」と尋ねたとする。
この幹部は、消費者は値段を下げればもっと商品を買うものだと思っているだけでなく、商品1単位当たりの売上金額が減る分、数量増によって十分にカバーできるという前提で尋ねているのだ。
誘導尋問は多くの場合、一定の方針に同意を求める形で行なわれる。
「わが社がこの買収を実行すべきだという考えにあなたは同意しますか」というような質問である。
こうした尋ね方は、違った意見を求めてもっと幅広く意見交換しようという意図のものでないことは確かだ。
というより、積極的に異論を封じ込めようとするもののようだ。
尋ねられたほうは、重要な情報を握っているかもしれないが、こういう質問の仕方をされれば問題が浮上する見込みはなさそうである。
「こうすれば失敗しない」という教育方法と唯一絶対の正しい答えの見つけ方
■ 「失敗学のすすめ」
昔から伝わる言葉に、
「失敗は成功のもと」
「失敗は成功の母」
という名言があります。
失敗しても、それを反省して欠点をあらためていけば、必ずや成功に導くことができるという深遠な意味を含んだ教訓です。
人が新しいものをつくりだすとき、最初は失敗から始まるのは当然のことです。
人は失敗から学び、さらに考えを深めていきます。
営業企画やイベント企画、デザイン、料理、その他アイデアを必要とするありとあらゆる創造的な仕事に共通する言葉です。
つまり、失敗はとかくマイナスに見られがちですが、じつは新たな創造の種となる貴重な体験なのです。
いまの日本の教育現場を見てみますと、残念なことに「失敗は成功のもと」「失敗は成功の母」という考え方が、ほとんど取り入れられていないことに気づきます。
それどころか、重視されているのは、決められた設問への解を最短で出す方法、「こうすればうまくいく」「失敗しない」ことを学ぶ方法ばかりです。
これは受験勉強に限りません。
実社会でも通用する知識・教養を教える最高学府であるはずの大学での学習もまた同じです。
失敗から学ぶ体験実習のように、自分の力で考え、失敗経験を通じて新たな道を模索する、創造力を培う演習が行われる機会は、悲しいかなほとんどありません。
これが、「日本人の欠点」として諸外国から指摘され、また、自らも自覚している「創造力の欠如」にそのまま結びついているのではないでしょうか。
たしかに以前は、ほかの人の成功事例をマネすることが、成功への近道だった時代がありました。
そうした時代には、決められた設問に正確な解を素早く出す学習法が有効だったのは事実です。
しかし、ほかの人の成功事例をマネすることが、必ずしも自分の成功を約束するものではなくなったのがいまの時代です。
昨日までの成功は、今日の成功を意味しません。
残念なことに失敗そのものは、「回り道」「不必要なもの」「人から忌み嫌われるもの」「隠すべきもの」などといった負のイメージが常につきまとっています。
そのせいか、いまの日本には、失敗体験が情報として積極的に伝達されることがほとんどありません。
本来は成功を生み出す「もと」であり、「母」であるはずのものが、まったく生かされていないのは、非常にもったいないことです。
学生たちへの指導を通じて痛感したのは、失敗することを決して否定的にとらえてはならないということです。
また、教育現場で真に求められていることは、正しい知識の伝達もさることながら、物事に挑戦し、失敗による体感・実感を基にして本当に使える知識を獲得させることです。
最初のうちに、あえて挫折経験をさせ、それによって知識の必要性を体感・実感しながら学んでいる学生ほど、どんな場面にでも応用して使える真の知識が身につきます。
この学習方法は、学生たちがそれまで慣れ親しんできた勉強方法とは明らかに異なります。
受験用の勉強は、与えられた設問への答えの出し方を最短距離で学ぶ、まさに合理的学習法ですが、残念ながらこれだけでは吸収した知識を本当に身につけることはできません。
とおりいっぺんの形だけの知識は身につくものの、それは深い部分にまでは根づかず、したがって本当の意味での自分の知識として使うことができないからです。
この隙間を埋めるには、やはり体感・実感がともなった体験学習が必要で、失敗することを厭わず、失敗体験を積極的に活用する必要があります。
これは、子どもの教育全般などにもそのままいえます。
「こうすれば失敗しない」
「こうすれば成功する」
「これはダメ、あれはダメ」
という教育方法では、やはり知識の表面的な理解しかできません。
そこに欠落している深い理解なしには応用力は身につかないのです。
無駄を省いた合理的学習法は好んで使われているものの、その弱点についてあらためて考え直す必要があります。
「小さな失敗を不用意に避けることは、将来起こりうる大きな失敗の準備をしていることだ」
ということを、もっと私たちは知るべきなのです。
機械のほうが得意なことと唯一絶対の正しい答えの見つけ方
■ 「機械との競争」
大学を出たら毎日上司にやることを指示されるような従来型の仕事に就こうなどと考えていると、いつの間にか機械との競争に巻き込まれていることに気づくだろう。
上司のことこまかな指示に忠実に従うことにかけては、機械のほうがはるかに得意であることを、ゆめ忘れてはいけない。
加速するテクノロジーの変化に取り残されないようにするためには、組織革新だけでは不十分である。
これを補うものとして、人的資本への投資が欠かせない。
具体的には、教育であり、進化する技術を最大限に活かすためのスキル開発である。
教育部門が情報技術の活用でも後れをとっているのは、けっして偶然ではない。
教室に並んで腰掛けた生徒を相手に先生が授業をするという基本的な指導法は、何世紀もほとんど変っていないのである。
昔からのジョークにもある通り、これでは教師の講義ノートから生徒のノートに情報を移すだけで、どちらの脳みそも通過しない。
多くの教室では、主な指導技術と言えば、文字通り石灰岩を粉にしたものを黒い大きな石版になすりつけることにほかならない。
この状況をうんと楽観的に解釈するなら、教育には改善の余地がきわめて大きい、ということになる。
教育のデジタル化が進めば、教育者は従来とはちがったアプローチを実験し、追跡調査し、何がうまくいき何がうまくいかないかを見極め、新たな知見を共有し、最善のアプローチを他の学問や他の国にも広めることができるだろう。
その結果、教育改革のペースは加速し、教育の生産性ははるかに高まるはずだ。
ソフトなスキルの中でも、リーダーシップ、チーム作り、創造性などの重要性は高まる一方である。
これらは機械による自動化が最も難しく、しかも起業家精神にあふれたダイナミックな経済では最も需要の高いスキルだ。
情報と唯一絶対の正しい答えの見つけ方
■ 「やっぱり変だよ日本の営業」
「情報」と言うとき、具体的に何をイメージしますか。
様々な情報が巷に氾濫しているように、企業の情報も氾濫しています。
しかし、
「あなたが欲している情報は何ですか?」
「この問題を解決するために、何の情報が欲しいのですか?」
「その情報をどのように問題解消に活かしますか?」
と聞かれたとき、満足に答えられる方はほとんどいないでしょう。
経営にとっての「情報」とは、何かの目的を達成するために事前につかんでおけば有利に事を進めることができる「兆候」です。
「目的」があって「有利」に進めようとするからこそ、必要な情報が見えてくるのです。
目的がないのであれば情報など無用ですし、何かを達成しようとしてもいないのに美味しい情報が果物のように落ちてきて、自然に幸せになれるわけでもありません。
日本企業には、会議や飲み会がたくさんあります。
しかし、日本企業の情報の収集と利用のレベルは遅れています。
日本のビジネスマンは、「何の目的のために、どのように活かすか」の議論もせず、情報交換と称して長々とやり取りを行っているに過ぎません。
何らかの形で誰かの役に立つだろうと思って皆が頑張って残業して、文章や会議録や書類や報告書などを作っていますが、それが何につながるのかが誰にもわからなくなってしまっているのが現状です。
唯一絶対の答えがない時とある時の違い
■ 「「集団主義」という錯覚」
日本人論の場合、正確に認識したい事実は、日本人の特質である。
そのためには、日本人だけを調べるという方法は、あきらかに適切ではない。
他の国の文化のひとびとと比較してみなければ、日本人に特有の性質が何なのか、分かるはずがないからである。
かりに、日本人が食事をしているところを見て、「ものを食べることが日本人の特質だ」と論じたひとがいたとしよう。
だれもが「ばかげている」と思うだろう。
なぜ「ばかげている」かといえば、日本人以外のひとたちも皆、ものを食べるということは、誰もが知っているからである。
だが、日本人以外のひとたちがどうするか、誰も知らないような事柄についてなら、「ばかげている」とは思わずに、そのまま信じてしまうかもしれない。
上官の命令に従うアメリカの海兵隊員と、教授の注意無視しておしゃべりを続ける日本の大学生を比較して、「アメリカ人のほうが日本人より従順だ」と主張したとしよう。
この主張は正しいと言えるのだろうか?
では、間違いをおかさないためには、どうすればいいのだろう?
人間は誰でも、「自分がやりたいことを、自分の好きなやり方でやりたい」という基本的な欲求をもっている。
これは、反抗期の幼児を抱えている親なら、誰もが実感していることだろう。
一方、人間は、集団になってはじめて大きな力を発揮できる生物であり、完全に孤立した個人は、生存すら危うくなる。
しかし、集団のなかでは、個人が好きなように行動すると、かならず他の個人との間に衝突が起きる。
いずれにしても、「個人主義と集団主義のどちらが優れているか?」という問いには、単純な答えは存在しないのである。
確かな答えはWhy?とSo What?に強い
■ 「論理思考の「壁」を破る」
初めて取り組む課題にぶつかったとき、だれしもすぐに解決方法を考えつくわけではない。
考え込むところから始まるのはすべての人に共通したことだ。
しかしそこからは、いいかげんな答えを出す人、もっともらしい答えを出す人に二分されていく。
往々にして、感情で決めたり先入観や慣習に基づいて思考停止に陥ったりすると、答えがいい加減になる。
誤った思考プロセスと判断によって結論を出していることを自覚していない場合も多々ある。
だから答えが怪しいと思った場合は、ひたすらWhy?(なぜ?)So What?(だから何だ?)を自問自答したり、ほかの人が言っている場合は角が立たないようにWhy?So What?と聞いてみてほしい。
「いいかげん」な答えは客観性に乏しく、Why?とSo What?の繰り返しに弱い。
一方で、確かな答えはWhy?とSo What?に強い。
問題から結論に至るまでのストーリーが正しいロジックで成り立っているからだ。
「論理的に考える」ということは、目の前にある情報・ファクトの材料から、客観的に確からしい仮説を立て、それを確認していくという、一連のプロセスを何回も重ねることである。
そして、正しい論理でつながっているストーリーができあがるのだ。
外国人から日本について質問を受けた時の唯一絶対の答えとは
■ 外国人の疑問
訪日外国人から日本について質問を受けたら、どう答えればよいだろう?
日本人は人前で家族のことを褒めないですね。どうして?
日本人はなぜ、はっきり「ノー」を言わないの?
どうして本にカバーを付けて読んでる人が多いの?
どうして靴を脱がなくちゃいけないの?
日本の入試は中学から大学まで、答えは1つであるという前提でつくられているから、答えが出ない現実の問題に対応できない
■ なぜ日本人は世界で通用しないのか
日本の入試は中学から大学まで、答えは1つであるという前提でつくられています。
それに合わせて学校でも、答えがある問題を出して、その解き方を教えています。
そういった教育を通して「答えは1つ」と植えつけられているから、答えが出ない現実の問題に対応できない面があるのではないかと。
知識を与えられるだけの教育では、その瞬間に、誰も絵を描けなくなってしまう。
上の意見に逆らうことができない状態じゃいい発想も出てこないし、仕事へのモチベーションも上がらないでしょう。
背景には1人だけ違う意見を持つことを許さない日本企業の文化があると思います。
アメリカでは、自分の考え方と合わないと思えば転職します。
日本のように我慢しない。
ということは、日本では多くの人が自分の考えを諦めているわけです。
採用にも問題があると思います。
企業は、上の意見に服従してくれる人のほうが都合がいい。
だから「答えはいくつもある」なんて難しいことを言う人より、自分たちのカルチャーに染められるように、「とにかく頑張ります」と言う人を積極的に採ってきました。
小中学校のときから「答えはいくつもある」という教育をしていって、彼らが社会に出たときに化学反応が起きれば、新しい日本というものが見えてくるはずです。
日本はベースの教育はいいのだから、うまく組み合わせれば、ふたたび世界に羽ばたけるのではないかと思います。
疑問がないと答えは出てこない、世の中の考え方やものの見方は当然1つではない
■ 日本とドイツ、学習方法に見る隔たり
日本の公立中学校に少しずつ慣れ始めた我が娘。
帰国子女ならではのいろいろな試練が降り掛かってきます。
例えば日本の学習方法。
あまりにも暗記中心なのです。
日本の教育現場では、たとえその事柄を理解していなくとも、“とにかく覚えること”が求められているようでした。
考えること、興味のあることを追究すること、自分の意見を述べること・・・・・・そういう訓練はドイツでたくさんしてきたのですが、記憶力を鍛えるトレーニングは初めてです。
先生は言います。
「疑問がないと答えは出てこないんだよ」と。
なるほど、疑問を持つことは学問の始まりかもしれません。
1つの現象や物事をどう見るか、質問の立て方によっていろいろな答えが導き出せる。
世の中の考え方やものの見方は当然1つではない。
こんなドイツの授業風景が、日本に戻ってからは何度も懐かしく思い出されるのでした。
それ以外の「正解」が存在しないため、その「正解」を覚えることが要求される国の教育とは
■ 日本と中国の「詰め込み教育」と平均点
日本の教育をして「詰め込み教育」という形でまとまっておりますが、これは昔からよくある欧米と日本を比較するからこうなるのであり、アジアの中で、比較すると全く違った見方になります。
中国(韓国もそうですが)の詰め込み教育はかなり徹底しており、教育現場を見ると一目でわかりますが、ひたすら暗記重視の教育がおこなわれています。
中国の場合、大学の授業も基本的に教師の話を聞いて、それを覚えるということの繰り返しです。
中国共産党の一党独裁が大原則で、言論の自由がなく、それに対する反対は認められていない中国では、社会科学の分野では、有る程度答えが最初から決まっているからです。
それ以外の「正解」が存在しないため、その「正解」を覚えることが要求されるというわけです。
WHY?と聞くと、答えが返ってこないか、曖昧だったりする時
■ “目的”より“やり方”へのこだわり
ドイツ人とインド人の対話。
日本人に仕事をお願いした時、彼らは、
“WHY――なぜ、何のためにやるのか?”よりも、
“HOW――どうやるのか?”
をえらく気にしていたよ。
どの様式にどう書いて誰にどうやってて提出したらいいのか、と何回も聞いてきた。
逆に、日本人が人に何かをお願いする時は、WHYがなくてHOWだけ説明がある場合が多い。
WHY?と聞くと、答えが返ってこないか、曖昧だったりするんだよね。
それはたぶん、その人自身も知らないか、考えたこともないからだろうね。
正しき答え、悪き答えは、どこにあるのか
■ 人の評価なんて曖昧なもの
誰かが言った
これは良いものだ
別の誰かが言った
これは悪いものだ
また 別の誰かが言った
これは酷いものだ
同じものに対して 人によって 評価が違ったら 駄目なことだろうか
評価が違ったら どれが正しいのか どうやって決めれば良いのだろうか
正しき道は どちらなのか
悪き道は どちらなのか
正しき 答えは どこにあるのか
悪き 答えは どこにあるのか
問題も解決策も言えるのに、どういう姿になったら問題が解消されたと言えるのか、という問いに答えられない原因とは
■ 「問題」と「困りごと」を勘違いするマネジャー
「あなたの組織の問題は何ですか」と質問すると、沢山の返答があります。
皆さん、活発に議論をしてくれます。
ところが、「それではその問題が解消された、あるべき姿はどうなりますか」と質問すると、急に皆さん黙ってしまうのです。
あれほど雄弁に述べた問題とは因果関係のない、あるべき姿を言い始める始める人もいます。
問題も解決策も言えるのに、どういう姿になったら問題が解消されたと言えるのか、という問いに答えられない。
こういう人は問題を正しく捉えていません。
「困っていること」を問題と混同しているだけです。
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは
■ 性善説と性悪説の違いは?
よく議論されることに、「性善説と性悪説は、どちらが正しいのか」という問題があります。
しかし、これら2つのどちらが正しいのかと言われれば、「答えはない」というのが答えになるでしょう。
それぐらい難しい問題でもあるのです。
性善説と性悪説をめぐっては、その思想が登場してから今日に至るまでどちらが正しいのかの論争が繰り広げられています。
しかし、その結論は今もって出ていません。
生きていくうえで重要になってくる問いのほとんどには、唯一絶対の答えが存在していない
■ 「検索使いこなす子供」に潜む”大きな問題”
例えば「なぜSNSは流行したのか考えてこよう」という問いを出したとします。
これに対して、生徒が検索で調べると、「SNSの利用目的は、知人の近況を知るためと回答する人が多い」ということが書いてあります。
生徒はこれをコピーアンドペーストして、「Q:なぜSNSは流行したのか? A:知人の近況を知りたいから」と答えてしまうのです。
言うまでもなく、この答えは不完全です。
知人の近況を知りたいだけなのであれば、ほかの手段があるかもしれませんし、それ以外の理由だって考えられるはずです。
ここで書かれているのは「利用目的」であって、「なぜ流行したか」ではないですよね。
聞かれていることと、少し違いますね。
それなのに、「ネットで調べて、そう書いてあるから」という理由だけで、これを答えにしてしまう学生があまりにも多いのです。
なぜ、こういった「簡単な答え」に満足してしまう生徒が多いのでしょうか。
生きていくうえで重要になってくる問いのほとんどには「答え」は存在しておらず、その「答え」を考えるまでに費やした時間が、自分の価値観として育っていくのではないでしょうか。
しかし、今の生徒たちはその「答えのない問い」に対して、粘って考えるという経験が少ない場合が多いです。
この状態だと、人生の中で重要な選択をする際や、困難な状況に陥ったときに、「粘り強く考える」ことができなくなってしまうのではないかと思うのです。
タイパが当たり前とされる世の中だからこそ、すぐには答えのない倫理・哲学的な問いにじっくり向き合う時間も必要なのではないでしょうか。
こうした問いに向き合う中で、生徒にとって不可欠な「容易に答えが出ないことに耐える力」が養われるのではないか。
情報処理の「速さ」に飲み込まれることなく、時には立ち止まって考える機会を持ってほしいと願っています。
自ら答えを出せるようになってもらえれば教育者としては正解
■ 魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ!から考える教育論
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」と言う言葉は、教育の世界ではよく出てくる言葉の一つ。
勿論、目先の困難を助ける事も時には大事です。
しかし「本質的には相手のためになる」とは限りません。
出来る限り学んだ事で、「自ら答え(結果)を出せるようになってもらえれば教育者(親、教師、コーチ、上司、会社)としては正解」だと思います。
答えを知っている者からすれば、答えを教えるのは簡単ですし、単刀直入に言いたくてモヤっとします。
しかしそこをグッと堪えて、相手が自ら気付き、学ぶ機会を奪ってはいけないと言うのも教える立場の人の役目。
唯一の正しい答えはないという時代へと突入しつつある
■ われわれは再び唯一の正しい答えはないという時代へと突入しつつある
これだけ政治、社会、経済が混迷してくると、頭の中も混迷してくる。
しかしそれは、何事にも正しい答えがあり、その答えは明らかにすることができるとの観念に縛られているからである。
答えはある。
しかし、簡単にとらえることはできない。
したがって、われわれがなすべきことは、理想を求めつつも、手持ちの道具を使って、一歩一歩前進していくことだけである。
万能薬があるはずとの信条は、いわば美しい夢だった。
夢なら目を覚まして、働かなければならない。
現代社会には「これが正解!」とすぐには言えない難しい問題がたくさんある
■ 【サルでもわかる】哲学入門!
哲学を一言で言うと、「考えることについて考える」学問です。
ちょっと変な言い方に聞こえますよね。
でも実は、とてもシンプルなことなんです。
私たちは普段、いろいろなことを「当たり前」だと思って生活しています。
哲学では「当たり前」を疑うところから始めます。
「当たり前」を疑って、深く考えていくのが哲学なんです。
哲学では、「なぜ?」「本当に?」という問いを大切にします。
そして、その答えを探していく過程で、新しい発見や気づきが生まれるんです。
まず、哲学は「物事を正しく考えるための土台」を作ってくれます。
例えば、みなさんは「批判的思考」という言葉を聞いたことがありますか?
SNSでデマや誤情報が広がりやすい今の時代、この力はとても大切ですよね。
この批判的思考の基礎となっているのが、実は哲学的な考え方なんです。
次に、哲学は「新しい考え方や概念」を生み出す力を持っています。
例えば「人権」という考え方。
今では「すべての人には生まれながらに基本的な権利がある」というのは当たり前になっていますよね。
でも、これは哲学者たちが長い時間をかけて考え、広めてきた概念なんです。
昔は「身分の高い人には権利があるけど、低い人にはない」というのが当たり前でした。
それを「すべての人に平等な権利がある」という考え方に変えていったのは、まさに哲学の力だったんです。
さらに、哲学は「新しい問題への対処方法」も教えてくれます。
例えば今、人工知能(AI)が急速に発達していますよね。
「AIに仕事を奪われないか」「AIと人間はどう付き合っていけばいいのか」など、新しい問題が次々と出てきています。
こういった前例のない問題に対して、哲学は「人間とは何か」「技術と人間の関係はどうあるべきか」といった根本的な視点から考えるヒントを与えてくれるんです。
他にも、環境問題や生命倫理の問題など、現代社会には「これが正解!」とすぐには言えない難しい問題がたくさんあります。
そんな時に、哲学的な考え方は問題の本質を見抜き、より良い解決策を見つけるための道具となってくれます。
企業経営というものに唯一絶対の答えはない
■ 企業経営というものに唯一絶対の答えはない
ドラッカーは、経営というものは人の手になるものであるがゆえに、唯一絶対たることはありえない、と見直しの必要性を説いた。
ドラッカーの宇宙観の根本は、絶対にして不動のものはなく、かつ万物は変化して少しの間もとどまらないというものである。
だからこそ、見直せ、見直せと口を酸っぱくして言うのである。
「私は、唯一無二の答えというものは信じない」
「いかなる答えにも間違いの惧れがある」
「しかも、経営政策を含め人間社会にかかわる事柄において重要なことは、正しいか間違いかではない」
「うまくいくかいかないかである」
(「企業とは何か」)
企業の目的と正しい答えの見つけ方
■ 「現代の経営」
企業の目的では利益ではない。
事業体とは何かを問われると、たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。
たいていの経済学者も同じように答える。
この答えは間違いなだけではない。
的はずれである。
もちろん、利益が重要でないということではない。
利益は、企業や事業の目的ではなく、条件なのである。
また利益は、事業における意思決定の理由や原因や根拠ではなく、妥当性の尺度なのである。
わかりきった答えが正しいことはほとんどない
■ 「マネジメント」
「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。
わかりきった答えが正しいことはほとんどない。
企業の目的としての事業が十分に検討されていないことが、企業の挫折や失敗の最大の原因である。
企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。
顧客である。
顧客によって事業は定義される。
したがって、「われわれの事業は何か」との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。
「顧客は誰か」という問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである。
ほとんどのマネジメントが、苦境に陥ったときにしか「われわれの事業は何か」を問わない。
しかし苦境に立つまで待っていたのでは、ロシア式ルーレットに身をまかせるも同然である。
「われわれの事業は何になるか」との問いは、予測される変化に適応するための問いである。
その狙いは、現在の事業を修正し、延長し、発展させることである。
「われわれの事業は何であるべきか」との問いも必要である。
現在の事業をまったく別の事業に変えることによって、新しい機会を開拓し、創造することができるかもしれない。
自らによるイノベーションと、他者によるイノベーションである。
この問いを発しない企業は、重大な機会を逃す。
事業を定義することは難しい。
苦痛は大きく、リスクも大きい。
しかし事業の定義があって初めて、目標を設定し、戦略を発展させ、資源を集中し、活動を開始することができる。
答えを用意してしまうと創造的にはならない
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
自発性を引き出すのは、そう簡単ではない。
自発性を引き出すために、なんとか対話をはじめてみようと思って努力をしても、そもそも対話というものが簡単には成立しない。
はじめから答えが用意されていると、対話というものは、かたちのうえでは成立しているようでも、内容としては成立していない。
双方向で話し合っているかのように見えても、答えを一緒につくっていこうとしていないのだから、それは見せかけだけの話し合いである。
答えが用意されている話し合いのことは「対話」とは呼ばない。
それは「説得」なのである。
対話とは、そもそも非常にクリエイティブなものである。
だから、そこで何かがつくり上げられていくという創造的な「場」が成立していないと、対話が生まれてているとは言えない。
答えを用意してしまうと創造的にはならないのだ。
「どうしたら組織の力を最大限に引き出せるか?」という問いに対する唯一絶対の答えとは
■ 「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
ほとんどの企業では、適性に関する話し合いの機会は、上司と部下で行う業績考課面談のときくらいしかない。
しかし考えてみれば、マネジメントにおいてこれほど重要な会話はないはずだ。
どうしたら組織の力を最大限に引き出せるか?
どうしたらもっと多くの社員の業績を上げられるか?
その答えは、もっと多くの社員が自分にぴったりの職務を見つける手助けをすることにある。
それには適性のある職務や、愛称のよい上司と仲間、そして適切なスキルが必要だ。
それなのに、職場でこのような話し合いがもたれたことは一度もなかった。
それどころか、私たちは社員の業績考課の評価スコアをめぐってもめにもめ、マネージャーたちには全体の業績分布が釣鐘曲線を描くようにと念を押し、誰にどんな研修を受けさせようかと本人たち抜きで案を練り、次世代育成計画を書面にまとめる。
そんなことにばかり時間を費やしている。
大部分の社員の能力を最大限に引き出すための対策を練る時間はないのだ。
「売れ行きがいまひとつ」「さっぱり売れない」時の正しい答えの見つけ方とは
■ 「「応援したくなる企業」の時代」
多くの企業は、「送り手至上主義」を見直し、より受け手を中心としたマーケティングを実践しようと努力してきた。
送り手発想の「正」の時代から、受け手発想の「反」の時代を必死に模索してきたのである。
そして「生活者視点」を可能なかぎり取り入れて、商品開発に反映させようとしてきた。
しかし、多くの企業が「生活者視点」と呼んでいるものは、あくまでも「視点」であり、対立概念である企業と生活者の関係をそのままに、反対から見ようとしただけのものにすぎない。
実際に「生活者視点」を取り入れるべく頻繁におこなわれてきたのが、情報収集を目的としたアンケートやグループインタビューだ。
購買の対象となる本人たちからヒアリングし、ニーズを盛り込んだのだから、新商品は売れないわけがない。
このプロセスに立ち会った多くのマーケティング担当者が、そう確信したはずだ。
ゴーサインを出した経営陣もまた、適切なデータをもとに正しい経営判断をしたと信じて疑わない。
にもかかわらず、いざ市場に出してみると、商品に期待を裏切られることがめずらしくない。
好ましい反応を得ることができず、「売れ行きがいまひとつ」「さっぱり売れない」といった事態に陥ってしまうことも少なくないのである。
原因のひとつは、企業が応えようとしたニーズそのものにある。
アンケートに答えて出てくるような要望は、生活者の意識のごく表層的な部分から出てきている。
自動車王として知られるヘンリー・フォードは「もし消費者に『なにが欲しいのですか?』と訊ねていたら、『もっと速く走れる馬を』といわれただろう」と語ったといわれているが、本当のニーズは顕在化した意識にはない。
そう考えると、生活者本人に訊けば、それがそのまま生活者視点であるという考え方が、うまくいかないことにも納得がいくのではないか。
「誰に」と「何を」が抜け落ちて、「どのように」ばかりが前面に出て来る時の正しい答えの見つけ方とは
■ 「ストーリーとしての競争戦略」
コンセプトは顧客に対する提供価値の本質をひと言で凝縮的に表現した言葉です。
それを耳にすると、われわれは本当のところ誰に何を売っているのか、どのような顧客がなぜどういうふうに喜ぶのか、要するにわれわれは何のために事業をしているのか、こうしたイメージが鮮明に浮かび上がってくる言葉でなくてはなりません。
コンセプトから「誰に」と「何を」が抜け落ちて、「どのように」ばかりが前面に出て来ると、コンセプト不全に陥るのが常です。
たとえば、「顧客の囲い込み」とか「サービスの個別化」「顧客の組織化による継続的課金」、こうしたよくあるアイデアはいずれも「どのように」を問題にしています。
この種の方法論が先行したコンセプトは、結局のところ顧客への提供価値よりも自分たちがどのように儲けるのかという手前勝手な妄想に終始してしまうことが少なくありません。
顧客を組織化して囲い込むにしても、それに先行して「誰に」と「何を」を突き詰めなければコンセプトは動画にならないのです。
そこまでの価値を認める顧客は誰か、なぜ彼らを囲い込めるのか、なぜ彼らが継続的にお金を払うのか、サービスを個別化することによって顧客に提供できる独自の価値とは具体的に何か。
コンセプトはこうした一連の「なぜ」に対する答えを含んでいなければなりません。
「なぜ」が希薄なコンセプトでは、リアリティのあるストーリーは切り拓けないのです。
骨太のコンセプトをつくるためには、その製品やサービスを本当に必要とするのは誰か、どのように利用し、なぜ喜び、なぜ満足を感じるのか、こうした顧客価値の細部についてのリアリティを突き詰めることが何より大切です。
特に大切なのは「なぜ」についてのリアリティです。
「大丈夫ですか」と聞かれれば、「大丈夫です」と答える理由とは
■ 「ヒーローを待っていても世界は変わらない」
人は、簡単には自分のニーズを話さないものです。
「大丈夫ですか」と聞かれれば、たいていの人は「大丈夫です」と答えます。
それは本当に問題がないのではなくて、
「何で自分の悩みをあんたに話さなきゃなんないの」
「それで何がどうなるの」
と思っているからです。
信頼関係がつくられていなければ、その人のニーズを話してもらうことはできません。
お客様と唯一絶対の正しい答えの見つけ方
■ 「ゼロのちから」
お客様はただの「売り込み相手」ではない。
あなたの会社のジュースを飲んでたくましく成長したり、あなたの会社の自動車に乗って、生まれたばかり孫に会いに行ったり、あなたの銀行から住宅ローンを借りて、はじめての家を手に入れたりする人々だ。
既存の理論中で答えを見つけようとしても、効率よく走る方法を学ぶだけに終わってしまうといったことがよくある
■ 「うちの社長は、なぜ「ああ」なのか」
冬山で遭難する時、人がどんな行動をとるかというと、同じ場所を何度も何度もぐるぐると回ってしまうそうです。
ここで問題なのは、この人はあてもなく歩いているのではなく、これまでの経験と地形と景色から見て、「進むべき方向はこっちだ!」と自信と確信を持って歩いているということです。
実は中小企業が陥ってしまう「無限ループ」も、これとまったく同じなのです。
経営者はいろいろな課題に対して、今おかれている環境や状況を考えながら自信を持って、こうだ!という対策をとっているのです。
ところが、全社をあげて一生懸命に対策の実行に努力しているというのに、一向に課題が解決しないといったことが起きてしまいます。
あるいは、その場は解決したかに見えても、しばらくするとまた同じ課題にぶつかってしまうといったことを繰り返してしまうのです。
これが中小企業病からくる「無限ループ」の正体です。
そして、いったんこのループに入ってしまうと、どんなにいい話を聞いても、どんなにいい本を読んでも、自分が共感できる箇所だけを見て、それ以外のところはまったく目にもとめないといったことが起きてしまいます。
結果として、本やその話から新しい考え方を学んだり気づくことなく、自分の凝り固まった考え方の範囲で経営を進めるために、延々と同じ問題を起こし続けているという状態が「中小企業病」です。
無限ループに陥った会社に対して、一般の経営書の教えや理論は、違う路線に入ることを教えていないという観点から見ると、役に立たない場合が多いものです。
なぜなら、既存の理論中で答えを見つけようとしても、効率よく走る方法を学ぶだけに終わってしまうといったことがよくあるからです。
本来必要なのは、社長ががらり発想を変えて、「もしかして線路が違うのではないか」と気づくことです。
気づいて、路線を調査して、山手線から東海道線に入らなければ、永遠に大阪に着くことはないと悟ることが必要です。
基本的に、社長は自分が歩いている道や走っている線路に絶対の自信を持っているわけですから、問題が起こってもその原因にはなかなか気づかないといったことが起こってしまいます。
気づかないのは本人だけといった状況です。
当事者意識の低下の要因と正しい答えの見つけ方とは
■ 「現場力復権」
強い自負や誇りが、現場発のアイデア、創意工夫につながる。
経営者と現場の切磋琢磨による知恵比べこそが、日本の現場を「バリューセンター」へと高めてきたのである。
しかし残念ながら、この「当たり前」が「当たり前」でなくなってしまった企業が増えている。
「言われたことしかやらない」「決められたことしかやらない」というきわめて陳腐な現場が増えているのだ。
現場の当事者意識の低下の要因は、さまざまである。
現場力を支える現場の強烈な当事者意識をどう回復させ、強化していくのか。
安直に目先の人件費を下げたり、業務を過度に分断させていたままでは、当事者意識は高まるどころか、劣化・喪失につながってしまう。
「いわれたことしかやらない」「自分で考えて仕事ができない」という問いに対する正しい答えの見つけ方とは
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
管理者はつねに数値責任をもっていて、生産性向上のためのコスト削減やリソース調整に追われている。
その一方で、業務量が増えるにつれて、これをこなすための人の育成が課題になる、というジレンマを抱えている。
彼らは彼らで、管理職の役割として職場の人材育成は大事だと認識しつつも、昔みたいに”かかりきり”で部下の面倒をみるのは物理的に不可能だ。
そんな現実を前にして、「もっと自律的に、一人ひとりが自分で考えて、職場のみんなで協力し合って仕事をしてほしい」と部下たちに望んでいる。
急変する環境への対応を迫られる状況下では、今までのマネジメントや仕事の仕方に限界を感じながらも、立ち止まって再構築している余裕はない。
部下たちが自力でどうにか頑張ってしのいでくれないか・・・
なす術が見つからない時には、もう人の力に託すほかないのだ。
企業がかつてないほど多様な課題を突きつけられているなかで、いかにショートサイクルで課題をこなして結果を出していくか、その義務感を背負って、たくさんの仕事をさばくことを迫られているのが多くの現場の姿である。
競争環境にあって、これからどこに優位性を求めて勝負していくのかといえば、もはや力をもつのは、ひと握りの才能による突然変異のような「発明・発見」ではない。
経営のめざす方向性や方針やプランを、市場や顧客との間に立って実行可能なものに具体化し、実行を通じて新しいものを生み出していくことのできる「チームによるイノベーションの力」だ。
それには現場のたくさんの知恵を要する。
これは、秀でた知恵や能力をもつ「個人」をどう育てるか、という個人レベルの知恵の話ではない。
もっと大きな環境として、経営はどうやって組織的に人の知恵が発現しやすい状態をつくるか、という「組織レベルの知恵」の問題だ。
それは見方を変えれば、企業にとって、人の可能性を組織の可能性に変える方法を新たに身につけるということなのだ。
ところが、現実の現場は息も絶えだえの状態だ。
彼らの大半は、いつも仕事の山と向かい合い、それを処理することに追われている状態だ。
いくら上司が「提案が少ない」「もっと考えてほしい」と願っても、実際のところ部下のほうにも考えるための時間的・物理的な余裕がないのである。
当然、精神的な余裕もない。
中堅・若手も、決していわれたことをこなすだけの仕事に満足したり、安住したりしているわけではない。
何をめざして仕事をすればいいのかわからない、全体像が見えなくて自分の現在地がわからない、考えたところで報われない、上司が答えをもっていて潰される・・・。
根本的に、人が自発的に考えることに向かうような環境がつくられていない、というマネジメントの問題もある。
このような状況は、個々の誰かに問題があるというよりは、全体に”何かが”欠けているケースが多い。
もっとも大きな問題は、上司の側も部下の側も忙しさに追われて「人とつながっていない」ことだろう。
困っても相談する相手がいない。
協力し合える関係がつくられていない。
知恵の生まれにくい環境をよく理解していないと、「うちの社員はいわれたことしかやらない」「自分で考えて仕事ができない」と外部から人を採って戦力強化をする、「生産性が低い」と管理ツールを導入する、といった矢継ぎ早に繰り出す目先の打ち手が逆効果になってしまうことがある。
そのことが、さらに社員の気持ちを冷え込ませてしまうことにもなりかねない。
だからこそ、現状を違う視点で問い直す必要があるのだ。
唯一絶対の答えがない時とある時の違いとは?正しい答えの見つけ方って?(パート5)
うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
他にも、例えば・・・







などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお~っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ~♪
のかも~???
なーんて、感じません?
(〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?






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